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第41話「私がマンガ家!?やよいがえがく将来の夢!!」

○今週の出来事
①やよいの物語

 ちょっぴり泣き虫だけど絵を描くのが大好き。でも人に見せるのはちょっと恥ずかしい。
 時は流れ、現在。やよいはスケッチブックに女の子の絵を描きます。みゆきに尋ねられると半べそかきながら見ちゃダメだとスケッチブックを抱きかかえます。OP映像を本編の中に取り入れています。あかね達は異口同音に上手い、見せて欲しいと頼みます。
 絵の女の子はやよいのオリジナル。それを聞いて益々感心するなお達。れいかもプロの漫画家さんみたいだと言います。将来漫画家になれるのでは、とみゆきが続きます。それを聞いたやよいは表情をパッと明るくします。


 自分が漫画家になったイメージを抱くやよい。確かに「漫画家=ベレー帽」なイメージはあるね。
 めっちゃ人気の職業と言うあかね。実際、女の子の将来なりたいものランキングでは上位にくるそうです。面白い漫画はテレビや映画になったり、先生と呼ばれたりするようになるとみゆきとなおも連想を広げていきます。そう考えると一種のアメリカンドリーム的な感じですね。我が身一つで全国的な知名度や収入が得られる可能性はある。
 やよいは漫画家になるのは難しい、プロになれるのはほんの一握りだと常識的に答えます。隣で話しを訊いていた男子生徒が漫画コンクールに応募してみては?と水を向けます。腕試しにはちょうど良さそうです。
 やよいは瞳を輝かせてやってみる!と言います。

 ベレー帽をかぶってやる気を出すやよい。まずは形から入るタイプか。それよりも壁にかかっている戦隊もののカレンダーが気になるんですけど。
 原稿に向かってみたものの何を描けばいいのかと迷います。スケッチブックを開いて自分が作ったキャラクターを眺めます。頑張ってね、とそのキャラクターから応援されるイメージを抱いたやよいはそのキャラクターの物語を描くことにします。

 次の日。「ミラクル・ピース」という題でキャラクターが描かれた原稿を学校に持ってきます。名前といい、キャラデザといい大分自分を投影したキャラのようです。それを見たみゆき達はテンション上がります。やよいは恥ずかしがるものの期待を寄せるみんなの反応にまんざらでもない様子を見せます。尤も中身は全く手つかずで表紙だけのようです。ガッカリする男子生徒達。いやいや、一晩で出来るわけないでしょ。そんなの出来るのジェパンニと青山(充)さんくらいだろ。
 やよいはみんなの期待に応えようと締め切り前までには描き上げると言います。これはアレです、ちょっと言い方を悪くすると調子に乗り始めた前兆です。最初はその気がなかったものの、みんなからチヤホヤされてなった気になるパターン。まだ自分の実力が分かってないから出来る出来ないの判断もできない。


 袋小路に追い詰められる女の子。後ろから見るからに怪しい格好をした変態が追ってきます。女の子は変態に向き合うと世界征服の企みを聞いた、と反抗的な目で見つめ返します。変態が放ったビームを跳躍してかわすと女の子はミラクルピースに変身!
 というところまでを漫画化。気づくと深夜の12時を過ぎています。原稿は大して進んでいません。
 授業中、自分一人ではやっぱり無理なのでは?と不安になるやよい。自分は浮かれていたのかと反省しはじめます。この手のタイプは不安を実際よりも大きく見積もる傾向があります。しかしやよいもただ漫然とこの一年近くを過ごしてきたわけではありません。やり抜かなくては、と不安を抑え込みます。おかげで先生の声が耳に入りません。慌てて教科書をめくります。

 帰り道。みゆき達が察して漫画を手伝うと言います。先読み早ぇ。困ったときはお互い様、プロだってアシスタントがいる、力になる。
 「ありがとう
 その言葉に微笑むみゆき達。しかし続くやよいの言葉は彼女達と視聴者の予想を裏切ります。
 「でも、私、一人でやってみようと思う
 やよいの物語…というよりスマイルは自立の物語なのだと思う。「みんなと」はあくまで最後の切り札。まずは自分一人で限界まで頑張ってみる。自分の夢も自分の大切なものもまずは自分で掴み取らねばならないのだという決意。
 ミラクルピースだったらきっとそう言うと思うから、とやよいは答えます。自分の理想を仮託したキャラクターの言葉を使うことで遠回しに自分に還元させていく。自分の言葉としてはまだそう言えないけど、いずれそうなりたいという意思表示を含んでいます。人というのは何とも回りくどく、迷いやすい。
 泣き虫だったら強くてカッコイイスーパーヒロインに憧れて絵を描いていたと話すやよい。それがミラクルピース。やよいの理想の自分。漫画を描くのがすごく大変だと知った、みんなの気持ちも嬉しい、けどこの漫画は自分にしか描けない。一人で頑張ろうと思うと再度自分の意思を伝えます。


