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第24話「せつなの苦悩 私は仲間になれない!」

○今週の出来事
①青空に雲ひとつ

 一面にクローバーが咲く公園。母子が楽しげに歩いています。セミの声が絶え間なく聞こえる夏空の下、せつなは独り座り込んでいます。偶然ラブの母が通りかかるとせつなの傍に寄って声をかけます。
 振り向いたせつなに不躾だったことを謝ってから、どうしたの?と深刻そうな表情を見て心配して訪ねます。せつなは問いに答えず顔を元の位置に戻します。母はそれ以上追求せず、困ったことがあったらクローバータウンストリートへいらっしゃいと言います。眼下に広がる家々。優しくて暖かくて幸せになれる街。


 ラブの家では、三人集まりせつなを心配します。祈里の住むところがないんじゃ…という言葉を聞いて居ても立ってもいられずラブは部屋を飛び出していきます。丁度母が帰ってきます。玄関で母に聞いて欲しいことがあると深刻な声で話しかけるラブ。今日の約束のことなんだけど…と切り出します。


 夕方6時までにせつなを探す必要があるためラブ達は街中を探し回ります。

 夕方。せつなは公園で三つ葉のクローバーを見つめていましたが、それをやめて立ち上がります。


 洋館ではイースがラビリンスを裏切ったことに憤懣やるかたない様子のウエスター。サウラーは冷ややかにせいせいしたと言います。それには耳を貸さず連れ戻すと言って出て行くウエスター。もしかして結構良い奴なのか?
 部屋に残ったサウラーは「ラビリンスに生きた者がラビリンスを捨ててどこかで生きていけるはずがないよ、イース」とつぶやきます。


 せつなを探し続けるラブ達ですが見つけられず、時間切れを告げるように6時の鐘が聞こえてきます。

 路地を歩くせつな。ラビリンスの町並みは無機質で、人々も姿形の違いはあっても皆メビウスに忠誠を誓い管理された者達。そうそこは灰色の単一、単色の世界。違いがあるようでない、そこに住む人は定まった何かのために歯車として動く世界。その人々からせつなははみ出した。自分には帰るところが無い、と自分を省みるせつな。自ら砕いたクローバーのペンダントを想起しながら、プリキュアにもなれないと考えます。人々の不幸を砕き、今更それをやめてやり直すことは躊躇われます。砕かれたペンダントは元に戻りません。
 心の闇の中で光を見つけたせつなはその方向へと引きつられるように歩みます。その先には…


②食卓
 三人の人影。ラブ、美希、祈里。ラブはせつなを見つけて泣き出さんばかりに歓喜の声をあげます。クローバータウンストリートへといつの間にか来ていたせつな。

 レストラン。美希と祈里はシフォンとタルトを預かって帰ります。入れ違いでやってくるラブの両親。訳が分からないせつなはラブに事情を尋ねます。せつなに気付く母。首肯して応えるせつな。母は何かの縁ね、と独り言のように言います。

 レストランは家族やカップルで賑わっています。ラブ達はテラスにあるテーブルに座ります。どうやら月に1回家族で外食をしているようです。せつなを招待したと話すラブ。ラブの両親とは初対面でこの場に居て良いのか迷うせつなが両親の方に視線を移すと、両親は自己紹介を始めます。ラブがせつなを紹介して、せつなも自己紹介します。弱々しい声で言うせつな。
 母はまた会えたわね、と偶然の再会を喜んでいます。しかしせつなはこの場に居られず辞退しようと席を立とうとしますがラブが止めます。せつなには家族がいなくて四ツ葉町に来たと説明するラブ。間違いではないし、ラブに話しを合わせることにしたのかせつなも頷きます。続いて自分の家族構成や家の場所、美希や祈里の家なども教えるラブ。言っときますが、見合いではありませんぞ、決して、たぶん、きっと。まあ、彼女を紹介してるってことでも良いんですが。
 まくし立てるように話すラブに構わず、せつなは視線を誰とも合わせず物思いに沈んだようにその場に佇みます。困惑しているというより、この場に居てはいけない、それをする権利がないと考えているように見えます。
 母は席を立ってせつなの肩に手をかけると、ケーキを選ぼうと誘います。このお母さんマジかっけぇ。何、この大人の見本。せつなは答えを訪ねるようにラブの方に顔を向けるとラブは首肯して促します。

