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第39話「会いに来たよ!レジーナふたたび!」

○今週の出来事
①本物でも偽物でも大差がない岡田

 レジーナのためにたこ焼きを作るベール。ところがレジーナはタコが嫌いだそうです。タコ抜きで作り直せと指示。この辺は好き嫌いを克服した亜久里(アイちゃん)と対照的です。部屋がものすごいカラフルですが王女の部屋を改装した模様。
 悪趣味だとか愚痴たれる三幹部に無能と返すレジーナ。仕事がまるで進んでいません。三種の神器を手に入れたプリキュアは手強い。なら他の神器を手に入れたらどうだ? 実は槍の方は王宮にあります。ところが幹部達では引き抜けない。この手のものは適正者じゃないと使えないパターンですね。説明を訊いたレジーナはやっぱりお前らは無能だと罵ります。
 ベールは賭に出ます。

 映画宣伝仕様OPその4。


 ソリティア。シャドウボクシングを始めるマナ。六花が呆れながら尋ねます。なんだか強くなった気がするとマナ。真琴が腕試しにと対戦相手になって何故かストリートファイトを始めます。なんだこのノリ。っていうかお前らこの前まで赤ちゃんのお世話とか歯医者とかニンジン栽培やってただけだろ。マジカルラブリーバッドも使いこなせるようになって実力も付いてきた、雌雄を決するときかもしれないとありすと亜久里が話しに加わります。ノリ的にはラブリーパッドを手に入れた直後くらいの勢い。結構苦戦することも多かったような。パッド自体は強力ですが。
 組み手が終わり、マナも真琴もやる気十分。トランプ王国とレジーナを取り戻しに行ける! それにしてもマナのあのミニスカートで格闘するのはいかがなものかと。六花さん的には大喜びかもしれませんが。
 問題は行く方法がないこと。
 すると、ノッポさんが現われます。相変わらず胡散臭い人です。

 久々の岡田にマナ、真琴、六花が詰め寄ります。ありすは亜久里を紹介。そういえば会うのは初めてです。いつものノリで自己紹介するノッポさん。偽物の割りに演技が上手い。風の噂で知っていたと言います。いやいや、限られた関係者しか知らないだろ。
 亜久里の口から王女のことが出ると、ノッポさんは自分が来たのは王女の件についてだと言います。彼が「王女」と呼んだ件については全く気づかなかったので、ここの仕掛けはなかなかですね。マナ達の反応も見ようによっては彼に違和感を持ったように見えます。
 氷漬けになった王女を元に戻すことは出来なかったものの、その手がかりはミラクルドラゴングレイブにあると話すノッポさん。あらゆるものを貫く光の槍。これを使えば封印も解ける。お約束的で説得力はあります。じゃあ今度はその槍がどこにあるかという話しに。トランプ王国の王宮の地下にあると答えるノッポさん。そうするとやっぱりあっちに行く手段がない。
 「心配ない。僕が空間移動で連れていくよ」
 そんなこと出来たの?ともっともな疑問を浮かべるマナ。言葉に詰まったノッポさんは特訓したと言い出します。それは仕方無いな。特訓すれば空間移動くらいできるようになるわー。これ、仮に本物のノッポさんがそう言い出しても私は納得します。よくあるじゃん、最終決戦近いし。
 この辺はすんなり受け入れてトランプ王国へ行こうとすぐに話しが決まります。彼女達的にはこれに乗じてさっさと行ってしまおうという算段なのでしょう。ランスの腹の虫が鳴ります。腹が減っては戦はできぬ。「あ、それならちょうどいいものが」。ところでいつまで真琴の肩掴んでるんですかね、この人。

 たこ焼き。何故たこ焼き。何となく作りすぎたと照れ笑い。敵が作ったものですが警戒せずに食べます。真琴はやや気後れしていますが、たこ焼きが初めてなのかもしれません。
 美味しいと舌鼓。「ふくよかな小麦粉(以下略)」。意外にも亜久里からも高評価。しかし。「このたこ焼き…タコが入ってない」。最近流行の偽装表示でしょうか。コスト削減にもほどがあります。怒り心頭のランス。入れ忘れたよ、ハハと誤魔化すノッポさん。割と本物でもそんなこといいそうなのが厄介なところ。


