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第40話「とどけたい思い!まこぴー新曲発表!」

○今週の出来事
①信じる、ということの根拠と効用

 神器を手にしたレジーナに、ベールはジコチューではないのではないか?と疑問を抱きます。キュアエースに不可解な点があるように、レジーナにも謎がある。レジーナに焼きそばパン買ってきてと命令されて思考は中断。「やっぱジコチューだわ~」。この人は最後まで三枚目ポジションでしょうね。

 OPは通常営業。

 想定外の事態に亜久里は危機感を強めます。レジーナを倒して神器を取り戻す。彼女はレジーナに対して個人的な関係がないのでシビアです。レジーナとは戦わないとマナは異を唱えます。口にこそ出しませんが六花達も同じでしょう。悪い心を植え付けられているだけだとレジーナを弁護。
 エースショットでも浄化できなかった、キングジコチューの娘、愛無き者と心を通わせられない。そう答える亜久里をマナは制します。「そこだよ」
 「レジーナはパパが好きだって言ってた。心の底からパパのことを信じてた。それってレジーナにも愛があるってことじゃない?

 いいね、実にいい。ストレートに持ってくるのはプリキュアらしい。マナが前回やったこと、今でもやろうとしていることは愛の強制に近い。レジーナと寄りを戻したい。それ自体はいい。だがそれがレジーナの心をどんなにかき乱したり、より危険な環境に置きかねないことを彼女は理解していない。その意味でマナは自己中心的です。元々彼女はこうだと決めたら深く考えずに突っ走る傾向があるので、これは彼女の性格傾向そのままだと言えます。しかしマナの長所は出たとこ勝負になったとしても、その場で状況判断が的確に行える点です。今後レジーナに関しての情報が開示されればそれに合せて彼女は行動していくだろうと思います。前置きが長くなりましたが、マナがそうした柔軟性を持つのは粘り強く、根本的な部分で人を信頼しているからです。学園祭のときもそうでしたが彼女は人それぞれに強さと力、判断力を持っていると考えている。レジーナに対しても人を愛することができると思っている。この信頼感は彼女のコミュニケーション、他者との関わり方全般に影響を与えています。
 愛とジコチューは地続きで、断絶しているわけではありません。しかし後者はややもすると他者をコントロールや支配することで自分の希望を叶えたり不安を消そうとすることがあるのに対して、前者は人を信頼して託すことができます。簡単に言えば手助けするのが愛、利用するのがジコチュー。マナはレジーナと友達になりたい、彼女を笑顔にしたいと考えているでしょう。亜久里は自分の都合に沿わない状況を見るとそれを(力を使ってでも)矯正しようとする傾向があるので、私からすると亜久里の方がジコチュー的な素養が強いと感じます。愛は行為や結果によって証明されるものではありますが、それを成すには他者への信頼、自己の限界、境界を理解していることが大きな要因になります。信頼の無い愛はコントロール(支配)でしかありません。

 愛があれば想いは伝わる。そう信じていると語るマナ。彼女に気圧されてか、亜久里はこの件については保留にすると話しを打ち切ります。


 車の中で、ダビィは亜久里は槍を奪われたことに責任を感じていたようだと真琴に話しかけます。亜久里の心情を察する真琴。前は気ばかり焦っていたと自分を振り返ります。対照的にブレないマナに信頼感や納得感を抱きます。今では真琴もマナに全幅の信頼を寄せています。彼女の意思の強さ、実行力は真琴にとって羨ましくあり自分に欠けたものだと感じているかもしれません。番組開始からこれまで一番変化があったのは真琴です。しかしそれは彼女の柔軟性、許容力、理解力の高さを示すものでもあります。王女にしか関心を持たず、人の気持ちを理解するのに疎かった彼女は今では亜久里と自分を冷静に見つめ、レジーナを許容し、マナを認めるに至っています。レジーナを信じてみたい。では、信じるとはどういうことか、なにをすればそれを表現し、伝えることができるのか。これが今週の(おそらく今週から始まる個人回の)お題です。


