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つくし世代 「新しい若者」の価値観を読む (藤本耕平)

つくし世代 「新しい若者」の価値観を読む (光文社新書)

○つくし世代 「新しい若者」の価値観を読む  藤本 耕平 光文社新書


 私は現在30半ばのおっさんなんですが、職場ではこの年齢は微妙なポジションだったりします。
 というのも、私より上の世代は今の若い人に大きなギャップを感じているようなんですね。昔であれば会社寮に住んでいる先輩が後輩に声をかけて遊んだり飲みに出歩くのが当たり前でしたが、今はあまり見かけません。いわゆるノミニケーションも少ない。本音でガシガシ言うと凹まれたり避けられたりする。若い人とのコミュニケーションが難しくどう接していいのかわからないという話をよく聞きます。
 たぶん若い人たちは「おっさんウゼー」って思っている。私の世代は上の人の気持ちもわかるし、下の人の気持ちもわからんでもない、という微妙なポジション。

 そんなわけでこの本を手に取ってみました。
 ちなみに読む前から私にはわかっていた、というか自説があって、それは上の世代も下の世代も基本的な欲求に変わりはないという認識。よく上の世代は「最近の若者は人との繋がりが薄い」的なことを言いますが、一面ではそのように映っても人間には人と関わりたい、認められたい、褒められたい、面白い人、好きな人と出会いたいという欲求があるのでその具体的な形や手段が昔と現在で異なっているに過ぎない。上の世代は自分たちのやり方しか見ていないし下の世代のやり方を知らないのでそういう風に見えるだけだと思っています。この本を読んでもその見解は変わりません。

 どうやら私が思っているよりもSNSは身近なツールとして若い人たちに普及しているようです。いや浸透していると言った方がいいかもしれない。実際職場でも若い人たちが同僚とLINEを使っている風景を見たことがあります。昔はメール交換だったので個人的な連絡先を尋ねるのも教えるのもやや心理的にハードルが高かったのですが、今は本アカとサブアカで使い分けできたりグループ分けできたりするのでリストに加えること自体はそれほど抵抗を感じないようです。ただの連絡網として使ってたりするし。
 これは、人と接しようと思えばいくらでも接せるし友達を探そうとすればいくらでも探せることを意味します。だからそれなりに意欲的な人ならフォロワーは右肩上がりに増えていく。そのまま増え続ければ煩雑になるから不要な人は折を見てリストから外す。リストを増やすコストも減らすコストも軽くなってるんですね。また、「いいね」や「ファボる」など対人関係をスムーズに行うための手法や駆け引きも行われている。
 (SNS上で)繋がっていようと思えばいつまでも繋がれる現代において、その維持コストやストレスをどう処理するか。これはこれで大変だし器用さが求められる。本書を読めば若い人たちは結構アクティブに人間関係を構築していることがわかります。

 昔だったら同期や先輩後輩くらいしか付き合いがなかったのでその関係を続けるしかなかったけど、今なら最初から知り合いが大勢いるので一つ一つはそこまで濃くする必要はないし、お気に入りの友達と密にすればいい、というごく当たり前の話。若い人の話を聞いていると結構独自の趣味やコミュニティを持っていることに気付かされます。逆に会社を定年退職した人の中にはそのままシニアスタッフとして継続して仕事したり、関連会社に再就職したりする人もいて正直「お前会社以外で友達いないの? 仕事以外の生き方できないの?」と思ったりもしますね。この辺は個人差なんでしょうけど。
 「既読スルー」など、現代ならではの悩みや気遣いなどが発生するのもそれが現代人にとってごく当たり前のコニュニケーション手段になっているから。年賀状やお歳暮を誰に出す、この前いくら包んでもらったからお返ししないと、みたいなのと本質的には変わらない。

 本書では、若者の間に恋愛関係を強く求めない、異性でも友達として繋がっていたい欲求があると紹介されています。これは著者が指摘しているように、昔であれば友達の彼女の顔を知っていることは少なかったかもしれないけど、現在はSNSを通じて他人の人間関係も見えるようになっているので繋がりやすさを感じやすい、つまり一期一会感が少ないために「この機会を逃したら結婚も逃してしまう」という感覚が薄く、結果として冒険するよりは現状維持の関係を続ける方が心理的ハードルが低いからではないか?という説明には一定の説得力がある。
 近年のラノベには、友達以上恋人未満のほどほどの関係を維持するいわゆるハーレムものが多くあるらしいんですが、こうしたものが流行るのもこれと関連していると思います。なにも女の子みんなと肉体関係を持ちたいわけじゃなくて、楽しい人間関係を続けたいというそれ自体はごく当たり前の感覚が優先されていると見るべきでしょう。
 今だって結婚する人は早く結婚するし、結婚しない人はしない。そもそも何が何でも結婚したい人、家族が欲しい人というのはそこまで多くないんじゃないかな、って思うんですよね。結婚できるならしたい人、積極的には動かないけど声がかかればOKする人、そして絶対に結婚できない人(←私)らが元々それなりの割合存在していて、現代はそれが表面化しやすいのだと思います。

 現在のテクノロジーや環境は個人の特性が出やすい環境といえる。友達を求める人は多く繋がるし、求めない人はぼっちになる。でもそのおかげでぼっちに配慮した環境(1人○○)も整いつつあって、それはそれでいいんじゃないかなって気もしますね。かく言う私だって、ネットがない時代に生きていたらただの引きこもりのオタクだったでしょうが、今ならブログがあって、趣味の合う人と情報や意見を交換できる。自分のペースと領域で交流できる環境を作れる。だから他人に(特に会社の人から)とやかく言われても気にしない。自分に必要なものは自分で用意できるから。興味のない人とは距離を置いて、興味のある人だけと付き合う、ということが容易にできる時代です。


 話を元に戻すと、昔は昔で人間関係の苦労や良さがあったし、今も形を変えてそれはある。テクノロジーや環境が大きく変わっても人間の欲求そのものは大きく変わらない。
 それを踏まえて、若い人とどう付き合うか、上と下の世代をどう橋渡しすればいいのか? そんなの知りません。だって興味ないもの。好奇心があっただけで。……という私のような人間は上の世代にも下の世代にもおそらく理解されない。だからこそ距離を置いて眺めていられるのだけど。


[ 2017年06月18日 19:14 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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