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第11話「めざめよ!プリキュアの新たなる力!」

○今週の出来事
①人に求められる人。人を求める人。

 放課後。生徒会の仕事でか、六花は紙の山を運びます。視線の先ではマナが女子生徒達に何かお願いされています。それを見た六花は荷物を一緒にいた男子に持たせると、勢い込んでマナの元へ。
 「ダメよ、絶対にダメ
 また修羅場か。どんだけこのアニメ病気なんだ(視聴者も病気です)。どうせ助っ人の話しでしょ、と言い当てます。包帯を巻いた女子生徒の名前も知っています。ソフトボール部の千葉部長。上級生相手でもマナが絡むと全く物怖じしなくなる六花さんは流石です。
 プリキュアもあるのでなんでもほいほい引き受けるな、と釘を刺します。しかしマナは困っているようだと捨て置けません。ソフトボール部の子達も頭を下げて依頼します。やっぱり引き受けちゃうマナ。ふたりに連れられていきます。
 「もう知らない
 また寝取られました。


 マナのピッチングに唖然とする部長。予想以上の助っ人です。部員から何故勧誘しなかったのかと尋ねられると、生徒会長は部活より人助けが好きだからと断れた理由を話します。実際目の前でもマナは靴紐が切れた部員の世話を焼いています。
 そんなマナに熱い視線を送るのが今回のMVPである京田さん。初見でこの子がジコチューするのかと思ったのは内緒です。一年生の間でもマナは信頼篤い。一応京田さんもエース候補のようです。話しに気を取られてボールを取り逃してしまいます。近くにいた真琴が拾ろって無言で投げ返します。どうやら真琴はマナの様子を見に来たようです。表情からは感情が読みづらい。今回示唆されているように、友達になったとしても真琴はトランプ王国関連の問題があるので六花やありすとはまたちょっと違う要因がマナとの間に存在しています。ところで、ここの学校の制服はカラー的に真琴とよく似合います。

 マナが家に帰ると六花達が迎えます。六花とありすが「おかえり(なさい)」と呼びかけて、真琴が視線だけで答える描写になっているのは細かいですが行き届いた演出です。
 自分だけ仲間はずれ!?と思わず詰め寄るマナに部活だったでしょと六花が返します。自分だけどっかに飛びだしていくということは、自分から仲間の輪から外れることでもあるので作中で何回も指摘されているようにマナの行動は良くも悪くも安定性に欠けます。
 ソフトボールの話題を持ち出すありす。六花は安易に引き受けたマナに対して押しに弱いと皮肉を言います。ありすが試合の日取りを尋ねます。今度の日曜日。それを聞いてありすは絶対に応援に行くと答えます。すると今度は助っ人に先発を任せるヘナチョコ部、と六花が皮肉ります。なんか機嫌が悪い。生徒会でマナが抜けた分をフォローしたことをむくれながらあげていきます。「流石は六花様、愛してる~」。こんなやりとりを毎日見ていたらそりゃありすは精神的に伸びるわ。六花は、王女様捜しが進まないからまこぴーも怒っていると被害者が自分だけでないことを主張します。会話の流れに安定感があります。トラブルメーカーのマナ、世話女房の六花、調整役のありす、このバランスの中にすんなり入れるかと言えば、今の真琴では難しいでしょう。
 水を向けられた真琴は生真面目に怒っていないと答えます。けど不思議だと言います。お手伝いで呼ばれただけなのにどうしてそこまで真剣に打ち込めるのかと聞きます。いつでも全力主義、誰かの役に立てるって嬉しくない?とマナは逆に聞き返します。


