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推し、燃ゆ(宇佐見りん)



○推し、燃ゆ 宇佐見りん 河出書房新社

 推しのアイドルがファンを殴ったことから物語が始まる。が、別にそれは重要ではない。
 主人公が何故アイドルの推しをやるのか。何が彼女を駆り立てるのか。それが120ページに凝縮されている。できれば値段も凝縮して欲しかった(税込み1,540円)。

 私はアイドルに興味がないし追っかけも意味がわからない。けど意外にも本書を読んで主人公の気持ちに共感できる部分が多かった。なるほどこういう心性なら理解できる。
 まずこの主人公について押さえておくべきは、彼女が生きづらさを抱えていること。病名は伏せられているがいわゆる発達障害で学習障害やADHDのような症状がうかがえる。具体的には、
・整理整頓ができず部屋が常に散らかっている
・忘れっぽくバイトや友達との連絡、約束をすっぽかす
・物覚えが悪く学業不振
・ハプニングや予定外の出来事に弱く、臨機応変な対応ができない
・推しに対しては強い拘りを見せ、あらゆる事をメモ、分析する
・家族との折り合いも悪い


 学習能力に難を抱えている人は大抵やる気をなくす。頑張ったところで人よりできないから。努力しろ、頑張れと言われてもすでに全力を出していてその余力がない。ならばやるだけ無駄と腐ってしまう。家族はそれを見てさらに煙たがる……の悪循環。
 そんなとき子どもの頃に憧れていたピーターパンを演じていた人が今でもアイドルをやっていることを知ってハマりだす。推しのあらゆるデータを集め分析・解釈するのが彼女のスタイル。ひたすらに推しの見る世界を見ようと努める。

 私は最初、彼女が「自分を持っていない」から推しに同一化しようとしているのでは?と思いました。でも違う。彼女の言葉を聞いているうちに自分にも思い当たる節があることに気づく。彼女がやっているのは同一化ではない。世界の再構築。聖域の生成です。推しの世界ではない。自分の世界を作り直している。
 自分が解釈した世界にはノイズがない。それは彼女にとって安らぎを与えてくれる世界でしょう。上述したように現実の彼女は生きづらい世界にいる。不快なことやイレギュラーも多い。しかし推しを解釈した世界では情報はすべて記録され整理されるからほとんどが既知の情報であり、そこに不和はない。安全で安心な世界。情熱を傾けた分だけ世界はハッキリとする。


 推しを取り込むことは自分を呼び覚ますことだ。諦めて手放した何か、普段は生活のためにやりすごしている何か、押しつぶした何かを、推しが引きずり出す。だからこそ、推しを解釈して、推しをわかろうとした。その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身の存在を感じようとした。


 対象を見、解釈するときそこには「見ている自分」「解釈している自分」「こんなことにも気付ける自分」「できる自分」がいる。それを感じられる。世界を作るとは自分との対話を意味する。だから必ずしも推しと親しい関係である必要はないし、むしろある程度距離があった方がよい。


 お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからなんだろう。推しが実際あたしを友好的に見てくれるかなんてわからないし、あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。

 携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。


 
 推しに熱を上げているように見えて、本質的に彼女は自分を求めている。だから推しが「完璧で正しいもの」である必要はない。重要なのは対象と自分の関係性でありそれを解釈する自分(の世界、手応え)なのだ。推しがファンを殴ったとしても裏切られたと憤ることもないのは、彼女の意識が突き詰めれば自分に向けられているからだ。


 誰かと競って勝つことで自分を確認する方法があるように、自分の世界を作り出すことで自分を確認する方法がある。現実と自分との間にワンクッション置くことで負荷を下げ、現実との折り合いをつけやすくする。主人公がやっているのはそういうこと。そしてそれは私も同じ。プリキュアの感想を20年近く書き続ける背景にはそれがある。といってもプリキュアの他にも自分を確認する方法はいくらでもある。主人公はその方法を一つしか持っていないためにだんだんと身動きが取れなくなる。

