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コラム「プリキュアシリーズの勧善懲悪から救済まで」
○はじめに
プリキュアは主人公や世界観をその都度一新させています。作品同士の繋がりはありません(劇場版オールスターズを除く)。どの作品も少女達が諦めることなくひた向きに頑張る物語として描かれています。それは当初勧善懲悪の形で提示されていましたが、シリーズを重ねていく中で敵の救済へと変っています。私はこの変化がある種必然性を持ったものだったと思っています。物語に真摯に向き合えばこそ、女の子達が何と、何故戦うのか、何を力とするのか、心正しく優しい女の子に何が出来るのか追求していかなければならないでしょう。それを真っ直ぐに追求してきたのがプリキュアです。
その変化がどのようなものであったかは作品個別の視点では分かりにくいでしょうし、10年近く放送しているシリーズであることを考慮すれば全てを視聴している人は限られています。そこでここでは各作品を個別に捉えるのではなく、連続した一つの長編物語として見ることでシリーズの共通性、継続性、勧善懲悪から救済への変遷がどのような性質のものであったかを説明します。作品個別の評価や感想とは若干異なります。それについては各シリーズの感想を参照下さい。
もっともらしいような書き方をしていますが、意図してこのように製作されているとは私も思っていません。ただの私の持論です。本シリーズが様々なアプローチを行いながら人間賛歌の物語を紡いできたこと、常に変わり続けてきた物語であることを示すのがこの章の目的です。ざっくばらんに言うとこんな視点で見ても面白いよ、というお話し。
本題に入る前に大まかな流れを書くと、次のようになります。
1.勧善懲悪。敵は抽象的な存在【ふたりはプリキュア、MaxHeart、Splash☆Star】
2.敵に人間性や感情、動機が現れ始める【プリキュア5、GoGo!】
3.改善懲悪から救済の物語へ【フレッシュ、ハートキャッチ、スイート、スマイル】
シリーズ全体を通してみると、大きく流れが変っていることが分かります。また、その変化が単発的なものではなく長期的な試みとして為されていることも分かります。前作で出来なかったこと、やらなかったことを補足・補強しながら新たなプリキュア像を構築しています。なお、1作目~5作目(初代~GoGo!)の東映アニメプロデューサーは鷲尾氏、6作目~9作目(フレッシュ~スマイル)は梅澤氏が担当しています。概ねプロデューサーの交代によって方向性が変わっていると思っても差し支えありません。鷲尾氏のプリキュアは勧善懲悪、梅澤氏が救済のプリキュアと言えます。方向性は異なれど両氏のもとでプリキュアは一つの長い物語として紡がれています。
以下、シリーズの放送順序に従いながら詳述していきます。
○個別解説および変遷
①勧善懲悪のプリキュア【ふたりはプリキュア、MaxHeart、Splash☆Star】
この三作は基本的に同じ路線です。敵は「闇」「絶望」「滅び」などの抽象的かつ非人間的な存在として登場します。正味な話し、主人公達に人殺しをさせるわけにはいかないので、抽象的な敵と戦わせることによって罪悪感を回避させていると思われます。この結果、絶望に対する希望、滅びに対する生命などのように抽象性が高く思想戦の趣きが強いのが特徴です。
普通に考えて、女子中学生がそんな訳の分からないモノと戦う理由はありません。そのため彼女達の動機は「日常を守る」「絶望や諦めと戦う」ことが主軸となります。日常を壊そうとする(日常に意味など無いと主張する)敵と戦うことによって、女の子達のひたむきな姿がより鮮明に描き出されています。
後番組のプリキュア5、GoGo!もそうですが、日常VS非日常の構図はシリーズ初期の基調です。女の子達はあくまで日常を破壊しにやってくる敵を倒すためにプリキュアに変身しているだけで、戦いそのものは彼女達にとって必要とされていません。プリキュアの戦いは日常の外に置かれています。
この三作は敵に負けない(諦めない)ことが目的です。したがって敵の救済は論理的に不可能です。これは相手が非人間であることも関係しています。ただし例外的に一部の敵とは和解しています。特に初代プリキュアでは和解するも相手と共生することが出来ないエピソードが綴られており「敵の救済」という問いはシリーズ当初からその萌芽があったと言えます。しかし物語全体を俯瞰すれば勧善懲悪であり、敵を倒すことでプリキュアの正当性、努力が立証される形になっています。
②勧善懲悪と救済の狭間で葛藤するプリキュア【プリキュア5、GoGo!】
基本路線は上述した三作を踏襲しています。敵がそれまでよりも人間的に描かれているのが特徴で、勧善懲悪、善と悪の二元論にほころびが生じます。前三作の敵は人間にとって悪だから、負けてはいけないから戦うで済みます。しかし同情や共感ができる敵を相手にしたことでプリキュア側にも葛藤が起きています。
5・GoGo!はシリーズの節目であったと思います。主人公であるのぞみはとても優しい女の子でした。彼女に惹かれた友達が彼女を支え、あるいは支えられることで一つのチーム(親友)となって各々の夢を目指していった物語です。しかし、優しさが友情を生み出す一方で敵は倒さなければならない。勧善懲悪の限界と矛盾に行き当たった物語でもありました。もちろん、この二作は勧善懲悪を骨子として作られているため救済しなかったことで何かが損なわれているわけではありません。また、本作はシリーズのエポックメイキングでもあります。「ふたり」から始まったプリキュアが5人になったことで、プリキュアがテーマとする友達の価値や関係の多様性をより広く提示することが可能になっています。実際的な話しを付け加えればマンネリ化が顕著になってきたプリキュアを新生させ、女児向け定番アニメとして定着させるフォーマットを作り上げたことは特筆すべき点です(詳細については別コラム「プリキュアの変遷と継続性」を参照下さい)。
プリキュアの魅力は諦めずに頑張り抜く女の子達の姿です。ややもすると日常の中に埋没しがちな小さな優しさや絆が如何に人間を支え強くするものであるかを丁寧に描いています。5・GoGo!も5人の友情を力強く暖かく描いています。未就学児童向けアニメであることを考えれば勧善懲悪に徹して良いのです。しかしプリキュアは敢えてそうすることを放棄しました。
勧善懲悪の枠内で敵を救ったり友達になることが可能だとしても、ではその後どのように処遇していくか。敵と味方の区別はどこで付けられるか。以降のプリキュアはこの問題に取り組んでいきます。プリキュアは何と戦うのか、何故中学生の女の子が戦わなければならないのか、プリキュアとは何か? それを問うようにして新たなプリキュアが生まれています。
③罪と救済のプリキュア【フレッシュプリキュア!】
前述のとおり本作からプロデューサーが鷲尾氏から梅澤氏に交代しています。インタビューで梅澤氏は次のように答えています。(このインタビューはスマイル放送時のもの。平成24年アニメージュ4月号)
「プリキュアの対象年齢は未就学児なので、物語で描きたいことはすべて幼稚園の中で起こっていることなんです。未就学児にとっての悪とは、毎日の生活の中で一番怖いもの、つまり園長先生やお父さんやお母さん、あるいは意地悪な友達だったります。だけど、ちゃんと話してみたら思いが通じたり、よくよく考えてみると自分が悪かったりするんですよね。私はプリキュアでそういった単純で大切なことを描いているつもりなんです」
「私の考えるプリキュアでは絶対悪は存在しません。敵側にもちゃんと主張があって、それを言われたときに自分の中にも思い当たる節もある、というのが私の中のコンセプトなんです」
本作から明確に変った点は敵が人間になったことです。その最たる例として、当初敵幹部として登場していたイース(せつな)がプリキュアに転向します。また、ラスボスの正体はせつなの故郷ラビリンスの国家統制用コンピュータです。そのコンピュータに人々が支配されていたという筋書き(いわゆるディストピア)。この物語に悪は存在しません。ラスボスを悪だと断罪するならそれを作ったラビリンス人の責任は免れません。人間の罪と救済。本作からプリキュアは大きく転換します。
本作最大の目的はせつなの救済にあります。彼女が愛情の無い環境で育ち苦しむ姿を通して見えてくるのは、プリキュアが行うべきは悪を倒すことではなく、苦悩を抱え絶望している人間を助けることではないか?ということです。ここが勧善懲悪から救済への転換の核心です。人間に向き合う。いわば人間の矛盾、罪、苦悩が敵となっています。これをどのようにして乗り越えていくか。敵味方を越えて人が幸せになれる希望の模索が始まります。
せつなの救済を行うために本作は物語をとおして舞台を用意しました。主人公ラブはその名の通り愛情深い人物で、その親もせつなを娘として受け入れています。彼女達が住む四ツ葉町は多様性と暖かさを感じる街として描かれています。要するにせつなが安心して暮らせる環境を整え、彼女に幸せの意味を知って貰うことで彼女が自ら愛を与えられるように自立させています。心の再生、救済をとおして幸せを生み出していく。それがこの物語が出した答えです。
戦う相手が人間である以上、もはや戦って勝つことは大きな意味を持ちません(逆に倒すことは人間の否定になる)。プリキュアの正当性を証明する方法が悪を倒すことから、人間の歪みを正すことへシフトしています。
このようにフレッシュから大幅な路線変更が試みられましたが、プリキュアの基本精神である「困難にぶつかっても諦めることなくひたむきに頑張る少女」というコンセプトと魅力は些かも損なうことはありませんでした。むしろその美点こそが救済に必要なこととして昇華されていきます。
④自分の心と戦うプリキュア【ハートキャッチプリキュア!】
本作では日常的な題材を取り上げ、人間関係のもつれやコンプレックスなど広範囲の事案を対象にしています。これまでの敵怪人は無機物や人間以外の生物が主でしたが、本作では葛藤に苦しむ一般人(時にはプリキュア自身)が怪人化するなど、「心」を中心に物語を展開しています。
前作に続き本作の主人公つぼみも救済者としての位置づけにあります。彼女はどんな人の心も肯定し信頼を与える存在として物語を支えています。
劣等感や悩み、罪、自分を認める勇気……自分の心と向き合い克服していく様が描かれていますが、その締めくくりに問われたのは憎悪の感情でした。ラスボスのデューンが何故憎悪を抱くようになったかは描かれていません。しかしプリキュアと砂漠の使徒との泥沼の争いは結局憎悪の連鎖、暴力に対して暴力を返すことが起因しています。プリキュアもまた結果として共犯者になっていました。この負の連鎖を乗り越えさせるために終盤でゆりの父親を死なせています。プリキュアに憎悪を抱かせた上でそれでもなお愛によって戦うべきだと覚悟を問わせています。宿敵を赦すことによって戦いは終結します。ただしデューンを赦すことは出来ても彼と共生するには至っていません。本作の主要なテーマは心の克服と、その心を(つぼみが)認めることによって多様な人間の姿、心を肯定することにあります。人と人を繋ぐ絆や共生のテーマは次の物語が引き受けています。なお、本作でもっともインパクトがあるシーンであろう「食らえ、この愛」はプリキュアが愛で戦うことをストレートに表しています。
話しが脇に逸れますが、プリキュアは作中で「伝説の戦士」と形容されています。ですが実際に先代プリキュアが登場しているのはシリーズ中でも本作のみです。その先代たちは敵を一時的に退けることはできても戦いを終わらせることはできませんでした。これまでのプリキュアの比喩とも言えるでしょう。本作はプリキュア自身が自ら変えていけることを暗喩しています。つぼみの「チェンジ」はまさにそれを示しています。
①の項で述べたように、初期のプリキュアは戦うことそれ自体は忌避されていました。「日常」に戦闘行為は必要とされません。日常を守るために敵と戦う。この構図もまた変化しています。それは人は日常の中で様々な葛藤や苦悩と戦っているという認識に基づく変化です。戦いは日常の中へと組み込まれていきます。日常に起こる困難と戦い、曇った顔を笑顔に変えていく。幸せの創造。日常の中で戦い続ける人の姿がプリキュアなのだと再構築・再解釈されています。
⑤ケンカしながら友達を作るプリキュア【スイートプリキュア♪】
救済の道を歩んだプリキュアシリーズのいわば集大成となるのが本作です。
本作の特徴は響が普通の人である点です。彼女は愛情が欠乏し不安を抱えていました。彼女だけでなく、プリキュア全員が他者との関係に不安を生じた状態から始まっています。本作は絆を結ぶことの難しさと、人の心や関係が不確かで移ろいやすいことを課題にしています。
ケンカや誤解を経ながら彼女達は絆を取り戻し新しい友達を作っていきます。その最後にラスボスであるノイズとも友達になります。ノイズは人の悲しみから生まれた抽象的な存在であると同時に人から忌み嫌われ愛されなかった存在です。プリキュアとノイズは孤独を体験しています。フレッシュ・ハートキャッチは救済の物語でしたが依然としてラスボスは非人間であるか相互理解が困難な相手でした。コミュニケーションを主題とする本作は最後の難関として、孤独な心を相手にしています。不安や恐れ憎しみが孤独を作りだし、孤独が憎悪や悲劇を作り出す悪循環。プリキュアも他人事ではありません。その孤独な心を如何にして癒すことができるか。スイートは、人は誰もが傷つきながらも心を繋げ共存しうることを提示しています。シリーズの原点である「友達」が受容・共生・信頼を兼ね備えた関係を示すものとして、人を救うものとして、大きな意味と価値を持つに至ります。
プリキュアの救済に必要なモノは愛情と承認です。フレッシュは相手を受け入れ愛情を注ぐことで、ハートキャッチでは赦す(承認する)ことで救済の道筋を示してきました。そのためには強者(救済者)が必要とされました。強靱な精神、博愛精神を持つ主人公です。ラブとつぼみはいずれも博愛的で精神的に強い女の子でした。しかしこれは限られた強者を救済の根拠にする危うさがあります。スイートが試みたのは普通の人達でも救済が可能であることの証明です。ここで言う「普通の人」とは「強者」の対比として使っています。傷つきながらも優しく強く成長していける人。苦しみ、悲しみ、人が人と争いあってしまう現実に圧倒されてしまうことは決して珍しいことではありません。しかし誰もがその困難を乗り越えていける(可能性がある)ことを描き出すことによって人が持っている普遍的な価値と力を際立たせています。
ノイズとの共生は同時に悲しみとの共生でもありました。日常には幸せだけでなく悲しみもまた存在している。それは決して無くなることはない。そこから目を逸らすことなく現実に向き合っています。日常の戦い、このテーマもまた継承されています。スイートはその名が示すように、これまでプリキュアが積み上げてきた様々な課題や成果を継承しつつ昇華させています。
⑥依存と自立のプリキュア【スマイルプリキュア!】
本作のキャラクター造形は王道的でその関係性も模範的なものとして描かれています(フレッシュ~スイートはある意味屈折したキャラクターや関係性をベースにしています)。また、人を助けることよりも助けられることに重きが置かれているのが特徴で、みゆき達は自分が貰った優しさをみんなに分けていきたいと考えるようになります。愛情の恩返しによって絵本で虐げられる狼たちを救済するに至ります。このように本作は健全な関係や心性が正の循環を作り出せることをその核としています。例えるならフレッシュ~スイートは溝を埋める(救済のシチュエーションが生じる)話しでしたが、本作は優しさをお裾分けしていくお互い様な関係として友達が描かれています。
友達はシリーズの根底に流れるテーマです。どのような性質を持ち、どのように人の心に作用するか、成長の助けとなるか、逆にその摩擦によって苦しみが生まれることが描かれてきました。友達がいるからこそ強くなれる。救われる。友達は大切な存在なのだと。しかしそれは友達の重要性が増せば増すほど依存が強くなっていくということでもあります。これはプリキュアが内包する根源的な課題です。友達と協力して困難に立ち向かっていくことと一人で自立して責任を負っていくことの両立を図れるか。友達を大切にするあまり新しい友達を作ることに消極的になるのではないか。その依存の克服は可能か? スマイルが最後に課題としたのはそれでした。友達と別れなければならないという絶望を経てみゆき達は自立し大きく成長します。本作は友達との結びつきが強い一方で、一人一人が自分で考え答えを出す自立性が高いプリキュアとして描かれています。
ラスボスのピエーロは人の負の感情が生み出した絶望の権化であり、ノイズのような擬人化はされていません。プリキュアが依存の克服(友達との別れ)をするとともに倒されています。しかしその最期はプリキュアが笑顔で包み込む描き方になっています。
広義にはこの最終決戦も救済の枠内と捉えられます。元々勧善懲悪と救済とを分けて考えたのは、プリキュアが二元論によって善と悪、幸せと不幸というように比較させて一方の正当性や価値を証明する手法をとっていたからです。プリキュアは救済とともに一元論の手法を取り入れました。善と悪が一つのものから派生する。つまり人です。人が善と悪、幸せと不幸という価値観を作る。人の心が生み出す感情の一方を否定し、一方を肯定することは結果して人の否定、人の歪みをさらに強めるだけです。希望と絶望、愛と憎しみ、共生と疎外、それらを分けて考えるのではなく包括(一元化)して再考する。人の有り様を認め、その上で人の幸せがなんであるか、どのようにしてその道を歩めるかを追求しています。スマイルにおけるラスボスも絶望という人の心理の一面であり、その克服をとおして成長が描かれている点で包括されています。
ここまで見てきたようにプリキュアはシリーズを重ねながら長所を伸ばし、不完全な部分を補完しながら「プリキュア」という一つの物語、一つの像を作り上げています。プリキュアとは人の戦う姿であり、有り様であり、成長であり、可能性を示すものとして提示されています。
○結び
プリキュアが一貫して紡いできたことは何だったか、それは人の肯定であったと思います。日常の肯定、そこで生きる人々の肯定、悲しみ苦しみの中にあっても人は幸せを自らの手で掴み取れることを描いた物語だったと思います。敵の救済を通じて人の心の救済を提示しています。
初代からスマイルまでプリキュアが一つの長い物語を紡いできたことをここまで説明してきました。個々の作品を論じるだけでは見えないことがあります。「勧善懲悪と救済」の視点から捉えることでシリーズの共通性や連続性が見えたと思います。説明の過不足があったかと思いますが、簡単に言えばプリキュアは毎年創意工夫と継承・発展を続けてきた物語である、ということです。
例えば戦隊や仮面ライダー、ガンダムのような長期シリーズは作品個別にロジックとテーマを持っています。同じタイトルは付いていてもパラレルな関係にあって独立しています。それに対してプリキュアは独立しつつも論理を内在化させて発展拡張しています。「プリキュアとは何か」。自らそう問いかけるようにして研鑽し続けている。そこが興味深く、他作品には無い希有な魅力です。
念のために断っておきますが、過去のプリキュアが陳腐で最新のプリキュアが優れているとか、作品の優劣をつけるためにこのコラムを書いたわけではありません。論旨の都合上、救済に転じたフレッシュ以降の作品にクローズアップしましたが、初代からGoGo!までの作品はシリーズの基礎を作った作品であり、その意志は最新作であるスマイルにも受け継がれています。それぞれの作品が全力で課題に向き合い、そしてバトンを渡してきました。出来なかったこと、もっと追求すべきことを次の作品で叶えていく。この脈々と受け継がれてきたプリキュアの意志を私はとても高く評価しています。10年近く飽きることなく視聴し続けられたのもそれがあったからだと思います。私にとってのプリキュアとは、全てが繋がった物語なのです。このコラムを通じて伝えたいのはプリキュアのそうした魅力です。
もちろん、こんな小難しい(小賢しい)理屈を並べなくても、プリキュアは子ども向けとして、子ども目線の物語を書き続けてきただけであり、例えば初代~GoGo!は友達との友情を大切にしてどんな困難にも立ち向かっていく物語でした。フレッシュ~スマイルは梅澤氏のコメントのとおり子ども達が幼稚園で体験する出来事(新しい友達を作る、仲直りする)をベースにした物語でした。子ども目線で作られた子どものための作品だからこそ私はプリキュアが好きですし、それを前提に大人としての見方、感じ方を書いています。
冒頭でも述べたように、勧善懲悪・救済云々は私の持論です。ですが、この視点、文脈をとおして楽しませてもらっています。プリキュアの物語は常に人間を肯定し、人が生きる姿を力強く尊く描き続けています。「勧善懲悪と救済」の視点はそれを可視化するための一つのアプローチです。その根底にある人間賛歌こそがプリキュアの本質だと思います。苦しく悲しい出来事にさらされてもなお強く生きんとする彼女達の姿に心打たれ、勇気付けられます。
ドキドキ!プリキュアでシリーズは10年目を迎えます。プロデューサーも梅澤氏から柴田氏へバトンタッチします。おそらく物語の方向性も変わるでしょう。救済するとは限らなくなる。それを私は不安に感じません。また新しい物語が始まる。今までプリキュアから数え切れないほど多くの物を受け取ってきました。今後も遠慮無く受け取るつもりです。
プリキュアを立ち上げた鷲尾氏、プリキュアブランドを不動のものにした梅澤氏、両氏のもとでプリキュアはすくすくと育ちました。スタッフの皆様方にお礼申し上げます。娘さんは私が貰います!(これが言いたかっただけ)
ということで、こんな視点で見てもプリキュアは面白いよ、というお話しはここまで。プリキュアを楽しむ一助になれば幸いです。
プリキュアは主人公や世界観をその都度一新させています。作品同士の繋がりはありません(劇場版オールスターズを除く)。どの作品も少女達が諦めることなくひた向きに頑張る物語として描かれています。それは当初勧善懲悪の形で提示されていましたが、シリーズを重ねていく中で敵の救済へと変っています。私はこの変化がある種必然性を持ったものだったと思っています。物語に真摯に向き合えばこそ、女の子達が何と、何故戦うのか、何を力とするのか、心正しく優しい女の子に何が出来るのか追求していかなければならないでしょう。それを真っ直ぐに追求してきたのがプリキュアです。
その変化がどのようなものであったかは作品個別の視点では分かりにくいでしょうし、10年近く放送しているシリーズであることを考慮すれば全てを視聴している人は限られています。そこでここでは各作品を個別に捉えるのではなく、連続した一つの長編物語として見ることでシリーズの共通性、継続性、勧善懲悪から救済への変遷がどのような性質のものであったかを説明します。作品個別の評価や感想とは若干異なります。それについては各シリーズの感想を参照下さい。
もっともらしいような書き方をしていますが、意図してこのように製作されているとは私も思っていません。ただの私の持論です。本シリーズが様々なアプローチを行いながら人間賛歌の物語を紡いできたこと、常に変わり続けてきた物語であることを示すのがこの章の目的です。ざっくばらんに言うとこんな視点で見ても面白いよ、というお話し。
本題に入る前に大まかな流れを書くと、次のようになります。
1.勧善懲悪。敵は抽象的な存在【ふたりはプリキュア、MaxHeart、Splash☆Star】
2.敵に人間性や感情、動機が現れ始める【プリキュア5、GoGo!】
3.改善懲悪から救済の物語へ【フレッシュ、ハートキャッチ、スイート、スマイル】
シリーズ全体を通してみると、大きく流れが変っていることが分かります。また、その変化が単発的なものではなく長期的な試みとして為されていることも分かります。前作で出来なかったこと、やらなかったことを補足・補強しながら新たなプリキュア像を構築しています。なお、1作目~5作目(初代~GoGo!)の東映アニメプロデューサーは鷲尾氏、6作目~9作目(フレッシュ~スマイル)は梅澤氏が担当しています。概ねプロデューサーの交代によって方向性が変わっていると思っても差し支えありません。鷲尾氏のプリキュアは勧善懲悪、梅澤氏が救済のプリキュアと言えます。方向性は異なれど両氏のもとでプリキュアは一つの長い物語として紡がれています。
以下、シリーズの放送順序に従いながら詳述していきます。
○個別解説および変遷
①勧善懲悪のプリキュア【ふたりはプリキュア、MaxHeart、Splash☆Star】
この三作は基本的に同じ路線です。敵は「闇」「絶望」「滅び」などの抽象的かつ非人間的な存在として登場します。正味な話し、主人公達に人殺しをさせるわけにはいかないので、抽象的な敵と戦わせることによって罪悪感を回避させていると思われます。この結果、絶望に対する希望、滅びに対する生命などのように抽象性が高く思想戦の趣きが強いのが特徴です。
普通に考えて、女子中学生がそんな訳の分からないモノと戦う理由はありません。そのため彼女達の動機は「日常を守る」「絶望や諦めと戦う」ことが主軸となります。日常を壊そうとする(日常に意味など無いと主張する)敵と戦うことによって、女の子達のひたむきな姿がより鮮明に描き出されています。
後番組のプリキュア5、GoGo!もそうですが、日常VS非日常の構図はシリーズ初期の基調です。女の子達はあくまで日常を破壊しにやってくる敵を倒すためにプリキュアに変身しているだけで、戦いそのものは彼女達にとって必要とされていません。プリキュアの戦いは日常の外に置かれています。
この三作は敵に負けない(諦めない)ことが目的です。したがって敵の救済は論理的に不可能です。これは相手が非人間であることも関係しています。ただし例外的に一部の敵とは和解しています。特に初代プリキュアでは和解するも相手と共生することが出来ないエピソードが綴られており「敵の救済」という問いはシリーズ当初からその萌芽があったと言えます。しかし物語全体を俯瞰すれば勧善懲悪であり、敵を倒すことでプリキュアの正当性、努力が立証される形になっています。
②勧善懲悪と救済の狭間で葛藤するプリキュア【プリキュア5、GoGo!】
基本路線は上述した三作を踏襲しています。敵がそれまでよりも人間的に描かれているのが特徴で、勧善懲悪、善と悪の二元論にほころびが生じます。前三作の敵は人間にとって悪だから、負けてはいけないから戦うで済みます。しかし同情や共感ができる敵を相手にしたことでプリキュア側にも葛藤が起きています。
5・GoGo!はシリーズの節目であったと思います。主人公であるのぞみはとても優しい女の子でした。彼女に惹かれた友達が彼女を支え、あるいは支えられることで一つのチーム(親友)となって各々の夢を目指していった物語です。しかし、優しさが友情を生み出す一方で敵は倒さなければならない。勧善懲悪の限界と矛盾に行き当たった物語でもありました。もちろん、この二作は勧善懲悪を骨子として作られているため救済しなかったことで何かが損なわれているわけではありません。また、本作はシリーズのエポックメイキングでもあります。「ふたり」から始まったプリキュアが5人になったことで、プリキュアがテーマとする友達の価値や関係の多様性をより広く提示することが可能になっています。実際的な話しを付け加えればマンネリ化が顕著になってきたプリキュアを新生させ、女児向け定番アニメとして定着させるフォーマットを作り上げたことは特筆すべき点です(詳細については別コラム「プリキュアの変遷と継続性」を参照下さい)。
プリキュアの魅力は諦めずに頑張り抜く女の子達の姿です。ややもすると日常の中に埋没しがちな小さな優しさや絆が如何に人間を支え強くするものであるかを丁寧に描いています。5・GoGo!も5人の友情を力強く暖かく描いています。未就学児童向けアニメであることを考えれば勧善懲悪に徹して良いのです。しかしプリキュアは敢えてそうすることを放棄しました。
勧善懲悪の枠内で敵を救ったり友達になることが可能だとしても、ではその後どのように処遇していくか。敵と味方の区別はどこで付けられるか。以降のプリキュアはこの問題に取り組んでいきます。プリキュアは何と戦うのか、何故中学生の女の子が戦わなければならないのか、プリキュアとは何か? それを問うようにして新たなプリキュアが生まれています。
③罪と救済のプリキュア【フレッシュプリキュア!】
前述のとおり本作からプロデューサーが鷲尾氏から梅澤氏に交代しています。インタビューで梅澤氏は次のように答えています。(このインタビューはスマイル放送時のもの。平成24年アニメージュ4月号)
「プリキュアの対象年齢は未就学児なので、物語で描きたいことはすべて幼稚園の中で起こっていることなんです。未就学児にとっての悪とは、毎日の生活の中で一番怖いもの、つまり園長先生やお父さんやお母さん、あるいは意地悪な友達だったります。だけど、ちゃんと話してみたら思いが通じたり、よくよく考えてみると自分が悪かったりするんですよね。私はプリキュアでそういった単純で大切なことを描いているつもりなんです」
「私の考えるプリキュアでは絶対悪は存在しません。敵側にもちゃんと主張があって、それを言われたときに自分の中にも思い当たる節もある、というのが私の中のコンセプトなんです」
本作から明確に変った点は敵が人間になったことです。その最たる例として、当初敵幹部として登場していたイース(せつな)がプリキュアに転向します。また、ラスボスの正体はせつなの故郷ラビリンスの国家統制用コンピュータです。そのコンピュータに人々が支配されていたという筋書き(いわゆるディストピア)。この物語に悪は存在しません。ラスボスを悪だと断罪するならそれを作ったラビリンス人の責任は免れません。人間の罪と救済。本作からプリキュアは大きく転換します。
本作最大の目的はせつなの救済にあります。彼女が愛情の無い環境で育ち苦しむ姿を通して見えてくるのは、プリキュアが行うべきは悪を倒すことではなく、苦悩を抱え絶望している人間を助けることではないか?ということです。ここが勧善懲悪から救済への転換の核心です。人間に向き合う。いわば人間の矛盾、罪、苦悩が敵となっています。これをどのようにして乗り越えていくか。敵味方を越えて人が幸せになれる希望の模索が始まります。
せつなの救済を行うために本作は物語をとおして舞台を用意しました。主人公ラブはその名の通り愛情深い人物で、その親もせつなを娘として受け入れています。彼女達が住む四ツ葉町は多様性と暖かさを感じる街として描かれています。要するにせつなが安心して暮らせる環境を整え、彼女に幸せの意味を知って貰うことで彼女が自ら愛を与えられるように自立させています。心の再生、救済をとおして幸せを生み出していく。それがこの物語が出した答えです。
戦う相手が人間である以上、もはや戦って勝つことは大きな意味を持ちません(逆に倒すことは人間の否定になる)。プリキュアの正当性を証明する方法が悪を倒すことから、人間の歪みを正すことへシフトしています。
このようにフレッシュから大幅な路線変更が試みられましたが、プリキュアの基本精神である「困難にぶつかっても諦めることなくひたむきに頑張る少女」というコンセプトと魅力は些かも損なうことはありませんでした。むしろその美点こそが救済に必要なこととして昇華されていきます。
④自分の心と戦うプリキュア【ハートキャッチプリキュア!】
本作では日常的な題材を取り上げ、人間関係のもつれやコンプレックスなど広範囲の事案を対象にしています。これまでの敵怪人は無機物や人間以外の生物が主でしたが、本作では葛藤に苦しむ一般人(時にはプリキュア自身)が怪人化するなど、「心」を中心に物語を展開しています。
前作に続き本作の主人公つぼみも救済者としての位置づけにあります。彼女はどんな人の心も肯定し信頼を与える存在として物語を支えています。
劣等感や悩み、罪、自分を認める勇気……自分の心と向き合い克服していく様が描かれていますが、その締めくくりに問われたのは憎悪の感情でした。ラスボスのデューンが何故憎悪を抱くようになったかは描かれていません。しかしプリキュアと砂漠の使徒との泥沼の争いは結局憎悪の連鎖、暴力に対して暴力を返すことが起因しています。プリキュアもまた結果として共犯者になっていました。この負の連鎖を乗り越えさせるために終盤でゆりの父親を死なせています。プリキュアに憎悪を抱かせた上でそれでもなお愛によって戦うべきだと覚悟を問わせています。宿敵を赦すことによって戦いは終結します。ただしデューンを赦すことは出来ても彼と共生するには至っていません。本作の主要なテーマは心の克服と、その心を(つぼみが)認めることによって多様な人間の姿、心を肯定することにあります。人と人を繋ぐ絆や共生のテーマは次の物語が引き受けています。なお、本作でもっともインパクトがあるシーンであろう「食らえ、この愛」はプリキュアが愛で戦うことをストレートに表しています。
