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内発性の獲得について(題材「砂の女」「Prismaticallization」)

○砂の女 安部 公房 新潮文庫

 物語を簡単に説明すれば、主人公は休暇を利用して昆虫採集に出かけると砂丘のような村に行き着く。すると何の断りもなく理不尽に監禁されてしまう。アリ地獄のような場所で外に出ようとしても砂が崩れて出られない。そこには女が独り住んでいて、毎日砂をかき出さないと埋もれてしまうと言う。どうやら村の人々はたまに訪れる余所者を監禁して砂かきの仕事をさせ村を存続させているらしい。当然主人公はあらゆる手を使って逃げだそうとするがことごとく失敗する。
 1年近く経ち、女との間に子どももできる。体調を崩した女を村人が連れて行った後、男はそのままになった縄ばしごを登って外に出る。ところが男はまた自分がいた砂の中へと戻ってしまう。
 「あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手の中の往復切符には、行先も戻る場所も、本人の自由に書き込める余白になって空いている。それに、考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに話したいという欲望で、はちきれそうになっていた

 溜水装置というのは主人公が発明したもので、砂から水を取り出すことができる装置。砂の中での生活は毎日砂をかき出す代りに、村から食料や水が提供される仕組みになっていて、この発明は主人公にとって仕事をボイコットすることも籠城することも逃げるための切り札としても使えるものです。が、彼は外に出れたのにもかかわらずまた戻ってしまう。

 真っ先に思ったのが「なんで?」

 砂の中の生活は現代社会生活の比喩である、というのがよく見る解釈。現代社会だって毎日仕事して飯食って結婚して仕事して飯食ってるだけじゃん、と。人間存在の疎外、無味乾燥な現代社会と人間の在り方が極端な形で書かれている、と。それは私も真っ先に思った。
 一見もっともらしいんだけど、やっぱ納得できないんだわ。だって、自由もないし見張られているし無期限に監禁されているんだから監獄よりタチが悪い。私だったら絶対に逃げる。そもそも一般社会も砂の中も同じというのなら、外に出ても良かったわけで、何故にわざわざ戻ったのか、その動機、意図が気になりました。

 で、自分では思いつけなかったのでネットで検索すること1分。小論文を書いた方がいました。

 茂田真理子『砂の女の時間 : 非アレゴリーとしての解釈』 KOARA(慶應義塾大学のデータベース)
 http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=0302-0000-0532


 素晴らしい。なるほど。茂田氏は主人公と女、それぞれの時間への意識に着目します。

 教師である主人公は几帳面というか、時間を分単位で見たり、真っ当な職業をやっていて税金も払って云々と細かく発言しているシーンがあります。これ結構クドイというか、わざわざそんな口上たれなくてもいいのにと思ったんですが、茂田氏はそれが現代人の特徴として持っている時間や身分(アイデンティティの担保)の在り方を示していること、また、主人公が囚われている要因でもあると指摘しています。要は現代人は時間(時計)どおり動かなければならないし、自分の身分を明かすときには職業なり戸籍なりが必要になる。自己紹介するときに職業を述べるのが最も手っ取り早いように。
 主人公が昆虫採集をしているのは、新種が発見されればそれに自分の名前が半永久的に残せるからだと作中で語られています。主人公は自分の存在を縛る有限性から脱したいという欲求がある。
 対して砂の中で暮らす女は、砂が積もったらかき出す生活をしていて昼夜関係なし。時間に縛られていない。ひたすら同じことを繰り返す。主人公と女は時間的(有限・円環)な対比がなされている。

 では、なぜ主人公が戻らなかったかと言えば、溜水装置の発明にある。それについては、茂田氏の文章(P27)を読んでいただくのが一番分かりやすいんですが(転載禁止だったため)要約すれば主人公は自分が生きる方法、使い道を自由に選べる方法を見つけた。それは彼がそれまで持っていた有限性(様々な制限事項、身分証明)からの解放であり、「彼の手の中の往復切符には、行先も戻る場所も、本人の自由に書き込める余白になって空いている」からだと。
 また彼との生活は女にとっても変化があって、主人公と暮らす内に彼女の生活にもメリハリや目標ができたことで、単なる円環ではなく過去・現在・未来を持った連続した内的時間を獲得したのだ、ということのようです。一見すると砂の中に囚われたままの主人公はその実、内面的な自由を得たが、読者は社会の中に囚われたままだと。