 満たされることのない飢餓感によってその行為は徐々にエスカレート。
 人気が落ちた推しをフォローするためにさらにのめり込んだ結果退学。家族との溝も深まりバイトも辞めてしまう(これは彼女の忘れっぽさが原因なのだが)。次第に生活が荒んできても推すのを止められない。自分を求めて自分を貪り食う。推しが芸能界を引退した後、彼女の情熱は消え世界を作る手がかりを失う。「推しがいない人生は余生だった」の一言はそれを的確に表わしています。
 なぜ彼女の推しが彼でなければならなかったのか。おそらくそれは彼が幼少期に憧れたピーターパンだったからで、そこに彼女はかつての(挫折を知らない)自分と今の自分を繋ぐキッカケを見出したのでしょう。単にかっこいいとか、演技や歌だけなら他にも優れたアイドルはいる。彼女は彼に自分のオリジナルを見たのだろうと思います。



 推しの追っかけをする人が必ずしもこの主人公のような動機でやっているわけではないでしょうが、とてもしっくりきます。人によっては意味がわからないかもしれません。無意味な現実逃避、呑気にアイドルの追っかけをやっているだけにも見える。でもそこに自分を取り戻そうとする切迫さ、怒りが隠されている。彼女が最後に見せた小さな怒りはそのことを物語っている。
 少し話が変わりますが、対人恐怖症を持つ人には抑圧された怒りがあるといいます。


 対人恐怖の源は、抑圧された怒りです。誰かに対する激しい怒りを、来談者は自分では分からないうちに無意識領域へと抑圧しているのです。怒りに対して罪悪感と恐怖があるためです。こころのなかに怒りがあるのに、その怒りをありありと感じることが怖くて抑圧せずにはいられないのです。そのため、「こころのなかに何か訳の分からない怖いものがある」と感じられます。怒りだとは認識できないのです。すると、「周囲の人たちがぼく・わたしのことを悪く思っているんだ。だからこんなに怖いんだ」と解釈します。それが対人恐怖のメカニズムです。

 対人恐怖に苦しむ人は、一見すると怒りとは無縁な人である印象を与えるものです。とても無口でおとなしかったり、理性的で感情を表さなかったり、とても謙虚で腰が低かったりなどです。そして本人も、自分のことを怒らない性格だと信じていることもよくあります。それは、彼らにとって怒りがあまりに怖いために抑圧され、意識的な人格の部分から切り離されているからです。しかし、怒りに対して恐れや罪悪感を抱いてそれを否定しても、怒りがなくなるわけではなく、無意識の領域へ抑圧されるだけです。抑圧された怒りは、さまざまな不都合をもたらします。病気がちになったり、訳の分からないイライラになったり、漠然とした罪悪感にさいなまれたり、自分のことが好きになれない、という悩みになったり抑え込まれた怒りがときに爆発して人間関係を壊したりします。そして、抑圧された怒りがもたらす苦しみの最たるものの一つが、対人恐怖でしょう。
(古宮昇『共感的傾聴術』)


 頑張ってもできない。なのにもっと頑張れとせっつかれる。人より遅れると失望や文句を言われる。頑張っている自分を認めてほしい。でも誰も褒めてくれないどころか溜息で返される。なんだよお前ら勝手なことばかり言いやがって!とイラつくのは当たり前のことです。それを表に出すか出さないかはあっても、不満そのものは存在する。
 それを勉強や仕事、道徳観(良い人)で見返そうと競う人もいる。それとは逆に人と争わず自分の世界を再構築しようとする人もいる。それがこの物語の主人公であり、私もその1人です。


 アイドルの追っかけ。自分とは全く接点が見いだせない人間に、しかし同じ心性を見る。
 久しぶりに面白い読書でした。


[ 2021年04月07日 14:37 ] カテゴリ:本の感想 | TB(0) | CM(-)
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