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コラム1「S☆Sの物語」

 一旦ここでS☆Sを纏めてみたいと思います。
 S☆Sはストーリー上、考察の類があまりできないので毎回淡白気味な感想ばっかり書いているのですが、実はかなり気に入っていますし期待しています。心理を理解するとか、言動を分析するとか、感情移入するとかではなく、もっと先の人と人の繋がりは何を出来るんだろう、自分の世界に目を向けたときに何を見ることができるのか、そういうところがポイントですね。
 本稿は考察類ではなく、やっぱり私の主観の話です。頑張ってみたんだけど考察書けないな。

①S☆Sはどういう世界であるか
 大きな前提が一つあります。それはS☆Sが「なぎさ、ほのか、ひかりが紡いだ(望んだ、見出した、作った)世界を土台にしている」という前提です。これを意識しないと結構辛いんじゃないかと思います。辛いというのは「S☆Sの話が軽く見える」んではないかと思います。
 なお、ここで言う「世界」とは狭義には物語の設定のことですが、主人公がいる環境の総括です。私達で言えば住んでいるのが日本で日本は地球にあって地球は宇宙の中にあって…というように自分がおかれている環境を世界と言ったりしますがそれと同じ意味合いだと思ってください。「S☆Sの世界は…」と言ったらそれは咲舞が住んでいる世界の様相のことを指します。

 話を戻して「世界を土台にしている」というのは「前作から何年後の話」ということではなく(それでも良いのだが)物語の基盤となる世界の定義・在り方が継承されているということです。もっと言えば咲舞はなぎさ達を継承しています。それこそ子孫と言って良いほど。
 咲舞にとって世界はとても親しみのあるものとして描かれています。自然の豊かさもさることながらそこに住んでいる人々も善良で親和的です。前作も比較的主人公に優しい世界ですがS☆Sはさらに優しい世界になっています。この優しさはどこからくるのか? そういう設定です、と言っても良いのですがやはりこれはS☆Sが前作の最終話から出発した物語であると考えた方が分かりやすいと思います。シリーズ的に地続きだと言えます。
 話が少々脱線してしまいますが、重要な点ですのでここで前作(無印・MH)の物語を簡単に纏めます。前作は主人公の認識(視野)が確実に少しずつ広がっています。まず友達を認める。自分がおかれている立場(プリキュアであること)を認める。自分には家族がいてクラスメイトがいることを認める。それを守るのは自分の為でもあると認める(独善や利己的イメージは他者との繋がりを明確にすることで払拭されている)。自分は色々な人と繋がりを持っていることに気付く。その繋がりこそ自分が世界にいることであると知る。つまり友達を守ることは世界を守ることであり、人と繋がることは世界の中に自分をコミットしていくことであると言えます。突然世界を守れと言われても自覚も何もないですが、個人視点に立ち返りそこから拡大していくことで世界を認識し自分と世界を繋げるまでに至り最終回にてその世界の未来を志向します。なぎさ、ほのか、ひかりの物語はここで幕を下ろしますが開かれた世界はS☆Sへと継承されています。

 S☆Sは既に人と人の繋がりがあることが前提となっており、その点で咲舞の関係、クラスメイトとの関係、満薫との関係はすでに保証されています。『繋がっている』ことが前提です。故に個別の関係性を見ると結びつきが弱く見えます。咲と舞の友情が薄く見えるのも、態度が悪い満薫に優しく接することができるのもそこだけを見れば説得力やドラマ性が低く先に書いたように「S☆Sの話が軽く見える」理由になると思います。
 世界のリアリティとしてはファンタジーに近いと言えるほど理想的・夢物語的な人間関係と世界です。「こんな都合の良い世界なんてあるわけねーよ」と言って良いくらいです。前作を知らずに見た人は余計にそう思うかもしれません。また前作のような濃い心理描写と繋がり方を見た人にも都合よく見えるかもしれません。親和的な世界に馴染みがなければご都合が目につきます。しかし、S☆Sは世界や人間関係の成り立ち方に目を向けるのではなく、その人間関係・繋がりがあることが何を可能にするのかということに目を向けた物語であると思います。
 (前作とは全くの別作品として見ても問題ないが、世界の成り立ちの背景を考えるなら前作を意識した方が分かりやすい。主人公を変えても世界を継承させているのはシリーズ作品としては珍しいし面白いところだと思う)


