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フロイト先生のウソ(ロルフ・デーゲン)

フロイト先生のウソ (文春文庫)


○フロイト先生のウソ ロルフ・デーゲン 訳:赤根洋子 文春文庫
記:2008.8.11

 著者は心理学者フロイトが提唱したことはマルクスよりも人類に大きな損失をもたらしたと断言する。抑圧、無意識、幼少体験などから派生し今日私たちが耳にし常識だと思われていることが、その後の実験や追試、統計などから証明性がないことをこれでもかと本書ではあげている。
 心理療法はプラセボ効果程度の効果しかないし、放っておいても人間の自己治癒能力で自然と精神的な問題も解決される。素人とプロの心理療法の実験をしたら効果に差は見られなかった。むしろ素人の方が効果がある場合すらあった。友人に相談した方がマシ。友人がいない人は金で友人(医師)を作る程度。そもそも心理療法が悪影響を及ぼすことがある。薬品は厳密な検査と実証試験を通すが、心理療法にはそれが無い。
 心理療法を行うことで重大な病気を早期に発見治療でき、医療費の削減にならない。むしろ医療費は増加している。(余談だが最近のメタボ対策は医療費の増加になっているのではないかと疑います)
 子どもへの早期教育に効果は無い。(余談だが、日本で能力開発として幼児期からの教育を1970年代から施す風潮があったらしいが、それが現在どの程度実証されているかは自分や周囲を見て判断してみましょう)
 幼児期に虐待にあった子どもは自分が親になると虐待するようになる、という説は正確ではなく、そういう事例の内3分の1しか虐待が継承されなかった。虐待されなかった人でも虐待するケースがあることを考えると、虐待されたから虐待するという連鎖はそれほど多くない。虐待や家庭内不和、同性婚の家庭を経験していても将来真っ当に成長して暮らしているケースも珍しくない。
 人間の性格や思考力は遺伝子の影響が大きく現在確認されているのは統計的に50%程度。一卵性双生児でも似ていない部分は多く、それは家庭内環境というより、偶然による興味関心やその対象がその個人に影響されるかによる。
 サブリミナル効果はウソ。選挙での世論調査を知っても大抵の人はもとから関心がないので知ったところで選挙結果に影響を与えない。二重人格はヤラセや医師の誘導と刷り込み(二重人格が一躍有名になったケースはヤラセであった)。エディプス・コンプレックス?何それ? 人は近親者を性的対象から外す傾向がある。……等々。

 早い話、心理学の一般書やTVなどでよく聞く心理学の常識には科学的実証性が無い、と実証データをあげて反論しています。ここまで反論されると「じゃあ、心理学って何が分かっているの?」と思ってしまいますが、多分、心理学者も誰もよくわかってないんじゃないかと思います。日本のとある精神科医は「何でも知っていて何もしないのは内科。何も知らなくて何でもやるのは外科。何も知らなくて何もしないのが精神科」と言っています。身も蓋も無いです。本書の著者は科学ジャーナリストらしいですが彼曰く「心理学は最も重要な学問だ、同時にもっともどうでもいい学問だ」と言う。

 著者は何も心理学がデタラメであることを言いたいのではなく、人には自己治癒能力がありそんなにヤワではないことを言いたいらしい。

 ただし、本書は従来から浸透している心理学を批判する立場でかかれており、肯定的な実証データもあるので必ずしも本書の主張が正しいとは限らないと思います。素人の私には総合的に真実を判断することはできません。結局のところ、信用するか、しないか、一定の距離を置いて参考程度にするか、くらいしかできません。


 本書を読んでいて参考になったのは2つ。
 ひとつは鬱病について。鬱病の人は気分が落ち込んでいて自尊心も低く常に自分を低く見ていると思われがちなのだが、そうではなく彼らはむしろ現実的だそうです。健全な人はむしろ幻想を抱いています。自分は平均より長生きすると思っているし、自分は事故に遭わないと思っているし、自分は他人よりも騙されにくいと思っているし、自分でクジを買った方が機械で無作為に選ばれたものよりも当りやすいと信じてしまいがちです。ところが鬱病の人にはそういう幻想がないそうです。事実をそのまま理解しているそうです。

