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詩羽のいる街(山本 弘)


詩羽のいる街 (角川文庫) ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦


○詩羽のいる街 山本 弘 角川文庫

 仮想敵作ってそれをやり込める展開はこの作者のテンプレなんだろうか。敵がいた方が主張がわかりやすくなるから悪くはないんだけど、スマートな方法とも言えない。多数の本が紹介されている点や小ネタ、説教ネタが『BISビブリオバトル部』を彷彿とさせる(というかまんま同じ主張を展開しているのにはちょっと笑った)。

 それはそれとして、この主人公と知り合いになりたい。2ヶ月くらいに1度会って飯食いながらダベって、はい解散っていう付き合いを長く続けられるだろうと思う。飯奢っても十分おつりがくる情報を貰えるはずだ。

 この小説の主人公詩羽はいわゆるキュレーション(キュレーター)をやっている。自分ではお金を一銭も持たず住むところすらない。その代わり人と人を繋げ、必要とするところに必要なものが届くように手配することで互いに利益を得、自分もそのおこぼれをいただく。数ヶ月に一回なら泊めてもいいと思う友人は確かに居そうだし、そういう人を5、60人確保できれば毎日住む場所を変えながら、食べる場所を変えながら生活していける。理屈の上では。

 この話を読んで思い浮かべたのが『ルポ 雇用なしで生きる――スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』。
 この本では「時間銀行」という概念とシステムを紹介している。実は日本(の一部地域)にもあった、というか先取りしていたと書かれていたような気がするんですが、要するに「時間」を取引するシステム。誰かが誰かのために1時間仕事をしたら、その1時間を貯蓄できる。その貯蓄を取り崩して誰かに仕事をさせることができる。たとえば人の家の庭の掃除をした分で、人に家の修理を頼むといった具合。時間を取引することでお金を使うことなく人と人が交流し、必要なサービスを相互に受けられるようにしたシステム。
 …といっても実際にはスペインでもそれほど広がってはいないようですが。理由はいくつもあるんだろうけど、単純に時間がない、わざわざ人を呼んで仕事をさせるような案件がそれほど多くない(たとえばベビーシッターを素人にやらせられるか? 独身の人が人を呼んでまでやらせたいことって?など)。スペインの時間銀行では貯蓄の方が多いそうです。つまり、人に貸しを作る(親切にする)のは良いけど、恩を返してもらうのは案外気が引けるし、そうする理由もあまりない。だからこのシステムは理念としては理解できるがあまり流行らないだろうと思う。

 詩羽のやっていることはこれを理想的なほど効率化させたもので、食材、材料、企画、人材の管理(誰が持っていて、誰が必要としているかを完全に把握)、アイデア出しから交渉・取引まで全て一人でこなすことで詩羽ネットワークを作り出している。ここまでやれば確かにそのネットワークにいる人は便利だろうと思う。何しろひょっこり現れて世間話するついでに情報交換して、出ていってまた現れたかと思えばすでに商談が成立していてすぐに手配できる、なんて便利すぎて誰だって利用したくなる。
 詩羽の理念や行動が合理的で理想的だと思う一方で現実的には非常に困難な理由は、この世で一番コストがかかるのは人間だからです。彼女はお金のコストを支払わない代わりに対人関係という超絶面倒臭いコストを支払っている。この物語には基本善人しか登場しないんで彼女がご都合主義なほど便利な人として描写されているんですが、実際には頑固な奴、下心がある奴、儲けようとする奴、利用しようとする奴、バカな奴、非合理的な奴がいてストレスマッハで発狂すると思う。あと彼女が述懐しているように常に人と人の間を行ったり来たりするのはそれはそれで孤独になる。「特定の誰か」というのがなくなるから。好き嫌いを問わず不特定多数の人と付き合い続ける、続けられるというのはよほどそれに特化した性格か、あるいは他人に全く興味がない(好き嫌いの感情を抱かない)性格でなければ長期的に続かない。普通の人ならまず心壊すね。無関心になるというか。ストレスを下げるにはそれしかない。