 ジョーカーに呼び出されるアカオーニ。ジョーカーはウルフルンの時と同様、アカオーニに最後のチャンスを与えます。ピースのカードがアカオーニの足下に突き刺さります。うわ、ホントにご指名だよ。ジョーカーさん空気読みすぎやで。身内でもアカオーニが黄色押しってバレてるじゃないですか。
 アカオーニが去ると期待していますよ、とつぶやくジョーカー。絶対そんなこと思ってないでしょ。


②ヒーローは何処に?
 カレンダーには×が増え、○までの期間が差し迫ってきます。しかし漫画の方は順調とは言い難い様子。
 夜の公園を一人歩くやよい。すると突然空からミラクルピースが降ってきて地面に倒れます。ちなみに今回の演出は19話の人と同じです。イチョウが雪のようにしんしんと降っているのも、雰囲気的にも似通っています。すっかりこの人はスマイルの黄色担当。スマイル監督に黄色押しがどうのと言っておきながら自分が黄色担当してるとかしたたか者です。
 話しを戻して、戸惑うやよいの前に例の変態が現れます。ミラクルピースは行動不能。変態はやよいにターゲットを変えます。本当に漫画家になれると思っているのかと問います。途中で投げ出すと自分で気づいているはずだ。現実は漫画みたいに上手くいかない。諦めろ。ビームが撃たれます。ミラクルピースがガード。まだ終わりじゃない。所詮はそこの泣き虫に作られた存在。強いミラクルピースなど存在しない。メタ的な会話。やよいの希望と絶望、期待と不安、迷いが戯画化されています。

 夢から覚めるやよい。起き上がった拍子にインクがこぼれ原稿が汚れてしまいます。インクを拭き取りながら、変態の言葉を思い返します(シリアスなシーンで変態って書くのどうかなって思い始めたんですが、他に良い呼び方もないので継続します)。漫画は遅々として進まず、原稿はこの有様。泣きっ面に蜂。半泣きになるやよい。あかねとなおの言葉が浮かびます。間違いなく彼女は浮かれていたのです。自分に出来そうだ、漫画家になれるのではないか、という淡い期待。でもやっぱりトントン拍子に出来るわけがない。彼女はそのことを知ります。「ジュエルペットてぃんくる」という作品でも主人公が漫画家に憧れて実際に漫画を描こうとするエピソードがあります。今回のように上手くいかないことを知る。この手の子ども向け番組では当然の流れなのだと思います。理想と現実、そのギャップを突きつける。問題はそこであなたはどうするのか?ということです。
 やよいは原稿を掴み取ると束の間、脇に置かれたゴミ箱を見つめます。ゴミ箱はすでにいっぱい。やよいは部屋を飛び出します。ベレー帽は置き去り。

 外に出るとみゆき達が差し入れを持ってやってきます。つくづく気が利く子達です。それがやよいには辛い。期待が重い。
 「ごめんなさい…私…やっぱり…やっぱり無理だった!
 やよいは泣きながらその場を逃げるように走り出します。
 公園でゴミ箱を見つけると、その前で立ち止まります。墨で半分黒くなったミラクルピースの顔。分かりやすい比喩です。踏みとどまるか、逃げ出すかの分岐路。

 やよいが困ったときのアカオーニさん。絶対この人はいい人です。やよいが泣いている時に必ずやってきて厳しく指導してくれる。父親がいないやよいにとってある意味父親代わりの存在(今テキトーに思いついて言いました)。カウント14。
 アカオーニを前にして自分一人では無理かも…と不安になるやよい。原稿に気づいたアカオーニはそれを奪い取ります。器用だな。漫画を返して!と要求するやよい。まだ未練があるようです。俺様に勝ったら返してやる。漫画を捨てるかどうかから難易度が上がりましたが、これによって能動的な意思が求められています。自分の心に打ち勝つか負けるか。
 「こんなときミラクルピースなら…
 理想とする代理自己を支えにやよいは変身します。

