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第25話「華麗な変身!ニューヒロイン登場!?」

○今週の出来事
①ありすのため息

 空港でジコチューが大暴れ。CAの不満が顕在化。毎回思うんだけど、ジコチューの中の人が一番この番組をエンジョイしているんじゃなかろーか。王女を捜すジコチュー。攻撃をバリアで防ぎます。単発なら問題ないものの気合い入れた攻撃は防げない模様。新幹部だけあって召喚モンスターの性能は良いようです。バリアで防げるかどうかで敵の強さが大体分る。親切演出。
 美味しいところは全部持っていくことに定評のあるエースが必殺技で割り込みます。そのままジコチューを浄化。

 反省会。ロゼッタは自分の失態で仲間を危険な目に遭わせてしまったと反省。そんな彼女をハート達は励まします。チームの貢献度では盾役のロゼッタは重宝しています。問題は紫、お前だよ。
 「私から特に言うことはありません
 意外な言葉にロゼッタ達は驚きます。
 「あなたは自分で気づく子です。頑張って成長なさい
 前回との差が酷い。ありす評価高ぇ。実際、マナを賢い、六花を頭良いと評するならありすは聡いって感じなので自分で問題を見つけて解決していけるだろうと思えます。自分で反省できる人に説教は不要。ただ、この手のタイプはそれ故に放置されやすいので本人的には深刻なのにそれを汲んでもらえないこともありそうですけど。「君ならできるでしょ?」と言われているに等しいのでこれはこれでプレッシャーです。


 大きなため息をつくありす。この執務室がありすの私室なんでしょうか。この子どんな教育受けてるの?
 セバスチャンがお茶を淹れます。お茶に口を付けながらありすは確認するように言います。エースの導きでマナちゃんと真琴さんは自らを高めさらに力をつけた。自分も高めなければならない。これはラストシーンと対比的な部分ですね。ありすは今完全に自分のことで頭が一杯でセバスチャンに気が回っていません。結果それを心配したセバスチャンが独断行動に入る。ありすはがむしゃらに、セバスチャンもがむしゃらに、という乖離と空回りが始まります。これも人間関係によく見られる行動パターンで「あなたのためを思って」やっているのにそれが何故か人間関係を崩壊させていくことがあります(スイートは序盤それを主題にしました)。「相手のことを思う自分」に満足してはいけない。が、往々にしてそこで満足するし、相手と意思を繋ぎ合わせるのは非常に面倒で野暮ったいことです。

 道場。「お願いいたします」。相手が見あたりませんが……畳がひとりでに跳ね上がります。それを蹴るありす。ああ、そういう……ってどんな特訓だよ!?
 今度はカンフーで見かける木人を模したロボットが出てきて組み手を始めます。拳が曇っているとロボットに説教されて打ちのめされます。このロボット作った人はどこまで想定したんでしょうか。確かに毎日こんな生活をしていれば突っ込まないスキルが高まるのも頷けます。
 ボロボロになりながらも特訓を続けるありす。この子が頑張り屋なのは間違いなくて、以前コンテストで麗奈と競ったように日頃から色々やっているのでしょう。ありすも六花と同じように自分の好きな人は自分を賭けて守ろうとする人だと思いますが、六花がその気持ちを警戒心や敵愾心に転嫁するのに対して、ありすは防壁を作ろうとするタイプのように見えます。ありすがこの物語で最初にやろうとしたのはプリキュアのプロデュースで、マナ達がやりやすいように保護しようとしました。小学校の頃のエピソードも過剰な防衛反応と見るのが妥当でしょう。そういう意味では彼女は典型的な家を守ろうとする母親タイプなのだと思います。場を守ることに意識を向けている。今回のエピソードでも自分の至らなさ(壁に穴が開いた)を補強しようと努力しています。マナ、真琴に続いてこれも一種の挫折と見なせないこともないですが、ふたりと違ってありすは目的が明確で行動指針もブレていません。迷っているわけじゃない。しかし彼女には足りないものがあるというのが今回のエピソードの意図するところです。
 ありすの姿を影から見守るセバスチャンは泣いています。あんたそういうキャラだったの?!


