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第23話「ザザ~ン!涙は世界で一番ちいさな海ニャ!」

○今週の出来事
①小さな出会い

 メイジャーにもマイナーにも帰れず自分の居場所を見失うセイレーン。
 エレン、と響達が呼びます。これからは一緒に戦おうと声をかけます。しかしセイレーンは自責の念から拒みます。
 この感想では特に理由が無い限り「セイレーン」と呼称します。本名であることと、ハミィがそう呼んでいるためです。作中で「エレン」に統一しないのはハミィにとって幼い頃からその名で馴染んでいることと、セイレーンの全てを知って許容しているためであろうと思われます。エレンがセイレーンに帰れる余地を残している。まあ、番組的に言えば日常生活でセイレーンと名乗るのは不都合も多いでしょう。人間用の名前を使うのはくるみ(ミルク)の前例があります。


 トリオ達は拠点を灯台に移します。必要性はないような気がしますが、セイレーンの立ち位置が変わったことに合わせて変化を付けていると思われます。トリオ達はセイレーンを敵と認めます。この辺のリアクションも響達とは違う点です。


 調べの館に戻ってくるセイレーン。
 子猫が姿を現わします。すると子猫を追って少年もやってきます。近所の子猫らしい。「マモル!」と少年を呼ぶ声。父親の声を聞いたマモル君はセイレーンを連れて隠れます。
 父親が行ってしまうと安心したのか腹の虫が鳴ります。少年を気遣うセイレーンも同じく虫が鳴ります。ニャーと鳴く子猫。つられてふたりも笑い出します。

 響と奏はセイレーンを心配します。彼女達はもうセイレーンを疑う気は無いようです。前回の懺悔や変身の経緯を見れば警戒心を抱くよりも心配する気持ちが大きいのでしょう。今力になれるのは自分達しかいない、独りぼっちにできないと口にするふたり。孤独の苦しさ、不安は彼女達も知っています。
 とは言っても何をすればいいのか分からない響。ハミィは楽しくおしゃべりすればすぐに仲良しになれると言います。「だよね」。絶対何も考えてないだろ、おい。結論から言えばそのとおりなんだけど、それを素直に認められないのが感情ってもんです。良くも悪くも人は変化を嫌う。
 話題作りのためかはたまた餌付けのためか奏はカップケーキを持参しています。腹が減っているところを食い物でつる、姑息ですが有効的な手段です。
 そこに先ほどの父親が慌てた様子で通りがかります。


②分かれ道
 マモル君と雑談をするセイレーン。少し打ち解けています。そこに響と奏。居場所の目星を付けられていたようです。消去法的にここしかない。
 なんの用?と厳しい口調でふたりに返事をするセイレーン。奏は「べっつに~」とそっけない態度で答えながらカップケーキを見せます。上手い作戦です。仲間になれ、友達になろうと直球で攻めるよりは一緒に食べようと誘う方が受け入れやすい。少しずつ譲歩させていくのは交渉の基本です。
 これにはマモル君が飛びつきます。ラッキースプーンを知っているようです。

 美味しそうに食べるマモル君。隣に居るセイレーンは少々困った様子です。なし崩し的に響と奏が一緒に座っています。響は食べ終わったのでしょう子猫を膝に置いています。
 マモル君が持っていたのは父親の仕事道具。勝手に持ち出してきたようです。

 外に出たマモルを追って奏達が声をかけます。先ほどすれ違った慌てた人は親父さんだろうと目星を付けます。何があったか訪ねるもふたりに関係ないと拒否。しかし食べ物の力は偉大。もう友達だから、と接点を作ります。控えめながらもセイレーンも聞きたいと言います。
 街の医者として働いていた父は船医となって働くことになり1年家を空けることに。マモル君はそれに反発。医者としての使命感を語る父。個人の使命や仕事と家庭との天秤をバランス良く取るのは難しい。一概に子どもといってもある程度長じていれば親がいなくても気にならないだろうし、親が必要な時期もある。10歳は必要とする年齢でしょう。
 響は寂しいかもしれないけど心と心が繋がっていれば大丈夫、と自分の経験を踏まえて言います。実際問題として、小学生がこれを理解するのはかなり難しいと思います。中学生でも難しい。愛情の在り方、目に見えないものを信じる、愛されていると実感するには多くの経験と精神的な成熟を要します。親と別居していても愛情に飢えない程度に関係を構築することはそれほど難しくないと思いますが、これをより積極・能動的に実感して受け止めるとなるととたんに敷居が高くなります。大人でも愛情による結びつきを性愛や物理的な距離によってしか見られない人もいます。これは単に愛情に充足するだけでなく、目に見えないものを信じるという抽象的な次元になってくるので精神的な成熟や経験が必要だからです。

