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第17話「ウルルン!ママはいつでも子供の味方なのニャ♪」

○今週の出来事
①母の居る朝

 物音と悲鳴で目が覚める響。台所に行くと母親のまりあが落とした食器を片付けています。…この流れ…よもや。サラダボウルには切った形跡がない野菜がそのまま盛ってあります。
 料理なんてしなくていい帰ってきたときくらいゆっくりして、と話す響。母親を慮っているというより実際料理はしない方がいいという判断が入っているような気がする。まりあさんはお母さんらしいことをしたい、娘が母親に遠慮するなんて良くないと言います。しかし料理の方は散々。やけどもしてしまいます。申し上げにくいのですが、あなたが遠慮して下さい。この家族まともに料理できる人いないのか。
 団さんもやってきて微笑ましい光景だと感想を言います。母親と娘が一緒に料理しているのはそうと言えなくもない。が、やっぱり食器を落とすまりあさん。「割れなくて良かった」それを聞いて団さんは笑い出します。つられてまりあさんも。これもまた平和な音なのでしょう。
 それはそうと、奏がアップを始めました。

 とりあえず料理の方はなんとかなったので朝食。ドイツ語とフランス語で会話する両親に響は呆れます。高度なコミュニケーションの取り方だなぁ。まりあさんは今夜にも日本を発ってしまうようです。その分たっぷり甘えて欲しいと話すまりあさんに響は照れてしまいそそくさと席を離れてしまいます。しばらく見ない間に大人になったと漏らす母。甘え慣れない人が甘えるのには抵抗があるし、やり方だって分からないものです。ハミィは満腹のご様子。お前は先週から食べてばかりだな。
 電話のベル。校長先生からです。出たまりあは驚きと喜びの声をあげます。


②母の居る学校
 奏に甘え方を訊く響。デリケートな内容のような気がしますが奏になら素直に訊けるのでしょう。奏は内心で自分に甘えている響にうっとりしているに違いありませんが、無論そんなことはおくびにも出さずママにしか言えないワガママを聞いてもらうことだとアドバイス。ママは自分がたくましいと思っているから家を留守にできるのでそれは出来ないし嫌われてしまうと響は答えます。意外です。いや、らしいと言うべきか。響は家庭環境に自覚的であるから当然自分の役割や親との関係性にも思慮が及んでいるのでしょう。
 奏はもし世界中の人が敵になってもママだけは味方で居てくれるって思わない?と訊き返します。母親が有名な音楽家で自分の都合だけでどうにかできる身分ではないことを知っている響は一歩引いた態度を見せます。ではワガママ言うとしたらどんなこと?と敷居を低くして訪ねる奏。子守唄を歌って貰った覚えがないと響は答えます。彼女の母親に対する距離感は赤ん坊の頃までに遡る。この距離は昨日今日甘えたからといって埋まるものではない。

 授業を開始する前に担任がゲストを紹介します。北条まりあ。校長先生の計らいで特別に授業参観に来たようです。お昼に音楽の話しをしてくれとも依頼されています。学校的にはこっちがメインか。頬を上気させて母親と話す響。なんだかんだ口では言っても嬉しいことに違いない。音楽の授業で響の歌が聴けると喜ぶ母に響は照れます。

 音楽の授業。学校にバイオリンの音色が響き渡ります。まりあさんの生演奏。生徒達も聴き入ります。周りの生徒達の反応とは正反対に母の音楽を聴いている状況に呆れる響。母が自分を見に来たのか、自分が母を見に来たのか。

 お昼の放送の台本を書いた、と奏は響にノートを渡します。即興で作れるの凄いな。響のあんなことやこんなことを聞く質問も入っていると思いますが。
 教室に顔を出す王子。それを見てクラス中の女子生徒は黄色い声をあげます。王子はそれに構わず「憧れのまりあさんが居ると聞いて慌てて伺いました」と響達に話しかけます。珍しくテンション高い。まりあさんに頬を上気させる王子。年上好みなのか。王子君的には北条両親は最強タッグというところでしょうか。王子の姿に「照れて真っ赤…可愛い」とうっとりする奏。そんな奏を見てうっとりする私(と多くの視聴者)。そんな視聴者を見て誰もうっとりしないどころかキモイと思われるところに現実の厳しさがあります。
 まりあさんはお昼の放送を一緒にやろうと言い出します。その言葉に響と奏は驚きます。これでは母と娘水入らずの交流が台無しです。「はい!」二つ返事で引き受ける王子。てめぇ、空気読めよ。奏のブラックリストに載りたいのか。顔を見合わせる響と奏。思わぬ珍客が訪れてしまいました。

