fc2ブログ
六畳半のすごし方 TOP  >  本の感想 >  ハイエク 知識社会の自由主義(池田信夫)

ハイエク 知識社会の自由主義(池田信夫)

○ハイエク 知識社会の自由主義 池田信夫 PHP新書
記2009.1.10

 佐藤優著作「国家の罠」の中で「ハイエク型傾斜配分」「ケインズ型公平配分」という言葉が出てきたので経済的な知識も欲しかったこともあり読んでみました。本書の記述と「国家の罠」の中での意味合いには少々ズレがあります。提唱者の理念、理論が実際にどのように用いられるかには乖離があるようです。

 私自身の整理も含め、20世紀初頭からの経済理論についての変遷を書きます。
 20世紀初頭の経済理論は新古典派経済学というものが用いられていました。これは人間が合理的に行動し、また情報を完全に把握していることを前提にした理論で、市場の需要と供給はおのずと一致するという理論らしいです。そのため政府による市場介入はさけるべきだというのが主流でした。
 この理論は1929年の世界恐慌によって破綻します。説明できなくなったからです。このときケインズ氏の唱えた「雇用 利子および貨幣の一般理論」が台頭します。これは政府による市場介入であり公共事業などによって雇用の創出、金利コントロール等を行うものです。「一般理論」と名付けられていますが、実際には世界恐慌の中での対策であり、特殊事情の中での特殊対策と考えた方が良いものだそうです。
 私自身誤解していましたが、資本主義VS社会主義という構図はまだこのとき明確になってはいません。この当時世界恐慌の中でいち早く立て直したのは社会主義国であったソ連です。アメリカや西欧諸国は出遅れていました。そのため、この当時は社会主義の思想は肯定的であり、それに反論をする方が白い目で見られていたそうです。なお、第二次大戦によってアメリカは景気が好転し、ソ連との冷戦に入ります。

 ケインズ氏の一般理論に対してハイエク氏は批判しています。かといってハイエク氏は新古典派経済学を肯定しているわけではありません。意外でもあり面白い点であるのが、ハイエク氏は元々心理学をやっており、哲学的思想と相まって経済理論が立てられていたことです。
 経済理論というと何か公式や演繹的に求められる論理があるのかと思いきや、どうもそういうことではないようです。むしろ逆のような気がします。提唱者たちが「これだ!」という結論ありきでそれを証明するために理屈をくっつけているような節があります。これは何もおかしいことではないでしょう。日常生活や仕事の中でもこういうことはあります。科学だって場合によってはインスピレーションが先でそれを実証するために理論立てすることもあります。
 ハイエク氏の考えでは、まず人間は非合理的でまた情報も完全に持ち得ないのだから、不完全な情報をもとに個々に非合理的なことをしながら経済が成り立っているというもののようです。ただし、この非合理的かつ不完全な情報の下でも健全な経済が成り立つところがミソで、長期的に見れば不景気などが発生しても元に戻るので、政府による市場介入は極力避けるべきであるということのようです。新古典経済学と何が違うのとか言えば、新古典は理論によって計算できるとした点で、ハイエク氏はそれを否定しています。また、最大公約数的な幸福や、利他的な行動によって結果して全体が幸福になるということを目的にするのではなく、あくまでそれは副次的なもので、基本的には自由な経済、自由な市場の継続的活動を主眼としていたようです。ただしその「自由」にはルールが必要で、政府がそのルールを作ることも必要だとしています(お互いに共通のルールや考えがなければ売買や生活が成り立たないのと同じ)。
 ハイエク氏の考えに共感できる点は、人間が非合理的であること、完全な情報は持ち得ないこと、計画主義(人類の経済や行動を統一し理想社会が作れるという発想)を否定している点です。科学が発達してコンピュータなどがより発達するとこの世の中の出来事は計算できて、人間もまた合理的に理想社会を作っていくはずだ、という考えが出てくること自体に私は違和感を持つのですが、社会主義というのはそういう面があったものでした。実際には独裁者が自分勝手な理論と妄想で破綻させてしまうことが多くありました。エリートや知識層の人々がしばしば勘違いすることですが、世の中そんなに理論や合理的なもので進んだりはしません(要因が複雑に絡むので、完璧に計算すること自体が不可能)。

 こうしたハイエク氏らが提唱した自由経済は現在でも使われており、アメリカでは公共事業への投資は控えられました。日本でも国鉄や電電公社の民営化、近年では郵政民営化を実施しています。なお、日本では兆単位の公共事業(主に土木業)も実施していますがこれはアメリカからの圧力もあって実施したことです。どうも経済と政治で矛盾したことをやっていたようです。
 政府の介入を極力避け自由市場による経済を行うため、富める者はさらに富めるという意味でハイエク型傾斜配分と言われているのだろうと思われます。サムプライムローン問題から端を発した世界的な不景気によってこの考えも見直され、またしても政府介入による公共事業の創出などが行われるだろうと思います(雇用や経済が危機的状況で政府が何もしなかったら国民から非難されるのは目に見えている。国民は経済理論など知らないので雇用や景気の心配で頭が一杯)。当然それは財政を圧迫するものです。雇用の水準を上げ賃金の改善を行うことは労働者の側から見れば良いようにも見えますが、人件費が膨らめば当然企業は採用数を減らす方向に行きます。働いている人がより安定し、そのあおりで働けなくなる人も出てきます。公共事業といっても恒久的な需要を創出できるわけではありません。経済に疎い私には今後どうなるのか、どのような経済理論によって動いていくのかはわかりませんが、世の経済について見方がちょっと出来たので見ていきたいところです。
[ 2013年05月22日 13:59 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
トラックバック
この記事のトラックバックURL