話しが脇に逸れますが、プリキュアは作中で「伝説の戦士」と形容されています。ですが実際に先代プリキュアが登場しているのはシリーズ中でも本作のみです。その先代たちは敵を一時的に退けることはできても戦いを終わらせることはできませんでした。これまでのプリキュアの比喩とも言えるでしょう。本作はプリキュア自身が自ら変えていけることを暗喩しています。つぼみの「チェンジ」はまさにそれを示しています。
①の項で述べたように、初期のプリキュアは戦うことそれ自体は忌避されていました。「日常」に戦闘行為は必要とされません。日常を守るために敵と戦う。この構図もまた変化しています。それは人は日常の中で様々な葛藤や苦悩と戦っているという認識に基づく変化です。戦いは日常の中へと組み込まれていきます。日常に起こる困難と戦い、曇った顔を笑顔に変えていく。幸せの創造。日常の中で戦い続ける人の姿がプリキュアなのだと再構築・再解釈されています。
⑤ケンカしながら友達を作るプリキュア【スイートプリキュア♪】
救済の道を歩んだプリキュアシリーズのいわば集大成となるのが本作です。
本作の特徴は響が普通の人である点です。彼女は愛情が欠乏し不安を抱えていました。彼女だけでなく、プリキュア全員が他者との関係に不安を生じた状態から始まっています。本作は絆を結ぶことの難しさと、人の心や関係が不確かで移ろいやすいことを課題にしています。
ケンカや誤解を経ながら彼女達は絆を取り戻し新しい友達を作っていきます。その最後にラスボスであるノイズとも友達になります。ノイズは人の悲しみから生まれた抽象的な存在であると同時に人から忌み嫌われ愛されなかった存在です。プリキュアとノイズは孤独を体験しています。フレッシュ・ハートキャッチは救済の物語でしたが依然としてラスボスは非人間であるか相互理解が困難な相手でした。コミュニケーションを主題とする本作は最後の難関として、孤独な心を相手にしています。不安や恐れ憎しみが孤独を作りだし、孤独が憎悪や悲劇を作り出す悪循環。プリキュアも他人事ではありません。その孤独な心を如何にして癒すことができるか。スイートは、人は誰もが傷つきながらも心を繋げ共存しうることを提示しています。シリーズの原点である「友達」が受容・共生・信頼を兼ね備えた関係を示すものとして、人を救うものとして、大きな意味と価値を持つに至ります。
プリキュアの救済に必要なモノは愛情と承認です。フレッシュは相手を受け入れ愛情を注ぐことで、ハートキャッチでは赦す(承認する)ことで救済の道筋を示してきました。そのためには強者(救済者)が必要とされました。強靱な精神、博愛精神を持つ主人公です。ラブとつぼみはいずれも博愛的で精神的に強い女の子でした。しかしこれは限られた強者を救済の根拠にする危うさがあります。スイートが試みたのは普通の人達でも救済が可能であることの証明です。ここで言う「普通の人」とは「強者」の対比として使っています。傷つきながらも優しく強く成長していける人。苦しみ、悲しみ、人が人と争いあってしまう現実に圧倒されてしまうことは決して珍しいことではありません。しかし誰もがその困難を乗り越えていける(可能性がある)ことを描き出すことによって人が持っている普遍的な価値と力を際立たせています。
ノイズとの共生は同時に悲しみとの共生でもありました。日常には幸せだけでなく悲しみもまた存在している。それは決して無くなることはない。そこから目を逸らすことなく現実に向き合っています。日常の戦い、このテーマもまた継承されています。スイートはその名が示すように、これまでプリキュアが積み上げてきた様々な課題や成果を継承しつつ昇華させています。
⑥依存と自立のプリキュア【スマイルプリキュア!】
本作のキャラクター造形は王道的でその関係性も模範的なものとして描かれています(フレッシュ~スイートはある意味屈折したキャラクターや関係性をベースにしています)。また、人を助けることよりも助けられることに重きが置かれているのが特徴で、みゆき達は自分が貰った優しさをみんなに分けていきたいと考えるようになります。愛情の恩返しによって絵本で虐げられる狼たちを救済するに至ります。このように本作は健全な関係や心性が正の循環を作り出せることをその核としています。例えるならフレッシュ~スイートは溝を埋める(救済のシチュエーションが生じる)話しでしたが、本作は優しさをお裾分けしていくお互い様な関係として友達が描かれています。
友達はシリーズの根底に流れるテーマです。どのような性質を持ち、どのように人の心に作用するか、成長の助けとなるか、逆にその摩擦によって苦しみが生まれることが描かれてきました。友達がいるからこそ強くなれる。救われる。友達は大切な存在なのだと。しかしそれは友達の重要性が増せば増すほど依存が強くなっていくということでもあります。これはプリキュアが内包する根源的な課題です。友達と協力して困難に立ち向かっていくことと一人で自立して責任を負っていくことの両立を図れるか。友達を大切にするあまり新しい友達を作ることに消極的になるのではないか。その依存の克服は可能か? スマイルが最後に課題としたのはそれでした。友達と別れなければならないという絶望を経てみゆき達は自立し大きく成長します。本作は友達との結びつきが強い一方で、一人一人が自分で考え答えを出す自立性が高いプリキュアとして描かれています。
ラスボスのピエーロは人の負の感情が生み出した絶望の権化であり、ノイズのような擬人化はされていません。プリキュアが依存の克服(友達との別れ)をするとともに倒されています。しかしその最期はプリキュアが笑顔で包み込む描き方になっています。
広義にはこの最終決戦も救済の枠内と捉えられます。元々勧善懲悪と救済とを分けて考えたのは、プリキュアが二元論によって善と悪、幸せと不幸というように比較させて一方の正当性や価値を証明する手法をとっていたからです。プリキュアは救済とともに一元論の手法を取り入れました。善と悪が一つのものから派生する。つまり人です。人が善と悪、幸せと不幸という価値観を作る。人の心が生み出す感情の一方を否定し、一方を肯定することは結果して人の否定、人の歪みをさらに強めるだけです。希望と絶望、愛と憎しみ、共生と疎外、それらを分けて考えるのではなく包括(一元化)して再考する。人の有り様を認め、その上で人の幸せがなんであるか、どのようにしてその道を歩めるかを追求しています。スマイルにおけるラスボスも絶望という人の心理の一面であり、その克服をとおして成長が描かれている点で包括されています。
ここまで見てきたようにプリキュアはシリーズを重ねながら長所を伸ばし、不完全な部分を補完しながら「プリキュア」という一つの物語、一つの像を作り上げています。プリキュアとは人の戦う姿であり、有り様であり、成長であり、可能性を示すものとして提示されています。
○結び
プリキュアが一貫して紡いできたことは何だったか、それは人の肯定であったと思います。日常の肯定、そこで生きる人々の肯定、悲しみ苦しみの中にあっても人は幸せを自らの手で掴み取れることを描いた物語だったと思います。敵の救済を通じて人の心の救済を提示しています。
初代からスマイルまでプリキュアが一つの長い物語を紡いできたことをここまで説明してきました。個々の作品を論じるだけでは見えないことがあります。「勧善懲悪と救済」の視点から捉えることでシリーズの共通性や連続性が見えたと思います。説明の過不足があったかと思いますが、簡単に言えばプリキュアは毎年創意工夫と継承・発展を続けてきた物語である、ということです。
例えば戦隊や仮面ライダー、ガンダムのような長期シリーズは作品個別にロジックとテーマを持っています。同じタイトルは付いていてもパラレルな関係にあって独立しています。それに対してプリキュアは独立しつつも論理を内在化させて発展拡張しています。「プリキュアとは何か」。自らそう問いかけるようにして研鑽し続けている。そこが興味深く、他作品には無い希有な魅力です。
念のために断っておきますが、過去のプリキュアが陳腐で最新のプリキュアが優れているとか、作品の優劣をつけるためにこのコラムを書いたわけではありません。論旨の都合上、救済に転じたフレッシュ以降の作品にクローズアップしましたが、初代からGoGo!までの作品はシリーズの基礎を作った作品であり、その意志は最新作であるスマイルにも受け継がれています。それぞれの作品が全力で課題に向き合い、そしてバトンを渡してきました。出来なかったこと、もっと追求すべきことを次の作品で叶えていく。この脈々と受け継がれてきたプリキュアの意志を私はとても高く評価しています。10年近く飽きることなく視聴し続けられたのもそれがあったからだと思います。私にとってのプリキュアとは、全てが繋がった物語なのです。このコラムを通じて伝えたいのはプリキュアのそうした魅力です。
もちろん、こんな小難しい(小賢しい)理屈を並べなくても、プリキュアは子ども向けとして、子ども目線の物語を書き続けてきただけであり、例えば初代~GoGo!は友達との友情を大切にしてどんな困難にも立ち向かっていく物語でした。フレッシュ~スマイルは梅澤氏のコメントのとおり子ども達が幼稚園で体験する出来事(新しい友達を作る、仲直りする)をベースにした物語でした。子ども目線で作られた子どものための作品だからこそ私はプリキュアが好きですし、それを前提に大人としての見方、感じ方を書いています。
冒頭でも述べたように、勧善懲悪・救済云々は私の持論です。ですが、この視点、文脈をとおして楽しませてもらっています。プリキュアの物語は常に人間を肯定し、人が生きる姿を力強く尊く描き続けています。「勧善懲悪と救済」の視点はそれを可視化するための一つのアプローチです。その根底にある人間賛歌こそがプリキュアの本質だと思います。苦しく悲しい出来事にさらされてもなお強く生きんとする彼女達の姿に心打たれ、勇気付けられます。
ドキドキ!プリキュアでシリーズは10年目を迎えます。プロデューサーも梅澤氏から柴田氏へバトンタッチします。おそらく物語の方向性も変わるでしょう。救済するとは限らなくなる。それを私は不安に感じません。また新しい物語が始まる。今までプリキュアから数え切れないほど多くの物を受け取ってきました。今後も遠慮無く受け取るつもりです。
プリキュアを立ち上げた鷲尾氏、プリキュアブランドを不動のものにした梅澤氏、両氏のもとでプリキュアはすくすくと育ちました。スタッフの皆様方にお礼申し上げます。娘さんは私が貰います!(これが言いたかっただけ)
ということで、こんな視点で見てもプリキュアは面白いよ、というお話しはここまで。プリキュアを楽しむ一助になれば幸いです。
最終回「光輝く未来へ!届け!最高のスマイル!!」
○女の子はたくさんの笑顔に出会い続けます
①依存と自立
OPよろしく地球に巨大な手が伸ばされます。あまりのスケールの大きさに困惑する4人。ハッピーはできることは全部やろうとみんなを鼓舞します。最終決戦仕様(ウルトラフォーム?)でレインボーバースト。
地上から伸びる一筋の光。しかし圧倒的な絶望の前にいとも簡単に断ち切られてしまいます。そのまま巨大な手が地球に衝突。大隕石が落ちたような感じで地球に大穴が穿たれます。ハートキャッチの最終回でもデューンが地球殴ってましたけど、ラスボスは地球を壊すの好きだな。
傷ついたプリキュアは変身が解けます。スマイルパクトも石化して再び変身することはできません。後になるか先になるかの話しなので先に言うとこの展開はオールスターズDX3の最終決戦そのままです。
空を見上げたまま固まるポップ。みゆきも同じように見上げて絶句します。なんていうか、地球最後の日。地球がバッドな感じなることはこれまでのシリーズでもたびたびありましたが、ここまで壊れているのは他にS☆Sくらいなもんでしょうか。あっちは壊れているというより、極一部を残して消滅しましたけど。
言葉どおり世界も明日も無くなる。ピエーロはお前達の希望は口先だけだ、本当の深い悲しみを知らないお前達が世界の絶望に敵うはずがないと冷酷に告げます。
絶望とか深い悲しみとか自分にはわからないと言うみゆき。そうだね。彼女は実際の体験として辛い思いをしていない。身を引き裂かれるような辛さや悲しさ、自分の無力感を味わっていない。怠け玉とか前回の話しも苦痛というよりは逃避に近い。
このまま終わりたくない。やりたいこと、守りたい人、叶えたい夢、進みたい未来がある。みんなとずっと一緒に居たい!
「みんなとずっと一緒にいたい! 大好きな人達がいるこの世界で…もっと!もっと!生きたい!!」
過去の、シリーズ最初の頃のプリキュアはこの生きたいという願い、生命の力によって敵を退けてきました。未来に対する希望、夢。それこそが絶望を克服するものだと。しかしそれはどこか現実と乖離したところがありました。彼女達が戦っていた絶望は抽象的で、地球が壊れるというような非現実的なスケール。では、彼女達にとって身近な、それこそ身を引き裂かれるような体験と引き替えにそれでも彼女達は明日を目指せるのか。プリキュアは問います。
キャンディのミラクルジュエルが輝きます。みゆき達の想いによって復活。希望はある。しかしそこに絶望もある。この力を使えばメルヘンランドとお別れとなります。なるほど、このために前回友達との絆を重視した展開をやったわけね。じゃあ、今度はその友達と別れてもらいましょう。
「二度と会えなくなる…?」
ピエーロを放置すれば世界は終わる。それではみんなと一緒にいることもできないし夢も希望もなくなってしまいます。しかし、最後の変身をすればその友達といられなくなる。どちらを選んでも同じ。ちょっと形は違いますが、れいか最後の個人回と同じです。あなたは何を考え、何を目指して進むのか。その覚悟が問われています。ただ前に進めば良いということではない。
「それだけは…それだけは絶対に嫌!」
「どんなに辛くても、どんなに苦しくてもいい。でもキャンディが…友達が居なくなるのだけは絶対に嫌だ!」
「キャンディと出会えたから…キャンディと友達になれたからあかねちゃんとやよいちゃんとなおちゃんとれいかちゃんと、みんなと友達になれたんだよ。みんなで一緒に頑張ってこれたのも楽しかったのも嬉しかったのも全部キャンディと一緒だったから!」
世界が終わるのなら終わる最後の瞬間まで友達と居たい、と願うこともまた人の感情だと思います。私に言わせればこれは自己愛です。友情と言いつくろうこともできますが、要は他者依存とその温もりに対するしがみつき、自分を守りたい、自分の気持ちを満たしたいという自己愛です。しかし私はそれを否定しません。それこそが人間が持つ根源的な願望、願いだからです。その願いをお互いに叶え結びついてきたのが彼女達の関係であり日常でした。この関係を切ることは彼女達の世界を壊すことと同義です。これは一般論に置き換えることもできます。子どもにとって親や家族が世界の全てであるように、その関係性が壊れることは子どもにとって耐え難い苦痛です。心がまだ成熟していない子どもがそうした体験をすると精神的に不安定になったり、現実に耐えるために偏った防衛策をとることがあります。大人になっても対人関係に問題を抱える人は幼少期の不安定な環境が影響していることが多くあるそうです。
みゆきに続いて4人も泣き崩れます。どさくさにまぎれてなおにしがみつくれいかさんマジしたたか。最終回であっても、いや最終回だからこそチャンスを見逃さない。プリキュアスタッフの熱い想いが伝わってきます。
空気を読んでいたピエーロが「それが絶望だ」と口を開きます。当事者だけが知りうる深い悲しみ。
「私何が大切なのかもうわかんないよ」
思考停止。それが怠け玉の世界であり、この状態こそがもっとも人を腐らせ抵抗する力を奪い、最終的に絶望や孤独へと落ち込ませる態度なのだと思います。
それを聞いたキャンディはみゆきから離れます。
「大切なことはちゃんと自分で考えて自分で決めるクル」
これをこの場で言える彼女は凄い。彼女は単なる被保護者ではない。彼女の言葉や行動は人間の率直な感情を代弁しているし、いざというときは自立した意見を言っています。プリキュアがキャンディを助けることは多いが、それと同じくらいキャンディもプリキュアを助けている。彼女にはハミィと同じように一貫した行動原理、強さがある。妖精は良き友であり良き師ともなるパートナー。
「キャンディはみんなと一緒でたくさんたくさん楽しかったクル。みんな優しくて、キャンディを大切にしてくれて、とっても嬉しかったクル。みんなと一緒でとってもハッピーだったクル」
「キャンディはこれからもウルトラハッピーを感じたいクル」
「キャンディはみゆきと同じクル。いっぱいいっぱい友達を作って、みんなに、ウルトラハッピーを分けてあげたいクル!」
何故この物語が依存とともに自立を描いてきたのか、その理由と真価が明かされます。
「わたしの…わたしたちの一番大切なモノ。わかってる。わかってるよぉ」
「せや、どんなに辛くても」
「みんなで未来に向かって歩いて行きたい」
「たとえ離ればなれになっても」
「心が繋がっていればいつも一緒です」
「私達の進む未来はきっとキラキラ輝いているよね?」
「みゆき!」
「キャンディ!ごめんね!ごめんね!」
「私達はどこにいてもずっとずっと友達だよ!」
みんなキャンディに寄り添います。れいかさんの腰が艶めかしい。流石最終回。
ひたすらに泣き続ける5人とキャンディ。別れを惜しめるのも、泣けるのもそれはたぶん、とても幸福なことなのだと思う。それだけの体験と想いがあったのだから。私は他人に対しての愛着感情がかなり希薄です。おそらく両親が亡くなったとしてもそれほど落ち込みはしないだろうと思います。一種の自己防衛策というか、刺激を受けやすい人はそれから身を守るために最初から感情と距離をとる傾向があります。だから私はその薄まった感情を理屈や想像力を働かせて解釈するというとても面倒なことをしばしばやります。みゆき達のように素直に感情に従える人からすれば恐ろしく遠回りで馬鹿らしい方法ですが、しかしこの方法を用いても彼女達が見る未来を私もまた見ることができるだろうと思っています。どのような道を選び取ろうと、己に正しく向き合い研鑽を惜しまなければ人が辿りつく境地はそれほど大差がないはずです。
泣き止むとみゆきの瞳には燃えるような強い意思が宿ります。
「今、私達ができることを全部やろう。私達は絶対に未来を諦めない」
「絶望を乗り越えたというのか」
「わからない。ただ私達はみんなで一緒に未来へ向かって真っ直ぐに歩いて行きたい」
「それが私達…スマイルプリキュアだから!」
友達との絆が深まればこそ、その友達に対してのしがみつきも強くなる。それは当然の感情です。しかしいつまでも一緒にいられるとは限らないし、その友達だけに愛情を返すならたぶんそれは強欲であり傲慢なのだと思う。自分さえ良ければいい、自分をいつまでも見ていて欲しい。あなたはいつまでも自分のものだという要求です。そのままでは他者にしがみつくあまり自分の足で立つ力を失いかねない。友達との絆や繋がり、大切なことを自分の中で育んで自分の足で立って歩いて行く。自分で他者に働きかけ友達になっていく。そうすることで自分も友達を作り、相手も友達を作っていける。そうした優しさの連鎖、自立と依存の連鎖を作り出していこう。それが笑顔を作っていける道だから。
②最高のスマイル
再びプリキュアへと変身した5人とロイヤルキャンディはピエーロめがけて宇宙を突っ切ります。
最終回、最後の必殺技。
「プリキュア!ミラクルレインボーバースト!」
キャンディの力も加わってフェニックスからビームが放たれます。ペガサスさんは完全にリストラ。
これどう見てもDX3だろ。そんなツッコミを盛大に受けながらプリキュア恒例の青年の主張開催。最近のテレビ本編ではむしろ控えめだったので懐かしい。
「キャンディ達は絶対に負けないクル!」
「これから先の未来にどんな困難があっても!」
「私達は絶対に前に向かって進んでいく!」
「これからも大変なことがたくさんあると思う。でも!」
「それを全力で乗り越えてはじめてほんまもんの笑顔になれるんや!」
「私達はどんな時も本当の笑顔を忘れない! 絶対に…頑張っていくんだもん!」
ピエーロの力に地球もろとも飲み込まれそうになります。歯を食いしばってハッピーは叫びます。こうした必死さはスマイルで印象に残る描写です。傍目からは物凄くカッコ悪く、滑稽に見える。ボロボロ泣いているし鼻水たれまくり。だけどそれをやれる覚悟がない奴に本当の幸せや友達は作れない。そう思わせる力があります。
「かがやけーーー!」
「スマイルプリキュア!」
フェニックスから特大のハッピーが生まれます。この期におよんでこうくるのか。絶望の権化。人の負の感情から生まれた怨念。それを抱きしめます。
「絶望を越えるというのか。それは…」
笑顔でピエーロに答えるハッピー。
プリキュアの本。そこにはみんなが仲良く暮らせる物語が描かれています。勿論ウルルン達もその輪の中に。
喜びも束の間。お別れの時。
別れを悲しむキャンディにみゆきはありがとうとお礼を言います。バイバイするときは笑顔で、とみゆきはキャンディに示して見せます。最初にポップとお別れしたシーンを踏襲しています。みんなに見守られながらキャンディとポップはメルヘンランドへと帰ります。
笑顔で見送った後、残ったみゆき達は大いに泣きます。
大切な友達と別れても日常は続きます。これもまた日常の残酷性であり人生の一回性でもある。時は決して止まることはない。人は時間という括りの中で生きていく。人はその中でただ流されるだけなのか? 否。その中で人は大切なモノを見つけ、自ら選択し時間とともに歩んでいける。
大切なものを胸に抱きながら5人はそれぞれの物語を進んでいきます。幸せや笑顔は常に身近に。
みゆきは絵本を書き始めます。題名は「最高のスマイル」。その物語は同時にみゆきの物語となるでしょう。
ED。この1年の想い出が綴られます。無論、この流れはアレしかありません。
みんなとの待ち合せに遅れたみゆきは全力疾走。ドタバタ遅刻に曲がり道。誰もいません。しかしプリキュアの出会いは空から降ってくるもの。グッジョブ!スタッフ! 最後の最後にナイスアングル。みゆきの白ニーソ絶対領域大好きな私への最高のご褒美(この感想最後まで本当に酷いな)。
みゆきを探そうとしたのか4人も合流。キャンディの姿を見て驚きます。
お星さまにお願いしたらこっちにこれるようになったとキャンディは話します。ですよね~。
番組主題歌が流れます。うお、これは全く予想してなかった。物語の終わりと始まり。
「みんな笑顔でウルトラハッピー!」
○トピック
9年目、7代目プリキュアの完結。
いやー最後の最後まで展開が読めなかった。ラスボスの救済がほぼ慣例化していたし論理的にもそれが正しいだろうと踏んでいたんですが、スマイルが取ったのはこの1年の集大成でした。友達との出会い、絆、そこで成長してきた彼女達の決断と自立。徹頭徹尾この物語は人を笑顔にするものが何であるのかを描き切っています。
上述したように、最終回の展開はオールスターズDX3と同じです。この展開はむしろスマイルにこそ相応しかったと思えるくらいこの1年の総括に合致した舞台でした。みゆき達は映画の響達と同じ選択をしています。それは決してご都合やお約束などではなく、絶望に屈することなく未来へ進む少女達の姿がプリキュアの核でありその意志が決して変わることなく紡がれていることの証しです。
終わって蓋を開けてみれば、なるほどスマイルは救済と勧善懲悪によって物語を纏め上げたのだとわかります。
大事なことなので何回でも言いますが、スマイルの特徴はプリキュアが助けられていることです。もとを辿れば1話で自己紹介に困ったみゆきが助けられたことからずっと続いています。ミスや時には嘘も許しお互いに欠点を埋めながら、それぞれの長所に気づきながら(16話のれいかがわかりやすい)、お互いを認め支え合ってきたのが本作の特徴です。それは最終個人回でも同じです。彼女達は誰かの支え、誰かとの繋がりが今の自分を形作っているのだと気づきます。
つまり、スマイルはどんなに成長しても人に助けられることがあるし、人に助けて貰っていいのだ、それが人の繋がりであり、その絆や優しさが人を強く優しくしていけるのだと主張しているのです。友達と協力して困難に打ち勝つことは確かに強いことで、友情の見せ場ともなりますが成長すれば人は間違わなくなるのか、人の助けを必要としなくなるのかと言えば全くそんなことはありません。失敗したり、自分一人ではどうにもならないことに直面したり、落ち込んだりします。でも誰もが人の助けや励ましによって再びやる気を取り戻して立ち向かえるようになった経験があるはずです。人の温もりや優しさのおかげで不安を払えたはずです。それは大人になっても変わらない。
「いつも誰かの優しさがあったから臆病な私も自分の一歩を踏み出すことができた。きっとみんなもそう。誰かの優しさがあったから一人じゃ無理だって思えることにも立ち向かえた! 友達だけじゃないお父さんやお母さん、家族、クラスのみんなや先生、それに大好きなキャンディ! みんなの優しさがどんな時でも私を励ましてくれる。前に進む勇気をくれる! 私の心を温かくしてくれる! 私をウルトラハッピーにしてくれる!」
みゆきのこの言葉はそれを示しています。そして次の言葉に繋がっていきます。
「だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
それまで争いあってきた親しくもない三幹部相手に彼女達が手を差し伸ばせたのは、同情や共感をとおして生まれた優しさがあったからです。前回キャンディがプリキュアを一方的に助けたのも、同じように自分一人ではどうにもならないことがあって、そんなときに人から伸ばされた手が救いの手となることを示しています。人の優しさとは、贈り物だと言えるかもしれません。その贈り物は人を笑顔にし、人の心を豊かにする。時には人生を変えてしまうほどのものもあるでしょう。スマイルは、人に助けられることで他者の大切さを学びそれを通じて自己肯定を図れることを提示しています。本作における救済とは優しさの連鎖です。
この論理はピエーロにも適用されるだろうと思っていましたが、それとは全く異なるアプローチを行っています。絶望との正面対決。ピエーロの存在はいわば舞台装置です。彼はノイズのような擬人化された存在ではなく概念的なものとして、みゆき達が今ここで立ち向かっているものが絶望であることの象徴として存在しています。本作が最後の課題にしたのはみゆき達の成長(自立)です。
ロイヤルクイーンとの別れは親離れが含意されていますが、これはそれほど心情的な辛さを伴っていません。物語の中でもクイーン(親)との繋がりは描写されていないからです。みゆき達にとって一番別れ難い相手は誰か。当然それは友達です。れいかが留学を断ったように、彼女達にとって友達とは一緒に居て安心できる相手であり互いに認め合い成長し合える存在です。その相手と別れることは、彼女達にとって世界が滅びることと等価なのです。
こうして彼女達は最終回で絶望を体験することになります。頑張っても何をしても別れる。誰も助けてくれない。助けようがない状況が生まれます。これは救済の論理とは別の事柄です。まさに絶望との正面対決。彼女達はそこでただ泣き崩れるだけなのか。友達との絆は単に傷の舐め合いをするだけの、ただの楽しい想い出だったのか。それを問うたんですね。現実的にも親しい人や恩師との別れはあるでしょう。そうしたときにただそれで終わりなのか? 違いますよね。自分も恩師がしてくれたように教えや想いを伝えていきたいと思う人はたくさんいるでしょう。親から貰った愛情を子に伝えていきたい。先輩によくしてもらったことを後輩に返していきたい。大切な人が目の前に居なくても自分の心の中に留めてその声や姿を理想としたり良心の声としたりすることがあるでしょう(これを理想化自己対象と言います)。友達と離れても彼女達が各々自立して本当の意味で笑顔を作っていける。その意思をスマイルは最終回で描いたわけです。人が他者に依存することを認めつつもその関係を経て人が自立していけること、より強い確かな絆や自己を育てられることを証明しています。この1年の経験を彼女達は自らの意思で自分の血肉としたのです。自分で考え自分で答えを出す。この葛藤なくして成長はありえない。深い悲しみ(絶望)を糧に彼女達はさらに笑顔の価値と尊さを知ります。
「友達」はプリキュアの原点であり、根本テーマです。その友達との関係を強く親密に描けば依存的となり、また閉鎖的な人間関係になってしまう懸念があります。その友達を失ったときに彼女は一人でも歩いて行けるだろうか? 友達を失うその絶望に耐えられるだろうか? スマイルはその疑問に明確に答えました。歩いて行ける。人は友達との関係を通じて自立し、さらに多くの友達や笑顔を作っていける。友達と別れても心に優しさが残る。友達から貰った優しさを決して忘れない。その優しさを人に渡していけるのだと。
ピエーロの最期はプリキュアが受け継ぎながら育ててきた愛で戦うプリキュアの姿を現しています。今のプリキュアが勧善懲悪をやるとああいう倒し方になる。絶望を拒絶や否定することなく包括する。絶望は敵ではなく人の感情であり、人はその感情と向き合いながら成長していくもの。深い悲しみの先に笑顔がある。もし誰かの顔にその絶望が浮かんでいたら優しさを贈ろう。
スマイルプリキュアもまたプリキュアの意志を受け継ぎ昇華した物語です。その名が示すように笑顔を忘れず、笑顔を生み出し、笑顔で居続けられる強さを持った少女達の姿が描かれています。
以上でスマイルプリキュアの感想は終わりです。今回総括感想はありません。実質的に今回の感想で総括できているのと、総括感想はシリーズの変遷や変化と絡めて書く意図もあったのでそれは別コラム「プリキュアシリーズの勧善懲悪から救済まで」が兼ねます。
この1年間も全力で楽しませて頂きました。本作を手がけたスタッフのみなさんに感謝申し上げます。また、本作をもって退任される音楽担当の高梨さん、プロデューサーの梅澤さんへの感謝は尽きません。プリキュアのBGMは物語を何倍にも盛り上げ華々しく雄々しく美しくしてくれたと思います。鷲尾さんが立ち上げたプリキュアを女児向け定番アニメとして定着させ、奥深い作品に育てた梅澤さんは素晴らしい仕事をしてくれたと思います。一視聴者として一社会人として敬意を表したい。そのほか、私が知らないだけでご活躍された方々にお礼申し上げます(扱い酷ぇ)。プリキュアで演出家デビューして映画とテレビ本編監督を務めた大塚さんは今後も死なない程度に頑張って下さい。
私がプリキュアに対してできることは、全力で楽しみ、全力で感想書いて、自分の血肉としていくことだけです。あ、もちろんちゃんとDVDとかCD買ってますよ。それくらい安いものです。私の一番大好きな作品として9年間見続けられたことは本当に幸福でした。去年も言ったけど、今年も言います。素晴らしい物語をありがとうございました。
最後に育代さんの笑顔が見られてウルトラハッピー。
①依存と自立
OPよろしく地球に巨大な手が伸ばされます。あまりのスケールの大きさに困惑する4人。ハッピーはできることは全部やろうとみんなを鼓舞します。最終決戦仕様(ウルトラフォーム?)でレインボーバースト。
地上から伸びる一筋の光。しかし圧倒的な絶望の前にいとも簡単に断ち切られてしまいます。そのまま巨大な手が地球に衝突。大隕石が落ちたような感じで地球に大穴が穿たれます。ハートキャッチの最終回でもデューンが地球殴ってましたけど、ラスボスは地球を壊すの好きだな。
傷ついたプリキュアは変身が解けます。スマイルパクトも石化して再び変身することはできません。後になるか先になるかの話しなので先に言うとこの展開はオールスターズDX3の最終決戦そのままです。
空を見上げたまま固まるポップ。みゆきも同じように見上げて絶句します。なんていうか、地球最後の日。地球がバッドな感じなることはこれまでのシリーズでもたびたびありましたが、ここまで壊れているのは他にS☆Sくらいなもんでしょうか。あっちは壊れているというより、極一部を残して消滅しましたけど。
言葉どおり世界も明日も無くなる。ピエーロはお前達の希望は口先だけだ、本当の深い悲しみを知らないお前達が世界の絶望に敵うはずがないと冷酷に告げます。
絶望とか深い悲しみとか自分にはわからないと言うみゆき。そうだね。彼女は実際の体験として辛い思いをしていない。身を引き裂かれるような辛さや悲しさ、自分の無力感を味わっていない。怠け玉とか前回の話しも苦痛というよりは逃避に近い。
このまま終わりたくない。やりたいこと、守りたい人、叶えたい夢、進みたい未来がある。みんなとずっと一緒に居たい!
