カテゴリー [ よもやま話し ]
- ・優秀な人はたくさん働いてたくさん貰えばいい(『最後の防衛線 危機と日本銀行』)
- ・専門家と一般人の相違(『絶望を希望に変える経済学』)
- ・アーマードコアでしか摂取できない快楽がある
- ・ネットリテラシーのある人とない人(『#マンホール』『search/#サーチ2』)
- ・VTuberの動画でここまで濃い話初めて見た
- ・負動産を捨てられるようになりました
- ・20年同じことをやっているというべきか、ようやく一歩進みだしたというべきか
- ・人間が忘れやすいことを人間は忘れる(『サイコパスの真実』)
- ・いい加減さも大事
- ・ポジティブな行動だからといってポジティブ思考とは限らない
- ・負動産は投げ捨てるもの
- ・ネーミングセンスが無い人の救世主
- ・1兆度の火球を出したら、太陽系が蒸発する(『シン・ウルトラマン』)
- ・不労所得で稼げる仕事(『作家の収支』)
- ・狂気は伝染する(『家屋と妄想の精神病理』)
- ・人間はよくわからない(『あなたの隣の精神疾患』)
- ・この程度でも人間は生きられる(「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」)
- ・この時期のいつものやつ
- ・このクオリティであれば2作目はスルー(「変な家」)
- ・追う者と追われる者(映画『AWAKE』)
- ・葬式いろいろ(『葬儀!』)
- ・足元のロマン(『大地の五億年』)
- ・王様も大変なんです その2(ザ・クラウン)
- ・騙されるってよりみんなよくわかってない(統計で騙されない10の方法)
- ・マニュアルは作ればいい派(『カルト宗教信じてました。』)
- ・アメリカのソウルフード(『ザ・フード -アメリカ巨大食品メーカー』)
- ・あなたの精神安定剤はなんですか?(『失踪日記』『アル中病棟』)
- ・頭が良くなった気にさせてくれるサービス
- ・オミクロン株に対するワクチンの有効性
- ・やつらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!
優秀な人はたくさん働いてたくさん貰えばいい(『最後の防衛線 危機と日本銀行』)
前日銀副総裁の金融危機奮闘記。
なるほど。全然わからん。
バブル崩壊とその対応はなんとなくわかるけど、リーマンショック以降は横文字と固有名詞、さらにテクニカルな記述が増えてくるからもうさっぱり。時系列も細かいから情報密度が半端ない。
奮闘記としてはちょっと恨み節が入ってたのは面白かったですね。
日本のバブル崩壊の特徴は、そのダメージが長期にわたって続いたことにあります。94年の信用組合の破綻を皮切りに97年には山一證券を含む大手が破綻。いわゆる暗黒の11月が起こる。トータルで大小180の金融機関が破綻しました。
これは著者も述懐しているようにバブル崩壊の影響をみんな過小評価してたんですね。そのうち景気も回復するでしょ、と。不良債権の悪影響が表面化するまで数年かかったので(ギャンブル依存症の人が限界まで借金するのと同じように)、バレてから「え、こんなに!?」状態になった。
法整備も資金も不十分なまま見切り発車したから後手に回ざるをえず、海外からはやることが小さい、失望させる才能だけは凄いなどと皮肉られる始末。でも著者が誇りをもって言うように日本発の世界金融恐慌は防いだ。その10年後、アメリカが盛大にお漏らしをしたことは世界中が知っている。そりゃ文句の一つも言いたくなる。
結果論的に言えばバブル崩壊の不良債権処理に関して日銀が行った対応はベターだったようです。リーマンションショック、ギリシャのデフォルトが起こったときの世界各国中央銀行が行った処置も大体似たようなことをしている。そしてみんな最初は事態を過小評価した。水をぶっかけられて目を覚ます。アメリカに愚痴りつつも対応の速さは見事だったと称賛しているのはプロの意見だなと思わせますね。
