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コラム9「プリキュアが私に与えたもの」

 プリキュアっていうか、完全に私の内側の話。

 個人的に、現時点(2007年初頭、満25歳)で最も人生において影響を及ぼした出来事・作品をあげろと言われたら「Prismaticallization(以下プリズマ)」だと答えます。
 そのため、個人的に最高の作品を挙げるならプリズマを挙げます。と同時にプリキュアも挙げます。個人的にこの2作品は同格です。影響度合いで言えば前者が最も大きく、私の価値観の基礎すら作っています。その価値観によってプリキュアを見ましたがプリキュアはこの価値観をさらに強化した(自分の思想体系を一個上にあげた)という点で評価しています。

 日常が退屈だったり、惰性で過ごしたりすることがあります。学校、会社、自分の部屋、その往復。同時に自分が特別な存在でもなく、万能でもなく、所詮は人並みでしかないという限界。自分が他者にどれほど思われているのか、自分は必要とされていないのではないかという不安。そしてその現実を認めたくない、目を逸らしたいという自分の弱さ。躊躇いと葛藤によって身動きが出来なくなる。それらを直視したのがプリズマです。この作品の主人公が得た結論は「そんな日常と自分を受け入れて、それでも日常を歩んでいこうと一歩を踏み出す意志を持つ」ことでした。これがどれほど当時の自分にとって大きな感動だったかは7年近くを経過しても心に残り、その意志を持ち続けている点で自分でも大きいと思っています。

 そしてプリキュアはその先のお話。日常に対して一歩を踏み出した自分が社会に出て色々経験してどうすることが日常を過ごす上で良いことなのか分かりかけてきた時に見た作品でした。プリキュアって真剣に日常を捉えているんですよね。友達にしても、学校での出来事にしても、自分が経験することにしても一生懸命それに向かって動く。必ず前を向いて太陽の方を向いている。
 どうやったら日常に退屈しないでいられるか、自分が何を持って正しいと言えるのか、その悩みへの答えはプリキュアを見て確信できた。日常を、自分の生を一生懸命真っ当することがその答えであり、そのことが自分の自信(自らを信じる)になる。
 未だにMH(最終回)は凄いと思うのは、あらゆる装飾・理由を取り払って自分がこの世に存在する理由を「生きているから」という一点にまで絞り込んだことにあります。プリキュアの敵というのは具体的に何かの組織とか悪者というわけではなく、大きく圧倒的な絶望や現実や力の象徴だと思う。その敵に対して自分が抗う理由は、「人のため、世のため」などという自分の外にあるものではなく、自分自身の『生』そのもの。つまり自分が在るから自分が戦うのだという完全な自己帰結です。
 生きている以上他の生物を食べたり、影響を及ぼします。自分自身を蚊帳の外に置いた完全な他者や何かのための行動や理由など存在しません。その行動・理由は突き詰めてしまえば自分のためです。「自分以外の何かのために」という言い訳は自己責任を棚上げしています。結局、自分のエゴのために自分は行動することになります。私はそれが悪いことだとは思いません。生きている以上、何かしらの影響を外に与えるからです。エゴを否定することは『生』そのものを否定することになります。だから「何故抗うのだ? そんなことをするのだ?」という問いに対する答えは、生物が生きている以上絶対に持ち唯一揺るがしがたい理由である「生きているから」に他なりません。これを真正面から導き出したプリキュアを見たときは本当に身震いしました。生きることの賛歌がここにあります。
 一生懸命生きてきたなぎさ、ほのか、ひかりが自分達と繋がっている人・出来事を愛し、だからこそ自分の生を尊ぶことができます。何もしない人にはこの強さを出すことはできないでしょう(何もしてこなかった人ほど自分に自信が持てない←私がそうだった)。自分が行ってきた、想ってきた経験、自分の生を肯定することの美しさ、気高さ。ひかりが愛し愛された虹の園での経験を胸にして自分の生を真っ当するためにクイーンになると決意したことはなぎさとほのかと同じように生への賛歌なのです(虹の園のためにクイーンになるのではなく、自分が生きているから、生きることで未来(自分が存在しないのに未来を志向することなどできない)が開けるからこそクイーンになる)。違う生き方をしてきても同じ結論へと向かう。前を真っ直ぐに見る人が辿る同じ道なのでしょう。

 自分に、日常に一生懸命やってきたからこそ自分を肯定し得る。日常が、自分が、別々にあるのではなく、生きていることそのものが日常と自分を内包し自分を作り上げていく。生への賛歌、それを信じる人への希望、人間賛歌。現実や自分に辛く思うことがあっても、このことを信じられることの素晴らしさ。それらが判った。


 これらのことは知識ではありません。意識的な問題。知識や技術は習得することができますが、これらの意識的なものは憶えることではなく覚えることなのでしょう。その経験は貴重です。自発的・任意的に得られるとは思えません(出来るとしても私にはまだその術が無い)。だから、その意識を教えてくれた作品はすべからく私にとって大切なものです。プリズマやプリキュア以外にもあります。作品だけではなく、出来事や人でもあります。そのことを忘れず、意識して生きていけたら退屈どころか充実した日々を送れるのだろうと信じています。
[ 2013年05月21日 21:27 ] カテゴリ:MaxHeart | TB(0) | CM(-)
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