六畳半のすごし方 TOP  >  よもやま話し >  便利な友達がいなきゃいないでなんとかなるもん

便利な友達がいなきゃいないでなんとかなるもん

夜のピクニック (新潮文庫)


 「足、大丈夫? さっきから変な歩き方してるよ
 「正直、ヤバイと思う。すげぇ痛い」
 「だからさ、気が紛れる話をしてくれないかな」
 「じゃあ、あたしが歩行祭で、密かに賭けてたことがあったって話は?
 「いいね」

 丸1日かけて80キロを踏破する歩行祭。そこで交される少年少女の青春物語。
 この手の話にお約束なのが、
・文武両道&才色兼備でありながら人間味溢れるパーフェクト超人
・お節介でやたら勘がいい親友
・普段はウザくてバカなんだけどイザというときに汚れ仕事を引き受けてくれるムードメーカー
・当て馬、噛ませ犬

 などの友人達で、もちろん本作にも実装されている。
 断言しよう。友人にこれだけのメンツ揃えて良い青春できないわけねーよ。

 事件も何も起きずただひたすら歩き続けるだけの小説なんだけど、感心したのはまさにそれゆえのシンプルさと必要なシチュエーションが揃っていること。物語前半ではクラス別歩行、後半では自由歩行と別れていて、前半ではクラスメイトとの会話で登場人物が説明され、後半ではちょっとした謎解きや転換が起きる。高校生の悩みは大抵勉強か、家族か、恋愛・友人関係なので自由歩行のときに誰と一緒に歩くかは大きな関心事と言っていい。ここの駆け引きから始まり様々な思惑や関係がパズルのピースの如くはまっていく様子は非常にご都合主義的で王道。一部、神視点を持ったキャラが登場してて、ちょっとやりすぎだとは思うけど。どんだけお膳立てされてるんだよ。


 翻って、自分の学生時代を思い返すと……まったく思い出せないことに気づく。面白かった、つまらなかったという感情すら湧かない。小学校の同窓会で当時の担任から「独特の世界観あったぞ」と言われたけど当時はそういう自覚なかったしねぇ。今はあるけど。
 まあ、結論から言うと人生のどの段階が一番楽しかったですか?と聞かれたら「今」と答えます。5年後も「今」。10年後も「今」。常に自分の人生に95点出せる。その自負とやり方を持ち続ける、というのが私の一つの実存証明。だから率直にいって学生時代よりも社会人の方が自由度が高くて楽しいんですよ。もし歩行祭のようなイベントを学生時代にやらされたら愚痴しか言わなかった。私からすると学校の方が制限が多すぎてやりようがない。でも今なら違う。堂々とサボる。あるいは裏技的に楽で楽しい方法でゴールする。
 社会というのは案外いい加減にできていて、そこで生活するための最低限の義務を果たしたら、あとは思い切り次第でかなり自由にできる。人間関係に捕らわれなければさらに自由度は増す。だから私は声を大にしてこう言いたい。
 友達がいなくても人生楽しめる!(これはこれで特殊な才能が必要です)


 真面目な話、「友達」にそんなに期待するもんではないと思うよ。だって自分がそんなに便利な友達じゃないんだから。むしろ現実はパーフェクトじゃないことを許容することの方が大事だと思うね。

[ 2016年07月07日 21:19 ] カテゴリ:よもやま話し | TB(0) | CM(-)
トラックバック
この記事のトラックバックURL