 もう一つは、私の信条にも関わることですが、自己と向き合う、問題と向き合った方がよりよくなるというのは逆で、人は苦痛やストレスから身を守ろうとするのが健全な態度であり、問題に対して背を向けたり幻想を抱くのは当然のことだということです。むしろ問題を直視しすぎると鬱病にすらなるようです。鬱病の人は現実にフィルターをかけていません。恋人達も相互に幻想を抱いていた方が長続きしたそうです。仮に期待値が下がっても下がったなりに理想化するのでそれで長続きするようです。
 私はこれまで向き合った方が良いと思っていましたが、考えを少々修正します。
 人は誰しも幻想を抱いています。先ほどの「自分は大丈夫」と根拠無く思うことや、恋人を理想の人物としたり、世の中を楽観的に捉えていたります。では、それがいけないことなのかと言えば、そんなことはないんです。むしろ現実を現実のまま直視したらやってられないでしょう。自分が患っている病気の致死率が50%だとしたら誰だって自分は助かる側だと思いたいし、そう思います。でも現実を直視するなら容赦なく統計上2分の1の確率で死にます。スポーツ選手になれるか、社長になれるか、大金持ちになれるか、博打で当てられるか、いずれも現実的な確率は低いのです。そんな明日も信じられないような現実を誰が直視しますか。明日に希望が持てると思うからみんな努力して頑張っていこうと思えるんです。
 それでも、私は(自分が必要とした)大きな問題には直視するべきだと思っています。それはそうした方が長期的に見て自分に役立つはずだと(私自身に対して)考えるからです。どうでもいいことやさっさと忘れた方が良いと思ったことは忘れて良いと思います。これは私の信条から来ています。心理学的な根拠は必要でありません。私の信条は「如何に人生を充実して過ごすことができるか、肯定できるか、またそれを他者に提示できるか」にあります。自分が良い人生を送れて他人にもそれを示せるなら最良だと思っています。辛いことでもそれが自分のためになると思えれば頑張ることが出来ます。さっさと忘れて新しいことにチャレンジした方が自分のためになると思えればそれで良いと思います。向き合うか背けるかは手段に過ぎません。


 本書を読むと何が正しいのか分からなくなるのですが、ぶっちゃけ、本書でも書かれているように人は自分に都合の良い情報を求める傾向があります。結局、最後は意地なんだと思います。自分の考えは正しい、という意地。「人は平等」「男女同権」「人は先天的な才ではなく環境で決まる」「強い肉体は健全な心を作り出す」「何とか人、何とか民族は優れている」……等々。イデオロギーとか思想とかご大層なものじゃなく、意地。思い込み。実際には金や権力、利益などが絡む場合もありますが、自分を正しいと思いたいという考えから人はなかなか抜け出せません。だって他人に「お前が変われ」と言うのは簡単だけど「自分が変わる」とは思いにくいじゃないですか。何か負けたような気もするし。意地なんだと思います。エゴ。わが身可愛さ。そのために都合の良いデータを集めたりする。良識がある人はそのデータから自分が間違っていたと考え直すでしょうが、意固地な人はそれを何かの不備で間違っていると考えるでしょう。私も心理学的な根拠がどうであろうと根本的な信条を変えるつもりはありません(といっても私の信条は変遷しているのですが)。


 大変な世の中ですよね。人間は自分達が思っているほど理解されていないし、みんな自分勝手。自然現象や偶然は制御できない。そりゃ現実を歪めて解釈したくもなります。
 しかし、人間はそんな世の中と他者と付き合いながらこれまで生きてきたんです。
 最後に、本書で多数の心理学者の言葉が引用されていますが、その中からいくつか引用して終わりたい。この本を取り上げたのはこれが言いたかっただけです。

 「苦しみと喜びをちゃんと体験してこそ、つまり限界まで体験し、その限界を自分で確かめてこそ、個人としてのアイデンティティを確立することができる。どんな苦痛も体験しないようにと、苦痛を感じるたびにいちいち治療を受けていたのでは、ストレスをどう乗り切り、困難をどう克服するかを考える機会を失ってしまう。そして、そもそも自分が何者なのかを考える機会を失ってしまう

 「あなたの心のなかには、単に生き延びるためだけでなく、幸せになるための、そして目標を達成するための能力が備わっているのです。決してそれを忘れないでください

 「あなたには自分を治す強さがあるし、そうする責任がある
[ 2013年05月22日 13:56 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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