 色とりどりのケーキが並びます。感嘆の声を漏らす母。しかしせつなの表情は沈んだままです。母はせつなの心境を顧みながら周囲の様子を見せて楽しもう、ご馳走を食べようと言います。はい、と初めてせつなは顔を見ながら答えます。
 せつなが席を立っている間、ラブは父に面白いことを言って盛り上げてと要請します。そういうの苦手だと答える父。いや、結構面白い人だと思うよ、父殿。
 せつなと母が戻ってきます。美味しそうだった3つくらいは食べたいかも、と言う母にすかさず、景気がいいな~とダメっぽいダジャレを言う父。自分もラブも母も苦笑い。不思議そうに目を向けるせつなに母は笑顔を返します。

 料理が運ばれてきます。美味しそうなステーキ。美味し~と頬が落ちないように手を当てながら味わうラブ…と両親。こいつら似たもの家族か。リアクションに驚いたのか、キョロキョロと周囲を見るせつなに、ラブは食事を促します。ラブの皿にまだニンジンが残っているのを指摘する母。しかしラブも母の皿にほうれん草が残っているのを指摘します。どうやら母の苦手なものらしい。好きだから最後に食べるのよ、と弁解する母。ちょっと可愛いな、このお母さん。残したらふたりともケーキは無しだからな、と釘を刺す父。泣く泣く苦手なものを口に入れる母子。この親にしてこの娘有り。思わず吹き出して笑いと笑顔が食卓を包み込みます。
 せつなはそれを見てこれが家族だと知ります。ラビリンスではみんなで食事を取っていても会話もなくただ淡々と食物を口に運んでいるだけです。ラブに声をかけられて我に返るせつな。スープを飲んで美味しいと答えます。それを聞いて喜ぶラブ。ますます楽しくなったラブは料理を口に運び、空になった皿を持ち上げて「お母さん、おかわり!」と高々に言います。
 レストラン中の視線がラブのもとへと向けられます。笑う父、恥ずかしがる母、お客さん達からも笑い声が聞こえてきます。嘲笑ではない、幸せそうな声と笑顔。これにはラブも赤面。その様子を見てせつなは思わず吹き出してしまいます。自分で笑っていることにハッとなってせつなは気付きます。ラブはそんなせつなを見て、一瞬愛情のこもった感動に瞳を輝かせるとすぐに開き直ってわざとらしく笑い出します。この動作は凄まじく良いシーンです。ラブにつられてまた笑いだす両親。笑いが絶えません。
 自分が壊してきたのはこの笑顔だった、と思い至るせつな。


③熟れたてフレッシュ キュアパッション
 何とかと煙は高いところが好き。ウエスターは鐘のオブジェの上に立ち、イースをおびき寄せるためナケワメーケを召喚します。

 ラブとせつなは不穏な物音を聞いてレストランを出ると町の方からナケワメーケの声が聞こえてきます。

 現場に到着。ラブは変身をしようとせつなに促しますがせつなは躊躇います。それを見て退避するよう促して単身変身するラブ。
 格闘戦では引けを取らないものの、ナケワメーケは鐘をミサイルのように発射し、自身も巨大な戦闘機のように飛んでピーチを追撃します。倒れたピーチのもとに駆け付けようとしたせつなを阻むウエスター。不幸がどんどん溜まっていくとナケワメーケの爆撃で逃げ惑う人々を見せつけます。あれ、もしかしてウエスターってやれば出来る子?
 「私あんなに楽しい気持ちになったの初めてだった。家族が居て、みんなでおしゃべりをして、ご飯を食べて、すごく幸せな時間だった。それを…それを奪う権利なんて誰にもないわ!
 変身。いつの間にかリンクルン持っています。
 「チェインジ! プリキュア! ビートアップ!
 満を持しての変身シーン。水に潜るとは思ってなかった。かっけぇ。メリハリがついていてスピーディ。再び水の中から躍り出て変身完了。
 「真っ赤なハートは幸せの証! 熟れたてフレッシュ!キュアパッション!
 よくネタで友人と熟れたて、熟したてフレッシュってどうだ? いや、それフレッシュなのかよ?と話をしたことがありますが本当に言っちゃった。熟れたばかりの果実なんだから新鮮そのものではあるんですが。

