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第44話「ジコチューの罠!マナのいないクリスマス!」

○今週の出来事
①分岐路を見据えて

 キングジコチューの復活は近いとベールは言います。お久しぶりです。焼きそばパンは買えたのでしょうか。
 復活を承知していたレジーナは作戦を進めていました。仰いでいた扇子を使って作戦の要旨をベールに説明。要がない扇子はバラバラ。マナさえいなくなればプリキュアもバラバラ。
 なんだかんだ言ってもレジーナはマナを中心に考えている。分断作戦はシリーズでもお馴染みですが、今作では初めてかな。ベールがハートと一対一になるよう誘い込んだことはありましたが、あれは心理的な分断ではありませんでした。レジーナ自身バラバラになることを恐れているからこその思いつきなのかもしれません。彼女がマナ達へ仕掛けてくるのは、名目上は父親の復活を手助けするためでしょうが、同時にマナ達への興味・反発もあるとみられます。誕生日を祝って貰った亜久里に文句を言ったように、彼女の内面は深く傷つき、他者を求めていることが見え隠れしています。


 ぶたのしっぽ。気分はクリスマス。飾り付けに余念がないマナ。クリスマスが好きで子どもの頃はサンタになりたかったらしい。貰う方じゃねーのかよ。幸せの王子は昔から王子。今年はみんなでパレードを観に行く予定でマナのテンションが上がります。
 見知らぬ人達が訪ねてきます。変装したイーラとマーモ。イーラ頑張り過ぎだろ。マーモさんはケバ過ぎ。生徒会長スピーチコンテストにマナを誘います。キング・オブ・生徒会長を決めるコンテスト。それを訊いたマナは居ても立ってもいられないとばかりに話しに食いつきます。

 歴代の総理大臣も参加していたと訳のわからない箔の付けよう。しかしマナは俄然やる気を出します。ところが開催日は24日。さらにパレードの時間ともブッキング。マナはガッカリするとコンテストを諦めかけます。残念がるマナに六花は出た方が良いと背中を押します。今週の六花さんは正妻モード。亜久里達も六花の言葉に賛成。自分達とはいつでも遊べるんだから頑張っておいでよと応援。このコンテストがマナにとって良いチャンスになると考えての気遣い。六花自身百人一首の大会に出場しているのでそこら辺は分かっているのでしょう。六花とマナの関係は当初に比べて立体的になっています。マナにはマナの領分があるように、六花にも六花の領分があって、そうした経験が六花に自立と余裕を持たせているのだと思います。人それぞれにその人の「好き」があっていい。番組開始以来、六花のテーマは自分の気持ち(特に「好き」)を肯定していくことです。

 コンテストに出るとなれば準備も必要、生徒会の仕事も六花が引き受けます。マナは六花を抱きしめると恩に着ると感謝。六花さん大勝利!! これを見せつけられる周囲は「適わないな」って思うよね。ずっと昔から見てても動じないありすは本当に凄いと思う。よくあるパターンだとこれはこれで安定した関係だからこの関係を維持したいというのがありますが、彼女達にその不安はない。彼女達に感じる安定感は現状を維持することにあるのではなく、どのような変化にも各自対応できる順応性と信頼にある。

 六花は自室で生徒会の資料を広げます。ところで部屋にランドルト環が貼ってある女子中学生ってどうなんだろうな。甲斐甲斐しく働く正妻にラケルが本当にそれでいいのかと尋ねます。本当はクリスマスを一緒に過ごしたいのではないのか。「そりゃあね」「でもこの先高校に行ったり、社会人になったりお互い夢もあるし。いつまでもずっと一緒にいられるわけじゃないからね」。彼女は自覚しています。
 また一歩踏み込んできたな。このアニメは女児向けアニメってことを忘れてるんじゃないかと思うくらい先に進むことを躊躇わない。六花の声には現実味と覚悟があります。彼女はマナ達との関係がずっと続けられるとは思っていない。だから今からその予行練習も兼ねてわざと距離を置いて慣れようとしている。本作らしい自立と認識の高さです。本作の登場人物達は頭が良い。
 「離ればなれになってもお互い頑張らないと
 彼女がそう自覚している理由には各自に目標があることも関係しています。マナの夢は総理大臣、六花は医者、ありすは父の事業を継ぐ。必ずしもその目標通りになるとは限らないにしても進む道が違うことは明らか。今までのシリーズはこの部分をはぐらかして今一緒に居ることが大事だと言ってきましたが、ドキドキは目を背けない。