②罠には罠で
 ということでやってきましたトランプ王国。亜久里は不思議と風の心地に懐かしさを覚えます。

 ノッポさんが王宮を差し示します。王宮の背後にはキングジコチュー。正面から行けば丸見え。そこで地下水道を使います。複雑に入り組んでいて危険だと真琴が警告を発します。するとアイちゃんがパッドを操作して地図を出します。槍の位置も表示。三種の神器同士呼び合っている。ここまで便利ならパッドでもアイちゃんの力でも空間移動とかできないんですかね? ノッポさんをあやしむ妖精達。とにかく進みます。
 途中ランスが流されたり、ノッポさんが隠し扉を開けたりして目的地に。

 広間。光の槍が地面に刺さっています。
 計画通り…!な笑みを溢すノッポさん。早く抜けと独白。ところがマナ達はこちらに鋭い視線を向けます。
 「いい加減正体を現したらどうなの? ベールさん!
 バレてました。
 最初に気づいたのは王女を呼び捨てにしたこと。本物はアンと呼びます。そもそも空間移動ができるのが怪しすぎる、エプロンが黒い、マフラーがまんまとツッコミを入れられます。そこはお約束っていうか、つっこまなところだと思うのですが容赦しません。後半は子ども向けに分かりやすいところですが、最初の証拠は彼女達の観察力を物語っています。
 犯人はあなただ!的なノリで偽物を看破する一同。ベールは苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべながら膝をついて正体を表します。いやー、てっきり「岡田になりすましたベールになりすました岡田」という線も捨てきれなかったんですけどねー。っていうかこの時点ですら本物が登場しないって、あとどのタイミングで登場するんだっていう。いっそあいつがキングジコチューってことでもいいんですが、それくらい胡散臭いか、最後の最後に役があるのかってくらいのポジションなんで。
 嘘だと知っていてここまで来た理由。
 「それは勿論、キングジコチューと、話しをつけるためよ!
 流石マナ。この物語はよく分かっている。
 「トランプ王国から手を引いて、ジコチューに変えた人達を元に戻すこと。それと、これ以上レジーナに酷いことしないって誓うこと!
 マナ達から見て、キングジコチューを倒すことは必ずしも唯一の解決策ではありません。トランプ王国復興とレジーナの安全確保が保証されればいい。まだ真偽のほどは分かりませんが、キングジコチューがレジーナの親ならばそれを倒すことは極めて困難です。現状出来うること、着地点としてこの目標を立てているマナ達は非常に現実的です。

 キングジコチュー様がそんな話しを聞き入れるはずがないと言うベール。しかしこちらにはラブリーパッドがあり今まさに槍も手に入るところ。対抗手段は整った。「どれもこれもあなたがここまで私達を案内して下さったおかげですわ」。流石黄色あくどい。トドメ刺した。「本当にありがとうございました」。俺がベールだったらマジ泣きするレベル。
 タコジコチュー召喚。プシュケーどっから持ってきたんだ。変身。


③神器が選んだ使い手
 「タコ殴りにしてやる!」。ジコチューの攻撃を躱してハート達は槍の元へ。ジコチューはエースが単独で引き受けます。片手で投げ飛ばします。今回のエースは初期並に強い。
 ジコチューがビームで反撃。エースが躱すとハート達のところに着弾。余計なことをするなとジコチューを殴るベール。とにかく槍を引き抜いて貰わないと話しが進まない。それにしてもベールは引き抜くのにセキュリティ解除が必要で、一度抜いてしまえば使えると思っているようですが、ああいうのって有資格者しか使えないんじゃないの?
 ジコチューの攻撃に晒されても傷一つ付かない槍。ハートが抜こうとしますがビクともしません、4人がかりでもダメ。プリキュアだから抜けるということではないようです。王女が使えてプリキュアが使えない。エースに試して貰いたいところ。

