六畳半のすごし方 TOP  >  映画の感想 >  ソーシャル・ネットワーク

ソーシャル・ネットワーク

監督:デヴィッド・フィンチャー 脚本:アーロン・ソーキン

 実話を元にした映画。「Facebook」の設立と成長、創設者マークの成功と孤独を描く。
 派手な事件や奇跡的な逆転が起こるわけではないが話しの構成が上手いので最後までダレることなく楽しめた。この物語は2件の訴訟を軸に話しが展開されている。一つは著作権問題、もう一つはマークと共同でサイトを立ち上げたエドゥアルドからのもの。この2件訴訟の背景と「Facebook」創設の経緯がストーリー進行と共に明かされていくという筋書き。

 冒頭の会話でマークの性格がよく分かるようになっている。マークは相手の女性の気持ちを無視して自分のペースで話しを続ける。彼は優秀なのかもしれないが会話のキャッチボールが出来ない。そのため女性は嫌気がさしてマークを振る。その腹いせにマークは自身のブログで散々女性の誹謗中傷を書いたあげく、学生寮のサーバーをハッキングして写真を集め女性の顔ランキング的なイタズラサイトを一晩で作り上げてしまう。はっきりいって友達いないだろ、っていうかただ頭いいだけのクズ、というのが彼への第一印象。映画を通して見ても彼は独創的なアイデアや技術、才能を持っているが相手の気持ちになって考えたり、話す能力に著しく欠けている。典型的といえるくらいの変わり者(スキゾタイパル的な性格気質)。

 その印象を裏付けるようにマークは「Facebook」の成功と反比例して孤立化が進んでいく。彼は技術者タイプであるが、「Facebook」に対して自己評価を重ねている印象を受ける。例えばある程度「Facebook」が広がったのを見計らって出資者のエドゥアルドから利益を出そうと提案されたときに、マークは広告を入れるなんてクールじゃない、「Facebook」はクールだから学生にウケていると反対する。これは創作者としての美意識もあるだろうが、自分のアイデアが実際に人に評価されたことで彼の自尊心が刺激されているであろうことが推測できる。どこか卑屈なところがある彼にとって「Facebook」の評価が自己正当性を大きく担保することは想像に難くない。ナップスターで一躍名を馳せたショーン・パーカーがこのアイデアは何百万ドルどころか何億ドルもの価値を持っている、利益を上げるのはまだ先だとマークを支持したときに彼が喜んだのも金銭的価値ではなく創作的価値を認められたからだ。結局ビジネスパートナーであったエドゥアルドはショーンにその椅子を奪われ、自身も上手く結果を出せなかったことでマークと袂を分かつことになる。

 実際の人物がどうであるかは分からないが、映画を見て感じるマークの人物像は金に執着はなく自分のやりたいことに集中できるが、人と感情を共有したり相手の立場になって考えて言葉をかけることが苦手な(というよりも出来ないに等しい)タイプであることが見て取れる。このタイプの人の悲劇はコミュニケーション能力が欠けているのにも関わらず他者とのふれ合いを望んでいる点にある。友達が欲しい、人に認められたい、自分を分かってもらいたいという欲求を満たすことはきわめて難しい。しかも大抵自覚がない。マークは人の話しを聞かない上に、自分のアイデア(創作物)で他者から評価を得ようとする節がある。自己中心的、視野狭窄的と言えるだろうか。いくら彼が立派なものを作ろうと、評価されるのは創作物の方であって彼を一人の人間として認め受け入れるには感情的なやり取りが無ければならない。エドゥアルドは決して金銭的な理由だけでマークと決裂したのではない。マークが彼を頼らず、無視して話しを進めてしまったことも理由として大きい。これでは信頼してパートナーになることはできない。

 人と人を繋ぐ「Facebook」の創設者が孤独になるというのは皮肉とも言えるし、成功者の光と影とも言えるが、あるタイプの人間における苦悩をこの映画から感じる。
[ 2013年05月22日 18:30 ] カテゴリ:映画の感想 | TB(0) | CM(-)
トラックバック
この記事のトラックバックURL