 生徒会室。書類の引き継ぎ。六花はみんなと待ち合せ前に終わらせると意気込みます。そんな親友の態度にマナは面食らうと「六花~。クリスマス私がいなくて寂しくないのか~い?」と尋ねます。「全然」。書類に視線を向けたまま答える六花。「それちょっと寂しい」「私はね、マナにキングオブ生徒会長になって欲しいの。そのためなら離ればなれでも頑張っちゃう!」。なんという正妻感。日曜朝からニヤニヤが止まらない。
 このシーンはふたりの関係性をおさらいする意味でも良いシーンです。普段は六花からのアプローチが多いので見えにくいですが、マナは六花が大好きです。会長に推薦されたときに即座に六花を頼ったのも、プリキュアになったときに一番最初に打ち明けようとしたのも、それだけマナが六花のことを信頼し一緒に居たいと考えているからです。たぶん六花は自分が思っているよりもマナが自分を好きだと気づいていないかもしれません。彼女達の関係性は高いレベルで対等ですが、元々の出会いから言って六花はマナを自分の人生を変えてくれた人だと思っているので、場合によっては自分がマナの足を引っ張るかもしれないと危惧することもあります。六花がマナ離れを起こし始めたのは皮肉な話しですが、この関係性に六花の方が自覚的だったとすれば必然です。六花にとってマナは憧れの人で常に一歩先を行く子。彼女との別れ、彼女が目標へと進んでいくことは時間の問題です。それに気づかない六花じゃない。六花自身が自分の趣味や目標を自覚したことも大きいでしょう。
 お互いに頑張る!とふたりは笑います。


②愛を受け取る六花
 マナはイーラ達と共にコンテスト会場へ。

 生徒会室では六花、十条君、それに真琴がお手伝い。……真琴が手伝っても仕事が進まないと思った人は素直に手をあげなさい。書類に目を通している真琴の頭の上に「?」が浮かんでいるように見えるのは気のせいじゃない。
 生徒会長も菱川さんもいつも頑張っていて尊敬すると十条君は言います。冬休みに女の子ふたりに囲まれて、メガネ六花さんと一緒に仕事できるとかボーナスゲーム過ぎる。1時間1万円払ってでも参加したい。
 マナ大丈夫かな…と早速マナのことを考え始める六花。真琴にそう指摘され、ラケルにも「愛ケル~」と言われて頬を赤らめます。私はそろそろ鼻血が出そうです。

 会場に到着。体育館に入って見えるのは雑然と散らかったゴミと申し訳程度に飾られた「生徒会長スピーチコンテスト」の幕。様子がおかしい。ライトアップ。レジーナが現われます。クリスマスプレゼントを受け取って。檻が落ちてきてマナは閉じ込められます。

 よくよく書類を見ると急ぎのものが何個も見つかり十条君はどうしましょう?と六花に相談。相変わらず優柔不断だな。絶対この生徒会マナと六花で持ってただろ。コピーしてくると教室を出ます。メガネを外して大きなため息をはく六花。眼鏡っ娘キャラがメガネを付け外しするの良いよね。このままじゃパレードに間に合わないと頭を抱えます。どれから手を付ければいいのか。なに気にマナの力量が分かる。おそらく優先順位の付け方なんかはマナが上手いのでしょう。あるいはマナが真っ先に何かに手を付けてしまうので六花達はそれ以外をフォローすれば結果して仕事が回る。
 書類に目を通した真琴が「これ」と六花に渡します。そこにはマナが書いたメモが貼られています。この事態を想定していたのか六花を励ます言葉が書かれています。よく見るとお弁当が置いてあったり、他の書類にもメモが貼られています。六花を励ますだけでなく頼るメモも。マナが六花を気遣いつつも頼っていることが見て取れます。それはマナの六花に対する信頼であり期待です。「愛してるよ~
 「まったく
 先ほどとは違うため息をはく六花。なんだかマナが傍にいるみたいと真琴が揶揄します。
 「ほんと、いつもどおりマナに振り回されてるって感じ
 「でも、なんか」「六花嬉しそうケル」
 「(マナ、私も愛してるよ)」
 口には出さず、六花は自分の心に染みこませるように言葉を紡ぎます。直接かけられる言葉だけが愛や気持ちを伝えられる手段じゃない。そこにいなくても、そこにいること以上に相手の心遣いを感じることがある。マナの思いやり、信頼、愛を六花は受け取ります。