連日泊まり込みでホテル・ニチギン状態だったとか、でも現場の士気は非常に高かったし彼らの頑張りが未曾有の危機を防いだ、といった話は深い共感を覚えます。震災を思い出すよ。大変だったけど現場の士気は高かった。でも一部の少数の人は会社来なかったのは憶えてるけどね。ガッツがある人とない人、そこでわかる。
そんな苦労話を挟みながら重厚な(レンガ並の厚さの)内容になっているので金融の専門書として、あるいは奮闘記として読めます。ぶっちゃけ後者として読めば半分くらい読み飛ばして差し支えない。
専門家と一般人の相違(『絶望を希望に変える経済学』)
『貧乏人の経済学』もそうだけど何か読んでて眠くなるんだよなぁ、この著者の本。両方とも途中で投げ出した。
読んだ中で興味深かったのは専門家と一般人の認識(知識)の違いと勘違いの差。
経済学の理論でよくある勘違いは人間は合理的に行動する前提に立っていること。給料の安い地域と高い地域があったら後者に流れていくと思いがち。現実はそんな単純ではない。
例えば東北地方に住んでいる私からすると、毎年台風被害に遭っている九州に住み続ける人がいるのが理解できない。毎年同じ場所が水没してるわけじゃないだろうけど、毎年そのリスク抱え込むの?と思ってしまう。
あるいは過疎地。コミュニティや都市機能が消滅寸前と嘆く人。そんなの何十年も前から過疎化するってわかってたでしょ。何十年もかけてそれに対応しないとか、アホかと。
でも現実はみんなそんな簡単に住み替えない。住み慣れた場所を離れたくない、新しい土地への不安などの感情面、仕事やお金などの経済面、惰性や横着、先延ばし、なんにも考えてない、能力がない、愚鈍、諸々理由はあるでしょう。それが悪いとかじゃなく、もともと人間はそれほど合理的ではないし、できない人も多いということ。こんな単純で当たり前のことを専門家は忘れがち。最近は行動経済学とか言って修正してるけど。
また自由貿易=経済の活性化、比較優位によって貧困国でも豊かになれる、というのも専門家なら思い込みがちだけど現実はやっぱりそう単純ではない。
例えばAmazonを使えば世界中から商品を買うことが可能だけど、名も知らない、品質もわからない格安商品を買うか? もし不良品だったら取り替えはきくのか? 今すぐ使いたいのに交換している時間はあるのか? 仲介業者だってよく知らない国のよく知らない地方のよく知らないメーカーの商品を卸すか? 結局信用や実績の無いメーカーは使わない。グローバルなら安さを武器に新規参入できそう……に思えて実は参入障壁が高い現実がある。
安さ(高さ)に飛びつく人もいるけど、そうではない人も多く、人間の流動性は専門家が思うほど高くない。
一般人が間違いやすいのは移民問題。
基本的に移民を入れた方が経済が上向く。賃金も下がらない。理由は移民もお金を使うから経済のパイが増える(母国に収入の大半を送金される場合はその限りではない)。移民は言語能力も不十分だから移民先の底辺労働者と競合しない。底辺労働者ですらやりたがらない仕事を移民がすることになるから移民の安い労働力によって賃金が下がる、というコンセンサスもない。治安に対する不安は別にして経済面では一般に思われるほど不利にならない。
一方、高度な技能を持った移民ならOKと思う人は多い。これが実は間違いで、高度な技能を持った移民は意欲も旺盛だから相場が安い賃金でも働くため移民先の高度技能者と競合する傾向がある。要するに底辺労働者は頭数で雇うけど、高度技能者はスキルで雇うから同じスキルなら安い方を取る。自国民の賃金と雇用保護を考えるなら高度技能を持った移民は実は厄介な相手。
アーマードコアでしか摂取できない快楽がある
3周クリア。隠しアイテム&ログハントで全装備入手済。
