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大東亜戦争への道(中村 粲)

○大東亜戦争への道 中村粲 展転社
記2009.8.29

 歴史は皮肉であり、気紛れであり、また過酷である。その中に於ける個人の善意と努力は、時として「砂汀に描く」やうに空しいことがある。だが、歴史を考へる時、さういふ善意や誠実さを暖かく見つめる気持ちだけは失ひたくないと思ふ。ともあれ、敗れた日本だけを断罪するには、大東亜戦争は余りにも複雑で巨大な歴史を背負ってゐた。せめてそのことを読者に分かって頂けたならば、本書を書いた筆者の意図は十分に達成されたものと考へてよからうと思ふ。

 「太平洋」戦争はGHQによって名付けられた名称ですが、「大東亜」戦争は日本側が戦中から使用していた用語です。意味的には東アジアの地域を指します。名称から分かるように日本から見ればかの戦争が東アジアを基点としたものだったと推察出来ます。個人的にも「大東亜」の方が歴史的、意味的に適切であると思いますが、ここでは一般的な名称である「太平洋」を用います。
 本書は明治維新から米国との開戦までの外交や歴史的変遷を詳述して、一般的に侵略と言われる日本の行いを再考しています。基本的には日本贔屓。

 まず最初に書いておくと、私は太平洋戦争が侵略であったのか自衛だったのかということに興味はありません。どちらでもいいし、どちらであったとしてもあまり私には意味が無い。あの戦争に意味を見いだすとすれば、当時の情勢を知ることにある。

 太平洋戦争が日本にとって自衛だったと言える理由として大雑把に言えば、
1.日露戦争以前からロシアの南下が危険視されており、朝鮮を緩衝地帯として持っておきたかった。満州での日本の権益は日露戦争によって得られた(ロシアと戦争して日本が勝ったのでこの権益は合法)。
2.満州自体、中国(当時は中国も政府が分裂していて内乱状態だった)から見て自国領と認識していなかった節もある(日本と外交を行っていた孫文は満州の譲渡も視野にいれていた)。また満州民族も中国の圧政からの自立を図りたかった。
3.満州などでの権益を得たかった理由には、日本の絶対的な資源不足、経済的問題があり、当時世界恐慌によって西欧はブロック経済を強いており日本の経済はひっ迫していて、満州を含めた経済圏がなければ日本国民の生活がままならなかった(満州の経済的発展は日本の影響が大きい)。
4.ソ連の共産主義および軍事的拡大は日本にとって脅威であり、事実中国の共産化は著しかった。
5.支那事変以降、仏印(現在のベトナムあたり。当時フランス領)への進駐は中国の蒋介石への英米からの援助を断ち切るためのもの。
6.蘭印(現在のインドネシア。当時オランダ領)への侵攻もアメリカからの輸入制限により石油などがストップするため確保が必要だった。
7.支那事変の和平交渉などをアメリカにたびたび頼んでいたが、拒絶され、アメリカから最終的に出された通告(いわゆるハル・ノート)の内容はとうてい日本は受け入れることが出来なかった。それを受け入れた場合完全に日本は経済的に壊滅するかアメリカの属国にでもならない限り生き延びられなかった。

 というような感じになります。客観的に見て当時のアジアは西欧の植民地化が進んでいて、アジアの中でまともに自立出来ているのは日本だけであり、その日本ですら生活ができるかギリギリという状態。生きるための権利を認めるならば、生活がかかった経済拡大(とそれに伴う領土拡大)を悪とは断罪できないと思います。そもそも当時から日本は外交を積極的に展開していて、支那事変についてもたびたび和平工作を行っているし、不用意な国境の越境は控えるよう現地軍に指示も出されています。一般的に侵略を行ったと書かれていますが、これは少し割り引いて捉えた方が良いだろうと思います。著者が言うように、日本一国の勝手で全てどうにかできるわけではなく、他国との兼ね合いや歴史的変遷も十分考慮すべきことでしょう。
 東アジアでの権益が当時の日本にとって死活問題であったこと、アメリカは逆に門戸開放主義を唱え中国における日本の権益を認めようとせず、欧州と同じように市場や利益を得ようとしていたことはあまり語られない部分なので本書を読んで勉強になりました。

 ただし、本書では言及されていない箇所もあります。例えば、満州国建国の際に溥儀が皇帝となりましたが、当時溥儀は日本に亡命しており必然的に日本の思惑が関わっているはずであり、満州国の運営について日本は特殊な立場だったと思われますがその辺の記述がありません。また、中国およびアメリカで排日運動がさかんに行われていましたが、その理由にも触れていません。2・26事件など日本の軍部にも対立が見られていて、閣僚レベルでは外交的解決や慎重論も多くありましたが、第一線との温度に違いがあるように見られますがそこも触れられてはいません。それらの不備や中国やアメリカへの批判(日本を擁護するのでその反動)を割り引いて見れば本書で書かれている変遷、日本が行っていた外交、現地状況、経済状況などの記述は教科書やメディアで取り上げるような日本のイメージとは異なり、公正に判断する一材料になると思います。


