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第31話「大貝町大ピンチ!誕生!ラブリーパッド」

○今週の出来事
①リーヴァ・グーラ最後の作戦

 久々の登場のベール。飴をなめながら悠々とリーヴァ達にプレッシャーを与えます。ビッグマウスにプリキュア打倒をかかげたものの戦績は全敗。キングジコチュー様もそろそろ痺れを切らすかもしれません。リーヴァとグーラには秘策があるようです。
 黒い玉が人の中に入り込むとその人は倒れて眠り込んでしまいます。プシュケーが浸食されていきます。

 「もしも~し」「ドアじゃないし」「もしもし」「電話じゃないし」。出だしから夫婦漫才やってますが、前回ゲットした鏡はウンともスンとも言いません。三種の神器の力を使えばキングジコチューを浄化できるはずだと亜久里は言います。ところが使い方が分らない。説明書も無いようです。鏡なのに何も映さない。不良品かもしれません。何しろ製造年は1万年以上前。
 では調べてみようと、ありすが謎スイッチを押すと部屋に巨大なモニターが現われます。なんで金持ちは自分の家改造するの好きなんですかね。スキャンしてみますが解析不能。じゃあ耐火実験や水圧実験をやってみようとありすは言い出します。ネタのように見えてマジでやる気です。そもそもそんな実験やってどうするんだという気もしますが。盾にでも使おうと言うのか。
 六花が止めます。りつありも有りだな(何の話しをしている)。アイちゃんを呼びます。きゅぴらっぱ~。特に何も起こりません。落胆する六花。いやいやそれどうなんだ。確かに視聴者的には不思議アイテム関連だから気にはなる話しだけど。そのきゅぴらっぱ~って何を送り込んでるんでしょうか。とりあえず魔力を注いでいるのか、こうなってくれというような目的があって出すビームなのか。
 キングジコチューに対抗できる力を得たのにそれが使えないなんて…と落胆の色を隠さない亜久里。言うまでもなくプリキュアロジック的には間違っています。対抗どころか退行している。だいたい人から得た力でどうにかしようなんてムシが良すぎます。彼女達に大義名分はありません。彼女達の動機はジコチュー(個人的な願い)に根ざしている。であるなら、彼女達が使う力もそこから出たものでなければなりません。これは責任の問題でもあります。
 マナの腹の虫が鳴ります。

 ぶたのしっぽに行くと六花の母が迎えます。オムライスが食べたくなったそうです。
 出入り口のところで亜久里が突っ立っています。気分が沈んで食欲が湧きません。自分達には力が足りないのかとつぶやきます。この子の考え方は非常に危うい。彼女は一度敗北しているので大きな力を求めるのは自然なことですが、その願望が強いために力の有り無しが自分が立っている足下の確からしさに直結している。彼女は力があれば勢いに乗るが、それが不確かだと感じれば途端に不安に陥っている。言うなれば条件付きの自己肯定を行っています。日常的な話しに置き換えれば、仕事(勉強、スポーツ、その他秀でたこと)が上手く行っている自分が当たり前で、それが失われると自分が否定されるような、自分に価値が無いような気になってしまうようなパターンと同じようなものです。しかも亜久里は小学生でありながら変身後は大人(マナ達より年かさ)になるので、実物としての亜久里と力の象徴としてのエースに乖離があります。背伸びしている。5分制限もその意味で借り物、分不相応、背伸び、つまり地に足がついていないことを連想させます。腹が減っては戦はできぬ、とマナが言います。後に分ることでもありますが、マナは非常に強固な土台の上に立っています。レジーナのときに大きく凹みましたが、それを経験する前からマナは安定した自己肯定感が確立していたと思います。小学校の頃と今とでは大分イメージが違います。彼女が出来る人なのは、出来るように努力を積み重ねてきた証拠です。おそらく彼女は自分が大好きなはずです。弱い自分を嫌うくらいなら強くなろうと考える子。そして常に彼女の傍には六花とありすが居ました。
 いつの間にか亜久里の祖母が店に来ています。お茶会の連絡にと手紙をマナの母に渡します。自分も食事に混ざりたいと申し出ます。マナの父と祖父が競うように厨房へ引っ込みます。なんだかんだと、家族が寄り集まって食事することに。