ボスで詰まったら躊躇なく両手ショットガン(orガトリング)&両肩ニードルランチャー。これで倒せない敵はない。
詰まったら攻略情報見てサクサク進めてパーツを集め、2周目3周目でリベンジ。そのくらいの気持ちでやってました。1周目は特効装備で倒したボスも2周目以降は好きな装備で倒したりとプレイスキルが上がっているのを実感すると楽しいですね。
シリーズ経験者目線で言うと今作はブレードがめっちゃ楽しい。
当たる。強い。モーションがカッコイイの三拍子。ボスを倒したときのスローモーションはこのための機能と言って過言ではない。一番のお気に入りはレーザーブレード(2回転斬りするブレード)。ノンチャージの素直さ、チャージの火力・命中率・かっこよさとバランスが非常にいい。何度こいつに助けられたことか。
よく難易度が高いと言われていますが、個人的にはちょっと誇張入っているな~と感じます。
確かに過去シリーズと比べれば難易度は高いです。特にボスはどれも癖が強く、一瞬の判断ミスが致命傷になりかねない。それでもそのボスにあった装備で挑めばかなり楽に戦えるし、困ったら冒頭のランチャー装備でラスボス含めて封殺可能。
私がやっていることもアサルトブーストで接近してブレードで斬る→リロードが完了するまで射撃武器で誤魔化す→ブレード(以下ループ)。これで9割方のボスを倒しています。基本的に近・中距離で戦うことを前提にした作りになっているので、前のめりで戦う方が有利取れる場面が多い。そのためブレードで斬るのはダウン取り、火力の点で実用的。…というか、私はこれしかできない。左右の指で射撃武器をポチポチできない。射撃はほぼ押しっぱで済むガトリングで固定。意識のリソースを位置取りと回避に集中させてやっと戦える。そんな旧世代でもクリアできる。
スタッガーシステムのおかげで戦闘にメリハリが効いていて射撃一辺倒、格闘一辺倒にならないのもいい塩梅。慣れてきたら好きな装備で戦って勝つ。このゲームの醍醐味ですね。
アクションの楽しさ、迫力、グラフィックの綺麗さはもちろん、登場キャラクターが魅力的で遊んでいてほんと楽しかった。セリフパターンの作り込みも素晴らしい。オールマインドの特殊セリフなどお遊び要素も満載。
ネットリテラシーのある人とない人(『#マンホール』『search/#サーチ2』)
同僚と飲み会を終えた直後に意識を失い気づくとマンホールの中に。
ネットリテラシーの低い方。全体的に頭が悪く、見ている側の頭が痛くなるレベル。そもそも怪我をして自力脱出が不可能とわかったなら連絡すべきは警察ではなく救急じゃないのか。一事が万事、合理性もなければ必然性もない行動を取られると話の都合しか感じない。
中盤のツイッターを使って自分の場所を特定しようとするくだりが完全に匿名掲示板のソレ。なんj民かよ。夜中の2時3時になんでそんな盛り上がってるんだよ。演出が電車男から1ミリも進歩してない。そんなレベルだから可燃性ガスが充満した状態でライター点けて爆発しても「これギャグ映画だから死なないな」って冷めた目で見るし、案の定ピンピンしてて草も生えない。
真犯人も唐突で、ミステリとしてもサスペンスとしてもお粗末。
シリーズ2作目。
前作は失踪した娘を探す父親が主人公だったが、今作では失踪した母親を探す娘が主人公。ネットリテラシーの高さは健在で、国を跨いで捜索するなど前作とは違ったテクニックを駆使しながら話を転がしてくれる。
今回使われているテクニックで一般人でも使えそうなのはGoogleのアカウントにある「ロケーション管理」。Googleマップの「タイムライン」からもアクセスできる機能で、GPSと連動して訪れた場所や経路を表示できる。自分で有効活用する用途が思いつかずほとんどの人は忘れている機能だけど、これを使って足取りを追跡しているのは賢いと思った。ただまあ、この機能を現実的に一番使うシチュエーションは浮気調査のような気がする。子どもの防犯目的に使えなくもないけど、専用のグッズ使えばいいしね。
