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映画「人形の国のバレリーナ」

①笑い声と沈黙
 開幕サイアーク。ふなっしーは冒頭から登場。やはり子ども受けが良いようで会場がすぐに反応。映画の原案では人形の国にも登場する予定だったそうですが出さなくて正解。雰囲気がブチ壊れる。避難を呼びかけていた増子さんが逃げ遅れます。そこにラブリーとプリンセス参上。ハニーとフォーチュンも加わってフルボッコ。冒頭の戦闘でサラっとミラクルライトの説明を挟みます。

 テレビでプリキュアの活躍を見る少女。たくさんの人形。バレエ姿の写真。少女の傍らには車椅子。

 プリキュアの活躍で見事サイアークを撃退。上機嫌のラブリー達はニコニコと笑います。
 その笑顔に耐えきれないとばかりに少女はテレビを切ります。みんな幸せそう。でも自分は幸せじゃない。誰何の声。今回の主犯ブラックファング。少女の名を呼ぶその声は願いを叶えてやろうと誘います。


 保育園。
 めぐみ達は人形劇を披露。物語は白雪姫。シーンはラストのキスシーン。見ている子ども達よりもひめの方が盛り上がっています。ところが肝心なときに糸が切れてしまい続行不能。不満の声をあげるひめ。いおながお婆さん人形を使ってふたりを諫めます。時々いおなって可笑しいことを堂々とやるよね。これはこれで子ども達に好評。機転を利かせたゆうこが上手く話しを纏めます。相変わらず美味しいところを持って行きます。

 無事人形劇は終わったものの、肝心のキスシーンができなかったひめは不満。そこから話題は夢の話しへ。テレビ本編同様白馬に乗った王子様を求めるひめ。実はいおなもラブなシチュエーションには興味があるらしくひめの妄想に同意。「馬、いるか?」。冷静に突っ込む誠司。そこは雰囲気作りかと。
 後片付けをしていると見慣れない人形を見つけます。保育園の人形かと思案していると、人形が勝手に動き出してしゃべりだします。普通に応対するめぐみ。ひめやリボン達は驚いていますが、ぬいぐるみのような妖精がいるんだからしゃべる人形がいてもいいんじゃないですかね。
 人形の名はつむぎ。ドール王国にサイアークが出現して困っているので助けて欲しいと頼まれます。快く承諾するとドール王国へ転送。


②ドール王国
 映画OP。誠司、その位置俺と代われ。人間の姿になった(戻った)つむぎが花の階段を作るとめぐみ達がその後を続きます。ゆうこといおなおの走り方が面白い。ドール王国はその名のとおり人形達でいっぱい。ゆうゆうはキャンディの布教。この国も汚染されそうです。しばし観覧。
 満喫するめぐみ達をいおなはたしなめます。生真面目。同じくらい冷静はゆうこは…人形に乗っています。冷静さと順応力の高さが彼女の持ち味。
 一応神様に連絡。ところが神様はドール王国の名に聞き覚えがありません。地球上にある国なら知らないはずはないのだが。いや、人形が普通に生活してる国なんて地球上にないから。不思議がっていると突然襲われ通話が切れます。

 少々きな臭くなってきました。タイミングよくサイアークが出現。変身。映画は尺が短いのでプリキュアが登場するのはせいぜい2回程度なのですが、この映画では都合3回プリキュアが登場しています。序盤はテンポ良く進めている印象。
 映画でも安定の弾丸マシンガン産廃描写。だからその技は雑魚戦用なんだって。フォーチュンは映画仕様の技を多用。戦闘中、つむぎは冷ややかな視線をプリキュアに向けます。フラダンスを使ってサイアークを行動不能に。映画がバレエモチーフなのでてっきりシャーベットバレエを使うのかと思ったら使われませんでした。後述のラブリーと被るからでしょうか。ラブリーがトドメ。
 サイアークを撃退してもお約束のプリカードが出てきません。幸せも感じられない。被害者の姿も見えません。
 不審に思う間を与えないとばかりに人形達が集まってきます。話しかけるつむぎに、心配事なら任せてと安請け合いするラブリー。NGワード。このセリフが後々火種になります。
 例の綺麗なナマケルダことジーク王子登場。顔良し、スタイル良し、ファッションセンス良しの白馬に乗った王子様。ひめの理想の人。この序盤はひめがやたらテンション高いので子ども達がつられて笑うシーンがしばしばあります。ひめの手の甲にキス。いとも簡単に恋に落ちます。このプリキュアちょろいわー。