「みんなとずっと一緒にいたい! 大好きな人達がいるこの世界で…もっと!もっと!生きたい!!」
過去の、シリーズ最初の頃のプリキュアはこの生きたいという願い、生命の力によって敵を退けてきました。未来に対する希望、夢。それこそが絶望を克服するものだと。しかしそれはどこか現実と乖離したところがありました。彼女達が戦っていた絶望は抽象的で、地球が壊れるというような非現実的なスケール。では、彼女達にとって身近な、それこそ身を引き裂かれるような体験と引き替えにそれでも彼女達は明日を目指せるのか。プリキュアは問います。
キャンディのミラクルジュエルが輝きます。みゆき達の想いによって復活。希望はある。しかしそこに絶望もある。この力を使えばメルヘンランドとお別れとなります。なるほど、このために前回友達との絆を重視した展開をやったわけね。じゃあ、今度はその友達と別れてもらいましょう。
「二度と会えなくなる…?」
ピエーロを放置すれば世界は終わる。それではみんなと一緒にいることもできないし夢も希望もなくなってしまいます。しかし、最後の変身をすればその友達といられなくなる。どちらを選んでも同じ。ちょっと形は違いますが、れいか最後の個人回と同じです。あなたは何を考え、何を目指して進むのか。その覚悟が問われています。ただ前に進めば良いということではない。
「それだけは…それだけは絶対に嫌!」
「どんなに辛くても、どんなに苦しくてもいい。でもキャンディが…友達が居なくなるのだけは絶対に嫌だ!」
「キャンディと出会えたから…キャンディと友達になれたからあかねちゃんとやよいちゃんとなおちゃんとれいかちゃんと、みんなと友達になれたんだよ。みんなで一緒に頑張ってこれたのも楽しかったのも嬉しかったのも全部キャンディと一緒だったから!」
世界が終わるのなら終わる最後の瞬間まで友達と居たい、と願うこともまた人の感情だと思います。私に言わせればこれは自己愛です。友情と言いつくろうこともできますが、要は他者依存とその温もりに対するしがみつき、自分を守りたい、自分の気持ちを満たしたいという自己愛です。しかし私はそれを否定しません。それこそが人間が持つ根源的な願望、願いだからです。その願いをお互いに叶え結びついてきたのが彼女達の関係であり日常でした。この関係を切ることは彼女達の世界を壊すことと同義です。これは一般論に置き換えることもできます。子どもにとって親や家族が世界の全てであるように、その関係性が壊れることは子どもにとって耐え難い苦痛です。心がまだ成熟していない子どもがそうした体験をすると精神的に不安定になったり、現実に耐えるために偏った防衛策をとることがあります。大人になっても対人関係に問題を抱える人は幼少期の不安定な環境が影響していることが多くあるそうです。
みゆきに続いて4人も泣き崩れます。どさくさにまぎれてなおにしがみつくれいかさんマジしたたか。最終回であっても、いや最終回だからこそチャンスを見逃さない。プリキュアスタッフの熱い想いが伝わってきます。
空気を読んでいたピエーロが「それが絶望だ」と口を開きます。当事者だけが知りうる深い悲しみ。
「私何が大切なのかもうわかんないよ」
思考停止。それが怠け玉の世界であり、この状態こそがもっとも人を腐らせ抵抗する力を奪い、最終的に絶望や孤独へと落ち込ませる態度なのだと思います。
それを聞いたキャンディはみゆきから離れます。
「大切なことはちゃんと自分で考えて自分で決めるクル」
これをこの場で言える彼女は凄い。彼女は単なる被保護者ではない。彼女の言葉や行動は人間の率直な感情を代弁しているし、いざというときは自立した意見を言っています。プリキュアがキャンディを助けることは多いが、それと同じくらいキャンディもプリキュアを助けている。彼女にはハミィと同じように一貫した行動原理、強さがある。妖精は良き友であり良き師ともなるパートナー。
「キャンディはみんなと一緒でたくさんたくさん楽しかったクル。みんな優しくて、キャンディを大切にしてくれて、とっても嬉しかったクル。みんなと一緒でとってもハッピーだったクル」
「キャンディはこれからもウルトラハッピーを感じたいクル」
「キャンディはみゆきと同じクル。いっぱいいっぱい友達を作って、みんなに、ウルトラハッピーを分けてあげたいクル!」
何故この物語が依存とともに自立を描いてきたのか、その理由と真価が明かされます。
「わたしの…わたしたちの一番大切なモノ。わかってる。わかってるよぉ」
「せや、どんなに辛くても」
「みんなで未来に向かって歩いて行きたい」
「たとえ離ればなれになっても」
「心が繋がっていればいつも一緒です」
「私達の進む未来はきっとキラキラ輝いているよね?」
「みゆき!」
「キャンディ!ごめんね!ごめんね!」
「私達はどこにいてもずっとずっと友達だよ!」
みんなキャンディに寄り添います。れいかさんの腰が艶めかしい。流石最終回。
ひたすらに泣き続ける5人とキャンディ。別れを惜しめるのも、泣けるのもそれはたぶん、とても幸福なことなのだと思う。それだけの体験と想いがあったのだから。私は他人に対しての愛着感情がかなり希薄です。おそらく両親が亡くなったとしてもそれほど落ち込みはしないだろうと思います。一種の自己防衛策というか、刺激を受けやすい人はそれから身を守るために最初から感情と距離をとる傾向があります。だから私はその薄まった感情を理屈や想像力を働かせて解釈するというとても面倒なことをしばしばやります。みゆき達のように素直に感情に従える人からすれば恐ろしく遠回りで馬鹿らしい方法ですが、しかしこの方法を用いても彼女達が見る未来を私もまた見ることができるだろうと思っています。どのような道を選び取ろうと、己に正しく向き合い研鑽を惜しまなければ人が辿りつく境地はそれほど大差がないはずです。
泣き止むとみゆきの瞳には燃えるような強い意思が宿ります。
「今、私達ができることを全部やろう。私達は絶対に未来を諦めない」
「絶望を乗り越えたというのか」
「わからない。ただ私達はみんなで一緒に未来へ向かって真っ直ぐに歩いて行きたい」
「それが私達…スマイルプリキュアだから!」
友達との絆が深まればこそ、その友達に対してのしがみつきも強くなる。それは当然の感情です。しかしいつまでも一緒にいられるとは限らないし、その友達だけに愛情を返すならたぶんそれは強欲であり傲慢なのだと思う。自分さえ良ければいい、自分をいつまでも見ていて欲しい。あなたはいつまでも自分のものだという要求です。そのままでは他者にしがみつくあまり自分の足で立つ力を失いかねない。友達との絆や繋がり、大切なことを自分の中で育んで自分の足で立って歩いて行く。自分で他者に働きかけ友達になっていく。そうすることで自分も友達を作り、相手も友達を作っていける。そうした優しさの連鎖、自立と依存の連鎖を作り出していこう。それが笑顔を作っていける道だから。
②最高のスマイル
再びプリキュアへと変身した5人とロイヤルキャンディはピエーロめがけて宇宙を突っ切ります。
最終回、最後の必殺技。
「プリキュア!ミラクルレインボーバースト!」
キャンディの力も加わってフェニックスからビームが放たれます。ペガサスさんは完全にリストラ。
これどう見てもDX3だろ。そんなツッコミを盛大に受けながらプリキュア恒例の青年の主張開催。最近のテレビ本編ではむしろ控えめだったので懐かしい。
「キャンディ達は絶対に負けないクル!」
「これから先の未来にどんな困難があっても!」
「私達は絶対に前に向かって進んでいく!」
「これからも大変なことがたくさんあると思う。でも!」
「それを全力で乗り越えてはじめてほんまもんの笑顔になれるんや!」
「私達はどんな時も本当の笑顔を忘れない! 絶対に…頑張っていくんだもん!」
ピエーロの力に地球もろとも飲み込まれそうになります。歯を食いしばってハッピーは叫びます。こうした必死さはスマイルで印象に残る描写です。傍目からは物凄くカッコ悪く、滑稽に見える。ボロボロ泣いているし鼻水たれまくり。だけどそれをやれる覚悟がない奴に本当の幸せや友達は作れない。そう思わせる力があります。
「かがやけーーー!」
「スマイルプリキュア!」
フェニックスから特大のハッピーが生まれます。この期におよんでこうくるのか。絶望の権化。人の負の感情から生まれた怨念。それを抱きしめます。
「絶望を越えるというのか。それは…」
笑顔でピエーロに答えるハッピー。
プリキュアの本。そこにはみんなが仲良く暮らせる物語が描かれています。勿論ウルルン達もその輪の中に。
喜びも束の間。お別れの時。
別れを悲しむキャンディにみゆきはありがとうとお礼を言います。バイバイするときは笑顔で、とみゆきはキャンディに示して見せます。最初にポップとお別れしたシーンを踏襲しています。みんなに見守られながらキャンディとポップはメルヘンランドへと帰ります。
笑顔で見送った後、残ったみゆき達は大いに泣きます。
大切な友達と別れても日常は続きます。これもまた日常の残酷性であり人生の一回性でもある。時は決して止まることはない。人は時間という括りの中で生きていく。人はその中でただ流されるだけなのか? 否。その中で人は大切なモノを見つけ、自ら選択し時間とともに歩んでいける。
大切なものを胸に抱きながら5人はそれぞれの物語を進んでいきます。幸せや笑顔は常に身近に。
みゆきは絵本を書き始めます。題名は「最高のスマイル」。その物語は同時にみゆきの物語となるでしょう。
ED。この1年の想い出が綴られます。無論、この流れはアレしかありません。
みんなとの待ち合せに遅れたみゆきは全力疾走。ドタバタ遅刻に曲がり道。誰もいません。しかしプリキュアの出会いは空から降ってくるもの。グッジョブ!スタッフ! 最後の最後にナイスアングル。みゆきの白ニーソ絶対領域大好きな私への最高のご褒美(この感想最後まで本当に酷いな)。
みゆきを探そうとしたのか4人も合流。キャンディの姿を見て驚きます。
お星さまにお願いしたらこっちにこれるようになったとキャンディは話します。ですよね~。
番組主題歌が流れます。うお、これは全く予想してなかった。物語の終わりと始まり。
「みんな笑顔でウルトラハッピー!」
○トピック
9年目、7代目プリキュアの完結。
いやー最後の最後まで展開が読めなかった。ラスボスの救済がほぼ慣例化していたし論理的にもそれが正しいだろうと踏んでいたんですが、スマイルが取ったのはこの1年の集大成でした。友達との出会い、絆、そこで成長してきた彼女達の決断と自立。徹頭徹尾この物語は人を笑顔にするものが何であるのかを描き切っています。
上述したように、最終回の展開はオールスターズDX3と同じです。この展開はむしろスマイルにこそ相応しかったと思えるくらいこの1年の総括に合致した舞台でした。みゆき達は映画の響達と同じ選択をしています。それは決してご都合やお約束などではなく、絶望に屈することなく未来へ進む少女達の姿がプリキュアの核でありその意志が決して変わることなく紡がれていることの証しです。
終わって蓋を開けてみれば、なるほどスマイルは救済と勧善懲悪によって物語を纏め上げたのだとわかります。
大事なことなので何回でも言いますが、スマイルの特徴はプリキュアが助けられていることです。もとを辿れば1話で自己紹介に困ったみゆきが助けられたことからずっと続いています。ミスや時には嘘も許しお互いに欠点を埋めながら、それぞれの長所に気づきながら(16話のれいかがわかりやすい)、お互いを認め支え合ってきたのが本作の特徴です。それは最終個人回でも同じです。彼女達は誰かの支え、誰かとの繋がりが今の自分を形作っているのだと気づきます。
つまり、スマイルはどんなに成長しても人に助けられることがあるし、人に助けて貰っていいのだ、それが人の繋がりであり、その絆や優しさが人を強く優しくしていけるのだと主張しているのです。友達と協力して困難に打ち勝つことは確かに強いことで、友情の見せ場ともなりますが成長すれば人は間違わなくなるのか、人の助けを必要としなくなるのかと言えば全くそんなことはありません。失敗したり、自分一人ではどうにもならないことに直面したり、落ち込んだりします。でも誰もが人の助けや励ましによって再びやる気を取り戻して立ち向かえるようになった経験があるはずです。人の温もりや優しさのおかげで不安を払えたはずです。それは大人になっても変わらない。
「いつも誰かの優しさがあったから臆病な私も自分の一歩を踏み出すことができた。きっとみんなもそう。誰かの優しさがあったから一人じゃ無理だって思えることにも立ち向かえた! 友達だけじゃないお父さんやお母さん、家族、クラスのみんなや先生、それに大好きなキャンディ! みんなの優しさがどんな時でも私を励ましてくれる。前に進む勇気をくれる! 私の心を温かくしてくれる! 私をウルトラハッピーにしてくれる!」
みゆきのこの言葉はそれを示しています。そして次の言葉に繋がっていきます。
「だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
それまで争いあってきた親しくもない三幹部相手に彼女達が手を差し伸ばせたのは、同情や共感をとおして生まれた優しさがあったからです。前回キャンディがプリキュアを一方的に助けたのも、同じように自分一人ではどうにもならないことがあって、そんなときに人から伸ばされた手が救いの手となることを示しています。人の優しさとは、贈り物だと言えるかもしれません。その贈り物は人を笑顔にし、人の心を豊かにする。時には人生を変えてしまうほどのものもあるでしょう。スマイルは、人に助けられることで他者の大切さを学びそれを通じて自己肯定を図れることを提示しています。本作における救済とは優しさの連鎖です。
この論理はピエーロにも適用されるだろうと思っていましたが、それとは全く異なるアプローチを行っています。絶望との正面対決。ピエーロの存在はいわば舞台装置です。彼はノイズのような擬人化された存在ではなく概念的なものとして、みゆき達が今ここで立ち向かっているものが絶望であることの象徴として存在しています。本作が最後の課題にしたのはみゆき達の成長(自立)です。
ロイヤルクイーンとの別れは親離れが含意されていますが、これはそれほど心情的な辛さを伴っていません。物語の中でもクイーン(親)との繋がりは描写されていないからです。みゆき達にとって一番別れ難い相手は誰か。当然それは友達です。れいかが留学を断ったように、彼女達にとって友達とは一緒に居て安心できる相手であり互いに認め合い成長し合える存在です。その相手と別れることは、彼女達にとって世界が滅びることと等価なのです。
こうして彼女達は最終回で絶望を体験することになります。頑張っても何をしても別れる。誰も助けてくれない。助けようがない状況が生まれます。これは救済の論理とは別の事柄です。まさに絶望との正面対決。彼女達はそこでただ泣き崩れるだけなのか。友達との絆は単に傷の舐め合いをするだけの、ただの楽しい想い出だったのか。それを問うたんですね。現実的にも親しい人や恩師との別れはあるでしょう。そうしたときにただそれで終わりなのか? 違いますよね。自分も恩師がしてくれたように教えや想いを伝えていきたいと思う人はたくさんいるでしょう。親から貰った愛情を子に伝えていきたい。先輩によくしてもらったことを後輩に返していきたい。大切な人が目の前に居なくても自分の心の中に留めてその声や姿を理想としたり良心の声としたりすることがあるでしょう(これを理想化自己対象と言います)。友達と離れても彼女達が各々自立して本当の意味で笑顔を作っていける。その意思をスマイルは最終回で描いたわけです。人が他者に依存することを認めつつもその関係を経て人が自立していけること、より強い確かな絆や自己を育てられることを証明しています。この1年の経験を彼女達は自らの意思で自分の血肉としたのです。自分で考え自分で答えを出す。この葛藤なくして成長はありえない。深い悲しみ(絶望)を糧に彼女達はさらに笑顔の価値と尊さを知ります。
「友達」はプリキュアの原点であり、根本テーマです。その友達との関係を強く親密に描けば依存的となり、また閉鎖的な人間関係になってしまう懸念があります。その友達を失ったときに彼女は一人でも歩いて行けるだろうか? 友達を失うその絶望に耐えられるだろうか? スマイルはその疑問に明確に答えました。歩いて行ける。人は友達との関係を通じて自立し、さらに多くの友達や笑顔を作っていける。友達と別れても心に優しさが残る。友達から貰った優しさを決して忘れない。その優しさを人に渡していけるのだと。
ピエーロの最期はプリキュアが受け継ぎながら育ててきた愛で戦うプリキュアの姿を現しています。今のプリキュアが勧善懲悪をやるとああいう倒し方になる。絶望を拒絶や否定することなく包括する。絶望は敵ではなく人の感情であり、人はその感情と向き合いながら成長していくもの。深い悲しみの先に笑顔がある。もし誰かの顔にその絶望が浮かんでいたら優しさを贈ろう。
スマイルプリキュアもまたプリキュアの意志を受け継ぎ昇華した物語です。その名が示すように笑顔を忘れず、笑顔を生み出し、笑顔で居続けられる強さを持った少女達の姿が描かれています。
以上でスマイルプリキュアの感想は終わりです。今回総括感想はありません。実質的に今回の感想で総括できているのと、総括感想はシリーズの変遷や変化と絡めて書く意図もあったのでそれは別コラム「プリキュアシリーズの勧善懲悪から救済まで」が兼ねます。
この1年間も全力で楽しませて頂きました。本作を手がけたスタッフのみなさんに感謝申し上げます。また、本作をもって退任される音楽担当の高梨さん、プロデューサーの梅澤さんへの感謝は尽きません。プリキュアのBGMは物語を何倍にも盛り上げ華々しく雄々しく美しくしてくれたと思います。鷲尾さんが立ち上げたプリキュアを女児向け定番アニメとして定着させ、奥深い作品に育てた梅澤さんは素晴らしい仕事をしてくれたと思います。一視聴者として一社会人として敬意を表したい。そのほか、私が知らないだけでご活躍された方々にお礼申し上げます(扱い酷ぇ)。プリキュアで演出家デビューして映画とテレビ本編監督を務めた大塚さんは今後も死なない程度に頑張って下さい。
私がプリキュアに対してできることは、全力で楽しみ、全力で感想書いて、自分の血肉としていくことだけです。あ、もちろんちゃんとDVDとかCD買ってますよ。それくらい安いものです。私の一番大好きな作品として9年間見続けられたことは本当に幸福でした。去年も言ったけど、今年も言います。素晴らしい物語をありがとうございました。
最後に育代さんの笑顔が見られてウルトラハッピー。
第47話「最強ピエーロ降臨!あきらめない力と希望の光!!」
○今週の出来事
①幼年期の終わり
新しい女王ロイヤルキャンディ。そのまんまです。大人になったら改名するんでしょうか。読者の多くはどーせお前のことだから太ももに目が行ってるんだろ?と思われるかもしれません。全くそのとおりです。
みんなの声が聞こえてきたクル、と口を開きます。語尾もそのまま。どうやら女王として覚醒しても記憶や自覚に変化があるわけではないらしく、キャンディはクイーンをみんなのお母さんと呼びます。みんな大好きだと別れを惜しむように懇願します。個人的な母親との別れというより、母なる存在との別れというニュアンス。これは一石二鳥。クイーンが直接的にキャンディの母として描いてしまうと死別の場面となってしまい重くなる。みんなの母とすることで和らげるとともに抽象性を上げています。キャンディは被保護者で、みゆき達と一緒に遊んで(現実と)戦って、そして最後に自立を迫られる。もうあなたは一人で立って居られるはずだ、と。それはメルヘンランドの住人達にも言える。広義な意味での親離れをやっている。
クイーンはみんなにお礼を言いながら別れを告げます。
「みなさんの未来は真っ白です。白紙の未来に新しい物語を描くのは自分自身の心なのです。私はいつでもみなさんのことを見守っています」
クイーンがこぼした涙がミラクルジュエルとなってキャンディの胸に。ミラクルジュエルは願いを叶えることは出来ない。でも暗い絶望の中に落ちても一筋の希望の力を見いだすことが出来る。
「みなさんの未来に、たくさんの光があらんことを」
そう言い残してクイーンは消滅します。
プリキュアの本が出現します。中はクイーンが言ったように真っ白。キャンディは自分達の未来は自分達で決めようとプリキュアに話しかけます。プリキュアはそれに応じます。
この物語は子ども達の自立を描いている。保護者がいなくても、彼女達は自分の足で、自分達の意思で進める。
②皇帝の権能
絶望の巨人達が咆吼すると砂漠化した地球がさらにバッドエンド化していきます。巨人を止めようにも数でも規模でもプリキュアを圧倒しています。二の足を踏むプリキュア。自分が止めると自らキャンディは引き受けます。オーラが出ると巨人達を圧迫。すげぇ、最近の妖精は力が高い。この辺も妖精が守られるだけの存在ではなく、一緒に戦っている存在として近年は定着しています。
プリキュアが失業してはマズイのでピエーロが実体化します。意外と小さい。てっきり初登場時のような大きさかと思いましたが、プリキュアと戦うためかほぼ同じスケール。
ピエーロ(絶望の巨人)とキャンディとの地味だけど世界の命運がかかった押しくらまんじゅうが始まります。ふたりの力が拮抗している間もピエーロは手下を作り出してプリキュアの本を奪えと命じます。全ての物語をバッドエンドに。
最終決戦恒例のバトル開始。一対多は見栄えが良い。
ハッピーは片手に充電するとガード→光波のコンボで次々と敵を倒していきます。もうバンクは使いません。スピーディかつ出し惜しみ無しの総力戦。最終決戦の醍醐味。
マーチは相変わらず超凄いキック。ほんと力押しだ、この人。風って本来もっと使い道があると思うんですが、使用者の好みが顕著に出ています。その点、サニーは多少応用的に使っています。技という意味ではビューティの右に出る人はいない。敵中を直進したあとに矢が突き刺さっていきます。相変わらずこの人の無双感がやばい。ピースも一対多の戦いに順応しています。
サニーとマーチの合体技、ピースとビューティの合体技、ハッピーの広域無差別攻撃で敵を殲滅。
雑魚相手に無双したところで大勢が変わるわけでもなく、雑魚達は元通りに復活。
「考えるな。考えてもお前達にはどうにもできない。敵わないものに逆らうな。自分の無力さを嘆き悲しめ。明るい未来など無い。叶わない夢など見るな」
ピエーロの言葉に抗うように雑魚に挑みます。何度潰しても再生してキリがない。
「ピエーロ、あなたは一体なんなの!?」
「怨念だ。生きとし生ける者、すべての負の感情が私を生み出している。お前達にもあるはずだ。憎しみ、怒り、悲しみ、孤独、それはお前達人間が存在する限り湧き続ける。絶望の物語だ」
「絶望の物語?」
「湧きやまないその負の感情はやがて無限の絶望となり世界を覆う。すべてをなくし怠惰に身を委ねろ。未来は闇だ」
流石に死の権化ですとは言わなかったか。前々回ジョーカーが言った「世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心」の権化というわけですね。去年も似たような人が居ましたが、彼はそのために苦しみ孤独な存在でした。だからプリキュアはノイズとも友達になれた。しかしピエーロはそのことに苦しんでいるわけではない。純粋に絶望の権化として提示されている。三幹部を助けても、それはその場限りの話しであって総体として人の苦しみはなくならないし生産され続ける。結局同じようなことを繰り返しながら、人はやがて死ぬ。その生にどんな意味があるのか? 怠惰に自堕落に安逸な生き方でもいいんじゃないか。ピエーロは死の権化ではない。生き方を問うている。希望など持てないなら投げてしまえと。ジョーカーも同じようなことを言っていましたが、要するに抽象化して再び突きつけてきたわけですね。彼女達が一つ一つ乗り越えても苦しみは絶対に無くならない。そしてまた、その苦しみから逃れる方法は諦めなのだと。確かにそれもまた一つの自衛手段です。
ピエーロがどんな相手か知ったプリキュアはそんな相手にどうやって戦えばいいのか分らず手も足も出ません。
ポップも攻撃を受けるとプリキュアの本を手放してしまいます。その本に黒いインクが染みこみます。プリキュアからバッドエナジーが放たれます。
キャンディはミラクルジュエルの力を使ってプリキュアに光を送ろうと試みます。ピエーロの手下達の攻撃に耐えながらキャンディは一心に念じ続けます。
暗い世界。沼地のように足がぬかるみながらハッピーは独り歩き続けます。強制収容所で強制労働させられている囚人のようなイメージ。生気を失ったようにハッピーは俯いています。感情が顔から消えています。余談ですが強制収容所で強制労働させられていた人々は実際無感動、無気力、無感情になっていったそうです。一種の解離性障害。そうやって自分の体験と自分の心を切り離すことによって肉体的な苦痛が精神にまで届かないようにしていたのだそうです。これは幼少期に虐待があった子どもにも見られる自己防衛策です(創造性が高い子どもはそこから代理人格を作り出すことがあります)。一見すると感情が死んだように見えますが、それは表面的なことで内面には様々な感情が残っています。そしてその内面の感情、豊かな想像性を傷つけられることなく保ち続けられた人は過酷な状況においても(例え肉体的に劣後していても)最後まで耐えたそうです。
ハッピーの前には倒れた仲間達。しかしハッピーの反応は鈍く、足下が底なし沼のように沈んでいく様をただ呆然と見つめています。沼の中に沈んでいきます。その表情はどこか安らいでいるようにも見えます。
なおもキャンディの戦いは続いています。非戦闘員の戦いは信じて待つこと。
一度絶望に落ちればそう簡単には戻ってこれない。闇は深海のように深いと言うピエーロ。そう簡単に、ということは戻ってこれるんですね。割とこのボスは抜けがあるというか、絶対性がない。
深海に沈んでいくようにプリキュア達は光から遠のいていきます。
「悲しみ、怒り、孤独、寂しさ……誰にでもある弱い心……世界中の悲しみ。人がいる限り湧き続ける…絶望の物語…私達にはもうどうすることも…」
人は絶望と同居している。いくら足掻いても三行半を突きつけることはできない。
③いつも誰かがそばに
声が聞こえてきます。小さな声。かろうじて呼びかけていることが分かる程度。
「希望?」
「希望って何?」
必死に自分を呼ぶ声。キャンディの声。
ハッピーは光を瞳に捉えます。再び意思を取り戻します。5人は地上へと這い上がろうとしますが、底から手が伸び足止めされます。
「希望とは何だ? 見えない、触れない。そんなものは存在しない。絶望に落ちろ」
キャンディも限界が近づいています。
「希望は…ある! 今分かった私の希望は……」
抗う5人を嘲笑うように底から伸びる手はより強く彼女達を飲み込もうとします。
ついにハッピーは力を失います。しかし上から伸ばされた手はしっかりとハッピーの手を掴み取ると地上へと引き上げていきます。みんなの光となるキャンディ。
キャンディの力が尽きると同時にプリキュアが最終決戦仕様に。ウルトラマンみたいなポーズで出てくるとか、どんなアニメだよ、これ。そしてピースは最後まで自重しない。
「五つの光が導く未来!」
「輝けスマイルプリキュア!」
下半身は映画のウルトラキュアハッピーのように左右非対称。サニーはデザイン的なバランスが一番良い。キャンディは元の妖精の姿に戻っています。ポップが保護。
「バッドエンドの世界から戻ってきただと? フン、貴様らに輝く未来などない。すべてをバッドエンドに染めるのだ」
バキュン。
「うぉ!?」
ハッピーさんマジ容赦ない。ラスボスがしゃべり終わったと同時に不意打ち。この辺からピエーロさんの株が暴落していきます。
ピエーロの後ろにいた巨人を一撃で撃破。ハッピーを残して4人の姿が消えます。
サニーの周囲にいた雑魚が一気に炎上。何これカッコイイ。次々と雑魚が再び冥府行き。
「な…なに!? 一瞬ですべて消し去ったというのか!」
流石絶望の権化。もう絶望し始めてるよ。って何か違う。
「キャンディが命がけで私達の道しるべになってくれた。キャンディのおかげで私達は絶望の中に希望の光を見つけることができた。私、希望が何か分かった」
「希望、それは……」
「友達!」
「大切な友達が一緒ならどんな大変な未来でも笑顔でまっすぐに歩いて行ける」
ハッピーの言葉に同意するように4人もまた毅然と前を見据えています。
「それが私達、スマイルプリキュアだから!」
「だまれ! すべてをバッドエンドに塗りつぶしてくれる!」
「ぐお!?」
ピエーロさんマジピエロ(道化師)。プリキュアフルボッコタイムの開始。マーチが先制。ビューティが追撃。ガード。下から巨大な氷の拳。もう一発。地面の激突を逃れるものの今度は電撃の濁流で再び打ち上げ。上がったら落とす。炎がピエーロを地面にたたき落とします。トドメにハッピーが連続エネルギー弾。全力で後先考えずに撃ち出しているハッピーの表情が凄くカッコイイ。
これで「やったの?」とか言ったらリーチ一発ですが、そこまではしない(連続エネルギー弾は効かない法則)。
ラスボスの意地というものがあります。空を覆い尽くすように出現。ピエーロは手下達のエネルギーを回収すると地球の外にブラックホールのように再出現します。あー、なんかこれDX3で居たなぁ。名前もそんなんでしたけど。ボコられ具合といい、GoGo!最終決戦思い出すし、ピエーロさんはラスボスの集大成みたいな人ですね。
人が生み出す怨念に限りなし。プリキュアはどのようにして笑顔を生み出していけるか。次回、最終回。
④次回予告
物語の終わり。
○トピック
復活した途端あんだけボコられればそりゃ絶望する。ピエーロさんは今までのラスボス達の絶望、孤独、無力さ、嘆き悲しみの権化だったんだよ!