完成度は高いものの前作より時間が伸びてやや冗長気味になっていることと、結局アカウントに不正アクセスして情報収集することに変わりはないのでネタ的には限界感。アイデアと演出が1作目でほぼ完成している作品ですね。普通のミステリとは一味違った画面演出を見たい人にオススメ。
VTuberの動画でここまで濃い話初めて見た
『「ぴえん」という病』『最貧困女子』と符号する部分が多く当事者目線の意見が生々しくも新鮮。
パパ活に代表されるように未成年の売春が再び注目されるようになっています。最近は梅毒罹患者も増加している。東京都感染情報センターによると特におっさん世代と20代女性の伸び方が顕著。わかりやすい。
女性側の視点に立ったときに、それが家庭の貧困からくるものとは別に「推し活」のために売春に手を出す子が多いという話は興味深い。居場所はある。けど心の拠り所がそれしかなくてそこにずっぽりとハマってしまう子がいる。で、そこにつけ込む大人がいる。心の貧困問題は表面化しにくいので記憶に留めたいポイントですね。まあ、そういう人間は昔からいるので現代はそれが「推し活」として顕在化しやすいってだけでしょうが。後述するようにインターネットによってそれが加速している節はあります。
風俗界隈の序列も『最貧困女子』のとおりで供給過多による選別で立ちんぼ(路上売春)が増え、かつその価値も低い。これを増長している要因として「コンテンツ化している」との指摘はまさにそうだと思います。「トー横キッズ」が一種の見世物になっている。またそれを知った人がそこに集まることでさらに濃縮される。ネットの厄介なところですね。知らなければできないけど、知っていれば選択肢になりうる。しかもこういう選択をする人は往々にして他の情報を見ない。エコーチャンバーとかフィルターバブルもあって見る情報が限定化されやすい。
被害者が加害者に従う、何なら懐くのはよく見られる現象。これは被害者の視野が狭くなっていることもありますが、人間関係も狭くなっていることが原因。極論加害者としか関係がなければ、その関係が暴力的であってもコミュニケーションとして成立する。マイナスでも絆は絆。ずる賢い奴はそうやって交友関係を断たせて従属させる。
それに対して、もういっそ捕まって刑務所なり精神病院にぶちこまれたらいいという意見は当事者目線でもそうなのでしょう。これも『その後の不自由』で生き延びるためには保護(隔離)されるのも一つの手だと語られていました。それで解決するものではないけど、死ぬよりはマシだろと。
こうした弱者(金儲けでやってる人が含まれるのかは置くとして)がなくなることはないし、社会全体の風潮として根絶しようという動きにもならないでしょう。得にならないもん。弱者は金も発言力も行動力もない。選挙の票にもならない。だから利用価値があると目を付けるのは上述したようなパパ活おじさんか、子飼いにしょうとする小悪党か、弱者を建前にした政治利用あるいは補助金目当ての団体くらいでしょう。どいつも碌なもんじゃねぇ。でもそんなもん。だって弱者自体が碌なもんじゃねぇんだから。関わったら面倒臭いに決まってる。誰が好き好んで関わるかよ。良くも悪くも変人か悪党しか近づかない。でも皮肉にもそれが弱者を生き長らえさせる。
負動産を捨てられるようになりました
以前から負動産捨てられない問題を話題にしていました。最近だとこの記事。
法改正されたと小耳に挟んだので改めて調べたら大きく諸々法改正されていました。特に相続放棄に関しては令和5年4月1日施行なのですでに変わっています。
法務省のパンフレット的なものが見つからなかったので、詳細については下記ブログを参照ください。
【司法書士監修】相続放棄をした者の責任は令和5年度から変わる?
