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第41話「ありすの夢!花がつないだともだち」

○今週の出来事
①お花屋さん

 庭の花に水をやるありす。実は園芸部らしい。本当に学校行ってたんだ。幼い頃の夢はお花屋さん。今の夢は?と亜久里に尋ねられると一瞬躊躇った後に「お父さまのお仕事を継ぐことになっていますので、その夢は叶えられなくなりました」といつもの微笑みを浮かべます。彼女は自分の将来について積極的に肯定しているとは言い難いようです。
 ありすの言葉にマナは一計を案じます。

 思い思いの品を公園に広げる人々。今日はフリーマーケット。そこに出店するありすのお花屋さん。一日だけでもありすの夢を叶えようというマナの粋な計らい。ありすも素敵だと喜びます。ありすは常識破り(主に経済的な限界突破)なところがありますが、発想的な面ではやはりマナのこうした柔軟さは彼女にとって大きな刺激と尊敬を与えていると思われます。
 コスモス、ゼラニウム、シクラメン、店に並んでいる花を見た亜久里はもっと華やかな花を揃えた方がいいんじゃないか?と物足りなさを感じます。確かに並んでいる花はどれも地味。しかしありすは季節の花の良さを説きます。
 頭の悪そうな高笑い。六花の表情が視聴者の心中を語っています。初対面の亜久里がどなた?と尋ねます。六花が禁句とばかりに反応。六花のこういうリアクションと頭の回転の速さは好きです。よくぞ訊いてくれましたと言わんばかりに五星麗奈は名乗ります。ありすが出店すると知って対抗心を燃やしてきたようです。温室で育てた花を使ってありすに挑みます。

 麗奈の超☆高級花セレブ。季節感の無い花が並んでいます。オーナーの性格が出てるな。
 ありすは麗奈さんと一緒にお花屋さんができて嬉しいと喜びます。しかし麗奈はフンっ、と鼻を鳴らしてしかめっ面。ありすは素直に喜んでいるのだと思いますが、どこか嫌味に聞こえてしまうのはこちらにやましさや素直さが足りないからでしょうね。麗奈も同じだろうと思います。13話を思い出していただくと分かりやすいのですが、基本的なスペックで麗奈は決して低くありません。単純にありすがほぼ全ての面で上回っているだけです。ところがありすはそれを鼻にかけたり、自慢したりしないはずです。いつもの微笑みと余裕で自然に佇む。そういう子。プライドが高い麗奈からすればそれはとても悔しいことですし、見方によっては自分が歯牙にもかけられていないとも映るでしょう。いっそありすからまた私が勝ちましたねと言われた方がせいせいするでしょう。麗奈から見ればありすの態度は嫌味、あるいは自分への無関心に見えてしまうのも無理なからぬところです。麗奈は自己愛的で他者の賞賛を欲しいと思っています。それは自分を理解して欲しい、自分を受け入れてくれる友人が欲しいという願望にも繋がっています。こういう子は得てして分かりやすい愛情表現を他者に求めます。ありすのような自然に相手を受け入れたり、察したりするような控え目で大人な愛情表現を理解していない可能性が高い、というか理解していないでしょう。ありすが超然とした態度をとればとるほど麗奈は気後れしてなんとか彼女の注意や歓心を買おうとこんな不毛な戦いを続けていると考えられます。人間って面倒臭いね。


 午前10時を過ぎて、人通りも多くなってきました。恋人のプレゼントにと花を買い求める男性。ゼラニウムを勧めます。最初のお客さんに期待を膨らませるマナ達。そこに麗奈が割って入ります。超高級なバラを市価の30分の1で売るという金にものを言わせた商売とすらいえない自爆テロを決行。完全に嫌がらせです。案の定男性客はそっちに取られてしまいます。高価な花を激安で売るなんてズルいと不満を言う六花達。肩に手を置いて並んでいるの可愛いね。こういう時にマナが平然としているのはらしい感じ。直接的な嫌がらせでなければ人を煙たがったりはしません。ありすは流石麗奈さん、いつ見ても本当に綺麗な花だと褒めます。麗奈の花に対する情熱は本物で、これはありすも一目置いています。ありすの評価に拍子抜けしつつももっと褒めて、と要求。わかりやすいなーこの子。

