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“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕(高木敦史)

“菜々子さん”の戯曲  Nの悲劇と縛られた僕 (角川スニーカー文庫)


○“菜々子さん”の戯曲 Nの悲劇と縛られた僕 高木敦史 角川スニーカー文庫

 ジャンルとしてはミステリですが、この感想は完全にネタバレで書いてます。


 3年前の事故で一人が死に、一人が全身麻痺になり、一人が名前を呼ばれると発作を起こすようになったという前提から物語は始まります。
 タイトルの菜々子さんは名前を失った子で、本作のヒロイン。3年間ずっと主人公のお見舞いに来ている。主人公は全身麻痺。物語の語り手(意識はある)で探偵役。

 3年前の事故の真相を巡るミステリなんだけど、個人的にこれは主人公とヒロインの心理戦だと思ってます。終盤のやりとりは『好き?好き?大好き?』を思わせるなかなか良いデキでした。なるほどヤンデレはサイコパスと妄想性パーソナリティの混合なんだな、と素直に感心。
 そのためオチは概ね読めたんですが「それ俺の知ってる愛情と違う」と軽くカルチャーショックを受けられたのは新鮮な気分でした。結果は読めるんだけど、それを語る菜々子さんの心理描写は新鮮に映りますね。ヤンデレものとか普段読まないし。


 毎日病室に来てはその日の出来事を語る菜々子さんは、突然3年前の事故は事件で犯人がいると言い出します。しかし主人公は推理すればするほど真犯人は菜々子さんだったのではないか?と疑問を持つようになります。
 果たして彼女は犯人なのか、それとも別の犯人なのか。考えれば考えるほど疑いは強まる。でもふと主人公は吹っ切れます。別にそんなことどうだっていいんじゃないかと。実は彼、菜々子さんに好意を持っています。菜々子さんも彼に気があるしそれを知っている。だから菜々子さんが犯人だと確信できないなら、それでいいじゃない。自分がこうなってしまったこともそんなに恨んでいるわけじゃない。無事、麻痺状態からも快復して一気にハッピーエンドムード。でもまだ物語は終わらない。ドラマが終わるまであと20分ある、みたいな。

 一応表向き彼女とは犯人は別の人ということで双方合意がとれます。この時点では彼は彼女が犯人だと疑われたくないからそういう話を切り出したのだと解釈。しかしよくよく彼女の話やトリックを再検討してみると、どうやら彼女が真犯人である可能性が俄然高いことに気づきます。
 すると意味合いが変わってくる。彼女が毎日見舞いに来ていたのは自分を監視するためではなかったのか? もし突然自分が快復し、自分がこうなったのは彼女のせいだとバラしてしまうのを恐れて、犯人は別な人なのだと、そう自分に思わせようとしたのではないか。
 ヒロインに対して酷い考え方ですが、彼は菜々子さんがとても粘着的で陰険で、手段を選ばず、他人を遠慮なく利用できる人だと知っています。彼女が自分に好意を持っていても、自己保身と比較したら後者が勝るかもしれない。彼女の口からは一応動機めいたものも(冗談として)聞かされている。となれば、自分が真相に達したことを感づかれてはいけない(消される可能性がある)、また絶対的な確証は無いにしても彼女が犯人である疑いを覆しきれないと彼は疑心暗鬼に陥ります。

 彼的には菜々子さんが『彼は真相にたどり着いていないし、自分を信じているのでもう彼を監視する必要はないと考えている』と考えます。その心配がないとわかったので今後は自分から離れ自分を忘れていくだろうと。


 彼は、わたしを、疑っている。
 それでいい。


 ……と彼が考えていることを菜々子さんは正確に読みます。
 わざと彼が自分を疑うように仕向けたわけですね。彼の推理力を信じて(と言えば聞こえはいいが、もし彼女の期待に応えられない場合は彼に幻滅しただろうとも独白している。この点で非常に自分勝手で自分のイメージと他人を独断的に比較し価値づける)。
 実はあの事故は本当に事故で、偶然が重なって悲劇が起きてしまったのですが彼女は敢えてそれを主人公に言いません。むしろそれこそが彼女最大の切り札として取っておこうと考えます。

 彼女は負けず嫌いで粘着質で陰険で、そして彼のことが大好き。彼の心を自分につなぎ止めておきたい。
 そこで考え出されたのが彼に「自分を疑わせる」呪いをかけること。彼の心を束縛し常に自分に意識を向けさせる。