 奏も響の言葉に追従します。セイレーンにも話しを振ると「そうは思わない」と答えが返ってきます。日陰に隠れているのが視覚的にも分かりやすいところです。
 人は孤独、誰だって最後は独り、独りで生きていけるように強くなれば寂しさなんて無くなると言います。彼女の心象がそのまま出ている。そしておそらく本人も意識せずにマモルを自分側に引き寄せようとしている。孤独と言いながら真の孤独を拒もうとする矛盾があります。
 セイレーンの言葉に頷くマモル。奏は父親の鞄を持ってきたのは行って欲しくないからでしょ?と訊きます。良いところを突きました。マモル君は言葉に詰まります。人は孤独です。私もそう思う。でも孤独であることと、孤独でありたいと思うことは別です。絆や連帯、居場所を作りそれを実感して喜びや充実、生の豊かさを感じる、あるいはそれを求めようとすることに意味があるのだと思う。そこに人の本質があると考える。
 父親の出発は今日の夕方。猶予の時間はありません。このままでは最悪の形で分かれてしまいます。響と奏はすぐに父親を捜しに向かいます。
 対してセイレーンはパパに会いたくないんでしょ?と自分と来るように言います。ハミィは何も言わずセイレーンを見つめます。セイレーンも何も言わず立ち去っていきます。

 大勢の人出で賑わう商店街を歩きながら、セイレーンは自分達は独りぼっちと呟きます。マモル君はセイレーンの言葉に引き込まれるように思考の中に落込んでいきます。あやうく赤信号を渡りかけてしまいます。セイレーンに抱きかかえられます。なんて羨ましい。
 倒れた拍子に鞄が投げ出され中身が出てしまいます。その中の一つに目を留めるマモル君。不器用な猫のぬいぐるみ。ふと父親が指をケガしているのを思い出すと彼は気付きます。
 「お姉ちゃん、ごめん。僕戻るよ」
 自分のために作られたぬいぐるみに父との絆、愛情を感じるマモル君。セイレーンはでもマモルを置いて行ってしまうと追求します。
 「でも、このままじゃきっと今度はパパが独りぼっちになっちゃう。僕はパパを独りぼっちにしたくない。だって、僕、パパが大好きだから
 見事だ。完敗です。なんで気付かなかったんだろう。この物語の洞察と追求は見事と云う他ない。あなたが孤独だということは、あなたと連なる彼(彼女)までも孤独にしてしまうということ。彼(彼女)のことが大好きなあなたはそれを許せるの? そう問うことも出来る。
 セイレーンに大好きな人、大好きになりたい人は?と問うマモル。セイレーンの脳裏にはハミィ、響と奏が映ります。
 「マモル、戻ろっか」
 停滞していた心は再び歩み出します。


③ビートのキャラが色々ぶっとんでる
 父との再会。プレゼントだったと話す父にマモルはお礼を言います。
 セイレーンに戻ってきてくれてありがとうとお礼を言う響。ハミィは最初から知っていた、昔っからずっと心で繋がっていると純真無垢な表情で言います。しかしセイレーンは少し後ろめたい顔を浮かべています。

 トリオ登場。ぬいぐるみをネガトーン化させます。音波によって嘆き悲しむマモル親子。セイレーンが心配します。その横で出番だ、と言わんばかりに堂々と並んで前に出る響奏。ごめん、ここちょっと吹きそうになりました。変身。
 