前回バッドエンドプリキュアをぶっ飛ばしておきながら簡単に絶望してしまうわけですが、これはピエーロが提示している絶望が人の根源的なモノであるからです。人がいる限り絶望の物語はなくならない。しかし絶望しては生を謳歌できない。人は絶望するという前提に立ち、その絶望からどのようにして抜け出すことができるか。そしてそれは人の根源的なものとして提示しうるか? それが今回のお題。
一旦話しを飛ばして子ども番組的に要約すると次のように言えます。
プリキュアは主に未就学児童を対象とした女の子向けアニメです。その子ども達に向けてスマイルは何をメッセージとしたのかがハッキリしました。子ども達は幼稚園にあがると同時に親から一旦離れます。そこでたくさんの友達と出会っていくし、またこれまでよりも多様で複雑な出来事に直面していきます。そんな子ども達にスマイルプリキュアは、あなた達(子ども達)はお母さんと常に一緒にはいられないこと、しかしその分友達があなたの支えになってくれること、自分で解決しなければならないことがあるがそれは友達と一緒に解決していけることを伝えています。
みゆき達は物語序盤でごっこ遊びをしながら友達と仲を深め、友達のために戦い、友達に助けられながら、新しい友達(三幹部)を作りながら困難に諦めることなく進んでいます。プリキュアの戦いとはつまり子ども達の戦いだったわけです。
そんな感じでざっくり概観したところで、今回のお話しをもう少し見ていきましょう。
絶望を克服する希望としてプリキュアは「友達」をあげています。みゆき達は一人一人では挫けそうになることでも友達が支えてくれたおかげで立ち向かう勇気を持てています。今回の話しも32話と基本骨子は同じです。絶望に陥っても友達がそこから助け出してくれる。今回の話しは大雑把に言えば、三幹部戦と逆、つまりプリキュアが絶望から助けられる話しです。32話でもみゆきはキャンディに助けられています。
スマイルの重要なポイントは主役が存在しないことです。精神的な支柱となる人物はいません。みゆきはみんなから助けられていますし、映画のニコや謎の少女(イマジナリーコンパニオン?)から愛情を貰ったおかげで今の自分がいると自覚しています。スマイルの人間関係は相互性が強く、時に支え肯定しながら、時に支えられ肯定されながら、時に自分の夢のために他者を巻き込みながら繋がりあっている関係性として提示されています。みゆきだけでなく、あかね、やよい、なお、れいか、一人一人がそのように体験し自分の意思でそのような関係を望み結んでいます。
じゃあ、そうした強い絆で結ばれた友達だから希望になるのか、友達と一緒に力を合わせられるから絶望を克服できるのか?と言えば、それは違います。絆や信頼関係は結果論なのです。人は他者を必要とし、その他者によって生かされている存在です。もちろん、これは「私」が「他者を生かしている」ということでもあります。友達をさらに突き詰めていけば、それは他者であり、この「他者」と「私」の関係によって人は絶望から抜け出せるのです。
私は親から愛情深く育てられたと思っています。人間関係に悩んだこともありません。ケンカやいじめはありましたが大した話しでもない。仕事で大きく挫折したり、過労でぶっ倒れたこともありません。私は絶望するほどの辛く苦しい思いをしたことがありません。思春期特有の厭世観は持ったことがありますが、それも精神的な修養として身になったと思います。だから私は絶望した人の気持ちがわかりません。いくら心理学関係の本を読もうが、交友関係の中にうつ病になった人がいようが、私が体験していない以上、その人達の気持ちはわかりません。そのため実体験から絶望の克服を話すことはできません。
しかし、そうした絶望感に苛まれた人達が精神科医や友人家族、恋人の支えや理解のもと(あるいは環境の変化によって)再び立ち上がれるようになった事例は知っています。私の実感として、良き親、友人、隣人に恵まれるかはとても重要なことだと思います。自分の理想となる人、自分を理解してくれる人、自分を褒めてくれる人、自分の苦しみをわかってくれる人、自分を同じ人間として扱ってくれる人、そうした他者との出会いが人の負の感情を和らげ癒してくれるのだと思います。その体験を通じて、自分の中に他者を取り込みながら自分の力へと変えていく。人は他者に認められることによって自分を肯定する生き物であり、自己の中には必ず他者が存在しています。それが人間の仕様なのだと思います。
つまり、一人で絶望に打ち勝たなくてもいいんです。一人でやれちゃう人もいるでしょうが、人を頼っていいんです。人に依存していい。人に助けられていい。人の強さとは一人で何でも出来る強さとは限らない。人に頼って、人に頼られて、依存と自立を繰り返しながら、人との摩擦に苦しみながら、同じ事を延々と繰り返しながら生きることが人の生であり、証しなのだと思います。苦しい時に家族のことを思い浮かべながら耐える人もいれば、自分の持論を証明するために(他者に認めさせるために)耐える人、様々いるでしょうが純粋な意味で自分のためだけに生きられる人というのはいないのです。どんな人でも自分の中に(存命・実在関係なしに)他者を想定して生きている。復讐すらも生きる力に変えられるように、他者の存在は人を生かす原動力となりうる。
人がいる限り絶望の物語が続くように、希望の物語もまた人(他者)がいる限り続く。他者からの呼びかけ(他者との繋がり)が絶望から救い出すものとしてスマイルは希望を提示しています。これは三幹部戦も同様です。プリキュアと彼らは親しいわけではありませんでした。素朴な優しさが彼らの心を癒しています。
スマイルは個々人の自立心が高いプリキュアですが、大きな課題に直面したときには必ず他者が介在しています。それは弱いことなのか? 違います。人間とはそういう生き物で、それを力に変えられる生き物なんです。コフートという精神科医は人は依存するものだ、その依存をギブアンドテイクに変えてお互いの望みを叶え合えるようになればそれは健全だと言いました。私もそう思います。
他者の存在、それ自体が希望となりうる。人との繋がりが人に希望や夢を与え力となる。またそれが絆や友情となって日常を実り豊かにしていける。スマイルの物語は人間の実存、本来的な姿を描いていると思います。プリキュアごっこ、日常の様々な苦難、中盤戦、個人回、三幹部戦、それら全てがこのテーマを支えています。
もし、本当の絶望があるとしたら、それは誰からも相手にされない状態、誰にも価値を認められず、他者に働きかけることを止めてしまったときなのだと思います。一人で絶望と戦わなくてもいいと言っても他者に見捨てられたり、他者を頼ることができないこともあるでしょう。絶望的な感情に囚われると極端な視野狭窄にも陥ります(誰も自分をわかってくれないという気持ち。拒絶感)。孤独な魂。それもまたピエーロの内在論理だろうと思います。彼は負の感情の権化。三幹部の上位互換です。
さて、そうすると毎年恒例の疑問が浮かびます。果たしてピエーロは救済されるべきか、否や。彼をアンチテーゼとして絶望に負けない、諦めないというのなら倒すこともアリでしょう。人の心から希望を消すことはできない。しかしピエーロもまた救済されえなかった孤独な魂だというのなら、その魂を足蹴にしていいのだろうか? 結局それは見て見ぬ振りをして自分達だけは幸せでいればよいということになりはしないか? 彼を傷つければ傷つけるほど怨念は増していくのではないか。絶望が証明されるだけなのではないか。良き友との出会いが孤独な魂を癒すのなら、私達はその良き友になっていくべきなのではないか。という問いかけが起こります。毎年このジレンマ。
ラスボスを倒しても理屈は付けられるし、救っても理屈を付けられます。私がプリキュアに期待しているのは、プリキュアがどれだけの覚悟と意思決定によって希望を提示するか。その希望が人の生をどれほど肯定するものであるかということです。
プリキュアは1年かけて大きな一つのテーマを描きます。一話一話小さなエピソードを重ねていきながら、ラスボスによって最後の課題が出されます。ピエーロは人が生み出す絶望的感情をプリキュアにぶつけます。人(の感情)との戦い。これは近年のプリキュアシリーズに共通したアプローチです。プリキュアの戦いとは、生の苦悩との戦いであり克服です。敵の声は私の声。
では、その克服とはどういうものであるか。その先にはどんなハッピーエンドがありうるのか。「スマイルプリキュア!」その名の真価が問われています。
①幼年期の終わり
新しい女王ロイヤルキャンディ。そのまんまです。大人になったら改名するんでしょうか。読者の多くはどーせお前のことだから太ももに目が行ってるんだろ?と思われるかもしれません。全くそのとおりです。
みんなの声が聞こえてきたクル、と口を開きます。語尾もそのまま。どうやら女王として覚醒しても記憶や自覚に変化があるわけではないらしく、キャンディはクイーンをみんなのお母さんと呼びます。みんな大好きだと別れを惜しむように懇願します。個人的な母親との別れというより、母なる存在との別れというニュアンス。これは一石二鳥。クイーンが直接的にキャンディの母として描いてしまうと死別の場面となってしまい重くなる。みんなの母とすることで和らげるとともに抽象性を上げています。キャンディは被保護者で、みゆき達と一緒に遊んで(現実と)戦って、そして最後に自立を迫られる。もうあなたは一人で立って居られるはずだ、と。それはメルヘンランドの住人達にも言える。広義な意味での親離れをやっている。
クイーンはみんなにお礼を言いながら別れを告げます。
「みなさんの未来は真っ白です。白紙の未来に新しい物語を描くのは自分自身の心なのです。私はいつでもみなさんのことを見守っています」
クイーンがこぼした涙がミラクルジュエルとなってキャンディの胸に。ミラクルジュエルは願いを叶えることは出来ない。でも暗い絶望の中に落ちても一筋の希望の力を見いだすことが出来る。
「みなさんの未来に、たくさんの光があらんことを」
そう言い残してクイーンは消滅します。
プリキュアの本が出現します。中はクイーンが言ったように真っ白。キャンディは自分達の未来は自分達で決めようとプリキュアに話しかけます。プリキュアはそれに応じます。
この物語は子ども達の自立を描いている。保護者がいなくても、彼女達は自分の足で、自分達の意思で進める。
②皇帝の権能
絶望の巨人達が咆吼すると砂漠化した地球がさらにバッドエンド化していきます。巨人を止めようにも数でも規模でもプリキュアを圧倒しています。二の足を踏むプリキュア。自分が止めると自らキャンディは引き受けます。オーラが出ると巨人達を圧迫。すげぇ、最近の妖精は力が高い。この辺も妖精が守られるだけの存在ではなく、一緒に戦っている存在として近年は定着しています。
プリキュアが失業してはマズイのでピエーロが実体化します。意外と小さい。てっきり初登場時のような大きさかと思いましたが、プリキュアと戦うためかほぼ同じスケール。
ピエーロ(絶望の巨人)とキャンディとの地味だけど世界の命運がかかった押しくらまんじゅうが始まります。ふたりの力が拮抗している間もピエーロは手下を作り出してプリキュアの本を奪えと命じます。全ての物語をバッドエンドに。
最終決戦恒例のバトル開始。一対多は見栄えが良い。
ハッピーは片手に充電するとガード→光波のコンボで次々と敵を倒していきます。もうバンクは使いません。スピーディかつ出し惜しみ無しの総力戦。最終決戦の醍醐味。
マーチは相変わらず超凄いキック。ほんと力押しだ、この人。風って本来もっと使い道があると思うんですが、使用者の好みが顕著に出ています。その点、サニーは多少応用的に使っています。技という意味ではビューティの右に出る人はいない。敵中を直進したあとに矢が突き刺さっていきます。相変わらずこの人の無双感がやばい。ピースも一対多の戦いに順応しています。
サニーとマーチの合体技、ピースとビューティの合体技、ハッピーの広域無差別攻撃で敵を殲滅。
雑魚相手に無双したところで大勢が変わるわけでもなく、雑魚達は元通りに復活。
「考えるな。考えてもお前達にはどうにもできない。敵わないものに逆らうな。自分の無力さを嘆き悲しめ。明るい未来など無い。叶わない夢など見るな」
ピエーロの言葉に抗うように雑魚に挑みます。何度潰しても再生してキリがない。
「ピエーロ、あなたは一体なんなの!?」
「怨念だ。生きとし生ける者、すべての負の感情が私を生み出している。お前達にもあるはずだ。憎しみ、怒り、悲しみ、孤独、それはお前達人間が存在する限り湧き続ける。絶望の物語だ」
「絶望の物語?」
「湧きやまないその負の感情はやがて無限の絶望となり世界を覆う。すべてをなくし怠惰に身を委ねろ。未来は闇だ」
流石に死の権化ですとは言わなかったか。前々回ジョーカーが言った「世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心」の権化というわけですね。去年も似たような人が居ましたが、彼はそのために苦しみ孤独な存在でした。だからプリキュアはノイズとも友達になれた。しかしピエーロはそのことに苦しんでいるわけではない。純粋に絶望の権化として提示されている。三幹部を助けても、それはその場限りの話しであって総体として人の苦しみはなくならないし生産され続ける。結局同じようなことを繰り返しながら、人はやがて死ぬ。その生にどんな意味があるのか? 怠惰に自堕落に安逸な生き方でもいいんじゃないか。ピエーロは死の権化ではない。生き方を問うている。希望など持てないなら投げてしまえと。ジョーカーも同じようなことを言っていましたが、要するに抽象化して再び突きつけてきたわけですね。彼女達が一つ一つ乗り越えても苦しみは絶対に無くならない。そしてまた、その苦しみから逃れる方法は諦めなのだと。確かにそれもまた一つの自衛手段です。
ピエーロがどんな相手か知ったプリキュアはそんな相手にどうやって戦えばいいのか分らず手も足も出ません。
ポップも攻撃を受けるとプリキュアの本を手放してしまいます。その本に黒いインクが染みこみます。プリキュアからバッドエナジーが放たれます。
キャンディはミラクルジュエルの力を使ってプリキュアに光を送ろうと試みます。ピエーロの手下達の攻撃に耐えながらキャンディは一心に念じ続けます。
暗い世界。沼地のように足がぬかるみながらハッピーは独り歩き続けます。強制収容所で強制労働させられている囚人のようなイメージ。生気を失ったようにハッピーは俯いています。感情が顔から消えています。余談ですが強制収容所で強制労働させられていた人々は実際無感動、無気力、無感情になっていったそうです。一種の解離性障害。そうやって自分の体験と自分の心を切り離すことによって肉体的な苦痛が精神にまで届かないようにしていたのだそうです。これは幼少期に虐待があった子どもにも見られる自己防衛策です(創造性が高い子どもはそこから代理人格を作り出すことがあります)。一見すると感情が死んだように見えますが、それは表面的なことで内面には様々な感情が残っています。そしてその内面の感情、豊かな想像性を傷つけられることなく保ち続けられた人は過酷な状況においても(例え肉体的に劣後していても)最後まで耐えたそうです。
ハッピーの前には倒れた仲間達。しかしハッピーの反応は鈍く、足下が底なし沼のように沈んでいく様をただ呆然と見つめています。沼の中に沈んでいきます。その表情はどこか安らいでいるようにも見えます。
なおもキャンディの戦いは続いています。非戦闘員の戦いは信じて待つこと。
一度絶望に落ちればそう簡単には戻ってこれない。闇は深海のように深いと言うピエーロ。そう簡単に、ということは戻ってこれるんですね。割とこのボスは抜けがあるというか、絶対性がない。
深海に沈んでいくようにプリキュア達は光から遠のいていきます。
「悲しみ、怒り、孤独、寂しさ……誰にでもある弱い心……世界中の悲しみ。人がいる限り湧き続ける…絶望の物語…私達にはもうどうすることも…」
人は絶望と同居している。いくら足掻いても三行半を突きつけることはできない。
③いつも誰かがそばに
声が聞こえてきます。小さな声。かろうじて呼びかけていることが分かる程度。
「希望?」
「希望って何?」
必死に自分を呼ぶ声。キャンディの声。
ハッピーは光を瞳に捉えます。再び意思を取り戻します。5人は地上へと這い上がろうとしますが、底から手が伸び足止めされます。
「希望とは何だ? 見えない、触れない。そんなものは存在しない。絶望に落ちろ」
キャンディも限界が近づいています。
「希望は…ある! 今分かった私の希望は……」
抗う5人を嘲笑うように底から伸びる手はより強く彼女達を飲み込もうとします。
ついにハッピーは力を失います。しかし上から伸ばされた手はしっかりとハッピーの手を掴み取ると地上へと引き上げていきます。みんなの光となるキャンディ。
キャンディの力が尽きると同時にプリキュアが最終決戦仕様に。ウルトラマンみたいなポーズで出てくるとか、どんなアニメだよ、これ。そしてピースは最後まで自重しない。
「五つの光が導く未来!」
「輝けスマイルプリキュア!」
下半身は映画のウルトラキュアハッピーのように左右非対称。サニーはデザイン的なバランスが一番良い。キャンディは元の妖精の姿に戻っています。ポップが保護。
「バッドエンドの世界から戻ってきただと? フン、貴様らに輝く未来などない。すべてをバッドエンドに染めるのだ」
バキュン。
「うぉ!?」
ハッピーさんマジ容赦ない。ラスボスがしゃべり終わったと同時に不意打ち。この辺からピエーロさんの株が暴落していきます。
ピエーロの後ろにいた巨人を一撃で撃破。ハッピーを残して4人の姿が消えます。
サニーの周囲にいた雑魚が一気に炎上。何これカッコイイ。次々と雑魚が再び冥府行き。
「な…なに!? 一瞬ですべて消し去ったというのか!」
流石絶望の権化。もう絶望し始めてるよ。って何か違う。
「キャンディが命がけで私達の道しるべになってくれた。キャンディのおかげで私達は絶望の中に希望の光を見つけることができた。私、希望が何か分かった」
「希望、それは……」
「友達!」
「大切な友達が一緒ならどんな大変な未来でも笑顔でまっすぐに歩いて行ける」
ハッピーの言葉に同意するように4人もまた毅然と前を見据えています。
「それが私達、スマイルプリキュアだから!」
「だまれ! すべてをバッドエンドに塗りつぶしてくれる!」
「ぐお!?」
ピエーロさんマジピエロ(道化師)。プリキュアフルボッコタイムの開始。マーチが先制。ビューティが追撃。ガード。下から巨大な氷の拳。もう一発。地面の激突を逃れるものの今度は電撃の濁流で再び打ち上げ。上がったら落とす。炎がピエーロを地面にたたき落とします。トドメにハッピーが連続エネルギー弾。全力で後先考えずに撃ち出しているハッピーの表情が凄くカッコイイ。
これで「やったの?」とか言ったらリーチ一発ですが、そこまではしない(連続エネルギー弾は効かない法則)。
ラスボスの意地というものがあります。空を覆い尽くすように出現。ピエーロは手下達のエネルギーを回収すると地球の外にブラックホールのように再出現します。あー、なんかこれDX3で居たなぁ。名前もそんなんでしたけど。ボコられ具合といい、GoGo!最終決戦思い出すし、ピエーロさんはラスボスの集大成みたいな人ですね。
人が生み出す怨念に限りなし。プリキュアはどのようにして笑顔を生み出していけるか。次回、最終回。
④次回予告
物語の終わり。
○トピック
復活した途端あんだけボコられればそりゃ絶望する。ピエーロさんは今までのラスボス達の絶望、孤独、無力さ、嘆き悲しみの権化だったんだよ!
前回バッドエンドプリキュアをぶっ飛ばしておきながら簡単に絶望してしまうわけですが、これはピエーロが提示している絶望が人の根源的なモノであるからです。人がいる限り絶望の物語はなくならない。しかし絶望しては生を謳歌できない。人は絶望するという前提に立ち、その絶望からどのようにして抜け出すことができるか。そしてそれは人の根源的なものとして提示しうるか? それが今回のお題。
一旦話しを飛ばして子ども番組的に要約すると次のように言えます。
プリキュアは主に未就学児童を対象とした女の子向けアニメです。その子ども達に向けてスマイルは何をメッセージとしたのかがハッキリしました。子ども達は幼稚園にあがると同時に親から一旦離れます。そこでたくさんの友達と出会っていくし、またこれまでよりも多様で複雑な出来事に直面していきます。そんな子ども達にスマイルプリキュアは、あなた達(子ども達)はお母さんと常に一緒にはいられないこと、しかしその分友達があなたの支えになってくれること、自分で解決しなければならないことがあるがそれは友達と一緒に解決していけることを伝えています。
みゆき達は物語序盤でごっこ遊びをしながら友達と仲を深め、友達のために戦い、友達に助けられながら、新しい友達(三幹部)を作りながら困難に諦めることなく進んでいます。プリキュアの戦いとはつまり子ども達の戦いだったわけです。
そんな感じでざっくり概観したところで、今回のお話しをもう少し見ていきましょう。
絶望を克服する希望としてプリキュアは「友達」をあげています。みゆき達は一人一人では挫けそうになることでも友達が支えてくれたおかげで立ち向かう勇気を持てています。今回の話しも32話と基本骨子は同じです。絶望に陥っても友達がそこから助け出してくれる。今回の話しは大雑把に言えば、三幹部戦と逆、つまりプリキュアが絶望から助けられる話しです。32話でもみゆきはキャンディに助けられています。
スマイルの重要なポイントは主役が存在しないことです。精神的な支柱となる人物はいません。みゆきはみんなから助けられていますし、映画のニコや謎の少女(イマジナリーコンパニオン?)から愛情を貰ったおかげで今の自分がいると自覚しています。スマイルの人間関係は相互性が強く、時に支え肯定しながら、時に支えられ肯定されながら、時に自分の夢のために他者を巻き込みながら繋がりあっている関係性として提示されています。みゆきだけでなく、あかね、やよい、なお、れいか、一人一人がそのように体験し自分の意思でそのような関係を望み結んでいます。
じゃあ、そうした強い絆で結ばれた友達だから希望になるのか、友達と一緒に力を合わせられるから絶望を克服できるのか?と言えば、それは違います。絆や信頼関係は結果論なのです。人は他者を必要とし、その他者によって生かされている存在です。もちろん、これは「私」が「他者を生かしている」ということでもあります。友達をさらに突き詰めていけば、それは他者であり、この「他者」と「私」の関係によって人は絶望から抜け出せるのです。
私は親から愛情深く育てられたと思っています。人間関係に悩んだこともありません。ケンカやいじめはありましたが大した話しでもない。仕事で大きく挫折したり、過労でぶっ倒れたこともありません。私は絶望するほどの辛く苦しい思いをしたことがありません。思春期特有の厭世観は持ったことがありますが、それも精神的な修養として身になったと思います。だから私は絶望した人の気持ちがわかりません。いくら心理学関係の本を読もうが、交友関係の中にうつ病になった人がいようが、私が体験していない以上、その人達の気持ちはわかりません。そのため実体験から絶望の克服を話すことはできません。
しかし、そうした絶望感に苛まれた人達が精神科医や友人家族、恋人の支えや理解のもと(あるいは環境の変化によって)再び立ち上がれるようになった事例は知っています。私の実感として、良き親、友人、隣人に恵まれるかはとても重要なことだと思います。自分の理想となる人、自分を理解してくれる人、自分を褒めてくれる人、自分の苦しみをわかってくれる人、自分を同じ人間として扱ってくれる人、そうした他者との出会いが人の負の感情を和らげ癒してくれるのだと思います。その体験を通じて、自分の中に他者を取り込みながら自分の力へと変えていく。人は他者に認められることによって自分を肯定する生き物であり、自己の中には必ず他者が存在しています。それが人間の仕様なのだと思います。
つまり、一人で絶望に打ち勝たなくてもいいんです。一人でやれちゃう人もいるでしょうが、人を頼っていいんです。人に依存していい。人に助けられていい。人の強さとは一人で何でも出来る強さとは限らない。人に頼って、人に頼られて、依存と自立を繰り返しながら、人との摩擦に苦しみながら、同じ事を延々と繰り返しながら生きることが人の生であり、証しなのだと思います。苦しい時に家族のことを思い浮かべながら耐える人もいれば、自分の持論を証明するために(他者に認めさせるために)耐える人、様々いるでしょうが純粋な意味で自分のためだけに生きられる人というのはいないのです。どんな人でも自分の中に(存命・実在関係なしに)他者を想定して生きている。復讐すらも生きる力に変えられるように、他者の存在は人を生かす原動力となりうる。
人がいる限り絶望の物語が続くように、希望の物語もまた人(他者)がいる限り続く。他者からの呼びかけ(他者との繋がり)が絶望から救い出すものとしてスマイルは希望を提示しています。これは三幹部戦も同様です。プリキュアと彼らは親しいわけではありませんでした。素朴な優しさが彼らの心を癒しています。
スマイルは個々人の自立心が高いプリキュアですが、大きな課題に直面したときには必ず他者が介在しています。それは弱いことなのか? 違います。人間とはそういう生き物で、それを力に変えられる生き物なんです。コフートという精神科医は人は依存するものだ、その依存をギブアンドテイクに変えてお互いの望みを叶え合えるようになればそれは健全だと言いました。私もそう思います。
他者の存在、それ自体が希望となりうる。人との繋がりが人に希望や夢を与え力となる。またそれが絆や友情となって日常を実り豊かにしていける。スマイルの物語は人間の実存、本来的な姿を描いていると思います。プリキュアごっこ、日常の様々な苦難、中盤戦、個人回、三幹部戦、それら全てがこのテーマを支えています。
もし、本当の絶望があるとしたら、それは誰からも相手にされない状態、誰にも価値を認められず、他者に働きかけることを止めてしまったときなのだと思います。一人で絶望と戦わなくてもいいと言っても他者に見捨てられたり、他者を頼ることができないこともあるでしょう。絶望的な感情に囚われると極端な視野狭窄にも陥ります(誰も自分をわかってくれないという気持ち。拒絶感)。孤独な魂。それもまたピエーロの内在論理だろうと思います。彼は負の感情の権化。三幹部の上位互換です。
さて、そうすると毎年恒例の疑問が浮かびます。果たしてピエーロは救済されるべきか、否や。彼をアンチテーゼとして絶望に負けない、諦めないというのなら倒すこともアリでしょう。人の心から希望を消すことはできない。しかしピエーロもまた救済されえなかった孤独な魂だというのなら、その魂を足蹴にしていいのだろうか? 結局それは見て見ぬ振りをして自分達だけは幸せでいればよいということになりはしないか? 彼を傷つければ傷つけるほど怨念は増していくのではないか。絶望が証明されるだけなのではないか。良き友との出会いが孤独な魂を癒すのなら、私達はその良き友になっていくべきなのではないか。という問いかけが起こります。毎年このジレンマ。
ラスボスを倒しても理屈は付けられるし、救っても理屈を付けられます。私がプリキュアに期待しているのは、プリキュアがどれだけの覚悟と意思決定によって希望を提示するか。その希望が人の生をどれほど肯定するものであるかということです。
プリキュアは1年かけて大きな一つのテーマを描きます。一話一話小さなエピソードを重ねていきながら、ラスボスによって最後の課題が出されます。ピエーロは人が生み出す絶望的感情をプリキュアにぶつけます。人(の感情)との戦い。これは近年のプリキュアシリーズに共通したアプローチです。プリキュアの戦いとは、生の苦悩との戦いであり克服です。敵の声は私の声。
では、その克服とはどういうものであるか。その先にはどんなハッピーエンドがありうるのか。「スマイルプリキュア!」その名の真価が問われています。
第46話「最悪の結末!?バッドエンドプリキュア!!」
○今週の出来事
①彼らが願うもの
目の前に現れるバッタモン。偽物だとジョーカーも言います。
黒いハッピーは他人が不幸になっても絶望しても自分がハッピーならそれでいい、人が苦しんでいるのを見ると自分は幸せなんだと嬉しくなると言います。だから世界中を不幸でいっぱいにしたい。人間にはそういうところあるね。
プリキュアとバッドエンド組は個別の空間へ。バッドエンドプリキュアは悩むことも迷うこともない戦闘マシーン。プリキュアに勝機はないとジョーカーは言います。この人よく「可能性はない」って言うんだけど、大抵外れるんだよね。
それぞれサシの勝負。問答無用で攻撃をしかけてきます。太陽は一個でいい。黒いサニーはどこのアギトだよ。あざといキャラは一人でいいです。2人もいたらうざすぎる。
バッドエンドプリキュアは、どっちかってーとハートキャッチの大幹部に近いかな。自分のために他者の排除も厭わない、むしろ他者を排斥して自分の優位性を確固たるものにしようとする意思といったところ。そういう意味では前回ジョーカーが言ったように醜い感情の具現化です。といっても実際こういう人達もいるでしょうが。自己中心的な人達ですね。全くどうでもいい話ですが、同じ自己中でも私のように他人に興味がない(他人と比べない、羨まない、妬まない、そもそも他人が居ても居なくてもどうでもいい)人と、どっちが面倒臭い(根が深い)んでしょうね。私からすると他人を排斥しようとする人もまた他者との関わりを求めているように見えるんだけれど。
爆撃。ポップはミラクルジュエル(キャンディ)を抱えながら攻撃をかいくぐります。ジョーカー的にはバッドエンドプリキュアは時間稼ぎ。ミラクルジュエルが本命です。
諦めが悪いポップにジョーカーは辟易しながらプリキュアが苦戦している映像を見せます。士気を挫く算段。ポップは問題の矛先をジョーカーに向けます。そこまでしてミラクルジュエルを手に入れてなにを願う? これは視聴者も気になっていました。
どんな願いをも叶えるという夢の宝石。そして今やあなた方の最後の希望。その奇跡の力を得て叶えようとする願い。それは…。
「そんなものありませーん」
そうきたか。これは予想してなかった。
「なにも願いなんてありませんよ」
ピエーロ様はそんなものなくても世界を滅ぼせる。うん、確かに。彼が絶望の権化なら超越的な力なんていらない。それ自体の論理で達成可能だ。
世界を滅ぼすだけじゃ不十分。夢や希望、奇跡全てを完全に消し去る。その目的のためにもっとも邪魔な物、それがミラクルジュエル。その破壊がジョーカーの目的。
ミラクルジュエルが破壊されたらキャンディの命まで消えてしまいます。それは断固阻止せねばならない。しかしプリキュアはバッドエンド組に阻まれてそれどころじゃありません。ポップが孤軍奮闘。ジョーカーがドリルで迫ってきます。カード便利だなぁ。
②ミラクルジュエルの真相
ロイヤルクロックからクイーンが出てきます。デコル全部揃ってないけど相応にやれるのか。よく見ると立体映像のように透過しています。全てを理解したジョーカーは笑い出します。この人頭回るの早いよね。
「メルヘンランドの女王ロイヤルクイーン。お前はすでにこの世にはいなかったのですね」
この言葉にはポップもプリキュアも驚きます。
ここにいるのはクイーンの最後の力。ミラクルジュエルを守りたいという意思だけが残って抵抗している。残留思念とか残滓なわけね。そうクイーンに問いかけると、クイーンは娘には手出しさせないと応じます。流石最終決戦、情報がどんどん開示されていきます。
つまりキャンディはメルヘンランドの次の女王。これまでに見せた不思議な力も合点がいきます。ジョーカーはまんまと騙されたと感心。ミラクルジュエルとは新しい女王が生まれる卵のこと。なんでも願いを叶える宝石というのは本当の秘密を守るためのデタラメだったとジョーカーは真相を見抜きます。なるほどこれは面白いトリック。ミラクルジュエルはどこにあるんだろう、ジョーカーは何の願いを叶えるんだろう、と視聴者の(先を読む)視線を上手く誘導していたわけですね。簡単に言ってしまえばクイーンとキャンディはクレッシェンドトーン・フェアリートンと同じ関係と言えるでしょうか。クイーンが死んでいることを考えれば、前作同様世代交代を行う意図があるのでしょう。つまり、キャンディを次期女王とした新しい物語に仮託されるわけですね、メルヘンランドそのものも。
新しい女王が生まれたとしても所詮は子ども。復活したピエーロ様に敵うわけがない。ミラクルジュエルなんてもはやどうでもいい代物になったとジョーカーは高をくくります。あー、それダメだよ。子ども番組における次世代(子ども)は最大最強の武器「可能性」の権化。これを放置しちゃダメだって。相変わらずジョーカーは詰めが甘い。
ジョーカーは地球、世界中の生命に呼びかけるとバッドエナジーを回収します。前回世界中の人々からエナジー取ったと言ったような気がしましたが、まあ、何回でも取れるしね。地球が絶望。壮大なスケール。今年もプリキュアは世界がピンチに。砂漠化します。カウントが際限なく回り始めます。
バッドエンドプリキュアもこの機に乗じるようにプリキュアに必殺技を浴びせます。
ジョーカーは楽しそうにクイーンをからかいます。そんなことはない、と答えるクイーン。絶望の淵に立たされようと未来を見る力を失わない限り希望はある。キャンディならどんな困難も乗り越えてくれる。プリキュアと共に。
プリキュアは立ち上がります。5人は再び火事場の馬鹿力モードに。
諦めないで頑張れば未来はキラキラ輝く。キュアハッピー。
友達が宝物。みんなを暖かくする太陽。キュアサニー。
貰った愛をみんなに。世界平和はヒーローの願い。キュアピース。
大切なものを守るために止まることなく進む。キュアマーチ。
己の無力さを知るたびに磨かれた美しき心。キュアビューティ。
「ネガティブな私!どいてーー!!」
絶望のプリキュアをはね除けます。
③皇帝の帰還
バッドエンドプリキュアが倒され衝撃を受けるジョーカー。凄い顔芸。しかし突然笑い出します。ですよねー。
「おまえらホントになにもわかってねーな! もう手遅れだって言ってるんだよ!」
カウント99。
ピエーロの卵が忽然と消えます。呆気にとられるハッピーの頬に黒い雫が落ちます。黒い絵の具。ジョーカーの声に気づいて視線を向けたプリキュアはぎょっとします。彼はどろどろに黒く溶け出しています。
「光栄です、ピエーロ様の一部になれるなんて…ご一緒に世界をバッドエンドに」
結局この人の正体は分からずじまいか。いわゆる闇の神官みたいなポジションだったわけね。魔神の復活が彼の目的(真意が魔神に仮託されている)。てっきりジョーカーがラスボスでピエーロはフェイクか力の源かと思っていたんだけど、ピエーロに回収されました。ほんと、最後の最後までラスボスの正体(真意)が見えない。
空から降ってくるのかと思えば、地面から這い出てくる巨大な頭と手。ちょっと待て、なんか頭が2つ以上ないか!?