【改正法|民法第940条第1項】
相続の放棄をした者は、その放棄の時に相続財産に属する財産を現に占有しているときは、相続人又は第九百五十二条第一項の相続財産の清算人に対して当該財産を引き渡すまでの間、自己の財産におけるのと同一の注意をもって、その財産を保存しなければならない。
簡単に言えば相続放棄したときの管理責任が明確化(限定化)されました。
今まで問題だったのは、全員が相続放棄した場合(自分しか相続権がなかった場合)放棄しても管理責任がついて回って結局家や土地を引き継がなきゃいけないことでした。住んでもいない家を相続放棄したのに不利益を回避できないっておかしくね?という意見がパブリック・コメントでもあったらしく(そりゃそうだ)その辺を明確化。
なので住んでもいない田舎の家を相続放棄したらそのままバイバイ。神改正じゃん。
放棄した実家が問題化して責任を追求された場合、占有していないことをどうやって証明するのか? っていうのは気になるところですがその辺は施行から時間が経てば実績が積み上がってくるでしょう。
では、その放棄された家や土地はどうなるのか? 現実問題として邪魔になったり、土地整理などで第三者が関わることがある。
そこで新たに新設されるのが所有者不明土地管理制度。
上記ブログにも書かれていますが、これは法務省のパンフレットでも説明されています。これによると段階的に大胆な法改正がされる予定です。いくつかピックアップすると、
①相続登記の義務化
②相続土地国庫帰属制度の創設
③所有者不明土地管理制度の創設
④共有制度の見直し
①は今更感もあるけど当然な話。
②はすでに相続した土地について国に引き取ってもらえる制度。ただし土地だけ。なので相続したけど手放したい人には朗報。これまで引き取り手のない土地を捨てる方法がありませんでした。それを悪用したアコギな商売もあるのでそのリスクをかなり低減できます。
③は放棄された家や土地を整理する制度。おそらく邪魔になった家などは地方自治体が申立人になって土地管理人を選任することになると思うんだけど、費用負担は誰がするの?と。
検討資料をざらっと(費用負担とか放棄の単語で検索した限りで)読むと基本的には土地所有者が負担。所有者不明または放棄されたものについては申立人が予納金を払う、利益が出た場合に管理人に利益還元することが想定されているようです(予納義務は意図的に明文化していない)。完全にマイナスだった場合は、おそらく地方自治体がそのまま費用負担する流れなのかな。放棄されて誰も管理していない、管理する気がない、けど邪魔になっている不動産に手を付けることもできないデッドロック状態だったのを解除できる点だけでも前進と言ったところでしょうか。
④で想定されているのはマンションとかでしょうね。これも老朽化して撤去したいけど権利者がわからないとか、全会一致原則が足枷になっていたのを取り払う法改正。
国もようやく重い腰を上げたということなんでしょう。これからどんどん団塊の世代死んでいくからね。
個人的には実家を遠慮なく放棄できるので万々歳。面倒事が一個減った。
20年同じことをやっているというべきか、ようやく一歩進みだしたというべきか
まず一言言いたい。
前編なら前編って言えや!!
前後編であることは前から発表されていたらしいんだけど、HP見てもそんなこと書いてないし興味本位で見る側にはわかりにくい。後編は来年公開予定なのでそこまで間が空くわけじゃないけど、ちょっと不親切。
映像に関しては非常に素晴らしく見応え十分。ただ4DX前提なのか背景が粒子状に見えたりしてやや目が疲れるのが気になったかな。
ストーリーは何回そのネタ擦るねんって感じ。スパイダーマンと言ったら親しい人を失う強制イベントがどの作品でもあるんだけど、これを主軸にしたエピソード。一種のセルフパロディというか自己批判的な部分でもあるんだけどいい加減擦りすぎ。
個人的にサム・ライミ監督のスパイダーマンからカウントするともう20年前から見ていることになるので、20年経っても同じようなネタ擦ってるのは正直どうなんだろうなって。友人はどこまで擦れるのか気になるとは言ってたけど。
スパイダーマンが寄り集まって組織作るのはいいけど、主人公から見てクソな集団になってて吹いた。やっぱヒーローが組織化するときな臭くなるよね。リーダーも被害者面してるけど、お前普通にホラーだからな。娘からしたらそっくりな赤の他人が父親になりすましてただけだから。