 ネガトーンと激しく戦うプリキュア。それを見てセイレーンは疑問を口にします。何故戦うのか、何故自分にまで優しい言葉をかけてくるのか。ハミィが答えます。ふたりは自分の心に素直なだけ、守りたいもののために全力で頑張る、力を合わせる、それがハーモニーパワー、それこそがプリキュア。
 セイレーンに変身しないのか?と問いかけるバスドラ。セイレーンはモジュールを見つめながら戸惑います。先ほどのハミィの言葉に自分は値するのか。
 マモル親子を苦しめるバスドラにこんな酷いことは止めてと言うと「貴様が今まで散々やってきたことではないか!」と罵られます。このアニメ容赦ねぇ。セイレーンはモジュールを取り落としてしまいます。
 転がったモジューレの前で、ハミィは今どうしたいのかと問います。このアニメ容赦ねぇ。こういうストレートなことをやってくれるのがプリキュアの良いところ。過去は消えない。しがらみもある。けど、今何をすべきか。過去の自分と向き合いながら脚を踏み出していく強さ。その原動力が何であるかを問います。
 「私は…私は…守りたい。私が今まで壊してきたもの、友情とか愛情とか。信じる心…そう、心の絆を、私はもう二度と壊したくない!そのための力が、その資格が、この私に、あるというのなら!私は、プリキュアになりたい!
 その言葉を待っていたラリーとソリーが迎えます。心の強さを力に、胸の内にわき上がる想いを声に。セイレーンはキュアビートへと変身します。

 「心のビートはもう、止められないわ
 髪の毛を弾くビート。……誰だこれ考えた奴。このノリを女児向けアニメでやろうと言い出した人は素直に手を挙げなさい。
 ビート無双。ネガトーンを圧倒します。トリオは超級覇王電影弾を使って特攻してきます。だから誰だよこのノリで行こうって言った人。ラブギターロッドを召喚。ラリーがくっつきます。バリアを発生させて攻撃をはじき返します。追加戦士はバリア持ちが地味に多い。
 次いでソニック。無数の音符が槍となってトリオを打ちます。前回ギターとして使いませんでしたが、ちゃんとギターとしての利用価値があるようです。困ったことにベルティエよりも優秀な武器です。ベルティエの真の価値はバンクの艶めかしさにありますが。
 一曲弾き終わった、みたいな感じで一瞬隙が生まれたビートにネガトーンが襲いかかります。すかさずメロディリズムがアシスト。最近忘れられかけていますが、主人公です。
 BGMを聴くとCMを連想してしまうミュージックロンドを発動。あのCMの完成度とインパクトの強さは近年希に見る。売上げの半分以上はCMの功績だと思います。それはそれとして、ミュージックロンドで好きなシーンはトリガー引いた直後の後ろ姿です。サイドポニーの髪型がキュート。正面からもそうですが、後ろ姿も可愛いのはポイント高いです。
 これまた演奏終わったという感じで髪をかき上げるビート。これを女児向けに取り込むアグレッシブさが凄い。もう好き放題。


④絆に満ちた世界へ
 マモルは父親を見送ります。
 その姿を見てセイレーンは涙を零します。
 「涙は世界で一番小さな海。アンデルセンの言葉じゃな
 いつの間にか音吉さんが居ます。
 「人は人と繋がることで生きていける。そして人はみな心に海を持っている。お前さんの心に涙という海があるのならお前さんも必ず誰かと繋がることが出来よう


 「私は幸せのメロディが大好きだった。でもその歌い手にハミィが選ばれたときハミィを憎んでしまった。その憎しみはじょじょに大きくなりやがて幸せのメロディを、世界の幸せさえも憎んでしまった。大好きなものを大嫌いに変えてしまう。そんな恐ろしい心が私の中にあった。だから私はプリキュアになるのが怖かった。だって、いつまた私の心に憎しみが生まれるか分からないから…
 セイレーンは自分の心のわだかまりを告白します。震える手を奏と響は掴みます。
 「エレンはもう一人じゃないから
 「だからもうそんなことありえない。私達がそんなことさせないよ
 かつて大好きな人を大嫌いになったふたり。そしてまた大好きになったふたりの言葉。言いたいことをみんなと繋がっている海に言おうと促します。
 「ごめんなさい! 今まで酷いことをしてたくさんの心の絆を壊してごめんなさい。でもこれからは守るから…心の絆を守っていくから、だから私もハミィやみんなと心と心で繋がりたい!
 ふたりは彼女の手を両手で包み込みます。
 「ありがとう


⑤次回予告
 …………………。海で穴掘りとか意味わかんねーよ!!!