 ウエスターの攻撃を単身で受け止めるパッション。パワー型のウエスターの攻撃をしのぐのは大したものです。たぶん、今週か来週くらいまでの新キャラ補正だとは思いますが。
 幸せ?笑わせるな!と仕掛けるウエスターに、人を不幸にすることが如何に愚かなことか分かった!と返すパッション。目を覚ませイース!と反撃するウエスター。最近出番が無かったせいか、本来のアホキャラ担当を忘れて真面目に戦っています。君も目を覚ました方がいい。
 イースと呼びかけるウエスターに「私はもうイースじゃない、キュアパッションよ!」と啖呵を切ります。ウエスターを力で押し返します。

 ナケワメーケが巨大ミサイルを投下してきます。ピーチがアシスト。同時にベリーとパインも加わります。うっかり今週出番逃すところでした。ミサイルを迎撃するついでに本体の方も殴り倒します。
 ウエスターがパッションをにらみつけます。
 「イース!
 「パッション!
 2つの名で呼ばれる少女。
 「歌え、幸せのラプソディ! パッションハープ! 吹き荒れよ! 幸せの嵐! プリキュア・ハピネスハリケーン!
 その名の通り羽が敵を包み込んで消滅させます。専用武器、専用音楽、同じプリキュアとは思えないほどのこの優遇ぶりはなんなのか、流石4人目。っていうか、悪いの悪いの飛んでいけ!じゃないし。変身も必殺技もカッコイイな。

 プリキュアが4人揃います。なんか一人だけ衣装の意匠が違うのですが、同じプリキュアです。手を重ね、4人、四つ葉が揃います。


④幸せのあゆみ
 レストラン帰り。ちゃっかり美希と祈里も居ます。
 母はせつなにご飯美味しかった?と訪ねます。ラブにも促されて、すごく美味しくてすごく楽しかったと答えるせつな。それを聞いて良かった、と小声で安堵するラブ。
 立ち止まって、改まったようにラブはせつなに声をかけます。
 「もしよかったら、このまま家においでよ
 「そうだ、住むところを探しているなら家に来ると良い
 「ラブから話しは聞いているわ
 両親も承知済みです。
 母はせつなを見つめながら、ラブがお願いしたときのことを思い出します。ラブの突然の申し出に彼女はせつな自身の意思を問うた上で承知します。感謝して自分に抱きつくラブを見ながら誰に似たのかと漏らします。それはきっと呆れではなく喜ばしいことです。

 「きっと今までたくさん苦労してきたのよね
 せつなを慈しむように見つめる母。
 「でも…私は幸せになってはいけない気がするんです
 足下に視線を下げて答えるせつな。母をそれに首を振って答えます。
 「ひとつひとつやり直していけばいいのよ。私達の街でならきっとできるわ
 クローバータウンストリート。そこは笑顔と幸せの街。お節介な人達が大勢いて、優しさと愛情を持った人達がいます。
 大粒の涙が止めどもなく瞳から溢れせつなの頬を濡らします。

 母はせつなに自分の手料理は美味しいのよ、と言います。続けてラブと父も得意料理を言います。明日の食事も豪華になりそうです。全部食べられる?と訪ねるラブに笑顔を返しながら言います。
 「精一杯頑張るわ

 せつなの手を掴んでラブは走り出します。夕ご飯の歌を歌うラブにつられてせつなも歌います。みんなで街に帰ります。優しくて暖かくて幸せになれる街に。


⑤次回予告
 罪、罰、贖罪。


○トピック
 せつなが幸せや笑顔を知る話。ラブ達の口癖である「幸せゲットだよ」「あたし完璧」「私信じてる」「精一杯頑張るわ」の頭文字を繋げると「しあわせ」になる小ネタがあるのですが、「精一杯頑張るわ」とせつなが言うに至る経緯がよく分かる話です。パッションという言葉には情熱や果物の名前の意味がありますが、キリストの受難も意味するので意味深。

