六畳半のすごし方 TOP  >  本の感想 >  「常識」の研究(山本七平)

「常識」の研究(山本七平)

○「常識」の研究 山本七平 文春文庫
記:2007.6.24

 この人頭良いなぁ。砲兵だったからか元々理系っぽいのかとにかく論理的に物事を考えている。
 本書は一つのテーマを掘り下げて一冊にしたものではなく、時事や山本氏の経験の一つ一つを綴ったものを「常識」というカテゴリーで纏めたもの。各セッション事に分かれているものの、著者の思考がハッキリしているから統一性のある文章になっています。
 書かれたのは私が生まれた頃なので既に四半世紀経っているが、当時の日本の政治やマスコミの情勢が現在と大差ないのを見ると山本氏の指摘の正しさに感嘆するべきか、変わりばえもせず特に改善もされていない社会に落胆すべきなのかは微妙なところ。

 山本氏の文章がちゃんとしているのは主張や論拠を明確にしている点。それはとりもなおさず、見ている対象をちゃんと見ていることになります。
 他の本の例えを使うなら、ヘビースモーカーの人が「たばこは身体に悪いから吸わない方が良いよ」という意見を出したとします。これに対して「たばこ吸っている人に言われても説得力がない」と返答をするのは日常会話としてはよくありますが、論理的には正しくありません。そもそも(ここでいう)説得力と論理性は関係がありません。その人がたばこを吸っていようがいまいが、論点はたばこが身体に良いか悪いかなのであって、そこが焦点になります。だからたばこが身体に悪いという根拠を提示できればいいのであって、その人の立場は関係ありません。(立場を含めてその人の発言の意図までを議論の対象にする場合はこの限りではありません)
 主張・意見に対して論理的、倫理的、感情的に捉えることができますが、それぞれ違うものであり混同して議論や分析すると大抵ロクなことにはならず、見当違いな結論になりやすい。そのことを山本氏は分かっていてきっちり分けて書かれているので非常に読みやすく、意見よりもその分析方法が参考になります。

 山本氏はキリスト教や聖書に精通している人で、そのためか他文化に対する考え方が思慮あるものになっています。私の経験と考えですが、何でも良いのですがある物事に精通した人というのはその精通していないことに対しても正しい態度で臨むことができると思う。私自身格闘技は分かりませんが、武道に精通していると、他の流派や武道に対しても理解できるというのはよく聞きます。それはつまり自己の中に『物差し』があるということです。この物差しは比較的明文化され洗練されたものなので、他文化を見るときに一定の基準に即したフィルターとして機能します。
 他文化を見るときに絶対に頭に入れておく必要があることは、自分の考えは自分が属している文化に影響されているためにその視点で他文化を見てもそれは色眼鏡(フィルター)で見ているということです。自分の属している文化に対して見るなら明確な『物差し』を持つ必要はあまりありません。自分がその文化の影響を受けているので『物差し』を内包しているからです。
 これが他文化に対してなら話は別で、曖昧な自己文化の物差しだけで判断すると「お前の常識なんて知らないよ」といわれてしまいます。日本は比較的柔軟な思考を持つ文化なので相対的に見る傾向がありますが、完全ではありませんし万能でもありません。これは他文化以外にも他者に対しても当てはまります。(そもそも相対的に考えようという考え自体が日本の文化の影響を受けている発想。それを許さない文化も存在する)

 他者(他社会)を理解しようとすれば、自ずと文化を理解することであり、文化に影響を与えている宗教や歴史を理解することがその手助けになります(短絡的な考えを防止する)。大分前にも書いたことですが、私が比較的宗教の話を持ち出すのはそれが文化理解に役立つからです(ドストエフスキーの小説に大分影響を受けているためでもある)。これが例えば言語学とか経済学とか土地や気候とかであっても良いと思います。要は明確な物差しがあれば良いんです。もちろんその物差しは万能ではありませんが一定の理解の助けにはなります。

 それらの物差しと明確な論点を見出すことで対象を分析している山本氏の考え方は面白いですね。
 自分の物差しを意識すると、同時に相手の物差しも意識することができます。それは相互に立場があるということを知ることになります。冷静な話合いをするためには相手の立場を理解することが必要ですね。「俺は正しい。お前が間違っている」というスタンスで最初から行ったらケンカになるだけです。


 上述の本の内容で一点取り上げると、情報化社会の問題について。
 現在はインターネットの普及もありかなり情報を得ることができます。と同時に情報で溢れ返っています。場合によっては情報の真偽すら分からない場合があります。マスコミの情報も鵜呑みにはできません。
 心理的に人は自分の考えを正当化したいという欲求があります。自分が好きなものを他の人も好きであって欲しい、自分がこう思うと考えることを他の人も考えていて欲しい、自分の意見が承認されたい、と思う。だから自分の考えと同じ意見を得ようとします。自分が好きになったものの評価を見る時に、同じように「好きだ」という意見を意図的に取り入れようとすることが誰にでもあると思います。逆に「嫌いだ」という意見はあまり見たくなく、場合によっては「それは間違った考えだ」と反駁したくなる時があります(情報の内容ではなく、自分に合うか合わないかで取捨選択する)。しかしそれでは情報を冷静に判断することはできません。
 山本氏が言うように情報は自分が持ってる情報と違うほど価値があります。自分と同じ情報を見ても無意味です。情報の差異の理由を考察することでより理解することも可能でしょうし、真偽を確かめる手段にもなります。
 インターネットの普及で情報量や取得方法は飛躍的に発展しましたが、実はそれが人の視野を広めるどころか、逆に狭めて自分に合う情報しか得なくなってしまう危険もあるという氏の指摘はその通りだと思います。氏が書いた頃はまだネットが普及していないので、当時の社会情勢で書かれていますが十分現在にも通用するものです。判断者の態度の在り方を指しているので時代を問わず色んな事象に適用できます。
[ 2013年05月22日 13:41 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
トラックバック
この記事のトラックバックURL