 満州事変については日本軍(関東軍)による自作自演であることは周知の如くですが、これも単純に侵略的な意図があったと断ずるには早計であるかもしれません。中国による排日運動は当時盛んに行われており、また済南事件、通州事件によって日本居留民が虐殺されており、国民と現地日本軍の感情的な不満は高かったと思われます。
 一般的に軍部の独断による侵略という話も耳にしますが、満州事変における爆弾三勇士など当時の国民は喝采をあげていたことや(日露戦争で「君死にたもうことなかれ」で有名な与謝野晶子も爆弾三勇士に対して賞賛しており当時の国民とマスコミは好戦的思考だった)、アメリカとの戦争へ踏み切ったことも当時の日本人は肯定的でした。軍事活動と同時に政治的な活動も盛んに行われています。アメリカとの戦争へ踏み切った閣僚の方々は苦渋の決断だったようです。

 アメリカとの戦争および東京裁判の内容について本書では書かれていませんが、山崎豊子著「二つの祖国」にて東京裁判が多く描写されており、上述した状況を踏まえるに、東京裁判の結果は政治的な解決として無難だったと思いますが、だからといって戦争責任や日本の罪について公正であったかということには疑問符が付きます(侵攻、進駐についてはアメリカやソ連も行っていたが戦勝国だったそれらは不問。そもそも原爆の投下って無差別大量虐殺だと思うんだけど、これも不問。東京裁判で問われた平和に対する罪とか、人道に対する罪とかに抵触するんじゃないの?)。
 ちなみに、この時代の日本を見る上で、天皇の存在についてどのようにして国民に受け止められていたのか、そもそも天皇はいつからあんなに国民に敬われていたのか気になるところですが、手持ちに資料がなくて不勉強です。東京裁判でアメリカ側も日本も天皇が罪に問われるどころか裁判に呼ぶことすら回避しようと専念したらしく、現在の国民と天皇の心情的な関係からは想像が出来ません。



 さて、グダグダと書いてきましたが、冒頭でも述べたように私は日本の戦争が侵略だったかについてはどうでもいいというスタンスです。重要なのはそんなところじゃない。
 「戦争反対」「平和」という言葉は誰もが唱えます。終戦記念日にはテレビで特集が組まれたり、地域では平和祈願の活動が行われています。でも私は思うんです。戦争したくて戦争する奴なんて滅多にいない。したがるのは戦争屋くらいです。
 衣食住、裕福な暮らしをしている人が「戦争反対」「平和」を唱えるのは簡単です。なにしろ言っている時点で平和だからです。でも、これが覆ったらなんて言うんでしょうか。職が失われ、でも家族は養わなきゃいけない、貯金も乏しくなり始めた、そういう状況で誰も彼もが真っ当に清く正しく、例え一家揃って餓死したとしても一切の非合法的行為、公序良俗に反するようなことはしない!と断行できる人がどれだけいるでしょうか。軍隊があるから戦争をするわけでも、突然ひょっこり戦争が始まるわけでもないんです。当然そこに至るには過程・経緯があって、安全保障や経済的な問題があって本当に最後の最後の打開策として戦争という軍事的手段が用いられるんです。

 戦後教育が本当に残念でなりません。多くの死者を出した戦前の教育の反動から戦争否定の教育を行ったことそれ自体は肯定するにしても、何故戦争が起きるのか、何故日本が戦争をしなければならなかったのか、それを防ぐためにはどうすればいいのか、本当に重要で教えるべき点はそこです。しかしそれは最早失われたと言っていいでしょう。よほど自分で勉強する気にならなければ太平洋戦争について十分な知識を持つことができません。教えられる人も限られているでしょう。侵略・自衛なんかどうだって良いんです。日本を背負って立つ子ども達に本当に大切なこと、平和というのは政治、経済、安全、食料、エネルギー、領土、民族、宗教、文化、それらを全部足した上で営まれる日常に根ざしていてそれを正しく理解して維持することがすなわち平和だということを教えるべきだと思うのです。そのための努力と関心を持つことが平和への一歩だと思います。戦争反対なんて言う必要はありません。必要なのは、感情に流されず冷静な判断と大きな志を持って見据える覚悟です。貧すれば鈍するなら、貧乏にならないように最善の手を打ち続けなければいけません。
 映画「ヒトラー最期の12日間」という作品に当時ヒトラーの秘書を務めた方のインタビューでこう述べています。「(ヒトラーが行った残虐な行為を)知ったときは大変ショックでした。でも私はそれを自分と結び付けられず安心していたのです。"自分に非はない""私は何も知らなかった"そう考えていました。でもある日、犠牲者の銘板を見たのです。ソフィーショル。彼女の人生が記されていました。私と同じ年に生まれ私が総統秘書になった年に処刑されたと。その時私は気づきました。若かったということは言い訳にならない。目を見開いていれば気づけたのだと」
 平和な時に「戦争反対!」と言うことが簡単であるように、例えプロパガンダがあったとしても戦争が目前になったときに「いざ開戦!」と言うこともまた簡単です。


 歴史を知ることには意味と意義があると思います。それは知識としてではなく、現在の私達が暮らす上で教訓となり、知恵となって今後の生活に反映させることが出来るからです。それが上手く行くにしても失敗するにしても、同じ過ちを犯さないようにすることは次代の人達の責務なんだと思います。
[ 2013年05月22日 14:02 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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