 アカオーニは漫画に憑依。例の変態になります。超分かりやすい対比。
 果敢に挑むも返り討ち。漫画と現実は違う。ミラクルピース?くだらない。切って捨てるように言うアカオーニ。ミラクルピースは私の理想のヒロイン。私の憧れ!だと泣きながら叫ぶピース。この子は恵まれています、作画的な意味で。彼女の不安と情けなさ、必死さと気高さがその表情で表現されています。
 再び飛びかかりますがやっぱり返り討ち。当然です。何故なら彼女は理想の自分像にしがみついているだけだからです。捨てたくない、壊されたくない。それを失ったら自分の支えが失ってしまうという後ろ向きな印象が彼女の言動から見えます。自分が作った漫画に憧れるなんてどうかしている。所詮弱虫なお前の幻と素敵に切って捨てるアカオーニ。やよいがやっているのは自己愛的な欲求と願望です。

 トドメとばかりにビーム。ピースはそれをミラクルピースと同じポーズで防ぎます。
 「ミラクルピースは幻なんかじゃない。私がちゃんと最後まで描き上げてミラクルピースの物語を完成させるんだから
 「お前さっきこの漫画を捨てようとしていたオニ」
 ちゃっかり見ているアカオーニさんの観察眼が光る。
 「本当は気づいているオニ。お前は泣き虫で一人じゃなにも出来ないオニ。どうせ途中で投げ出すに決まっているオニ」
 「あなたの言うとおり、私は泣き虫で一人じゃ何もできないって思ってた。だから強いヒロインに憧れてミラクルピースを作り出したんだって
 「そのとおりオニ。だからそんなもの幻だと言ってるオニ」
 「違う! ミラクルピースは私の中でちゃんといる! 私の中に、ほんの少しだけある強い心がミラクルピースなの!
 「私、漫画を描くのが好き。その強い気持ちがある限り、私は絶対諦めない!
 稲妻が天に向かって昇ります。

 「自己愛」と言うとき、どことなくその言葉にはネガティブな印象を受けると思います。自己中心的、利己的なイメージですね。ですが、敢えて言いましょう、自己愛のどこが悪いのだと。人は誰もが他者に依存し、自分が好きな生き物です。自立、博愛が優れていてそうでなければ劣るなどという考えは一面的で人間の本質を見誤っている。人は自己愛の中から理想とすべき自分を見定め、そして自分がそうなることが出来る生き物であるし、他者への依存の中から自己の存在価値(他者から見て自分がどう関わっているか)を知ることが出来る。自己愛と依存は博愛と自立に繋がり、そしてまた自立と博愛から自分の価値(自己愛)と他者との結びつき(依存)が生まれていく。…と思うのは私が自己愛的な人間だからです。人は自己正当化する生き物です。重要なのはその正当化の過程で自分の在り方を誇れるか、その手段によって自分が目指すべき道を進める確信を持てるかということです。手段そのものは割とどうでもいい。
 とある精神科医曰く心の病の原因を突き止める、つまりそれが真実であるかを突き止める必要は無いのだそうです。なんとなくそれっぽい理由で、患者本人がそう思えて、それで症状が改善すればそれで良いのだそうです。重要なのは真実を求めることではなくより良き生を営むこと。真実や真理が人を幸せにするとは限らない。だからこそ人の生は面白い。人は幻を現実として生きられる生き物なのだ。


③ヒーローは此処に
 強そうなBGMがかかる中、ピースも神々しく輝いています。これが演出と作画に定評がある黄色の真骨頂。
 拳と拳のぶつかり合い。泣き虫の、小柄でひ弱なパンチが大男を退けます。女児向けヒロインものの醍醐味です。子どもが大人を圧倒する。アカオーニはジョーカーの言葉を脳裏に刻みながら拳を振るいます。後がない。追い詰められているのは彼らの方。アカンベェを蹴り倒した直後の身体をひねっているピースがカッコイイ。
 「プリキュア!
 雷が天からピースに降り注ぎます。普通にこの時点で戦意無くすわ。
 「ピースサンダー!ハリケーン!
 これまでの中で最大のご褒美を貰うアカオーニ。大の字になって地面に倒れます。きっと悶絶してます。

 疲れ果てながらピースは漫画を返してと要求します。しかしアカオーニはもう後がないと決死の覚悟を見せます。プリキュア達が幸せ(自己実現)を掴んでいく裏で敵の退路が断たれていくって実に皮肉な話し。おそらく意図してやっている。誰かが幸せになるとき、知らぬ間に誰かがその割を食っているかもしれない。正義を証明するために悪があるのだとしたら、その悪の犠牲の代価は誰が払うのか。踏み倒しているんじゃないのか。人は結局比較と暴力の中でしか幸せを生み出せないものなのか。この世界は所詮選ばれた人にのみ住み心地の良い世界なのか。ぶっちゃけ、そう。では、プリキュアはその世界で何をするのか? というのがプリキュアにおける問題提起のやり方ですね。プリキュアはもはや自分達だけが幸せになることを望まない。
 気が利く仲間が空気を読んで参戦。
 「私、これからも挫けそうになるかもしれない。けど、一度決めたことは絶対最後までやり抜く!
 偶然か意図してかはわかりませんが、ピースのこのセリフは1話のみゆきのセリフと重なります。ハッピーがこのセリフに反応しているのも興味深い。
 カウント9。