 テレビのニュースでは大貝町の人々が原因不明の昏睡に陥る事件を伝えています。黒い玉が降り注ぎます。むずがるアイちゃん。テレビでもリポーターとカメラマンが倒れてしまいます。不思議がるマナ達の前で母達も伏していきます。セバスチャンが黒い物体がみなさんに…と残して眠り込んでしまいます。この人も相当タフだなぁ。
 その黒い玉がマナに入る込もうとしますがラビーズの加護によって防御。つまりプリキュア以外はこれを逃れる術がないという話し。テレビにリーヴァが映ります。

 車で移動。街中の人々は倒れています。ちなみに運転しているのはダビィ。この妖精ほんと便利だな。
 リーヴァが準備したのは世界を滅ぼすときに使う最後の手段。ジコチュー植物。その実は大量のジコチューの種を生んで人のプシュケー寄生する。最初は眠っているだけだが、最終的にはジコチューへと変わる。ジコチューとなった人々がその世界を滅ぼすというサイクルらしい。戦力を現地調達して征服するってのは効率的な戦略です。さらにジャネジーが一気に増えてキングジコチュー復活の鍵にもなる一石二鳥な作戦。毎年のパターンで言うとラスボスの本格稼働と世界滅亡はセットです。


②私のジコチューが街を救う
 現地到着。さっそく変身。出だしのバンクが変わっています。キュアエースは温存。これは今作の特徴であり重要な部分でもありますが、ドキドキは頭が良い。現実に対する認識や対応を受け止める傾向が強い。

 リーヴァとグーラが合体。地面を砕く勢いで殴りかかってきます。リムジンがどっかに飛んでいきます。戦闘が終われば自動修復されるので問題なし。たぶん頑丈に出来ているでしょうからそのままでも問題ないかもしれません。
 スパークルソードとダイヤモンドシャワーを浴びてもびくともしません。今更ソードが効くとも思えませんが。むしろスパークルソードが効かないまでがソードの見せ場的な感慨すらあります。フォースアローを立て続けにたたき込みます。ダメ。
 プリキュアのピンチを見て取った亜久里がエースに変身して参戦。リヴァグラとの必殺技合戦になりますが押し負けます。

 変身後3分でプリキュアは全員満身創痍、パッドも敵の手に渡るというスピーディな展開。リーヴァは神器であることを知っているようです。さっそく割ります。前回あれだけ苦労して手に入れたのに脆いモノです。1万年も過ぎれば耐久性に劣化も生じるのでしょう。1万年も時間があったのに三種の神器に代る兵器開発を怠ったツケと言えるかもしれません。割れた鏡を絶望的な瞳で見つめる5人。
 ハートは残骸をかき集めます。壊れてもメランの想いが込められた宝物だと言います。エースが飛びだして、単身リヴァグラに挑みます。「プリキュア5つの誓い、1つプリキュアたるものいつも前を向いて歩き続けること!」。パッドが無くとも負けないと気概を見せますが制限時間が来て変身が解けてしまいます。これは空元気というものですね。
 墜落した亜久里をソードとダイヤがキャッチ。リヴァグラの追撃をロゼッタがガード。バリアにヒビが入ります。それを見た亜久里達は不安な表情を浮かべます。ドキドキでも苦しい戦いはこれまでに何回か経験していますが、今回は生命の危機と言えるレベルで窮地に陥っています。このままバリヤが貫通すればロゼッタ達はまだしも亜久里はかなり危険です。
 わざと攻撃の手を緩めるリヴァグラ。お約束の「世界が滅びるのを見ていろ」展開。