「あれは、メルヘンランドをバッドエンドに染めた絶望の巨人でござる」
巨神兵のノリかよ。
ポップは最後のデコルをデコールにはめます。眩い光の中で目覚める意思。
④次回予告
絶望の巨人がバッドエンドドッキングして皇帝ピエーロに? スマイルプリキュア最終決戦仕様。
○トピック
スマイルプリキュア最終決戦その2。
結論を先に書くと、今回のポイントはキャンディが次期女王であること。つまり世代交代されることです。
スマイルにおける問題提起は少数の犠牲の上に幸せが成り立っていることです。文化祭も三幹部もその例示です。少数に限らず、人間の世界は犠牲や苦悩が含意された(場合によっては必要とされる)世界だという構造的問題が指摘されています。前回三幹部はそれを糾弾したわけです。自分達は犠牲になったのだ!と。お前達は知らず知らずのうちに他者を疎外し迫害している。それに気づきもしない。安穏と幸せを感じているだけだと。この孤独な魂を救済する術としてプリキュアは同情(共感)します。これによって孤独な魂にも再び人の愛や暖かさが照らされ彼らの手を取ることができる可能性が示唆されます。
余談ですが、私はよく「可能性」と表現しますが、これは人間の行動・原理が可能性としてしか表せないからです。絶対にこうなる、こうするとは言えない。ある人はそうなっても、別な人がそうなるとは限らない。だから「人間」と括る場合、その人間の原理・行動特性としてそうなる余地があるとしか言えません。まあ、体のいい言い訳や逃げ道とも言えるんですが、そうした可能性(余地)が人に希望や夢、信じる力を与えるわけです。人間は他者を(意図せずとも)疎外し迫害してその上に幸せを作っているけど、その不公平、犠牲を是正したいと思うし是正できる可能性がある、ということを示せれば物語として十分なわけです。この可能性の強度がどれだけのものであるかが物語の核となります。絵に描いた餅、薄っぺらい博愛精神(綺麗事)では詭弁になってしまう。
さて、そうした流れで見たときに前回の解決は根本的な解決にはなりません。犠牲者に手を差しのばしても彼らが迫害される環境が何一つ変わらないのではまた彼らを地獄に突き落とすだけです。彼らの「これまでの物語」を「これからの物語」に変えてやらねば意味がない。スイートで例えると、ノイズは依然として音吉さんやアフロディテ達から距離があります。しかし響達は彼を受け入れている。そうした過渡的な時期があるにしても、最終的には融和していくような世界を提示する必要があります。
そこにキャンディが次期女王という情報が開示されます。これはとても示唆に富んだ話しです。ハートキャッチからプリキュアは世代交代が使われています。たぶんこれはイメージ的にも子ども番組的にも説得力を持たせやすいからだと思います。旧世代における矛盾や欠陥を次世代が克服していく。新しい命と使命によって強いメッセージを持たせられるし、また現実でもそうだと言えます。過去が間違っていた、というよりも人間の世界が常に矛盾と困難を抱える世界であり、その矛盾に疑問を持ち歪みを正せるのは過去の呪縛や慣習に囚われにくい次世代がうってつけなわけですね。実際改善していかないと当事者が困る話しでもあるので他人事でもない。
ウルルン(ウルフルン)達はメルヘンランドの住人なので、そのメルヘンランドが変わる可能性がキャンディに仮託されるのはとても分かりやすい話しです。設定的に使われるか分かりませんが「はじまりの本」は書き換えが可能なので、全ての物語を変えうる素地がスマイルにはあります。子ども達が新しい世界を創っていく。
今回登場したバッドエンドプリキュアは、正味な話しあんま意味がないです。彼女達は自己中心的な存在として対峙していますが、いわゆる心理学でいうところの影(弱い自分、見たくない自分)ではありません。考え方が根本的にみゆき達と違うので、実質的に別人との戦いと思って差し支えありません。現状のハッピー達は自立と共生がかなり高いレベルで両立出来ているので相手にならない。ハッピー達は他者と共にあってこそ真に自己を実現できると確信しているし、そのために個々が頑張らねばならないことを了解しているので諦めもしない。
バッドエンドプリキュアとの対決を最終決戦の展開に入れた理由はおそらく、ラスボス戦前に主人公達に決意表明させるためだろうと思います。前回はウルフルン達を救済したので、今回も救済するような話しにするとどうしてもラスボスとの対決感が薄れる。また救済するの?みたいな。それだと盛り上がらないから、絶望なんかに負けない! 私達は幸せのために、世界平和のために頑張るの!って言わせたかったのだろうと思います。ざっくり言ってしまうと、戦わせられる敵が残ってなかったんで、悪いプリキュア出しとくか的な。プリキュアとバッドエンドプリキュアは感情的なやり取りをしていません。なので今回のエピソードを通じてプリキュアは成長していませんし、新しい何かを見つけたり行ったわけでもありません。彼女達のメンタルは個人回にて完成しているので、再確認する意味合いが強い。現状のハッピー達は自己中心的な発想に染まらなければ、生半可な絶望や困難にもめげない。それを証明しています。
そこで次回いよいよラスボスの登場。当然展開的には一度凹むはずです。その凹みは単なる力による凹みではなく、何かしら人間の内面に起因した凹みであるはずです。ハートキャッチで言えば父親が殺されて憎悪を抱くとか、スイートで言えば音楽が消されるような出来事。ラスボスは最後の困難、プリキュアが最後に乗り越えるべき象徴になる。子ども向け番組とかそういうのを一切考慮せずに、論理的に遡っていくなら「死」だろうと思う。人の根源的な孤独であり絶望。物語の終わり。まあ、流石に「死」は重いので難しいかもしれませんが、バッドエンド側の願いが「無い」というのは一つのヒントになると思います。願いが無いというのはある意味根深い問題です。たとえば三幹部ならミラクルジュエルを必要としたでしょう。自分の環境を変えたい、復讐したい、現実に対して何かしら働きかけたい欲求があるからです。ところがジョーカー(ピエーロ)にはそれがない。執着や欲望がない。彼らは未来を志向していないともとれます。まさしく絶望のキーワードに則った態度です。
ラスボスの正体がギリギリまで分からないのは毎年のことですが、スマイルの1年間を締めくくるに相応しいアンチテーゼを持ってくると確信しています。
人間の希望とは何か。たぶん、それは人間が変わっていけることです。変えていこうとする意思、優しさがある限り人は変わっていく。ただし常に矛盾と苦悩はつきまとう。長期的に見れば同じことを繰り返しているだけなのかもしれません。それでもなお生きることを諦めない。覆しようがない圧倒的な現実、死を前にしてもそれでも己の生を是と言える飽くなき生の肯定。常に生をとおして己を実現させていく。(死をとおして実現させる方法(自死による抗議など)もあるが、私はそれを敢えて認めない。生者のみが現実を変えうる。死者はその出汁に使われる)。それが人間の面白さだと思うのですよ。
①彼らが願うもの
目の前に現れるバッタモン。偽物だとジョーカーも言います。
黒いハッピーは他人が不幸になっても絶望しても自分がハッピーならそれでいい、人が苦しんでいるのを見ると自分は幸せなんだと嬉しくなると言います。だから世界中を不幸でいっぱいにしたい。人間にはそういうところあるね。
プリキュアとバッドエンド組は個別の空間へ。バッドエンドプリキュアは悩むことも迷うこともない戦闘マシーン。プリキュアに勝機はないとジョーカーは言います。この人よく「可能性はない」って言うんだけど、大抵外れるんだよね。
それぞれサシの勝負。問答無用で攻撃をしかけてきます。太陽は一個でいい。黒いサニーはどこのアギトだよ。あざといキャラは一人でいいです。2人もいたらうざすぎる。
バッドエンドプリキュアは、どっちかってーとハートキャッチの大幹部に近いかな。自分のために他者の排除も厭わない、むしろ他者を排斥して自分の優位性を確固たるものにしようとする意思といったところ。そういう意味では前回ジョーカーが言ったように醜い感情の具現化です。といっても実際こういう人達もいるでしょうが。自己中心的な人達ですね。全くどうでもいい話ですが、同じ自己中でも私のように他人に興味がない(他人と比べない、羨まない、妬まない、そもそも他人が居ても居なくてもどうでもいい)人と、どっちが面倒臭い(根が深い)んでしょうね。私からすると他人を排斥しようとする人もまた他者との関わりを求めているように見えるんだけれど。
爆撃。ポップはミラクルジュエル(キャンディ)を抱えながら攻撃をかいくぐります。ジョーカー的にはバッドエンドプリキュアは時間稼ぎ。ミラクルジュエルが本命です。
諦めが悪いポップにジョーカーは辟易しながらプリキュアが苦戦している映像を見せます。士気を挫く算段。ポップは問題の矛先をジョーカーに向けます。そこまでしてミラクルジュエルを手に入れてなにを願う? これは視聴者も気になっていました。
どんな願いをも叶えるという夢の宝石。そして今やあなた方の最後の希望。その奇跡の力を得て叶えようとする願い。それは…。
「そんなものありませーん」
そうきたか。これは予想してなかった。
「なにも願いなんてありませんよ」
ピエーロ様はそんなものなくても世界を滅ぼせる。うん、確かに。彼が絶望の権化なら超越的な力なんていらない。それ自体の論理で達成可能だ。
世界を滅ぼすだけじゃ不十分。夢や希望、奇跡全てを完全に消し去る。その目的のためにもっとも邪魔な物、それがミラクルジュエル。その破壊がジョーカーの目的。
ミラクルジュエルが破壊されたらキャンディの命まで消えてしまいます。それは断固阻止せねばならない。しかしプリキュアはバッドエンド組に阻まれてそれどころじゃありません。ポップが孤軍奮闘。ジョーカーがドリルで迫ってきます。カード便利だなぁ。
②ミラクルジュエルの真相
ロイヤルクロックからクイーンが出てきます。デコル全部揃ってないけど相応にやれるのか。よく見ると立体映像のように透過しています。全てを理解したジョーカーは笑い出します。この人頭回るの早いよね。
「メルヘンランドの女王ロイヤルクイーン。お前はすでにこの世にはいなかったのですね」
この言葉にはポップもプリキュアも驚きます。
ここにいるのはクイーンの最後の力。ミラクルジュエルを守りたいという意思だけが残って抵抗している。残留思念とか残滓なわけね。そうクイーンに問いかけると、クイーンは娘には手出しさせないと応じます。流石最終決戦、情報がどんどん開示されていきます。
つまりキャンディはメルヘンランドの次の女王。これまでに見せた不思議な力も合点がいきます。ジョーカーはまんまと騙されたと感心。ミラクルジュエルとは新しい女王が生まれる卵のこと。なんでも願いを叶える宝石というのは本当の秘密を守るためのデタラメだったとジョーカーは真相を見抜きます。なるほどこれは面白いトリック。ミラクルジュエルはどこにあるんだろう、ジョーカーは何の願いを叶えるんだろう、と視聴者の(先を読む)視線を上手く誘導していたわけですね。簡単に言ってしまえばクイーンとキャンディはクレッシェンドトーン・フェアリートンと同じ関係と言えるでしょうか。クイーンが死んでいることを考えれば、前作同様世代交代を行う意図があるのでしょう。つまり、キャンディを次期女王とした新しい物語に仮託されるわけですね、メルヘンランドそのものも。
新しい女王が生まれたとしても所詮は子ども。復活したピエーロ様に敵うわけがない。ミラクルジュエルなんてもはやどうでもいい代物になったとジョーカーは高をくくります。あー、それダメだよ。子ども番組における次世代(子ども)は最大最強の武器「可能性」の権化。これを放置しちゃダメだって。相変わらずジョーカーは詰めが甘い。
ジョーカーは地球、世界中の生命に呼びかけるとバッドエナジーを回収します。前回世界中の人々からエナジー取ったと言ったような気がしましたが、まあ、何回でも取れるしね。地球が絶望。壮大なスケール。今年もプリキュアは世界がピンチに。砂漠化します。カウントが際限なく回り始めます。
バッドエンドプリキュアもこの機に乗じるようにプリキュアに必殺技を浴びせます。
ジョーカーは楽しそうにクイーンをからかいます。そんなことはない、と答えるクイーン。絶望の淵に立たされようと未来を見る力を失わない限り希望はある。キャンディならどんな困難も乗り越えてくれる。プリキュアと共に。
プリキュアは立ち上がります。5人は再び火事場の馬鹿力モードに。
諦めないで頑張れば未来はキラキラ輝く。キュアハッピー。
友達が宝物。みんなを暖かくする太陽。キュアサニー。
貰った愛をみんなに。世界平和はヒーローの願い。キュアピース。
大切なものを守るために止まることなく進む。キュアマーチ。
己の無力さを知るたびに磨かれた美しき心。キュアビューティ。
「ネガティブな私!どいてーー!!」
絶望のプリキュアをはね除けます。
③皇帝の帰還
バッドエンドプリキュアが倒され衝撃を受けるジョーカー。凄い顔芸。しかし突然笑い出します。ですよねー。
「おまえらホントになにもわかってねーな! もう手遅れだって言ってるんだよ!」
カウント99。
ピエーロの卵が忽然と消えます。呆気にとられるハッピーの頬に黒い雫が落ちます。黒い絵の具。ジョーカーの声に気づいて視線を向けたプリキュアはぎょっとします。彼はどろどろに黒く溶け出しています。
「光栄です、ピエーロ様の一部になれるなんて…ご一緒に世界をバッドエンドに」
結局この人の正体は分からずじまいか。いわゆる闇の神官みたいなポジションだったわけね。魔神の復活が彼の目的(真意が魔神に仮託されている)。てっきりジョーカーがラスボスでピエーロはフェイクか力の源かと思っていたんだけど、ピエーロに回収されました。ほんと、最後の最後までラスボスの正体(真意)が見えない。
空から降ってくるのかと思えば、地面から這い出てくる巨大な頭と手。ちょっと待て、なんか頭が2つ以上ないか!?
「あれは、メルヘンランドをバッドエンドに染めた絶望の巨人でござる」
巨神兵のノリかよ。
ポップは最後のデコルをデコールにはめます。眩い光の中で目覚める意思。
④次回予告
絶望の巨人がバッドエンドドッキングして皇帝ピエーロに? スマイルプリキュア最終決戦仕様。
○トピック
スマイルプリキュア最終決戦その2。
結論を先に書くと、今回のポイントはキャンディが次期女王であること。つまり世代交代されることです。
スマイルにおける問題提起は少数の犠牲の上に幸せが成り立っていることです。文化祭も三幹部もその例示です。少数に限らず、人間の世界は犠牲や苦悩が含意された(場合によっては必要とされる)世界だという構造的問題が指摘されています。前回三幹部はそれを糾弾したわけです。自分達は犠牲になったのだ!と。お前達は知らず知らずのうちに他者を疎外し迫害している。それに気づきもしない。安穏と幸せを感じているだけだと。この孤独な魂を救済する術としてプリキュアは同情(共感)します。これによって孤独な魂にも再び人の愛や暖かさが照らされ彼らの手を取ることができる可能性が示唆されます。
余談ですが、私はよく「可能性」と表現しますが、これは人間の行動・原理が可能性としてしか表せないからです。絶対にこうなる、こうするとは言えない。ある人はそうなっても、別な人がそうなるとは限らない。だから「人間」と括る場合、その人間の原理・行動特性としてそうなる余地があるとしか言えません。まあ、体のいい言い訳や逃げ道とも言えるんですが、そうした可能性(余地)が人に希望や夢、信じる力を与えるわけです。人間は他者を(意図せずとも)疎外し迫害してその上に幸せを作っているけど、その不公平、犠牲を是正したいと思うし是正できる可能性がある、ということを示せれば物語として十分なわけです。この可能性の強度がどれだけのものであるかが物語の核となります。絵に描いた餅、薄っぺらい博愛精神(綺麗事)では詭弁になってしまう。
さて、そうした流れで見たときに前回の解決は根本的な解決にはなりません。犠牲者に手を差しのばしても彼らが迫害される環境が何一つ変わらないのではまた彼らを地獄に突き落とすだけです。彼らの「これまでの物語」を「これからの物語」に変えてやらねば意味がない。スイートで例えると、ノイズは依然として音吉さんやアフロディテ達から距離があります。しかし響達は彼を受け入れている。そうした過渡的な時期があるにしても、最終的には融和していくような世界を提示する必要があります。
そこにキャンディが次期女王という情報が開示されます。これはとても示唆に富んだ話しです。ハートキャッチからプリキュアは世代交代が使われています。たぶんこれはイメージ的にも子ども番組的にも説得力を持たせやすいからだと思います。旧世代における矛盾や欠陥を次世代が克服していく。新しい命と使命によって強いメッセージを持たせられるし、また現実でもそうだと言えます。過去が間違っていた、というよりも人間の世界が常に矛盾と困難を抱える世界であり、その矛盾に疑問を持ち歪みを正せるのは過去の呪縛や慣習に囚われにくい次世代がうってつけなわけですね。実際改善していかないと当事者が困る話しでもあるので他人事でもない。
ウルルン(ウルフルン)達はメルヘンランドの住人なので、そのメルヘンランドが変わる可能性がキャンディに仮託されるのはとても分かりやすい話しです。設定的に使われるか分かりませんが「はじまりの本」は書き換えが可能なので、全ての物語を変えうる素地がスマイルにはあります。子ども達が新しい世界を創っていく。
今回登場したバッドエンドプリキュアは、正味な話しあんま意味がないです。彼女達は自己中心的な存在として対峙していますが、いわゆる心理学でいうところの影(弱い自分、見たくない自分)ではありません。考え方が根本的にみゆき達と違うので、実質的に別人との戦いと思って差し支えありません。現状のハッピー達は自立と共生がかなり高いレベルで両立出来ているので相手にならない。ハッピー達は他者と共にあってこそ真に自己を実現できると確信しているし、そのために個々が頑張らねばならないことを了解しているので諦めもしない。
バッドエンドプリキュアとの対決を最終決戦の展開に入れた理由はおそらく、ラスボス戦前に主人公達に決意表明させるためだろうと思います。前回はウルフルン達を救済したので、今回も救済するような話しにするとどうしてもラスボスとの対決感が薄れる。また救済するの?みたいな。それだと盛り上がらないから、絶望なんかに負けない! 私達は幸せのために、世界平和のために頑張るの!って言わせたかったのだろうと思います。ざっくり言ってしまうと、戦わせられる敵が残ってなかったんで、悪いプリキュア出しとくか的な。プリキュアとバッドエンドプリキュアは感情的なやり取りをしていません。なので今回のエピソードを通じてプリキュアは成長していませんし、新しい何かを見つけたり行ったわけでもありません。彼女達のメンタルは個人回にて完成しているので、再確認する意味合いが強い。現状のハッピー達は自己中心的な発想に染まらなければ、生半可な絶望や困難にもめげない。それを証明しています。
そこで次回いよいよラスボスの登場。当然展開的には一度凹むはずです。その凹みは単なる力による凹みではなく、何かしら人間の内面に起因した凹みであるはずです。ハートキャッチで言えば父親が殺されて憎悪を抱くとか、スイートで言えば音楽が消されるような出来事。ラスボスは最後の困難、プリキュアが最後に乗り越えるべき象徴になる。子ども向け番組とかそういうのを一切考慮せずに、論理的に遡っていくなら「死」だろうと思う。人の根源的な孤独であり絶望。物語の終わり。まあ、流石に「死」は重いので難しいかもしれませんが、バッドエンド側の願いが「無い」というのは一つのヒントになると思います。願いが無いというのはある意味根深い問題です。たとえば三幹部ならミラクルジュエルを必要としたでしょう。自分の環境を変えたい、復讐したい、現実に対して何かしら働きかけたい欲求があるからです。ところがジョーカー(ピエーロ)にはそれがない。執着や欲望がない。彼らは未来を志向していないともとれます。まさしく絶望のキーワードに則った態度です。
ラスボスの正体がギリギリまで分からないのは毎年のことですが、スマイルの1年間を締めくくるに相応しいアンチテーゼを持ってくると確信しています。
人間の希望とは何か。たぶん、それは人間が変わっていけることです。変えていこうとする意思、優しさがある限り人は変わっていく。ただし常に矛盾と苦悩はつきまとう。長期的に見れば同じことを繰り返しているだけなのかもしれません。それでもなお生きることを諦めない。覆しようがない圧倒的な現実、死を前にしてもそれでも己の生を是と言える飽くなき生の肯定。常に生をとおして己を実現させていく。(死をとおして実現させる方法(自死による抗議など)もあるが、私はそれを敢えて認めない。生者のみが現実を変えうる。死者はその出汁に使われる)。それが人間の面白さだと思うのですよ。
第45話「終わりの始まり!プリキュア対三幹部!!」
○今週の出来事
①終わりの始まり
宇宙から隕石のような巨大な物体がやってきます。寝耳に水なみゆき達。こちらも負けてはいられません。クロックのカウントが進むとキャンディが宝石になります。バッドエンドもメルヘンも新年からプリキュアを驚かせることに必死です。
バッドエンド王国。ボロボロになりながらもウルフルン達はジョーカーのもとに集合。呼び出されたようです。ミラクルジュエルが見つかったと言うジョーカー。カードに映像を出してみゆき達の様子を見せます。これ、便利だなぁ。盗撮的な意味で。映像を見てビックリ仰天する三幹部。勿論、このカード欲しいという意味で。
ミラクルジュエルで願いを叶えれば世界は永遠にバッドエンド。彼らの悲願。ウルフルン達は命を賭けても戦うからチャンスをくれと願い出ます。それを聞いたジョーカーは実はみなさんの命は僅かしか残っていないと答えます。さらりと言いやがったよ、この人。黒っぱなの副作用。ハイリスク・ハイリターン。リターンばかり強調してリスクを過小に見せるのは詐欺師の常套手段。次負けたらみなさんの命は確実に消えると予告。これは酷い。呆然とする三幹部にジョーカーはさっきの勢いはどうした、勝てばいい、プリキュアさえ倒せば世界はバッドエンドになる、それとも昔に戻りたいのか?と殺し文句を浴びせます。
ノルかソルか。一か八か。破滅か救済か。ウルフルンはやる、と答えます。その答えに満足そうに口元を歪めるジョーカー。内心御しやすい人達だと思っているでしょう。彼らに選択させているようで最初から選択肢なんてありません。死にたくないなら(それと同じ悲惨を味わいたくないなら)戦えとけしかけているだけです。ジョーカーの態度は終始一貫しています。三幹部は完全な駒。ジョーカーの真の狙いは別なところにある。彼の動機が開示されたときがこの物語最後の対決。
空には変な物体が浮いてるし、手元には宝石化したキャンディがあるしで、何が何だか。すかさずポップがやってきます。解説役が必要です。まずあのデカイ塊から。あれはピエーロの卵。で、ある意味こちらも卵のように見える元キャンディはミラクルジュエル。ポップが答えるよりも先に三幹部が教えます。何が生まれるんだ対決みたいな感じです。
色々と説明が欲しいところですが、それは必要に応じて開示される情報なので、とりあえず今は三幹部戦。バッドエナジーを回収。みゆき達の家族共々みんな諦めモード。育代さんお久しぶりです。相変わらずお美しい。れいかさんのお父さんは相変わらず存在感無いですね。
「ついに始まるのでござる。最後の戦いが」
それが分かれば十分。変身。
ウルフルン達も黒っぱなの力を使って強化。ウルフルンはハッピーとタイマン。アカオーニは当然ピースを狙います。本当はピースとふたりっきりになりたかったのでしょうがサニーがおまけで付いてきます。マジョリーナはマーチとビューティを担当。マーチだけならいいんですが、ビューティさんは色々と酷いので普通だったら敬遠したいところです。
三幹部の強さはプリキュアを圧倒。善戦したかに見えたマーチ・ビューティチームはマジョリーナのだまし討ちによって窮地に陥ります。自分の技って自分にも効果あるんだね。
②弱者達の叫び
絶対に諦めない、と戦意は衰えないプリキュア。しかしピエーロの卵は目前まで迫っています。以前よりもさらに強くなっていると三幹部は説明します。前回出現したときはあっさりやられてしまったので、今度こそ期待したいところです。
プリキュアはそれでも諦めない、自分達の背中には世界の命運がかかっていると答えます。プリキュアの口から世界がどうの、と出た場合その動機はあまり意味が無いと思って差し支えありません。自分達が幸せになるために頑張ったらついでに世界も救われました、が正しいプリキュアの世界の救い方です。日常的実現性、つまり自己とそれに繋がる他者との関係をとおしてのみ人間の可能性は実現される。プリキュアの根幹はそこにあります。
プリンセスフォーム発動。この流れは絶対効かないパターンです。三幹部はガーゴイルっぽいスタンドを出して対抗。予想どおり三幹部が勝ります。
ここで三幹部がプリキュアを圧倒できるのには必然性があります。後述するように彼らはまさに我が身の命運を賭けて戦っています。復讐だからこそ彼らは己の全てを賭けて挑む。この戦いが当事者としての問題だからです。これに対してプリキュアは世界のため、みんなのためと一見するともっともなことを理由にしていますが、彼女達自身の切迫した問題ではありません。「この戦いをとおして自己を実現させる」これが勝敗の鍵だとすれば自ずから勝敗の行方は決まってきます。
「お前達にはわからないオニ」
「あたし達が何度も味わったあの悔しさ、寂しさ、痛み!」
待ちに待った告白タイム。
「あたし達は絵本の中じゃいつも嫌われ者」
「怖がられて嫌われて」
「誰からも相手にされない」
「そんな時だ、俺達の前にジョーカーが現れたのは…」
「痛いでしょう、苦しいでしょう、悔しいでしょう。いけないのはこの下らない世界です。こんな居心地の悪い世界は全部壊しましょう。ピエーロ様が力をくれます。世界から未来を奪って、バッドエンドにしましょう。そうすれば、あなた達の住みやすい世界になりますよ」
「憎いんだよ! ヘラヘラと楽しそうにしてる奴も、未来が明るいとか言ってる脳天気なてめぇらも全部な!」
「疎まれ、蔑まれ、誰からも相手にされない。その悔しさや寂しさ、お前達なんかにはわからないオニ!」
「だからあたし達はピエーロ様と一緒にこの世界すべてを壊すのよ。むかつこの下らない世界を全部ね!」
1話を見たときから、ウルフルンが「未来は全てバッドエンドになる。頑張っても無駄なだけだ」と言ったときからこの展開が訪れることを確信していました。絵本をモチーフにした敵。彼らはいずれも物語の中で悪者にされるキャラクターです。彼らにとって絵本の世界は迫害されるだけの世界でしかありません。自分達を迫害し、省みなかった世界や人々への怨嗟。復讐者。まさにルサンチマン。
彼らの声を聞いたプリキュアは戦意を失います。その様子に戸惑う三幹部。自分も学校で同じようなことがあったとつぶやくピース。サニーも気持ちがわからないでもないと言います。
それを訊いたウルフルンは憤慨。今更それかよ、という話しですね。真相を知ったら手のひら返し。それでチャラになるのかと。
防戦に徹するプリキュア。彼らの心情を知ってしまった以上戦うという選択肢はありません。しかしどうしていいのかもわからない。同情か!?バカにしやがて!とウルフルンは怒気を強めます。プリキュアは彼らが感じていた痛みが少しだけわかった、自分達の世界を守りたいことに変わりはないがそのために戦うのは違うと言葉を返します。
ここで転換が起きます。プリキュアも辛さや痛みを味わってきました。それをどうやって乗り越えてきたかと言えば、自分なりに努力し、また友達の支えがあったからです。もしここで私達は仲良し友達だからお互いに助け合う、でも、お前らは知らない、と言ってしまえばそれこそ迫害と疎外に他なりません。この戦いは、人が人に疎外されることで孤独や強い否定感情が生まれる事実と、人が人を愛することで暖かさや強い肯定感が生まれる事実を浮き彫りにしています。プリキュアと三幹部の違いは愛された者と愛されなかった者達の差です。これはスマイルのみならず、最近のプリキュアシリーズに共通する根本的な問題です。プリキュアが彼らを倒してしまえば、それは永遠に悲劇が繰り返され、ルサンチマンが生み出されていくことを了解(むしろ荷担)することになります。
なんでこんなことになっちゃったの…とつぶやくマーチ。この問いはプリキュアの戦いが自分達の命や生活にかかわるものだったと実感したときに発せられたものと共通しています。ここでも彼女達は現実の複雑さ、自分達が置かれている状況を再認識しています。悪い奴らを倒せばハッピーエンド。それはただの幻想だったのだと。
むかつく!と連呼するウルフルン。ハッピー達の反応は彼らを苛立たせる。「同情」という言葉には微妙なニュアンスがあります。良い方に取れば相手の気持ちを共感し今一度優しさを向けるキッカケになりますが、その一方で今まで散々無視していたのに今更手のひらを返されることへの反発心を相手に呼び起こす可能性もあります。反省すればそれまでのことは水に流せるとでも!と。だから私自身、同情に対しては否定的な態度を持っていました。それは一種の自己欺瞞や新たな自己満足を生む温床になりかねないからです。ああ、なんて可哀想、愛さねばいけない、施さねば(自己満足)的なね。同情は対等ではないわけで、その非対等性こそ迫害された人々が忌み嫌ってきたもののはずです。しかし、でも、その非対等性、哀れみや同情が人にもう一度温かい心を呼び起こすキッカケにもなっていることは事実であり、その同情をとおして人は優しくなれることもまた人のありのままの姿なのだと思うようになってきました。割と最近。
「てめぇらなんかに何がわかるってんだ!」
「毎日幸せで何の不自由もないお前達に」
「人に嫌われたことがないお前達に!」
「私達は…私達はあなた達が感じた嫌な思いを少しでも和らげたい…」
三幹部はハッピー達の瞳がこれまで戦ってきたときと同じ強く真摯で一直線に射るような眼差しであることを見て取ります。彼女達の態度に本気を感じ取る三人。しかしもしここで身を引いたら自分達のこれまでの戦いが無に帰してしまいます。復讐のために戦ってきたのに、それを今ここでやめてしまったら彼らの拠り所も動機も無駄になってしまう。映画を見た人ならお気付きですね、この戦いは映画のテレビ版です。復讐者達の苦しみと、そして袋小路へと入り込んで未来を失った人々の姿が映し出されています。
理性を失ったように禍々しい形相に変貌する三幹部。彼らの怒りをハッピーは受け止めます。
③これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい
三幹部が気づくと元の姿に戻っています。そして目前には巨大なハッピーの姿。菩薩みたいな印象。
三人を手に包み込むとハッピーは言います。
「わたしは絵本の中のみんなが大好き。本当は狼さんも鬼さんも魔女さんもとっても優しいんだよね。絵本がたくさんの夢や希望を与えてくれるのはみんながいてくれるおかげだもん。ありがとう」
ハッピーの感謝に驚き戸惑う三人。初めてありがとうと言われました。
「よかったらわたしと友達になって欲しいな」
罪悪も悔恨も同情の感情も一切なく、屈託無い天真爛漫な笑みを浮かべながらハッピーは言います。今回の一番大事なところです。真相を知り、相手の気持ちを知り、同情し、そして彼女は対等な立場で彼らに友達になって欲しいと言っています。絵的にも状況的にももちろんこれはハッピーが心理面において優位(優しさを与える立場)になっていることは間違いないですが、三人と友達になろうと未来の在り様を提示しているわけですね。
「みんなで一緒に遊ぼう、きっととっても楽しいから」
このアニメは女児向けアニメです。子どもが見るアニメ。だからこう言っているわけです。一見すると乱暴で独りで遊んでいる子がいる。でも本当は一緒に遊びたがっているのかもしれないし、彼がそうせざるをえない理由があったのかもしれない。だからまず友達になってみよう、一緒に遊ぼうと誘ってみようというメッセージです。
根っこの部分では人間は大人も子どももそう変わりないと思う。大人になればなるほど凝り固まっていくから余計に面倒臭くなるんだけどね。
三人は泣きながらハッピーの誘いを受けます。彼らから黒いオーラが出ていきます。すると三人は妖精の姿に。
三人を見たポップはウルルン、オニニン、マジョリン、と呼びかけます。長く辛い旅でござったな、と涙を浮かべながら労うポップ。これをさらりと言える彼も凄い。この苦難、苦しみもまた人生の長い旅路の一つ。
「おかえりでござる」
「ただいま」
最後のデコルが出現。しかしそうはジョーカーが卸さない。黒幕登場。時間稼ぎにはなったと言います。世界中の人々からバッドエナジーを回収。カウント18。
三幹部から出た醜い心。
「いいえ、これは世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心。この世界の絶望とデコルをまぜ合せて…はい出来上がり」
5枚のカードから生み出される黒いプリキュア。
「バッドエンドプリキュアです」
「果たしてあなた方の希望の力で、この絶望のプリキュアに勝てるでしょうか?」
④次回予告
バッドエンドプリキュアの黄色もあざとそう。
