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ストレスフルな社会で生きるための処世術

「現代型うつ」はサボりなのか (平凡社新書)「現代型うつ」はサボりなのか (平凡社新書)
(2013/09/17)
吉野 聡


 成熟とは、自分が大勢の中の一人であり、同時にかけがえのない唯一の自己という矛盾の上に安心して乗っかっていられること

 これは著者である吉野氏の言葉ではなく、精神科医の中井久夫氏の言葉です。本書で引用されていますが、言われればなるほどと思いますよね。

 さて、主に若者に広がっていると言われる新型うつ、現代型うつはとかく若者の未熟さにその原因が求められがちですが、本書ではその本質を「世相に対する過剰な敏感さとそれに基づく不安と行動」と定義しています。これは、斎藤環氏も同じ趣旨のことを述べられています。
 いつの時代も変わらないうつ病の本質なるものがありうるとすれば、それは「適応の病」という点に尽きるのではないでしょうか。その時代ごとの主流を占める価値規範や倫理観への「過剰適応」が、うつ病のスタイルを決定づけるということ。(「社会的うつ病」の治し方)

 従来型のメランコリー親和型うつは、一生懸命頑張ること、人並み(以上)になること、いっぱい働いて良い生活、会社への貢献、出世することといったような欲求が背景にある。世間体を気にする部分も大きい。それに対して現代型は、個性とか自分らしさとかへの欲求が背景にある。
 社会背景も無視できなくて、高度経済成長や年功序列が当たり前だった時代では前者のような一生懸命型が尊ばれたし実際実益もありました。けど今は必ずしも給料が上がるわけでもないし、偉くなっても仕事が増えるだけだし、一度離職すると再就職が困難など、進むにしても退くにしても嫌な状況。それならやり甲斐とか自分の能力を発揮して大活躍!みたいな方向に行きたいんだけど、そうならないと凹む。先行きが見通せないとストレスは増幅されやすい。そうであれば、若者を未熟だと嘆くのではなく、彼らの精神的なモチベーションを維持してあげることが会社にも社会にも貢献することではないかと著者は述べています。
 要するに、昔型の人は自分を省みてないし、現代型は周囲に溶け込むことを無視している。その意味じゃどっちも未熟だろって話し。現代は「満たされなさ(実存の曖昧さ)」が大きな課題になっているように感じられます。

 現代は社会構造が高度に過剰にシステム化されてしまっているので、この社会(会社)で生きて行くには、定時に起きて、定型的あるいは非常に高度な判断力や処理能力を求められる作業を長時間行って、寝て、また起きるということを幼稚園からヨボヨボの爺さんになるまで求められるという、普通に考えるとこれに適応できる人間の方がおかしくね? でも大抵の人は適応できてるんだから人間すげーなって思うけど、やっぱそんな生活に適応できない(or過剰適応しちゃう)人がいてもおかしくないよねって時代だと思います。
 普通に狂ってると思うわ。そんな中で生きなきゃいけないんだから大変だよね。


 強いて言うなら、夢や自己実現、自分らしさや個性を仕事と結びつける必要なんて無いってことかな。仕事=自己実現、自分は何者か=仕事なんてのは思い込みです。それ以外にもいくらでも個性なり自己実現の方法あるから。勿論、自分を何らかの方法で価値付ける必要はある(それが実存の問題なので)とは思うから、仕事がその手段として第一に挙がりやすいのは分かるけど、だからってこだわる必要もない。
 私は自由であることを望むし、その生き方そのものが自己実現だと思ってます。まあ、自由を得るにはそれ相応の社交性、社会性、経済力、そして何よりも度胸が必要になるんですが、それらを得た上で好きなように生きるのが私の夢であり道です。ま、偉くなりたい人はなればいいしね。頑張って働いてもらえれば私が楽出来るし。
 っていういい加減さを持つことで自分の身を守ってます。こういう考え方もまた若年層に広がっているようにも思うんだけどね。
[ 2015年02月26日 00:03 ] カテゴリ:よもやま話し | TB(0) | CM(-)
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