 想定外の出来事があったもののお昼の放送スタート。こういう場に慣れているのか堂々と話すまりあさん。王子が質問していきます。その横で響は身体を動かして母の反応を見ます。どんだけお母さん大好きなんだよ。こういうシーンでは女児の意向に基づいています。質問に答える母の言葉に一つ一つ感心しながら挙動不審なほどに見つめます。しかし同じく聴き入っている王子がブロッキング。「流石ですまりあさん!」お前そういうキャラだったの!? っていうか凄い邪魔。王子に憎たらしげな視線を送る響。突然王子がピアニストを目指しているの?と話しを振ります。母の視線を感じながらも響はプロになれるわけがないと答えます。

 時計塔からその様子をストーキングするセイレーン。嫉妬だと言うトリオ。本人は親子の愛情に対する怒りだと言います。未だに謎ですがセイレーンも孤独を抱えているようです。
 今回も偽物作戦。てっきり前回で打ち止めかと思いましたが、今回も噛ませ犬役を引き受けてくれるセイレーンさんはマジでいい人です。


③母の居る戦闘
 放課後。校門前で待っていたハミィは響の姿を見つけると「待っていた」と話しかけます。まりあさんが居る前で。とりあえず話題を変えて誤魔化します。
 調べの館で連弾を披露するふたり。ところがまりあさんは居眠り。響は母の隣に座ると子守唄を歌い始めます。逆に起きてしまいます。まだ時間はあるので響の一番好きな場所に連れて行って欲しいと頼みます。響はママに振り回されてばっかりで結局自分のことを見てくれないと不満を漏らします。これはラストシーンにも繋がる部分です。まりあが見ているのは響本人ではなく響の痕跡です。響が求めているのは自分と一緒に居てくれたり好きなことを知ってくれることではなく、母の瞳に、母の心に自分を置いて欲しい、そう知って安心したいということです。お友達が欲しいんじゃない、愛して欲しいのだ。

 ドリーとレリーが慌ててやってきます。ハミィといい自重しない方々です。ネガトーンが現れたと言います。


 街では響に扮したセイレーンがネガトーンを使って街の人々に不幸のメロディを聴かせます。落ち込んだ人々は駆けつけた本物の響を見て敵視し始めます。どうやら洗脳もできるらしい。響の声が耳に入りません。
 戸惑うふたりの隙を突いてネガトーンが襲いかかってきます。紙一重で回避し続ける響と奏。制服着ててもむちゃくちゃタフなのは初代からの伝統です。しかし分断されてしまい孤立してしまった響を人々が囲みます。人々の敵意ある視線に居竦まれたように震える響。こういう状況は初めてです。壁際に追い込まれてしまいます。女子中学生に群がる大人達。色々あぶない。
 まりあさんが駆けつけます。色々省いて説明する奏。ネガトーン自体初めて見たと思われるまりあさんですがそこは音楽家。このアニメの音楽家は変人と同義です。すぐさまバイオリンを取り出してみんなに聴かせ始めます。バイオリンを弾きながらまりあさんは響を庇います。奏が言ったように自分に味方してくれる母親の姿に胸を打つ響。人々の洗脳も解けます。もうプリキュアいらないんじゃない?

