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第33話「ホワワ~ン!みんなの夢はプリキュアの力ニャ!」

○今週の出来事
①夢への障害

 セイレーンは心地よさそうにピアノの旋律に耳を傾けます。
 弾き終わった響は不安を抱きながら感想を求めます。セイレーンはアドバイスすることはもうないと太鼓判を押します。響は彼女の手を掴んでエレンのおかげだとお礼を言います。先ほどから奏の姿が見えません。これは密会でしょうか。奏が見たら大変なことになるかもしれ……あーでも、正妻の余裕で問題ないかもしれない。
 響が練習していたのはピアノコンクールのため。彼女の父も来るそうです。しかしまだ自分が参加することを伝えていません。照れくさいと話す響。この響の心境は父との距離感にあります。今回のお話しは夢の話しであると同時に父と子のお話しでもあります。

 家に戻るとビックリするのは響の方でした。父が審査員をやると言います。友人の代理でやることになったと話す父を前に響は固まります。出場しないか?と訪ねる父に響は大げさな態度でパス!と辞退します。可愛い。


 家庭科室にいくつものカップケーキが並びます。奏の試作品。ハミィは相変わらず何でもかんでも食べてしまいますが、セイレーンはこれが良いとアドバイスします。これは戦闘シーンでの彼女の言葉を支える部分にもなっています。支援、応援、補助、促進なども人の夢を"守る"ことに含まれます。
 カップケーキに背を向けて響は考え事。奏が名前を呼んでも応えません。ようやく気付いて振り返った響の口に問答無用でスプーンを入れます。「どれが美味しい?」これが正妻の実力。流石です。全部美味しいと答える響にいい加減さを感じる奏。嫁と亭主の会話かよ。
 奏がカップケーキを作っていたのはピアノコンクール同様、スイーツコンクールのため。奏は改めて、今度の日曜は夢への第一歩、それぞれの夢に向かって頑張るのだと言います。セイレーンも応援。しかし響は浮かない顔。

 学校帰り、調べの館まで来ると響はコンクールに出たくないと言い出します。パパが審査員では緊張して良い演奏ができない、それにまた自分を評価してくれないだろうと頭を抱えます。響のじれったい態度を見て奏はいつもの響らしくないと言います。今の響は煮え切らない。
 みんなと別れて一人で帰る響を奏太はお面使って驚かします。それを見て響は閃きます。セリフはありませんが着々とアコの出番が増えています。


②導き手
 ラッキースプーンで奏は店の手伝い。しゃがんで女の子にケーキが入った箱を手渡します。ナイスなアングル。衣替えの季節なので私服チェンジ。白ニーソの効果は抜群です。
 新しいお客さんがやってきます。が、それを見て奏はちょっと引きます。胡散臭い格好の女性客。変装した響です。怪しむ奏の視線に耐えられなくなって店を出ようとした途端転んで変装が解けてしまいます。

 コンクールへは出るけどパパの手前では緊張するから変装して行くと話す響。それを聞いてそういう問題じゃないと奏は率直に言います。この問題はコンクールで弾けるかどうかではなく、響の父への心理的障壁を乗越えられるかにある。自分だと気付かなければ公平に審査してくれると口実を続ける響に「響の夢を一番応援してくれるのは誰? 北条先生じゃないの?」と疑問を投げかけます。自分にカップケーキを教えてくれたのはパパだった、今の自分が居るのはパパのおかげ。響もキチンとお父さんと向き合わなきゃ夢から逃げることになると言葉を続けます。
 奏の言っていることは正しい。が、父親との在り方に響と奏の境遇の違いがある。奏は常に家族から承認され彼女もそれを素直に受け止めてきた背景があります。しかし響は違う。彼女は父親に見捨てられたという強い愛情の欠乏を味わっている。それは容易なことでは打ち消せない。確かに今の彼女は父親に愛情を抱いているし音楽への情熱も再び持てた。が、一度深く刻まれた不安や軋轢は喉に引っかかった小骨のようになかなか取れずもやもやと残ってしまっている。余談ですがこれが大人になっても解消されず、ずっと対人関係において不安の種になり続け本質に気づけないまま誤った補填の仕方をする人は居る。
 将来パパの店を手伝うと意気込んで話す奏に、響はパパのためにピアニストになりたいわけじゃないと弱々しく答えます。それまで自信を持って話していた奏はそれを聞いて虚を突かれます。何気ない言葉が思わぬ呼び水となる。