 人と人の繋がり、交流、ふれあい、というフレーズは温かみや人情味を感じさせるが、実際には摩擦も起きる。金銭のやり取りは非人格的で機械的だと思われるかもしれないが、だからこそその摩擦を減らす効果があることも見落としてはならない。また、人が増えれば増えるほど非効率的になっていくし、複雑化するからそれを和らげるには効率化や機械化するか人数を減らすしか無い。都会人は他人に冷たいのではない。一人ひとりに構えないのだ。私に言わせれば詩羽のような生き方はそれはそれで不幸を呼ぶ。
 まあ、この辺はもしかしたらテクノロジーで解決できるのかもしれない(最近話題になったメルカリのような個人間売買を容易にするシステムとネットワークなんかは便利だと思う)。


 全く関係ないけど、この本読んで無性にボードゲームやりたくなった。ドイツ製のやつ。ああいうのをダベリながらやってみたいんだよね。時間や場所、メンツを揃えるのが面倒なんだけど。調べてみると県内、市内でそういうコミュニティがあるらしいのでいずれは参加してみようかな。え、なんですぐやらないかって? 仕事してると休日は一人でいたいんですよ。一番親しい友人とですら数ヶ月に一回しか会いません。それでちょうどバランスがとれる。


 余談ついでに。
 いわゆる人間批判の一つに戦争や暴力ってあるよね。本書でも戦争ネタが出てくる。人類は戦争をやめない愚かな種だとか、逆にそんな甘っちょろいこと言ってんじゃねーみたいな。個人的には戦争自体は別にどうでもいいっていうか、むしろ戦争をやってきたのに人類は今日の発展を築き上げたってところを評価したいんですよね。歴史的に見れば人類は人口が増えているし、生活だって良くなっている。近年は先進国でも貧困化が叫ばれているけど、世界的に見れば富は増えています。世界システム論的に言えば中央と辺境が先進国と新興国の枠組みから変わってきたってだけ。資本主義の原理的にも資本主義が拡大すれば当然中央は薄くかつ先鋭化していくので、先進国のみんながずっと成長ないし中流で居続けるなんてことはできない。先進国の内部でも中央と辺境ができてくる。でもじゃあ餓死するかって言えばしない。「資本主義国で飢え死にする奴は馬鹿だ」というセリフが本書に出てきますが、実際問題として先進国ではなかなか死ねない。

 それらはテクノロジーの発展が可能にしていて、その技術の一部が軍事技術に回ってもそりゃしかたない。自国の軍事力を強くすればそれだけ自国民は安全になるんだから。それはそれで幸福と利益の追求になる。それに核兵器は歴史上日本にしか実戦使用されていない事実がある。いや実はこっそり裏で何回か使われているのかもしれないけど、一応そういうことになってるし、戦後大規模に使われていない。化学・細菌兵器も禁止されている。案外人類は大量虐殺をしないのです(他の方法で虐殺するけど)。通常兵器でバンバン殺すわりに核兵器や化学兵器で効率良く殺すことはしない。人を実弾で肉片に変えるのと核兵器で塵にするのとどっちが人道的かはわかりませんが。政治的な問題や精神的な問題があるのかもしれないけど、持ってるけど使わない、という自制心を人類は持っている。
 これってもっと評価されていいと思うんだよね。人が虫も殺さない聖人君子なわけないんだからさ。それに結構人間ってお人好しにできてるし。そんなわけで私は非現実的なまでに理想的な理念や道徳を持ち出して人間を昇華させよう、啓蒙しよう、こうあるべきだ!とは思わない。だって今でも十分に人間には理性も道徳心もあるんだから。だからこそここまで発展してきたのでしょう? その陰で多大な犠牲があったとしても、そのバイタリティーを含めて私は評価したい。まあ、発展しすぎて世界人口が減少する予測すら出てるんだけどさ。

 人間がこのままでいいか?というと別の話になるのかもしれないけど、私は人間っていうのはそんなに捨てたものではないと思ってます。私人間ですからね、肩を持ちたい。きっとどっかの誰かが良いテクノロジー、良いアイデアを思いついてくれるよ。生きてる間は信頼したいし、死んだ後は知らん。つまり、死ぬまでは楽観していたい。あるいは楽観的に死にたい。私のような楽観と諦念でのほほんと生きる人間にとって、詩羽のように理想と行動力を持って現実を変えようとする人は必要だし便利だ(上の文章と矛盾するように思われるかもしれないが、こういう人が一定数いることで促進される面はあるのでそれ含みで人間を評価している)。
 どんどん仕事してくれ。私は楽したい(本音)


[ 2017年06月15日 01:45 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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