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コラム5「ふたりはプリキュア総括感想」

①総論
 「ふたりはプリキュア」という物語はなんなのだろうか、それは「希望、友情、協力、信頼ということを持ち絶望に立ち向かい、そしてそれらを全て日常に回帰させる」という物語なのだと思う(纏まってないなぁ)。
 日常のための力であり、戦うためだけの力ではない。プリキュアがその力を発揮するのは戦闘においてですが、そのキッカケや基本的な力の根源は日常に通じる、いやむしろ日常をメインにしたものです。細かいことは下記項目で詳細に書いていきます。
 
 プリキュアは、必ずしも完成度が高い作品ではないと思います。ファンブックのインタビューであったように大急ぎで製作されたこともあり、サブキャラの設定の仕方が雑だったり、一定した作りになっていなかったり、細かい話が活かされなかったりしました。計画的な構成ではなく、良く言えば臨機応変。悪く言えば行き当たりばったりでしょう。しかし、それでも私がこの作品を見続け好きな理由は、たった一つです。最終回を見終わってふと考えて気付きました。テーマ云々ですらありません。それはなぎさとほのかのひた向きなまでの意志と笑顔です。理屈無用でそんな元気さが大好きなのです。強い意志と優しさに満ちた一年間でした。なぎさとほのかに私は「ありがとう」と言いたいです。

②日常と普通さ
 日常と普通さについては、みちたろさんの「プリキュアをひそかに応援したい日記(1月27日)」やひでさんの「自己満喫。(雑記No145)」、えみさんの「あまいおかし いっしょにたべよう(1月28日)」が最も分りやすく的を射ているだろうと思います。勝手に引用申し訳ありませんが、書かれている事に感心と、最終回の総まとめで書こうと思ってたら先に書かれちゃって悔しいな、という感情がない交ぜになって複雑な気分。どちらにせよ、私ではここまで分りやすい文章は書けなかったでしょう。素敵な文章ありがとうです。

 さて、人任せにして自分の感想を書くのは良くないので、自分なりに書いていこうと思います。何しろ、これは私の感想ですし。要はキャラデザにしたって日常描写にしたって極めて普通な感じなのだけど魅力的に描かれているということなのですが、えーっと自分の文章で言えば、コラム2「DVD発売!ってことで再考」をご参照下さい。今でもその感想に変わりありません。
 それらに付け加えて言えば、プリキュアは戦闘を含めて全て日常に回帰できるようにしています。逆かな、日常からの提起を戦闘で用いる、のかな。例えば、協力すること、信頼することを戦闘で表現して敵に打ち勝ちます。そしてそれを日常に回帰させます。戦闘で得た経験を戦闘のみに留めず、日常に持って帰っています。「プリキュア」としての戦闘は日常と完全に切り離されていますが、「なぎさとほのか」としての成長は連続した地続きのものとして描写されています。戦闘に勝つキッカケや要素が彼女達を成長させる糧になっており、その糧そのものは日常の中にあります。つまりは、戦闘に勝つ事が彼女達の成長に繋がるといっていいです。戦闘のみでの成長・経験値アップは無いです。これは視聴者にとって非常に分りやすいです。プリキュアが勝つことはそのまま、彼女達の成長になっているからです。


③人の意志、他者との繋がり
 最終話の感想トピックを参照願います。いや、同じ事なので。一応総括なので項目は入れた方が良いかと思いまして。
 

④敷居がとんでもなく低いプリキュア
 プリキュアは敷居が低いです。敷居が低いというか、装飾を完全に取り払って表現した物語といえます。とにかくストレートです。希望や意志の力を完全無欠に力に変換し、敵が強かろうがなんだろうがプリキュアが大きな力を発揮して勝つ物語です。難しい話なんて一つもありません。そこには一貫したテーマとそれを直球勝負で見せなければならないお子様番組的な事情もあるでしょうが、個人的には余計な装飾を除いたテーマを直に体感できる方が好きです。こ面倒な設定やプロセスは必要ありません。そんなストレートさを素直に楽しめば非常に楽しく、優しく、心強く、日常と人間関係を肯定的に受け取れる話として見ることが出来ると思います。逆に、そういうことに着目しなかった場合は、期待値を満たせない場合もあるかもしれませんね。ご都合主義の塊ですし。私はそのご都合主義が大好きなんですが。


