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第32話「心を一つに!プリキュアの新たなる力!!」

○今週の出来事
①楽園

 怠け玉に囚われた4人。ポップはジョーカーをにらみつけます。真正面を見ているので気づいていない思いますが、みゆきの絶対領域が魅惑的です。後で彼が放送を見返したときに何故あのとき横を見なかったのかと後悔したに違いありません。
 怠け玉の中に居れば悩んだり落ち込んだり辛いことは何もないと再度説明するジョーカー。彼女達もきっと気に入ると言います。
 私がみんなを連れ戻してみせると豪語したみゆきは、自分も怠け玉の世界に行くと言います。渡りに船、ジョーカーは二つ返事で答えます。ミイラ取りがミイラになる可能性もある。しかしみゆきは絶対にそうはならないと決意を込めて怠け玉の中に飛び込んでいきます。


 みゆきを呼ぶ声。みゆきが目を覚ますと教室に居ます。あかね達が一緒に帰ろうと声をかけます。部活は?と尋ねると「何やそれ?」と答えが返ってきます。なおも疲れるだけ、と言います。やよいは遊園地に行こうとみんなを誘います。即決まり。みゆきは違和感を覚えつつもみんなに促されて後を追いかけます。
 校舎の外に出ると先生と会います。みゆきは違和感を伝えますが、先生はみんなと遊んでらっしゃいとあかね達の言動を肯定。それでも食い下がろうとするみゆきに、難しいことは考えないでと先生はみんなの方を指し示します。校門で待つ4人。違和感を益々募らせるみゆき。

 気づくと遊園地に来ています。「BAD END」。わー、超分かりやすい。
 あかね達はお菓子がたくさんのったテーブルに座ってみゆきを呼びます。違和感はあるもののみんなの方へ歩いて行くみゆき。状況にかなり振り回されています。印象論ですが、みゆきは自分で状況を作っていくというより、状況の中で選択・決断していくタイプのように思います。例えば、秘密基地を探していたときも過程や状況を肯定して受け止めていましたし、修学旅行のときも運・不運に拘泥せず友達と居られたことを大事にしていました。大切なものは何か?と悩んだときもそうです。スマイルの物語は、今ここにある世界の肯定、今まで経験した中で何を大事と考え育んでいくかに主眼が置かれています。


 キャンディは自分も行くと言い出します。危険だと制止するポップの声を振り払って自分の意見を通します。前回克服していますし、信頼性ではみゆきより高いと思います。ジョーカーは手間が省けたとばかりにキャンディを怠け玉の中へ送ります。このままプリキュアもキャンディも怠け玉の中に捕えてしまえば邪魔者はいなくなります。


 遊園地は遊び放題。好きなだけ寝ていてもいい。学校も宿題も嫌なこともない。
 みんなはみゆきにお菓子を差し出します。文字通り甘い誘惑。ドーナツを一口食べるとみゆきの顔から緊張がなくなり、緩い表情になります。同じように生気が感じられない瞳を浮かべる4人。書いていて思ったけど、生気と緊張は同種なんだな。緊張しているということは、今何が起ころうとしているのか、自分はどう考え、行うかといった判断が必要とされている状態、それを意識している状態であると言える。だから緊張状態というは生きようとしている状態だと捉えてもいい。だが、思考停止してしまえば緊張は緩み、判断も行動も必要とされなくなる。自動人形、ゾンビのようにただ反応を返すだけの状態になる。
 「ああ、なんだかもう考えるのがどうでもよくなっちゃった
 後述しますが、主体性が後退すると判断力が落ち現実検討力が著しく低下します。