 凱旋パレード。誠司君は何もしてませんがめぐみ達と一緒に祝われます。ひめはもう自分の中で話しが飛躍しまくって結婚するしかない!と言い出します。


 お城に到着。コスチュームチェンジでドレス姿に。これは何度もテレビOPで目にしていますが何度見ても可愛い。ひめの衣装は胸があるように見えますが間違いなく盛ってる。おかしいところはないかと心配するいおなにぐらさんが太鼓判を押します。この子は女の子なのにモデルは渡哲也だそうです。もう何がなんだか。
 舞踏会はつむぎのバレエから始まります。やべぇ、すげー可愛い。この映画の主役にしてヒロインはつむぎなんですが、終始可愛い。とにかく可愛い。かと言ってプリキュアの存在を食うわけではなくちゃんと対比されたキャラとしてバランスしているのが絶妙。
 彼女の踊りにみんな絶賛。感動でお腹いっぱいとゆうこ。彼女の食べ物喩えは映画でも健在。
 ジークが再び現われて舞踏会の開催を宣言。外見もイケメンなら中身もイケメンなジークは緊張しているひめをリードしてパートナーに。アレな性格でも一応はお姫様なのでひめとジークの踊りは様になる。
 感心しためぐみは自分も踊りたいと誠司を誘います。なんて美味しいポジション。特に何するでもなくただ付いてきただけなのに歓迎を受けて女の子と踊れちゃう。爆ぜろ。
 人形達がゆうこを誘います。引き受けますが一旦待った。奥に居たいおなに話しかけると、まだ何も解決していないと警戒しています。ゆうこも頷いて、そもそも何故つむぎが自分達のことを知っていたのかも気になると返答。抜け目がない。ハピネスチームは結構安定力があります。表向きいおなが警戒して、ゆうこが探りを入れるなんてこともできるでしょう。ただ如何せんリーダー不在というか、結局当たって砕けろになるので小細工はしないんですが。四者四様の性格が映画でも描かれていますね。
 しばしダンスを楽しみます。

 休憩でおやつタイム。
 誠司は慣れない格好と場所に疲労感を覚えながらも、めぐみと踊れてウキウキ。舞踏会もアリ…なんて浮かれていたら敵襲に遭いあっと言う間に人形にされてしまいます。冷めた視線を送るつむぎ。
 シーンの間に挟まれる巨大な糸車。何を紡いでいるのか。

 少し調子が悪そうなジークにひめは思いやりの言葉をかけます。まあ、色々と台無しなんですが。ジークは二人っきりになりたいとひめを誘います。おっと、これはお持ち帰りイベントか。ひめも期待に胸が膨らみます。

 気が付けば誠司は不在。めぐみもつむぎに誘われて会場から出て行ってしまい残ったのはゆうこといおなのふたり。巧妙な分断。事件が解決していない以上分散するのは危険。案の定サイアークが出現。

 人気のない森。念願叶ったキスタイムか。と思ったらサイアークが出現。仮にキスシーンあってもひめが幼すぎて色気無いんですが。むしろつむぎちゃんの方が色気ある。脇とか、脇とか。


③ただ幸せでありたい
 ふたりきりになったつむぎはめぐみに本音をぶつけ始めます。みんなハピネス? そんなの無理。プリキュアにもできないことがある。頑張ってもできないことがある。自分はダメだった!
 奥の部屋に入るとそこには巨大な糸車。そこからサイアークが生まれ出ます。めぐみ単独変身。
 つむぎに避難を呼びかけますが、予想に反してつむぎはサイアークにラブリーを倒せと命じます。

 ハニーとフォーチュン。歌による洗脳は効きません。ハニーのリアクションがちょっと面白い。この子はどこまで冷静でどこから焦ってるのか。今回フォーチュンの格闘戦がカッコイイ。ハニーの四葉落としでもサイアーク達を倒せません。
 人形達は口々につむぎのため…とつぶやきます。