 失意のどん底に陥るロゼッタ達。鏡は割れるわ、技は効かないわ、エースは変身解除するわ、手の打ちようがありません。前回は再チャレンジできる条件でしたが今回は時間に余裕もない。ここで打開策がなければ終了です。
 「ソードごめん
 「シャルルごめん
 突然ハートが謝り出します。
 「あたしトランプ王国を失ったみんなの気持ちを分ったつもりでいた。でも本当には分ってなかった。自分の身近な人たちが大切な街がこんなことになって初めて分った
 「胸がこんなに痛むんだね…すごく悲しくて! 悔しい!
 ハートは大泣きします。それはそれとしてダイヤが座り込んでいるシーンがすごくコケティッシュでした。私はすごく嬉しい。
 まさに「もっと泣け、もっと叫べ」状態。世界の終焉を前にして泣くだけの無力な存在。
 もの凄い勢いで絶望とこの後の復活劇をやるのでテンションの上がり下がりが激しいのですが、このシーンは非常に重要です。マナは一度レジーナを喪失するという痛くて悲しい出来事を体験しています。しかしそれは彼女自身が喪失する、生死に関わることではありません。トランプ王国の惨状も現地を見ていますが対岸の火事、自分がこれから助ける場所的な意識だったでしょう。今回彼女が目の辺りにしたのは、自分の世界が本当に滅んでしまうかもしれないという実感、そして本当はそのことに今までだって気づき得たかもしれないのに気づかなかったこと、真琴の苦しみや絶望を言葉でしか受け取っていなかったことを知ったのです。だから真っ先に真琴とシャルルに謝ったんですね。自分は部外者だったのだと認めたのです。彼女は無力さとともに自分の偽善性、甘さを体験しています。誰もがそうですが、自分の無力さ、偽善、欺瞞、甘さを直接受け止めるのは苦しいことです。悔しい!と言うのもそれが自分の無力さ、至らなさ、力が及ばなかったから出た言葉だろうと思います。つまり彼女は今後悔しています。後悔は反省を促すものでもありますが、反面ああすれば自分が傷つかずにすんだのにというニュアンスもあります。彼女の自己肯定感はおもいっきり傷つけられるはずです。
 最終決戦前夜かというくらい街の人々はみな倒れ、世界の終焉を感じさせます。クローバータワー、学校、京田さん、純君、エルちゃん、今まで登場したゲストが出るとまさにそれっぽい雰囲気。それはそうとエルちゃんはそんなところに寝ていると風邪を引くので、私が家まで届け……あ、なんだか眠くなってきました。

 「フン!
 ハートがまたしても突然自分の顔を突風が出るくらい強く叩きます。
 「あ~、泣いた泣いたすっきりした
 「うん、落ち込むのはもうお終い。さあ、反撃だよ
 立ち直るのめっちゃ速くないっすか、今さっきめっちゃ泣いたよね!? 自己肯定感傷ついたよね!?
 話しについて行けずに目を丸くする一同。
 「ラブリーパッドは割れちゃったし、今のあたし達じゃ全然歯が立たない。だったらあたし達が今よりもーっと強くなろう
 「亜久里ちゃんは世界を守りたいって思いで自分を成長させてエースになった。強い思いで成長できるならあたしたちはもっと強くなれる!
 マナ理論炸裂。
 それを訊いたときの四者四様の表情が面白い。六花は困惑から呆れそしていつもの表情に、ありすは驚きから柔和に、真琴も呆然とした表情から瞳に輝きが戻ります。
 「今すぐ強くなれるということですか?
 「なれる!絶対に! だって、みんなを助けたいってこの気持ちがジコチュー達に負けるわけないんだから
 マナのこの楽観さがどこから来るのか分らないけど、その理由が無い故にその楽観さと確信に意味と力がある。条件付きの肯定はすがっていることであり依存です。そうではなく自分が自分を信頼して立つという自立。自分に対する信頼、自信、肯定感はたとえどのような状況に陥ろうと人に活力と希望を与えるモノです。本当に打開できるかどうかは別にして。もうダメだとそこで終わらず、じゃあどうやって挑むかと考える力を人に与えるのが本物の自尊心だと思っています。一般的に悟り、啓示と呼ばれるものを私は「根拠のない確信」と呼んでいます。ドストエフスキーの言葉を借りるなら『それはおそらく誰もがめぐりあうにちがいないが、しかし一生にせいぜい一、二度しか訪れないような、そうした瞬間のひとつであった。このような瞬間に人間は自分の運命を決定し、世界観を確立し、きっぱりと自分に対して、『ここに真理があるのだ。そしてそれに到達するためには、この道を進まなければならんのだ』と言明するのである。そう、たしかにこの一瞬は、私の魂の光明であった』(未成年)の感覚が私の根底にはあります。この一種の使命感というか、感覚が私を鍛え続けていると思っています。あ、もうお分かりのとおりプリキュアとは全く関係ない話しになっていますが、こうした根拠のない確信は自己の存在基盤、肯定感に多大な影響を与えます。任意にこの感覚を得る方法があるかは知りません。私はそういう体験をした、と言える瞬間がありました。これは、まあ、分る人にしか分らない感覚の話しですが、そうでなくとも幼少期に親にキチンと愛されていた、良好な人間関係を構築していた人は自己肯定感、安定感があるという話しは訊きます。まっ、全てがそうした原体験に縛られるということでもないでしょうが。