 調べの館で練習。しかしこの前のように上手く行きません。セイレーンは変だと指摘します。セイレーンも事情はハミィから聞いています。
 セイレーンは大事なことから逃げていると直球で言います。ふたりは夢があって羨ましい、しかもお父さんがそれを応援してくれる。本気でピアニストを目指すならお父さんに向き合うべきだと言います。

 その夜、明かりを消した自室でひとしきり悩んだ後響は母親に相談します。母は話しを茶化しつつもその答えに気付いているはずだと意味深長な言葉を残します。どうしてピアニストになりたいのかもう一度よく考えてごらん。

 奏はケーキを作る途中でボーッとしています。父親が夜更かしはいけないと声をかけます。奏は父にどうして店を始めたのか訪ねます。美味しいと言ってくれる人がいるからと答えるとママのこと?と奏が合の手を入れます。しかしそれだけの理由ではないと父は言います。微笑を返しながら父はその答えに気付いているんじゃないかな、どうしてパティシエになりたいんだい?

 ため息を一つつくと幸せがひとつ逃げていく。セイレーンの様子を見て音吉さんは声をかけます。自分には夢がないと話す彼女に、お前さんはもうその答えに気付いていると言います。未来が見えなかったら今を見つめればいい。お前さんが夢中になれることは?どんな時に幸せを感じ、どんな人と喜びを分かち合いたいのか、その先にお前さんの夢がある。
 プリキュアの大人はカッコイイ。


 メフィストは成果が上がらない部下にご立腹。次成果を出せなければ用無しと言います。これが現実。子どもが抱く夢と理想。大人が背負う現実のこのギャップ。ノルマが果たせなければクビ。長い夏休みが待っています。


③開演
 コンクール当日。変装セットを前に大きくため息をつきます。そこに奏が声をかけます。
 奏は響に渡したいものがあると言います。響専用巨大カップケーキ。自信に満ちあふれて不敵な笑みを浮かべる奏可愛い。奏自身が響専用みたいなものですが。
 カップケーキを見て響は顔を輝かせます。
 「そう! それ、それなの! あたしの夢!
 響に言われて考えたと言います。自分の夢は何のためか。私の作ったカップケーキで誰かを笑顔にしたい。それが私の夢。だって笑顔を見ると凄く嬉しいと話します。
 それを聞いた響は勢いよく自分の頬を叩きます。痛いけど目が覚めた。
 「一番大事なこと忘れてたよ。私も奏と同じ! 私のピアノで誰かを笑顔にしたい! それが夢!
 「響はそうでなくっちゃ♪
 物陰に隠れていたセイレーンはふたりの会話に安心するとそのままふたりに声をかけることなくその場を去ります。プリキュアのこういう演出は大好きです。奏がいなくてもおそらくセイレーンが声をかけたのでしょうが、こうやって彼女達がお互いに励まし合い、助け合い、愛情を注いでいくこと、時には気付かれなくてもそれを見守っていることは大切なことです。そうした目には見えない絆や優しさは必ず別などこかで形となって現れる。彼女達が守り、この物語が一番伝えようとしているのはそれです。

 「わたし怖かったの。もし失敗してパパに才能が無いって言われたらって、そればっかり考えていた。でも、逃げるのはもう終わり。ここで決めなきゃ女がすたる
 父は演奏者リストに載った娘の名に目を留めます。穏やかな、暖かい眼差しが彼の表情に浮かびます。視線をステージへ戻します。
 「14番。北条響です!


 トリオ達はコンクールを台無しにしようとネガトーンを召喚。それを阻止せんと立ちはだかるセイレーン。久しぶりの単独変身。
 
 演奏が始まります。戦闘も激化。どこにそんな作画体力が、と思わせるアクション。映画はどうした。どこからそんな予算と人員が出ているんだろう。などと余計な疑問が一瞬頭をかすめます。
 一人でもかなり戦えるビート。しかしそれも長続きはしません。瀬戸際に立たされます。それでもビートはふたりが夢に向かって頑張っていること、たくさんの人を笑顔する夢を守る、それが自分の夢だと決意を固めて立ち上がります。

 間一髪で駆けつけるメロディリズム。ふたりの登場にビートは嬉しさで表情をいっぱいにします。今週一番可愛いシーンです。コンクールはバッチリと答えるふたり。今度は自分達がビートを守る番。作画班の執念を思わせる勢いとテンポが伝わるアクション。逆に映画の方が心配になります。トドメは神風アタック。