 閉じ込められたマナは変身して脱出を試みますが、檻はビクともしません。私だったら床を抜くかな。


 ヨーロピアンパーク。パレードが行われる会場を六花達は訪れます。マナの応援が奏功したのか無事仕事は終わったようです。マナがいないのが残念ですが、いっぱい写真を撮って後で見せようと六花はマナの努力に報いようとします。
 ツリーの前で記念写真。ゲームセンターでモグラ叩き(スマイルにもあったアレ)。クレーンゲーム。カエルのぬいぐるみを逃してしまいます。マナなら絶対取ってくれるのに、と思わず口をついて出てしまいます。「六花なら出来る」マナの言葉を思い浮かべると六花は再びチャレンジ。見事成功。
 「やった~! 取れたよマナ!
 動きが止まった六花にありすが声をかけます。六花は真顔に戻るとありすの方に向き直ります。ここの動きが凄くリアル。プリキュアのこうした芝居はレベルが高い。ラケルがやっぱり寂しい?と心配。六花は寂しくないと答えてありすに笑顔を向けます。ありすでもこの時の六花の心の動きを読むのは難しいだろうと思います。今、六花は本当の意味でのマナ離れ、より正確に言えばマナの内在化を行い始めています。最初に失敗したときにつぶやいたように、六花はややもするとマナに頼ったり、マナと比較する傾向があります。でもすぐにマナの励ましの声を思い浮かべたように、マナの存在、マナが自分に向ける信頼そのものが彼女の力になってもう一度挑戦させる気を起こさせています。(精神科医の)コフート的に言うと、六花にとってのマナは理想化自己対象です。憧れや理想の人。自分を律して高めてくれたり鼓舞してくれたりする人。通常はマナと一緒にいることによってそれが促されますが、今六花はマナがやるはずだったその役割を自分の中に取り込んで自分で行えるようになりつつあります。これを変容性内在化と言います。専門用語を使っていますが、これは日常的に誰もが行っていることです。「あの人だったらこうする」「お天道様に顔向けできない」。フロイトでいうところの超自我が強化されていると言ってもいいでしょう。一見すると六花はマナへの依存を深めているように見えますが、自立が高まっている証拠です。
 上手くぬいぐるみを取れて喜んだときに発した言葉は、マナを求めるためのものでなく、マナに感謝するために発せられたものでした。たぶん、彼女自身自分の変化に気づいてないか、戸惑っているかもしれません。彼女の無表情はそれを表しています。これをほんの僅かな時間と芝居で表現するプリキュアは、やっぱりすげーと思う。ここが他アニメとプリキュアの決定的な差で、この心理描写の細やかさ、丁寧さ、分かりやすさ、機微の描き方でこれに並ぶものは無いと思う。


③愛を口にするレジーナ
 その様子を見たレジーナは強がりを言っているだけだと受け取ります。物売りをしている暇そうな店員をジコチュー化。
 「めいり苦しみます!」
 相変わらずプリキュアの敵はフリーダムだな。ペンキをぶちまけたようにテーマパークが汚されてしまいます。

 プリキュアを前にして、レジーナは壊れた扇子と呼びます。わざわざプリキュアのイラストが描かれた扇子を使って説明。芸が細かい。イーラの口真似でコンテストが偽物だったと気づきます。それを知ったダイヤはマナの夢を利用するなんて許せない!と怒りを表します。その反応にレジーナは思惑通りとイタズラっ子のように笑います。マナとバラバラにした理由のひとつには、六花達への嫉妬や腹いせがある。
 今度は爆竹攻撃。反撃に転じるソード。ベールにソードハリケーンを放つも避けられます。やっぱり効かない。
 ダイヤはレジーナにマナがどんなに頑張ってコンテストの準備をしていたかを説きます。お互いに一進一退。神器を持っていてこれでは、むしろ圧されている。実際、他の幹部やジコチュー達も手こずっています。マナがいなくても強い。