 お昼を過ぎます。客が寄りつきません。隣の花屋はバーゲンセールのように客が押し寄せています。実際バーゲンなわけですが。
 あっちはあっち、こっちはこっちとばかりにマナは頑張ろうと気持ちを上げます。彼女は現実主義的な傾向が強いので現状の中で最善手を考えるタイプというのが私の見立てです。奇跡(分の悪い賭け)に頼ったり、人を支配(操作)してどうにかしようとはしません。
 花屋の前をくたびれたサラリーマンがとおります。ありすの声に気づいて足を止めます。興味なさげな態度を取りますが、ありすの可憐さに気づくと花に目をやります。ちょろい。コスモスを購入。初めての買い手にマナ達は喜びます。ありすの接客態度は麗奈と対照的で、押しつけがましいところはありません。お客さんが寄ってきたら助言をする。これはありすの普段の態度にも言えることです。逆に言えば彼女が自分から何かを得ようとするのは珍しい。
 お花屋さんは花と一緒に愛も届けているのかも、と真琴が言います。今週のお題。マナはレジーナにそんな花を贈りたいと言います。
 花なんて要らない。レジーナ登場。自分より美しいものは許せない。ブレないな、この子も。姿を消します。

 フリーマーケットのせいで公園は人だかり。せっかく持ってきたラジコンで遊べず不満を抱く少年。花なんて枯れてしまえばいい。つけ込まれます。


②愛の芽
 突然花が枯れ出します。先ほどのサラリーマンの心の花が枯れないか心配です。
 ジコチューの仕業かと疑いますが気配が感じられません。枯れた花を見つめていたありすは、若葉が残っていることに気づきます。隣の店から泣き声が聞こえてきます。がっくりと膝を付いてうな垂れる麗奈。彼女の花に対する愛情は本物。ありすはすぐに駆け寄ると植木鉢に視線を走らせ探します。若葉を発見。まだ再生の可能性があると麗奈に話しかけます。このシーンで私が真っ先に連想したのは人間の再生です。全体としては枯れて、醜く歪んでしまってもその人の中に愛情の芽、小さくとも何かしらの可能性が残っていればその芽を育てられる。これは理想論や綺麗事ではなく事実です。虐待やネグレクト、過剰で歪な愛情によって人が幼少期から大きなハンディキャップや不健全な価値観を持ってしまうことは事実であり、今後その認識は一般により浸透していくでしょう(子どもがトラウマを抱える。育て方が悪いと大きな人格障害にまで至ると認識されるようになったのは実は最近のことで、四半世紀過ぎていません)。では、そこからどのような再生がありうるか、どうすればその歪みや遅れを正せるのか。関連する本を読みながら私自身ようやく希望が見えてきました。この感想でよく心理学的な知識をひけらかしますが、これはプリキュアを見ているとそういうことをもっと知りたくなって、本を読んで、感想にフィードバックしてまた本を読んで……を繰り返すためです。私にとって感想を書くことは、勉強すること、好奇心を満たし自分の思考や知識を纏めていくことと同義です。ただし感想そのものは散文です。