そんなこんなで仮面ライダーで見たようなどんちゃん騒ぎになってて、ギリギリ面白くはあるけど前編で勢い削がれて、特に語ることもない微妙さ。
人間が忘れやすいことを人間は忘れる(『サイコパスの真実』)
サイコパスをざっくり言えば情緒性がなく、共感性もない。つまり人間としてはクズ。だから悪い方向に吹っ切れると犯罪しまくるし、良い方向に行けば成功者になる。
こんなクズが時折カリスマ扱いされたり、魅力的に見えることがある。
理由の一つは、彼らは平気で嘘をつけるから。嘘をつくことに感情的な抵抗がない。情緒性や共感性が欠落している人間の行動指針が自分優先かつ合理的になるのは当然のことで、嘘をついた方が得なら嘘をつく。不安や恐れにも鈍感だから自信満々にも見える。
また人懐っこく見える。これも他人に興味がなければ当然のこと。好きも嫌いもないなら愛想笑いでご機嫌取っておいて損はない。人懐っこい=人好きのする人という認識しか持ってない人は要注意。他人に興味がなければないほど愛想笑いは容易い。刑務所では礼儀正しく模範的というケースも珍しくない。そうした方が早く出られるからね。
だからサイコパスと聞くと凶悪なイメージが持たれやすいけど、実際には表面的に社会適応している人は多い。『コンビニ人間』の主人公はサイコパス気質だと思うけど、ああやって他人の行動を模倣することはそこまで難しいことではない。
この手合いはよく観察すれば薄っぺらで自分のことしか考えてないとわかります。言動に一貫性がない(自分に都合がいい、という一貫性はある)。
言い換えれば人懐っこい、礼儀正しく見える、自信がある、というだけでコロッと騙される人は結構多いってことなんだろうね。
たとえば、本書の中で「元少年A」が書いた『絶歌』の一文が引用されています。約20年前に猫を殺したときのことを仔細に記述した内容で、著者は素直に受け取っているようですが、私なら嘘だと断定します。20年前のことなんて普通憶えていません。記憶力が超絶良い、当時のことをメモしていてそれを使った、という可能性はあるけど証拠がなければ考慮しなくていい。だから妥当なのは2つ。そもそも嘘を吐いているか、猫を殺したことは本当でも話を盛りまくっているか。
どちらだとしても「こう書けば読んでいる人にウケるだろう」という思惑が透けて見える。そういうことをこの手の人たちは平気でやる。
いい加減さも大事
GWを過ぎたこともあってTVをつけていると新社会人の悩みの話題をよく目にします。
自分が新入社員の頃、先輩によく言われたのは「お前、人の話し聞いているようで聞いてないよな」「流してるよな」でした。
もちろんこれは社会人以前にダメなんですが、でも人生を振り返ったときに意外と役に立っているんですよね。
というのも、人の話を流しているので精神的ダメージも軽減される。だから人間関係で凹みにくく(傍目には)粘り強い。内心では他人をどうでもいいと思っているだけなんだけど、結果として人の好き嫌いもなく安定して仕事をする。仕事ができるようになってくれば周囲の評価も上がって信頼される。コミュ障なわりに仕事の話から雑談まで積極的にするのでコミュニケーションも円滑。これが私の全般的な処世術。
当時はそんな風には思っていませんでしたが、自覚したあとは拍車がかかって今に至ります。
要はメゲないって強力な武器だと思っています。
例えば人一倍仕事をしている人は大抵人一倍失敗もしています。仕事量100と仕事量200では後者の方が失敗の数も多いのは当然のこと。でもここで失敗の仕方も覚えれば長期的には失敗率を減らせる。ここでビビってしまうと仕事量が100→90→80と減って仕事ができなければ失敗のリカバリーもできないダメループに入る。
飛び抜けた秀才でない限り仕事を問わずそんなもん。みんな凡人でボンクラだからね。失敗するのは当然。だから失敗から学べる人は強い。っていうのを覚えられるかどうかなんだよね。っておっさんになって思いますね。
ポジティブな行動だからといってポジティブ思考とは限らない
ポジティブ思考を謳う小手先テクニックに大した効果は無い、という話。
むしろポジティブ思考の人が転けると引きずる時間も長くなるかもよ、というのはさもありなん。ネガティブ思考はネガティブ思考で先に悪い結果を予測しておけば実際そうなってもダメージを減らせる効果があるからね。
さて、例によって自分の話をするんだけど、おそらく私は客観的にはポジティブ寄りの性格だと認識されると思います。
実際に私が何を考えているかと言えば、人間なんてクズでカスでアホ。大人なんて身体がデカいだけの子ども。無責任で無教養のボンクラ。って思ってます。