新番組予告。クリスマスが終われば現行のプリキュアは用済み。新キャラクター、新商品への期待感を視聴者に抱かせる。これが現実。だがこれがあってこそのプリキュア。紫がカッコイイ。青は眼鏡着用もアリなのか。期待が膨らみます。
NS2の予告も。いよいよスマイル組も先輩に。
○トピック
スマイルプリキュア最終決戦その1。三幹部編。
1話で三幹部戦を消化してくることは予想していたんですが、さらにバッドエンドプリキュアの登場、その後ろにはジョーカー(ピエーロ)が控えているわけで、スマイルがまだまだ奥の手を残していることがわかります。
本当に素晴らしい見事なルサンチマンでした。典型的で模範的な弱者の怒り、憎悪、復讐の感情が三幹部の動機として描かれています。「だからあたし達はピエーロ様と一緒にこの世界すべてを壊すのよ。むかつこの下らない世界を全部ね!」というセリフは完璧にルサンチマンの抱えている感情を表しています。ルサンチマンの復讐とは生の一回性を利用して世界と生そのものへ復讐しようとする欲望、つまり「私の生がこうでしかあり得ないなら、世界よ滅びてしまえ」という全てに対しての復讐感情です。文字通り命を賭けた復讐。自滅的発想ですが、そもそもその自滅へと追い込ませる要因がこの世界にあることを示しています。
本編部分でも触れたように、この三幹部エピソードは映画のエピソードと同じ骨子を持っています。現実に打ちひしがれ、失望し、そこで改善することを諦めた人々のうちに憎悪が生まれ復讐者となる。この世界が幸せや明るさだけでなく、不幸や憎悪を生み出しているのだという指摘です。ここでいう「世界」「現実」という言葉は「人間が作っている世界(現実)」と思ってください。人間が人間を疎外し、人間が人間を憎むその在り様が「世界」という現象です。翻って言えばプリキュアが世界を救うとは、人間を救うことに他なりません。
基本的な骨子は映画と同じなので詳細に書きませんが、映画でも本編でもこのエピソードを書く理由は、世界が一義的なものでなく、常に当事者によって見え方が変わってくる世界であり、様々な矛盾や悲劇が常に生産され続ける世界であることを物語の前提にするためであろうと思います。人間が抱える孤独や憎悪はその関係性や関わりによって生み出されている。そして、それは誰しもが経験し思い抱く感情です。だからこそハッピー達は三幹部の声を訊いたときに我が身にも思い当たる節があることとして受け取っています。
愛されなかった人々の心をどのように救済することができるのか。絵本が大好きなみゆきは絵本の登場人物全てを好きだという。絵本から希望や夢を貰ったみゆきにとって狼たちもまたいなくてはならない愛するべき登場人物達。もちろんこれだけで終わっては彼らの環境は何一つ変わりません。それは是正されるべき点でしょう。しかしプリキュアがまず最初に行うべきは、彼らの心を知り、彼らが決して忌み嫌われるだけの存在ではないことを伝えることでした。
世界には苦悩を抱えたたくさんの孤独な魂がある。それらを救済しうる物語としてプリキュアは包括し創造するだろうと思います。論理的にいってそうなるし、これまでプリキュアがやってきたことはそういうことだったと思います。その一つとしてみゆきは三幹部と友達になっている。物語(絵本)を肯定する物語によって全ての人々の救済をなしうる構造を作り出す。
(例えば「赤ずきんちゃん」をそのまま肯定すると、狼が殺されることも肯定されてしまいます。しかしここで『「赤ずきんちゃん」の狼を愛する人がいる』物語を提示することによって包括的に全ての登場人物、物語を肯定できるようになるわけです。誰からも愛されない孤独な存在があってはならない。そのためには常に愛する人がいてくれる、他者による承認行為が含意された物語構造を作る必要があります)
身内以外の相手にどうやって優しい気持ちを分けていけるのか、それを考えたときに、強者(救済者、強靱な博愛精神)ではない人はもしかしたら同情しかその拠り所が無いのかもしれません。よくよく考えれば人間関係において対等な状況は希です。例え友達、夫婦、同僚の関係であってもその時々で主導権や優位性は変わってきます。後ろめたいこと、弱み、借り貸しの有無によって人間関係には差がでる。またさらに複雑にしているのは、そうした弱者からの問いかけが告発となるときです。そうなると関係は一気に逆転する。このように人間の関係性というのは常に流動的で心理的な要因によって大きく影響されている。そうして見たときに、なるほど同情はキッカケになります。同情をとおして相手の気持ちをくみ取り、自分の態度を改めることができれば悲劇の拡大や再生産の歯止めになる。この自己のうちに生じる優しさ(同情)に対して真摯に見つめること、それをとおして他者に再び働きかけていく行為を私は正しい、公正な態度だと思えます。みゆき達の態度は博愛ではありません。無限の愛ではない。今目の前で泣いている人々を何とかして助けたい、ただそれだけの気持ちです。それまでの利害を超えてただ純粋に人の役に立ちたい。素朴な優しさ。彼らと一緒に遊ぼう、子どもの視点で子どもに出来ることでプリキュアは表現しています。しかし、それは決して子ども騙しではなく、人間が本来的に持ちまた公平公正な態度の源泉なのではないかと思います。それを博愛や利他的な精神として人は賞賛してきました。
「誰かの優しい気持ちって心が温かくなるね(それを感じてるときは、とても幸せな気持ちになれる)」
「私がウルトラハッピーって思った時はいつも誰かの優しさで心が温かいの。だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
とみゆきは言いました。それはたぶん、そうした素朴な感情を基礎においていて、またその素朴な感情に素直に従える強さの表明でもある。素直に従える強さと言いましたが、誰もが思い当たるはずです。それを妨げる意地やいじわる、信念、理念、願望を誰もが持っていることを。だから人間は面倒臭い。
対人関係のそうした素朴な感情をキーとして他者との接点、救済の在り様を提示するのは非常にプリキュアらしい態度です。またそれは人間が持っている本来(根源)的な物だとも思います。結局近視眼的じゃねーかって? そのとおりです。それが人間ってもんです。そして人間はそこから博愛精神だとか、倫理だとか道徳を作ってきたはずです。
同情から生まれた優しさであってもそれが人と人を繋ぎ、絆となっていける可能性を今回のエピソードは提示しています。友達になるとは対等性を目指すということです。何故対等性を目指すのか。それはたぶん、人間が「お互いさま」だからです。お互いに迷惑をかけて、お互いに影響しあって、お互いに与え受け取っている。常に自分が人に与えていると思うのは傲慢だし、常に自分は人から施しを受けていると思うのは卑屈だ。人間は完全に対等になることが少ないように一方的になることも少ない。いわば常にシーソーゲームを続けるようなもの。一方に寄り続けない関係(自分が他者と比較したときに傲慢にも卑屈にもならない認識)として対等性は必要なことだと考えます。そうした相手との距離感、持ちつ持たれつな関係が自立と自己肯定感を養う。つまり、みゆきがあかね達としてきたことをウルフルン達ともしていくことが示唆されているわけです。
ポイントを整理すると、共生の関係を構築する上で一番わかりやすいのは友達になることです。友達とは共生・受容・信頼の意味を含んでいます。ではどのようにして対立していた相手に対しても友達になれるキッカケを作れるかというと、ずばり同情(共感)なわけです。それは人間が持っている素朴で根源的な優しさだと言えます。哀れみや優越感と言うこともできますが、人間の感情は単一ではなく様々に分かれ、また重なっているものでもあります。スマイルはこの人間の優しさの原点に立ち返って彼ら三幹部と戦うことを放棄します。ここでのポイントは、物語(絵本)を否認していないことです。絵本が悪い、今までの在り方が間違っていたとは言っていません。これは敷延すれば、我々の人生もそうです。誰だってどんなに酷い人生を送ってきてもどこかで自分を肯定したい、この酷い人生を耐えてきた自分を肯定したいと思っているはずです。現実問題として過去をやり直すことも出来ません。であるからこそ、やれることは今のあなたを肯定する、だけになります。これに伴って面白いのは、人間は過去を常に解釈し続ける生き物である点です。ポップが言ったように長い旅だったとこれまでの出来事をいい意味で受け入れることができるようにもなる。人間の歴史とは「自分は何であったか」という問いと同じです。その解釈は今の自分の肯定感、在り方によって変わってきます。…って話しがズレた。
敵と友達になるのはスイートで試みられたアプローチだったわけですが、スマイルはそれを継承しつつ、独自のアプローチも含めて行っています。スイートはコミュニケーションを取ることが一つの条件でしたが、スマイルは同情によってその垣根を越える試みが為されています。みゆき達は素朴で普通の女の子です。その子達なりのやり方で友達になる文法を編み出したわけですね。これによって、前回みゆきが言った「優しい気持ちを色んな人に分けて」いけることが立証されています。三幹部との戦いをつうじて彼女達は自己実現を図っています。
さて、これは序の口です。三幹部の救済は予想していたしこれがクライマックスでないことはわかっていました。しかしまさかジョーカーの前にバッドエンドプリキュアなるものが登場するなんて思ってませんでした。おそらくこの対決はもっと抽象性(普遍性)を上げてくるはずです。ジョーカーは世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心を使ってプリキュアを作り出している。その対決がどういうものであるか、またそれがジョーカーとの対決の前哨戦としてどのように位置づけられていくのか。今回のエピソードがそれらとどのように繋がっていくか。スマイルは一体どこへ行くのか。ラスボスは一体どんな動機を持ち、プリキュアに投げかけてくるのか。プリキュアの最終決戦は感想書くのが疲れる。だが、それが嬉しい。
①終わりの始まり
宇宙から隕石のような巨大な物体がやってきます。寝耳に水なみゆき達。こちらも負けてはいられません。クロックのカウントが進むとキャンディが宝石になります。バッドエンドもメルヘンも新年からプリキュアを驚かせることに必死です。
バッドエンド王国。ボロボロになりながらもウルフルン達はジョーカーのもとに集合。呼び出されたようです。ミラクルジュエルが見つかったと言うジョーカー。カードに映像を出してみゆき達の様子を見せます。これ、便利だなぁ。盗撮的な意味で。映像を見てビックリ仰天する三幹部。勿論、このカード欲しいという意味で。
ミラクルジュエルで願いを叶えれば世界は永遠にバッドエンド。彼らの悲願。ウルフルン達は命を賭けても戦うからチャンスをくれと願い出ます。それを聞いたジョーカーは実はみなさんの命は僅かしか残っていないと答えます。さらりと言いやがったよ、この人。黒っぱなの副作用。ハイリスク・ハイリターン。リターンばかり強調してリスクを過小に見せるのは詐欺師の常套手段。次負けたらみなさんの命は確実に消えると予告。これは酷い。呆然とする三幹部にジョーカーはさっきの勢いはどうした、勝てばいい、プリキュアさえ倒せば世界はバッドエンドになる、それとも昔に戻りたいのか?と殺し文句を浴びせます。
ノルかソルか。一か八か。破滅か救済か。ウルフルンはやる、と答えます。その答えに満足そうに口元を歪めるジョーカー。内心御しやすい人達だと思っているでしょう。彼らに選択させているようで最初から選択肢なんてありません。死にたくないなら(それと同じ悲惨を味わいたくないなら)戦えとけしかけているだけです。ジョーカーの態度は終始一貫しています。三幹部は完全な駒。ジョーカーの真の狙いは別なところにある。彼の動機が開示されたときがこの物語最後の対決。
空には変な物体が浮いてるし、手元には宝石化したキャンディがあるしで、何が何だか。すかさずポップがやってきます。解説役が必要です。まずあのデカイ塊から。あれはピエーロの卵。で、ある意味こちらも卵のように見える元キャンディはミラクルジュエル。ポップが答えるよりも先に三幹部が教えます。何が生まれるんだ対決みたいな感じです。
色々と説明が欲しいところですが、それは必要に応じて開示される情報なので、とりあえず今は三幹部戦。バッドエナジーを回収。みゆき達の家族共々みんな諦めモード。育代さんお久しぶりです。相変わらずお美しい。れいかさんのお父さんは相変わらず存在感無いですね。
「ついに始まるのでござる。最後の戦いが」
それが分かれば十分。変身。
ウルフルン達も黒っぱなの力を使って強化。ウルフルンはハッピーとタイマン。アカオーニは当然ピースを狙います。本当はピースとふたりっきりになりたかったのでしょうがサニーがおまけで付いてきます。マジョリーナはマーチとビューティを担当。マーチだけならいいんですが、ビューティさんは色々と酷いので普通だったら敬遠したいところです。
三幹部の強さはプリキュアを圧倒。善戦したかに見えたマーチ・ビューティチームはマジョリーナのだまし討ちによって窮地に陥ります。自分の技って自分にも効果あるんだね。
②弱者達の叫び
絶対に諦めない、と戦意は衰えないプリキュア。しかしピエーロの卵は目前まで迫っています。以前よりもさらに強くなっていると三幹部は説明します。前回出現したときはあっさりやられてしまったので、今度こそ期待したいところです。
プリキュアはそれでも諦めない、自分達の背中には世界の命運がかかっていると答えます。プリキュアの口から世界がどうの、と出た場合その動機はあまり意味が無いと思って差し支えありません。自分達が幸せになるために頑張ったらついでに世界も救われました、が正しいプリキュアの世界の救い方です。日常的実現性、つまり自己とそれに繋がる他者との関係をとおしてのみ人間の可能性は実現される。プリキュアの根幹はそこにあります。
プリンセスフォーム発動。この流れは絶対効かないパターンです。三幹部はガーゴイルっぽいスタンドを出して対抗。予想どおり三幹部が勝ります。
ここで三幹部がプリキュアを圧倒できるのには必然性があります。後述するように彼らはまさに我が身の命運を賭けて戦っています。復讐だからこそ彼らは己の全てを賭けて挑む。この戦いが当事者としての問題だからです。これに対してプリキュアは世界のため、みんなのためと一見するともっともなことを理由にしていますが、彼女達自身の切迫した問題ではありません。「この戦いをとおして自己を実現させる」これが勝敗の鍵だとすれば自ずから勝敗の行方は決まってきます。
「お前達にはわからないオニ」
「あたし達が何度も味わったあの悔しさ、寂しさ、痛み!」
待ちに待った告白タイム。
「あたし達は絵本の中じゃいつも嫌われ者」
「怖がられて嫌われて」
「誰からも相手にされない」
「そんな時だ、俺達の前にジョーカーが現れたのは…」
「痛いでしょう、苦しいでしょう、悔しいでしょう。いけないのはこの下らない世界です。こんな居心地の悪い世界は全部壊しましょう。ピエーロ様が力をくれます。世界から未来を奪って、バッドエンドにしましょう。そうすれば、あなた達の住みやすい世界になりますよ」
「憎いんだよ! ヘラヘラと楽しそうにしてる奴も、未来が明るいとか言ってる脳天気なてめぇらも全部な!」
「疎まれ、蔑まれ、誰からも相手にされない。その悔しさや寂しさ、お前達なんかにはわからないオニ!」
「だからあたし達はピエーロ様と一緒にこの世界すべてを壊すのよ。むかつこの下らない世界を全部ね!」
1話を見たときから、ウルフルンが「未来は全てバッドエンドになる。頑張っても無駄なだけだ」と言ったときからこの展開が訪れることを確信していました。絵本をモチーフにした敵。彼らはいずれも物語の中で悪者にされるキャラクターです。彼らにとって絵本の世界は迫害されるだけの世界でしかありません。自分達を迫害し、省みなかった世界や人々への怨嗟。復讐者。まさにルサンチマン。
彼らの声を聞いたプリキュアは戦意を失います。その様子に戸惑う三幹部。自分も学校で同じようなことがあったとつぶやくピース。サニーも気持ちがわからないでもないと言います。
それを訊いたウルフルンは憤慨。今更それかよ、という話しですね。真相を知ったら手のひら返し。それでチャラになるのかと。
防戦に徹するプリキュア。彼らの心情を知ってしまった以上戦うという選択肢はありません。しかしどうしていいのかもわからない。同情か!?バカにしやがて!とウルフルンは怒気を強めます。プリキュアは彼らが感じていた痛みが少しだけわかった、自分達の世界を守りたいことに変わりはないがそのために戦うのは違うと言葉を返します。
ここで転換が起きます。プリキュアも辛さや痛みを味わってきました。それをどうやって乗り越えてきたかと言えば、自分なりに努力し、また友達の支えがあったからです。もしここで私達は仲良し友達だからお互いに助け合う、でも、お前らは知らない、と言ってしまえばそれこそ迫害と疎外に他なりません。この戦いは、人が人に疎外されることで孤独や強い否定感情が生まれる事実と、人が人を愛することで暖かさや強い肯定感が生まれる事実を浮き彫りにしています。プリキュアと三幹部の違いは愛された者と愛されなかった者達の差です。これはスマイルのみならず、最近のプリキュアシリーズに共通する根本的な問題です。プリキュアが彼らを倒してしまえば、それは永遠に悲劇が繰り返され、ルサンチマンが生み出されていくことを了解(むしろ荷担)することになります。
なんでこんなことになっちゃったの…とつぶやくマーチ。この問いはプリキュアの戦いが自分達の命や生活にかかわるものだったと実感したときに発せられたものと共通しています。ここでも彼女達は現実の複雑さ、自分達が置かれている状況を再認識しています。悪い奴らを倒せばハッピーエンド。それはただの幻想だったのだと。
むかつく!と連呼するウルフルン。ハッピー達の反応は彼らを苛立たせる。「同情」という言葉には微妙なニュアンスがあります。良い方に取れば相手の気持ちを共感し今一度優しさを向けるキッカケになりますが、その一方で今まで散々無視していたのに今更手のひらを返されることへの反発心を相手に呼び起こす可能性もあります。反省すればそれまでのことは水に流せるとでも!と。だから私自身、同情に対しては否定的な態度を持っていました。それは一種の自己欺瞞や新たな自己満足を生む温床になりかねないからです。ああ、なんて可哀想、愛さねばいけない、施さねば(自己満足)的なね。同情は対等ではないわけで、その非対等性こそ迫害された人々が忌み嫌ってきたもののはずです。しかし、でも、その非対等性、哀れみや同情が人にもう一度温かい心を呼び起こすキッカケにもなっていることは事実であり、その同情をとおして人は優しくなれることもまた人のありのままの姿なのだと思うようになってきました。割と最近。
「てめぇらなんかに何がわかるってんだ!」
「毎日幸せで何の不自由もないお前達に」
「人に嫌われたことがないお前達に!」
「私達は…私達はあなた達が感じた嫌な思いを少しでも和らげたい…」
三幹部はハッピー達の瞳がこれまで戦ってきたときと同じ強く真摯で一直線に射るような眼差しであることを見て取ります。彼女達の態度に本気を感じ取る三人。しかしもしここで身を引いたら自分達のこれまでの戦いが無に帰してしまいます。復讐のために戦ってきたのに、それを今ここでやめてしまったら彼らの拠り所も動機も無駄になってしまう。映画を見た人ならお気付きですね、この戦いは映画のテレビ版です。復讐者達の苦しみと、そして袋小路へと入り込んで未来を失った人々の姿が映し出されています。
理性を失ったように禍々しい形相に変貌する三幹部。彼らの怒りをハッピーは受け止めます。
③これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい
三幹部が気づくと元の姿に戻っています。そして目前には巨大なハッピーの姿。菩薩みたいな印象。
三人を手に包み込むとハッピーは言います。
「わたしは絵本の中のみんなが大好き。本当は狼さんも鬼さんも魔女さんもとっても優しいんだよね。絵本がたくさんの夢や希望を与えてくれるのはみんながいてくれるおかげだもん。ありがとう」
ハッピーの感謝に驚き戸惑う三人。初めてありがとうと言われました。
「よかったらわたしと友達になって欲しいな」
罪悪も悔恨も同情の感情も一切なく、屈託無い天真爛漫な笑みを浮かべながらハッピーは言います。今回の一番大事なところです。真相を知り、相手の気持ちを知り、同情し、そして彼女は対等な立場で彼らに友達になって欲しいと言っています。絵的にも状況的にももちろんこれはハッピーが心理面において優位(優しさを与える立場)になっていることは間違いないですが、三人と友達になろうと未来の在り様を提示しているわけですね。
「みんなで一緒に遊ぼう、きっととっても楽しいから」
このアニメは女児向けアニメです。子どもが見るアニメ。だからこう言っているわけです。一見すると乱暴で独りで遊んでいる子がいる。でも本当は一緒に遊びたがっているのかもしれないし、彼がそうせざるをえない理由があったのかもしれない。だからまず友達になってみよう、一緒に遊ぼうと誘ってみようというメッセージです。
根っこの部分では人間は大人も子どももそう変わりないと思う。大人になればなるほど凝り固まっていくから余計に面倒臭くなるんだけどね。
三人は泣きながらハッピーの誘いを受けます。彼らから黒いオーラが出ていきます。すると三人は妖精の姿に。
三人を見たポップはウルルン、オニニン、マジョリン、と呼びかけます。長く辛い旅でござったな、と涙を浮かべながら労うポップ。これをさらりと言える彼も凄い。この苦難、苦しみもまた人生の長い旅路の一つ。
「おかえりでござる」
「ただいま」
最後のデコルが出現。しかしそうはジョーカーが卸さない。黒幕登場。時間稼ぎにはなったと言います。世界中の人々からバッドエナジーを回収。カウント18。
三幹部から出た醜い心。
「いいえ、これは世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心。この世界の絶望とデコルをまぜ合せて…はい出来上がり」
5枚のカードから生み出される黒いプリキュア。
「バッドエンドプリキュアです」
「果たしてあなた方の希望の力で、この絶望のプリキュアに勝てるでしょうか?」
④次回予告
バッドエンドプリキュアの黄色もあざとそう。
新番組予告。クリスマスが終われば現行のプリキュアは用済み。新キャラクター、新商品への期待感を視聴者に抱かせる。これが現実。だがこれがあってこそのプリキュア。紫がカッコイイ。青は眼鏡着用もアリなのか。期待が膨らみます。
NS2の予告も。いよいよスマイル組も先輩に。
○トピック
スマイルプリキュア最終決戦その1。三幹部編。
1話で三幹部戦を消化してくることは予想していたんですが、さらにバッドエンドプリキュアの登場、その後ろにはジョーカー(ピエーロ)が控えているわけで、スマイルがまだまだ奥の手を残していることがわかります。
本当に素晴らしい見事なルサンチマンでした。典型的で模範的な弱者の怒り、憎悪、復讐の感情が三幹部の動機として描かれています。「だからあたし達はピエーロ様と一緒にこの世界すべてを壊すのよ。むかつこの下らない世界を全部ね!」というセリフは完璧にルサンチマンの抱えている感情を表しています。ルサンチマンの復讐とは生の一回性を利用して世界と生そのものへ復讐しようとする欲望、つまり「私の生がこうでしかあり得ないなら、世界よ滅びてしまえ」という全てに対しての復讐感情です。文字通り命を賭けた復讐。自滅的発想ですが、そもそもその自滅へと追い込ませる要因がこの世界にあることを示しています。
本編部分でも触れたように、この三幹部エピソードは映画のエピソードと同じ骨子を持っています。現実に打ちひしがれ、失望し、そこで改善することを諦めた人々のうちに憎悪が生まれ復讐者となる。この世界が幸せや明るさだけでなく、不幸や憎悪を生み出しているのだという指摘です。ここでいう「世界」「現実」という言葉は「人間が作っている世界(現実)」と思ってください。人間が人間を疎外し、人間が人間を憎むその在り様が「世界」という現象です。翻って言えばプリキュアが世界を救うとは、人間を救うことに他なりません。
基本的な骨子は映画と同じなので詳細に書きませんが、映画でも本編でもこのエピソードを書く理由は、世界が一義的なものでなく、常に当事者によって見え方が変わってくる世界であり、様々な矛盾や悲劇が常に生産され続ける世界であることを物語の前提にするためであろうと思います。人間が抱える孤独や憎悪はその関係性や関わりによって生み出されている。そして、それは誰しもが経験し思い抱く感情です。だからこそハッピー達は三幹部の声を訊いたときに我が身にも思い当たる節があることとして受け取っています。
愛されなかった人々の心をどのように救済することができるのか。絵本が大好きなみゆきは絵本の登場人物全てを好きだという。絵本から希望や夢を貰ったみゆきにとって狼たちもまたいなくてはならない愛するべき登場人物達。もちろんこれだけで終わっては彼らの環境は何一つ変わりません。それは是正されるべき点でしょう。しかしプリキュアがまず最初に行うべきは、彼らの心を知り、彼らが決して忌み嫌われるだけの存在ではないことを伝えることでした。
世界には苦悩を抱えたたくさんの孤独な魂がある。それらを救済しうる物語としてプリキュアは包括し創造するだろうと思います。論理的にいってそうなるし、これまでプリキュアがやってきたことはそういうことだったと思います。その一つとしてみゆきは三幹部と友達になっている。物語(絵本)を肯定する物語によって全ての人々の救済をなしうる構造を作り出す。
(例えば「赤ずきんちゃん」をそのまま肯定すると、狼が殺されることも肯定されてしまいます。しかしここで『「赤ずきんちゃん」の狼を愛する人がいる』物語を提示することによって包括的に全ての登場人物、物語を肯定できるようになるわけです。誰からも愛されない孤独な存在があってはならない。そのためには常に愛する人がいてくれる、他者による承認行為が含意された物語構造を作る必要があります)
身内以外の相手にどうやって優しい気持ちを分けていけるのか、それを考えたときに、強者(救済者、強靱な博愛精神)ではない人はもしかしたら同情しかその拠り所が無いのかもしれません。よくよく考えれば人間関係において対等な状況は希です。例え友達、夫婦、同僚の関係であってもその時々で主導権や優位性は変わってきます。後ろめたいこと、弱み、借り貸しの有無によって人間関係には差がでる。またさらに複雑にしているのは、そうした弱者からの問いかけが告発となるときです。そうなると関係は一気に逆転する。このように人間の関係性というのは常に流動的で心理的な要因によって大きく影響されている。そうして見たときに、なるほど同情はキッカケになります。同情をとおして相手の気持ちをくみ取り、自分の態度を改めることができれば悲劇の拡大や再生産の歯止めになる。この自己のうちに生じる優しさ(同情)に対して真摯に見つめること、それをとおして他者に再び働きかけていく行為を私は正しい、公正な態度だと思えます。みゆき達の態度は博愛ではありません。無限の愛ではない。今目の前で泣いている人々を何とかして助けたい、ただそれだけの気持ちです。それまでの利害を超えてただ純粋に人の役に立ちたい。素朴な優しさ。彼らと一緒に遊ぼう、子どもの視点で子どもに出来ることでプリキュアは表現しています。しかし、それは決して子ども騙しではなく、人間が本来的に持ちまた公平公正な態度の源泉なのではないかと思います。それを博愛や利他的な精神として人は賞賛してきました。
「誰かの優しい気持ちって心が温かくなるね(それを感じてるときは、とても幸せな気持ちになれる)」
「私がウルトラハッピーって思った時はいつも誰かの優しさで心が温かいの。だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
とみゆきは言いました。それはたぶん、そうした素朴な感情を基礎においていて、またその素朴な感情に素直に従える強さの表明でもある。素直に従える強さと言いましたが、誰もが思い当たるはずです。それを妨げる意地やいじわる、信念、理念、願望を誰もが持っていることを。だから人間は面倒臭い。
対人関係のそうした素朴な感情をキーとして他者との接点、救済の在り様を提示するのは非常にプリキュアらしい態度です。またそれは人間が持っている本来(根源)的な物だとも思います。結局近視眼的じゃねーかって? そのとおりです。それが人間ってもんです。そして人間はそこから博愛精神だとか、倫理だとか道徳を作ってきたはずです。
同情から生まれた優しさであってもそれが人と人を繋ぎ、絆となっていける可能性を今回のエピソードは提示しています。友達になるとは対等性を目指すということです。何故対等性を目指すのか。それはたぶん、人間が「お互いさま」だからです。お互いに迷惑をかけて、お互いに影響しあって、お互いに与え受け取っている。常に自分が人に与えていると思うのは傲慢だし、常に自分は人から施しを受けていると思うのは卑屈だ。人間は完全に対等になることが少ないように一方的になることも少ない。いわば常にシーソーゲームを続けるようなもの。一方に寄り続けない関係(自分が他者と比較したときに傲慢にも卑屈にもならない認識)として対等性は必要なことだと考えます。そうした相手との距離感、持ちつ持たれつな関係が自立と自己肯定感を養う。つまり、みゆきがあかね達としてきたことをウルフルン達ともしていくことが示唆されているわけです。
ポイントを整理すると、共生の関係を構築する上で一番わかりやすいのは友達になることです。友達とは共生・受容・信頼の意味を含んでいます。ではどのようにして対立していた相手に対しても友達になれるキッカケを作れるかというと、ずばり同情(共感)なわけです。それは人間が持っている素朴で根源的な優しさだと言えます。哀れみや優越感と言うこともできますが、人間の感情は単一ではなく様々に分かれ、また重なっているものでもあります。スマイルはこの人間の優しさの原点に立ち返って彼ら三幹部と戦うことを放棄します。ここでのポイントは、物語(絵本)を否認していないことです。絵本が悪い、今までの在り方が間違っていたとは言っていません。これは敷延すれば、我々の人生もそうです。誰だってどんなに酷い人生を送ってきてもどこかで自分を肯定したい、この酷い人生を耐えてきた自分を肯定したいと思っているはずです。現実問題として過去をやり直すことも出来ません。であるからこそ、やれることは今のあなたを肯定する、だけになります。これに伴って面白いのは、人間は過去を常に解釈し続ける生き物である点です。ポップが言ったように長い旅だったとこれまでの出来事をいい意味で受け入れることができるようにもなる。人間の歴史とは「自分は何であったか」という問いと同じです。その解釈は今の自分の肯定感、在り方によって変わってきます。…って話しがズレた。
敵と友達になるのはスイートで試みられたアプローチだったわけですが、スマイルはそれを継承しつつ、独自のアプローチも含めて行っています。スイートはコミュニケーションを取ることが一つの条件でしたが、スマイルは同情によってその垣根を越える試みが為されています。みゆき達は素朴で普通の女の子です。その子達なりのやり方で友達になる文法を編み出したわけですね。これによって、前回みゆきが言った「優しい気持ちを色んな人に分けて」いけることが立証されています。三幹部との戦いをつうじて彼女達は自己実現を図っています。
さて、これは序の口です。三幹部の救済は予想していたしこれがクライマックスでないことはわかっていました。しかしまさかジョーカーの前にバッドエンドプリキュアなるものが登場するなんて思ってませんでした。おそらくこの対決はもっと抽象性(普遍性)を上げてくるはずです。ジョーカーは世界中の誰しもが持つ悲しみ、孤独、憎しみの心を使ってプリキュアを作り出している。その対決がどういうものであるか、またそれがジョーカーとの対決の前哨戦としてどのように位置づけられていくのか。今回のエピソードがそれらとどのように繋がっていくか。スマイルは一体どこへ行くのか。ラスボスは一体どんな動機を持ち、プリキュアに投げかけてくるのか。プリキュアの最終決戦は感想書くのが疲れる。だが、それが嬉しい。
第44話「笑顔のひみつ!みゆきと本当のウルトラハッピー!!」
○今週の出来事
①みゆきの物語
街はクリスマスムード。みゆきはみんなと買い物をするため駆け足で待ち合せ場所へ向かいます。みゆきに気づいた4人が合図を送ります。お約束どおりこけます。近くにいた親子が声をかけます。キャンディを手渡す女の子。首に下げた手鏡を見たみゆきは過去の記憶を掘り起こします。
バッドエンド王国外縁。雨に打たれながらウルフルンは憤懣やるかたない様子で一人つぶやきます。自分は一匹狼。「また昔に戻りたいんですか?」ジョーカーの言葉がよみがえります。手には黒っぱな。ラストワン。狙いはキュアハッピー。
ちゃんと生きてました。てっきりピエーロの餌にでもなったかと思ってました。
みゆきは4人に先ほど見た手鏡が自分が持っていたものと似ていたことを話します。今回の話しはこれまでの個人回と少々趣を異にしています。現在進行形ではなく過去の思い出話が主軸。過去-現在-未来という形で提示されます。
その手鏡のおかげで笑顔って大切だと思えるようになったと話すみゆき。私が初めて仲良くなったお友達の話し。