②それでも楽園を拒む理由
 空からキャンディが降ってきてみゆきの顔面に直撃。
 キャンディを見たみゆきは初めて会ったときと同じ反応をします。どうやらキャンディのことを憶えていないようです。キャンディは思いつくとクッキーを割ってみゆきに見せます。みんなで分けて食べた方がハッピーになれる。みゆきが言った言葉を伝えて思い出させようとします。
 「めんどくさいよ、考えるの
 この後すぐ本題に入ったので軽く流されるかっこうになりましたが、とても良いツッコミをしています。前回キャンディがみゆきの言葉で現実に戻れたのは、共有する「みんな」が居ないからでした。ところがここには「みんな」が居ます。だから割られたクッキーやみゆきが自分で言った言葉を返しても意味はありません。今回のお話のポイントは以下のセリフにかかってきます。
 「大切なことはちゃんと自分で考えなきゃダメクル!
 その言葉にみゆきは引っかかりを覚えます。
 「ちゃんと自分で考えて自分で決めるクル!
 みゆきは自分が言った言葉とその情景を思い出します。瞳に生気が戻ります。正気を取り戻すみゆき。するとたちまち周囲の景色は寒々としたものに変わります。幻想性が後退して現実性が出っ張ってきたというところでしょう。みゆきはみんなにここはウソの世界なのだと言います。しかしみんなは聞く耳を持ちません。プリキュアのことも忘れています。口々に頑張っても辛いし面倒だと答える4人。自分が言った言葉でさらに考えが強くなったのか4人は眠り込み始めます。逃避が著しくなっています。
 必死に呼びかけるみゆき。あかねはもはやみゆきのことまで忘れてしまっています。一種の退行現象とも見なせるでしょうか。

 キャンディはこの世界をハッピーシャワーで浄化すれば良いと言います。その発想は無かった。力押し。ハッピー単独変身。来たこれ! パフで叩いた後の笑顔が殺人的に可愛いハッピーさんの降臨。現実がどんなに苦しくても、プリキュアがあれば構わない。むしろその苦しさはご馳走を食べるための一時の空腹感。人生に起伏は必要だ。その起伏が人生を彩る。変化の無い日々は人間を腐らせる。

 ハッピーシャワーを空に向かって放ちます。

 ざ~んね~ん。ジョーカーが阻みます。自分の髪にくっついていた黄色い玉をもぎ取るとアカンベェを召喚します。黒っぱなとの合体は身体に毒だと小声で言います。そんなこと幹部にやらせんなよ。まあ、使い捨ての駒なんだろうけど。
 遊園地だったところはバッドエンド王国のような殺風景で不気味な景色へと変化します。示唆的ですね。苦痛の無い楽園。しかし現実にはそれはまやかしでしかない。その苦痛の無い世界に(主観的に)浸っていても、現実はより過酷な状況にその人を追い込んでいく。生きるも苦痛、逃げるも苦痛、それが人の住む世界。楽園などない。あったとしてもそれは死んだ後に行く場所。生きている人間にそこへ行くパスポートは渡されない。

 周囲を見回すと4人は倒れて(眠って)います。呼びかけても起きません。
 アカンベェが迫ってきます。ひとまずみんなのことはキャンディに任せて、一旦場所を移します。


 目を覚ます4人。しかしハッピーのことを忘れているため、今暫くはハッピーの孤軍奮闘が続きます。
 頭突きでアカンベェを攻撃。一人で必死に戦うハッピー。その様子にジョーカーも感心します。でも戦闘力はアカンベェの方が上。4人は呆然と立って、何をしているのだろうと呆けたことを言います。主体性が後退すると現実認識が薄くなり視野狭窄になりやすい。
 みんなを元に戻すまでは負けないと決意を固めるハッピー。しかしジョーカーは何故元に戻す必要があるのかと答えます。如何にこの世界が楽な世界であるかを再び言います。その言葉を肯定するようにれいかとあかねは気の抜けた表情をさらに強めます。
 「何故あなたはこの世界を拒むのですか?
 この問いにどう答えるかは重要です。この問いは、あなたは現実に何を期待し何を求めているのか、そこまで執着するほどの何があるのかと問うているのと同じだからです。辛いことを引き受けてまで何を得ようとするのか。あなたは何のために生きるのか。
 問いを投げかけ続けるジョーカー。みんなはこの楽な世界を楽しんでる。
 「心の底からは楽しんでないよ! 私の知ってるみんなの笑顔はあんなんじゃないもん!!
 言い切った。あんなんじゃないって言い切った。

