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ぼくらの(鬼頭莫宏)

○ぼくらの 鬼頭莫宏  全11巻 小学館

ぼくらの(1) (IKKI COMIX)

 「これは自分の力で解決しないと意味をなさなくなるものなんです
 「自分でちゃんと背負って、処理して、初めて人に納得してもらえる、説得力をもつ、行動

 「私達は生まれながらにして、生命に対して業と責任を背負っているの

 「てめーらは命とひきかえに、絶大な力を自由にできて、仲間を救えるんだ。うれしいだろ?
 「まあ、見てな。戦えるんだよ

 15人の少年少女が巨大ロボットに乗って人類の存亡を賭けて戦う。しかし勝っても負けても彼らに訪れるのは死。過酷な運命の中で少年達は生と死に向き合う。

 本作は目的がハッキリしていて、生と死を直接扱うことで日常の価値や生への実感、責任を主題にしています。作中でも言及されているように現代の日本人は死が身近なものではありません。生存競争する必要もない。そこに危機感をとおりこして虚無感、無力感、無気力への不安や疑念が湧くのも不思議ではありません。要するに平和ボケしてるんじゃないか? ぼんやり生きているんじゃないか?ってことですね。
 そのため本作に登場する大人達は非常に立派で有言実行的で、子ども達に同情的です。普通なら世界の存亡を賭けた戦いなのだから子ども達を全員殺して別なパイロットを契約させたり、あるいは(敵がパイロットの近くに出現するため)隔離するところですが、そういったことはしません。確実な死が訪れる彼らの自由を尊重しています。同時に子ども達は自分の手で人を殺す重みもまた背負うことになります。これによって自由と責任がよりハッキリする形になっている。15人それぞれの生き様がありありと描かれ、また彼らを取り囲む大人達の責任ある行動が描かれる。規範的で道徳的な作品。


 ただ、一つ穴というわけではないんですが、この手の命を代償にした物語は命の重さを見せるために大きな見返りが付きものです。本作で言えば命とひきかえに神の如き力を持った巨大ロボットを使うことができる。見方を変えれば「人生の最後に世界を救う勇者(世界を滅ぼす魔王)になれるチャンスをもらえる」のです。ロボットで戦う子ども達はその瞬間に敵味方合わせて200億人の命運をその手に握る。200億の命と釣り合う。これ、一人の人間の価値とすればとんでもない価値です。こんなことは普通だったら絶対にあり得ない。死ぬことが前提としてあり、それが理不尽に提示されるこの物語ではこの取引は分の悪いものとして解釈される。では、この取引に魅力を感じる人がいたら? たとえばルサンチマンがこのチャンスをもらえたら喜んで命と引替えに人類を根絶やしにするでしょう。世界から虐げられたルサンチマンにとって世界への復讐は究極的な目的です。この意味で本作の命の見返りは非常に大きく、非現実的なまでに自己の価値を肥大化させています(だから責任という話しが出てくるんですが)。

 平和ボケしてもいいと思うんです。ゆっくりゆったり生きたっていい。それができる世の中で、そうなるのが普通ならそういう生き方なりの豊かさ、厳しさ、苦しさがある。それに、どうせ死ぬんですから。どんなに遠ざけようとそこからは逃げられない。そしてそんな平凡な人生をおくる私達には決して特権は与えられない。危険手当という名のハシタ金で命をすり減らし、小遣い程度の管理職手当で心をすり減らしながら給料をもらうだけです。その金額が私達の値段です。現実は命が如何に安いか、自分の価値や存在が如何に軽いかを感じることの方が多い。少なくとも私がいなくても世の中は全く問題無く回る。
 ある精神科医が言った「成熟とは、自分が大勢の中の一人であり、同時にかけがえのない唯一の自己という矛盾の上に安心して乗っかっていられること」というのに私も同感なので、自分の軽さと重さを同時に実感することが大事だというのはわかります。でもどちらかと言えば命の重さを説く物語よりも、軽さに苦しむ物語の方に惹かれるんですよね。おそらくそれが現代の生き方だから。現代人は未熟で自己愛的だとよく言われる。でもそれは、それだけ実感しにくくなっているからだと思います。


[ 2015年10月17日 22:02 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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