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コラム「ストーリー概要」

 ここでは本作をいくつかの章にわけて説明することで物語がどのように進行していったか、各エピソードを通じて提示されている事柄を解説します。
 物語の全体的な概要としては総括感想の序文を参照していただくと把握しやすいと思います。あるいは、響を視点としても纏めることができます。彼女は当初音楽を拒絶していました。この物語において音楽は心と同義であり、その一端として父親との結びつきが音楽に対する姿勢としても現れています。響が絆を取り戻していくと同時に音楽に対する姿勢も前を向くようになります。彼女の演奏(心を伝える、の比喩)がノイズに届くことによって、彼女の成長と演奏家としての未来が示されています。


①響・奏編(1~19話)
 響と奏が友情を取り戻し、親友になっていく過程を描いたエピソード。このエピソードでは対人関係におけるディスコミュニケーション、軋轢の諸要因や解決の糸口を提示しています。
 響を主体として見るとこのエピソードの意味を捉えやすいでしょう。つまり友達、家族と疎遠になってしまったことで彼女は不安と孤独の悪循環へと陥ります。それらの関係が回復されることによって不安は解消され、視野が広くなり将来の夢や希望へと繋がっていきます。対人関係の不和が人を不自由にし、可能性を奪っていくことが暗に描かれています。

 より細かくエピソードを分類すると次のようになります。
1.信頼を取り戻す過程(1~7話)
 一見すると毎回同じようにケンカしているだけに見えますが、当事者達が抱く劣等感や不安、疑心暗鬼を詳細にまた個別的に描くことによって日常に潜むディスコミュニケーションや葛藤が多様な形で存在していることが見えてきます。お互いに好意を持ちつつも誤解や疑心暗鬼から互いにいがみ合ってしまう。それらを一つ一つ取り上げ絡まった糸を解いていくことによってふたりの信頼関係が形作られていきます。


2.ふたりが親友になる過程(8~19話)
 たまにケンカをしますが以前のように危なっかしいものではなくなり、自然に寄りを戻せるようになっています。ケンカを通じてお互いに気持ちを伝え合うなどケンカが信頼を醸成する手段ともなっていることが特徴です。作中でたびたび繰り返されているように、ふたりの絆、友情がプリキュアに変身できる鍵となっており、逆説的にプリキュアとは親友、深い絆で結ばれた少女達の代名詞とも言えます。
 響と奏の関係改善は物語全体で見ても長い尺を取っており、それだけ親友の価値の重要性、信頼回復に時間がかかることの裏返しと言えます。彼女達の関係を通して人間関係の危うさ、絆などの目には見えない相互作用やそこから得られる自己肯定感(否定感)が見えてきます。
 響の母、まりあが言った「みんなが生きている音」はこの物語の"音楽"を意味する上で重要な示唆となります。22話で自然の音をハミィとセイレーンが口ずさんだように、この物語の音楽は広い意味を持ちます。

 一連の響・奏編はほぼこのふたりに焦点が当たっておりハミィとセイレーンはほとんどふたりに影響を及ぼしていません。次のステップであるセイレーン編の前準備もいくつか同時進行していますが、響・奏とハミィ・セイレーンはお互いに独立した関係とストーリーとして併走させています。これは物語を俯瞰すると、最初は不仲だったものの再結合、次いで異文化(新しい友人)との接触という形で拡張しています。