 ベールが不思議がっているうちに、エースがジコチューをタコ殴り。今回エースの仕事ぶりが面白い。
 「ほんっとに無能ね、あなたって」
 レジーナの声に反応するハート。エースをにらみつけるレジーナ。以前エースから受けた屈辱を忘れてないと苦々しく言います。そんな彼女の気持ちは無視してハートが飛びつきます。地面に落下。飛びつかれたときの反応が可愛い。細かいところの仕草などは以前と変わりません。
 レジーナと再会したハートは彼女に言葉をかけます。元気だったか、ご飯は食べていたか、心配していた。レジーナはため息をつくと迷惑だとハートの手を払って立ち上がります。
 「あたし、目が覚めたのよ。この世であたしを本当に思っていてくれているのはパパしかいない。あたしにはパパ一人だけなのよ
 嬉々としながら話します。恐るべき共依存の力。もはや洗脳とは言いません。子どもの親への愛情と執着、そして孤独。それをキングジコチューは巧妙に利用しています。現実的な話しをするとここまで従順になる子は少ないでしょうが、このような極端な依存、判断力の低下、自立性の後退は機能不全家族によく見られる現象です。余談ですが機能不全家族は貧富や社会的地位に関係しませんし、外部からそうだと気づかれにくかったりします。理想的な家族だと思われている家族がそうだったりもします。

 そんなことない、とレジーナの言葉を打ち消すようにダイヤとロゼッタが援護。ハートもここにいるみんなもレジーナを思いやっていると言います。もう一度ゆっくり話そう、そうすればまたわかり合えると伝えます。至近距離でビーム発射。しかしハートは片手で受けて無傷。
 「なんで平気なの?」
 「強くなったんだよあたし達。あなたに話しを訊いてもらうために
 子育てすげー。今のハートには、以前のようなレジーナの態度に困惑しただ叫ぶだけの弱々しさはありません。レジーナの声を訊き、自分の気持ちを伝え、時間をかけてでももう一度彼女とやり直そうとする意思が感じられます。決してハートはキングジコチューに操られているとか、悪い奴だとか言っていません。あくまで自分達とレジーナの関係において話しをしています。これはとても冷静でフェアな態度です。しかし後のシーンで分かりますが、レジーナにとってはそれだけの問題では済みません。

 レジーナの攻撃を躱したハートは彼女の背後に回ります。やっとあなたの隣に立つことができた!と喜ぶハート。レジーナの拳を受け止めなら、腰に手を回して抱き留める格好に。
 「あたし達と一緒に行こうレジーナ。そしてもう一度愛を取り戻そう
 なにこのジゴロ。ところがそれで終わらないところがプリキュアの怖いところ。彼女はまた同じ間違いを繰り返そうとしている。レジーナの片手を引いて「私の方に来て」と言っている限りレジーナの心の痛みは和らぐことはない。だってもう片方の手をキングジコチューが引いているのだから。
 このままレジーナがプリキュアに懐柔されてしまうと自分の首が危ないと心配するベール。ところが、言っているその隣でジコチューがエースに浄化されかかっています。淡々と仕事するエースが素敵。

 「うるさい! そうやってまたあたしを苦しめるつもりなんでしょ?
 「あたしはパパと一緒にいるときが一番幸せなの。パパの腕に抱かれていると何も考えずにいられるから……だから、あたし達の邪魔を、しないでよ!
 本来レジーナが感じている痛みや辛さは生きる上で必要なものです。それは私とあなた、人との距離、自分が受け入れられているという安心感などを構築するために必要なもので、その経験をとおして人はより自立的に、より依存的に、その両方を育てていきます。ところがその経験を奪ってしまう、育てないまま過ごしてしまう環境というのが存在します。
 レジーナのジャネジーによってジコチューが強化されます。純粋で未熟な願いがジャネジーを高める。ジコチューとは一言で言えば未熟さです。得たい、したい、別れがたい。得られないものを得ようとし、できないことをしようとし、別れなければならない者と別れようとしない(映画版を参照されたし)。またその手続きを不当で未熟な手法によってなそうとする。もしかしたらちゃんと手続きを踏めば望む結果を得ることができるかもしれないのに、そうすることをやめてしまう、現実に対する諦めや思考停止が背景にあります。
 プリキュアが戦わなければならないのはこうした思考であり、成さなければならないのはこれを乗り越えた先のビジョンを示すことです。