 コンクールで奏は入選。タテが銀色ってことは優勝ってわけではないのかな。響も銀のトロフィーが父から手渡されます。響の後ろには金のトロフィーを持った子がいるのでやはり最優秀というわけではないようです。

 コンクールが終わって、帰ろうとする父を響は呼び止めます。出場のことを黙っていてごめんなさいと謝ると、父は知っていたとあっさり言います。
 心の重荷が取れてガックリきたのか安堵して座り込む響。彼女の誠実さ、素直さから考えると父を騙していたような形になるので良心の呵責になっていたのでしょう。父に対する不安が消えた後に残るのがそうした良心だというのは彼女らしい。
 響の頭に父は手を乗せます。ちょうど幼子に手をやる父親の感じになっています。おそらくこれは意図してそういう構図にしています。この番組は子どもと親とが一緒に見ている番組です。
 「よく頑張ったね。響の演奏とても心に響いたよ
 その言葉に響は涙を浮かべると立ち上がって父の腕にしがみつきます。子どもの頃のようにピアノを教えて欲しいとお願いします。その瞳は幼子のようにキラキラと一心に輝いています。もっとピアノが上手くなりたい。パパとママのようにたくさんの人に感動を届けたいと勢い込んでしゃべります。
 ドイツ語で答える父。
 「喜んで」そう言ったのよ。セイレーンが代りに説明します。幼い頃、父の言葉が分らず心が離れてしまいましたが今度は違う。タテを持った奏が響にピースサインを送ります。同じように満面の笑みで響は返します。

 父と別れると、近くにミューズが居ることに気付きます。彼女は先ほどから物憂げな態度を示しています。ドドリーが伝言で「私にも守りたいものがある」と残して去ります。

 メフィスト出陣。


④次回予告
 黄色は映画に間に合うんでしょうか。


○トピック
 夢に向かって進むお話し。時期的そろそろやるだろうと思っていましたがやっぱりやってくれました。親子の関わりを視聴者目線で伝えています。女児向けアニメの面目躍如。中盤のエピソードとして見事なものでした。音楽、夢、親子の絆、友達との絆、意思疎通、スイートがこれまでにやってきたことを纏め上げています。

 人のための夢を抱くのはシリーズでも定番になっています。これをテーマにしたのはプリキュア5で、この作品からプリキュアは主人公達に夢を持たせています。具体的な目標を立てることで自信と喜び、他者への思い遣りを昇華していけるようになっています。本作でもそれは変わりませんが、そこに父と子のエピソードを入れているのはスイートらしいところです。
 響は幼い頃に父との間で大きな失望を味わっています。これは父への不信、愛されていないのではないかという不安となって彼女の心の底に沈殿することになります。これまでのエピソードで父親や音楽へのわだかまりはある程度改善されていましたが今回で完全に解消。コンクールへの参加が幼い頃の再現になっているのも分りやすい。彼女が本当に父に、音楽に向き合えるかの試練となっています。
 北条親子の関係と夢の話しは一見関係ないようで緊密に繋がっているのが面白い。これは自信や不安、自分を他者に開示していけるかの根底に関わっています。響が抱いている潜在的な不安を父の愛情と期待を受けることで払拭させて夢に向かって真っ直ぐに進めるようにしています。夢が親子の絆を繋ぎ、親子の絆が夢を実現させる助けになっている。


 夢というのは自分が歩く道のことです。それは一面では将来の職業ややりたいこととして具体的な形を取りますが、生き方の指針として抽象的な、しかし生涯を通じて叶えていくような信念として表現しうるものでもあります(こういう大人になりたいとか)。要は志し。奏は誰かを笑顔にしたいためにパティシエを選び、響はピアニストを選ぶ。セイレーンは具体的に選んではいないものの根底にはふたりと同じ意思があります。ビートが単独で戦っているのもその補強になっています。響と奏がきっちりコンクールを終わせられたことでセイレーンが他者の助けになっていることを示します。これは日常パートでピアノの練習、ケーキの品評を手伝っている部分にも言えます。
 夢というテーマを通じて今回表現しているのは「あなたは何のために頑張るか」ということです。志しや動機が肝要。夢は職業とイコールではありません。例えば私の今の職業は偶然と取捨選択によるものです。職業的使命や責任は持っていますがそれと私自身が人生の中で叶えたいものは直結していません。おそらく職業を通じて自己実現を叶えようというのは現代に生まれた発想だと思います。それに捕らわれる必要はありません。