 ジークを守るためにプリンセスも戦います。が、そのジークに剣を向けられます。
 ここでネタばらし。ドール王国の人形達はつむぎの持ち物。回想シーンのつむぎがめちゃ可愛い。天使降臨。つむぎに愛された人形達はつむぎを愛します。最近のプリキュア映画では人形や絵本が持ち主に復讐を企てる話しが多かったんですが、この映画では愛情深い関係性が描かれています。逆に新鮮。そんなわけでジークもまたつむぎラブ。彼女の忠実な騎士。それを聞いたプリンセスはガックリと肩を落とします。最初からひめなんて眼中にありませんでした。そもそも人形だし。
 「やってられっかぁぁぁ!
 全力で逃走するプリンセス。半分くらい自業自得ではあるんですが、しょうがないっすね。


 恐ろしく冷静に冷酷に、つむぎは自分は本当は踊れないと話し始めます。
 踊るのが大好きだった。幸せな日々。しかし突然足が動かなくなった。どんなに頑張ってもダメ。最初は友達も来てくれたけど来なくなってしまった。バレエも友達も失ってしまった。
 そんなとき救い主が現われた。夢の国の中でつむぎは自由に立って歩くことができる。人形達も自分を祝ってくれます。つむぎのための国。箱庭の世界。NS3と同じような閉じた楽園。人形達はさしずめイマジナリーコンパニオンか。女の子と人形の組合わせはこのモチーフが使われやすい。このシーンで使われているBGMはつむぎの喜びが表現されつつ終始悲壮的なニュアンスが込められていて胸に来ます。
 自分が倒されない限りこの世界は存続する。救い主の正体は幻影帝国幹部ブラックファング。プリキュアの敵。この世界を守りたいならプリキュアを倒すしかない。
 エグイ。こいつが犯人なのは明白。子どもを不幸にして、その子どもを使ってプリキュアと戦わせるとかクズの見本。全シリーズでも屈指の下衆。この構図は本編のディープミラーとミラージュとおそらく同じ。ハピネスの対立構造がほぼ明らかになってきた。この物語に悪はいない。いるのは幸せを求めて不幸に陥った人々。彼女達は決して幸福を知らないわけではない。知っていたのだ。その幸福が壊されたとき人は深く傷つく。そして自分の目の前にクモの糸が下ろされれば必死にしがみつく。この物語は幸せを求める人々同士の蹴落とし合い。

 自分の幸せを望み、自分の世界の存続を望むつむぎ。踊りたい。ここの一連の踊りは退廃的な美しさがあります。この映画のつむぎのカットは全体的に気合が入っている。
 その話しを聞いたラブリーは彼女を止めようとします。ブラックファングは幻影帝国。世界に仇為す存在。そんなことは関係ない。だって私の願いを叶えてくれたのだから。彼女は現実に絶望している。現実がどうなるかなんて意味がない。夢の世界を壊そうとするプリキュアの方が彼女にとっては悪い人。誠司とブルーの人形。
 「私のために人形になって

 リボンとぐらさんも人形化。ハニーとフォーチュンは一旦屋外へ。
 隠れていたプリンセスはラブリーが吹き飛ばされて外に出てくるのを目撃。

 これがあなたの願いなのか? 本当に幸せなことなのか? 防戦に徹しながらラブリーは問います。
 じゃあ今すぐ足を治してくれるのか。
 「(つむぎちゃんの心配事は私に任せて!)」
 「何もできないくせに助けるなんて簡単に言わないで!
 つむぎの悲痛な叫びにラブリーは言葉を失います。これはとても良い指摘。マイルドな本編に比べて直球できました。めぐみに親の病気は治せない。足も治せない。それはプリキュアになったとしても変わらない。プリキュアにその根本的な原因を解決する能力は無い。プリキュアは腕っ節が強いだけ。それと人の幸せは全く関係が無い。サイアークを倒しても幸せにならない。逆。そこに不幸があるからサイアークが出現する。この映画のサイアークはつむぎの悲しみから生まれている。プリキュアの超人的パワーはなんの解決ももたらしません。じゃあ、プリキュアって何なの? この疑問はシリーズの根底に流れるテーマです。プリキュアとは何か? 何と戦うのか。その疑問が主人公達に突きつけられる。こういうことをちゃんとやるからプリキュアは面白い。

 プリンセス、ハニー、フォーチュンが駆けつけます。ここは一旦撤退。


④幸せを願う声
 つむぎは泣きます。彼女は自分が悪いことをしていると分かっている。彼女を断罪することはできますが心情的には苦しい。形は違えど多くの人はつむぎと同じことをしています。誰だって自分を守りたい、楽でいたい、競争に勝ち抜きたい、せめてビリは嫌だと思う。イス取りゲームで負けたくない。まして唯一の助かる道を自分から踏み外すなんてもっての外。だから現実世界は競争になる。勝っても負けても自己責任。そういうルールでみんな戦っている。そうすることで正当化を図り罪悪感を消す。これはこれで負けても納得がいきやすい。私はそれで良いと思う。一つ補足すれば、別に戦わなくても勝つ方法はある。目的が勝つことでなければやりようはある。そこに現実の面白さ、人の幸せの不思議さがある。