 ジョーカーは言葉を続けます。
 「一生懸命頑張っても結果が出ないでガッカリしてとっても辛かったでしょう?
 バレーで成果が上がらなかったあかねはその言葉で不安の色が顔にでます。
 「どんなに努力しても結局上手くいかない。人に笑われて、嫌な思いをするだけです
 コンクールで笑われて逃げ出したやよい。
 「みんなを巻き込んだのに失敗して仲間の頑張りをすべて無駄にしてしまった。何か意味がありましたか?
 リレーで躓いてビリになったなお。
 「思い悩んで考えても結局は友達に迷惑をかけて情けない自分にうんざりするだけ
 自分が何をするべきなのか迷ったれいか。
 「それなら最初から頑張らなければそんな思いもしなくてすむ。失敗することもないんです

 ジョーカーが蕩々と話している間もハッピーは孤軍奮闘を続けます。彼の言葉で気づきましたが、みゆきはこれといった大きな失敗をしていません。そう考えると4人がこの世界に引き込まれてしまうのも頷けます。誰しも自分の影(欠点や弱み)は見たくない。敗北感、劣等感、罪責感、空虚感、どれもみな自分が否定されるかのような思いばかり。どんな人でも自分には価値がある、自分を肯定したいと思っている。しかし現実はその期待を裏切るような否定的状況が生じる。葛藤に苛まされた人の中には現実を受け止められなくなる人も出てきます。

 キャンディは上手くいかなくても一生懸命なみんなが大好きだと叫びます。頑張ってるみゆき達はいつもキラキラしている。
 「私、メルヘンランドであなたにボロボロにされたときに分かったの。泣いたり、悩んだり、一生懸命考えたおかげで、それまで知らなかった自分に気づけたし! 自分にとって何が一番大切かも分かった!
 彼女は大きな失敗をしなかったかもしれない。しかし現実の過酷さに直面したことはある。そしてその中で彼女はその現実を受け止め自分で考え、自分で決断してきました。
 《私、キャンディが大好き。それと同じだけ友達も家族も大好き。だからみんな一緒がいい。みんな一緒の未来がきっと私の…ウルトラハッピーなんだって
 あの時みゆきの口数が少なかったのはどうしてなんだろうと思ったけど、彼女にとってそれが重い決断だったこと、現実を常に受け止めてきた彼女にとってあの問いが如何に重要であったかがここで補強されています。どんだけ暖めてたんだよ、この話し。スタッフ本気だな。
 みゆきの言葉にあかね達はそれぞれ自分の言葉と体験を思い返します。今回は今までの総決算。彼女達が現実に直面し、打ちひしがれることがあったこと、しかしそれを乗り越えてきたこと、その時必ず友達が隣に居たことをキチンと回想の中で示しています。
 「答えを出すのは大変だし、面倒だし、苦しいし! でも……辛いかもしれないけど、私達はそうやって、少しずつでも前に進んでいきたい!
 あかね達は涙を零します。零れる涙とともに眼を覆っていた曇ガラスは抜け落ち瞳に生気が戻っていきます。誰もが現実を辛いと感じる。しかし誰もがその辛い現実の中で生きてきたし、生きてきたことを誇りに思いたいとも思う。過酷な現実に耐えてきた自分は奇跡のような体験をしてきたのだと。現実を受け入れるということは、そうした自分もまた受け入れて良い。
 ハッピーの言葉は続きます。彼女が現実を受け止め、その現実の中で実現したい理想。育んでいきたいもの。
 「不器用かもしれないけど、私達は、みんなと一緒に未来に向かって、歩いて行きたい! みんなで進む未来はきっと、キラキラ!輝いてるから!!
 それを信じて彼女は生きる。