②咲と舞は何を成し得るか
 主人公である咲舞は多くの物を予め持っています。すぐに友達になり、クラスメイトに恵まれ家庭環境も申し分ない(パン屋さんと学者て凄いよなぁ)。咲舞には多少の欠点があってもすぐにお互いに許容し認める。対立やコンプレックスというものが物語には出てきません。その意味ではファンタジーですが、その世界に生きている人が全部主人公に都合よく生きているわけではありません。むしろ、登場人物達は独自に生きており時には主人公である咲舞の助けを必要としません(健太と親父、朗読会等)。咲舞は自分達の住んでいる世界が素晴らしいものであることを知っていますが、それは自分達に都合が良い(自分が必要とされている)からではありません。その価値に気付いているから認めています。それは人間関係においても同様です。咲と舞は相互に繋がりを持っていますが、ふたりは周囲に対しても同様の繋がりがあると考えています。

 咲舞にとって友達になることは当然のことであり、またその友達に対して自分が何かをすることも当然となっています。物語は友達を作ることに比重があるのではなく、友達だから出来ること、友達に出来ることに重きがあります。満薫の話が最も顕著です。咲舞は無愛想な満薫と葛藤や苦難を乗り越えて友達の繋がりを持つのではなく、繋がりはもとからあり友達として接します。

 満薫のような味方側か敵側かの間で揺れる話の場合、最終的にはどちらかに付くことが多いです。味方側に寝返るか、主人公の敵になるか、あるいはどちらにも行けないか(無印のキリヤはここ。詳細には書きませんが、あの時のほのか達との関係性・流れではこうなるしかない)。満薫の話は別な道を提示します。それは味方側か敵側かを取るのではなく、自分達が今まで見ていたものの新たな価値に気付くという道です。
 実はこれ何気に凄いことだと思います。人に何かを与える、何かに気付かせるというのは非常に難しいことです。説得しようと思って説得できるものでもありません(場合によっては意固地になる)。咲と舞は「友達」を押し付けるのではなく「友達だから何々をする」と自然に考えそれを実行します。満と薫は「友達」というものを知り(理解して)ませんでした。咲舞は「友達とはこれこれ」「友達は良いものだ」と説教するのではなく、ただ単に友達として接するだけしかしていません(咲舞はすでに友達だと思っている)。本当に友達的な行動しかしていません。咲と舞の繋がり同様に満薫との繋がりも特別なものは一切ありません。その付き合いをとおして満薫は友達以外にも自分達が暮らしている世界の光景に気付きます。これはとても素敵なことだと思います。人と人の何気ない繋がり・交友が新しい発見や大切なものに気付くキッカケとなっています。
 (蛇足になるのですが、旧価値観が悪いということではなく新しい発見をすることで価値観・視野の幅が広がることに意味があります。満薫はアクダイカーンを否定しません。それは『正義の物語』であればプリキュア側の交渉失敗を意味しますが『生き方の物語』であれば価値に気付きそれを肯定できれば成功なのです。また世界への親和性という点でS☆Sは自然描写がとても美しく描かれていますがそれも重要なことだと思います。美しさは意識変化の前後で変わっていませんが気付くことでその美しさを自覚することができます。同じ場所でも天候や時間帯によって表情が変わることもポイントです。同じ事象でも視点によって見え方は変わります)

 それらを可能とするのは『どうやって人と繋がるか』の物語ではなく、『繋がっている人にどうするか』の物語です。プリキュアは(前作含めて)正義の在り方ではなく人の生き方に意義を見出しています。繋がりを踏まえた上で人は人に何をすることができるのか。その行動が他者にどんな影響を与えるのか。誰しも最初から強い繋がりなど持っていません。特別な繋がりを持つことも稀です。弱い繋がりからお互いに関わり合い強めていきます。世界の中で生きる咲と舞はそれを少しずつ重ねています。


 なぎさとほのかのような強い絆や深い人間理解は無い。一から友達や世界に繋がりを作ったわけではない。最初から仲が良く、最初から全部持っている。しかしそれは弱い(劣る)ことではないと思います。本当の強さは根拠の重みでは決定しない。自分が持っているもの、自分が行うことにどれだけ真剣に正直に向き合い行為できるかにある。なぎさ達が自分達で見つけたものを一生懸命に守ったように、咲舞は自分達が気づいているものに一生懸命に応えようとする。真正面を向き真剣に取り組むという点で両者は等しいと思います。その強さをどこまで高められるかはS☆S後半にかかってきます。人の新たな可能性・生き方を見せてくれるんじゃないかと思っています。私、そういう視線の作品大好きなんですよね。やっぱ前を見て生きたいよね。(こういう結論になるから、っていうかそれが言いたいから考察にならないんだよなぁ)
[ 2013年05月22日 09:19 ] カテゴリ:Splash☆Star | TB(0) | CM(-)
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