 城から離れると、ラブリーは膝を付いてうな垂れます。自分の認識の甘さに気付いた彼女は落ち込みます。テレビ本編同様、めぐみの認識の転換が迫られています。世の中には自分の想像もしていなかったような不幸があって、しかもそれは解決できないこともある。人の幸せを願うめぐみはいずれこの壁にぶつかる。それが今。人を幸せにしたいはずが自分の不用意な言葉で傷つけてしまった。萎縮しています。
 真っ先にプリンセスがらしくない!と大声で叫びます。アンラブリー回を思い出しますね。ハニーも助けられないなら放っておくのかとストレートに尋ねます。首を横に振ります。フォーチュンが続けます。一人でできなくても力を合わせればいい。チームでハピネスチャージプリキュアなのだから。これも良い指摘です。めぐみは意外と人を頼らない。人を助けても人に助けを求めない。アンバランスなんです。実際彼女の行動は一方的になりがちです。子どものお手伝い願望と同じように自分の都合で突っ走っている感がある。この映画ではそれを是正して、相互的な交流と視野を持たせるキッカケを与えています。
 改めてラブリーにどうしたいか意思を尋ねます。つむぎちゃんを助けたい。彼女が今やろうとしていることは間違っている。目的は決まり、じゃあ具体的にどうすればいいか。ハニーさんは現実的。調子を取り戻したラブリーは正面突破を望みます。同意。4人で円陣を組みます。
 ハピネスはチームの連帯感が薄いイメージがあります。リーダーが不在ってのもあるし、スマイルのように個人個人の決断と目的が一つに合致しているかと言えばそこまで強くもない。一人一人が傷つきながら、互いに共感し合いながら緩く穏やかに結びついているイメージ。チームとしての可能性は未知数。ようやくめぐみは友達を頼ることを覚えて「私達」と言うようになりました。


 ジークもまたつむぎにどうしたいか尋ねます。
 ブラックファングが踊りたいのだろ?と口を挟みます。プリキュアが近づいている。つむぎの脳裏にはラブリーが声がこだまします。自分を心配してくれる人の声。でもそれは現実世界に帰ることを意味する。彼女の心は板挟み。苦悶の表情を浮かべます。あくまでつむぎをダシにするブラックファングさんの外道ぶりが光る。チクチクと精神攻撃。
 プリキュアが到着。つむぎを挟んでブラックファングと対面。
 助けに来たとラブリーは決意を込めて言います。プリンセス達もつむぎの良心を信じます。自分の居場所はここしかない!と叫ぶつむぎに一緒に帰ろうとラブリーは手を差しのばします。揺れるつむぎ。一見良いシーンですが、本質的にはまだ解決になりません。ラブリーのやっていることもブラックファングと大差がない。結局つむぎの孤独感につけ込んでいることに変わりない。どちらも根本的な解決策を提示せずに気持ちの良い方に彼女を誘導しているに過ぎない。

 ブラックファングが動いてプリキュアを捕縛。さらにつむぎも。
 本性を露わにします。つむぎの足を動けなくしたのは彼。幸せな人間を不幸に突き落とせば不幸のエネルギーが高まりそれを糧に自分が強くなる。これでクイーンミラージュをも越える。ミラージュへの忠誠心もないようです。お前はマリオネット、操り人形だとつむぎの心を踏みにじるクズっぷりを披露。気持ちが良いほどの悪党です。
 騙していたなんて酷い!と抗議するとお前がプリキュアにしたことと同じだと返されます。言葉を失ったつむぎは自分の生み出した不幸の糸に絡め取られてしまいます。不幸を紡げと笑うブラックファング。幸せを紡ぐか、不幸を紡ぐかは自分次第ってことを仮託した名前のようです。
 ブラックファングに剣を向けるジーク。意外と戦えますが力及びません。
 つむぎの不幸で得られた力を使ってブラックファングは現実世界に影響を及ぼします。これを脅しのネタにしてさらにつむぎを責める。つむぎのせいで世界は不幸になる。つむぎそのものが不幸。それはそれとして、つむぎの友達の眼鏡っ娘が可愛い。
 違う!そんなことは絶対にない!とブラックファングの言葉を打ち消すラブリー。何故なら自分達はつむぎと友達だけど不幸にならないから。これは良い切り返し。今のつむぎは自分が悪い子だと思っている(この話しと若干離れますが、追い詰められた子どもは自分に責任がないことでも、それ故に自分が悪い子だからそうなってしまったのだと考える傾向があります)。その強迫観念を打ち消さなければ孤独の闇に落ち込んでいきます。