 無分別に攻撃を始めるジコチュー。レジーナはハートの声を拒みます。
 ジコチューを倒すことを優先。
 「集合! ハートダイナマイト!
 いつ登場するのかと思ったらここで。ダイナマイトというくらいだから爆発するのかと思えば、メロメロにするだけ。てっきりハートが相手に抱きついて自爆するのかと思ってたんですが。いつもどおりストレートフラッシュで仕留めます。

 余波を受けてレジーナが地面に着地。エースがどんなに憎まれようと拒まれようとキュアハートはあなたを思い続ける。それが彼女の愛だと伝えます。本来の、普通の在り方ならそれは正しいことだったでしょう。能力の多寡、条件に関わることなく自分の価値を普遍的に認めてくれる愛情があると、人は一種の無根拠な信頼感と楽観を持つことが出来ます。逆に条件や気分次第で受け入れられたり拒まれたりするとこの世は不安定で頼りなく、常に結果や他者との結びつきを担保としなければならないような不安感を抱くことがあります。レジーナの場合は元々環境が安定していないこと、本来彼女が悩み決断していかなければならないことをキングジコチューが肩代わりして彼女から判断力を奪い依存を強めたことなどが蓄積され彼女の考えや感じ方がいびつな方向に進んでいます。
 「そんなの知らない。パパには私しかいない。私がいなくなったらパパは独りぼっちになっちゃう
 レジーナの傍らに立つ槍が彼女の声に反応して輝きます。
 「だから、パパは、私が絶対に守ってみせる!
 素晴らしい。これほどの戦慄とゾクゾク感は22話以来だ。この物語はよく分かっている。歪んでしまった愛情、歪んでしまった家族。こうした人達にとって親しい人との関係は自己と不可分となる。レジーナの言葉は自分の不安の裏返し(投影)であるかもしれません。しかし自分の親を独りにしたくないと考えることは幼い子でも、いえ、幼いからこそ切実で現実の問題になり得ます。自分がいなければ親が傷ついてしまう。親を守るために子どもが必死になる。子どもが親の親になってしまう。本来あるべき親の責任までが子どもに圧しかかる。虐待する親を子どもが庇うことがあるのはそのためです。この物語はレジーナの立場で、レジーナの気持ちを正面からぶつけています。マジぱねぇ。34話で六花が自分のせいで母が親失格だと責任を感じたことに罪悪感を抱いたことと基本的には同じ事です。相手の気持ちをくみ取りそれを自分の責任だと錯覚してしまう(本来そのような責任を持つ必要は全くありませんが、他者との境界が曖昧なためそう思い込む)。プリキュアがどの層をターゲットにしているのかが見て取……やり過ぎだよ! ほんと、これどこまでやるの? これをやり抜くのだとしたら私は泣いて喜びます。槍抜く→やりぬく。なるほど(絶対関係ない)。

 光の槍を引き抜くレジーナ。黄金の輝きが黒く染まります。
 プリキュアは邪魔。これもまた彼女にとってもっともな帰結です。槍を構えて先端からビームを撃ち出します。もう槍とか関係ねー。ディバインバスターですか。槍が外国語でしゃべりだしたらどうしょう。
 バリアでガード。5人がかりで防御を固めますが圧されています。三種の神器は伊達じゃない。っていうか、闇を打ち払うためにプリキュアが使っていた武器が闇に染まってどうするんだよ。なるほどだからメランは大事に保管していたのか。染まらないように。王女とレジーナを使用者に選ぶとか槍のストライクゾーンどうなっているんだ。
 あなたに気持ちを届けるまで諦めない!と叫ぶハートの声に反応したのか、パッドが自動起動。アイちゃんが操作してプリキュアを元の世界に転送します。今後パッドを使えば空間移動出来そう。