②セバスチャンの隠し事
 やよいが見たら大喜びしそうな秘密基地めいた施設。セバスチャンはアタッシュケースを開きます。科学の粋を集めて作られた人工コミューン。
 「プリキュア! ラブリンク!」
 アタッシュケースに入っていた繊維がセバスチャンにまとわりついてスーツに。
 屋敷の庭でテストを試みます。加速は上々、パンチ力も地面に穴を開けられるほど。たぶんキュアパインよりは強いんじゃないでしょうか。息を切らせるセバスチャン。年寄りの冷や水的な。もうツッコミどころがありすぎてどこから突っ込めばいいのか分らないんですが、あのラボはセバスチャン個人のものなのか、四葉家から借用しているのかそこが一番気になります。前者だとすればどんだけ給料もらっているんだって話しだし、後者だとしても一介の執事にどんだけ権限与えられているんだって話しです。いずれにせよ、元ネタであろうバットマン同様金の力でヒーローということに変わりありません。金の力は正義の力!


 王女捜しをするイーラとマーモ。ダレています。イーラはマーモの帽子にツッコミをいれます。日焼けはお肌の大敵だと答えるマーモ。この人の暑いのか寒いのか分らない格好に一言もの申したい。マイナスイオン浴びに行こうとどっかへ行ってしまいます。相変わらず勤労意欲に乏しい。「リフレッシュ休暇か!」。イーラさん、さっきからツッコミがちょっと滑ってます。段々ぞんざいな扱いになってきたかと思いきや次回予告の破壊力。


 滝に打たれながら精神を整えるセバスチャン。何してるんスかねこの人。この人も普段からこんなことやっているんでしょうか。それを表に出さずに人前に立っているのか。四葉家大変だなぁ。自分の努力を人前に出すか出さないかは人によって差があります。苦労や悩み、愚痴なんかもそうです。ブログなんかでも自分の苦労や悩み、悪い言い方をすると同情して欲しいのかなって思えるような文章を綴っている人を見かけますが、私はそういうのは書かない主義です。理由は単純にカッコ悪いと思っているから。私は、大人は常に人生をエンジョイしているものという目標というか美学があって「人生楽しー」って堂々と言える自分で在りたいと思ってます。辛さ、迷い、不満、愚痴は人生を楽しくするためのスパイスであり糧なので、愚痴たれている暇があったらそのスパイスをどう料理するか試行錯誤することに時間を費やす。大人たるもの悠々自適に自分の人生を作り替える。それが大人の凄さだって見せつけたいじゃないですか。念のため言っておくと、苦労話しや愚痴を言うことがダメということではありません(他人がカッコ悪いのはどうでもいいことなので)。実際そうした愚痴を口にすることで気持ちの整理になったり、人に同情してもらうことで落ち着きや励ましをもらうことができるでしょうから、その辺はその人の処世術、自己防衛策として機能していれば良いと思います。重要なのは人生を楽しむための機構(歯車)を構築できていればいいという話し。この歯車が狂ってしまうと色々面倒なことになるし、たまに油を注す必要もあります。

 水辺に来たマーモは体勢を崩して持っていたアタッシュケースを落としてしまいます。入れ替わったケースをセバスチャンが持って行ってしまいます。
 ラボに戻って改めて中を開けると化粧品の類が。「なぬー!?」。この人絶対外向きのキャラ作ってるだろ。
 マーモも中を開けるとコミューンを見つけます。記憶を思い起こしながらプリキュアラブリンクとつぶやくと変身。音声認識らしい。セバスチャンとは違った格好になります。男女別でコスチューム設定が違うのでしょうか。セバスチャンは一体どんな使用方法を想定していたのか、疑問は深まるばかりです。