②セイレーン編(20話~23話)
 ハミィとの友情を通じてセイレーンがプリキュアになるエピソード。響と奏が見せた親友の在り方を踏まえてハミィのアプローチを補強しています。実質的にはセイレーンに的を絞ったエピソード。この話しの核はセイレーンの再起(再帰)です。要約してしまえば、ハミィとセイレーンは決裂してしまった関係です。響と奏は最後の最後に踏みとどまれた関係でしたが、セイレーンは事あるごとにハミィ達を嫌うようになってしまいます。
 信頼が裏切られた時に、悲しみと共に相手を信じた自分に対する否定感も起こるため、それを相殺しようと相手に憎悪を向ける(自分は相手に騙されていたのだと再解釈することで自己否定感情を逸らす)傾向が人間にはあります。セイレーンが述懐したように、大好きなものが大嫌いになってしまうことは決して珍しいことではありません。憎悪が強まれば相手の不幸をも望むようになってしまう。そうした人の心の弱さと恐ろしさ、また良心故に起こる罪悪感の重さを背負ったのがセイレーンでした。
 彼女が立ち直るキッカケとなったのがマモルという脇役だったことは本作全体から鑑みても大きな意味を持ちます。プリキュアだけに絆があるわけではありません。人々も持っているし、プリキュアとも繋がれる。人の絆とは開かれたものであり、繋がっていけるものであることが強く打ち出されています。後の劇場版で示された人と人の絆、その絆の連鎖が人間の可能性であることの先触れとなっています。


 響、奏、セイレーンを通じて言えるのはこうしたディスコミュニケーションや軋轢が特別なものではないことです。本当に日常で起こりうるありがちな問題を扱っています。単に不仲になった人と関係を切って済むのであれば事は簡単ですが、その仲違いによって自信を失ってしまったり、深く傷ついてしまったり、他者を憎むようになってしまうことがあることは意外と見過ごされやすい部分です。人は社会を築き、他者と何らかの関係を通じて自らの地位や自信を持ち役割を全うしていく存在です。その歯車が上手くかみ合わなくなったときに自分だけでなく他者をも巻き込んで不幸の連鎖を作りだしかねないこと、その状態をどうやって克服していくかをここまでのエピソードで描き出しています。


③エレン・フェアリートーン編(24話~31話)
 セイレーンが響奏と友達になり学校に入るエピソード。夏休みと新学期に合わせて、セイレーンが日常的に加音町にとけ込んでいく様子が描かれています。先にも書いたように、響・奏とセイレーン・ハミィは独立的な関係でしたがここで融和していきます。これまでの話しのような複雑な関係性の描写や距離の詰め方はせず、新しい友達や環境に馴染んでいくことで楽しい体験や成長があることを見せています。
 3人の絆の醸成を変身シーンの統合、メイジャーでの試練、ハーモニーパワーの強化、新必殺技の習得といった形でステップを踏みながら明示しています。締めの話しとなる合宿エピソードが示しているように他者との協力、連帯を通じてお互いの心を通じ合わせていくことに力点が置かれています。

 ハミィとセットで行動していたフェアリートーンが自律的に行動し始めるのもこの時期です。これは子ども向けの楽しいエピソードとなっていますが、人間味が強まったハミィからフェアリートーンに妖精のポストが移行したとも考えられます。また、玩具の付属品的な位置にあったフェアリートーンに人格を持たせたことで、その上位者であるクレッシェンドトーンの意味付けを強めています。音の源である彼女は神格的な位置にあると言えます。
 フェアリートーンの自律化はドドリーにも当てはまるため、次のアコ編にてミューズと分離化されていきます。


④アコ編(32話~41話、劇場版含む)
 キュアミューズの正体、アフロディテとメフィストの関係、真の敵ノイズ登場など物語の真相が次々と判明します。アコの父親を求める姿、家族の絆を取り戻したいと願う姿はこれまでの響達の姿と重なり物語を重層的にしています。
 アコから見てメフィストは父であり助けたい相手でしたが、響達から見れば悪党で倒すべき相手でした。認識の違い、ディスコミュニケーションがここでも見られます。しかし響達はこれまでの経験から相手の身になって考え、ミューズを信じメフィストも守らなければならない相手だと気付きます。アコもまた響達から学び、支えられてメフィストへと想いを届けています。それぞれの視点では見えなかったものが繋がることで可視化され、補い合うことで新たな道を開いていけることが示されています。このように本作は螺旋を描くように「誤解(誤認)-発見-結合」を繰り返しながら物語を深めています。