 すごいね、この読み。勉強になりました。茂田氏の文章に出会わなければモヤっとしたまま終わっていました。
 主人公は既婚で奥さんがいるんですが、どうも彼女との生活があまり心地いいものではないのか、奥さんのところに戻りたいという意識が希薄であることもポイントだろうと思います。おそらく意図してでしょうが、本作では人名が出てきません。奥さんのことは「あいつ」と呼ぶし友達のこともあだ名で呼んでいます。主人公の名前すら一度しか出てこない。固有性が取り払われていることで動機の欠如が際立っている。脱出を試みる間も元の場所に戻って何をしたいかの言及がない。普通はあれをしたい、これをしたいと考えるはずなのに。つまりこの小説は全体の構成、細部に至るまで主人公の動機の無さ、内面的不自由さが綿密にかき込まれている。正直それでも逃げなかったのは理解に苦しむんですが、それは私が後述するように物理的・経済的・人的な自由(束縛を受けないこと)を重視するからで、作品的にはとても巧く出来ていると思います。

 本作最大のオチはなんといっても最後のページの失踪届。そう、主人公が一般社会の方では失踪扱いになっていて、事実7年間不明だったために死亡扱いされています。でも主人公の姿を見ている読者には彼が彼女と共に生きているだろうことが容易に想像できる。一般社会における存在証明(書)が実際に生きている人間と一致しない。物語冒頭で、いい歳した男が昆虫採集をしているなんて云々かんぬんと精神分析ばりに失踪に伴って第三者が述べている文章が出てきますが、それもまた単なるレッテル貼りでしかないことが分かります。そうした意味で、確かにこの物語は社会からの疎外を意味しているんだけど、ただ単純な比喩ではなく、人の内発性、アイデンティティを浮彫りにしていると言えそうです。



 この内発性とか、時間概念をモチーフにした作品で真っ先に連想するのが「Prismaticallization」。プリズマティカリゼーションと読みます。
 簡単に言うと、一日を延々とループする物語。テキストスキップできるので一日を30秒程度で消化することも可能。この作品はTVゲームという特性を最大限に利用して、プレイヤーに(クリアできるまで)ループする体験をさせます。これも現実世界の比喩で、日々の出来事がルーチンワークになっていることを示唆しています。学校でも仕事でもやることが決まっていて、ちょっとした変化や選択肢はあるものの、結局いつもの日常であることに変わりない。そんな日々を主人公は悶々としながらも、そこから抜け出す方法や情熱を持ち得ずくすぶっている。
 このゲームの主人公はループしていることに気付いていません。そこがループものの作品の中では特異な点です。また、ループしている理由や原理を説明しません。あくまで目的はそうした無目的状態からの解放であり、内発性の獲得、日常を再び生き場として捉え直す試みがなされています。
 以下の文章はラストシーン(青字は同一人物(主人公)によるセリフです)。私はこのテキストを金言にしています。
 ちなみにこのゲームはプレイステーションのアーカイブスで入手することができます。個人的にはテキストが加筆修正されたドリームキャスト版がオススメなんですが、現在じゃまず無理ですね。


 主人公のエンディング
 世界とは、何なのだろうか。
 それが、自分一人では把握することのできない、巨大なものであることは知っている。様々な面を持ち、様々な可能性を持ち、様々な解釈すらある。それは、自分が矮小な存在であることを意味するのだろうか。自分は、その中でも何かを選んできたのか?それとも、ただ流されてきたのか?
 俺は、いつだって不安で、いつだって疑問を持っている。
 自分は正しいのか。少なくとも、自分は正しいと信じていられるのか。無駄なことをしているのではないか。より良い生き方が他にあるのではないか。
 その疑問は、ぐるぐるとして、進まない。
 その熟考の期間は、猶予の時間だ。長く、それでいて僅か。
 しかし、確実に終わりは来る。