 ジークもまたボロボロになりながらも自分達人形はつむぎと友達になれて嬉しかったと励まします。人形をイマジナリーコンパニオンとして解釈するとこれはとても面白いシーンです。どういうことかというと、人形は人間ではありませんが、子どもから見て意思を持った相手として認識されています。この意味で実際の友達と大差がありません。もちろんこれは自分の思考が投影されているだけですが、子どもの遊びはそれ自体に訓練効果があり精神的な成長を補助します。つまりつむぎは人形達を愛することで、人形達から愛されるという相互コミュニケーションを疑似体験しています。おそらく一般的な認識では人形遊びをしている子どもは孤独で弱い存在(逃避している)と映るかもしれませんがそんなことはないのです。彼女達の中には強くなろうとする(その余地を作り出そうとする)動機が働いていると考えることもできます。実際に遊びを利用した子ども向けのカウンセリング方法があります。遊びを通じて心を落ち着け、そこから対話や情緒的な交流によって回復を図る。
 ブラックファングやプリキュアを抜きにつむぎを語ると足が動かなくなってふさぎ込んで人形いじりばかりしている少女、というどうしようもない絶望的な状況になるわけですが、子どもの創造力と回復力を侮ってはいけません。おそらく現実的にはつむぎは外科医よりもカウンセラーが必要で、彼女の心を守るにはまず彼女を信じてあげなければなりません。プリキュアがやろうとしていることはそういうことです。それを実行するには粘り強い一貫した愛情が必要になります。つむぎを救うにはめぐみ自身もまた強くならなければなりません。今回ふたりはそれを相互的に行っています。傷ついた少女のケアとして本作を見た場合、人形達との関係、めぐみ達の対応は模範的です。

 ジークはプリキュアに託して人形に戻ります。終始彼はつむぎを愛し、つむぎの心を代弁しています。他の人形達も果敢に立ち向かいますが力及びません。これも比喩的に言うならつむぎが必死になって葛藤に打ち勝とうとしているのだけど力が及ばず助けを求めていると言えるでしょうか。
 ちなみにこの辺のブラックファングの行動理由、つむぎの心境、人形達の願いは複雑なので「なんで?」「どうしたの?」と親に聞いている小さい子もいました。ドラマを重くすると子どもがついて行きづらくはなりますね。

 プリキュアは自力で捕縛を打ち破ります。シリーズでも屈指のゲス野郎をぶちのめすべくプリキュア達は挑みます。ライジングソード強い。安定の爆弾ボンバー。人を不幸にして食い物にするなんてまったくいただけない! ゆうゆう語録に名言がまた一つ生まれました。フォーチュンは相変わらず格闘強い。

 しかしつむぎの不幸は止まらない。ラブリーが自ら飛び込みます。
 自分のいたらなさを謝るラブリー。自分の軽率な言葉があなたを傷つけたのだと深く詫びます。どうすれば助けられるのかは分からない。私達はそれでもあなたの力になりたい。逆説的に今のラブリーはつむぎを親身になって考えています。前にカウンセリングの本を読んで面白かった話しが、患者の話を聞き流していたら、これはまずい思って話し聞いてませんでしたと謝ったら逆に患者から本当に話しを聞いてくれているんですね!と喜ばれたってエピソード。お追従がいいというわけじゃありません。誠司は最近これで失敗しました。
 つむぎも酷いことを言ったと謝ります。つむぎと友達になれて嬉しい。あなたの踊りで幸せになれたとラブリーは抱きしめながら伝えます。このシーンのポイントは先ほどのプリキュアの呼びかけのようにつむぎの良心に訴えかけたり、彼女の判断を問うようなことをしていないことです。このふたつの行為は弱っている人には非常に重い。今でもギリギリ自分を支えているのにさらに頑張れってのは酷な話し。そうではなく、ラブリーはただつむぎに寄り添う旨の言葉をかけます。北風と太陽は人の心にも当てはまる。