 美容品を眺めながら思案。ランスが使い方を教えます。この際使い方はいいのです、と冷静に答えるセバスチャン。急いで現場に戻ると中身が空っぽのアタッシュケースだけが残されています。「人工コミューンが、無い、無い、無いーー!」。どうしよう、この人のこと前よりも好きになってきちゃったよ。お茶目な大人って素敵やん。
 ありすが声をかけます。っていうか、ここどこなんでしょうか。屋敷の中なのか。
 人工コミューンのことはありすには内緒らしい。通信が入ります。四葉デパートにジコチュー出現。大体四葉財閥のもの。


 爪楊枝ジコチューがデパートの試食品を食べまくります。グーラが召喚。彼もハムを丸かじり。
 すでにプリキュアは現場に待機。ジコチューは試食品で腹一杯になれば金払わずに済むと笑顔で言います。気持ちは分る。「なんて器の小さいジコチューなの」。ですよねー。紙コップを投げ捨てます。「攻撃まで小さい」。精神攻撃は基本。
 ジコチューは大きくなります。「成長早っ」。最近ダイヤさんはツッコミしかしてないような気が。
 高笑い。変装したマーモが現われます。「みなぎる美しさ! キュ…ティーマダムよ!」。この人既婚者なんですかね。「どちらの奥様でしょう?」「いやいや、マダムじゃなくてマーモだし」。グーラにもおかしなもん拾って食ったのかと言われる始末。正体バレバレです。
 「なんということだ…」。滝のような汗を流すセバスチャン。CMへ。リアルタイム視聴中に友人からこのタイミングで一言「もうひどい」とのメールが来ましたが、ほんと、どこに行くのかさっぱり。本気でBパートで纏まるのかと心配しました。

 「どうする?」「ツッコミどころが多すぎてどこからつっこんでいいか分らない」。激しく同意。
 不審な視線を向けるプリキュア。脱水症状で倒れるんじゃないかというほど汗を垂らすセバスチャン。人の注目を浴びて満足するマーモ。三者三様の反応。高笑いするマーモにジコチューが抗議。すると髪が乱れたらどうする!と扇子で突風を作りだしてジコチューを吹き飛ばします。その隙を突いてプリキュアがフォースアローで浄化。いい気味だと満足して去っていくマーモ。口をあんぐりと開けたまま固まっていたグーラも我に返って撤退。これキングジコチューに報告されたら懲戒もんですね。
 話しが見えないプリキュア。ハートは心を入れ替えたのか?と疑問を口にします。地味にこれが次回への導線になっているのかな。セバスチャンは人知れず深刻な表情を浮かべています。彼の様子に戸惑うありす。


 ソリティアで亜久里は新聞記事をマナ達に見せます。黒い貴婦人キューティーマダム現る!!との見出し。あちこちに現われては人助けをしていることになっていますが、実際は自作自演。人の注目を浴びたい系のジコチュー。ベールが昼行灯に見えて実は野心家だったりと幹部のジコチュー像が最近浮き彫りになってきました。次回イーラに絡むようなので、幹部達が抱えているジコチューが明らかになっていくのはおそらく意図したシナリオだと推測できます。前回のエピソードで明言されたように全ての人がジコチューを持ち、そのジコチューは愛と繋がっている(っていうか根っこは同じ)と本作では定義づけられています。自己が抱く渇望、欲望が自分だけに向く時それはジコチューと呼ばれ、他者にも向けられ結びついた時に愛と呼ばれる。そうであるなら本作のジコチュー達は悪ではない。やり方を間違えた人々で、その間違いはプリキュアにだって起こる。ジコチューと愛が繋がっていること、ジコチューが愛に、愛がジコチューになり得ることは大変示唆的で、そしてそこに人の幸せと不幸が内在しています。