 キングジコチューを守護するレジーナと神器。物語は佳境へ。


④次回予告
 そう思っていた時期が私にもありました。


○トピック
 ガッツポーズ! それが私の気持ち。ゾクゾクします。

 レジーナどんだけ業背負ってんだよ。ってくらいに彼女が出てくると一気に話しが進みます。端的に言って、レジーナは機能不全家族の元に居ます。アルコール依存や虐待、いき過ぎた過保護あるいは放任な親が子育てする家庭では共依存的な性格形成がなされます。共依存と訊くと互いに依存しあっているように聞こえますが、現在ではその人が対人関係に対して依存的であるという意味でも使われています。要は共依存とは適度な自己愛、信頼、自立、依存が育たず偏った人間関係が身についてしまった状態だと思えば話しが早いでしょうか。レジーナの独白は幼い子どもが抱きうる苦悩であり真剣な気持ちです。何度も述べているようにレジーナ自身の心性はニュートラルで純粋無垢です。彼女があのような動機と態度に出るのは環境による影響が非常に大きい。どのような親であれ子どもにとって親から引きはがされることは怖く不安なことですし、親が悪く言われることを嫌います。プリキュアがやろうとしたことはレジーナを親から引き剥がそうとすることで、彼女がこれに強く反発するのは当然ことです。機能不全の環境下で生き抜くためにはああ考え戦うしかありません。22話と比べてより一層レジーナは父親との結びつきが強まっています。これをガチで持ってくるプリキュアがやべぇ。でも、そこにシビれます。

 最早この戦いは自分勝手な自己中をどうにかするとか、トランプ王国復興だとかは些末な問題です。ジコチューという人の未熟さ、身勝手さが招く業、世代を越えて受け継がれる(歪んだ)愛を議題に乗せています。共依存は世代継承される傾向があります(実際には機能不全家族で育ったとしてもその人が必ずしも虐待などの機能不全を起こすわけではありません。が、それなりの割合で継承される)。映画が世代を超えて受け継がれる愛をテーマにしていましたが、それと見事に対をなす対比です。プリキュアがレジーナに対して愛情や友情を唱えれば唱えるほど彼女は親との結びつきを強めようと躍起になるでしょう。これどうする気だよ。


 何故共依存が継承されてしまうのか、親から酷い目に遭わされたのに何故自分も同じことを繰り返してしまうのか、あるいはダメ人間をパートナーにしてしまうのか、というのが不思議で私自身感覚的に実感出来ません。しかし彼らの立場に立って想像するなり関連した本を読むと僅かながらもその断片が見えてきます。彼らには根本的な信頼感や安心感が欠けているため自尊心や自信に欠け常に漠然とした不安を抱えています。それは言いしれぬ不満の源泉となります(これが怒りや支配へと繋がる)。同時に不安定で依存的な人間関係に適応した処世術と考え方が染みついているので、その環境を無意識に繰り返してしまうのだろうと考えられます。人は自分が慣れ親しんだ環境ややり方を変えたくありません。変えること自体がリスクや不安を伴いますし、まるで自分が間違っていたかのように感じたりする(特に人に指摘されて直すのは抵抗を感じる)。それに加え、一般論で言うところの正しい愛情、人との接し方が分からないのだろうと思います。私は集団に溶け込んだり距離を詰めていくことに強い抵抗があります。そこから察するに、深く染みこんだ処世術や対人対応力はその人の行動と感情を強く制限すると考えられます。
 また、暴力をとおして人との愛着、結びつきを感じていることもあるし、無責任なパートナーを「赦す」ことで自分の存在感、全能感、自信を感じるということもあります。愛情は無償で得られるものではなく、何かの代価、あるいはものすごく気分的なものと意識されていることが多いようです。見方を変えれば人間の適応力は恐ろしいくらい柔軟であらゆることを正当化(恒常化)させる力があります。一度染みついたものを完全に払拭することはおそらく不可能です。

 このように人間というのはとても面倒臭い生き物です。断っておくと私は共依存の人達を見せしめにしようだとか批判する意図はありません。私の興味は常に「人とはどんな生き物か」にあります。ひいては自分はどんな存在か、そしてその生を楽しむことに転化する。人間の善し悪しなんてどうでもいい。重要なのは、人にはその生を素晴らしいものにすることができる力があるということを証明することです。その力を自分が持っているのか、みんな持っているのか、条件があるのかそれは知らない。それを証明するのが人それぞれに課された使命だと思っている。単純に言えば、人間として生まれたんだから、人間として頑張ってみようぜって話しですね。救われる人には何かしら理由があるのかもしれない。それを知りたいっていう好奇心。この感想はそのためのメモですし、プリキュアはその優れたテキストです。
 この物語がどこまで突っ走るのか、ほんとに楽しみ。

[ 2013年11月10日 15:45 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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