 アカンベェの攻撃が容赦なくハッピーに降り注ぎます。力尽きて倒れるハッピー。キャンディが盾になります。間一髪お約束。サニーが駆けつけます。
 「届いたで、ふたりの気持ち
 ピース、マーチ、ビューティも続きます。
 「すみません、遅くなりました
 また道に迷っていたようです。気にすることはありません。人の道とはそういうものです。
 予想外の事態に戸惑うジョーカー。
 「あんたの言うとおり、疲れた時は休憩も必要や。でもな
 「ずっとそのままじゃ、いつまでたっても前に進めない
 「どんなに辛くても私達は一歩一歩自分の足で進んでいきたい!
 「一人で超えることが難しい困難も友達と一緒ならきっと乗り越えてゆけます!
 「頑張ったその先にあるのが本当の笑顔だと思うから!
 「みんなと一緒に頑張るクル! そしたら絶対ハッピーになれるクル!
 「輝け! スマイルプリキュア!

 現実の世界に帰還。
 ジョーカーは黄色っぱなを黒っぱなに変えます。プリンセスフォーム。BGMが変わっています。シークエンスはほぼ同じ。クロックのボタンをキャンディが押してプリキュアに力を与えます。なるほど、キャンディが力も必要というのは、このボタンを押す仕事のことだったのね。カウント1。ん、なんだこのカウント。クイーンはデコールだから、ミラクルジュエルのカウントかな。
 フェニックスが参戦。「羽ばたけ未来へ!」から「羽ばたけ光り輝く未来へ!」に変化しています。
 「プリキュア! ロイヤルレインボーバースト!
 ペガサスに代わってフェニックスがビームを撃ちます。ペガサスは乗り物に降格。厳しい現実です。もうお前の販売強化月間終わったから。


 災い転じて福と成す。思惑が外れたジョーカーはミラクルジュエルへの希求を強めます。まあ、そうなるよね。どんな願いでも叶うというミラクルジュエル。なぜそれを欲するのか。物語はまた一歩進む。

 フェニックスについてポップが簡単に説明。プリキュア最強の力だそうです。定価9,240円の力は伊達ではありません。
 次にデコールがいっぱいになればクイーンが復活する。本当でしょうか、すでに1回延長されてるし。とはいえ、番組も残り20話を切ったので揃っても揃わなくてもクイーンにお出ましになって貰わないといけないでしょう。なにげにこの人が一番の引きこもりなんじゃないかと思えてきた。

 再び彼女達は前を向きます。辛いことも悲しいこともみんな一緒なら乗り越えていける。そんな気がする。みゆきの言葉が真実であるかは彼女達の物語が語ります。


③次回予告
 現実に向き合ったと思ったらこのザマだよ!


○トピック
 これまでのお話しの総決算。主人公みゆきの面目躍如。
 プリキュアの試練その2。前回(22話)は自分にとって何が大切かを考え、友達を助けたいという動機の元にプリキュアは立ち上がりました。今度は現実に対して向き合えるかどうか、またその現実の中で何を信じていくのかを試される課題が与えられています。前回にも増して抽象性、精神的な成熟が必要となっています。これを友達との友情、努力というプリキュア(子ども向け番組)の基本原則に則りながら昇華させていく試みが行われています。

 「スマイルはこれまで欠点や失敗を許容してきました。優秀だから、有能だから友達でいられるのではなく、友達だから失敗や欠点を受け入れられるという関係性の提示です。ここ最近はそこから一歩踏み込んで、自分一人では落込んでしまうようなことでも友達と一緒ならハッピー(笑顔)へと変えられるという積極的提示を行っています。他者の存在が比較や摩擦、自己否定を生むことに変りありませんが、同時に人の心を癒し強くするものであることも事実です。人の心は移ろいやすく、不安と安心、失望と希望をひっきりなしに繰り返す。人はその波にただ戸惑い条件反射のように同じことを繰り返すだけなのか? 否。人は自分達で逆境を糧へと変えて笑えるようになるのだ、という意志を本作からも感じます」
 以前、感想でこのように書いたんですが、さらにそれを補強するエピソード。この物語のハッピーとは、現実に向き合うこと。そこで他者と共に前に進んでいくことなのだと述べられています。結果がどうなれば(悪者をやっつけたり、財宝を見つけたり、成功したり)ということよりも、現実の受容と(自己)肯定・他者の支えを自覚しながら前向きに進んでいく生き方に重きが置かれています。
 みゆきがキャンディと1話の出会いを再現しているのもさりげないですが大きなポイントです。人との出会いが人を変えていく。素晴らしい出会い(キャンディやあかね達)もあれば、好ましからざる出会い(ウルフルンやジョーカー)もある。そうした中で自分で大切なものを見つけ、それを育んでいくみゆきの態度にこの物語のメッセージが示されています。