 ヨツバミュージック。はいはい、四葉、四葉。
 真琴が事務所に行くとハルナが紙袋いっぱいになった手紙をよこします。ファンレター。ぶっきらぼうに話すハルナ。彼女宛だと勘違いした真琴が凄いと答えるとあんたのだ、と押しつけられます。久々の登場のハルナさん。以前真琴の人気に嫉妬したアイドルです。おそらく人気は今でも真琴の方が上なのでしょうが、変に根に持ったりはしていないようです。真琴の無自覚ぶりに若干イラっと来ているかもしれませんけど。次回もそうですが、初期の頃に出てきた人が再登場して絡んでくるのはいいですね。彼女達もあれからちょっと変わったということなのでしょう。
 返事を書く暇がないと話す真琴に、自分はちゃんと書いているとプロ意識を見せるハルナ。いや絶対量が、と思わないでもないですが、ハルナからすればプロ意識では決して真琴に負けていないという自負はあるのでしょう。しかしそれ以上つっかからず「あんたには歌があるでしょう?」と水を向けます。それはアイドルとしてのチャンスや舞台を勝ち取る真琴への賞賛、彼女自身の敗北宣言であるかもしれません。この子は人気は出ないかもしれないけど、人に好かれる(信頼される)人になるような気がします。まあ、引け目を敵愾心や嫉妬に換えて糧にするのも一つの成長方法なので変に丸くなるのもそれはそれでこの業界では良いことと言えないかもしれませんが。余談になりますが自己愛性パーソナリティの傾向が強い人がビジネス面で成功することが少なくないのは、彼らの持つ動機が彼ら自身を向上させるからです。
 真琴は目を輝かせるとハルナにお礼を言って部屋を出て行きます。ちなみにダビィが後ろで話しているのはその新曲関連でしょうか。

 真琴が住んでいるマンション。実は本編初登場。いやーてっきり住む場所なくて事務所に寝泊まりしているのかと思ってました。真琴を気遣ったダビィがココアを出します。短いシーンですが彼女達の生活が垣間見えます。


 トランプ王国。神器を手に入れたレジーナを褒めるキングジコチュー。一気に人間界を攻め滅ぼせと命令。レジーナはまず人間達の心を弱らせると言います。例えば歌を使って。


②君を信じる。ために歌う。
 学校。居眠りする真琴。「おはよう」「おはようございます」「よく眠れたか」「おかげさまで」「そりゃ何よりだな」「どうも」「ところでな」「はい!」「放課後居残りな」「はい…」。会話のテンポいいなぁ。放課後も居眠り。
 様子をうかがっていたマナはどうしたのかと心配。早速六花が調査。「その道のプロに訊くのよ」「その道?」「どの道?」「どうやら真琴さんはお仕事でお悩みのようです」「あー、この道か」。相変わらずプライバシーというものが存在しない四葉財閥。ちなみにマナ達が居るのは四葉図書館。もうこの街の名前大貝町じゃなくて四葉町でいいんじゃね? 他のプリキュアと縄張り被るかもしれないけど。
 新曲を作っているのだけど、このように煮詰まっているとありすが案内。「煮詰まるというか、煮崩れているね」「使い方違うわよ」。会話のテンポいいなぁ。
 悩んでいる真琴に話しかけます。

 レジーナのために歌を作ろうとしているようです。彼女なりの伝え方。マナはみんなで考えようと話しに乗ります。レジーナに対してみんな無関係ではありません。影に隠れて聞き耳を立てる亜久里。どうやら話しに入るタイミングを逸したようです。冒頭のやり取りからいっても入りにくいわな。ダビィが声をかけます。そのまま連行。ナイスアシスト。
 何だかんだ言って亜久里も真琴の歌を訊いていることが判明。前に酷評したりと真琴個人に厳しかったことがあるので、ちょっと言いにくい部分ではあります。真琴は素直に喜んでサインあげると言います。それを訊いたマナも欲しがります。どうやら今までサインもらい損ねていたようです。そんなやり取りを亜久里とありすは目配せしながら笑います。ありすの対人スキルと安定感は異常。

 彼女達の協力の甲斐(一部騒音有り)もあって、新曲完成。

 事務所の社長に聴いて貰います。発表会の日取りも決まります。


 ステージ衣装を着る真琴。スタッフロールに出てはいませんが、この衣装は幼年誌で募集したものだそうです。ハートキャッチのときにもそんな話しがありましたね。自分の歌が本当に届くか心配する真琴をダビィが支えます。
 マナの寝坊のせいで駆け足の六花と亜久里。ありすが車で現われます。きっとこの街の信号はピンクのリムジンをスルーするように出来ている。

