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豊穣の海(三島由紀夫)

○豊穣の海 三島由紀夫 新潮文庫

 観念的、それでいてグロテスクな小説だった。
 過ぎた知性は時に人を迂遠にさせる。

 作中の時間は約60年。全編を通じて登場するのが輪廻を繰り返す清顕と、彼の親友の本多。
 簡単に言えば、清顕は20歳で死ぬ運命を持っていて、1巻では燃えるような恋で、2巻ではクーデター未遂で自殺、3巻ではタイの王女に生まれ変わって死に、最後の4巻ではその偽物が登場する。本多はこれらの輪廻に立ち会う役目で、実質的な主人公といって差し支えない。

 ポジションがわかりやすくて、清顕はまさに若気の至りのまま突っ走るような人物で思い込みが激しいというか、見境がないバカというか、傲慢で青臭い少年。言い換えればとても生命力に溢れ、人を感化するほどの(外見的、精神的な)美しさを持っている。これに対し本多は知性の人で、観測者として物語に登場する。

 人によって感想の持ち方が変わるようで、物語前半(1・2巻)は面白かったのに後半はつまらなくなったという感想をチラホラと見かけるんですが、私はむしろ後半になるにつれて面白いと感じるようになりました。その理由は本多が歳をとってくるからです。
 先述したとおり本作は観念的な要素が強い作品です。輪廻を扱っているために宗教的な部分があること、情景描写や心理描写が綺麗なこと、人間心理全般にわたって精緻にもうそれ考えすぎだよ(読んでて何言ってるのか分からない)ってくらいに突っ込んで書かれているので人の内面世界が強く出ている。それに比例して人間の姿がグロテスクになっていきます。
 老齢に差し掛かった本多とその友人達はとても醜い老人として描かれています。若者の情事を覗き見するのはその最たる例。偏見と勝手な思い込みになっちゃうんですが、老人の性に気持ち悪さ、醜さ、みっともなさを感じます。たぶん多くの人がそう感じるんじゃないかと。いや、もちろん人間なんだから歳取っても性はあるだろって話しなのは分かるんですが、生理的な気持ち悪さっていうと大変に申し訳ないんだけど、でもそういう醜悪さを喚起させられるというのが本音です。たぶんこの小説はそれが分かっていてわざと克明に醜悪に書いています。老人達は醜く狡猾で偏屈で金持ちで、堕落した人間として登場している。

 物語の見方として、清顕は言わば本多の内面的な渇望、憧れ、生への激しい憧憬などが具象化された人物と見ることができます。彼が清顕に惹かれるのは彼が持っていないものを持っているからです。清顕が約20年のサイクルで転生を繰り返すのは、そこに若さ、美、それに伴う未熟さがセットされているからで、それ以上長生きすると劣化するので死んでくれた方が都合がいい。本多が清顕に見ているものはそうした生の情念であり、自分には無いモノを求める葛藤です。それが最後の巻では齢80近くになり、衰えに合わせるかのように実は清顕だと思っていた人物が偽物だった(20歳で死ななかった)と分かるのは彼の思考の衰退を物語っています。もっともだからといってイコール終焉という話しではなく、ラストの会話は見ようによってはそうした情念からの解放を促す救済とも考えられます。
 …っていうのは4巻の解説に書かれているので、したり顔で私が言えることではないんですが。


 ここからが私自身の所感。たぶん本多と私は近いタイプだろうと思います。観察者、認識者として自分を捉えていて、情念よりは知性が優先される。どこか諦観している部分もある。でも、そんな私から見ても本多は考えすぎ。これノイローゼになるんじゃね?って思っちゃいますね。彼が主役として色濃くなっていく2巻以降の話しはグロテスクな趣きが強くなっている。
 知性の厄介なところは考えすぎることで、その勢いのまま世界を描写したらそりゃ物語に登場するような老人達が見えて来ちゃう。世の中は希望や可能性ではなく失望と堕落に満たされているなんて感じちゃえば息苦しさを覚える。うつ病の人は健康な人よりも世の中を現実的に捉えていると聞いたことがあるんですが、要するに楽観的じゃないと生きづらいんですよ、世の中って。明日も辛いって考えたらそりゃため息しかでない。そのためかはわからないけど、人間は基本的に楽観的に、自分に都合良く物事が進むと考え、自分に都合良く解釈するように出来ている。もちろん、悲観的なことを考えることで予防的な行動、精神的防御を図ることもできるから楽観だけがあればいいってわけじゃない。
 小説読んだ時に疲れそうだなーと思ったんだよね。特に歳を取ることに対するおぞましさ、恐怖、醜さを露骨に感じる。私もあと10年もすれば作者が亡くなった歳と同じになるけど、だからってこんなに歳を取ることに嫌悪を感じないだろうと。どちらかというと私は歳を取ることに肯定的。たぶんそれは楽観的に考えているからで、具体的に先の人生を考えているわけじゃないから。今のようにテキトーに楽しんで、テキトーに生きて、死ねばいいって思ってる。どうせ歳とってその時にならなきゃ分からないんだから。小説の人物達のように誰だって自尊心を持っているし、自分を特別であると思いたい。だから私もそのときがきたら、きっと自分なら上手くやれるだろうと根拠なく思ってる。大丈夫、俺だから。そのための準備はしておく。ダメだったらそのときはそのときで。バカみたいな楽観ですよね。それくらい気楽でもいいと思うんです。そう思って生きているから、これは私の自己正当化のための勝手な言い分なんだけどね。

 歳を取る、老いるということをどのように受け入れていくかは人に寄りけりなんだけど、私は「今日は死ぬのにもってこいの日」くらいの心構えで生きたら楽しそうだなって思うんだよね。


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[ 2015年02月09日 10:26 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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