 応急処置をすればまだ間に合う。根を水で綺麗に洗って、枯れていない根だけを残して株の負担を減らす、新しい土に植え替えて水をあげる。あとは再生するのを信じて待つ。水を愛に読み替えるとわりと本当に人間に対する処置と同じになります。麗奈はなんで?とありすに疑問を抱きます。いつも意地悪しているのに。自覚があるようです。この応急処置の仕方は麗奈さんが教えてくれたことだとありすは答えます。初めて出会ったそのときから麗奈の花への愛を知っていると微笑みます。
 五星ローズガーデン。ありすが話しかけます。花は自分を美しく飾ってくれる。だから大切に育てていると麗奈。ある意味潔くてカッコイイな。ありすは持っていたガザニアを出しだして見せます。元気がありません。それを見た麗奈はこのままでは枯れてしまうとありすに応急処置の仕方を教えます。ところでなんでガザニア? 正直その名前初めて聞いたんですけど、と疑問に思ったので花言葉を調べると「あなたを誇りに思う、身近の愛、潔白、きらびやか」「笑顔で答える」とのことで、なるほどありすらしい。
 その出会いから麗奈さんは自分の大切な友達だとありすは言います。
 その言葉に麗奈は、自分の気持ちを認めます。友達が欲しい。ありすに背を向けて泣きます。派手さを好む麗奈には分かりづらかったでしょうが、ありすは昔から麗奈を友達として認め接しています。それは彼女が話したように、麗奈の言葉をずっと憶え、花へ愛情を注ぐ彼女を尊敬していたことでも証明されています。この、愛情表現が人によって違うことは意識されにくい事実です。表現方法もさることながら、それを愛情だと感じる感受性、認識も大きな壁です。自閉症の人が往々にしてみせるロッキング(身体を揺らしたり壁に身体を打ち付けたりする)は普通の人からみれば異常で不気味な行動ですが、自閉症の人が感覚過敏でそのノイズを打ち消そうとするために行う対処法だと知れば受け取り方は大分異なるでしょう。人がやることには全て意味があるとは言いませんが(人は非合理的で思いつきや衝動も多い生き物なので)、その行為が何らかのシグナル、反応や要求(その背後に何かの問題が隠れている)であることは常に頭の片隅に残しておきたいことです。っていうか、この感想さっきから感想じゃなくて解説になってるな。

 「涙はね、嬉しいときにも出るんだよ


③この飛行機、ひとり乗りなんだ
 さて、こんなクドイ感想は終わり。綺麗なAパートも終わり。ここからが四葉財閥の出番です。
 セバスチャンが枯れた現象の原因を突き止めます。四葉の人工衛星が成層圏上に佇むジコチューを発見。高々度からのジャネジー攻撃。レジーナの仕業です。気配を感じなかったのもこのせい。止めないといけませんが方法が無い。ところで先ほどからやたらこの子達は肩に手を置いてますね。いいぞ、もっとやれ。
 「ひとつだけ手があります!
 知ってた。
 麗奈さんの花も必ず元に戻してくると別れを告げます。

 地下格納庫から飛行機が登場。パイロットはありす。飛行機の操縦もできるのかと初めて知る六花。きっとハッピーロボの操縦も難なくこなせると思うよ。
 マナも一緒に行きたいところですが、この飛行機は一人乗り。単独で戦場へ向かいます。これはありすの友情と愛の戦いです。離陸。残された麗奈は空高く舞い上がる一筋の雲を見つめます。
 一言だけ言いたい。色々おかしい(と友人にメールしたら、友人も同じタイミングで「いろいろ酷い」と打っていた)。


④そこに命がある限り
 成層圏に達します。目標も発見。オートパイロットオン。キャノピーが飛んで脱出、ってお前どうやって帰る気だよ。変身。
 ジコチューに飛び降ります。レジーナは来たのは黄色かと落胆。割とメタな発言のような気もします。人間は花を見ると元気になる。何故だと思うか。知らないと答えるレジーナにロゼッタは「そこに命があるからです!」と決然と言います。先ほど応急処置を施した若葉を見せます。
 「花は枯れ果て、残ったのは小さな葉っぱだけです。でも…それでも、必死に生きようとしています。その姿は花と同じくらい美しいと思いませんか?
 たぶん、必死に生きているという意味ではレジーナも一緒だ。枯れたり、栄養剤を入れられたり、当て枝をされたりしながら人も生きている。
 「レジーナさんの中には美しいものを素直に美しいと感じる心があるはずです
 「私はそう信じています!
 王女を見たときにレジーナは綺麗な人だと言っていたし、歌や花を枯らせようとするのもそれらが人間に何らかの影響を与えると知っているからです。前回彼女は人の心は強いことを認めています。彼女の感受性は我々と異なるものではありません。
 「受け取って下さい! この愛を!
 瞳の色が青に戻りかけます。頭を振ってわき出る感情を抑え込むとそのまま戦闘突入。