 奏は響の親子問題に適切な助言を与えることはできませんでしたが、響を励ますことはできました。響が何気なくささやいた言葉を彼女は真剣に受け取って響のためにケーキを作りました。これよくよく考えると自分勝手な話しです。奏は自分の話しをしていると言って良い。でも彼女には確信があったのだと思います。響がきっと笑顔になってくれる。きっと自分が伝えたいことを分ってくれる。どうして自分がパティシエになりたいのか。その根底は響も同じなんだと。それを見て響はちゃんと気付きます。何のために自分がここに立っているのかを。セイレーンが立ち去っていくシーンを含めて素敵な場面です。
 こうした人の心の結びつき、全く関係ないように見えてそれが繋がっていくこと、信頼と自信、確信、人が人を殺し生かしていくそのどうしようもない社会的動物の性の中でそれでも幸せを掴み取っていく姿に私は心動かされます。この物語は最悪な状態から始まっている。響と奏は崩壊寸前の状態だったしセイレーンは他者を憎んでいた。それが今ではお互いを愛し信頼して幸せや夢を掴み取っていけるようになっている。人が人を損ない壊していくことに違いはないが、人が人を生かし創りだしていけるものがある、というのがプリキュアから感じ取る最も重要なことだと私は思っています。

 北条親子の話しに戻ります。
 響は音楽を通じて父への信頼を喪失してしまいましたが、その音楽を通じて信頼を取り戻しています。父親が音楽の才能の有り無しで娘を評価しているわけではありません。しかし響はそういう風に受け取ってしまいそれが不安の種になっていました。だからこの物語はもう一度過去を再現させて響に父と向き合えるようにしています。非常に論理的な展開です。
 スイートの物語は響の成長に仮託されている部分が多いのですが、今回のエピソードでもそれが分ります。響は父に拒まれてしまうのではないかという不安を断ち切って自分がやりたことのために奮い立つ。そこには父親だけに認められようとする幼い意思からより多くの人々に自分を示したいという意思への変化が見られます。たくさんの人々に感動を届けたいという気持ちは彼女をより成長させるでしょう。音楽を通じて彼女は自己実現の方法、親子の絆を見出しています。


 話しがいったん飛びますが、幼少期の親子関係が後々の人格形成や愛情の持ち方、感じ方に影響を与えるという説があります。愛情に飢えた幼年期を過ごすとそれが不安や歪みとしてその人の心に残る。他者への関わり方が独善的になったり、依存的になったり、作為的になったりする(その辺の方向性は本人の資質にもよる)。
 だからと言ってそれが一概に駄目ということではありません。孤独感を埋めようと働きかけていくことによって創造性が生まれることがあるし、そうした補填しようとする活動が人の原動力ともなる。その結果愛情や信頼を得るキッカケにもなります。それは個別的な生き方、模索の仕方と言えます。一種の適応ですね。
 人は生まれ持った環境や資質によって様々な生き方が生じます。その過程で幸せや愛情、自己の正当性を勝ち取るための戦いや争いが起きることもあります。しかしそれが不幸のどん底に陥る道ではない、と私は思いたい。遠い道のりになったとしても間違いではない、と思いたい。プリキュアは子ども番組なので親子の絆、愛情をキチンと取り戻す話しをしています。しかしこれは親子に限らず、相手が友人や恋人、あるいは自分が親になったときに取り戻すことも可能なはずです。
 親子関係、奏との関係もそうですが紆余曲折を経てより一層絆が深まっています。禍福はあざなえる縄のごとしとは言ったもので、長い人生の中では幸福な時期や苦悩と困難の時期がある。重要なのはその経験を糧にして自分の理想や使命を築き上げていくことにある。その場その場で一生懸命になることは勿論大切だけどのど元過ぎて忘れられていくのでは何も残らない。プリキュアの物語は1年をかけて紡がれるお話しです。その体験を通じて彼女達は自分で大切なものを磨き上げていく。その姿は生きることの意味と価値を映している。私にとって物語を見ることは人生を見ることと同義です。人の生き方から学ぶことはたくさんある。

 ……というプリキュアの話しをしているようで関係ない話しをするのがこの感想の目的です。
[ 2013年05月22日 19:27 ] カテゴリ:スイートプリキュア♪ | TB(0) | CM(-)
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