 絆の崩壊と再生を描く中で、とりわけ本作は絆を結ぶことに重きを置いています。彼女達が直面し苦悩と不安に苛まされた最大の要因はコミュニケーションの難しさです。その本質は自己と他者の絶対的な隔たりです。これは誰もが突き当たる問題です。親しいようで知らない、一度親しかったがための軋轢、かつて親しい間柄だったことはその距離感を改めて強調しています。響達は他者を限られた範囲でしか知り得ません。疑心暗鬼や不安によって彼女達は最初から信頼して相手に向き合うことができない。響が奏と、ハミィがセイレーンと、アコがメフィストと絆を結びつつも自分達以外の関係に深く関与できなかったのは裏返せば対人関係の限界、信頼関係を築くことの難しさを物語っています。
 人を信じられず不安や自己嫌悪に苦しみ傷つき傷つけることもあれば、相手から学び癒されることもあるでしょう。どちらも人間関係の裏と表であり根源的には同じところから発しています。紆余曲折を経ながらも響達はそうした人間関係の良い面を深め、拡張していくことで着実に成長し視野を広げています。


⑤ノイズ編(42話~48話)
 不幸のメロディの完成、ノイズの復活、最終決戦、エピローグと怒濤の展開を繰り広げる最終章。これまで作中で提示されていた事柄が拡張・昇華されてフィナーレを迎えます。
 プリキュアを主体にして見ると46話までほとんど活躍の機会がありません。42話~46話まで主導権を握っているのはプリキュア以外の人達です。クリスマスを盛り上げようとしたのは一般人でしたしバスドラ・バリトンは自分の意思でマイナーを抜けています。アフロディテやメイジャーの国民達も石化を厭わず音楽を演奏しました。これらは自由意思の発露です。彼らは恐れや苦しみをモノともせず自らの意思を通しています。プリキュア以外の人々の自立的意思を描くことで心を巡る対立軸がより鮮明になるとともに、プリキュアは何をするべきなのか、守る力とは何なのかが問われていきます。

 ノイズが人の悲しみから生まれた存在であったこと、彼自身が悲しみ絶望していることによってこの物語が何と戦ってきたのかが鮮明になります。この物語は悲しみとの戦いであり人との戦いです。不可抗力、他者との摩擦。自己と他者、自分の中に生まれるネガティブな感情とのせめぎ合いが繰り返し行われてきました。
 ノイズとの戦いは人間同士の争いと同じです。意見が異なる相手との対立、不幸に陥った人の自滅・破滅的な行為、生存競争等々、人間関係の軋轢そのものです。それは決して悪との戦いではありません。同じ心を持つ者同士の不幸な、あるいは必然的な対立です。しかしそれを通じて互いの心を分かち合い、判り合う未来もある。人の心は喜びにも悲しみにも染まる。けど、心が変わるということはそれだけ多くの未来があることを示しています。
 この物語は戦い続ける人間の姿を描いています。しかしその戦いは相手を屈服させるための戦いではありません。より良い関係を作るための、心を強く豊かにするための戦いです。響達はそのことに気付きます。現にそうやって彼女達は絆を育み成長してきました。悲しみは決して無くならないし、他者との軋轢も生まれ続ける。しかしそれでもみんなが笑顔になれる未来を創ることができる。彼女達はそれを信じ実現させていきます。


 悲しみ、喜び、様々な感情、親、子ども、友達、他者、様々な人々、全てが在り全てが繋がっていることが「スイート(suite)」に包括されています。また、人が変わりながら歩んでいくことを変身になぞらえることで「プリキュア」が日常においても意味を持つことが提示されています。日常に起こりうる困難を克服しながら他者とともに共生していく。「スイートプリキュア」の名はそれを体現しています。
[ 2013年05月22日 19:37 ] カテゴリ:スイートプリキュア♪ | TB(0) | CM(-)
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