②むかしむかしあるところに一人の女の子がいました
父親の仕事の関係でみゆきはお婆ちゃんの家に一時住むことになりました。当時のみゆきは人見知りで家の中で絵本を読むばかり。心配したお婆ちゃんは手鏡をみゆきにプレゼント。前回に続き今回も小道具に鏡が使われています。自分を映すもの。もう一人の私。
お婆ちゃんは笑う門には福来たる、笑っているときっと楽しいことがやってくると教えます。
その日以来みゆきは手鏡で遊ぶようになります。勇気がわいてきたみゆきは外へ出るようになります。通りかかった家の前で女の子達がママゴトをしているのを見つけます。垣根の影からこっそりと見つめるみゆき。楽しそうな女の子達の姿を見つめるみゆきの表情は段々曇っていきます。輪に入りたいけど入れない。
こういう時に必ずと言っていいほど何故か足下に小枝が落ちているもので、音を立ててしまい気づかれます。立ちすくむみゆき。女の子達が声をかけてきます。手鏡に気づいた女の子が見せてと手を伸ばすとみゆきは逃げ出してしまいます。意図的にこのシーンは怖い雰囲気で描かれています。みゆきの心象では女の子達は未知の存在でややもすると自分を脅かす存在です。鏡を手に取ろうとするというのは、自分の心を見ようとする、はぎ取ろうとする手という風に映ります。
結局外に出ても誰とも友達になれないみゆき。手鏡を取り出すと彼女は呪文を唱えます。
「鏡よ鏡よ鏡さん、私のお友達はどこですか?」
静かな森の風景。たぶんここは秘密基地探しでみゆきが選んだ場所だろうと思います。なるほどお婆ちゃんのところだったのね。
鏡に尋ねても答えは返ってきません。涙ぐむみゆき。すると…。
背を持たれていた大きな木の枝の上にみゆきと同じくらいの年頃の女の子が腰掛けているのを見つけます。驚いて見つめるみゆきに微笑みかける少女。風がみゆきの髪を揺らします。アングルグッジョブ。
話しを聞いていたれいかにその子の名前は?と尋ねられると憶えていないと答えるみゆき。もしかしたら名前を聞いてなかったのかもしれません。
その日以来みゆきが大きな木で遊んでいると必ず少女が来てくれたそうです。鏡に映るみゆき。風が吹くと少女が目の前に居ます。その子とたくさんおしゃべりしてたくさん遊んだ。とっても楽しくてキラキラした時間。その子との想い出を絵本にして描いたそうです。その姿にお婆ちゃんも安心します。
その絵本を持って木の下へ向かっていると例のママゴトをしていた子達とばったり。及び腰になるみゆき。その時「笑って」の声とともに風が吹きます。みゆきは勇気を出すと女の子達に挨拶をします。一瞬呆気にとられるも三人は挨拶を返します。みゆきが持っていた絵本に興味を持った女の子達は見せてとねだります。絵が上手と褒められて恥ずかしがるみゆき。なるほど、これが天使か。段々と打ち解け、女の子達の輪に違和感なく溶け込みます。
そんなみゆきの姿を見届けると少女は風とともに消えます。
「勇気を出して、笑顔で一歩踏み出したらキラキラ輝く未来が待っていた。私その時わかったの。暗い顔をしているとハッピーが逃げちゃう。笑っていたらきっと楽しいことがやってくるんだって」
それから少しずつ初対面の子とも話せるようになって、新しい友達も出来るようになったと話すみゆき。しかしあの日以来少女とは会えなくなってしまい絵本を渡せなかったと述懐します。しかも誰もその少女のことを知らない。ひょっとしたらあの少女は鏡の妖精だったのではないかとみゆきは言います。
それからみゆきは毎日ハッピーを探すようになりました。私の本当のウルトラハッピー。
ということで、みゆきのちょっと不思議な物語。以前お婆ちゃん回の時に妖怪の話しをしていたのでそれと重ねられた演出がされています。少女も座敷童っぽい印象。現実的な話しをするなら、イマジナリーコンパニオンと言えるでしょうか。現時点でのウィキペディアからそのまま引用すると次のようになります。
イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオンとも)は座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳ぐらいの間に消えてしまう。イマジナリーフレンドを持つ子供は空想力が豊かであり、しばしば知性と創造性のしるしとみなされることもある。(解離性同一性障害の項から引用)
一般的と言わないでも比較的あるケースです。今回のエピソードは妖怪話しとも、みゆきと同じような体験を実際にしている子達にとっても共感できるであろう話しになっています。ここで重要なのは、事の真偽や真実ではなく、そうした自分の過去体験、自分がそこで大切だと思ったこと、自分が変わった契機に対して自覚していることにあります。イメージ・体験を基に人格や意思が形作られている。やよいが強い自己イメージ(ヒーロー)を持ち続けていたことと同種。
③お互いの違和感
ウルフルンが街を見下ろします。
みんなでお買い物。本当のウルトラハッピーとは何か。自分でもよく分かっていないと話すみゆき。あかね達はみゆきが大人しかったと知って意外に思います。よくあることです。明るく変わることもあれば、人生に挫折して暗く変わることも。
みゆきはあかね達の名前を一人一人口にします。突然のことに不思議がる友達に呼んでみただけと答えます。変なみゆきちゃん。みゆきは元から変だと言うキャンディ。君にそれを言われてもねぇ。やよいが先ほど会った子に気づきます。一人で寂しそうにしています。
みゆきが駆け寄って話しかけると泣き出してしまいます。戸惑ったみゆきに代わってなおがあやします。迷子は慣れていると話すなお。この辺は率先型のみゆきと面倒見のなおで反応の違いが出ます。
お母さん捜しを買って出る4人。みゆきと女の子(ゆら)は残ってお母さんを待ちます。
泣き止まないゆらにみゆきは手鏡のことを尋ねます。するとゆらはお母さんに貰った、泣き虫だから泣かないようにとおまじないが入っていると話します。それを聞いたみゆきは優しいお母さんだと相づちを打ちます。お母さんが大好きだと答えるゆら。いつの間にか泣き止んでいます。
「誰かの優しい気持ちって心が温かくなるね」
「(それを感じてるときは、とても幸せな気持ちになれる)」
誰ともなしにつぶやくみゆき。いよいよ物語も終盤。みゆきの物語はすなわちスマイルの物語の核心に繋がる。
カウント17。ウルフルンが因縁つけてきます。てめぇに会ってからおかしくなった。てめぇを消して全部リセット。彼が本当に消したいのは違うことなんだろうけど。みゆきの過去を誰も知らないように、ウルフルンの過去を誰も知らない。そして現在だけがある。人は他人の過去にまで視線を向けようとはしない。現在だけを見て解釈する。そこに答えが無いにも関わらず。
ハッピー単独変身。耳にタコが出来ようが、今回も言おう。笑顔が殺人的に可愛い。
レンガに憑依。1話の対比。一気呵成に攻め立てるウルフルン。反撃の隙を与えません。お前らを見ているとイライラすると罵るウルフルン。「あなたは一体なんなの?どうしてそんなに…?」
「いつもスマイルだの友達だの、そんなもん上っ面だけの戯れ言だろうが。てめぇら一人じゃなんにもできねぇくせに! 偉そうに知ったかぶって群れやがる。うっとおしいんだよ!」
「友達は大切だよ。友達の優しさを感じるたびに私は嬉しくなる。幸せな気持ちになれる」
「私みんなが大好き。みんな誰かを守りたいっていう優しい気持ちがあったからプリキュアになった。だから、あなたには下らなくても私達にとってはとっても大切なモノなの」
話しが全く噛み合ってません。この対峙によって明らかになっているのは「私」と「あなた」の垣根。どちらもお互いに相手を理解せず、自分の話しをぶつけている。とどのつまりプリキュアもバッドエンドもやっていることは同じです。愛で戦おうが憎悪で戦おうが、相手を傷つけ争い続けるならその両者になんら違いはない。そしてその違和感に彼女達は次第に気づいていく。何故そこまでするのか、何に苛立っているのか。笑顔だの友達だのと言うがそれはお前らだけのものだろう、と。この誤解を経てプリキュアは融和していく。スマイルも間違いなくその道を行く。これまでのシリーズを見てきて私が一番力強いと感じるのは、この誤解、苦悩をプリキュアは否定しないことだ。誤解と苦悩は決して無くならない。そのために暴力を経たとしても人はそこから何かを生み出していけるという強い肯定。受容と創造。それは妥協と理想とは違う。
打ち下ろされた拳を受け止めるハッピー。
「いつも誰かの優しさがあったから臆病な私も自分の一歩を踏み出すことができた。きっとみんなもそう。誰かの優しさがあったから一人じゃ無理だって思えることにも立ち向かえた! 友達だけじゃないお父さんやお母さん、家族、クラスのみんなや先生、それに大好きなキャンディ! みんなの優しさがどんな時でも私を励ましてくれる。前に進む勇気をくれる! 私の心を温かくしてくれる! 私をウルトラハッピーにしてくれる!」
これまでの個人回を包括。流石主人公。全てはこの一本の道へと繋がる。一人一人が自分の道を見つけながら進む。そこにはたくさんの人々との想い出や影響がある。特定の誰か、ではなく抽象的な他者の愛情として彼女は人の優しさを普遍化させています。人の優しさを守るため、ハッピーは力を出します。
フルボッコタイム。一体なんなんだとつぶやくウルフルン。ハッピーの真っ直ぐな眼差しに対してそんな目で見るんじゃねぇ!と打ち消そうとするように攻撃を行います。
「プリキュア!ハッピーシャワー!シャイニング!」
お、懐かしい、このポーズは1話で失敗したハッピーシャワーのモーションですね。決められたモーションが技となるのではなくて、彼女自身の動きや力が技になるという解釈ができるでしょうか。もはや彼女はごっこ遊びをするなんちゃってプリキュアじゃない。彼女こそがプリキュア。
力を使い果たして膝をつくハッピー。主人公ですらこのザマなのに完全無欠に無双しやがったビューティさんは一体なんなのか。
「あなた達こそ、何をそんなに…」
負けられねぇ!と叫びながら拳を振り上げるとタイミング良く横槍が入ります。仲間がスタンバってます。前回は準備していたんですがビューティが一人でやってしまったので出るタイミングを逸しました。カウント12。特に何も起こりません。全部次回へ持ち越し。
無事親子は再会。手を振ってお別れします。雪が降り出します。
「私ね、みんなのおかげでウルトラハッピーが見つかったの。それはね、人を思いやる優しい心だと思うんだ。私がウルトラハッピーって思った時はいつも誰かの優しさで心が温かいの。だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
「私の名前は星空みゆき。ハッピーなことが大好きでみんなと笑顔でいればきっとキラキラした未来が待ってるって信じています。みんな笑顔でウルトラハッピー!」
④次回予告
三幹部最終決戦。ハッピーは映画版仕様ではないようです。ちょっと残念。あれの作画は大変だしね。
○トピック
個人回を締めくくるみゆき回。「私はパパからいっぱいの愛を貰ったおかげで、人に優しくしようって思える。優しさはきっと人から人へと伝える愛の表現なんだ。あなたに愛が無いのなら、パパから貰った愛を受け取って!」の拡張版。
映画と内容的には重なる点が多い。これはみゆきの特筆すべき点が他者から愛情をもらい、それをまた誰かに返していこうとするところにあることを明示しています。みゆきはある意味でれいか以上に模範的な子です。愛情深く育ち、困難に立ち向かう勇気と粘りもある。自分で考え自分で実行していける。見方を変えれば面白みが無い子とも言えます。弱みがあるやよいやれいかはそれを軸にしたドラマを展開しやすく話しを作りやすい。家庭円満で部活も順調ななおは話しにあまり起伏がありません。
物語の作り方が前作スイートと全く逆。主人公の人格形成も対照的。響は愛情に飢え、そのために期待と不安の波にゆれて誤解を重ねていった子でした。言わば彼女の欠損を埋める(友達を作る)形で物語が展開していました。スマイルは埋めるような穴がありません。その代わりやっているのが王道路線。天真爛漫な子どもが友達を作りながら、困難に直面しながらハッピーを見つける物語。その意味でごっこ遊びから始まり個々人が成長していく展開はこの路線に合致した内容と言えます。
…という前置きは正直何の意味もなくて、結局最終決戦次第。プリキュアは毎年そんな感じ。スイートも同時期で比較すれば身内の問題が解決してノイズにどう向き合うかが問われたように、今作においても敵に愛情を渡せるかが問われる形になっています。アプローチは違えど目指すべきところは同じ。プリキュアシリーズに通念するテーマですね。
プリキュアの、女の子の物語で一番大事とされるのは優しさだろうと思います。プリキュアはその守り手であり伝道者です。その彼女達が何故優しさを大事だと思えるのか、その優しさは一体何なのかを体験し自分の言葉で語ってきたのがこれまでのお話しだと言っていいでしょう。アプローチの仕方や道は違えど彼女達の心には他者から貰った優しさが息づいています。それを自分の中だけに留めず外に向かって返していこう、自分の受けた愛情をみんなにもあげようと自然に思えるようになるまでになっています。これまでの個人回は基本的に自己の完成や成長を表現したものでしたが、みゆきの物語を経ることによって彼女達の物語が統合され一本化しています。
早い話、最終決戦前までの仕込みを完了。こっからが本番。これまで一年近くにわたって築き上げてきたものを踏み台にしてどれだけ高く跳べるか。プリキュアの最終決戦はまさに一年の集大成であり覚悟が問われています。優しさをみんなに分けていきたいとみゆきは語る。しかしその裏で傷つき苦しんでいる人がいる。この矛盾、ギャップを如何にして埋められるか。あるいは、埋めなければならない理由とは何か。様々なことが問われていくはずです。
ちなみに私が再三にわたって敵を救済するだろうと言っているのは、物語を先読みするのが目的ではなく、プリキュアが敵を救済することを通じて「人の救済」を見たいと思っているからです。
プリキュアの敵は人の心を持って登場しています。つまりプリキュアの戦いは人と人との戦い、人間の矛盾や葛藤を含めた広範囲にわたる人間の苦悩の物語であると捉えられます。スイートではプリキュアも敵も同じことに悩み、傷ついて、その結果お互いに争い合っていました。スマイルもそうです。現実に直面する苦悩に対して敵は怠け玉に入ろうと言う。プリキュアは現実を変えて(現実に働きかけて)乗り越えようとする。繰り返しますがプリキュアの戦いとは人間の抱える矛盾やギャップ、苦悩を代弁しています。プリキュアと敵の差は最終的になくなります。「人」という枠になる。敵の救済を通じてハッピーを示すことが出来れば人間の可能性、現実に直面しもがき苦しむ人間がただそこで溺れるだけの存在でないことを証明できる(プリキュアだけが幸せになるのは片手落ち)。プリキュアが勝つかどうかは問題じゃない。この戦いの果てに彼女達はどれだけ人間の力と救いを見せられるか。それをこれまでやってきたのがプリキュアであり、私がこの物語を人間賛歌の物語、生を肯定する物語と言っているのはそのためです。
こんな視点で見ている人はそうそう居ないので私が何言ってるかよく分からないと感じる人は少なくないでしょうけど。何度でも言いますが、この感想はそういう感想です。プリキュアは私にとって最も優れたテキスト。相性が良くて見れば見るほど色々と考え、思うことが出てくる。プリキュアを通じて私の個人的な課題なり思考なりをに文章にする。要するにこの感想はメモだね。
ということで次回から最終決戦。毎年この時期はテンションが上がります。
①みゆきの物語
街はクリスマスムード。みゆきはみんなと買い物をするため駆け足で待ち合せ場所へ向かいます。みゆきに気づいた4人が合図を送ります。お約束どおりこけます。近くにいた親子が声をかけます。キャンディを手渡す女の子。首に下げた手鏡を見たみゆきは過去の記憶を掘り起こします。
バッドエンド王国外縁。雨に打たれながらウルフルンは憤懣やるかたない様子で一人つぶやきます。自分は一匹狼。「また昔に戻りたいんですか?」ジョーカーの言葉がよみがえります。手には黒っぱな。ラストワン。狙いはキュアハッピー。
ちゃんと生きてました。てっきりピエーロの餌にでもなったかと思ってました。
みゆきは4人に先ほど見た手鏡が自分が持っていたものと似ていたことを話します。今回の話しはこれまでの個人回と少々趣を異にしています。現在進行形ではなく過去の思い出話が主軸。過去-現在-未来という形で提示されます。
その手鏡のおかげで笑顔って大切だと思えるようになったと話すみゆき。私が初めて仲良くなったお友達の話し。
②むかしむかしあるところに一人の女の子がいました
父親の仕事の関係でみゆきはお婆ちゃんの家に一時住むことになりました。当時のみゆきは人見知りで家の中で絵本を読むばかり。心配したお婆ちゃんは手鏡をみゆきにプレゼント。前回に続き今回も小道具に鏡が使われています。自分を映すもの。もう一人の私。
お婆ちゃんは笑う門には福来たる、笑っているときっと楽しいことがやってくると教えます。
その日以来みゆきは手鏡で遊ぶようになります。勇気がわいてきたみゆきは外へ出るようになります。通りかかった家の前で女の子達がママゴトをしているのを見つけます。垣根の影からこっそりと見つめるみゆき。楽しそうな女の子達の姿を見つめるみゆきの表情は段々曇っていきます。輪に入りたいけど入れない。
こういう時に必ずと言っていいほど何故か足下に小枝が落ちているもので、音を立ててしまい気づかれます。立ちすくむみゆき。女の子達が声をかけてきます。手鏡に気づいた女の子が見せてと手を伸ばすとみゆきは逃げ出してしまいます。意図的にこのシーンは怖い雰囲気で描かれています。みゆきの心象では女の子達は未知の存在でややもすると自分を脅かす存在です。鏡を手に取ろうとするというのは、自分の心を見ようとする、はぎ取ろうとする手という風に映ります。
結局外に出ても誰とも友達になれないみゆき。手鏡を取り出すと彼女は呪文を唱えます。
「鏡よ鏡よ鏡さん、私のお友達はどこですか?」
静かな森の風景。たぶんここは秘密基地探しでみゆきが選んだ場所だろうと思います。なるほどお婆ちゃんのところだったのね。
鏡に尋ねても答えは返ってきません。涙ぐむみゆき。すると…。
背を持たれていた大きな木の枝の上にみゆきと同じくらいの年頃の女の子が腰掛けているのを見つけます。驚いて見つめるみゆきに微笑みかける少女。風がみゆきの髪を揺らします。アングルグッジョブ。
話しを聞いていたれいかにその子の名前は?と尋ねられると憶えていないと答えるみゆき。もしかしたら名前を聞いてなかったのかもしれません。
その日以来みゆきが大きな木で遊んでいると必ず少女が来てくれたそうです。鏡に映るみゆき。風が吹くと少女が目の前に居ます。その子とたくさんおしゃべりしてたくさん遊んだ。とっても楽しくてキラキラした時間。その子との想い出を絵本にして描いたそうです。その姿にお婆ちゃんも安心します。
その絵本を持って木の下へ向かっていると例のママゴトをしていた子達とばったり。及び腰になるみゆき。その時「笑って」の声とともに風が吹きます。みゆきは勇気を出すと女の子達に挨拶をします。一瞬呆気にとられるも三人は挨拶を返します。みゆきが持っていた絵本に興味を持った女の子達は見せてとねだります。絵が上手と褒められて恥ずかしがるみゆき。なるほど、これが天使か。段々と打ち解け、女の子達の輪に違和感なく溶け込みます。
そんなみゆきの姿を見届けると少女は風とともに消えます。
「勇気を出して、笑顔で一歩踏み出したらキラキラ輝く未来が待っていた。私その時わかったの。暗い顔をしているとハッピーが逃げちゃう。笑っていたらきっと楽しいことがやってくるんだって」
それから少しずつ初対面の子とも話せるようになって、新しい友達も出来るようになったと話すみゆき。しかしあの日以来少女とは会えなくなってしまい絵本を渡せなかったと述懐します。しかも誰もその少女のことを知らない。ひょっとしたらあの少女は鏡の妖精だったのではないかとみゆきは言います。
それからみゆきは毎日ハッピーを探すようになりました。私の本当のウルトラハッピー。
ということで、みゆきのちょっと不思議な物語。以前お婆ちゃん回の時に妖怪の話しをしていたのでそれと重ねられた演出がされています。少女も座敷童っぽい印象。現実的な話しをするなら、イマジナリーコンパニオンと言えるでしょうか。現時点でのウィキペディアからそのまま引用すると次のようになります。
イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオンとも)は座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳ぐらいの間に消えてしまう。イマジナリーフレンドを持つ子供は空想力が豊かであり、しばしば知性と創造性のしるしとみなされることもある。(解離性同一性障害の項から引用)
一般的と言わないでも比較的あるケースです。今回のエピソードは妖怪話しとも、みゆきと同じような体験を実際にしている子達にとっても共感できるであろう話しになっています。ここで重要なのは、事の真偽や真実ではなく、そうした自分の過去体験、自分がそこで大切だと思ったこと、自分が変わった契機に対して自覚していることにあります。イメージ・体験を基に人格や意思が形作られている。やよいが強い自己イメージ(ヒーロー)を持ち続けていたことと同種。
③お互いの違和感
ウルフルンが街を見下ろします。
みんなでお買い物。本当のウルトラハッピーとは何か。自分でもよく分かっていないと話すみゆき。あかね達はみゆきが大人しかったと知って意外に思います。よくあることです。明るく変わることもあれば、人生に挫折して暗く変わることも。
みゆきはあかね達の名前を一人一人口にします。突然のことに不思議がる友達に呼んでみただけと答えます。変なみゆきちゃん。みゆきは元から変だと言うキャンディ。君にそれを言われてもねぇ。やよいが先ほど会った子に気づきます。一人で寂しそうにしています。
みゆきが駆け寄って話しかけると泣き出してしまいます。戸惑ったみゆきに代わってなおがあやします。迷子は慣れていると話すなお。この辺は率先型のみゆきと面倒見のなおで反応の違いが出ます。
お母さん捜しを買って出る4人。みゆきと女の子(ゆら)は残ってお母さんを待ちます。
泣き止まないゆらにみゆきは手鏡のことを尋ねます。するとゆらはお母さんに貰った、泣き虫だから泣かないようにとおまじないが入っていると話します。それを聞いたみゆきは優しいお母さんだと相づちを打ちます。お母さんが大好きだと答えるゆら。いつの間にか泣き止んでいます。
「誰かの優しい気持ちって心が温かくなるね」
「(それを感じてるときは、とても幸せな気持ちになれる)」
誰ともなしにつぶやくみゆき。いよいよ物語も終盤。みゆきの物語はすなわちスマイルの物語の核心に繋がる。
カウント17。ウルフルンが因縁つけてきます。てめぇに会ってからおかしくなった。てめぇを消して全部リセット。彼が本当に消したいのは違うことなんだろうけど。みゆきの過去を誰も知らないように、ウルフルンの過去を誰も知らない。そして現在だけがある。人は他人の過去にまで視線を向けようとはしない。現在だけを見て解釈する。そこに答えが無いにも関わらず。
ハッピー単独変身。耳にタコが出来ようが、今回も言おう。笑顔が殺人的に可愛い。
レンガに憑依。1話の対比。一気呵成に攻め立てるウルフルン。反撃の隙を与えません。お前らを見ているとイライラすると罵るウルフルン。「あなたは一体なんなの?どうしてそんなに…?」
「いつもスマイルだの友達だの、そんなもん上っ面だけの戯れ言だろうが。てめぇら一人じゃなんにもできねぇくせに! 偉そうに知ったかぶって群れやがる。うっとおしいんだよ!」
「友達は大切だよ。友達の優しさを感じるたびに私は嬉しくなる。幸せな気持ちになれる」
「私みんなが大好き。みんな誰かを守りたいっていう優しい気持ちがあったからプリキュアになった。だから、あなたには下らなくても私達にとってはとっても大切なモノなの」
話しが全く噛み合ってません。この対峙によって明らかになっているのは「私」と「あなた」の垣根。どちらもお互いに相手を理解せず、自分の話しをぶつけている。とどのつまりプリキュアもバッドエンドもやっていることは同じです。愛で戦おうが憎悪で戦おうが、相手を傷つけ争い続けるならその両者になんら違いはない。そしてその違和感に彼女達は次第に気づいていく。何故そこまでするのか、何に苛立っているのか。笑顔だの友達だのと言うがそれはお前らだけのものだろう、と。この誤解を経てプリキュアは融和していく。スマイルも間違いなくその道を行く。これまでのシリーズを見てきて私が一番力強いと感じるのは、この誤解、苦悩をプリキュアは否定しないことだ。誤解と苦悩は決して無くならない。そのために暴力を経たとしても人はそこから何かを生み出していけるという強い肯定。受容と創造。それは妥協と理想とは違う。
打ち下ろされた拳を受け止めるハッピー。
「いつも誰かの優しさがあったから臆病な私も自分の一歩を踏み出すことができた。きっとみんなもそう。誰かの優しさがあったから一人じゃ無理だって思えることにも立ち向かえた! 友達だけじゃないお父さんやお母さん、家族、クラスのみんなや先生、それに大好きなキャンディ! みんなの優しさがどんな時でも私を励ましてくれる。前に進む勇気をくれる! 私の心を温かくしてくれる! 私をウルトラハッピーにしてくれる!」
これまでの個人回を包括。流石主人公。全てはこの一本の道へと繋がる。一人一人が自分の道を見つけながら進む。そこにはたくさんの人々との想い出や影響がある。特定の誰か、ではなく抽象的な他者の愛情として彼女は人の優しさを普遍化させています。人の優しさを守るため、ハッピーは力を出します。
フルボッコタイム。一体なんなんだとつぶやくウルフルン。ハッピーの真っ直ぐな眼差しに対してそんな目で見るんじゃねぇ!と打ち消そうとするように攻撃を行います。
「プリキュア!ハッピーシャワー!シャイニング!」
お、懐かしい、このポーズは1話で失敗したハッピーシャワーのモーションですね。決められたモーションが技となるのではなくて、彼女自身の動きや力が技になるという解釈ができるでしょうか。もはや彼女はごっこ遊びをするなんちゃってプリキュアじゃない。彼女こそがプリキュア。
力を使い果たして膝をつくハッピー。主人公ですらこのザマなのに完全無欠に無双しやがったビューティさんは一体なんなのか。
「あなた達こそ、何をそんなに…」
負けられねぇ!と叫びながら拳を振り上げるとタイミング良く横槍が入ります。仲間がスタンバってます。前回は準備していたんですがビューティが一人でやってしまったので出るタイミングを逸しました。カウント12。特に何も起こりません。全部次回へ持ち越し。
無事親子は再会。手を振ってお別れします。雪が降り出します。
「私ね、みんなのおかげでウルトラハッピーが見つかったの。それはね、人を思いやる優しい心だと思うんだ。私がウルトラハッピーって思った時はいつも誰かの優しさで心が温かいの。だからね、これからはみんなから受け取ったその優しい気持ちを色んな人に分けていきたい!」
「私の名前は星空みゆき。ハッピーなことが大好きでみんなと笑顔でいればきっとキラキラした未来が待ってるって信じています。みんな笑顔でウルトラハッピー!」
④次回予告
三幹部最終決戦。ハッピーは映画版仕様ではないようです。ちょっと残念。あれの作画は大変だしね。
○トピック
個人回を締めくくるみゆき回。「私はパパからいっぱいの愛を貰ったおかげで、人に優しくしようって思える。優しさはきっと人から人へと伝える愛の表現なんだ。あなたに愛が無いのなら、パパから貰った愛を受け取って!」の拡張版。
映画と内容的には重なる点が多い。これはみゆきの特筆すべき点が他者から愛情をもらい、それをまた誰かに返していこうとするところにあることを明示しています。みゆきはある意味でれいか以上に模範的な子です。愛情深く育ち、困難に立ち向かう勇気と粘りもある。自分で考え自分で実行していける。見方を変えれば面白みが無い子とも言えます。弱みがあるやよいやれいかはそれを軸にしたドラマを展開しやすく話しを作りやすい。家庭円満で部活も順調ななおは話しにあまり起伏がありません。
物語の作り方が前作スイートと全く逆。主人公の人格形成も対照的。響は愛情に飢え、そのために期待と不安の波にゆれて誤解を重ねていった子でした。言わば彼女の欠損を埋める(友達を作る)形で物語が展開していました。スマイルは埋めるような穴がありません。その代わりやっているのが王道路線。天真爛漫な子どもが友達を作りながら、困難に直面しながらハッピーを見つける物語。その意味でごっこ遊びから始まり個々人が成長していく展開はこの路線に合致した内容と言えます。
…という前置きは正直何の意味もなくて、結局最終決戦次第。プリキュアは毎年そんな感じ。スイートも同時期で比較すれば身内の問題が解決してノイズにどう向き合うかが問われたように、今作においても敵に愛情を渡せるかが問われる形になっています。アプローチは違えど目指すべきところは同じ。プリキュアシリーズに通念するテーマですね。
プリキュアの、女の子の物語で一番大事とされるのは優しさだろうと思います。プリキュアはその守り手であり伝道者です。その彼女達が何故優しさを大事だと思えるのか、その優しさは一体何なのかを体験し自分の言葉で語ってきたのがこれまでのお話しだと言っていいでしょう。アプローチの仕方や道は違えど彼女達の心には他者から貰った優しさが息づいています。それを自分の中だけに留めず外に向かって返していこう、自分の受けた愛情をみんなにもあげようと自然に思えるようになるまでになっています。これまでの個人回は基本的に自己の完成や成長を表現したものでしたが、みゆきの物語を経ることによって彼女達の物語が統合され一本化しています。
早い話、最終決戦前までの仕込みを完了。こっからが本番。これまで一年近くにわたって築き上げてきたものを踏み台にしてどれだけ高く跳べるか。プリキュアの最終決戦はまさに一年の集大成であり覚悟が問われています。優しさをみんなに分けていきたいとみゆきは語る。しかしその裏で傷つき苦しんでいる人がいる。この矛盾、ギャップを如何にして埋められるか。あるいは、埋めなければならない理由とは何か。様々なことが問われていくはずです。
ちなみに私が再三にわたって敵を救済するだろうと言っているのは、物語を先読みするのが目的ではなく、プリキュアが敵を救済することを通じて「人の救済」を見たいと思っているからです。
プリキュアの敵は人の心を持って登場しています。つまりプリキュアの戦いは人と人との戦い、人間の矛盾や葛藤を含めた広範囲にわたる人間の苦悩の物語であると捉えられます。スイートではプリキュアも敵も同じことに悩み、傷ついて、その結果お互いに争い合っていました。スマイルもそうです。現実に直面する苦悩に対して敵は怠け玉に入ろうと言う。プリキュアは現実を変えて(現実に働きかけて)乗り越えようとする。繰り返しますがプリキュアの戦いとは人間の抱える矛盾やギャップ、苦悩を代弁しています。プリキュアと敵の差は最終的になくなります。「人」という枠になる。敵の救済を通じてハッピーを示すことが出来れば人間の可能性、現実に直面しもがき苦しむ人間がただそこで溺れるだけの存在でないことを証明できる(プリキュアだけが幸せになるのは片手落ち)。プリキュアが勝つかどうかは問題じゃない。この戦いの果てに彼女達はどれだけ人間の力と救いを見せられるか。それをこれまでやってきたのがプリキュアであり、私がこの物語を人間賛歌の物語、生を肯定する物語と言っているのはそのためです。
こんな視点で見ている人はそうそう居ないので私が何言ってるかよく分からないと感じる人は少なくないでしょうけど。何度でも言いますが、この感想はそういう感想です。プリキュアは私にとって最も優れたテキスト。相性が良くて見れば見るほど色々と考え、思うことが出てくる。プリキュアを通じて私の個人的な課題なり思考なりをに文章にする。要するにこの感想はメモだね。
ということで次回から最終決戦。毎年この時期はテンションが上がります。
第43話「れいかの道!私、留学します!!」
○今週の出来事
①れいかの物語
生徒会長、学業優秀、本人も品行方正で可愛い。完璧超人を素でいく(時々ガッカリな)美少女青木れいか。
そんなれいかのところへ先生が息を切らせてやってきます。れいかの手を握ると先生は嬉しそうにイギリス留学の選抜メンバーに選ばれたことを伝えます。
全国展開の話しらしく、れいかは日本代表みたいなもののようです。話しが見えないみゆきにれいかは1年生の時に申し込んでいたと少し恥ずかしそうに答えます。ここのポイントは1年生の時、ってところですね。今のれいかがそうしたわけじゃない。
留学は一ヶ月後、期間は1年。帰国したらそのまま卒業という流れでしょう。それを聞いたみゆきとやよいの表情は素直です。困惑している。ふたりの表情を見てれいかもまた素直に喜ぶことができません。
下校。話しを聞いたあかねはれいかにおめでとうと伝えます。留学の話しはなおも知らなかったそうです。必ずしも受かるわけじゃないから前もって言っても当たるも八卦、落ちたら落ちたで要らぬ情報を与えるだけなので事前に告知するかと言えば微妙なところ。後付け設定とか言っちゃいけません。