 帰りの車中、真琴は誰かの役に立つってそんなに楽しいのかと何とはなしにつぶやきます。ダビィは真琴だってトランプ王国でみんなのために歌を捧げていたと答えます。それに喜びを感じていたんじゃない?と問われても真琴はよく分らないと答えます。なら応援に行ってみらたいい、刺激になるとダビィは助言します。
 ドキドキはシナリオが他シリーズと比べても少し凝っています。普通であれば真琴もマナ達の一員として感情を共有していてもおかしくないのですが、本作はそれをやりません。真琴を部外者(視聴者)の視線で描いている。話しが少し飛びますが、おそらくドキドキはこれまでのシリーズ以上に解体された物語であろうと思います。主人公がみんなのために突っ走って周りがそれをフォローする関係は今まででもありましたが、ドキドキはそこの手数を増やしています。ざっくり言ってマナ以外の子達はみんなのために行動していません。六花とありすはマナのために動いているし、真琴は王女様のために動いている。親しい関係でしか彼女達は動いていません。他者に対する認識やモチベーションが低い。これ自体は視聴者である女児の世界が狭いことと関連しているでしょうからむしろ自然なことと言えますが、この視野の狭さは現代の潮流でもあります。近代化した都市文化は人を個人主義にしていきます。日本人は実は血縁社会でも地縁社会でもないという説もありますが、とりわけ現代人のコミュニティはひどく限定されています。学校や会社、ママ友など限定された空間か、ネットなどの薄くて広い関係性が主だったもので、嫌でも付き合わないといけない関係か、親密になりたくても一緒にいられない関係を続けなければならないことが多い。安定した親密度の高い対人関係を作りにくい社会になっている。例えば日本には年齢や職業、性別を超えたコミュニティの場がほとんどありません。キリスト教圏などでは教会を通じてネットワークを形成することも可能でしょうが、日本にはそれに代わるものはありません(無いわけではないが、一般的ではない)。しかし人間は根源的に他者を求める生き物なので他者との繋がりを望みます。個人主義によって自分らしさ、自己責任が問われつつも、他者の存在を求めるのが人間の性です。
 友達と仲良しから始まるのではなく、何故友達を必要とするのか、他者とは何か、そこからはじめる。独りで生きられるが故に、他者の存在意義を再考する。人が孤独になったことの反作用なのだと思います(元々昔から孤独だったんだけど、共同体の縛りが薄まったので一層感じやすくなったのではないかと思う)。

 話しがまた飛びますが、人の役に立ちたいという考えは人間の基本的な嗜好だろうと思います。理由を簡単に言えば、人の感情(愛情や友情)は種の繁栄に有利だから。具体的に言うと友情や愛情があった方が殺し合わずに済むし、相互扶助によって助け合った方が生き残りやすいので定着化したみたいな話しを聞いたことがあります。ロマンの欠片もないんですが、人間も生き物なのでむしろ納得しやすい。人間にとって「心」は人間を人間たらしめる最重要なものだと思います。だからそれが進化の過程で生まれたただの一要素に過ぎないと言ってしまうとなんかガッカリなんですが、だからといってその重要性が損なわれるわけではありません。100万年後にどうなっているかは知りませんが、少なくとも今を生きている人間はこの「心」が無くてはならないし、また、その影響を受けて生きなければならないことに変わりありません。
 私に言わせれば、今も昔も人は変わりません。変わっているのは状況(環境や文化)だけです。人はその中で生きる意味と喜びを求める存在である、ということです。ついでに言うと、私はよく感想で「成長」という言葉を使いますが、これは進歩のようなニュアンスではありません。私が人に対して使う成長の意味は「人生を受け入れ幸せを見いだす」ことです。なので、学習、成功、出世、富、名誉、信頼、愛の獲得というような前向きなものは勿論のこと、逃避、妥協、忘却も含まれます。要は自分の生き方、今までの在り方、これからの展望について納得できればいい。時には逃げることで距離を置くことも必要ですし、忘却することで辛さを和らげることも必要ですし、妥協することで無理な理想を求めず、また過剰な期待(とそれが叶わなかったときの落胆)を軽減することも必要でしょう。無限の成長、無限の進化はおそらく近代に作られた思想です。主に経済的、国家発展のプロパガンダに使われたか、使われやすい思想。それに付き合う必要はありません。


 ストライク連発。傷が癒えるベール。キュアハートに対して因縁を持ちます。豪快に球を投げてストライク、というか粉々。それもうボウリングじゃねーよ。おっさん、イライラしすぎとイーラに言われます。マーモも触らぬ神に祟り無し、と我関せず。


②自立と依存
 マナはソフト部のユニフォームを洗濯。それを知った一年生達は驚きます。雑用は自分達がやる、助っ人なんだから練習に専念して下さいと言います。しかしマナは自分一人が頑張ってもチームは強くならない。切磋琢磨し合うことでチームは強くなると一年生を叱咤激励。意外と上級生しています。一緒にランニング。
 下級生達と別れると、ノッポさんが声をかけます。粉ミルクが切れたので買い物と言うノッポさん。普通のミルクも飲むのか。ジャージのまま下校なんて珍しいと言われたマナは照れながら答えます。