 脱出を試み続けるハート。しかし体力の限界。「お困りのようだね、マイスイートハート」。本作で一番胡散臭い人がいよいよ動き出しました。

 予想外の抵抗にレジーナは当惑。ダイヤは離れていても離れはしないと言います。意味を理解しかねるレジーナ。
 聞き返されたダイヤは一瞬きょとんとした表情を浮かべると、目をつむりながら話し始めます。マナの行為を想像しながら自分達とマナの繋がりを言葉に換えていきます。たとえ傍にいなくても、マナはいつでも私達を想ってくれている。そして自分達もマナのことを想ってる。温かく思いやりのある声で語ります。大切なことなのでレジーナに知って貰いたいのでしょう。ドキドキチームの精神的要はマナで間違いありません。しかしそれは彼女が常に居なければならないことを意味しない。各自が自立して困難に立ち向かえる。そのキッカケやビジョンを与えているのがマナという人物の在り方です。プリキュアをチームとして描けば自ずとリーダーが必要になる。明確にリーダーを置くか、置かないかはシリーズによって異なります。試行錯誤も繰り返されてきました。そうした中で本作はリーダーはいるけどリーダーに依存しないチームを提示しています。それはまさに彼女達の日常の関係性と同じです。彼女達は深い愛情と信頼で自立し依存している。
 「だから私達は、離れていても離れはしない!
 「心はいつも」「繋がっているから!

 前回の感想で触れましたが、プリキュアは離別している関係に対して「心は繋がっている」と説明してきました。これはある意味で便利な言い訳です。この言葉にどうやって説得力を持たせるか、本作はマナと六花の関係を用いています。言葉で表すのはとても簡単で単純ですが、その実態がどれほど複雑で難しいか、六花でさえようやくそのことに気づいたほどです。「心は繋がっている」は近年の常套句(テーマのひとつ)になっていますが、本作がこれを終盤に持ってきたのも頷けます。具体的にどういうもので、どれほど深い繋がりがあるのか示すには長い時間と実績を積む必要がありました。

 それはレジーナも同じだ、いつだってあなたの心の中にマナはいると呼びかけるダイヤ。この子は本当に変わった。そう指摘されてレジーナはすぐにそれを否定することができません。イーラとマーモもダイヤの指摘に頷きます。いつもマナマナ言っている。
 マナも同じ。
 「レジーナはどうしているか、辛い思いをしてないか、寂しい思いをしてないか…『もう一度レジーナと話しがしたい』マナはいつもそう言ってるわ
 NS1のフーちゃんの言葉を思い出してちょっとウルっときた(フーちゃんのあの口調は反則)。以前の六花だったらマナのそうした態度にやきもきしたかもしれません。でも今の彼女は違う。自分がマナを好きなことを肯定した先で、彼女はマナやレジーナ達の「好き」も肯定できるようになっています。六花のテーマは自分の気持ちを肯定すること。それが他者の気持ちを肯定することへと昇華されています。私の見立てに間違いは無かった。彼女は好きなものが増えれば増えるほど成長していく。それは素晴らしい資質です。
 胸がチリチリするレジーナ。自分が好きなのはパパだけなのにどうして? レジーナの心と連動しているジコチューは倒れます。
 「あなたに私達は倒せない!
 「だって、私達マナと紡いだ愛で繋がっているもの
 以前レジーナに自分の方がマナと付き合いが長いと言っていた少女の面影が全く無いほどに、六花はレジーナを受け入れています。私はマナが好き。レジーナもマナが好き。同じ人を好きになった私達もまた理解し合える、一緒にいられる。父との排他的な愛に苦しむレジーナと対照的な愛の提示。人を好きになるのに理由はない。そして好きになることに罪はない。父親とマナを同時に好きになることは正しいことなのだ。この物語はハッキリとそれを示そうとしています。
 最後の抵抗とばかりにジコチューを仕向けるも、ダイヤは意に介することなく投げ飛ばします。

 相手の目を見つめながらダイヤは単刀直入に言います。
 「あなたもマナのことが好きなんでしょ!?
 このシーンだけ見た人は修羅場かと勘違いするかもしれません。
 違う、と視線を逸らすレジーナにダイヤは正直に認めろと追い打ちをかけます。
 「そうよ! 好きよ!
 「あたしだってマナが好き! 悪い!?
 「それほんと?
 「えっ?

