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劇場版 魔法少女まどかマギカ叛逆の物語

 初めに言っておくと、全然感想まとまってないです。ダラダラ書いてます。映画はTV版や前作映画から話しを続ければこうなるなーという印象。普通に考えて、この結末だとファンを減らすんじゃないの?と思うんだけど、敢えてそれをやったのは野心的だと思います。ただ個人的にはもっとその先が見たかったかな。
 映画の構成は起承転結に、綺麗に4つのパートから成り立っています。

1.コレジャナイまどマギ
 何事もなかったかのように5人でナイトメアという敵と戦うパート。ノリ的にはプリキュアとか戦隊もののパロディ。変身シーンがすげぇかったるくて2人目の時点で早送りにしてくれないかなって思ったくらい。変身シーンてそれ用のセンスっつーかフォーマットが必要なんだなと再認識。
 このパートは観客を「ポカーン」とさせるのが狙い。作中のほむらのように違和感を持たせる部分でもあり、この世界が一種のユートピア(実際はディストピア)であるという場面。

2.犯人はこの中にいる!
 何者かが彼女達を閉じ込めている。犯人探しパート。
 ほむらが真っ先に杏子に相談しに行っているなど、この映画のほむらはまどか命に違いはないのだけど、他の魔法少女に対してもコミュニケートしていて、比較的視野が広い。これは後々彼女の行動にも表れる。
 マミさんとのバトルは本作の見所。まあ、ガン=カタなわけですが。マミさんどころかさやかにすら欠点指摘されてて吹いた。便利すぎて読まれると逆に自分の首締めるよね、あの能力。

3.犯人は私でした。
 実はほむらが見ていた願望の世界でした、というのは最初から分かっていたというか、そもそも全部知っているのあんただけだろ。さやかは意外でしたが、死んだはずの彼女が登場する理由付けは上手い。早い話しまどかの使いっ走りですね。良く言えば天使なんでしょうけど。単純に言って、さやかのポジションにほむらが収まればそれで落ち着くっちゃ落ち着くのだけど、まどかの本音を知ってしまった以上ほむらとしてはお迎えを待つわけにはいかない。
 ほむらが魔女化するのを直前で保持。キュウベェ的にはこれがどうなるか実験しつつ、まどか(円環の理システム)を解明する手がかりを掴む。ほむらはそれが嫌なので永遠に魔女になり続けることを選ぶが、さやか達他の魔法少女の介入もありまどか降臨。ほむらが成仏すれば、これからはずっとまどかと一緒だね、めでたしめでたしEND。って思った人もいるようですが、いや、それだと全然叛逆してませんから。
 ここのアクションシーンは正直微妙。新技や大技があるわけでもなく、ただひらすらごちゃごちゃしてたなーというイメージ。この映画はアクションに関して(2時間という長丁場に比して)あまり見所がない。さやかがスタンド出してたのには友人と爆笑でした。その後、ほむらに引っ込められてさらに爆笑した。

4.私は新世界の悪魔になる!
 叛逆パート。ほむらがすげぇ悪い顔しだして顔芸祭り。
 ぶっちゃけていうと、1~3までは茶番。事前情報やほむらの性格、動機、映画タイトルの「叛逆」から想定すればこうなることは察しが付く。だから個人的には物語中盤でこれを持ってきて、後半でそれ以降の話しをじっくりやって欲しかったというのが正直なところ。
 冷静に判断すれば彼女のやったことは非常に合理的で、この状況で打てる手の中ではベストだと思う。
 まどかが作った円環の理システムはインキュベーターによって解明される可能性があるため、ほむらが浄化されようとされまいといずれキュウベェの魔の手がまどかに伸びる。まどかが彼らに支配あるいはコントロールされるのはほむらには絶対に飲めない話し。
 まどかをこのまま神にしておくのも、彼女の心情を訊いてしまった彼女には飲めない。なので、まどかを人間に引き戻しつつ、さやかも合せて人間に戻して、マミ、杏子とも生活できる環境を作り上げたことで概ね角が立たない形に落ち着いている。あの世界の魔獣とかの処理がどうなっているのかは分からないけど、全体的に言えば誰も損はしていない。上記1.のような世界を実際に作り上げてしまったわけだ。ただ結局このシステムを維持するにはほむらが管理者とならなければならないので(キュウベェを監視したり、まどかを継続して引き戻したり)、まあ要するにほむら一人が損な役目をひっかぶってる。

 まどかの存在にほむらが並んだ、という見方は出来るんですが、結局のところ、これってほむら的に幸せなことなんですかね?という最初の疑問に戻る。まどマギはみんながハッピーになる結末にはならない。誰かが損な役目を引き受けざるを得ない。これは等価交換というか、報酬に対する代償、因果をねじ曲げたことの代償でこのルールが本作の前提にある。自分勝手なことやったんだからその責任は取れよ、とでも言うか。そうすると、ほむらの原初的な願いはまどかと一緒にいたい(彼女を守り助けたい)ということなのだと思うけど、このような世界、このような存在となってしまったほむらとまどかは最早普通の学生生活も、人間関係も送れないのだけど、それって本当にほむら的に飲める話しなのかな~?というのが映画見終わっての私の疑問。テレビのまどかの決断も相当なレベルの飛躍だけど、ほむらもベクトルが違うだけでまどかとどっこいの飛躍をしていて、この二人は同じところに居られないような気がする。なんだろ、仕事しなきゃ家族を養えないんだよ!と言う旦那と、家族が一緒じゃなきゃ家族と言えないわよ!と言う奥さんみたいな。
 多くの人はヤンデレ化したほむらに気持ち悪さを感じたり、綺麗とは言い難い終わり方に嫌悪なり気味悪さ、後味の悪さを感じるかもしれません。この映画の賛否が分かれるところというか、パっと見スッキリしない点でもある。個人的には改変された世界にほむらの居場所があるのか、そこが気になった点ですね。だから上述したように、ここから話しを進めてどう展開されていくのか見たかったんですよね。
 一緒に映画を見た友人が「テレビ版でループを終わらせたのに、またループさせた」と言っていましたが、まさにそう。ある意味これはこれでずっとまどかと一緒にいられるし、ある種対等に彼女とシーソーゲームを続けられるのではありますが。そう考えれば、ほむらは明確な居場所を手に入れたと言えます。


 テレビ(映画の前編・後編)はほむらが少女から大人へと一歩を踏み出す話しだとすると、この映画は大人になった話しって感じかな。悪魔化した後の雰囲気や、ルージュをさしているようなシーンがありましたが、ああいうのは大人の記号としてしばしば使われるイメージがあります。まあ、大人になるのはいいんだけど、変な方向にこじらせたというか。この物語何が凄いって、ほむらとまどかが全くコミュニケート出来てないところ。お互いに思い込みとか(特にほむらが)一方的な情念で動いていて、互いにやるべきこと(やりたいこと)を一方的に押しつけた形になっている。
 最早ほむらは共依存と言えるから、まどかの意思を尊重しているように見えて自分の支配下に置こうとしていると見て差し支えない。支配という言葉が印象悪いなら、ほむらと常に繋がっていたい願望。繋がり方自体の手段は問わない。繋がっているのが目的であり手段だから。まどかと居続けられるループ状態を作るのが目的になっちゃっているように思いますね。

[ 2013年10月29日 21:25 ] カテゴリ:アニメの感想 | TB(0) | CM(-)
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