 ここから心の病についての話しを交えて書いていきます。参考文献は平井孝男氏(精神科医)の著作です。何故わざわざこの話しをするかというと、心の病について説明することでみゆき達が陥った逃避とその背景が私達が普段の日常で体験することと共通していること、またその葛藤が人間の性であることを言いたいからです。

 ジョーカーが提示しているバッドエンドの世界は、悩みや苦痛がない楽園です。そこで暮らすあかね達は自分で判断することをやめています。この背景には現実世界の辛さ、失敗、葛藤があります。これは、心の病の背景と一緒です。平井氏は人が心の病(精神病、神経症、うつ病など)に罹るのは現実に圧倒された結果だと述べています。また、人間が持つ弱点や欠点が積み重なって起きる反応なのだとも言っています。
 つまり苦悩や葛藤が重荷となってしまい社会生活に支障を来たすようになってしまうのが心の病なのだそうです。これには本人の性格や感じ方、環境が大きく関係しています。よく言われるようにうつ病になりやすい人の特徴としてメランコリー親和型、要するに努力家で責任を感じやすく自分で何でもかんでも引き受けてしまう人があげられます。責任感が強いほど、またこれまで順調に行っていた人ほど躓いてしまうとその失敗を重く見てしまいがちです。精神病や神経症も同じように現実社会での不適応、躓き、悩み、解消されない不満などが背景にあることが多いそうです。
 平井氏はこのような心の病に罹るのは異常なことではなく人間であるからこそだと述べています。また、うつ病などのような反応は見方を変えれば、これまでの生き方に対する警告だと捉えられるとも言っています。背負い込み過ぎなんだ、気にしすぎなんだというシグナル。自分がどういう性格で、どのように感じやすいのか。どういう行動を取りやすいのか。それを自覚して意識的に生活習慣を変えていくことで心の病の根本的原因を軽減していく。例えばメランコリー型のうつであれば、仕事量を抑え失敗してもいいと自分を許す気持ちが大事になります。

 さて、そのようにして現実に圧倒された人の特徴として主体性の後退があげられるそうです。要はやる気を失って、活力・生気がない。判断力も落ちて思考停止に陥りやすい。また、精神病(統合失調症など)にまで至ると幻聴や妄想にとらわれたり、視野狭窄や重度の思い込みも生じる。
 みゆきも含めてあかね達が陥った状態に非常に近い、というかそのまんまですね。これを「現実逃避」「甘え」と一言で切って捨てることもできるでしょうが、これはある種の自己防衛なのだと思います。現実を受け入れようとすれば当然苦しいことや自己否定の感情に晒されてしまう。その葛藤を回避するには、それでも現実と戦うか、それを感じないように意識レベルを下げてしまうか。多くの人は前者を選んでいるでしょうが、後者を選ばざるを得ない人がいることもまた事実ですし、前者を選んでいる人だって常に現実と向き合っているわけではなく気晴らしをしたり、他人のせいにしたり、責任から逃げたりしている場面があるはずです。人は誰しも自分を肯定したいと思っています。ましてや自己否定の状態は避けたいものです。しかし現実的にその葛藤を克服できないとすれば、逃避する(思考停止して諦めてしまう)ことで自己防衛を図るのも理解できます。自己愛的欲求とも言えるでしょうが。だからこそ平井氏は心の病を人である証しだと述べています。