 「せんぱ~い!遅いじゃないですかぁ~っ!」
 世の中に起こること、それは、ただのノイズのようなものではないのか。
 全てが意味を持っているのかは、知らない。証明もできない。知り合いに、神様もいない。

 「先輩が、後から行くって言うから、待ってたんですからね!」
 それでも信じるものが無ければ、生き難い。
 「約束を守るのは、当然のことなんですから!」
 些細なこと。明文化されない、証明されない、保証されない、全て。
 「むふぅ……でも、ちょっぴり遅れたのは、許してあげます!」
 自分が在ること。他人が居ること。明日が、明日も続くこと。
 「さ!早く行きましょ~!雪乃ちゃん達と、お散歩です!」
 それを信じて、進まなければならないのだ。


 ライバルキャラ側のエンディング(に相当すると思われる)
 「その……兄が、射場さんも受験生なら……邪魔してこいと……」
 「……は?
 「そろそろ追い込みの時期だろうから、嫌がらせには丁度良いと」
 あの男、随分と変わっているとは思ったが……変態か。
 「そんなことで、わざわざ?
 「はい……どうせなら明美さんも、ついでに巻き込めと」
 何故に柊の名前まで出てくるんだ?
 「でも……多分、冗談なんです。ですから今日は、お料理でも……」
 沢村さんは手に持った、近くのスーパーの袋を示す。その中には、何かの食材。
 俺は腹の底から、笑いがこみ上げてくる。
 有り得ない状況。普通でない。こんなことは不自然だ。……しかし、俺は気付いている。
 これは、あの男の復讐なのだ。現実に対する。日常に対する。
 その手法を、奴は見つけた。そしてこいつは……傑作だ。

 「判った。上がってくれ。丁度、家には誰もいないんだ。今すぐ柊を呼ぼう。そうだ、澄香も呼べると良いな
 「あの……澄香ちゃんも、遅れてもうすぐ……」
 俺は最早、あの男の策略に耐えられなくなる。
 「畜生!やられた!完敗だ!あの男め!



 日常に埋没していく感覚は無力感を生むように思います。また、自作自農しなくても生きていける高度に分業化が進んだ現代では必要に迫られて生きるという感覚が希薄です。テキトーに仕事してテキトーに暮らせてしまう。そういう環境の中にいると自分というものがとてもちっぽけな存在のように見えてしまう。かといって、そんなに情熱や人生賭けてやりたい仕事があるわけでもない。
 そこで現在私が画策しているのは、アーリーリタイアです。40過ぎたら退職して自由気ままに暮らそうと準備・計画しています。正直私自身の生活パターンから言ってそれほど多くの金を必要としないし、時間を自由に過ごせることが一番の幸せだと思っているので、仕事だとか、まして国が勝手に決めた定年に付き合う気はありません。もちろん、仕事しないでブラブラしたって結局日常に埋没していくだけじゃないの?とは自分でも思います。でもそこはやっぱり自分で決めた生き方を貫きたいとも思うんですよ。地位も名誉も金もいらない。女もいらない。誰も私を束縛したり命令できない。自由が欲しい。それが私の根源的な願望。それを実現する。人生が一度きりならチャレンジするのも悪くない。それが私なりの復讐というか明日への一歩ですね。捨て鉢になっているわけではなくて、自分にとって本当に必要なものを考えたときに、仕事も身分も金も要らなかったんです。もちろん、暮らしていけるだけの用意はします。ある意味、私は自分の身一つで事足りてしまうんでしょうね。
 ここまで極端に生活様式を変えようとする人は希でしょうが、私の場合は特化した性格なので、だからこそ迷いや自分の不在性を感じにくいと言えるかな。

 自分が置かれた環境の中で生きる意味を見つけるのも手。
 生き方のために自分で環境を変えるのも手。

 そのどちらにも必要なのは勇気。
 「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである
 (エリック・ホッファー『エリック・ホッファー自伝』)



砂の女 (新潮文庫)砂の女 (新潮文庫)
(2003/03)
安部 公房

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[ 2014年11月12日 01:57 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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