 プリキュアに変身してネガトーンを攻撃。優勢に運びますがメロディが攻撃を受けてしまうと逆転。リズムが単身で奮闘するもセイレーンが戦闘に加わって追い詰められます。
 まりあさんの応援の声。先ほどまで洗脳されていた人々もプリキュアに声援を送ります。フレッシュ以降一般人もプリキュアに関わって物語に位置づけられるようになったんだけど、スイートはどうなるんだろう。プレーヤーと観衆は一体。それは音楽とて変わりないはず。
 カルテットで浄化。手を繋いだあたりで「アーアー」とヴォーカル入るのが好きです。


④母の居る響
 夕方。街を見下ろせる丘が響の一番のお気に入り。それはまりあさんも同じだったようです。妊娠中に団さんとも来たようです。
 「子どもが遊ぶ声、そろそろお家に帰りなさいって呼ぶママの声、お豆腐屋さんのラッパ、仕事から帰る人を乗せたバスの音、電車の音、ただいま~おかえり~の声、普通に暮らしているだけのどこにでもある音、でもとっても平和な音。それはみんなが生きている音。その音が響き合うのを聴いているととっても優しい気持ちになれるの
 その話しをしながら子どもの名前を決めたと話します。母が語る娘の話し。それは母の想いや願いが娘に託された物語。
 とっても優しい気持ちになれたとピアノも子守唄も褒めます。どんなに離れていても心はずっと傍にあると話す母に響は思わず涙ぐみます。泣きたいときは泣けばいい、自分の胸は響だけの特等席、寂しい思いをさせてごめんと謝ります。それでも響は気丈に答えます。彼女の強さは優しさから出ている。弱さも苦しさも涙も娘の全てを受け止める母に響は声を出して泣きます。
 様子を見ていた奏は二人っきりにすべくその場を離れます。プリキュアでは必ずこうした「見守る人」の視線が描写されます。それは例え本人に直接に伝わらずとも想いを寄せ、愛情を注いでいくれる人がいることを表わしています。その愛情は必ず違うところで形になります。人が人を見る時、それは自分の心を見つめることであり、この世界の広さを見つめることでもある。

 夢が出来たと話す母。いつか響と世界の舞台で演奏すること。もちろんパパの指揮で。


 夜。空港で母を見送る父と娘。
 娘は父に尋ねます。母が子守唄を歌ってくれたかどうか。子守唄の代りにバイオリンを弾いていたと父は答えます。娘はそれを聞いてその光景を思い出します。
 その夜、少女は大人への階段に一歩足を進めます。ピアニストの夢。世界の舞台へと。


⑤次回予告
 やっぱり音符見えてなかったんだ。いよいよ中盤へと物語が進みます。


○トピック
 このアニメレベル高ぇ。前回に引き続き今回も繊細で丁寧なエピソード。心理描写が多いと神経使うので疲れます(嬉しい悲鳴)。プリキュアの大人の大人足るところ全開。家事が出来る出来ないは大人の条件ではない。大人とは子どもを見守り育てる存在だと明示しています。


 素直さが仇になって幼児性も見える響ですが、ちょっと大人びた子どもでもあります。視聴者の代弁者らしく響の言動は甘えたいけど気を使い始めた子どもの特徴がよく出ています。前回の感想でも述べましたが響の言動は中学生としては幼く、メイン視聴者である女児向けに作られていることが分かります。プリキュアがよく出来ているところは女児と同じ目線に立つことで物語を分かりやすく描きつつも、人間関係に鋭い洞察を行うことで普遍性を持たせ人の成長や可能性をキッチリ盛り込んでいることです。
 物語序盤から書いていますが、スイートはコミュニケーションをテーマにした物語としてエピソードが綴られています。コミュニケーションとは広義には意思疎通のことですが、主観的には他者を自分に組み込むこと、他者の中に自分が居ることを感じることです。他者との関わりは人間にとって不可欠なもので、それは非常にデリケートであり時に人を歪めてしまうものでもあります。そうした脆さ、薄氷を踏むような危うさの上で人は人と暮らしている。それを踏まえた上でスイートは物語を展開しています。

 前回と密接に繋がっていますが、母は娘の気丈さに甘え、娘はそんな関係性によって家庭環境を維持していることにお互い気づいています。お互いにワガママを言えばバランスが崩れてしまうのは目に見えている。この均衡を保つために響と母はお互いの心に覆いをしながら暮らしているとも言えます。細かい違いはあれど、どこの家庭や人間関係にも見られる状況です。全てを暴露して、みんなが好き勝手言ってしまっては社会や関係は成り立たない。しかし、依存、甘え、協調、信頼は地続きで、そして見え辛いが故に安易な方向に堕落しやすく不満が溜まりやすい。旦那が退職金貰ったら離婚してしまうような、そんな危うさを抱えている(どんな例えだよ)。

