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そんな「昔」などない

「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える ストーナー


昔の日本人は礼儀正しかった。
 →身内だけ。他人には冷たく乱暴。ウチとソトの使い分けは日本人のデフォ。

昔の日本人は道徳的だった。
 →戦時中でも食べ物余ってたら捨てるの当たり前。
 →道端、公園でのゴミ捨て当たり前。器物破損当たり前。
 →商人の粗製乱造、偽造、詐欺は当たり前。
 →職人の横領は当たり前。
 →ヤブ医者当たり前。
 →教師の(性的)暴行当たり前。
 →子どもへの虐待当たり前。養育費目当てで引き取ってその後に殺すのも稀によくある。
 →親への虐待、養護放棄当たり前。平均寿命の問題で親や祖父母の介護が表面化しづらかった。
 →核家族当たり前。子どもが多ければ必然的に実家を出て行く子どもが多くなる。
 →子どもをしつけないの当たり前。教育勅語? 暗記するだけのお仕事です。

 昔も「昔に比べて今は…」って言ってる事実。
 ここで言う昔とはだいたい1900年初頭から戦時中までの人々のことです。一言で評せば、昔の人はクソ。『菊と刀』書いたベネディクトも捕虜にされた日本兵がペラペラと軍事機密を教えてくれるので驚いたと言っているように、日本人の実直さがよくわかります。
 現代に生まれて良かった。

 一通り小馬鹿にしたところで本題に入ると、別段昔の人が取り立てて粗野でバカでカスだったかと言えばそういうわけではなく、現代人も同じです。違いが生じるのはインフラ、技術、ルール、文化的背景のためでキチンとしていれば誰だってキチンとするし、そうでなければズラクラするって話ですね。ちょっと前まではどこでもタバコは吸われていたけど、今は市民権を失って片隅に追いやられるのも「世間がそういう方向だから」ってわけで、たいていの人はその時代に信じられていること、そうするのが当然と思われていることをやっているだけ。現代に近くなるほど色々整ってきたってだけで。
 歴史を学んだり、古い小説を読む面白さの一つは、如何に人間がいい加減でクソかってことがわかることです。それに対する私の感想は「それでいいじゃん」です。だってそんな先人たちの後の世が現代なんですから。いいじゃないですか。
 (総じて言えば現代人は温厚で平和的で礼儀正しく綺麗好きです。それはインフラや技術、知識に裏打ちされたもので、人間の進歩は技術的ノウハウ的蓄積に連動していると私は思っています。新しいものを生み、使い方を覚え、より良くなっていく(そうしたものを選んでいく)という意味で私は人間を信頼しています)


 『ストーナー』という現代小説では、大して頭が良い訳でもなく、コミュ障で、家庭内が上手く行かなくて、女学生と不倫しているクソ主人公が出てきますが、あの野郎いっちょ前に人並みに死ぬんですよ。クソ親父のせいで娘はグレてるのに。読んでいる方からすれば、何やりとげた感だしてるんだ、惨めな死に様晒せよって感じですが、おそらく現実的にはこんなことは掃いて捨てるほどある話で、そう考えればどうでもいいんじゃないかなって思うわけですよ。
 要するに世の中甘くて、多少舐めても問題ないんじゃない?って。だってみんなそうでしょ?
 って油断しているところを上手くやって掠め取るのが有能な人なわけで。そういう人たちが先に走って、その他の人たちが後追いして、それで全体としてはちゃんと回っている。

 掠め取られない程度にズラクラできればいいや。

[ 2017年05月20日 13:21 ] カテゴリ:よもやま話し | TB(0) | CM(-)
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