 この親あってこの娘有りと言わんばかりにラブの母あゆみさんが素晴しい。プリキュアの大人は大人の見本そのもの。なお、普通に考えれば素性も知れない娘を引き取るということは法的、経済的、現実的に無理がありますが一切合切この感想では無視します。何故なら物語上これは些末なことだからです。桃園家が資産家だろうが養護施設であろうが、細かい手続き(本編描写)を取ってまでやる必要がありません。そんなことは時間の無駄です。重要なのは、せつなの心の再生がどのようにして実現されうるか、せつなを見守る人々がどう彼女と接していくかという部分だからです。罪の意識を持ちややもすれば自滅してしまいかねない少女の救済が問題なのであって、住居問題は本質的な問題ではありません。そういうのを無視してさくっと引き取るとしたスピーディな決定とせつなの心情にスポットを当てたのは物語的に正しいと思います。プリキュアはこの辺の優先順位の付け方が潔くて物語としても一貫性を持っている。

 あゆみさんが娘の友達だからということでせつなに接しているのではなく、一個人としてせつなを心配し愛情を注いでいるのが素敵です。馬鹿がつくほどのお人好しではあるのですが、相手がせつなだと分かって承知したわけではなく、ラブに頼まれた時点で承知しているあたりあゆみさんは元々寛容的な、ラブと同じような愛情を持っている人だというのが分かります。
 そしてこれが重要なことなのですが、彼女はせつなを詮索せず、悩みの理由も尋ねず彼女を受け入れている点です。幸せになってはいけない気がすると言うせつなに、彼女はやり直していけば良いと言います。せつなの過去を彼女は問うていません。ありのままの、今のせつなを彼女は受け入れている。
 過去というのは人にとって実績であり自分そのものであり、生き方だったものであり、そして呪縛でもあります。言動を重ねる毎にその人の習慣・思考・動機は強化され慣例からの逸脱を阻害していきます。行動パターンがある程度出来てしまえばそこから逸脱する行動は通常取りたがりません。それが合理的でもあるからです。一度常識だと思ってしまえば非常識を認めなくなる。思考も行動も制限されていく、そのトータルな形が個人、個性とか言われているものになる。
 せつなは今まで自分がしてきたことを後悔します。幸せや笑顔を知れば知るほど彼女は罪の意識を持ちます。そしてそれらを壊してきた故に、自分が幸せを求めることを自制します。今現在の自分は過去の積み重ねの上にあるのだから、いくら価値観が変化しても過去は付きまといます。
 しかし、そうした個人の過去などは他者には関係が無いんです。せつなにどのような罪があろうともそれをあゆみさんが知らなければならない理由はないし、知る必要もない。あゆみさんにとってのせつなは知ったときからのせつなだからです。せつなの過去に罪が有るか無いかということと、あゆみさんがせつなに愛情を注ぐこととには関係がない。あゆみさんはせつなの罪を赦しているわけではありません。せつなが何をしたか知りません。あゆみさんがやっているのはせつなが少しずつ自身のわだかまりを解消していけるようにするための手助けです。人に愛情を注ぐのに、過去や罪を知る必要はない。ラブはイースだったときの罪を知る人ですが、あゆみさんは今現在何かに悩み悔いているせつなを知る人です。大人として、第三者としてあゆみさんの行動は寛容さと誠実さを持ったものだと思います。

 プリキュアという作品は、過去を顧みつつも今現在何をしていくべきか、ということに重きを置いた作品だと思います。前シリーズで言えば、のぞみはブンビーの変化を許容して過去の行いを追求しなかったし、田村さんが獅子舞を捨てたことを悔いて行動を改めたことを認めました。過去に遡っていけば罰せられるであろう事をこの作品は不問にしています。たぶん、それはプリキュアが正義や裁判官ではないからです。たかだか一個人に過ぎない女の子達にそれらの判定を下して量刑までを課すことはできないでしょう。昔オオカミ少年であったとしても今現在誠実に行動している人を嘘つき呼ばわりすることはできません。逆に昔誠実でも今現在嘘つきなら嘘つきです。人間関係における信頼はその人との経験と実績で、以前不誠実だった人があるとき誠実になったとしてもそれをなかなか認めることが出来ないことがあります。昔あいつは~だったから信用できない、と思うことはしばしばあります。しかし、人は変わり得るし、変わらない場合もあります。時には過去を一切忘れて、その人が今何をしているのか、何をしようとしているのかを見ることは相手に対して誠実な振る舞いであるし、ある種の赦しでもあるのだと思います(その逆に今現在にて悪化する人もいるんですが)。あ、この辺作品考察とかじゃなく私的な考えです。というか、この感想はそういう私的な考えを書くために存在しているのでご了承下さい。