○トピック
 次回予告が全てをぶちこわした回。最近ここの出だしが本編と関係ないことばかりになってきたので、そろそろ真面目に入ろうかと思います。
 孤独からの解放、心の救済に対してド直球に投げるプリキュアの肝の据わり方が凄い。プリキュアの醍醐味です。大事なことは本編で完全に語られていますが、論理的にも構成されています。


 セイレーンは今回にて本格的に新しい一歩を踏み出していくことになるので、エレンの名にそれが仮託されていると見ていいでしょう(エレンの名が1話で登場していても前回まで使われていなかったのはこのためでしょう)。しかし当然ながらセイレーンの名(過去)が無くなるわけではないので、過去を知るハミィがセイレーンと呼ぶのも正しい表現と言えます。彼女は生まれ変わったわけでも、過去を失ったわけでもありません。エレンとして、セイレーンの過去を背負った者として存在しています。この辺はややこしいのでおそらく作中でも詳しく説明はされないと思われます。ハートキャッチで言えばつぼみが眼鏡をたまにかけているようなものです。重要なことは、過去から連続しているということです。眼鏡を外すことも、エレンと名乗ることも過去があったからであり、新しい変化を受け止めながら自分をどう規定し肯定していくかに意味があります。

 セイレーンのエピソードはフレッシュのせつなのエピソードと似ていますが、アプローチの仕方は全く異なります。この違いは物語のテーマ、扱っている事象の違いによって生じています。
 せつなは異世界の異なる価値観の下で生まれた人物で、ラブ達が住む世界の価値観や人の温かみに触れることで心の持ち方が変わった少女でした。これは言い換えれば愛情を受けたことがない子どもと言えます。彼女にあゆみさん(ラブのお母さん)を引き合せて家族を持たせました。愛情に恵まれなかった子どもを保護し、家と家族を与えた上で彼女に愛情、幸せの形を実感させています。その子どもが成長して母国を幸せな国にしていけるように巣立っていく物語となっています。幸せや愛情の獲得とそこからの拡張が提示されている。
 これに対してセイレーンは再回帰的です。好きだったものを嫌いになってしまったことで色んな悲劇を生み出してしまった。そうなってしまったのは人間関係や心の弱さ、隙が原因です。これは響と奏もそうです。スイートの物語は人の心が弱く脆いもので人間関係によってそれが露呈してしまうことを描いています。より現実的な人間像、事象を扱っていると言えます。人間関係には人と人を繋ぎ合せる力もある。だからセイレーンは誰かに保護されるのではなく、誰かに影響されながら、誰かと共に在ることで孤独からの解放、良心の復活を遂げています。「心の絆」が何度も繰り返し強調されているのはそのためです。スイートらしい転換を描いています。