 やよいはみんなに漫画を描き上げることを約束します。これはやよいがやよいであるためにも必要な約束です。


 果たして、漫画は描き上がります。やよいにデコルで出した花束を贈るみゆき。男子生徒達は漫画の技を使って遊んでいます。ノリいいなー。漫画を読んだみんなの反応も上々。
 「私の名前は黄瀬やよい。ちょっぴり泣き虫だけど一度決めたことは最後までやり抜く頑張り屋さんなんだから!


④次回予告
 緑色対決再び。


○トピック
 ヒーローに憧れるやよいがヒーローになる回。今回のお話しの大胆なところは、プリキュアでお馴染みの絆や誰かを守りたいというような利他的発想が一切ないことです。純粋にやよいの内面的な問題を取り扱っています。自分の物語を自分で書く、というのがここ最近の流れなのでそれに合致する展開となっています。
 泣き虫でもプリキュア(ヒーロー)になれる。ただしその代価は諦めないこと、苦しみを受け入れその上で立ち向かうこと。たぶんコンクールの結果はせいぜいよくて努力賞とかそんなんだろうと思いますが、彼女の物語に必要なのは勇気と友達(理解者)です。これは3話から続いてきた彼女の物語の核心ですね。今回の話しだと友達はむしろプレッシャーとして描かれていますが、友達から受け取った友情と勇気を彼女が漫画にすることで還元させているという流れにあります。あかねとやよいに共通しているのは良き友、良き理解者がその人の成長(自立)を促している点です。
 友達と絆を育みながらも、一定の距離感を持って自立と絆の関係をバランス良く描いているのはスマイルの優れた特徴です。


 何度でも言いますが、この物語はプリキュアごっこを始めることから始まっています。幼稚園児が集まって仲良くプリキュアごっこをしていると表現しても差し支えありません。困っていても友達が声をかけてくれるし、失敗や欠点も許してくれる。悪者(困ったこと)がやってきてもテキトーに退けてめでたしめでたし。そうした暖かい平和な世界を享受していました。
 これは子どもの置かれている状況や、児童心理的にも合致する状態です。幼児期の自我はまだ未完成で自己と他者の境界が曖昧です。だから子どもは容易に感情移入しやすいし、周りからの刺激をダイレクトに受けやすい。誰とでも、とまでは言いませんがほぼ誰とでも友達になれるし、ケンカしてもよほどのことがなければそれほど後を引きません。物語序盤で各自に欠点がありつつもそれが認められ励まされながら彼女達が成長していったのはそれを示しています。
 今のスマイルはそこから進んでいます(幼年期が終わった)。現実は苦しい。また必ずしも友達が助けに来てくれるとは限らない。最低限自分のことは自分でやらなければならないし、時には友達の助けを断る必要がある。そういう段階にあります。プリキュアシリーズを概観するとこれほど自立を促しているのは非常に珍しいというか画期的ですらあります。常に友達の力となり友達と一緒にいるのがプリキュアのスタンスだからです。「ふたりで変身」はそのスタンスが如実にでています。一人で出来ることとみんなで出来ることを両立的に書くのは難しい。シリーズを重ねながら絆と自立の物語を成長させてきたのだと思うと感慨深い。単独変身と自立の物語が関連付けられるまでに至っています。無論、この自立の流れは作中文脈として敵との共生に繋がっていくものと思われます。それがどういう形を取るかは後のお楽しみ。

 39話のみゆきの話しがギャグぽかったので一連の個人回に含んでいいのか迷うところなんですが(映画がまるまるみゆき回だという捉え方もありますが)、含めるにしても含めないにしても、みゆきの文脈はあかね達と毛色が違っているのが面白い点です。流石主人公。あかねとやよいはあくまで個人。自分の物語の、自分の文脈でそれぞれエピソードが綴られている。それに対してみゆきはシンデレラがそうであったように自分の物語にはみんなが必要だと言っています。この「みんな」は敷延すれば意地悪な継母と義姉達、つまり三幹部も必要なのだという余地があります。個別の物語があることを前提に、みゆきによってそれらの物語が包括されうる土壌が整えられつつあります。
[ 2013年05月22日 21:36 ] カテゴリ:スマイルプリキュア! | TB(0) | CM(-)
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