 記事を読んだマナ達はマーモの中で何かが変ったのでは?と訝ります。見た目も変った。ちょっと可愛くなったとランス。女性ファンが急増中だそうです。
 いずれにしてもマーモが何を考え、どういった力で変身を遂げているのか調べる必要があると話す亜久里。小学4年生とは思えない冷静な洞察。プリキュアでは実年齢が下がると精神年齢が上がる傾向にあります。
 ドキドキはこのように現実に起こっている出来事に対して問題を自分達で見つけてアクションを起こしていくのが特徴です。マーモの件も視聴者はこれが自作自演で彼女の心性になんら変化がないことが分っていますが、そこまで分っていないマナ達はもしかしたら心変わりしたのではないか、どう対処すべきかと考えを巡らせています。非常に柔軟で現実的な反応。現実をどう受け入れ、アクションしていくか。この思考と決断のシークエンスが本作の特徴でありマナ達の自立性、現実検討能力を高めています。
 ありすは別のことで頭がいっぱい。セバスチャンは車の中で独りマーモの痕跡を調べます。発見。


③守る力
 美容店を訪れたマーモは知名度の高さを利用してタダでサービスを受けます。ちゃっかりしてる。
 そこに現われたのが西洋甲冑に身を包んだセバスチャン。コミューンを返せと要求するとマーモはすぐに理解します。勿論返す気はありません。戦闘開始。終了。「やらせはせんぞ」は負けフラグです。ドズル閣下の教訓はいつになったら活かされるのでしょうか。
 一足遅くありすが現場に駆けつけます。

 申し訳ありません、と頭を下げるセバスチャン。状況としては彼の独断と失態。しかしありすはセバスチャンが何故そうしたのか正しく理解し、彼に頭を下げます。セバスチャンはお嬢様は最高のご主人様だと意気込んで机を叩きます。溢れたお茶を熱がります。そんな姿を見てありすは笑みをこぼします。このやり取りを見てもセバスチャンのこうした姿はありすにとって珍しいものではないことが分ります。身内だからこそ知っている姿。
 子どもの頃からセバスチャンが自分を守ってくれたと述懐するありす。優しいセバスチャン、大人げないセバスチャン、間抜けなセバスチャン、どれもありすがよく知っている人の姿です。そんな彼にありすは誇らしげな視線を向けます。やはりこの子は大人だ。自分が愛されていることを正しく知っている。そして自分がその人を愛していることも。
 「今度は私があなたを守る番ですわ
 その言葉にセバスチャンは申し訳ないような表情を浮かべます。主人に気を遣わせている自分の至らなさを悔いているのでしょう。それはそれとして、今回ありすもセバスチャンもお互いを好きだとか大切だとか直接的な発言はしていません。全て表情や行動による演出で語っています。彼女達の関係からすれば自然で正しいやり取りですし、また愛情とはこのように行動によって証明され伝わるということでもあります。


 遊園地のヒーローショー。子ども達の歓声。
 そこにキューティマダムが乱入。マダムの姿を見て子ども達はさらに歓声をあげます。子どもにも大人気。その声に自尊心が刺激されるマーモ。さらに欲目が出てヒーローまで襲ってしまいます。それを見た子ども達はドン引き。泣き出します。マーモが示唆しているのはちょっとしたボタンの掛け違い、思い込み、間違いです。彼女は人からチヤホヤされたいジコチューを持っている。これを正しく叶えることができれば彼女は正真正銘のヒーローになれるでしょう。それに彼女が気づけるか、どれほどの時間を要するかは分りません。私に言わせれば、世間の大半の人、私を含むほとんどの人はマーモと同じです。自分のジコチューをキチンと把握せず、その正しい実現方法を知らないままに、または知っていても面倒臭がって正規の手続きを踏まずに行っている。基本的に愛を育むことや正しい自己実現とは面倒臭いのです。大抵の人はこの面倒臭い手続きを省略するか、それ自体に気づいていません。ここに問題があります。私が言いたいのはジコチューには悪意があるのではなく、無知・無視・身勝手・自己正当化・思い込みがある。だから好意があっても人を傷つけることがあるのです。マーモは悪意があって人を傷つけているのではありません。彼女なりの身勝手な論理によって正当化されていると推測されます。こうした謎理論は日常の中でよく見られます。自分は~をしたんだから~の分は帳消しだ(見合った報酬を得るのは当然だ)って勝手に自分の中で帳尻を合わせたことが誰しもあるでしょう。