 「こころをこめて」。真琴の新曲を楽しみに待つファン。この曲はすでに出ている真琴のキャラソンに収録されているようです。客入りは上々。社長はイベントが成功すれば事務所が大きくなると野心をくすぐられます。そこにレジーナが現われます。

 キュアソード単独変身。
 CD買ってよ~とジコチューがCD投げてきます。「初回特典つけるから~!」これ大丈夫なんでしょうか。大人の事情的に。容赦なくCDかち割って優勢に戦闘を進めます。レジーナが拍手。常に傍らに槍があるのがカッコイイな。マナが居ないと知ると、暇つぶし代わりに攻撃をしかけます。
 槍から光波を飛ばしてきます。斬撃、連弾と使い方自在。ソードが躱すことに専念して意識が向いている隙を突いて投擲。続いてタイツのコウモリ模様を手裏剣にして蹴り出します。壁に磔になるソード。レジーナの戦い方面白い。地面に突き立った槍に着地。なにそれカッコイイ。
 あなたと戦いたくないと叫ぶソード。しかしレジーナにとってプリキュアは邪魔。ジコチューが動くのと同時にエースの捕縛技発動。仲間が駆けつけます。ところがイーラとマーモも参戦。戦力は五分五分。
 ハートはこのステージがレジーナのためのものであると訴えかけます。しかし「そんなの知らない」ととりつく島もない。戦闘再開。レジーナも槍を構えて戦闘に加わります。ここの動きすげぇかっこいい。槍は見栄えします。ソードは伝えたい相手であるレジーナがすぐ傍にいることに気づきます。この状態でもやれることはある。


 「握手券つけるから~」。もうCD売らなくていいんじゃね?
 会場に音楽が流れます。捕まっていたソードは変身を解き、ステージ衣装に。ダビィがセッティング。インカムを真琴に付けさせます。真琴は歌い始めます。超展開。スイート映画のメフィストを思い出します。真琴が歌で愛を表現しようとした背景には、彼女が王女に歌で伝えようとしていた以前の経験があります。あれは真琴にとって絶望的な戦いでした。自分の歌が本当に届いているのか分からないまま一縷の望みをかけて自分の存在を示し続ける孤独な戦いでした。24話でそれが確かめられたとき、彼女は疑心暗鬼から解放されるとともに、自分が無力でないこと、困難であっても可能性があること、信頼と自信を得たのだと思います。これは何も歌だけでなく、様々なもの、様々な人にも当てはまります。友達に向けて、恋人に向けて、子どもに向けて、親に向けて、あらゆる方法で人は自分の存在を主張し認められたいと思っている。中にはその方法が間違っていることもあるし、中には通じない相手もいます。だから人はそこで傷ついたり、諦めたり、従わせようともがき苦しむ。傷つき諦めようとしたのがスイートだったし、従わせようとするのが本作。近年のプリキュアは、この孤独を埋めようとする戦いを舞台にしています。皮肉にもこの戦いを通じて人は信頼や愛を芽生えさせていきます。本作の愛は自己愛を基礎に置いた相互形成による愛です。私とあなたが通じ合えた(なんらかの影響を与え、受けたことが双方で分かる)ときに人は愛を感じる。その体験が無い人は、愛は異なった形態で存在すると思っているかもしれません(共依存に多い)。

 真琴の歌を訊いたレジーナは違和感を抱きます。内から響く鼓動。真琴の戒めが解けます。真琴はレジーナに向かって歩き出します。ちなみに明らかに作画のトーンが変わっています。このアニメ、良くも悪くも作画リソースの使い方がフリーダム。
 ジコチューも力が弱まっている様子。
 「胸が…チリチリする…」
 私は真琴の肩胛骨にドキドキします。

 胸打つ鼓動。はい、ここで真琴を360度回転。これきっと描く側からすると大変なカットなんだろうなぁ。こんな演出をやる人はプリキュアでは限られています。またお前か。真琴の歌にえも言われぬ感覚を覚えたレジーナは、それを消そうと部下達に命じます。真っ直ぐに歩き続ける真琴をハート達が護衛。ここのシーンのアクションすげぇ。手前でダイヤが戦い、引き継ぐようにロゼッタが奥でマーモと交戦。動きが中国拳法っぽい。プリキュアはときどき謎拳法を戦闘に取り入れるのが特徴。しかも何故か黄色がやることが多い。ハートとエースがジコチューをフルボッコ。プリキュア流のバックダンス。

