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反転する福祉国家(水島治郎)

 パートタイムもフルタイム労働者もほとんど同じ権利を持っていて、自由にセミ・フルを切替えることでライフ・ワーク・バランスを充実させた国、オランダ。この話しを数年前テレビで見たときの第一印象は「うそ臭ぇ、なんか裏があるはずだ」。

 そこでセレクトしたのが↓
反転する福祉国家――オランダモデルの光と影反転する福祉国家――オランダモデルの光と影
(2012/07/19)
水島 治郎



 本書を読んだ限りでは、本当のようです。日本では正規雇用と非正規雇用の差が大きく一度非正規側に行くと戻るのは難しい状況になっていますが、オランダでは両者の権利をほぼ同等とすることで労働の流動性を上げると同時に生産性も上がっているようです。ただ、オランダの家計モデルは日本と同じように男性が大黒柱で女性は補助的な役割の文化が残っているので男性はフルタイム、女性の大半はパートタイムで働いているのが実際のようです。もっとも、こうした制度が何十年も続くならそのような分担も薄れていくでしょうから過渡期と言えるかもしれません。
 明確に関連付けられて書かれていませんが、パートタイムであっても正社員と同じような権利を持つとなれば会社側の負担は大きいはずで、雇用にはある程度慎重にならざるを得なくなるはずです。その結果割りを食うは誰か、おそらく移民です。

 元々オランダは移民に寛容な国で、多文化主義的な国だったようです。労使の関係も緊密で民主的な政治でした。要するに既得権益を持った中間団体が多く、労働者に甘く、クビを切られても生活保障してもらえる福祉制度を導入していたようなんですが、これが上手く行くのは景気がいいときだけ。第二次石油ショックを機に景気は悪化。1500万人しかいない国で所得保障対象者は100万人と、労働人口の1割を越える事態に。
 当然やってられません。それまでバンバン入れていた移民にブレーキをかけて大規模改革が行われました。その結果がワークシェアリング。自分の好きなように働ける、と言えば聞えはいいですが、要するに短時間でもいいから働けってわけです。労働年齢にある人は政府から斡旋された仕事に従事することが義務づけられています。また、移民に対しても入国試験が導入されていて、言語・文化に習熟していないとはねられます。しかもすでに居る移民にもこの試験を課すほどの徹底ぶり。表向きは早期に自国文化に慣れて生活できるようにするため、となっていますがふるい分けであることは明白。かつては移民に寛容だった国も現在では超厳しい国へと変貌しています。

 何故このように厳しくなったのか? 本書の考察で面白かったのは、現代の国家観にあります。福祉国家はかつてのオランダのように誰分け隔て無く手を差し伸べることが求められていましたが、現在の国家は社会のために積極的に参加して能力発揮できる者こそが国民であり、その義務を果たしてこそ権利もあるとする責任論的な風潮が強くなっています。これはグローバリゼーションや脱工業国化(工業重視からサービス業重視)、海外への生産拠点移転、移民、高齢・少子化など労働・社会構造の変化によって国に余裕がなくなってきたためだろうと思われます。国民側にも「やることやってねー奴が美味い汁吸うなんてケシカラン!」という意識が芽生えるのも不思議ではない。日本でいうところの生活保護受給者への批判みたいなものですね。
 国として一体的な統治をするには言語や文化の共有は不可欠。しかしその裏では異端者や少数者は切り捨てられる。オランダが移民(特にイスラム教徒)を嫌うのはキリスト教社会に馴染まないからです。包摂と排除が同じコインの裏表であるとの指摘は頷けます。

 また、本書ではオランダ語のように世界的にはマイナーな言語であっても入国審査を行っていることに触れて、言語コミュニケーションの重要性が増していることを指摘しています。単純に考えればかつての高度成長期に労働力不足が指摘されたのと、現在の少子化による労働力不足は同じなのではないか? だったら移民OKじゃん?と思われそうですが実はそうではない。脱工業化した先進国ではサービス業や高度で複雑な仕事が主体になるので、人と人との関係を繋ぐコミュニケーション力は重要なものとなります。
 個人的には昔を知らないのですぐにピンとくるわけではないんですが、例えばコンビニのバイトってしたいか?と問われれば絶対に嫌です。だって面倒臭そうなんだもん。色々やること多そうで。自分がやっている仕事でも確かに業務内容が複雑化している感はあります。色んな部署、人と調整したり昔だったらやってなかったことまでやっているし、コンピューターの高度化でやれることが増えたせいでそれがやらなければならないことになって益々面倒臭くなっている。
 日本では介護士不足が指摘されていますが、これを移民で賄えるかと言えば、言葉が通じないとできないこともあるし、介護サービスを受ける側にしたって相手が外国人では不安もあるといった懸念も出てきそうです。単純な外国人労働者では必要とされる要件をクリアできない。

 複雑化した業務に対応できるのがつまるところコミュニケーション力を持った人材で、逆にこれがダメな人が現代では許容されなくなりつつある。近年発達障害が取り上げられることが多くなったのも社会情勢の変化があるからではないかと述べられていましたが、少なからず関係はあると思います。
 ツイッターやLINEなどの普及によってコミュ力のふるい分けが日常茶飯になっている印象も受けます。一般的に「コミュ力=人付き合い」のイメージがあるかと思われますが、私は「コミュ力=物事を進める(解決・交渉する)能力」だと思っています。プライベートで本当に必要な人間なんて数人で事足りる。それで30年以上生きてるけど不都合はありません(私が極端なだけですが)。要はどこでも要領良くやれればいいんです。必ず人と繋がっている必要はない。よほど偉くなりたいのでなければコネも必要ない。情報収集と伝達と段取りが上手ければ大体上手く行く。
 それはそれとして、グローバル化とは裏腹に、いやだからこそより高度で密接な共有と社会参加の必要性が増しているのはなんともはや面倒臭いね。

[ 2015年04月29日 19:19 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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