 事情を聞いたノッポさんはお守りをあげようとラビーズを取り出します。新商品投入のサイン。アイちゃんが掴んでしまったのでそのままアイちゃんの胸に付けます。
 そこにベール登場。緊急事態ですがノッポさんの手前変身が躊躇われます。ノッポさんのリアクションは完璧。一般人のソレ。べールも彼に関心を持ちません。マナは戦う理由が無いと答えます。トランプ王国の惨状を目の当たりにしてそんな寝言を言うのかと問うベールに、あなたを倒したところで王国は元に戻らないと言い返すマナ。おお、凄い、ドキドキはやっぱり頭が良い。マナという人物の理解力、組織の末端を潰しても解決にはならないことが示されています。これは物事の本質はどこにあるか?という疑問に対して自覚的な証拠なので期待値があがります。
 「倒せる前提のその物言い、気に入らんな!」
 べールさん器小さい。攻撃を仕掛けてきます。マナを庇ってノッポさんが撃たれます。余計なマネと罵るベールに、誰かの命を守りたい、誰かに尽くしたい気持ちが分らないの?と尋ねるマナ。聞く耳を持たないベールはアイちゃんを人質に取ります。日を改めて決闘。ソフト部の予定とブッキング。

 CMで新商品バレバレじゃないですか。どんだけ売りたいんだよ。


 試合当日。ざわつく会場。ありすが六花に声をかけます。隣に真琴とダビィ。この人らこんなとこに堂々と居て大丈夫なんでしょうか。部員達の方を見ると、マナがまだ来ていないようです。
 病院のベッドから出るノッポさん。マナの身を案じます。っていうか、普通にボロボロってこの人戦闘力はないんだな。

 埠頭。一対一。マナは変身します。
 「ジコチュー極まりないそこのおじさん、このキュアハートがあなたからアイちゃんを取り戻してみせる!
 敵の名前を知らないのでおじさん呼び。仲間内でもおっさん呼ばわり。地味にこういうの好きです。ところで、マナがソフト部のことを憂慮する描写が一切ないのは、彼女の気性を示しているかもしれません。1話で六花が話している間に迷子を助けに行ったように、目の前で問題が発生したらそれに集中するタイプだろうと思います。基本的にこの子は視野が狭い。六花がそれを補っているものと見られます。ありすは資金と情報源。

 シャルルを呼び出しますが応答無し。試合の方もメンバーが揃わないなら不戦敗になると審判が言います。ピッチャーひとりしかいないのかよ。六花が言うようにヘナチョコすぎんだろ。その様子を見る真琴は浮き足立つのも無理ない、一番頼りにしていた者が急に消えてしまったのだから、と内心つぶやきます。王女のことでしょうか。なるほど忘れがちですが真琴は求心となるべき人を喪失しているので孤独感が強い(ダビィは保護者と見ていい)。一番身近な人を失っている彼女は、それ以外の人との心的な距離を実際よりも大きく感じるでしょう。特定の人とあまりに近づきすぎると、それを失ったときの喪失感とそれを埋め合わせるための努力と時間への見積もりが極端に増大します。
 これ以上待つのは無理。すると一年生の京田が自分に投げさせて欲しいと願い出ます。マナの言葉を引き合いに出しながら自分達が奮闘すべきだと言います。了解する部長。試合が始まります。セバスチャンがありすに耳打ち。情報早い。


 一対一では分が悪いハート。しかもトラップが仕掛けられているためさらに状況悪化。卑怯者と罵られても最高の褒め言葉と何処吹く風。トラックが突っ込んできます。間一髪冷凍光線でストップ。セバスチャンが一晩ならぬ小一時間で探してくれました。どんなに優秀な選手がいても一人では勝てない、チームなんだからもう少し頼れとロゼッタ・ダイヤが言います。ソフト部も頑張ってる自分達も頑張ろうとソードも答えます。
 集合したので名乗りをあげます。チームとして揃って初めてプリキュアとなる、という示唆ですね。