 植木鉢を守りながら戦うのは不利。攻撃を受けてロゼッタは地上目がけて落下。心中でロゼッタは麗奈に詫びます。コスモスの花言葉は乙女の純真、真心。
 「(そこに命がある限り、諦めては、いけません)」
 プリキュアが始まった当初、それは戦う少女の生命力や友情の力を証明するものとして発せられていました。しかし今はそれだけではありません。戦う相手のために発せられる言葉へと変わっています。自分の命を燃やすのは当然として、相手の命にもその火を灯したい。

 ロゼッタの背中に羽が生えます。ハート達が駆けつけます。麗奈が飛行機を使って輸送したようです。どうやら麗奈に事情を説明したらしく麗奈はロゼッタがありすであることを知っています。友のためなら世界の果てまでも飛べる。切替え速ぇ。金持ちは中学生で飛行機の操縦免許を取る決まりでもあるのでしょうか。それはそれとして、麗奈さんはきっと「何十年も経って、あなたがダイアモンドプリンセスからダイアモンドクイーンになったころ、きっと私、アメリカ大統領夫人になっている」みたいなこと言いそう。ちなみに私はこのセリフが大好きです。誇りと敬意が同時に表された名言だと思います。
 麗奈にお礼を言うありす。麗奈は自分の過ちと気持ちを素直に認めます。意地悪していたのは友達になりたかったから。ありすは最初から受け入れてくれていた。麗奈は泣きながらハート達に友達を託します。矜持を持つ人はかっこいい。

 レジーナはマナを呼びます。話しを聞いてくれる? 喜んで傍によると攻撃をしかけてきます。バリアでガード。
 戦闘再開。ロゼッタを庇うダイヤが超イケメン。もしかしたらりつありには無限の可能性が…!
 などとどうでもいいことを考えていたら、エースがルージュを構えてレジーナに接近戦を仕掛けます。おい。それそういう武器じゃねーだろ。武闘派のエースさんはブレない。でも返り討ち。ジコチューも弾岩爆花散(このネタ30代にしか通じねー)を使ってプリキュアに範囲攻撃。
 追撃で繰り出される特大の種をバリアでガード。エースがそれ以上力を使い続けると生命エネルギーまで失われてしまうと危惧します。なにそれ。そんなあぶねーことできるの? オーラブレードみたいにひょろひょろになったりするんでしょうか(ダイの大冒険ネタ好きだな)。
 守るだけで何も出来ないと皮肉るレジーナ。あぐらかいているの可愛い。
 「花はそこにあるだけで、人々を笑顔にします
 「マナちゃんや麗奈さん達は、私にとって花と同じ。ならば私に出来ることは、全力で、その花を守り抜くことです!
 彼女は六花のように守るために攻撃するタイプではなく、守るために守る人です。サポートしたり居心地のいい場所を作ったり常に他者との関係や距離を調整して快適な場を作っている。それは当初から全くブレずに続いてます。それが彼女の愛情表現で、伝え方なのだと思います。前回の真琴の歌、今回のありすとそれぞれの愛情表現、伝え方、愛の継続のさせ方をハッキリと示しているのには大きな意味があります。
 「そして、レジーナさんも守るべき花の一つなのです!
 人それぞれに、それぞれの愛し方、意思があり、誇りがある。決してこの世界は誰か一人の愛だけで成り立っているわけではないし、愛が一つだけと限らない。パイの取り合いをしなくても、その愛は自分達で生み出していけるのだとこの物語は示しつつあります。愛は創造である。

 レジーナにコスモスの花言葉を贈るロゼッタ。
 「その心は愛に溢れています
 特大サイズのバリア。その力を受けて、コスモスの芽は急速に成長して花を咲かせます。レジーナの黒いプシュケーに光の芽が生まれます。この描写上手いな~。ジコチューの種は割れて無くなります。最大火力で浄化。


