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ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。(辻村深月)

 母親刺殺事件。神宮司みずほはその犯人である親友チエミの行方を捜すため生まれ故郷の山梨へ向かう。
 友人達の証言から少しずつチエミの人物像が浮彫りになっていくと同時に、みずほ自身の生い立ちや友人達との微妙な関係性が明らかになっていくお話し。ミステリーというよりは、辻村さんらしい心理描写や関係性を重視した小説。

 小説を読んで大きく2つ連想が広がりました。
 この物語の主人公は同じ作者の「凍りのくじら」の主人公と同じタイプで、要するに比較的頭が良くて冷静。人並みにコミュニケーションは取れるけど他人と距離を取るタイプ。この手の人に共通する傾向、そして足をすくわれかねない欠点は次のとおりです。

 「あなたはとても頭の良い人です。頭の回転も速くて次から次にいろんな事を思いついたりもします。そんなあなたですから話していても楽しくて、きっと皆の人気者でしょう。ちょっと八方美人な面も持っていますが、皆に良い顔をするのは悪い事ではありません。誰だって嫌われるより好かれる方が気分がいいので八方美人はいいとしましょう。
 問題はそんな事ではなくて、別の所にあります。それは、あなたは頭がよくてそれを自分でも知っているので、他の人がバカに見える事です。あなたはどこか人を小馬鹿にしたようなところがあります。人が何かへまをすると、口では大丈夫?と気を遣いますが心の中ではなんてとろくさいんだろうと思っていたりします。でもあなたはそんな思いを決して表には出しません。出すと相手を傷つけてしまう事を頭の良いあなたは知っています。そんなあなたですから、皆とうまくやっていると思っている事でしょう。表向きは確かにそうかもしれません。
 しかし、本当は周りの皆は気が付いているのです。あなたが自分の頭の良さをハナにかけている事や、意外と打算的な所も。でも皆はその事をあなたには言いません。言うとあなたを傷つける事を知っているからです。
 もう解りましたね。そう。という事は、皆もそれ位頭が良いのです。ですからできるだけ、人をバカにするのはやめましょう。でなけれあなた自身がバカにされてしまいます。気を付けてくださいね



 これが一つ目の連想。この文章はドラクエ3の性格判断で「頭脳明晰」と出たときの説明です。これは絶対に忘れてはならない、肝に銘じておかなければならない金言だと思ってます。私もこの思考に陥りやすい。最近読んだエリック・ホッファーも似たようなことを言っています。人は見た目よりも頭が良く、見た目よりも神経質ではないと考えておいた方がいい。
 チエミを弄んだ男に対してみずほが糾弾する場面で、その男は「ご同類でしょ」と平然と言返す。その言葉に彼女は痺れたように衝撃を受けてすぐに言い返すことができない。弄ばれていることは最初から分かっていたのに、みずほは親友にそれを忠告しなかった。彼もまた彼女の本質を見抜いている。この小説は女友達の関係が冗長なくらいに微細に描かれていて「よく見てるなぁ」と感心します。作者が、というんじゃなしに、人って他人のことをよく見てる。観察というほど見てはないが、さりとて無関心でもない。友達や職場の仲間を冷静に冷徹に分析している。だから、それを予想した上でリアクションを返す(たまにそれを理解してないか、無視している人もいるが)。
 実際は予想どおりのバカや予想以上のバカも存在しますが、見た目や普段の行動だけでその人を判断するのは早計であることは肝に銘じなければなりません。その人なりの処世術や計算、思いやりがあったりする。これもエリックの言葉ですが「親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている」。親切はそれ自体親切にされる価値がある。計算高い人は逆にそれが仇となって疑い深く、あるいは人を軽薄に見てしまうクセがある。それが自分自身を毀損する結果になる。もちろん、そういう計算高さが見て取れるからこそ、相手も信用するのでしょうが、決して自分が一枚上手だとは思わないこと。みずほは友人達のことを軽蔑していましたが、それが見当違いだったことに気付かされる数々の場面は他山の石になります。


 二つ目の連想はちょっと多岐にわたるんですが、キッカケになったのがチエミのこの独白。

 どうして大地じゃなきゃダメなの。
 みずほちゃんから、聞かれたことがある。
 もっと、チエになら他にいくらでもいい人がいるよ。
 ―――どうして、大地じゃなきゃダメなの。