 これをセイレーンに実感させるにあたって今回ハミィ、響奏をメインに置かなかったのは正しい作りです。物語の意味を拡張しつつ普遍化させています。
 重要なことはセイレーンが全くの他人から学んでいる点です。ハミィ、響奏は頼まなくても彼女に優しく接するでしょう。良くも悪くもこれまでの経緯で関係しているからです。でも少年は違う。行きずりの他人です。その他人の気持ち、絆の在り方にセイレーンは感じ入り見出しています。
 スイートでは、響と奏のように四六時中一緒にいて親友として絆を育む描写と同時に、親と離れていても愛情で繋がっていれば寂しくないという関係も描写されています。これは現代では単身赴任が珍しくないことから、子ども達に安心感や希望を持たせる配慮があると思いますが、愛情の在り方、人間関係の距離の多様さを描いているとも言えます。響の家庭のように親と離れて暮らす、奏のように親兄弟と一緒に食事を摂る、様々な形態の家庭があり、絆がある。決して愛情の在り方、絆、友情は一つの形ではないのです。それは何も親しい仲だけではなく、響や奏、セイレーンが今回マモル君を気遣ったように親切さや思い遣りとして他人にも向けられます。この世界は見ず知らずの他者を受け入れ、あるいはセイレーンがそうであるように他者の姿から何かを見出し糧にすることが出来る世界なのです。優しさや可能性に満ちている。それと反対に絆を壊し、人から幸せを奪い、醜悪でおぞましいことが生まれる世界でもある。憎しみや猜疑心、無関心に満ちている。世界の多様さは人の多様さと同義です。
 この世界はそうした無数の絆、心、人々が存在している世界なのだとセイレーンは気付くんですね。今回の一番大事なところはここです。彼女は自責の念から人と繋がることを拒んでいました。それは自分のやったことから目を背けることと同義です。自分の殻に閉じこもろうとしていた。これに対して大好きな人を孤独にしていいの?と問いかけるのは見事でした。殻の内側から、自ら世界へと目を向けられるよう転換させています。
 それによってハミィとの絆、響奏の絆、それらと同じ絆をたくさん壊してきたことを彼女は本当に実感するのです。前回に引き続き容赦ないところです。その上で彼女は自らの過ちを認めやり直していきます。それは心の再生を自ら意志していくこと、自ら歩み寄っていくことで孤独から開放されることでもある。セイレーン個人の救済の道と、彼女達が暮らす世界の豊穣さを同時に提示しています。世界は開かれ、人々はそこで繋がり合っている。

 絆、友情をテーマにして、それを個別的な枠に限定することなく今までやってきたことを踏まえて普遍化しています。これは本作の「音楽」の意味とも関連するでしょう。人、自然が奏でる音。この世界そのものが音楽と云える。そしてこの世界には人々の心や絆が充ち満ちている。孤独がさらに孤独を作りだしていくのなら、絆が絆を作りだしていけること、様々な出会いや関係から人が成長していけることを描いています。


 人の両面性、両義性を描きながらそれでも人を肯定し続ける意志をこの作品から感じます。人は色んな形、距離で繋がり合っている。そこには優しさや思い遣り、負の感情もあるでしょう。無関心もある。時に人は過ちも犯す。過ちに気づいた時に人は贖罪のためではなく、自らの心が発する愛情によって歩めと言っています。そうすることでより多くの愛情を生み出していける。
 これは現代らしい考え方でしょう。もう現代は社会正義や思想のような大きな正義を標榜できません。冷戦は終わり共産主義と資本主義の対立も消滅している。個人主義も浸透している。だから現代の物語にはヒーローものであっても純粋な悪党や悪の組織が登場しにくいのです。純粋な悪を出すということは純粋な正義を出す必要があって、その正義に説得力を感じなくなっているんです。何のために戦う?なんで戦わなければならないのか?何と戦えと言うのか?
 プリキュアは人そのものと戦う道を選んでいます。人の心に潜む弱さ、脆さ、過ち、憎悪と戦う。日々の中で体験する悩みや苦しみからどうすれば解放され、幸せになることができるのか。しかし人が存在する限り不幸も過ちもなくなることはありません。生きる限りずっとそうした人の弱さや矛盾、歪みと付き合わなければならない。プリキュアの物語はそれに打ちのめされることなく人が創り出す素晴らしいものに目を向けて肯定していく物語として私の目に映ります。
 人間にとっての世界とは詰まるところ人間が居る世界です。人間が一番好きなものも嫌いなものも人間なのだと思う。生の肯定、幸せは人間を肯定できるかにある。この世界に生きる私達はそれを見出していけるのか。プリキュアはずっとそれに向き合ってきた物語です。毎年、何度でも言うけど、そこが凄く面白くて好きです。
[ 2013年05月22日 19:23 ] カテゴリ:スイートプリキュア♪ | TB(0) | CM(-)
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