⑤ところが、提示の仕方に問題があったかも
 しかしながら、プリキュアにも失敗した点があったと思います。それは、この作品が何なのか?という視聴者に対する提示の仕方です。一話やOPだけを見ればコメディタッチなアクションとほのぼのとした日常が魅力の作品にも見えるし、今までとは違ったかなり意欲的な作品とも見れます。要はポイントの範囲がかなり幅広く、そのために結果して作品本来の魅力(と言っても、私が思っている魅力なので、それと違かったとしても肯定的に評価できるならばそれも魅力です)とは違う期待を抱いてしまう場合もあると思います。また、ストレート過ぎる描写もこの場合に影響して、ワンパターンな印象や単純に見えてしまう理由になったのかもしれません。まあ、この辺は大きいお友達関連の話なので、小さいお友達には無縁な話ですが。

 実際、私の見方の変遷を考えると、
1~8話:ふたりの友情の醸成を期待。→期待通り

8~26話:ふたりの更なる成長を期待。日常描写への期待。→期待どおりではあるが、闇との対決の流れがいささか不満であり、戦闘描写も少々物足りなさを感じる。

28話:この回により、個人的な考え方を一新。今の考え方の元になる。

28~最終話:日常と戦闘の中でのふたりの成長と人間関係の魅力、プリキュアそのものを楽しむ。→言うまでも無く、友情愛情サイコー

 という流れになっています。28話そのものが直接的ではありません。何となく、今まで漠然としていたことが、そのあたりで固まったというような感じです。そして、他のサイトさんの感想なんかも影響していますね。良い意味で刺激的でより一層プリキュアを楽しむ事が出来るようになりました。


⑥言葉―伝える事―
 これもまた、ストレートさのひとつですが、幹部戦においてプリキュアとの対話(かみ合ってなかったりするので対話として成立していないものがありますが)があります。これって、つまりは、他者に伝えること、なんでしょうね。自分の想いや気持ちを言葉にすること。それを他者に伝える事。何も言わなければ、何もしなければ他人は分ってはくれません。言葉にすることで相手に伝わります。その相手が同意してくれるかは別の話ですが。
 ブラックやホワイトが戦いの中で語るその言葉は、相手に対してはもちろんの事、自分に対しても、相方に対しても、そして視聴者に対しても向けられています。それを聞いた視聴者は彼女達の想いを直接的に知る事が出来ます。彼女達が毎回毎回飽きるくらい、日常の大切さや他者との繋がりや意志の強さを語ったことは、決して無駄なことや形式的なことではなかったと思います。伝えること、そのためには自分がどう想っているかを知ること、そういうのも毎回ストレートに表現してくれましたね。


⑦光の園とドツクゾーン
 光と闇は表裏一体とかジャアクキングが倒れるとクイーンも倒れるというように深い関係性がある光と闇。また、闇は自らが蝕まれておりそこから開放されるために光に侵攻するという流れにもなっています。これはドラマ性のある話でどういう締め方をするんだ?共存できるのか?という期待もあります。が、個人的にはそんなことはどうでもいいと思っています。
 結論から書けば、プリキュアは「正義と悪の物語」ではありません。正しいとか悪いとかの話では無いと思っています。では何なのか?光と闇は何なのか?これを言い換えると希望と絶望だと思います。
 ドツクゾーンを例にとって見ると、早い話「お前らはいずれ死んでしまうんだ。何もかもがなくなってしまうんだ。何をやっても無駄なんだよ。どんなに頑張っても俺らが支配するんだ」と言っています。絶望の象徴なんですね。
 光の園はクイーンは信じるということを象徴しており、メップルミップルポルンは希望(力の発生源)としての象徴。プリキュアはその体現者です。