 彼は、わたしを、疑っている。
 それだけで、彼の中でわたしという存在は絶対のものだわ。
 なんて安心する響きなのかしら


 思惑どおり作戦は大成功。彼は離れていくと考えているかもしれない。そんなわけないじゃない! もうあなたは私のもの! 逃がさない! まさしくヤンデレ。これが普通の人なら、あれは事故だったと素直に告げて、如何に自分は彼を愛しているか、だからこそ3年間見舞いに来ていたのだと言えばそれで終わる話なのに、彼女は絶対の保証が欲しくて彼に呪いをかける。いずれネタばらしはする。でもそれは彼女が彼に一泡吹かせる状況が整ってから。実は彼女の得意なゲームで彼は一度も負けたことがない。自分の告白に正面から応えてくれなかった恨みもある。乙女のプライドはズタズタ。ここはなんとしてでも勝って見返したい。と彼女はゲーム感覚で考えます。この思考サイコパスですわ。
 おそらく彼女が彼に好意を抱いたのも、ゲームで負けたことがキッカケで、見返したい気持ちが彼への興味関心へと転化したのではないかと思える。「相手のことを意識する=好き」とはならないのに彼女にその区別がない。玩具を独占したいと思う子どもの考えと大差がない。彼女の「好き」は一般人のそれと質的に違う。彼を理解したい、彼の気持ちを汲んであげたいとかの発想は無い。

 いくら主人公の推理力でも、ここまで人が恣意的に、手段を選ばず、また意味不明な思考回路で自分を罠にかけるなどとは思いつきません。心理戦で勝てないのも無理からぬこと。(後述するが、駆け引き慣れしているサイコパスと、駆け引きの発想がないシゾイドでは勝負にならない)


 ミステリとしては、少しネタを引っ張りすぎ(主人公の推理が二転三転しすぎで読んでいる方としては、だから菜々子を疑っているんだろ?そこに持っていきたいんだろ?と悶々する)、菜々子のヤンデレ描写(伏線)が多く先が読める、結局菜々子の本名がわからない、Nの本名を隠す意味もない、など必然性がない部分やこなれていない部分もあるんですが、個人的にはヤンデレの思考が読めて面白かったですね。

 一般にヤンデレがどういうものかは実はよくわかっていないんですが、菜々子さんの動機、行動をサイコパスと解するなら納得できます。『平気でうそをつく人たち』『良心をもたない人たち』で書かれていたこととかなり合致している。他人を道具としか思わない。だから平気で騙せるし利用できるし、そこに罪悪感はない。人間関係を一種のゲームとして遊ぶ。愛情や絆、友情といった人間感情、その機微に疎い。自己中心的。
 一応誤解のないように言いますが「サイコパス=極悪非道の犯罪者」ではありません。連続殺人犯や詐欺師にサイコパスはいるかもしれませんが、サイコパスが全部そうなるわけではない。例えば自分が楽をしたいから人を利用する(ヒモになるとか)、出世するために権謀術数を使ってライバルを蹴落とすとか、社会一般的にギリギリ許されることの方が実情としては多いようです。あと必ずしも人に復讐を企てるわけではない。不正がバレたらプライド無視して頭を下げて、ほとぼりが冷めたらまたやる。そういう狡猾さも持っている。社会適応できていれば社交性があって野心的ではあるが冷淡な人ってイメージを与えるかもしれません。あるいは戦争などのような荒事、カオスな社会状況ではこのタイプのメンタルは一転して強く頼りになるでしょう。ガンガン人を撃って英雄になれるタイプ。
 ちなみに妄想性パーソナリティは思い込みが激しいタイプで、ストーカーになったりもしますが、自分のイメージを他人に投影する頻度と強度が強いようです。疑い深くて粘着質。菜々子さんはこの両方の特性を持ってる感じですね。ヒロインとしてどうなんだって話ですが。

 ついでに言うと、私はシゾイドパーソナリティだと自己判断してるんですが、シゾイドも他人に対して冷淡(無関心)という点ではサイコパスと似ています。が、無関心すぎて相手を利用するとか騙すとかの発想になりません(したがって相手が自分を騙してくるという発想になりにくい。駆け引き(相手との関係)を拒否することで対応可能)。何か問題が起きた、あるいは自分の都合を叶えたいと思ったら如何に自分一人でできるかを最優先で考える。他人と摩擦が起こることはコストが高いと感じて二の足を踏むんですね。ま、面倒臭いだけなんですが。対人的には人畜無害。この作品の主人公は割とそういう気があるタイプだと思います。興味のないことはサラっと流して、自分のことも含めて俯瞰的にどこか距離を置いて考える。執着している感があまりないんですよね。


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[ 2017年05月08日 23:09 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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