 ベールは黒いハートを取り出して飲み込みます(事前に一般人から取り出してキープしていた模様)。物語序盤にも関わらず幹部のパワーアップ。これは予想外。プリキュアも緊張します。ジコチューの能力を吸収してパワーアップ。ベールビースト。
 「うわー
 「これは…
 「なんと申しましょうか
 「微妙…
 大不評。完全な出オチです。スマートフォンじゃないあたりがおっさん臭さを漂わせています。これはあれか、一種の心理戦か。笑ってはいけないという。
 戦闘再開。カメラのフラッシュを使って目つぶし。ロゼッタとダイヤを強襲。ソードのキックを本体の折りたたみ機能でいなし、バイブ機能で振動攻撃。なんか地味だ。しかもなんかちょっとエロいぞその攻撃。はき出してハートにぶつけます。ナリはあんなんですが、手強い相手です。必殺技もガードされて万事休す。
 アイちゃんを狙います。「グッバイベイビー」。このおっさんセンスやべぇ。


③ドキドキ!プリキュア ラブハートアロー(税込み4,935円)
 そういうわけで新商品のご紹介。ラビーズをプリキュアに配布。全員同時支給。ちょっと残念。一人だけ支給が遅れて落ち込む人が出るんじゃないかと期待していたんですが。
 「ラブハートアロー!
 まさかの新バンク4連続。作画班頑張ったな。
 「プリキュア・ロゼッタリフレクション!
 最初はロゼッタ。バリア構えてる後ろ姿が凛々しい。っていうか、やっぱりこの子だけ作画が気合い入ってる。あからさまな贔屓です。
 「プリキュア・ダイヤモンドシャワー!
 ダイヤはタンバリンのようにして使います。コスチュームがヒラヒラしているので踊り子っぽい。脚のポーズの付け方もそんな感じ。ちなみに伝統的にプリキュアは必殺技名に「プリキュア」の単語を入れます。
 「プリキュア・スパークルソード!
 ソードは弩(クロスボウ)のような使い方。このアイテムは籠手のように持てるので接近してゼロ距離で撃つなんてことも出来そうです(プリキュアはそういうことをやりかねない)。怪我から復帰したのにまたフルボッコとかベールさんも大変。
 「プリキュア・ハートシュート!
 主人公特権というか、アニメのカッコイイ嘘というか、リムが伸びてます。完全に弓矢。このタイプの技はアクアやビューティでもありましたが、彼女らのソレが弓道的な作法と美を基調としているとすれば、ハートのソレはアニメの王道的必殺技モーション。ウィンクするのもケレン味ですね。

 ベールさんまた入院です。無事アイちゃんを取り戻します。
 物陰から様子を見ていたノッポさんも一安心。

 ソフト部は最終回で1点差リード。お約束どおりツーアウト満塁。押し出しの危機。マナの応援に勇気を得た京田は最後の渾身の投球。ストライク。試合終了。辛くも勝利を得ます。
 部員に頭をさげるマナ。京田は代弁するように言います。
 「今度のことで気づくことが出来ました。誰かに頼ってばかりじゃなく、私達一人一人が自分を信じて力を合わせればどんな困難も乗り越えられるんだって。それは会長が教えてくれたんです。ありがとうございました
 真琴もまたその言葉に勇気付けられます。


④次回予告
 六花の恋敵は留まることを知らず。敵幹部がコスプレ大会をはじめました。


○トピック
 次回新幹部が登場しそうな感じですが、マナと新幹部の関係でまた嫉妬しちゃう六花さんが見られるのかと思うと今から胸がキュンキュンしますな。

 ドキドキの特徴は人間関係が非対称なことです。前回のマナと六花がそうであるように相手に対する要求水準が各々違います。過去シリーズではこのレベルはほぼ同じでした。だからメンバーの誰か一人が困難に直面して解決したら、それは全員に共有されると言って差し支えありませんでした。多少の差はあっても基本的にはプリキュアにおける仲間(親友)は均質で均等な関係であることが前提にありました。ところがドキドキは各々異なっていることが物語の主軸に置かれています。個人レベルに解体されている。同じようなことはスマイルのときにも書きましたが、ドキドキはそれがより顕著です。もうちょっと分かりやすく言えば、マナ達は今のところ「プリキュア(友達)」という共同体を作っているというよりは、個人個人が網の目のように繋がった関係を形成しています。これはシリーズを長期的に見てもそのように変化していることが見えます。プリキュア5はのぞみを中心としたコミュニティでしたが、同じ5人組であるスマイルは個人が前提にあって協力しあっている関係として描かれています。これは物語の課題が自立と依存(自己と他者の関係)について言及の度合いを深めているからだと思われます。チーム(仲良しグループ)として何が出来るのか、ではなく、一人ひとりにとって友達とはどういうものなのか、に焦点が当てられています。つまり他者性の意味を問う物語構造になっています。