 突出された槍を真琴は素手で掴み取ります。歌いながら変身。最終回かというくらい気合い入ってます。EDでは恒例のインカム装着ソードが本編でお披露目。突出された槍の代わりにソードは手を差し伸べてレジーナに温もりを伝えます。氷が溶けるようにレジーナの表情が和らいきます。しかし突然手を振り払うと短い悲鳴を上げてソードの頬を打ち付けます。ここの描写もゾクゾクくるところです。感情が高まると、色々なことが想起されます。それは矛盾するような感情だったり、不安だったり、否定だったり、苛立ちや怒りであることもあります。正直に言うとレジーナが今何を想ったのか私には分かりません(レジーナ自身分からないはずです)。しかしこうした感情のぶり返し、混乱、錯綜、反発はあり得るだろうと思います。カウンセラーの治療中に患者が取り乱すことがあるように。それはそれだけその人の内面に響いたということの現れでもあります。だから治療中に患者が一時的な退行現象を起こすこともあります。
 飛び退いたレジーナは槍を構えて発射態勢。


③親を信じる。ために売る。
 攻撃を予期したエースは逃げろと指示しますが、ハートは逃げないと言います。レジーナを信じているから。頷くソード。ダイヤ、ロゼッタも続きます。これはレジーナが攻撃をしないという意味でなく、レジーナを受け止めるという意思表示ですね。愛をもって殴るのなら、相手の拳もまた受け止めよう。こぶしパンチ理論使いやすいなぁ。
 4人の胸から光りが伸びてレジーナの攻撃は消滅。新しいラビーズが生まれます。ここにいたって新商品とパワーアップ。
 「きゅぴらぱ、きゅぴらぱ、ぷっぷー」

 単品定価8,715円で打ち切りだと思った? ざ~んねん、追加課金しないと全部の機能使えませ~ん!という商業主義的鬼畜ぶりを発揮。アイカツやジュエルペットといった競合作品と戦い抜くためにも親の財布を常に引きつけておかなければなりません。「アイカツ買ったからプリキュアはまた今度」とは言わせない。だったら、これをこっち側に持ってくれば良い。
 パッドがハープ型の玩具に早変わり。多機能性を褒めるべきか、コンセプトのブレっぷりを指摘するべきか悩んでしまいます。もはや鏡であった原型も、パッドという名前も全く関係ない。進化っていうか、明らかに別物。
 プリキュアも羽が生えます。位置づけ的にはハートキャッチオーケストラとかプリンセスフォームかな。一人だけ航空機の羽が生えている、というようなことはありません。ロゼッタはバレエのポーズっぽくて可憐。

 パッドの真の力(課金後)。ハートは意を決すると必殺技を撃ち込みます。
 「プリキュア! ロイヤルラブリーストレートフラッシュ!
 あ、ここでロイヤル使っちゃうんだ。てっきり最終回かと思ってた。レジーナは回避。ジコチュー的にはオーバーキル。


 真琴はマナに謝ります。歌がレジーナに届かなかった。
 「いいえ
 レジーナの心は震えていた。自分にはそう見えた。真琴にインカムを手渡しながら、亜久里はレジーナには確かに愛する心があるのかもしれないと自分の考えを改めます。人を愛するには相手に愛があることを知って(信じて)いなければならない、と言えば卑屈で皮肉が過ぎるでしょうか。人は知らないことに対して過剰なほど警戒することがあるわりに無知で無思慮です。しかしそれを学び改めることができるのも確かです。
 自分達の想いは伝わるのか。それはレジーナを幸せにするのか。物語は佳境へ。


④次回予告
 そう思っていた時期が私にもありました。


○トピック
 レジーナが再稼働した矢先に真琴の新曲発表という先週の次回予告だったので、どうなるかと思っていたら真面目に来ました。と思っていたら次回予告で宇宙に行っていた。相変わらずこのアニメは次回予告で本編の余韻を吹き飛ばしてくれます。