 虹の園の住人、つまりは人間には常に希望と絶望がつきまといます。無理なんじゃないか、こんなことやるだけ無駄なんじゃないか、できないんじゃないかという不安や絶望的な思考。しかし、それに対抗する思考として頑張れば出来る、成せば成るという希望があります。
 希望と絶望は本来切り離す事が出来ません。何故なら発生源が一つだからです。その相反した思考が希望と絶望であり、どちらが消えるとかあり続けるということはありません。希望があるから絶望があるともいえます。逆にどちらかが完全に消えるということは、片方も消える事を意味します。人間の死(または精神の疾患)という形で。
 光の園とドツクゾーンはその思考を分離させたものなのではないかと思います。そして、「ふたりはプリキュア」はその希望と絶望の中で、巨大な絶望を個の力では難しくても皆で力を合わせて、希望を忘れず持ち続ければ必ず絶望に勝てるということを直球勝負でやってのけた作品だと思います。「正義と悪」ではなく、「希望と絶望」なのです。だから、どちらが正しいのではなく、希望を持ち続けることが困難を退け日常を暮らすための手段なのだということです。
 こういう解釈はメタフィクション的な解釈であり作品世界的に解釈するのとは全く別なので、本来正しいのかは分りません。作品世界の設定を無視しているとも言えるのですが、受けて側の解釈として有りなんじゃないかと思います。


⑧2年目
 発表された時は実はちょっと残念だったな、と思いました。プリキュアのテーマを考えれば1年で十分でしょうし、下手にダラダラになれば1年目自体が悪くなってしまいます。キチンと纏めてほしいという気持ちがありました。何よりも、日常にいるべきなぎさとほのかが戦わなければならないという状況事態が2年も続くというのは切ないです。
 これは仮面ライダークウガという作品であった話なのですが、アギトを作る際に完全な続編にしなかったそうです。視聴者の人気や声は続編を望むものでしたが、次作のアギトは(ちょっと、変なニュアンスですが)続いているが別作品にしたそうです。その理由として、皆の笑顔のために戦っていたクウガである主人公がまた事件が発生したら悲しむというようなことがスタッフから語られたそうです。多分にリップサービスも含むと思いますが、そういう製作側の態度は私は好きです。作品としての完成度や愛情を感じます。人気があるから続編ってのは、完全に完結した物語においては蛇足にしか過ぎないのです。
 プリキュアもそうであって欲しいな~と思っていました。まあ、とはいえ、だからと言って悪くなると決まったわけでもないでしょうし、1年目途中で決まったわけですから2年目を視野に入れた話を作れます。それにやるんだったら、もっとキュアキュアした作品になって欲しいという気持ちもあります。むしろ、そう考えるのが前向きでしょうね。実際、ふたりの活躍を見れるのは嬉しいです。

⑨最後に
 この一年間、本当に充実したものでした。日曜朝が楽しみで、仕事なんて身に入りません(←プリキュアの何を見ていた)。この感動や気持ちを言葉にするのは難しいです。というか、全話の感想を欠かさず毎週何時間もかけて書いたという事実から察していただけると幸いです。もう、自分でも不思議です。
 この気持ちを言葉に変えるのならば、プリキュアありがとう。

そして、前述でも紹介したサイトさまを含め数々のプリキュアサイトさまに感謝いたします。プリキュアを楽しむことができたのは数々のサイトさまのおかげです。このような形で、プリキュアのテーマの一つを体感するとは思っても見ませんでした。独りよりふたり、ふたりより~ってことですね。

 本当に最後に、こんな毎度毎度長い感想をお読みくださった方々に感謝します。ありがとうございました。

 マックスハートへの期待を一つだけ言えば、絶対、絶対、絶対になぎさとほのかの水着姿ありますよね!?(諦めてなかったのか)
[ 2013年05月21日 19:16 ] カテゴリ:ふたりはプリキュア | TB(0) | CM(-)
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