 本人に訊かれてました。マーモとイーラが恥ずいなこれは…と茶々を入れます。顔を真っ赤にするレジーナ。やべぇ、超可愛い。視聴者の子ども達がレジーナをどう見ているか分かりませんが、彼女が意地張ってただけの女の子と理解すれば十分です。ハートの無事を喜ぶ一同。
 ハートは確認するように先ほどの言葉は本当かと尋ねます。嘘に決まってるでしょ!とソッポ向くレジーナに駆け寄ると腕を掴んでまた問いただします。ほんとジゴロだなこの子。「ねぇねぇねぇ」と揺さぶります。耐えるレジーナが猛烈に可愛い。りつマナ回だと思っていたらレジマナ回だったでござる。
 手を振り払ってうざい!と叫ぶもジコチューは倒れたまま起き上がりません。もはや彼女の気持ちは明白。それでも無理矢理魔力を注ぎ込んで奮い立たせます。クリスマス商戦に向けてのアイテムを出して浄化。


 逃げ帰るレジーナの背にハートは今でも友達だと語りかけます。その気持ちは絶対に変わらない。好きって言ってくれて嬉しかった。
 レジーナの心が揺れます。元の碧い瞳に。
 「つらい…
 思いがけない言葉にハートはハッとします。
 「マナのことは好き。でも…パパのことも好きだから…
 「あなたにはみんながいるけど…パパには、あたししかいないもの
 彼女の瞳が元に戻っていることもあって、この言葉は偽りない彼女の本音です。幼い少女の父親を求める気持ち、父親を独りにしたくない気持ち。逆説的にではありますが、この姿を見ると両親の離婚が如何に子どもの心を傷つけるものであるかが伝わってきます。父親か母親かを選べというほど残酷な言葉は無いでしょう。親は唯一無二の不可分な存在。レジーナは決して洗脳を受けているから父親を愛しているのではありません。父親だから愛している。これをハッキリと示し、マナに突きつけるこのアニメの容赦のなさっぷりに私はキュンキュンです。
 キングジコチューの声。私の可愛い娘…。まだ言うか、この腐れ親が。レジーナの瞳が紅く染まり姿を消します。


 変身を解いてもまだ呆然と立つマナ達。亜久里が話しの向きを変えてよく場所が分かったと尋ねます。元々パレードに行く予定はあったので知ってても不思議ではないような気もしますが。お兄さんのおかげだと言うマナ。
 「ひさしぶりだね」
 黒いマントを着たジョー岡田。お前黒幕だろ。


④次回予告
 最後の神器が見せる真実とは如何に。でもそんなことよりエルちゃんキターー! 


○トピック
 百合が嫌いな男子なんていません!! ドキッ!女の子だけの大告白大会。もうプリキュアがキングオブ百合アニメでいいよ、って視聴者が思った回。


 次回レジーナとエースの真実に近づいていくようなので、個人回は今回で終わりと考えていいかな。これまで述べてきたように、最終個人回の目的は各自が愛を抱き、それを伝え、レジーナが愛されていることを示すことにありました。これは真琴、ありす、亜久里それぞれの境遇や性格を踏まえた上で表現されています。六花も上述したように自分の気持ちを肯定していくことがそのキーとなっています。視聴者が冗談半分に正妻と言ってたら作中でも「奥さん」と言われちゃうほどマナとラブラブな六花ですが、彼女が最終個人回を締めくくりレジーナに伝える最後のキーワードを持っていたのは面白く、また必然性もあります。人を好きになることの素晴らしさと苦さを知っている六花ならでは。
 マナについていく格好でプリキュアになった六花が、その後マナと関わらない百人一首に興味を持ったり、将来の夢と自分の感情を深く結びつけていったことはある意味マナ離れの予行練習だったと言えます。自分のやりたいこと、自分にできることがあるならマナにもそれがある。進路の違いで一緒にいられなくなることの他に、精神的な分離がそう遠いことではないと彼女が気づくのは自然な流れです。この最終個人回で再びマナとの関係がクローズアップされて、分離と融合が成される点に本作の洞察とメッセージがあります。

 六花は最初マナと敢えて距離を取ることで離れる辛さを和らげようとしました。将来一緒に居られなくなることが分かっているのだから今の内に慣れようとしたのでしょう。マナの成功のために敢えて身をひく。これって実は3話で彼女がしようとしたことと同じです。でもそれはこの物語的に間違った選択です。勿論ずっと一緒にいることはできない。だけどそれがイコール別離ではないし、一緒にいるかいないかの単純な話しでもない。六花とマナが育んだ絆がどのように人の心に作用し、人を変えていくものなのかこのエピソードは語っています。
 六花なりの気遣いに対して、マナもまた彼女なりの気遣いを六花に贈ります。自分と同じように相手もまた自分を想っていてくれることを知ったことで六花はマナを身近に感じます。六花がやらなければならなかったのはマナと離れられるようになることではなく、お互いの気持ちが通じ合っていることを知ることでした。この物語の「心は繋がっている」はとても強い信頼感、一度や二度どころか何度でも繰り返される愛情のやり取りを基点としています。六花とマナがこの見本になっているのは、彼女達が10年近くお互いに成長し支え合ってきたからで、まさにそれこそが愛だからです。女の子同士で愛してるとか言い合うと百合っぽいんですが、文字どおり本当に愛なんです。本作における愛とは自己と他者を包括し共に成長していく関係、お婆ちゃんの言葉を借りれば、困った人がいれば手を差し伸べ、共に未来に進もうとする気持ちです。「共に未来に進もうとする」というのがポイントで愛は人を縛って留めるのではなく、その人の可能性を広げ発揮していくことが含意されています。

