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ハーバード白熱教室 雑感

 マイケル・サンデルの本や講義に人気が出るのは、それがエンターテイメントでもあり知的な活動でもあるからだろうと思う。自分の意見を主張したい、人の意見から知見を得る、多角的に考える、自己主張欲求と知的好奇心を両方満たせる。講義風景を見ると、(編集されているとしても)アプローチの角度を変えたり、話題を上手く変えたりして議論がグダグダしないように計られていて上手い。この引き際の良さは手慣れているなー。


 講義の様子をテレビでやっていたので、この記事はその中から話題をチョイスして記述しています。
 私のスタンスは、インセンティブ(動機付け)を重視します。早い話し餌付けを制度化することで人を枠組みの中に入れてしまおうという発想です。
 配偶者控除制度を例に挙げると、この制度の背景には「夫が働いて、妻が家を支える」がモデルになっています。現在この制度を利用している人はこのパターンが多い。この制度が非難される理由は、女性の社会進出が抑制される、夫婦世帯だけが税を優遇される不平等ってところでしょうか。私の職場でも奥さんの収入調整をしている人は少なくないし、会社でも(奥さんが働いているかいないかは問わず)配偶者手当がでています。ちなみに社内結婚している夫婦は両方もらえる。配偶者控除制度に限らず、会社の制度にも前述のとおり夫が家計を支えて妻は補助的な役目であることを前提としているものがあるわけです。また、世帯割合で独身世帯は全体の3割近くあって、さらに片親の家庭をさっ引けば夫婦世帯は全体の半分かちょっと多いくらいでしかない。果たしてこの制度って公平と言えるのか?と。こうした制度が「夫が働いて、妻が家を支える」モデルを後押し、つまり人々の価値観に影響を与えているのではないか、という疑念も出てくるわけでそろそろこの制度見直しした方がいいんじゃねーの?って意見が出るのも頷ける。税についても、世帯に税をかけるのか、個人に税をかけるのか。そういうところも考慮してもいいよね。
 ここで言いたいのは、制度があれば人はその制度内で損得を考えるし、割に合わないと思ったことはしたがらないってことです。制度には、餌付け(インセンティブ)・フレーミングの作用と、前提となる価値観、あるいは価値観の提示が含まれていると考えます。



○チケットの転売は認められるべきか。医療を早く受ける権利は売買してよいか。
 認める。
 より正確に言えば、なんでもかんでも平等にするのは良くない。例えば高速道路を無料開放すると本来使う必要が無い人まで使って、お金をかけても急いでいる人が割りを食う。医療にしても、子どもや高齢者の医療費を極端に安くすると本当に必要としている人の治療が遅れる。
 これと別に「大雪が降った日にシャベルを値上げするのはフェアか」「被災地で水の値上げをするのはフェアか」という議題があったが、同じく私は認める。実際東日本大震災ではガソリンが不足したのだけど、被害が少なかった関東でガソリンの買いだめが起きて被災地に燃料が届きにくかった事例がありました。値上げすれば、単に不安だからガソリンを入れようって人は控えるだろうし、被災地のガソリン価格が他と比べても高ければ売り手はそっちに供給しようとするわけで、資源の効率的・効果的配分が可能になる。

 ポイントは「お金を出してでも欲しい(必要としている)という動機や理由は考慮されるべきだ」ってこと。平等・公平を一概に決めることは不可能で、必要としている人がどの程度必要としているのかを測るバロメータとして「お金」の意味は大きい。勿論全部が全部市場原理で決めていいってわけじゃないけど、必要な人が必要なサービスを受けられる制度であるべきだと思う。



○読書するとお金(金券含む)がもらえる制度。子どもの勉強意欲を現金を使って高めても良いか。
 これも認める。実際問題として、高学歴が望まれるのもそれが収入に関わるからで、勉強を純粋な教育と結びつけることは出来ないし、純粋である必要もない。
 議論でも出たように、奨学金制度だってこれに当てはまるわけで、モノで釣って勉強意欲を出させて実際に頭が良くなればそれでいい。頭がいい人が得をしていい。学校でやらなくても、テストでいい点とれば玩具買ってあげるなんて会話はどこの家庭でも耳にする。サンデル氏はこの制度を途中で打ち切ったらどうする?と疑問を投げかけていますが、私に言わせればそんなことは知ったことじゃない。報酬がなくなったら子どもは勉強しなくなるんじゃないのか、お金が教育の目的を損なわせるんじゃないか、と反対派の意見を代弁していましたが、先に述べたように勉強それ自体を面白いと思ってやる人もいれば、手段として勉強する人もいるわけで、それを強制させる必要はない。勉強しなくなるんじゃないのか?という危惧があるのなら、報酬を通じて勉強(読書)の面白さを知る人だっているんだから、そこは相殺。
 教育の目的は何か?と問われれば、私は「人の可能性を高めるためのもの」と答えます。知性があれば日常生活、危機的状況の中でも活路を見いだせる確率が高くなるし、自己実現や社会貢献も大きく幅広くできる。広い見識は理解力を高め感情的な行動を抑える。勉強に限らずスポーツや創作活動もこれに当てはまる。教育の中には倫理や道徳も含まれるだろうけど、勉強することのメリットを教え、貧困者であっても知恵で逆転できる余地を作ることは優先度が高いと考える。より多くの人が教育を受けられる機会を作ることとして、報酬を与えることは構わない。所得によって差を付けてもいい。重要なのは社会が教育の機会とメリットを与えるという意思表示だ。

 倫理観や道徳は、その社会で何が美徳とされているか、価値を持っているかで培われてくる。お金で全てが解決される社会がロクでもないことは言うまでもない。だからこそ小さな制度、省令、法律が公正に運用されていること(何故そのような制度や法があるのか説明できること、合理性、必要であれば修正が可能であること)、社会が弱者にどう向き合っているかが大切になる。そうした細々とした、そして途方もなく大きい枠組みが人の価値観に影響を与えている。

[ 2013年12月29日 12:03 ] カテゴリ:未分類 | TB(0) | CM(-)
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