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写真・ポスターに見るナチス宣伝術(鳥飼 行博)

 タイトル詐欺というか、写真・ポスターを主にして解説されているわけではなく、ナチ党がどのような経緯で政権を獲得し運営していったかが記述されている。写真は添え物。しかも本書の冒頭でナチのプロパガンダ効果を否定している。
 お手軽な本かと手に取ってみたら普通に時系列に沿って解説されていたので、これはこれで分かりやすい本だった。タイトルで損してる。

 それはさておき、ナチ党が民衆の支持を受けて民主的に選ばれた政党だった、という誤解をしている人は少なくない。私も最近までそうでした。ナチ党が議会で過半数をとったことはありません。じゃあ何故政権を獲得できたかを簡単に纏めると↓。


 第一次世界大戦で敗北。

 ワイマール憲法(議会制民主主義)制定。しかし首相の任命を大統領が行う半大統領制による運用だったため、大統領と議会とが一致した意見を持つとは限らなかった。

 ミュンヘン一揆。簡単に言うと自爆プロパガンダ。ヒトラー服役。知名度が爆発的に上がったナチ党は議席アップ。ヒトラーは党に返り咲き指導者となる。

 万年資金不足のナチ党の主な宣伝方法は扇動と騒乱。
 世界大恐慌によって失業者急増。民衆は政府への失望を強めていく。ナチ党はユダヤ人陰謀説を使って不満のはけ口を作ったこと、カリスマ的指導、他政党と取引しない姿勢などが注目を浴び選挙で第二党に。

 共産党に危機感を持っていた政治家や財界はナチ党を利用することで抑止を狙う。
 
 ナチ党第一党に。ただし議席は過半数を超えない。得票率37%。
 1933年1月。ヒンデンブルク大統領はヒトラーを首相に任命。

 1933年までの流れで言えば、ナチ党そのものの支持は圧倒的ではないし政権担当能力も懐疑的。武力と勢いでしゃしゃり出てきた新興政党ってところ。ちなみにこの当時のドイツはどの党も私設軍を持っていて、民主主義は形骸化していた。
 議会の過半数を得たわけでもなく、民衆の支持が厚いわけでもなかったナチ党(ヒトラー)が首相に選ばれた理由としては、共産党抑止の他、傀儡政権にできるだろうという議会の思惑があった。大統領緊急令を使えば無茶なことができたし、いざとなればヒトラーの首を切ればいい。議会の3分の2以上の議席を持たないナチ党に憲法改正は不可能。ワイマール憲法が機能していないことを逆手に取った人事だった模様。

 政権獲得後、その大統領緊急令を使って好き放題。選挙操作などお手の物、ところがどっこいそれでも過半数を取れないナチ党。得票率44%。これに懲りたヒトラーは民主的な選挙を無視するようになる。この時点で警察や閣僚関係はナチ党の手が回っている。

 1933年3月。全権委任法可決。簡単に言うと憲法によらず政府が法律を決められる法。勿論ナチ党だけでは成立できないが、他党がおもねって可決。このように単独では強行できなくても、他党を取り込んでしまえば実質的に議会を誘導可能。そして都合のいい法律を作り続ければ単独独裁が可能という流れ。

 1933年11月。総選挙。候補者686人中671人がナチ党関係者。選挙終了のお知らせ。
 ここまで一度たりともナチ党は国民の支持を半数以上得たことはない。何が問題かと言えばこの当時のドイツは議会制民主主義が機能不全で、私設軍による暴力・強行が平常化、政局争いによる混乱と打算が蔓延。民主的な法律はあったしその仕組みもあった。けど、それが正しく運用されていなかった。結果して暴力(軍事力・警察力)を持つ組織がのさばるのは必然。運用するのは人間。こうした機能不全は民主主義においても常に付きまとう問題だと言えそう。

写真・ポスターに見るナチス宣伝術: ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ写真・ポスターに見るナチス宣伝術: ワイマール共和国からヒトラー第三帝国へ
(2011/07/25)
鳥飼 行博

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[ 2014年10月02日 21:49 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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