 こうした複雑さを持つわけですがそこはプリキュア、分かりやすく整理しています。響は母が自分を見ていてくれているという信頼を確認したかったのです。彼女の母との繋がりは赤ん坊の頃の子守唄にまで遡ります。つまり母が自分をずっと愛してくれていた証拠が欲しい。こうした欲求や願望は現実的にはまず叶えられることはありません。相手がそうした願望を持っていると気づかないからです。だから見当違いな言葉や行動で答えてしまって一層距離が離れてしまう、というのがありがちなパターン。
 もちろんプリキュアはフィクションなので理想的に応えます。その応え方はやっぱり見事だと思う。このアニメはそういうところを絶対に外さない。まず戦闘で母が身体を張って娘を助けようとしたことで響の母に対する信頼感は高まります。しかしこれは完全な解決ではありません。それを踏まえて自分の名が両親の愛情と願いが仮託されたものだったこと、母親が自分の全てを受け入れてくれたこと、そして母の夢には自分が居ることを告げられる。最後の仕上げに母が子守唄の代りにバイオリンを弾いていたことを知ります。そう、響は最初から母の愛情を受けていたのだと実感するんですね。

 これらは2話の響と奏と同じような構造を持ちます。すれ違いや勘違い、あるいはお互いに見えていなかったことが見えた時に過去にまで遡って印象がまるで変わってしまう。自分は確かに愛されていたのだ、確かに信頼されていたのだと逆転する。3話の父とのエピソードもそうです。これは都合の良い話しではありません。私は大人になってから親の愛情を確信しました。それは本当に些細なことなんだけど、それをずっと続けていた両親の行動に感謝を忘れません。一緒に暮らすことだけが愛情を確認する手段なのではありません。離れていようとも死んでしまっていても、その人が確かに自分を見て、自分のことを心に刻んでいてくれたのだと確信を持てることに意味がある。他者に愛されていることを知ったときに、その愛してくれる人が自分の心にも映るでしょう。それは新しい世界、新しい発見を我が内に見出すことでもある。母の愛情に触れたことで響は新しい世界へ踏み出していける力とキッカケを得ています。

 愛情の注ぎ方は有形無形含めて無数に存在するし、それをどう受け取るかは本人にしか分からない。解釈によって印象や効果がまるで変わる。子どもの頃では気づかなかった大変さを大人になって気づくこともあるでしょう。そうした経験や認識はリアルタイムで変動していきます。この世界、自分の経験は解釈(認知)によって様変わりする。人間関係の関係そのものは見えません。見えるのは自分の心の中にある他者の姿、言葉、それに紐付けられた記憶と感情です。それをどのように認識するかでその人の生き方、行いは変わってくる。人は過去の体験を再体験(再解釈)することで今の現実すら変えうる。その可能性を信頼、愛情の形でこの物語は見せています。面白い洞察です。


 響は夢を抱きます。響は音楽が嫌いで、親と離れていたために愛情に飢えていた子どもでした。その彼女は今や親友を持ち、両親の愛情を確信して音楽を夢に持つに至りました。他者との絆を紡ぎながら彼女は成長しています。
 友達、親とのコミュニケーションを通じて自己の成長の可能性をここまで綺麗に丁寧に描いているのは素晴らしい。そしてこの物語が決して響一個人の物語ではなく、奏も居て、さらには生きる者達へと拡張されていることは大変重要なことです。母が語った言葉は示唆的です。この物語の音楽とは、人間が奏でる生きた音なのだと。響の成長に合わせて物語の舞台も拡張されています。どんだけこのアニメやる気あるんだよ。無論それでこそプリキュアです。それをやるからこそ私はこの物語を見続ける。
[ 2013年05月22日 19:21 ] カテゴリ:スイートプリキュア♪ | TB(0) | CM(-)
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