 「それに、私は一人じゃない
 瞳を細めて言います。彼女の瞳に映るのは、彼女が困ったときに助けてくれた人達。彼女と共に生きてきた人達。彼女一人では生徒会長をやることすらおぼつかないでしょう。六花が居たから彼女はアクセルを踏み抜く勢いで走ってこられました。六花は彼女のブレーキではありません。燃料です。友達の支え、助けがマナをマナたらしめ彼女の能力を引き出してきました。ここに本作の洞察が見て取れます。みんなと一緒なら出来なかったことも出来る、というのはプリキュアの基本精神ですが、それを支える理論として、他者との関係や協力が個々人の才能を開花させ引き出させるという認識が明確になっています。何かをやり遂げるためにみんなで協力して解決するのは分りやすい事例ですが、むしろドキドキで行っているのは個々人の行動範囲を広げるということです。幸せの王子はそのままでいい。その王子が自滅しないように体制を整えればいい。人のジコチューは尽きない。それは人の願望や願いが尽きないということ。それは同時に人から希望が消えないということ。その希望を現実に換えるために全力を尽くす。これがプリキュアの絶対に諦めない理論です。
 マナの無茶ぶりに呆れながらも六花達はついて行きます。

 円陣を組みます。
 「リーヴァはこれが最後の手だと言っていたわ。つまり彼らも追い詰められているってこと。全力でぶつかっていこう!
 マナもそうだし、このときの六花もそうですが、単に気持ちだけでなく、冷静に状況を読み取っていることは明晰さを示しています。彼女達は思い込みや盲目的、自暴的な勢いで走っているわけではありません。
 「キュアハート、まさかあなたから教えられるとは思いませんでした
 「あなたは、いいえ、あなた達はプリキュアの新たなステージに上ったようですね
 ジコチューは人に破壊的な力を与える。しかし同時にそのジコチューが人に創造的な力を与えうる、というのが本作の意図するところだと思われます。
 「プリキュア5つの誓い、ひとつ! プリキュアたるものいつも前を向いて歩き続けること
 「ひとつ! 愛は与えるもの!
 「ひとつ! 愛することは守り合うこと!
 「ひとつ! 自分を信じ決して後悔しない!
 「ひとつ! プリキュアたるもの一流のレディたるべし!
 「ひとつ! みんなで力を合わせれば不可能はない!
 後者の力を得るためには、愛が必要だというのが本作の意思であろうと思われます。愛とは自己と他者を結び包括するものである。


③マジカルラブリーパッド(税込み価格 8,715円)
 立ち直ったハート達が再びリヴァグラの前に立ちます。
 これ以上セリフを書き起こすのが面倒臭いので端折ると、決意表明した直後パッドの破片が光り出します。いつもの展開です。
 鏡が生まれ変わってタブレッド型に。予想通り。タブレッド型なのに液晶画面がえらく小さいのはコスト的な問題でしょうか。ちなみに玩具はカラー液晶のようです。タブレットは一人一個。後期高額商品が各自配布というのは珍しい。つまり娘の数だけ買えってことです。玩具会社のジコチューも半端ねぇ。
 力の恩恵を得てエースに再び変身。みんなで名乗ります。
 「響け! 愛の鼓動! ドキドキプリキュア!
 5人揃ってがこのタイミングというのは印象的。今までエースが与えてきた試練だったわけですが、今回はみんなにとっての試練、みんなで乗り越えなければならない試練として位置づけられるわけですね。そんなことよりダイヤさんの脚はやっぱり素敵だと思う今日この頃。ブルーレイ1巻(のジャケットイラスト)が楽しみです。新しいラビーズも生まれます。

 新バンクのお披露目。ラビーズをセットするとパッドにトランプが出現。そんなことよりハートの脇とダイヤのうなじが素晴らしいです。トランプを広げてハートに渡します。
 「プリキュア! ラブリーストレートフラッシュ!
 あ、これ最終回でロイヤルって追加されそう。
 リヴァグラ、植物を浄化。街が元に戻ります。


 ぶたのしっぽでお食事会。感慨深げにオムライスを見つめている亜久里に祖母が話しかけます。みんなと一緒にご飯を食べる、それが嬉しいと答える亜久里。あの危機的状況から生還した、というのもあるでしょうが、自分が何のために戦うのか、力を欲するのか、日々の生活が自分の糧であることを改めて知るキッカケになっているでしょう。マナも最高に幸せなことだと同意します。


