六畳半のすごし方 TOP  >  本の感想 >  ドストエフスキー 謎と力(亀山郁夫)

ドストエフスキー 謎と力(亀山郁夫)

○ドストエフスキー 謎と力 亀山郁夫 文春新書
記:2008.3.20

 新訳「カラマーゾフの兄弟」の訳者がドストエフスキーの小説や著者本人について解説と推察をしている本。ちょっと前にNHKのドストエフスキー特集で解説していた人。私はこの人の訳は読んでいない。
 短編・長編ともにそれなりの数は読んでいるんだけど、流石にキリスト教の異端派までは知らなかったので色々参考になりました。鞭身派、去勢派なんてものがあったのね。前者は儀式を行う際にお互いに鞭打って快楽を得る(宗教的恍惚感、同一感を得ているのか?)という何かよー分からん宗派で夫婦間の性には厳格なわりに信徒同士では乱性交していてそこで生まれた子どもは信徒達が作る集合体で育てていたらしい。後者はその名の通り男女ともに去勢(去勢しなくても入れる)する宗派で、性的エネルギーは蓄財へと向けられたようです。
 また、読んでいて面白かったのは「模倣の欲望」という考えで、これは三角関係で生じる。AさんとBさんだけなら、AさんがBさんを好きになるのは欲求。AさんがBさんを好きなのをCさんが見ていて、CさんがAさんを模倣してBさんを好きになるというのが模倣の欲望。というもの。オディプスコンプレックスとかにも適用できる。寝取られ亭主と寝取る男の関係も実は単純な上下関係ではなく、案外共犯関係や上下逆になりえるなど人間心理の面倒くさいところを解説しています。
 どちらかというと小説を読んだことある人向け。亀山氏のドストエフスキー語りとも言えるので、小説を読む前に読むと逆に変な先入観が付くかもしれないので、小説未読の人は諦めて小説を読んだ方が良いと思います。ただし、5大長編のあらすじが載っているのでこれを読んでおくと話の筋を追うのが楽になります。

 ドストエフスキーは好きな作家ですが、それはドストエフスキーの思想性や心理洞察、観察の点で好きであってドストエフスキーがどういう人であるかとか、小説がどういう意味や示唆や暗示が込められているかなどにはあまり興味がありません。謎解きをしたいわけじゃない。
 実のところ読んだ小説のほとんどはよく分かっていなかったりします。基本的に自殺する人が何で自殺しているのかよく分からないし、「白痴」のロゴージンがムイシュキンを憎んでいて、ナスターシャを殺す理由もさっぱり分からない。悪霊に至っては全体的によく分からない。カラマーゾフも…これはギリギリなんとかなるか?いや、分かってないな。だいたい、名前覚えにくいし文章量が半端ないから読み難い。
 そんな読解力に疑問が生じる私でも、面白いと思うのだからこの小説の面白さは幅が広いと思う。物語の筋を追うよりもむしろ何がそこで起きて人間に影響を与えて表現されているか、という読み方を個人的に好むので1から10まで分かる必要は無い。物語から自分が興味を持つことを抽出して再構築して認識できれば良くて、あとはその認識を促す良質な解説を提供してくれるのが個人的に言う「良質な作品」。

 ドストエフスキーについて私見を言うのであれば、この人の小説を面白くしているのは、この人が純粋ではないからです。ある意味で純粋なのかもしれないけど、社会主義組織に属していたり捕まって死刑判決食らって死刑台に立って恩赦されて監獄に4年ぶち込まれて、再婚したり横恋慕したり、賭博好きで金欠で癲癇患ってて…とまあ、ロクな人生じゃないというべきか波乱に満ちた人生というべきかは置くとしても、そういう自身の経験と彼の洞察力は人間の意志力や可能性を絶対に肯定はできなかったと思います。この人の人間理解は屈折している。ロシア正教(キリスト教)の信者であっても神を信じていない。そのくせ人間の救済や可能性を諦めきれない。その矛盾や葛藤を抱いているから、彼の作品は面白い。彼の宗教観は決してキリスト教に留まるものではありません。だから私のような無神論者でも彼の言わんとした、望んだ光景を見ることが出来る。ゾシマ長老が語った言葉、アリョーシャやドミートリィの確信が分かる。良くも悪くも彼は神やそれに付随する神性ではなく人と人間性を見ていたんだと思う。
[ 2013年05月22日 13:53 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
トラックバック
この記事のトラックバックURL