 この力は全て私の欲望を満たすためにあるのよ!と実に分りやすいことを言うマーモ。
 であれば私は鬼にでも悪魔にでもなるとありすは立ち向かいます。悪意が無い者に対して、敵意を向けることは正義たり得るのだろうか。無知な者に必要なのは教師なのではないのか。これはシリーズをとおしてのテーマにもなっています。ちなみにハートキャッチは大幹部とのバトルで相手のジコチューを完膚無きまでにぶちのめすという荒療治が取られています。自分のジコチューの限界に気づき、より高次の目標へと視線を向けることができるかどうか。

 キュアロゼッタ単独変身。なにこの前回との差。黄色贔屓に定評のある東堂いづみ。黄色の変身バンクの力の入れようが改めて分ります。
 ロゼッタは肉弾戦を仕掛けます。普段盾役ですが肉弾戦も強い。突風で動きが止まります。マナ達が駆けつけ、スパークルソードで突風を相殺します。使われ方が地味というか、最早必殺技でなくなっているところにソードさんの位置づけが見て取れます。
 コミューンを返せと要求するロゼッタに、もう名前を書いたと答えるマーモ。小学生かよ。
 それならば力尽くでも止める、セバスチャンのためにとロゼッタは意気込みます。人工コミューンは彼が彼女のことを思いやって作ったもの。それを悪用されることはふたりの絆、想いを悪用されるのと同じです。これはありすとセバスチャンの名誉を守る戦いです。溢れ出るオーラ。パターン入りました。
 「愛に気づいたようですね、キュアロゼッタ
 亜久里が岩のセットの上に立ちます。登っている姿を想像すると吹き出しそうになります。
 「あなたは守り、守られている
 「プリキュア5つの誓い。1つ! 愛することは守り合うこと!
 「いかなる時も守り合い、愛を貫きなさない
 これはとても分りやすく順序だった訓戒ですね。これまでマナ、真琴は悩むことで自分の殻に閉じこもり他者の声、姿が見えなくなるジコチューに囚われていたわけですが、ありすは自分でそれに気づき自覚的にセバスチャンを守ろうとします。他者に対する思慮分別。これが守り合うということに繋がっています。しかし同時にそれは閉鎖的な関係、利害関係を生むことにも繋がっているわけで、身内を傷つける奴は敵として認知されやすくもなります。無論これにも積極的な意味で悪意はないでしょう。私の理解では人が人を傷つける理由の半分は悪意ではなく好意の転嫁(相手に対する愛が憎悪に変るのも含まれます)によるものです。だから私は愛だとか、愛が人を救うだとか簡単に言う人のことを信用しません。愛に含まれる攻撃性、人が愛を唱えるときの自己正当化の欲求と傾向は抗いがたい誘惑で、これに打ち勝てる人間は滅多にいません。自己正当化を弁護するものとして愛の右に出る言葉は無いでしょう。これもシリーズ的なテーマとして扱われていて、スイートでもプリキュアの力とは守る力だと言われましたが、具体的な内容は他者と絆を育むこととして理解されます。つまり敵と友達になればいいじゃん、という話し。本作でもレジーナとの関係がそれを象徴しています。事ある毎に繰り返し繰り返し言っていますが、プリキュアはシリーズの内在論理を作品毎に違うアプローチで取り組みながら深掘りしているのが特徴です。また、それが再生産的ではなく、より高次の論理を引き出す形で集大成的に進んでいるのも大きな特徴です。よく訓練されたプリキュアファンはこれを楽しみます。