④捲土重来
 アジトに逃げ帰るリヴァグラ。「次こそは…」「残念ながら次はありません」
 ベールが彼らのジャネジーを吸い取っていきます。プリキュアとの戦いで消耗するのを狙っていたようです。怨嗟の声を残して二人は塵と消えます。
 「あとは俺に任せろ」


⑤次回予告
 六花の制服エプロン、マナ看病、来週も熱くなりそうです。中学校の文化祭を小学生が仕切るとかどんだけだよ。


○トピック
 新商品がどうのこうのと言おうと思ってたらラストにもっていかれたでござるの巻。
 今年の幹部も実は一般人でした路線で最終的に戻るのか思っていたんですが、塵になっちゃいました。ナンバーワンを目指すベールらしい策略。いやはや面白くなってきました。

 マナのマナらしさが炸裂した回。そしてこれは本作の作風とも言えます。何回も言っていますが、ドキドキの子達は頭が良い。現実認識が高く、自立性も高い。自分から問題を見つけてそれに取り組み解決していけるだけの知性と行動力を持っています。すでにこの時点でヘタな大人より大人としての力を持っている。カリスマ的な主人公が範を示すのはこれまでのシリーズでもありましたが、それが知性を感じるレベルで纏まっているのは特異的です。いわゆるアホの子的な脳天気さ、楽観さ、ひたむきさとは趣きが異なります。
 これに関連して、梅Pプリキュア(フレッシュ~スマイル)が救済のプリキュアってのはこれまでも何回も言ってきたことですが、同時に幼年期を卒業する物語でもあったのだという認識が強まっています。梅Pプリキュアは主に欠落を埋める物語でした。愛情や自信を取り戻す物語。スマイルにて自立のスタートラインに立ったとざっくり表現することができます。それを踏まえてドキドキを捉えると、彼女達に愛情の欠落や自信の喪失、絆の脆さはほとんど見られません。初期値が非常に高い。一時的に迷うことがあっても自分達で解決できる上に補強まで出来る。すなわち、マナ達の行動、原理、実行力は子どもの純真さ、爛漫さ、一生懸命さよりも大人の行動や理念、意志の持ち方、対人関係性に近いと言えます。自立と依存のバランスが良いと言える時点で大人レベルの関係性ですね。
 だからなんだと言われれば、特に今のところは無いです。ただシリーズを俯瞰して文脈的に繋げてみたときに確実に物語は前進していて、より高次なテーマや問題に向き合えるレベルにあります。レジーナの問題がそうです。親から娘を奪って家に引き取ることが出来ないことを示したことで、せつなやセイレーンよりも課題としているレベルが高いと推定されます(レジーナの精神はせつな達よりも幼いので彼女に自立を促すのは容易ではありません)。

 今回のエピソードにしても、自分の無力さに気づいたからといって自分の中に引きこもらずに、無力さを認めた上で立ち上がっています(キャンディの声が必要だったスマイルとはここが大きく違います)。もうここまでくると自立とか依存関係なしにその人の人間性の話しになるんですが、こうしたバイタリティを獲得しているのも、本作のプリキュアが十分な愛情、絆、自尊心(自己肯定感)を獲得しているからだと考えるとシリーズ10年目の厚みを感じるところです。これまでのシリーズの経験が本作に凝縮されて無茶苦茶タフなプリキュアを生み出している。って言っちゃうと飛躍しすぎているように思われるでしょうが、本作の人間関係の良好さ、人格の安定性は作中でも至る所に見られるので別段手抜きしているとか、シリーズ見てないと解釈に困るということはありません。シリーズの文脈で語るのは私のクセってだけです。
 レジーナが退場してから今回までを5つの誓い編(試練編)として見るなら、今回がその総まとめになるでしょうか。5つの誓いはエースがあらかじめ決めた復習だったわけですが、ハートが6つ目を出したことで彼女達が誰に与えられるでもなく自主的に、自立的に見つけた誓いなわけで、この点でも彼女達の自発性、能動的な意思が出ています。と同時に5人にとっての共通する想い、試練だったことになります。自立と成長、絆を両立させた展開。言うまでもなく6つ目の誓いも今までやってきたことの追認になります。このようにドキドキは普段やっている中に成長や飛躍の糧があること、今体験していることもまたその日常の中で体験する苦難であるという認識がなされています。逆に言えば普段からしっかりしてないとダメだと言っているわけです。見方によってはとてもシビア。それだけに彼女達の1つ1つの行動が物語の強度に直結していると言えます。

[ 2013年09月08日 16:03 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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