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哲学者の密室(笠井 潔)

哲学者の密室 (創元推理文庫)

○哲学者の密室 笠井 潔 創元推理文庫

 なげーよ。文庫本1冊で約1200ページ。レンガか何かか。
 密室殺人を解きながら、ハイデガー思想(作中ではハルバッハという人物)と対決する誰得ミステリー。
 私のハイデガー理解はこの程度しかないんですが、まあ、要するに死に先駆することで本来的な生を獲得しよう、というよくわかんない理論。なにがわかんないって、死に特別な意味を感じない人にはどうでもいい話しだし、そもそも「本来的」って何? 完膚無きまでに正しい選択や行動ってあり得るの? ちょっと一週間でいいから本来的な生き方してみてよ。そんなツッコミを入れたくなる。もっとも、ハイデガーは人間の倫理を問おうとしたところが重要なのであって、死云々はそんなに重要じゃないと思うんだけどね。たぶんこの人の趣味っつーか、感性の問題。


 それはそれとして、作中ではこんな話しが出てくる。

 「平凡な人生を侮辱し、些事に埋もれた日常生活を憎悪する青年は、しかし、いつか愕然とせざるをえない。自分もまた、ありふれた人間に過ぎないのだ。軽蔑している俗人と変わらない存在なのだ。
 彼は考えはじめる。死という鏡さえ与えられるなら、自分にも英雄のように真実の人生を、選ばれた人生を、特権的な人生を生きることができるだろう、とね。それが、ようするに地獄の入口なんだ。平和と繁栄に自足した社会では、死の可能性など、どんなに凝視しようと少しも見えてきそうにない。
 そこで青年の思考は、ほとんど必然的に観念的倒錯の罠に落ちてしまう。戦場のない社会で死の可能性に直面することができないなら、意図的に戦場のようなものを、死の危険に満ちた暴力的な環境を、なんとか捏造してしまえ。そのとき死は、もはやハルバッハふうの凝視される死ではなしに、観念的に所有される対象に歪曲されているんだが、青年はそれに気づこうとしない。
 そのように死を夢想したロマン主義かぶれは、ときにそれを実行してしまう。そんな青年の自殺をとめるような親切心など、僕は持ちあわせていないな。自殺者は自殺すればよい。挫折を宿命づけられた試みに、それでも飛び込みたいというのなら、そうすればよい。他人の迷惑ならないんだから。そんな自殺者を、僕は憎しみはしないだろう。ほとんど関心を持たないで終わる。しかし、アントワーヌやマチルドは……


 「人を殺した。自殺するかわりに、二人の叔母や兄を殺した」

 「現代的なタイプの政治青年は、平和な日常生活に人工的な戦場をしつらえようとして、テロリズムの沼地に誘惑されてしまう。アントワーヌやマチルドのようにね。ジルベールは、少し違っていたような気もするけれど。
 どうしても世界に意味を感じられない、平和な時代に窒息しそうだ、本当の人生を見つけることができない。そうした解消されえないニヒリズムは、抗いえない猛烈な力で、青年を必然的にテロリズムの方向に押しやる。
 政治的有効性のためには、殺人もあえてする。それが政治の倫理であり、テロリストの倫理だ。しかし、そこには自己欺瞞がある。善良な百人を救うために、自分の手を血で汚しても、一人の悪党を殺さなければならない。アントワーヌは最後に、そんな意味の弁明をしていた。しかし、彼を深いところで突き動かしていたのは、そんな政治の倫理ではないんだ。あまりに息苦しい、凡庸な日常世界を、一瞬にして裏返しにするような奇跡を演じてみたい。そのためには、なにがなんでも死に直面することが必要だ。吐き気のするような俗物の集団で溢れかえる都市の街頭を、テロリズムの戦場に転化せよ…



 要するにハイデガー(ハルバッハ)思想は中二病と結びつきやすい。
 自分は特別だ、特別になりたい、そう思っている凡人が手っ取り早く英雄になる手段が死の利用。劇的な死、あるいは自己理想(偶像)化はその他大勢の一人から抜け出す切り札(に見える)。それで自分が死ぬ分にはその人の勝手なんでどうでもいいんだけど、自分の命を特別だと思っている人が他人の命を蔑ろにした瞬間に破綻する。他人の命が安いならお前の命も安いんじゃねーの?と。そもそも生きて死ぬことに特別さなんて無いと思うんだけどね。
 結局僕は偉いんだぞ!と叫ぶ子どもの虚勢と何ら変わらない。ナルシズムを死で粉飾したところでタカが知れている。だから大抵は挫折してラスコーリニコフになる。作中でこの思想を信奉したヴェルナーは単なる復讐者でしかなく、ハルバッハもまた自滅の道を辿る。本作はこの点が徹底しているというか、作者の意地が悪い。


[ 2016年06月18日 14:46 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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