 私的な思考続きます。
 「罪」とはなんだ? と言ったときに、社会的な「罪」と個人的な「罪」があると思います。前者は法律や慣習やその共同体における明文化されない掟が定める罰、後者は個人の内面に起こる罪の意識。ここでは後者について取り上げて言及すると「その人が罪だと思ったものが罪」だと思っています。しかるに「罰」とは「その人が罪を感じ悔いて贖罪意識を持ち、何らかの制限的な行動を行うこと」。他者がいくらその行動を罪だと言っても、本人がそう思っていなければその人自身は罪を感じることもないし、罰もありません。逮捕して刑罰を与えたとしてもそれは本人にとって罰ではなく苦役、苦痛であって良心に訴えるものはないでしょう。逆に罪だと意識してしまうと如何に社会的に無罪でも罪を感じ戒めを自ら課すでしょう。社会が課す罰と己が己に課す罰はイコールではありません。罪を感じない者に罰は存在しないし、良心の呵責もありません。良心とは何かと言えば、その人の価値観(の内の道徳的・倫理的なもの)だろうと思います。その価値観は変容可能です(たぶん。人によって変更可能幅や素養があると思うけど)。同じものを見ても価値観が異なれば評価も変わります。現象は1つでもその解釈は人によって異なります。

 せつなの以前の価値観からすれば過去の行いは罪ではありません(ラビリンス的には有益)。しかし今現在の価値観では罪になります。この罪の意識は彼女の価値観が変化すればするほど大きくなるでしょう。しかし彼女の心の痛み、苦悩は同時に幸せや笑顔や愛情に対する肯定的な意思があることを意味します。過去は変えられませんが、せつなは変われます。価値観の変容は何かしらの苦痛なり苦労を伴います。自分の行動様式を変えなければいけないし、それに伴って過去に対する自己評価も変わっていくからです。これは容易なことではなく、一朝一夕に解決できることでもなく、ひとつひとつ変えて馴染ませていくしかありません。精一杯頑張っていくしかないのです。ただ漫然と生きるよりも遙かに大きい意思と労苦を必要とします。
 せつながこれからしていくべきことは2つあります。1つは自分の罪の意識に対するケジメ(過去に対するケジメ)。もう1つは彼女が今抱き始めている価値の遵守(新しい生き方)。今回で変身して戦い始めたこと、ラブの家族との交流で後者は歩きだされました。前者については次回何らかのアクションがあるでしょう。楽しみです。


 人には罪の有る無しに関わらず、幸せに生きる権利があります。その権利を認めているのは神ではありません。他人でもありません。自分です。自分の人生は自分で幸せにすることができます(いくらイースの妨害があってもラブが幸せを感じられるように)。自分で不幸にすることもできます(せつなが幸せになろうとしないように)。幸せになるためには自分で幸せにするしかない。自己の救済は他者にではなく自己に課されています。そうする力と意思を人は持つことができます(私はそう信じている)。この考え方自体はおそらく現代の考え方でしょう。しかし現代で生きる人には十分です。永遠に生きられるわけじゃない。
 正直、罪とか罰とか赦しとかどうでもいいんです。人は幸せに生きようとするし、それを成すことができると思うし、幸せになって良い。罪を忘れて生きることもできる。もし、罪を背負ってもなおそれを乗り越え幸せになることができて、しかもそれが忘却以上に人生を豊かに強く優しく生きることができるのなら、その道を選びたいと思う。
[ 2013年05月22日 12:04 ] カテゴリ:フレッシュプリキュア! | TB(0) | CM(-)
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