シゾイドパーソナリティ(あるいは愛着回避型)は精神的負担を減らすため他人に対する評価を限りなく下げる傾向があります。価値がないものを失っても傷つかないのは人間も同じ。他人に対してしばしば冷笑的な態度を取るのはこのためです。ちなみにこの価値下げは自分自身にも適用されます。自分に価値がなければ死んでも別にいいよねって理屈ですね。極論だけど執着を捨てることで苦痛を減らすのは心理的防衛の常套手段。この意味でシゾイドの心理機構はネガティブな思考(厭世観)と切っても切れない関係にあります。
その上でみんなアホだけど生きてる。無責任だけどのうのうと生きてる。人間はクズだけどクズなりによくやってる。その程度でも生きられる。それでいいんじゃない。って思うわけです。のび太くんが赤点とったからって今更驚くようなことじゃない。心の底からバカにはしても否定はしないし、できない。私も無職で社会不適合者で存在価値のない非生産的な人間だけど生きてるし、生きてダメな理由もない。他人に興味ないから他人にどう思われるかも興味ない。そういうわけで堂々と生きてる。
その結果がポジティブな行動として出力されるんだけど、それってポジティブ思考なのか?って疑問に思うよね。根底にあるのは軽蔑と無関心、皮肉と冷笑、傲慢と不遜、諦念と厭世観、人と世の中を舐め腐った態度。でも私は20年近くやっているこのブログでクヨクヨしたことは一度も書いたことがないし、実生活でもそんな態度は取りません。自分を幸せにしない生き方に意味はない。そう思って実行している。
何が言いたいかというと、ポジティブ思考って1から10まで肯定的で前向きとは限らないんだろうってことです。おそらく私と同じようにその人なりの理屈と感覚でバランスを取っている人がたくさんいる。というかそういう人が多数なんだろうと。その上っ面だけ真似てもそりゃ意味ないよねって。
逆説的な話ですが、孤独が好きな人は孤独感がありません。孤独は安心するからです。逆に孤独感が強い人はそれを紛らわそうと友人を多く作ろうとするでしょう。一見すると後者の人は明るく社交的に見えますが内面には悲壮感や焦燥感が潜んでいるかもしれない。人間の行動と内面にはそんなギャップがいくつもあるって話ですね。
負動産は投げ捨てるもの
『限界マンション』や『人口減少時代の土地問題』で書かれていたような老朽化したマンションや買い手がつかない土地問題を扱っているチャンネル。
ようやるなーって思うのは現地に行くだけでなく、登記簿を取り寄せて権利状況などを確認しながらこの手の問題に切り込んでいること。個別の事案も経緯を細かく掘り下げて丁寧に説明している。下手なジャーナリスト顔負け。この人なにしている人なのかとブログを見に行ったらふわっとした経歴で、でもここまで来るとガチってるなーと感心する。本を出したり、NHK文化センターで講座を開いたりと趣味が高じて仕事になっている様子。
動画の対談で参考になるのは不動産屋からの視点。
物件を仲介してその手数料で稼ぐ。1億の物件も100万の物件も報酬割合は変わらない。ってことは安い不動産は手間ばかりかかって割に合わない。安い物件は安い人間が扱うことが多くて面倒も多い。なんなら高額物件は買う方も売る方も慣れているので取引がスムーズに行く。つまり二束三文の取引なんてやりたがらない。動画主が土地を買ったときも不動産屋に当事者同士でやってくれと言われたらしい。
酷い業者になると土地を引き取るのに100万円要求する、さらには不動産屋が持っているゴミ物件と交換条件まで付けるなど足元を見た商売がまかり通っている。
売りたくても売れない。捨てることもできない。逆に買い取ったり手を付けようとしても権利者がわからない。まさに負動産。産業構造と法律の抜け(登記は義務じゃない)が織りなすクソみたいな現実。
マンションや会員制リゾートホテルなんて普通に考えて撤去できない。あげくオーナー制のリゾートホテルなんて1部屋を口数で割っているからホテル1棟に何人の権利者がいるか想像しただけで目眩がする。各オーナーが死去していた場合その先の権利者なんて雲をつかむようなもの。
つくづく思うのは目先の金儲けのために好き放題不動産を売って買った人もそれを持て余した結果、特大の粗大ごみが日本中に放置されるに至ったこと。その責任は誰も取らない。取るつもりもない。
それがまかり通っているってことは、それはそれで良い世の中じゃないかなって一周回って思う。私も間違いなく実家の土地なんて知らんふりするわ。あの世にまで土地は持っていけないからね。