 糸車が止まるとラブリーとつむぎが戻ってきます。
 ブラックファングはプリキュアでも足は治せない。不幸のままだと絶望させようとします。それに毅然と応えるつむぎ。そう思っていた。でも今は自分の幸せを願ってくれる友達がいる。現実世界にも居場所がある。
 「私はぜんぜん不幸じゃない!
 夢の世界を拒否し、ありのままの自分を受け入れてくれたプリキュアをつむぎは選びます。スイート最終決戦時のアフロディテもそうだったけど、絶望的な状況を前にしても自分の幸福、自分の意思を疑わないその姿勢は凄くカッコイイ。勝手にお前が私の幸不幸を決めるな! 誇りある人間の姿はとても美しい。

 復活した神様が解説。人から与えられた愛が人を限りなく強くする。その愛をへし折って捨てた奴が言うセリフじゃねぇ。ミラージュに100万回土下座しろよ、お前。


⑤夢の終わり
 エネルギーも溜ったのでブラックファングはそれを使って巨大化。なんかよくわらかないモアモアっとした影に。プリキュアの総攻撃をモノともしない。一人また一人と倒されるプリキュア。
 そろそろ時間です。神様が世界に呼びかけてライトを振ってもらいます。ふなっしーの存在感やべぇ。
 お約束の逆転開始……と思いきや結界に阻まれて力が届きません。まさかのキャンセル。マンネリ防止でしょうか。単独でブラックファングに挑むラブリーがカッコイイ。主人公の風格を見せます。
 「ラブリー!頑張れー!
 つむぎの声に反応して力を阻んでいた結界が消え去ります。ここはつむぎの意思の世界なので彼女の願いが強く反映される。と同時にプリキュア的な相互性を意味付け。めぐみもまた人の応援、助けによって力を出せる。ここから挿入歌が入ります。
 フォームチェンジ。挿入歌と完璧な同期。羽が生えるシーンのケレン味がイイ。変身完了と同時につむぎと視聴者にお礼を言います。これ大事。プリキュアの映画は絶対にこれを欠かしません。

 ブラックファングの攻撃をガード。ラブリーのパワーアップフォームは歴代映画の中でもかなりカッコイイ。浄化が多い中でちゃんと戦っているってのもあるけど、ラブリーは魔法(?)に特化してる感があって面白い。敵とエネルギー波の押し合いしてるのが特に。

 人がいる限り不幸は生まれ続ける。プリキュア恒例の舌戦。脚本の人的にはお馴染み。
 首肯。ラブリーを引き継いでプリンセス達が各々に語り出します。ハピネスが今までやってきたことの復習。この物語のプリキュアはマイナスから始まっていて他のシリーズと比べても苦悩が多い。だからこそ彼女達は不幸が消えないことを知っているし、また消えなくてもかまわないと思っている。自分だけが悲劇のヒロインじゃない。私達には幸せを生み出す力がある。
 「たった一つでも愛がある限り、私は…私達は幸せを諦めない!
 ラブリーの眼力が圧巻。
 「プリキュア! ミラクルラブモーション!

 映画のパンフレットにはラブラブストームと書かれていますが、みんなで体当たりするのがストームなのかな。この必殺技も超カッコイイ。技を出している本人より大きい円陣がでるのがまたケレン味があるし、全員で「うぉぉぉぉ!」と叫びながら体当で決める終わり方も爽快。前作のクラリネットの「ぐわー」よりも格段にカタルシスがある。相手は下衆の極み。完膚無きまでに倒していい。久々に痛快なバトルでした。


 光の中で、つむぎはラブリーにバレリーナになりたいと話します。自分の踊りでラブリーは幸せになれたと言ってくれた。ラブリーに幸せをもらった。誰かのために踊りたい。きっとラブリーもみんなを幸せにできる。


⑥夢の始まり
 つむぎが目をさますとベッドの上。夢だったのか。しかしジークの人形はボロボロ。涙が溢れます。枷から解放された華奢な足。
 このシーンは含みがあっていいですね。元から細いとは思うんですが、衰えを感じさせます。歩けるようになってもブランクを取り戻すのにそれなりの努力を要したのではないかと想像させます。一切描写はありませんが、仮にそうだとしても彼女は躊躇わないでしょう。その勇気をたくさんの友達からもらっているのだから。


 ラストは彼女の発表会。めぐみ達も、以前の友達も見に来ています。みんなの応援につむぎは応えます。
 「うん、頑張る!