 エースに変身。自分の変身は単独ノーカットで。この子は隙がない。
 変身完了と同時に必殺技。流石エース、誰が主役だろうが知ったことじゃない。今回は黄色く光ります。やはり担当回に合せているようです。ちなみに玩具も色が変わるそうです。
 マーモを拘束。ロゼッタに浄化を譲ります。防御技なんですが。案の定マーモがビーム。それを防いで吸収すると反射して攻撃。人工コミューンスーツを破壊します。パワーアップしたことが分るロゼッタさんと、おこぼれをもらっただけにしか見えないソードさんのこの差は一体なんなのでしょうか。プリキュア内格差が深刻です。
 あのキャラ気に入っていたのに、と言い残して撤退するマーモ。色々と今回酷い。

 「あなたは温かく、そして強い子ね
 すげぇ評価されてるよ。当然の評価ではあるんだけど。セバスチャンは彼女の成長に瞳を濡らします。


 セバスチャンにコミューンを壊したことを詫びるありす。あんなものお嬢様には必要なかったと答えるセバスチャン。ありすは彼が淹れたお茶を味わいます。
 「末永くよろしくお願いしますわね
 「こちらこそ」


④次回予告
 正妻に不倫疑惑。来週も見逃せない!


○トピック
 だから次回予告で全部持っていくのやめてください。1話の中で3回も戦闘場面がある珍しい回。


 ありすとセバスチャンの心温まるエピソード。最早キャラ崩壊と言えるセバスチャンですが、彼の姿はとても温かく力強いものだと思います。必死になっている人はどこか滑稽です。そしてそんな彼を愛し誇るありすはとても大人です。
 前回からの関連として、愛は与えるもの。そして今回は愛は与え、与えれるものとして自己と他者の相互性に言及されています。これによって愛とは自己と他者を相互に結んでいる必要があると作中でも明確になっています。ここまでならよくある友情、家族愛などの閉じた関係性として処理できます。実際、ありすはセバスチャンを守るためだったら相手を倒すことも厭いません。勿論これはプリキュアロジック的にここで終わってはいけないものです。愛の名において敵をぶちのめすのはただの強者の論理です。愛は与えるものと定義されている以上、その条件にカッコ付きで「(身内だけに)愛を与えるもの」とするのは大きな矛盾です。この「身内」と「それ以外」の意識の壁をどうやって突破して相手にも愛を与えていけるかが近年のプリキュアの大きなテーマとなっています。
 また、調和型のありすに必要なこととして愛する人を守る力というのが課題にもなっています。これは13話(コンテスト)のエピソードと同じ話で、大切な人を守る、愛を貫くためには力が必要だという認識です。この力というのが物理的か精神的かといえば両方なのでしょうけど、愛には行動力が伴っていなくてはならない。口だけの愛は無力。そしてそれは理性によってコントロールされなければならない(子どもの頃にありすが暴走したのはダメ)…とまとめられるでしょうか。プリキュアの女の子達は子どもですが、いつまでも守られてばかりの子どもではなく、人を愛し、時には厳しい現実や弱さに打ち勝っていく力を持ったたくましい少女であるというメッセージが含まれています。
 人を愛すること、愛されること、他者と結びついていく中で発揮される力、そのための力がプリキュアに必要なこととしてエースは明確化を行っているわけですね。


 そういうわけで、マナ、真琴、ありすのエピソードの共通項として自分を守ってくれる人の存在に気づくことがあげられます。人のために前に進む、人に与える、人を守る。近しい人の愛情に気づくお話しがメインでした。そして次回。ジコチューと愛が次第に曖昧に、どちらにも行き来するものへと変容(情報開示)しつつあります。良い流れです。ゾクゾクしますね。
[ 2013年07月21日 17:36 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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