 この愛の絆、継続性はここ最近の流れを補足する点でも意味があって、これまで真琴達が伝えてきた愛情や気遣いが時間、場所を問わず継続していることを補強します。また、親子愛においても同様です。絆について本作は親子愛、友情を同列・同時的に示すことでその多様性を提示しています。
 自分が愛されているのだと知り、自分もまた相手を愛しているのだと自覚することで人の絆はより強まり互いに自立していけるようになります。相手に寄っかかっているだけでは依存ですが、相手の期待に応えたい、自分で出来るようになりたい、自分も人々の役に立ちたい、自分のことだけでなく他者にも向けて心を開くとき人は自立し愛を持つと言えるのだと思います。六花がマナの言葉を思い出してクレーンゲームに挑むのもその一つの流れです。憧れの人、大好きな人が、自分の人格形成に大きく影響を与えて糧となっていく。映画でお婆ちゃんが持っていた願いや意思をマナが引き継いだように「誰が言ったから」「誰のようになりたい」が自然と自分の声、自分の姿へとなっていく。ここに人間の共感性、模倣性、つまり愛情と呼ばれる結びつきがあります。
 例年であれば心の繋がりは親子関係をとおして表現されるのですが、本作は親子関係を担保にできません。レジーナ親子が愛を失っていること、亜久里と祖母の関係にしても1年だけなので親子関係はモデルにしにくい。そこで質的にも量的にも十分に満たし視聴者が最も馴染みのあるマナと六花をモデルにしたのは彼女達の関係性を昇華する点でも見事なチョイスでした。
 六花は26話で見たように憧れや尊敬の気持ちと自分の自発性を結びつけましたが、今回はマナへの憧れ、マナとの絆が彼女に大きな自信と愛を持たせています。六花の物語はこの1年とても初々しく優しく鮮やかに描かれてきたと思います。

 長くなりましたが今回のエピソードを纏めると、気遣いや愛情をとおして自立心が高まること、その愛情が人の心を変えていくこと(愛情が人を豊かにしていく)、そして当初はマナの取り合いをしていた六花がレジーナの気持ちを認め後押しするまでになった過程を丁寧に描写しています。人を好きになることは素晴らしいことで、マナと六花の関係を通じて多くの可能性と示唆を提示しています。愛があればこそ、自立できて互いの尊さをより深く感じられるようになります。六花はマナが近くにいなくても、彼女の信頼に応えられる自分でありたいと思うはずです。「私もマナと一緒なら飛べる! どこまでも高く!」その願いが時と場所を選ばず実現していく。
 ふたりの関係を大切にしながら正しい方向へと導いてきたスタッフに敬意と感謝を述べたい。これほど絶妙な自立と依存は滅多にお目にかかれません。何度でも言いますが自立も依存も絶対に必要なもので、そこに人の矛盾、苦悩と喜びがあって、ここから何を取り出すかで作り手の洞察と力量、意志が見えてきます。

 レジーナ視点で言えば、今回は自分の気持ちを口にしています。それを聞いたマナは「嬉しかった」と答えています。これはとても大事なことです。その言葉がレジーナの心を大きく揺さぶったのは正しい。自分が孤独ではないこと、愛される価値があること、そして自分の気持ちが尊重されること、レジーナの全てを全力で肯定しています。しかしそれがレジーナにとって父との関係を想起させるもので、彼女の苦悩が決して単純なものでないことを再び浮き彫りにしています。この流れは見事と言うほか無い。本当にこの物語はレジーナを救おうとしている。子どもの絶望と渇望、苦しみ、親との関係にここまで踏み込むとか、どんだけこのアニメ本気なんだよ。武者震いが止まらねぇ。

[ 2013年12月15日 21:28 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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