 街に花が戻ります。サラリーマンが一番喜んでいそう。
 お互いに花を交換しあうありすと麗奈。赤いバラの花言葉は「情熱」「愛情」だそうでこれも分かりやすい。
 ありすは新しい夢を持つことが出来たと言います。漠然と人々の笑顔を守りたいと考えていたけど、大いなる愛の力が必要。か弱くてもそこにいるだけで人々を笑顔にする花のような存在を愛の力で守り抜く。そのために四葉財閥をさらに大きく育てていく。次期当主の決意にセバスチャンは感激して涙を流します。愛の力なのか金の力なのかは分かりませんが、これで四葉財閥は安泰。
 いつか愛の力でレジーナを。物語は佳境へ。


⑤次回予告
 そう思っていた時期が私にもありました。


○トピック
 毎週、本編を見るとああ最終決戦近いんだな~と思わされるのに、次回予告が全くそんな気配を見せないのはどういうことだ。

 一発キャラかと思っていた麗奈の再登場と仲直り、将来に対しての能動的な捉え方、レジーナの愛の芽吹きと色んな要素が1話に詰まった美しい回。
 前回今回とやっていることのポイントは、個々人が信頼と愛情を持ちそれをレジーナに伝えることです。これはとても重要なことです。マナ達の友情関係がとても高い自立と依存のバランスによって成り立っていることはこれまで触れてきましたが、そうした安定した関係性は安定した愛情や信頼によって形成されます。マナ以外のメンバーにも能動的で安定した愛情があることは、愛情が一過性だったりムラがあるようなものではなく、安定していてまたそれが多くの人が持つ力であることを示す点でも意味があります。
 人の肯定感、自尊心とは深い愛情と質の高い人間関係によって育まれます。その信頼感は他者に接するときの前提になります。身も蓋もなく言えば、人を愛するには人から愛された経験がないとできない。しかもその愛し方は人それぞれで必ずしも同じとは限りません。積極的な愛情、受動的な愛情、歌、花、言葉、行為。多様な形を取る。こうした愛情表現を通してレジーナは自分が人に受け入れられている、父だけが愛を持ち、父とだけの愛が全てではないことに少しずつ触れています。
 これは麗奈のようにすでに愛されているのにそれに気づいていない、という場合もあり得ます。しかし愛情を持っていても相手に伝わらなければ自己満足です。ありすはその意味で積極性に欠け、麗奈に適切に伝えることが出来ていませんでした。誤解の無いように言いますが、麗奈とありすどちらが悪いかを問題にしているのではありません。人の想いとは複雑で駆け引きになってしまいがちで、取り違えも多くあります。ありすが自分の言葉や行為で気持ちを伝えることで意思の強さと責任が生まれ、その愛情が本当に伝わるのかが確かめられます。そうすることでありす自身さらに前進していけるようになるでしょう。そしてそれは麗奈の人生にも多くの恩恵を与えていくでしょう。ありすが父の会社を継ぐことに積極的になったのは、彼女が自ら伝え、与えることの意味と責任を知ったからです。
 人の愛情は人から愛されることで育つ。愛情表現をより洗練した形にする。一人一人がその意識と行動力を持つ。多様な愛情表現、それを示す感受性を肯定する。人は愛によって互いに進んでいく。これらを示すことがおそらくこの最終個人回の目的です。

 マナだけに愛を貰ってもそれは意味が無いのです。マナかパパかという引っ張り合いにしかならない。そうではなく、他者一般、より広く、多様な愛情で世界が満たされていて、自分もまたその温もりを感じているのだと知ってこそ本当の意味で生きることの勇気と希望、人への信頼が獲得されるのだと私は思っています。勿論これは最終ステップであって、最初は特定の人との深く緊密な愛情関係が望ましい。とっかえひっかえでは人の愛着感情は育たない。なんかもうこの感想、発達心理学とか子育てについての話しになっちゃってますが、ある種レジーナの育て直しがメインなのでそれを軸に据えた話しをしています。子を育てるには、その親がちゃんと育っていないと難しい。これ、実は現代の大きな課題です。マナ達の自立と関係性がこのような形で発揮されようとは予想だにしていませんでしたが、興味深いテーマに挑んだと思います。これだからプリキュアは面白い。

[ 2013年11月24日 16:08 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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