 話しをプリキュアに戻すと、物語序盤で度々失敗や挫折が描かれたことが今回のような逃避願望に繋がっているという提示は見事です。葛藤を抱える人々の心情と背景を描き出しています。逃避願望もまた人の感情と欲求であり、そこに陥ってしまうのはごく普通にありうることなのです。
 楽園の世界に逃げ込めば楽な生活ができる。ジョーカーの提示するバッドエンドの理想はそれが実現するなら確かに理想でしょう。しかし実際にはそうはいきません。私達が現実で逃避しても結局誰かの世話になるしかなく、いくら思考停止してもその罪責感、敗北感、無力感、社会から外れた落伍感、自分は病気で治らないのではないかという不安と絶望感に苛まれるからです。現実に向き合うのも苦痛、現実から逃げても苦痛なのが人間という生き物の性なのです。
 苦悩を抱える人々に対してプリキュアは何をしてきたのか。トピック冒頭にも書いたようにその弱さ、苦悩に怯む人達を受容してきました。上手くいかなくてもいい。失敗してもいい。躓いてもいい。道に迷うことがあってもいい。人間であれば調子の悪い時もあるし失敗するときもある。それが人間なのだ、悪い部分も含めて自分なのだと受け入れることが現実に向き合う第一歩になります。ちなみに心の治療でもまず患者の辛さを理解し、患者を受容し、共感しながら患者自身が内省を深めていけるように手助けしていくのが精神科医の役目なのだそうです(薬だけ処方して終わらす人も多いそうですが)。

 現実は辛い。より正確に言えば現実に打ちひしがれている自分を見るのが辛い。人生とは辛さと失望の連続です。だから「疲れた時は休憩も必要」です。その休憩をとおして自分の内面を深掘りしていけばいいし、自分を支えてくれる人を想うことで一人では気づかなかった自分の姿に気づくこともあるでしょう。がむしゃらにやるばかりが正解じゃない。壁を飛び越えるために助走をつけることだって必要なことです。
 「日常の所作の中に悟りがある」(道元。曹洞宗の開祖)。私はこの言葉に心から同意します。
 現実の中で抱く様々な感情、出会う人々をとおして人は生きることの意味と価値を知る。苦痛や葛藤すらも洞察を深める糧として人は受け入れていくことができる。その強さを人は持っている。そのためには自分で考えて、自分で答えを出していく必要がある。主体性を持ってこの世界を見たときに、苦しいことや嫌なことがそのままそう映るとは限りません。苦悩もまた良薬として飲み下すことも出来る。
 勿論、それを独りでやるのは大変に難しい話しです。みゆき達だって独りでは現実に押しつぶされたかもしれません。特にやよいはみゆき達の支えが無ければヒーローや絵が好きなことに卑屈なままであったかもしれません。「人間」とは「人と人との間」にある存在。自己と他者が両立してこそその力を引き出す。「ふたり」から始まったプリキュアが何故友達(他者)を必要とするのか。それは、そこに人間が本来持つ力があるからです。この自己と他者を巡るテーマも初代から受け継がれてきたプリキュアのテーマです。



 そろそろ纏めに入ります。
 物語も後半になってスマイルの骨子が明確になってきました。一生懸命頑張って生きようとするプリキュアと怠惰に生きようとするバッドエンドの対決によって、この物語が生者の物語であることがはっきりしました。生きる苦しさを受け止めようとするプリキュアと、それを拒もうとするバッドエンドとも言い換えられます。
 これまでのエピソードや今回の対峙で見えてくるのは、期待と失望、連帯と孤独の狭間で生きる人間の葛藤です。現実に圧倒されてしまうと人は諦めたり考えるのを止めてしまいます。次第に周囲も見えなくなり、不安が強まったり、一面的にしか物事を考えられなくなったりします。想像力も欠如する。さらには孤独感に包まれる。こんなに苦しんでいるのに誰も自分を理解してくれない、こんなに苦しいのは自分だけなのだと。それが狂気や絶望を生む。しかしそれは人が人である証しでもあります。だからプリキュアも同じように苦しみに耐えかねて安逸な方向へと身を委ねてしまう。この物語は勧善懲悪ではありません。だから現実から逃避することが「悪い」という話しではありません。それもまた人間の自然な欲求・願望です。人間の光と影、善い面と悪い面、強さと弱さを対決の骨子として物語が作られています。極端な話し、どちらが勝つかに意味はありません。対決というより葛藤というべきでしょう。この物語が「人間」を描く物語である以上、より良い生き方が目指すべき課題となります。その指標となるべくプリキュアはその身で実証していきます。