⑦ED

 EDダンスは前作と同様映画特別仕様。あの場所は実は飛行船の中。飛びだしてスタジアムに飛び込む演出。
 春の映画もオールスターズ。踊りがメインのプリキュアライブ。一体どんな映画になるのやら。


○トピック
 いやー、ホントつむぎちゃん可愛かった。

 めぐみ回スペシャル。本編と同時的にめぐみ株が急上昇。
 これまでめぐみの存在感が弱かった理由は、幸せに対しての認識や行動があやふやだったからです。敵を倒せば幸せか、笑顔でいられれば幸せか。冒頭でヘラヘラと笑う彼女達の姿をもうこれ以上見ていられないとテレビを消すつむぎ。彼女のような子がいることをめぐみはこのときまだ知りません。本作はそれをストレートに突きつけます。
 これは同時にプリキュアが万人を救えないことの提起でもあります。シリーズ的にはこのニュアンスはあったんですが、具体的な形でぶつけてきたのはこれが初めてかもしれません。これまで多くあった復讐系のエピソードは謝罪と仲直りで解決可能でした。今回のエピソードは不可能性が前提になっています。

 プリキュア(めぐみ)は直接的に人を治すことも幸せにすることもできません。でもそれは当たり前のことです。そんなことができる人なんてはじめから存在しない。救世主がいなくても、ヒーローがいなくても、私達にはできることがある。私達には不幸に臆することなく歩き続ける力がある。それがプリキュアのメッセージです。めぐみは自分の限界を知りながらも立ち止まらなかったし、つむぎは歩けなくても前に進める勇気があることを証明しています。
 幸せと不幸は対立するものではありません。表と裏。人生は辛いことや理不尽や失望を繰り返し経験する。調子が良いときは誰だって気持ちが大きくなるし全てが上手く行くと思う。努力を努力と思わないくらいスラスラと行く。その逆もまた然り。人生は自分で解決できないことの方が多い。しかしその波に翻弄されるのは自分をサイコロに委ねるようなものです。波を乗りこなす力が必要になる。幸せな人生とは不幸がないのではなく、不幸をも乗り越えていける人生だと思います。幸も不幸も生に包括される。

 結局めぐみはつむぎのために何ができたか、何になれたかと言えば友達です。それしかなかった。でもそれでつむぎは奮い立つことができた。同時にめぐみが抱えていた自己犠牲からの脱却にもなっています。お互いに勇気づけ合い、愛をもらいながら強くなっていく。友達はプリキュアの原点ですがその関係には多くの示唆があります。
 その人の人生はその人のものだと信じるなら、その力もまた信じるべきでしょう。その人が前に進むための後押しをすれば充分で、それ以上は不可能です。プリキュアが為すべきはこの世を愛の光で照らすこと(人の生を信じること)、その力を誰もが秘めていることを証明すること。プリキュアは救世主としての力を放棄する代りに人に内在する力であることを選択しています。このようにプリキュアとは何か?をシリーズを重ねながら問い続ける姿勢がプリキュアの大きな魅力でもあります。


 人形達との愛情に満ちた豊かな世界を持つつむぎ。彼女の助けになりたいと願うめぐみ。彼女達一人一人が持つ愛や勇気は小さくとも、それを人からもらうことで強くなれる。強さが必ずしも幸せを生み出すわけではありませんが、勇気をもって現実に向き合うとき、そこに不幸は感じません。
 人は人の力を借りなければ幸せになれないと言えばナイーブすぎるでしょうし、一人でも幸せになれると言えば気負いすぎでしょう。絶好調なときもあれば落ち込むときもある。そんなときにそっと力になってくれる人がいると心強い。祝ってくれる人がいると楽しい。感動してくれる人がいると嬉しい。待ってくれる人がいると安心する。目には見えない贈り物。それを贈り合う彼女達の姿はとても幸せそうに見えます。

 プリキュアの映画は本編とテーマを共有しつつひとつの回答を出します。ここから本編を見るとさらに味わい深く、物語を整理できて楽しさが何倍にも増します。めぐみが今後何を為し遂げられるか、何を夢とするかとても楽しみです。

[ 2014年10月17日 12:28 ] カテゴリ:ハピネスチャージプリキュア! | TB(0) | CM(-)
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