 マナの幸せの王子問題は色々な課題を抱えているのですが、今回であればマナがそのまま代理を務めていたら京田さんの出番はなかったでしょう。チームとしての自立心も育たなかったはずです。ということは、マナが当初やろうとしたことは物語的に正解ではないことになります。今回のポイントはマナが役に立っていないことです。マナがみんなを助けているのではなく、みんながマナを助けている、あるいはマナをお手本に自分で切り抜けている。
 ドキドキの方向性として見えてきたのは、まず人間関係の非対称性を認めることがあげられます。それぞれ独立した個人として問題提起と解決が行われている。前回は六花が主役になりましたが、今回は真琴が裏主役みたいなもので、マナの姿を見ながら真琴は人知れず自分の今後について考えています。共有されていない。それで構わないと本作は認めているわけです。友達だから、親友だからといって相手の全てを知っていなくてもいい。相手を信頼し理解するということは相手の全てを知るということではない。ドキドキは均質・均等性を捨てています。端的に言えば過剰な共有(依存)を否定しています。そこまで馴れ合わなくてもいい。
 また、今回のマナがそうだったように、どんなに優秀でも一人で全てを解決することはできません。ということは、一人で全てを解決出来ることは目標とされていません。万能超人でなくてもいいと言っています。人の助けを認めている。端的に言えば過剰なスタンドプレー(自立)を否定しています。そこまで一人で抱えなくてもいい。だからこそ真琴は一緒にマナ達と戦いたいと思っているわけです。

 過剰な依存や自立はむしろ生活を辛くします。人間が依存する(人に頼る)のは当たり前のことだし、自立していることも当たり前のことです。自分も頑張るけど、お前も頑張れよというのが本作が今までやってきていることです。あの人も頑張っているのだから私も頑張ろう。私もあの人のように、あの人の期待に応えられる自分でありたい。「自分で考える」はスマイルの大事なメッセージでした。本作においては主人公達だけでなく、ソフト部の部員も自分で考えて動いています。ソフト部のマナを頼る気持ちはジコチューと言えたかもしれません。しかし彼女達はその頼る気持ちを自分達が奮闘する気持ちに変えています。
 プリキュアの物語的本質はここにあります。世界を救う唯一無二のヒーローは必要とされていない。誰もが持っている気持ち、誰もが出来る可能性があること、つまり人間の可能性の体現がプリキュアです。誰もがプリキュアになれる可能性を持っている。ここの提示の仕方にどれだけ説得力を持たせられるかが物語の鍵です。


 人の役に立ちたい。これは人間が持っている当然の気持ちです。これを純化した思想を博愛と呼ぶのでしょうが、私は博愛を認めません。見返りを求めない愛、普遍的な愛、無限の愛などという超人的な心性を人間に求めるのは間違っている。だって人間にできないもん。見返りを求めたって良いじゃない。お互いにそれを交換しあったっていいじゃない。嫉妬したって、憎んだっていいじゃない。でも最後には前を向いて進みましょう。だって幸せになりたいでしょ? 人を憎んで幸せになれる人なんていない。神の心(超人的な心性)を体現する必要はないけど、努力目標としてあって良い。人間は怠ける生き物だから、ちょっとハードルを上げて刺激的な人生にするくらいがちょうどいい。
 …って話しがズレた。話し戻して、人の役に立つということはどういうことなのか?というのが今回の一つの示唆です。「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣りを教えれば一生食べていける」という言葉があります。この物語は、あなたが代わりになるのではなく、あなたが人を変えていけることを学んでいこうとしているのかもしれません。
 友達は大切な存在。だから自分も友達として相応しい、友達に信頼され頼られる存在であるように変わっていきましょう。ドキドキは能動的で精神ステージが高い物語です。依存が自立を、自立が依存を生み出す。この矛盾と循環を原動力に変えていく。人間には矛盾が必要です。私は他人に興味がない(というか、他人と一緒に居られない)ので孤独が生き方のベースになっています。けど、だからといって他者を必要としていないわけじゃない。他者の重要性を強く感じることは多い。この矛盾を私は必要な矛盾だと思っています。自分を変える種を蒔くために必要なもの。勿論その度に悩んだり、苛立ったりする。それが養分になる。それでいい。
[ 2013年05月23日 20:12 ] カテゴリ:ドキドキ!プリキュア | TB(0) | CM(-)
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