 トランプ王国を滅ぼされた真琴が、敵首領の娘であるレジーナに全力で想いを伝えようとするお話し。これは番組開始からこれまでずっと変化していった真琴の気持ちを示す点でも、レジーナを真琴達もまたマナ同様に気遣っていることを示す点でも必然性と決意があるエピソードです。

 レジーナはジコチューというよりもその犠牲者、毒になる親(スーザン・フォワードの著書名から引いてますが、毒親という語が一般化しているようです)のもとで育った子どもをモデルにしていると言えます。この問題はレジーナ個人にとどまらず、孤独で歪な愛情で育った人を信じることができるだろうか?という提起でもあり、そうした人々の回復や健全化は可能であるか?という話しでもあります。
 今のマナ達はアイちゃんにやっていたことをレジーナに対してもやっています。要はイヤイヤしているレジーナをそれでも受け入れ友達になろうとしている。赤ちゃんのイヤイヤなら大抵の人は受容し面倒を見て愛することができるでしょう。健全な成長に必要だと知識的に知っている人もいます。ところがある程度成長した少年少女、まして大人がそんなことをしていれば話しは変わります。アイツは何を言っても訊かない、信頼できない、そもそもアイツには愛情や信頼なんて無いのだ、となって距離を置くなり見捨てるでしょう。亜久里が見せた反応はまさにそうです。これが愛情に欠乏した人々をさらに孤立させ、信頼感を育てることなく人に利用され続けるという悪循環を生み出す構造にもなっています(人間関係やその認識が歪な人は他人を利用するか利用されるかという極端な形になることがあって、自立と依存を自分で調整することが困難であることがあります)。
 こうしたジコチューの有り様は、しかし周囲にも責任があります。赤ちゃんはワガママですが、では彼らがジコチューに育つかと言えば、それは親や周囲が適切な愛情を注げるかどうかというのが大きく影響する。ジコチューになるべくしてなるわけではないし、完全に環境でどうなるものでもありません(人間の性質は資質か環境かというのはとりあえず半々と見積もっておいて問題無い。要するに分からない)。レジーナ自身の責任はレジーナのものですが、彼女にどう向き合い、接し、愛するのか倒そうとするのかにはマナ達に責任がある。亜久里の主張のように敵だから、話しを訊かないから倒してもいいというのは勝手な都合です。それって要するに邪魔な奴は蹴散らしていいし、使える奴だけと仲良くすればいいっていう発想じゃないの?ってなる。この誘惑がとても魅力的で強力なものであることは言うまでもないでしょう。
 だからこそこの物語は、マナは、レジーナを信じなければなりません。一度は彼女と友達になって心を通わせたし、今でも友達と思っているのだからその責任は果たさなければならない。人を信頼するということは相手をコントロールしたり、責任を押しつけることではありません。むしろ逆で、相手と境界を設け別個の人間であると理解することです。だから厳密に言えば相手を信じることと、相手がこちらの意図に従うかは別のことです。勿論、相手を信頼するというのは、相手がこちらの話しを訊いてそれを考慮してくれるだろう、相手が変わってくれるだろうという意図が少なからずあるので厳密に相手と自分の境界や責任、感情を切り離すことはできません。しかし、信頼の基礎にあるべきは相手の自由裁量を認め、人間としての価値を認めることであり相手の感情を尊ぶことです。本当に相手を信じられるかは行動によってしか証明できません。愛と同じです。理屈ではない。行為。マナ達は今その試練を受けていることになります。これまで彼女達は様々な問題に取り組んできたわけですが、その経験が他者への信頼感や責任を培っています。適切な自立と依存、愛、信頼があってこそ人は健全な関係と自己を育てうる。っていうか、これほど高レベルな精神性をもってしてようやく共依存と向き合えるってどんだけ難易度高いんだよ。


 ドキドキもまた近年のプリキュアテーマである孤独な魂の救済を引き継いでいます。言ってしまえば人の魂は不完全だし不健康に染まりやすい。互いの努力で健全にすることもできるけど、逆に悪化させてしまうこともあるし、悪に見えることもある。そうやって人を敵か味方か、あっちかそっちかに分けたりもする。「確かに私はあなた達が嫌いでした。でも、それは間違いでした」「克服すべき敵ではなく、愛すべき友なのです!」を言えるようにひたすら走り続ける本シリーズは熱い。

[ 2013年11月17日 18:53 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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