 わからないわけがないと思う。私は答えに詰まっていたけど、それは答えられなかったのではなくて、答えたくなかったからだ。
 私には、他にも、いい人がいる。
 だけど、そのいい人は、私を選ぶような、そういう人だと、私にはわかってた。
 みずほちゃん。
 大地くんを選んだのは、大地くんがみずほちゃんの友達だからだよ。
 みずほちゃんと同じ匂いがする、私には、これを逃したら絶対に出会えない、そういう人だからだよ。
 あなたにそれが、わからないはずないと思う。



 チエミという人物を実務面で一言で表わせば愚鈍です。自分で考える力がない。自分の居る場所を絶対と考えそこに安住することだけを考える。親にべったりで甘えることを恥や未熟だと思わない。親もそれを良しとする。クビになるのではないかと怯えるくせに愚痴ばかりを言うがそれに見合った努力や能力はまるでない。同じ職場の年下の女性社員からマジギレされる程度の愚鈍さ。平均かそれ以上に仕事できる人が見たら絶対にイライラする、そういう人物。
 そんな人物が放ったこのセリフを見たときに真っ先に思い出したのがR.D.レインの「好き?好き?大好き?」でした。この本について説明するより、タイトルになっている言葉が使われている場面を想像した方が分かりやすいでしょう。相手の言葉ではなく、相手の心の中に深く入り込んでいく視線、それを冷静に自覚している人間の鋭さ。人間関係とは合わせ鏡なのだと感じさせる独白です。


 チエミはみずほに憧れていました。小学校の頃、男子にいじめられたところを助けられた。堂々としていて頭も良い、自分にないものをたくさん持っている。そんなキラキラしたみずほのことが好きだった。でも、彼女にはみずほのようになれる力がない。段々と差が開く。

 私を守って、男の子に飛びかかっていったみずほちゃんを見ながら、私は、みずほちゃんが男の子だったらいいのにと思っていた。
 好きだったのは、(みずほの)お兄ちゃんじゃない。本当に手に入るなら、私は、みずほちゃんが良かった。


 そう考える彼女は何をしたのか。みずほと一体化しようとしました。みずほの代替品を見つけてそれを抱き込むことで自分の願望を叶えようとした。みずほが自分のお母さんの事が大好きだと言ったから母親と一体化したし、みずほの友達と一体化したし、そして子どもにも一体化しようとした。
 この思考と行動を見たときに戦慄しましたね。いや、知識としてはあった。そういう代替行為をすることで願望を満たす方法があることは知っていた。けど、絶対に私の中からはそんな発想は出てこない。そこまでするのか、そこまでできるのかとおののきました。
 ちなみにこの時連想したのがドキドキプリキュアのマナと六花(ありす)です。彼女達の関係も常に先頭を走るマナとその後ろ姿を見る自分という構図になっているんですが、六花とありすは自分の限界に挑み続けることでマナに付いていったし、マナとは違う活躍の仕方で彼女と並んでいたわけですが、それは彼女達が優秀だからなのだと思います。現実として彼女達のように他者に刺激を受けて自分を伸ばす人もいるでしょうが、チエミのような人には対象と擬似的にでも一体化する手段しか残されていないのだろうと思います。

 「われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ」(エリック・ホッファー)

 まさにそうなんだろうと。ああなりたい、こうなりたいという変身願望を誰だって持っている。それは自己愛であり自己の拡張です。本質的にはチエミも六花も同じことをしています。憧れたその対象と一体化したい。変わりたい。その手段が違う。そしてその違いにその人の人格や能力、環境が表れる。
 親子、友達、恋人の関係の中でしばしば見られる支配や共棲にはこのような複雑で奇妙な人間の心理があるのだと改めて思い知りました。


 最後に余談となりますが、この小説のタイトル「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」はドラえもんのオマージュでもあるようです。のび太君の誕生日。これをネタにしたエピソードがドラえもんにあるそうなんですが、本作でそれが使われています。辻村さんは藤子・F・不二雄作品のファンのようで他作品でもネタを仕込んでいます。

ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (講談社文庫)
(2012/04/13)
辻村 深月
好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび好き? 好き? 大好き?―対話と詩のあそび
(1978/02/25)
R・D・レイン
魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集
(2003/02)
エリック ホッファー


[ 2014年09月12日 20:38 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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