 では、どのような生き方がいいのか? プリキュアがやっているとおりです。遊びながら休憩しながら辛さや苦しさに立ち向かっていけばいい。一つ一つの経験が自分にとってどういうことなのか、それをしっかりと考え糧にしていく。みゆきが言ったように何が大事なのか自分で考えなければならないし、自分で考え答えを出して、それに責任を持って行動していくことです。彼女が自答したようにそれは簡単なことではありません。それ自体が困難でもあります。独りでは心細いこともあるでしょうし、屈することもある。実際、キャンディやみゆき達は純粋に独りでバッドエンドの誘惑に勝ったわけではありません。他者の手助けが介在しています。これはとても面白い興味深い話しで、みゆきがやったことはある意味で大きなお世話です。あかね達自身は怠け玉の世界に安住していたにも関わらず勝手に連れ戻そうとしたのですから。みゆきは自分の理想のために他者を巻き込んでいるとも言えます。しかし結果的にはあかね達もみゆきの考えに同意しています。人間関係の面白いところだと思います。結局、人は他者に迷惑をかけながら、巻き込みながら、勝手に期待して、勝手に恨んだりしながら結ばれている、繋がっているものなのだと思います。みゆきがやったことは一面ではエゴなのかもしれません。しかし一方では他者受容と共感、共存でもあります。彼女のおかげであかね達は自分を肯定的に振り返ることができました。スマイルは自主性を保ちつつ他者との共生を目指しています。自分をしっかり持ちながら他者に支えられ支えながら苦しい現実をみんなで乗り越えて笑っていられる世界を創る。
 その生き方の先にハッピーがある、というよりもその生き方そのものがハッピーなのだと思います。行く手には困難が待ち受け、何もしなければしないで日々の繰り返しを要求される。苦難と退屈の連続。でも、人生ってそんなもんです。それで良い。日々の中に、一瞬一瞬の中に幸せがあり、発見があり、自己表現の機会がある。ピンチは自分を飛躍させるためのチャンスでもある。「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。人生とはそういうものだと思います。

 話しが横に逸れてしまいましたが、絶望を知るみゆき達は敵が抱える苦しみをも受け止められるようになるだろうと思います。間違いなくスマイルも敵を救済する。プリキュアが絶望や苦しみの中でハッピーの種を見つけたように、バッドエンド王国の人々にもその種は見つけられるはずです。彼らも人の心を持つのであれば、彼らにこそハッピーと希望が必要です。生きることは苦しい。でもそこで一生懸命やるからこそ本当の笑顔がある。だからみんなで笑顔になろう。それがスマイルが目指す物語だと思っています。プリキュアのことだから、もしかしたらもっと凄いことをやらかすかもしれませんが。


 ところで、ミラクルジュエルの用途が気になります。単純に考えればバッドエンドを実現させるための手段と考えられますが、何故ジョーカー(ピエーロ)が苦痛の無い世界を望まなければならないのか、その動機と背景に対する手段の可能性もあります。つまり、現実に希望を持てなくなり絶望した理由そのものに対するカウンター手段としての用途ですね。追い詰められた人ほど問題を一気に解決させようとする傾向があります。ジョーカー達は何故このような事態に至ったのか。それもまた物語を深めるキーワードとなりそうです。
[ 2013年05月22日 21:32 ] カテゴリ:スマイルプリキュア! | TB(0) | CM(-)
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