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解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯(ウェンディ・ムーア)

解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 (河出文庫)決してマネしないでください。(1) (モーニング KC)


○解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯 ウェンディ・ムーア 河出文庫
○決してマネしないでください。 蛇蔵 モーニングコミックス

 (↑の本はこの感想では取り上げていませんが、ハンターを知るキッカケになった本。漫画で描かれているエピソードは『解剖医~』を参考にしている)

 顕微鏡の目をもつ貴方様は
 あらゆる生き物を切り刻み
 御婦人の子宮を探索す
 生命のない土を掘り起こし
 青白い亡霊をよみがえらせ
 空腹の墓を飢えさせる



 18世紀のブラック・ジャック。イギリス、あるいはヨーロッパで最高の外科医として名を馳せたジョン・ハンターの生涯。

 実験と推論による科学的手法で当時の医術を医学と呼べるほどのレベルに引き上げ、彼の弟子達を含めその後の医学の発展に大きな貢献を果たした現代医学の祖。
 ……と言えば聞えはいいが、健康な死体から病死体、珍しい死体まで集めに集めて解剖して標本をこしらえ、動植物も同様に集めた結果、積み上げたコレクションは1万4千。費用は7万ポンド(レートの換算が難しいが現在でいうと50億円前後?)。彼の建てた博物館はハンテリアン博物館として現在も残っています。
 要するに生物を猟奇的なまでに愛した男であり最高の外科医でした。住んでいた家が『ジキル博士とハイド氏』のモデルになったり動物好きだったところがドリトル先生のモデルになったとも言われています。そんな人なのでエピソードに事欠かないんですが、その人物像を率直に述べるなら自分に素直な人。生物への飽くなき探求と好奇心を生涯持ち続け、それを自ら分類・体系化するロジカルで柔軟な思考の持ち主。これは彼の医療技術や理論にも表れていて、当時の迷信めいた治療を疑い実験と推論、実証を重ねて治療技術を確立していく手法が当時としては斬新でした(比較病理学はこの時代に存在しない)。斬新過ぎて同業者には理解されず多くの敵を作ってしまったようですが。しかし彼は根っからの解剖オタクだったので実力でその座を勝ち取っていきます。
 このタイプにありがちな偏屈な人間かと思いきや、自分の知識や技術を広めようと教育関係には熱心でしたし、金持ちからは金を取り、貧乏人からはほとんど金を取らなかったことも庶民に人気でした(後述する墓泥棒や気味の悪い標本は恐れられていましたが)。無理な手術、無駄な手術は避け、自然治癒に重きを置いた治療法も現代では当然ですが当時としてはこれまた斬新でした(「何もしない」療法は同業者からこれまた嫌われました)。
 ハンターは世界を一変させてしまうほどの発明や発見を行ったわけではありません。本書で強調されていたのは彼の思考法です。上述したように彼は常識を疑い、確証を得るまで実験を繰り返しました。自分で考え、証明する。健康な臓器と病気になった臓器を比較する。適切な処置は何か。彼は生徒達に単に技術を教えるのではなく思考法を教えました。講義の中で彼は自分の言っていることが正しいとは限らないこと、現時点での考えだと強調しノートを取るなとすら言っています。こうして多くの医者の卵が彼の下に集まり、世界中に彼の教えは広がっていきます。
 18世紀という近代と現代の狭間、迷信と科学が入り乱れた時代。外科医でありながら博物学者としても名を残せる彼の軌跡は一つの時代の表と裏、熱気と血なまぐささを映し出してもいます。個人史が世界の歴史に繋がっていくダイナミズムは興味深い。当時の世相や風習もまた記述されていて色々と参考になりました。

 文章として纏めるのも面倒だったので、ざっくりと当時の様子を箇条書き。


○18世紀イギリスの状況
・医者の階級は内科>>>>外科(一部床屋兼任)>>歯科(床屋やカツラ屋が兼任)

・瀉血・下剤・嘔吐剤の三大治療法。特に瀉血は万能だと民衆に広く信じられていた。水銀万能説も健在。

・病気は体液のバランスが崩れることで起るという1000年以上前からの認識からほとんど変わっていない。

・この当時の医学界では科学的考証が一般的ではなく、迷信に近い呪術的な治療法が大手を振っていた。

・医師も徒弟制であり、師からの教えを黙々と受けついでいくのが一般的。

・血が心臓によって循環していることが実証されたのは17世紀。

・この時代に衛生の概念は無い。感染症による死亡は日常茶飯事。麻酔・殺菌(細菌の発見)は19世紀。

・マラリアに対しては新大陸から輸入したキニーネにより治療可能。

・新大陸や新種の発見と同様に、人体への研究も盛んで医師達は競うように論文を発表していた。
 同業者といえどもライバル。盗作・ネガキャンは日常茶飯。ハンターの義弟ホームはハンターが没後、彼の論文をネコババして盗作し焼却した。

・人体解剖用の献体があまりに少ないため、死刑囚の遺体争奪戦が日常茶飯。
 「罪人が死にかけるやいなや、一部の群衆は治安官達の目の前で絞首台目がけて飛びだし、死体を引っ張り合い、取り合う。それが高じて喧嘩になり、怪我人まで出る。そこに群がってくるのは死刑囚の友人のこともあれば、個人外科医に雇われた男のこともある。遺体をめぐる彼らの争奪戦は激しく血なまぐさく、正視に耐えない」(サミュエル・リチャードソン)

・それでも足りないので墓泥棒が横行。ハンター自身も盗んでいたし窃盗団を組織してもいた。というか彼のおかげ(?)でビジネス化。社会問題になり、イギリスでは1832年に解剖令が作られ終息。この解剖令は近親者がいない死体を利用できるもので、実質的に浮浪者などの最貧困者が対象になった。

・砂糖などの流通により上流階級で虫歯が流行。義歯の実用化は18世紀末からなので、それまでは貧乏人から買い取って(抜き取って)移植していた。歯の移植についてもハンターは貢献している(様々な移植実験を動物に行い、人間に適用可能なものは実施していた)。

・ドラゴンやユニコーンが実在すると信じられていた。

・大航海時代は継続中。新種の動植物などは珍重され、贈答品、見せ物として貴族から民衆まで親しまれていた。
 とりわけ人の奇形は人気だった。国からの補償もなかったため、当人達にとっても見せ物になるのは収入源だった。当時一世を風靡した巨人症の男性を死ぬまで付け狙い、裏金で見事その遺体を勝ち取ったのは他ならぬハンター。彼の肖像画にもその標本(脚部)が描かれている。

・性風俗については寛容でそれ用のハンドブックもあった。
 「ミセス・ハンブリン。ストランド近くのネイクド・ボーイ・コート一番地に住む。当年56歳のため、肌の衰えを厚化粧で隠しているものの、30年という年季が入った技巧は客をけっして後悔させない」

・哲学者ヒューム、経済学者のアダム・スミスの治療・診断もハンターが行っている。

・ハンターは生物が不変ではなく変化する性質を持ったものであることを想定していた(当時としては異端になるが、彼は王党派で穏健)。
 彼が残した博物館はダーウィンも訪れている。

・ハンターがクジラについて纏めた論文は後にメルヴィルが白鯨を書くキッカケになったと言われている。

・天然痘の発明は18世紀末。ハンターの愛弟子ジェンナーが発明。

[ 2016年09月23日 23:28 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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