留学の話しに好意的なみんな。でも…、とれいかは自らプリキュアの話題を振ります。きっと何とかなると答えるみゆき。れいかに心配かけまいとしての言葉でしょう。歯切れ悪く頷くれいか。社交辞令だと分かっている。4人と別れます。この手の話しでは古典とも言える手法、十字路。分岐路。分かれ道。私の道、あなたの道。
れいかの母も留学の話しを聞いて準備を進めます。メモに味噌とか醤油って書いてあるのがなんとも。イギリス料理は評判悪いしね~。
話しを進める母にまだ準備なんて早いと言うれいか。隣に座っていた兄が笑います。彼も留学を応募したらしいですが落選したそうです。改めて妹にお祝いの言葉を贈ります。これはアレです、家族的には留学OK、行ってきなさいムード。兄の期待にはい、と恥ずかしそうに答えます。絶対この家の人はみんなれいかを自慢の娘(妹)だと思ってるに違いない。
「道」。ということで、実父よりも祖父の方がこの家の実権を握っているであろう、お爺ちゃん子なれいかにとっても導き手となるお爺ちゃんの出番です。
祖父に報告すると労う言葉がかけられます。みんな自分のことを喜んでくれてとても光栄だと話します。でもその表情は謙遜というには陰りがあります。それを見て取った祖父は崩した「道」を見せます。もう一枚別の「道」を見せます。さらに崩れている。これも道、あれも道。
「だがどちらも道に違いない。寄り道、脇道、回り道、道とは様々だ。れいか、お前が描く道は一体どんなものであろうな」
プリキュアのお爺ちゃん、お婆ちゃんポジションは作中最高位です。彼らの助言は子どもを正しい道へ導くために発せられる。なんで勉強するのかと迷った時にじゃあ止めればいいと具体的に言いましたが、今回は孫に判断を委ねています。この問題が「どちらが良いか?」ということでなく「自分で選択する」ことにあるからです。こればかりは万言を費やしても意味はない。
「私はいつも目標を定めそれに向かって歩いてきた。周りの人達もみなそれを応援していてくれたから…でも……私は、私の行くべき道は…」
幾枚もの「道」。言葉はあっても実体が掴めない。
ついに一人になるジョーカー。三幹部はどこに行ったのか。放浪しているのか、それとも。
ジョーカーはチームの要であるキュアビューティに狙いを定めます。
池に映ったれいかの像。これもこの手の演出の時に用いられる一般的な手法ですね。自分で自分を見る。実像と虚像。本音と建て前。鏡もよく使われます。つまりこの手の映す道具は全て自己の内面を映すための小道具。
なおがなんで留学しようと思ったのか尋ねます。自分の可能性を試したい、そうした経験が宝物にもなるとお爺さまに言われたと答えるれいか。どちらも一般論として正しい。みゆき達はじゃあやっぱり行かなきゃ、とれいかの背中を押します。なおもいつもみんなのために誰かを優先してきたのだから自分を優先して我儘になって良いと助言します。この問答の面倒なところはその言葉をそのまま受け入れるのもまた何か人の言いなりになっているような感じがする点ですね。(自分の)期待の押しつけが含意されている。人間関係は七面倒臭い。お祝いや褒められることもそれ自体ある種の枷、未来に対する予約(これからもこうしなきゃいけない)になる。期待を裏切れない、という話しですね。だから文字通りの意味での自由意思などというものは無い。幾重にも絡まり重なった関係性の上で意思決定をする。その決定が自分にも他者にも影響すると分かった上でそれでもなおこの決定を下すという強い意志が自由意思と言いうる。
れいかの夢が叶うなら嬉しいとキャンディも応援。みんな留学に肯定的です。
れいかが去った後、「これで良いんだよね」とみんなに言うみゆき。キャンディはみんなが暗く重い表情を浮かべていることに困惑します。やよいは思わず涙ぐみます。みゆきが遠い国に行くからもうすぐお別れしなくちゃならないと説明。それを知ったキャンディは駄々をこねます。れいかのため、と言うなお。そんなの嫌と泣き叫ぶキャンディに誰も応えません。私はこのアングル良いと思います。
弓道部。この部ちゃんと活動しているんだろうか。れいかさんしか居ないイメージがある。的の中心からやや外れて矢が刺さります。表情を変えず二本目。これも外れ。超分かりやすい。中心にダーツの矢が刺さります。
れいかの横から姿を現すジョーカー。怖がらせるの好きだなこの人も。れいかはすぐに彼から飛び退いて距離を取ります。ところで、このれいかさんの格好って凄く可愛いですよね。れいかさんがひたすら矢を射たり、部員と雑談しているだけのDVDでも言い値で買うわ。
早速バッドエナジー空間を作ります。身構えるれいかにジョーカーは悠長な面持ちでそう焦らずに、と言うとれいかを異空間に転送します。勿論カウントは進んで16。みゆき達も校庭で察知。れいかが狙われたのだと察します。
ライトアップ。何故か制服の格好に戻っている自分に戸惑っているとジョーカーが私の部屋にようこそと姿を現します。ジョーカーとかピエーロとかにちなんでなのかサーカスの舞台。れいかはすぐに身構えると変身します。彼女には珍しいキビビキとした動き。太ももが良い感じ。ビューティの変身の見所は髪が変身前と変身後に切り替わる瞬間です。そこが一番可愛く、美しい。
②行き止まり
くす玉をライトアップ。割れるとそこには「祝!!留学!!」のメッセージ。お祝いに来たようです。特にアカオーニさんがそうなんですが、この人達は余計なことしなければプリキュアはもっと早期に解散しているか、今週もれいかは旅立ったと思います。その意味でとても余計なことをしているわけですが、彼らの仕事はその余計なことをして、プリキュアに自覚と責任、意思を持たせることなので、とても仕事熱心な方々と言えます。
予想外な反応にビューティは戸惑います。
あなた居なくなっちゃうんでしょ?と挑発するように言うジョーカー。何もしなくてもプリキュアが一人減ってくれる。あなたの思いどおりには!と挑みかかるビューティ。それを軽々とかわしたジョーカーは引退試合だと鏡に黒っぱなを憑依させます。先ほども述べたように鏡もこの手の場合必要とされる小道具です。初めてビューティが変身した時も白雪姫の鏡が使われたので、その辺もダブらせているのかもしれません。所々5話と同じ構図が使われています。
犬デコルを使ってキャンディが捜索。あたりを付けます。最近、地味に役に立ちます。とりあえず変身しときます。
一人でアカンベェと戦うビューティにプリキュアを辞めるのに何故戦っているんです?と問いかけるジョーカー。お得意の心理戦です。プリキュアを辞めるとは…と言いかけたビューティにジョーカーはもったい付けて(ついでにライトも点けて)留学を取りやめるのかと尋ねます。ジョーカーの目的はビューティを離脱させることではなく、彼女の心をへし折ることのようです。彼が登場すると大抵そういう方向に話しが行くので、これは彼(プリキュア全体)の根幹に関わることなのでしょう。
場所を変えながら神出鬼没にビューティに言葉を投げかけるジョーカー。演出頑張り過ぎだろ。
「私、あなたを見直しますよ」
「どういう意味です?」
「だって、留学しないということは、あなたみなさんの期待を裏切るのでしょう?」
流石ジョーカー、良いツッコミをします。れいかは優等生でみんなの規範になる(なれる)子。言い換えれば規範を求められる子。そして彼女自身もそう在りたいとも思っている。生徒会長として生徒達の模範となる云々は前回のれいか回でもやっています。基本的に彼女は受け身。留学の話しも彼女の話しぶりや以前の彼女の姿から察すれば周囲に促されて選んだのだろうと思われます。れいかの話しは自分の意思を問う文脈で描かれています。そして今回はその締めである意思決定が求められている。
ジョーカーは古いテレビを用意すると、そこにれいかの留学を喜ぶみんなの姿を映し出して見せます。みんな喜んでいるのに辞めると言ったらどんなにガッカリするか。これは酷い精神攻撃。この手の従順なタイプの子には辛い。ただでさえ断れない雰囲気って重いのにこの圧迫感はきつい。もっとも、些か誇張しているとはいえ、これはれいかの内面に常にわき起こる葛藤とも言えます。彼女は常に周囲の人達のことを視野に入れて行動する。良い子ちゃんで、受け身で従順で真面目な子。れいかはそういう子を代表しています。
「そんな酷いこと、とても素敵ですね」
ジョーカーさんノリノリだぁ。
アカンベェの鏡が光ると、景色は一変してイギリスに。あなたが歩むべき未来、だと言うジョーカー。
「あなたはあなた、みなさんはみなさん。何よりそのみなさんがあなたの未来を喜んでくれているのでしょう? 何を迷うことがあるんです? あなたは夢を叶え、みなさんは喜び、ついでに私も嬉しい。誰もが喜ぶ最高の未来じゃないですか!」
良い仕事しますな。鏡に映ったビューティの姿を使ってジョーカーは彼女に留学を勧めます。
「キュアビューティ、いえ、ただの青木れいかさん。いままで本当にお疲れ様でした」
変身が解け困惑するれいか。
「任期満了、円満卒業、あなたはもうプリキュアではない」
れいかは崩れ落ちます
ちょっと物語の趣旨からは外れるのですが、ここでれいかが追い詰められているのは、プリキュアと留学の両天秤が彼女の内面において二律背反しているという面もあります。留学はみんなの期待がかかっている。同じようにプリキュアもみんなの期待がかかっている。両方とも他者と関係がある話しです。これまでの経緯から言ってもプリキュアをやることはれいか自身意義を見いだしているのでなおさらです。ジョーカーが表面化させ、またれいかに突きつけたのはどちらを取るかで優劣をつける、またはどちらかを切り捨てるという背徳感や良心の呵責ではなく(それもあるんですが、それ以上に精神的に堪えるのは)、れいか自身の限界、つまりどちらを選んでも期待を裏切ってしまうし、同時にそれが期待に応えることだという矛盾です。従順な子に二律背反する命題を突きつけたわけですね。スイートの16話で響が奏と母との狭間で苦しんだのと似ているでしょうか。最早れいかは進むことも退くことも出来なくなったのです。袋小路に追い詰められた彼女は選択することができない。
という解釈が成り立ちます。私だったらそこで絶望するね。作中ではみんなの期待を裏切るのか?がポイントですので、物語の意図とは若干異なるんですが。
トドメを刺そうと構えるとみゆきの声が聞こえてきます。さらにれいかを追い詰めるべく、またあわよくば4人も抹殺できると企んだジョーカーはみゆき達を招待します。
れいかの姿に気づいたサニーが近寄ろうとすると檻が出現し行く手を遮ります。何故変身しないのかと叫ぶサニー。ジョーカーが代わりにもうプリキュアではないと答えます。れいかの表情が凄く良い。袋小路に迷い込んだ顔をしている。アカンベェが4人に襲いかかります。
キャンディがれいかのもとに詰め寄って真偽を確かめようとれいかに話しかけます。答えられないれいかに代わってジョーカーが答えます。留学することに決めたから。その間も4人はアカンベェと交戦。劣勢です。鏡のギミック面白い。
友達なら笑って送り出しましょうよ、と言われたプリキュア達は彼の言葉に同意します。友達を応援するのは当たり前。友達だから私達が笑って送り出してあげなきゃ。笑って…笑って…。
「ごめん、やっぱ無理」
「え?」
ハッピーは檻にしがみつくと友達が居なくなるのに笑えるわけないと泣きます。ハッピーの言葉を皮切りに口々に本音と建て前を打ち明ける3人。それを聞いてれいかも涙を浮かべます。お別れする時にどう送り出すか、自分の感情をどこまで伝えるかというのは判断のしどころだと思います。私はそのまま言っていいんじゃないかと思います。あなたが飛躍し活躍していくことは嬉しい。けど同時にあなたと別れることが辛いのだと言っていいと思うね。それは矛盾する感情ではないし、その人と居たことが価値あることだと自分にも相手にも伝わるから。
泣くハッピー。つられて4人とキャンディが泣き出します。別れを惜しんで何が悪い。どっちみち別れるなら泣きたいときに泣いた方が良い。れいかは行きたくないとつぶやきます。れいかがペタンと地面に座り込んでいるシーンが可愛くて色っぽい。今週は豊作です。
「私も、行きたくない!」
「もっとみんなと一緒に居たい、みんなと別れて離ればなれなんてそんな…そんなの…そんなのやだー!」
子どもみたいに駄々をこねます。たぶん、彼女にとって初めて本気で駄々をこねたんだと思います。と同時に周囲の期待もヘッタクレもなくただ自分の感情を発露させています。自分の感情に従っている。やよいと比較するととても面白い。やよいはややもすると自分の弱い心に従ってしまいそうになるから強いヒーローを求めたのに対して、元々理性が強いれいかは自分の感情に気づきそれを爆発させている。そのどちらにも共通しているのは、自分の中にある様々な感情や意思を統合してより高次の意思決定力を持つに至ることです。それはそうと、キャンディを抱いて泣いているれいかさんの太ももがたまらない。
お涙頂戴な場面を嘲笑ったジョーカーはれいか達にアカンベェを差し向けます。
③この道より我を生かす道なし この道を行く
「お待ちなさい」
来た!お待ちなさい来た!これで勝つる!
アカンベェの前で敢然と立ち上がるれいか。最近言ってませんでしたが、私は太ももと太ももの間の隙間が好きです。
プリキュアを辞めた人が何の真似だ?と言うジョーカーにれいかは毅然とプリキュアを辞めるなどと一言も言ってないと言い切ります。答えを保留にしていただけです。
火事場の馬鹿力モード。いや、今回は、ビューティタイムあるいはビューティショーと言うべきか。周囲が氷に包まれていきます。
「私の名前は青木れいか。またの名をキュアビューティ!」
ライトアップ完了。専用BGMがかかります。ドン、パンパン。何この演出!? ジョーカーが用意したステージを乗っ取りました。これが固有結界ってやつか。単に馬鹿力出すだけじゃねぇ、自分の花道を演出するためにステージまで拵えてしまうビューティ……恐ろしい子!
ハッピー達も呆然と彼女の姿を見つめます。そりゃーそうです。ここまで好き勝手派手にやられたら何にも言えなくなります。強いて言えば、自分の回を担当した演出家に言ってください。ただし黄色、お前はダメな。
「な、なんじゃそりゃー!?」
視聴者とのシンクロ率がここまで高い場面もそうそう無いでしょうな。
ジョーカーがアカンベェの中に入ったと思ったらそのアカンベェをゴックン。そして騎士の格好に。今さっき言ったセリフがまた脳裏をよぎります。この人も大概付き合いが良い。
女の子向けアニメで武器を振り回して戦う、というのは製作側も色々気を遣っていたらしいのですが、最近はもうそんなのどうでもいいかな、ってな感のあるビューティ。キャラソンがかかる中、騎士の一騎打ちのノリでしのぎを削り合います。
「何故再び戦うのです!? 周りの期待に応えて大人しく留学すべきでしょう?」
横なぎ。アイスソードが砕かれます。追撃をかわし、着地すると生えていた氷を引き抜いて剣にします。なるほどこのためのステージか。地形補正が半端ねぇ。
飛びかかり一撃。盾に阻まれまた折れます。
「それはあなたの考え。私の答えじゃない!」
跳ぶと空中ブランコのところからまた氷を拾います。投擲。
「夢を捨て、人を裏切るというのですか!?」
着地と同時に再び剣を抜き、挑みかかる。相手の動きを逸らし一撃。阻まれ剣を手放します。
「道を見失いましたか!」
騎士道に反してビーム。空中ブランコから飛び降りて氷で盾を作ります。ビューティの動きを完璧にトレースするライト。この間も他の4人は呆然と見ているのだろうと思います。ところで、このショー、S席おいくらですか?
「いいえ、見つけたのです!」
両の手に剣を持って挑みます。遂に二刀流も解禁。
「寄り道、脇道、回り道、しかしそれらもすべて道!」
忘れてはいけませんが、このアニメは日曜朝8時半からやっている女児向けアニメです。時々それを作り手も忘れているんじゃないかってくらいの勢いでやるのがこのアニメの良いところです。
殺陣かっけぇ。よく見るとビューティの髪がさっきよりも逆立っています。通常とプリンセスフォームの中間、彼女が力を出し切っている感じがして良い案配。長い後ろ髪がマントにも見えてさらにカッコイイ。それまで遊んでいたジョーカーも目つきがガチになっています。左手で持っていた剣でジョーカーの攻撃を防いで(破損)、跳躍、反転、着地、接近と同時に空いた手で剣を引き抜いて肉薄。ついにジョーカーから槍を引き離します。折れても折れても再生し立ち向かう。彼女の心象と同じですね。この間わずか10秒程度。よもや黄子力研究所の他にもこれほどの隠し球があったとは。
「私が歩く私の道は私が決める私だけの道!」
ジョーカーは跳躍すると無数の分身を作り出します。この期に及んで小細工を弄するなど。
「たとえそれが遠回りだとしても」
「これが嘘偽りのない。私の想い。私の我儘」
「私の道です!」
剣を二つ繋げて弓を作って構えます。固有結界の本領発揮。幾筋ものスポットライトが道を作りジョーカーの姿を照らし出します。
「プリキュア!ビューティブリザード!アロー!」
狙い違わず鏡の盾を射貫きます。残心が鏡に映っているのが上手い。
空間が崩れると晴天とそれを鏡のように映す氷の地面が現出。言うまでもなくビューティの今の心象ですね。終始呆然とするハッピー。ビューティが凄いんじゃないんです、ただ彼女は演出家と作画班に愛されたんです。そこの黄色、何くやしがってるの。君も十分に優遇されてるから。
そういうわけで消化試合。カウント11。デコルは残り2つ。
留学はご破算。
「私はここにいたいんです。みなさんと一緒にいられる今を、大切にしたいんです」
「私の名前は青木れいか。目指す未来へ向かって大切な友達と歩み続ける。それが私の道です」
④次回予告
テレビ版映画。やはり締めはみゆき。
○トピック
れいかがNOと言う回。やよいと同じように一年かけて紡がれたれいかの物語の完結。
対人恐怖症は日本人固有の病症だと言われるほど、日本人は他者の目を気にしやすく何かと対人コストがかかる文化にあると思います。とりわけれいかのように受け身で真面目で周囲の期待に応えようとする人は強迫観念にもならずそれが当たり前だという認識になったりするかもしれません。それがダメということでなく、そうやって周囲の期待や思惑を優先してしまったばかりに自分にとって本当に大切なことに気づけなかったり、見落として二度と手に入れられなくなったりすることがあるかもしれないというのがこのタイプの落とし穴です。自己愛が強すぎる人がややもすると他者との関係性(友情や愛情)を見落としてしまうように、受け身な人は自分の感情を見落としてしまいやすい。実際に精神疾患の例では、受け身で真面目な人が受験や社会で失敗してその責任を親や周囲に転嫁するというのはままあるそうです。人の思惑で動いてきたせいで自分の行為とその結果に対して納得(責任)できなくなってしまうわけですね。
留学の話しはシリーズで言うと2年目、MHの時にもありました。その時は、自分が成長するためには留学しなくてもここで成長できる、という回答が出されています。友達との友情をベースとするプリキュアらしい回答ですね。今回の話しもそれに準じていますが、MHよりも一層個人的意味合いが強くでています。今回もまたやよいと同じように、ただ純粋に私がこうしたいというお話しになっているのがポイントです。
留学を蹴る、っていうのは見方によっては成長の機会を潰しているわけで子ども向けの話しで他にこういった事例があるのか気になるところでもあるんですが、今の世界に満足する気持ちと新たな世界へと歩み出ようとする気持ちを天秤にかけたときにプリキュアは前者を取る。そして選んだ今の世界でなにがしかの課題を克服するところにプリキュアの意思決定があります。また、現代の価値観、ある程度発展して飽和した現代社会において、ガチガチに努力したり、アナログなサクセスストーリーを目指すことに一体どれだけの意味があるのだろう?という問いかけがあると思います。普通の生活でも物質的には十分豊かに暮らせる。夢物語を描けなくなったのだとしても、そこでの生き方というのが新たに見いだされるのではないか。女児向けアニメですらこういう話しが出来るということは、それだけ日本の文化、精神レベルが成熟して内面の豊かさを求める時代になったということですね。
ただそうした現状維持、内面の豊かさを求める風潮があったとしてもそこで前進することを止めた訳じゃない、としっかりとメッセージを打ち出しているのはプリキュアの面目躍如。
現実的に言って留学がそれ自体正しい選択である保証はありません。発展、向上、より高い学歴や技能が幸せや経済力を与えるとは限らない。実例を挙げると私がそうです。工業系の知識がある人は知っていると思うんですが、工業高校には高専というのがあって、工業高校+短大みたいな感じの学校なんですが、私はその受験に落ちました。で、公立の工業高校に入ったんですけど、そこから大企業に就職しました。世間一般で言うと勝ち組でしょうね。給料や福利厚生、待遇などは中小のそれと比べれば高いし、経済的にも何不自由ありません。まー、出世はしないでしょうが(そもそも出世欲もその能力も無い)、普通に暮らす分には申し分ないので私のライフスタイルと合ってます。これが高専受かってたらまず間違いなく今より待遇悪い会社入ってたでしょうね。
そこが人生の、世の中の面白さだと思うんです。どう転ぶかは分からない。この例は経済とか社会、職業的な話しですが、メンタルの話しで言えば、色々と回りくどいことをしながら今に至っています。この感想を読んでいる方は私がハッキリと物を言う、自己肯定感が高い人だと感じると思うんですが、そこに至るまでには相当な時間を要しました。それこそ10年単位でね。その長さが無駄だったか、回り道だったかと言えば、私は必要な過程だったと思ってます。プリキュアの感想8年分も過程の一つです。今の私になるために必要な手順。まあ、もう少し効率的な方法もあったろうけどね。人生っていうのは一回切りなので、寄り道だろうが回り道だろうが、その人にとっては唯一の道です。人生は取捨選択そのものだと言える。成功しても失敗しても自分の人生なのだという肯定感が持てればそれでいいんです。それは何も仕事で成功したとか、留学や高学歴、高収入が担保するものではありません。もちろん自信を持つキッカケにはなるでしょうが、本当の決め手は自分の「使命」に気づくことだと思います。自分が何者で何を望むのか分かり、それを自ら実行していると自覚すること。だからこそ人間は面倒臭くて、だからこそ人間は面白い。人間は現実(身分や経済、災難)を超克しうる力を持つ。その力のせいで自滅することもあるんだけどね。
話しをプリキュアに戻すと、れいかが突き当たったのは期待に応えることと自分の感情とをどう折り合いを付けるか。または二律背反する課題です。これに対する答えはストレート。要するに「自分で納得して決断する」。どちらを選んでも構わない。どうしてそれを選ぶか、その選択に責任を持てるかがこの課題の核心です。れいかは目的のために留学を断りました。この目的を見つけること、その目的を是と言えるだけの実感を持つプロセスにこそ意味がある。彼女の自由意思の表明は彼女の物語の最後の課題です。自分で考えて、自分で悩んで、自分で答えを出す。それは32話でみゆきが表明したことでもあります。自分の大切なモノは何なのか、心を強く持てるか、大切なモノを守れるか、どう選択すべきか、そうした苦悩と葛藤は日常の中で繰り返し繰り返し直面します。そこで立ち止まり、傷ついて考えることを止めてしまうことは怠け玉の中に入ることと同じです。この物語が問うているのは、化け物を倒せとか、悪い奴を退治しろってことじゃない。何でもないような平凡な日常にこそ幸せと不幸の種があって、幸せの種を芽吹かせるためにはあなたの意思が必要なのだということです。
この意思決定に基づいて彼女達は自分の物語を自分の口で語っています。彼女達の言葉には自分が自分を生きているという実感、自己肯定感が滲み出ています。これらの小さな物語は、プリキュアの大テーマである人間賛歌、生を肯定する物語に繋がります。
スマイルはシリーズ的に見ても非常に自立的で、今回ややよいの話しを見れば顕著なように個人的な話しが多く語られています。そこには必ず主体性、つまり自分で考え、自分で行うという経験と決断が伴っています。これは友達と一緒に仲良く力を合わせて困難に立ち向かっていく従来からあるテーマと相反しません。むしろそれを補強すらしています。個人の内面を描こうとすればするほど、如何に人は他者と結びついているか、それが彼女らの人格や決断に大きな影響を与えているかが見えてきます。それはイコール依存とはならない。自分が主体となって他者を受け入れ、意思決定を行えることが描かれている。プリキュアは自立と依存の弁証法から共生の物語へと進んでいるのかもしれません。
次回は今年最後の放送。個人の物語の締めを飾るのはみゆきの物語。
①れいかの物語
生徒会長、学業優秀、本人も品行方正で可愛い。完璧超人を素でいく(時々ガッカリな)美少女青木れいか。
そんなれいかのところへ先生が息を切らせてやってきます。れいかの手を握ると先生は嬉しそうにイギリス留学の選抜メンバーに選ばれたことを伝えます。
全国展開の話しらしく、れいかは日本代表みたいなもののようです。話しが見えないみゆきにれいかは1年生の時に申し込んでいたと少し恥ずかしそうに答えます。ここのポイントは1年生の時、ってところですね。今のれいかがそうしたわけじゃない。
留学は一ヶ月後、期間は1年。帰国したらそのまま卒業という流れでしょう。それを聞いたみゆきとやよいの表情は素直です。困惑している。ふたりの表情を見てれいかもまた素直に喜ぶことができません。
下校。話しを聞いたあかねはれいかにおめでとうと伝えます。留学の話しはなおも知らなかったそうです。必ずしも受かるわけじゃないから前もって言っても当たるも八卦、落ちたら落ちたで要らぬ情報を与えるだけなので事前に告知するかと言えば微妙なところ。後付け設定とか言っちゃいけません。
留学の話しに好意的なみんな。でも…、とれいかは自らプリキュアの話題を振ります。きっと何とかなると答えるみゆき。れいかに心配かけまいとしての言葉でしょう。歯切れ悪く頷くれいか。社交辞令だと分かっている。4人と別れます。この手の話しでは古典とも言える手法、十字路。分岐路。分かれ道。私の道、あなたの道。
れいかの母も留学の話しを聞いて準備を進めます。メモに味噌とか醤油って書いてあるのがなんとも。イギリス料理は評判悪いしね~。
話しを進める母にまだ準備なんて早いと言うれいか。隣に座っていた兄が笑います。彼も留学を応募したらしいですが落選したそうです。改めて妹にお祝いの言葉を贈ります。これはアレです、家族的には留学OK、行ってきなさいムード。兄の期待にはい、と恥ずかしそうに答えます。絶対この家の人はみんなれいかを自慢の娘(妹)だと思ってるに違いない。
「道」。ということで、実父よりも祖父の方がこの家の実権を握っているであろう、お爺ちゃん子なれいかにとっても導き手となるお爺ちゃんの出番です。
祖父に報告すると労う言葉がかけられます。みんな自分のことを喜んでくれてとても光栄だと話します。でもその表情は謙遜というには陰りがあります。それを見て取った祖父は崩した「道」を見せます。もう一枚別の「道」を見せます。さらに崩れている。これも道、あれも道。
「だがどちらも道に違いない。寄り道、脇道、回り道、道とは様々だ。れいか、お前が描く道は一体どんなものであろうな」
プリキュアのお爺ちゃん、お婆ちゃんポジションは作中最高位です。彼らの助言は子どもを正しい道へ導くために発せられる。なんで勉強するのかと迷った時にじゃあ止めればいいと具体的に言いましたが、今回は孫に判断を委ねています。この問題が「どちらが良いか?」ということでなく「自分で選択する」ことにあるからです。こればかりは万言を費やしても意味はない。
「私はいつも目標を定めそれに向かって歩いてきた。周りの人達もみなそれを応援していてくれたから…でも……私は、私の行くべき道は…」
幾枚もの「道」。言葉はあっても実体が掴めない。
ついに一人になるジョーカー。三幹部はどこに行ったのか。放浪しているのか、それとも。
ジョーカーはチームの要であるキュアビューティに狙いを定めます。
池に映ったれいかの像。これもこの手の演出の時に用いられる一般的な手法ですね。自分で自分を見る。実像と虚像。本音と建て前。鏡もよく使われます。つまりこの手の映す道具は全て自己の内面を映すための小道具。
なおがなんで留学しようと思ったのか尋ねます。自分の可能性を試したい、そうした経験が宝物にもなるとお爺さまに言われたと答えるれいか。どちらも一般論として正しい。みゆき達はじゃあやっぱり行かなきゃ、とれいかの背中を押します。なおもいつもみんなのために誰かを優先してきたのだから自分を優先して我儘になって良いと助言します。この問答の面倒なところはその言葉をそのまま受け入れるのもまた何か人の言いなりになっているような感じがする点ですね。(自分の)期待の押しつけが含意されている。人間関係は七面倒臭い。お祝いや褒められることもそれ自体ある種の枷、未来に対する予約(これからもこうしなきゃいけない)になる。期待を裏切れない、という話しですね。だから文字通りの意味での自由意思などというものは無い。幾重にも絡まり重なった関係性の上で意思決定をする。その決定が自分にも他者にも影響すると分かった上でそれでもなおこの決定を下すという強い意志が自由意思と言いうる。
れいかの夢が叶うなら嬉しいとキャンディも応援。みんな留学に肯定的です。
れいかが去った後、「これで良いんだよね」とみんなに言うみゆき。キャンディはみんなが暗く重い表情を浮かべていることに困惑します。やよいは思わず涙ぐみます。みゆきが遠い国に行くからもうすぐお別れしなくちゃならないと説明。それを知ったキャンディは駄々をこねます。れいかのため、と言うなお。そんなの嫌と泣き叫ぶキャンディに誰も応えません。私はこのアングル良いと思います。
弓道部。この部ちゃんと活動しているんだろうか。れいかさんしか居ないイメージがある。的の中心からやや外れて矢が刺さります。表情を変えず二本目。これも外れ。超分かりやすい。中心にダーツの矢が刺さります。
れいかの横から姿を現すジョーカー。怖がらせるの好きだなこの人も。れいかはすぐに彼から飛び退いて距離を取ります。ところで、このれいかさんの格好って凄く可愛いですよね。れいかさんがひたすら矢を射たり、部員と雑談しているだけのDVDでも言い値で買うわ。
早速バッドエナジー空間を作ります。身構えるれいかにジョーカーは悠長な面持ちでそう焦らずに、と言うとれいかを異空間に転送します。勿論カウントは進んで16。みゆき達も校庭で察知。れいかが狙われたのだと察します。
ライトアップ。何故か制服の格好に戻っている自分に戸惑っているとジョーカーが私の部屋にようこそと姿を現します。ジョーカーとかピエーロとかにちなんでなのかサーカスの舞台。れいかはすぐに身構えると変身します。彼女には珍しいキビビキとした動き。太ももが良い感じ。ビューティの変身の見所は髪が変身前と変身後に切り替わる瞬間です。そこが一番可愛く、美しい。
②行き止まり
くす玉をライトアップ。割れるとそこには「祝!!留学!!」のメッセージ。お祝いに来たようです。特にアカオーニさんがそうなんですが、この人達は余計なことしなければプリキュアはもっと早期に解散しているか、今週もれいかは旅立ったと思います。その意味でとても余計なことをしているわけですが、彼らの仕事はその余計なことをして、プリキュアに自覚と責任、意思を持たせることなので、とても仕事熱心な方々と言えます。
予想外な反応にビューティは戸惑います。
あなた居なくなっちゃうんでしょ?と挑発するように言うジョーカー。何もしなくてもプリキュアが一人減ってくれる。あなたの思いどおりには!と挑みかかるビューティ。それを軽々とかわしたジョーカーは引退試合だと鏡に黒っぱなを憑依させます。先ほども述べたように鏡もこの手の場合必要とされる小道具です。初めてビューティが変身した時も白雪姫の鏡が使われたので、その辺もダブらせているのかもしれません。所々5話と同じ構図が使われています。
犬デコルを使ってキャンディが捜索。あたりを付けます。最近、地味に役に立ちます。とりあえず変身しときます。
一人でアカンベェと戦うビューティにプリキュアを辞めるのに何故戦っているんです?と問いかけるジョーカー。お得意の心理戦です。プリキュアを辞めるとは…と言いかけたビューティにジョーカーはもったい付けて(ついでにライトも点けて)留学を取りやめるのかと尋ねます。ジョーカーの目的はビューティを離脱させることではなく、彼女の心をへし折ることのようです。彼が登場すると大抵そういう方向に話しが行くので、これは彼(プリキュア全体)の根幹に関わることなのでしょう。
場所を変えながら神出鬼没にビューティに言葉を投げかけるジョーカー。演出頑張り過ぎだろ。
「私、あなたを見直しますよ」
「どういう意味です?」
「だって、留学しないということは、あなたみなさんの期待を裏切るのでしょう?」
流石ジョーカー、良いツッコミをします。れいかは優等生でみんなの規範になる(なれる)子。言い換えれば規範を求められる子。そして彼女自身もそう在りたいとも思っている。生徒会長として生徒達の模範となる云々は前回のれいか回でもやっています。基本的に彼女は受け身。留学の話しも彼女の話しぶりや以前の彼女の姿から察すれば周囲に促されて選んだのだろうと思われます。れいかの話しは自分の意思を問う文脈で描かれています。そして今回はその締めである意思決定が求められている。
ジョーカーは古いテレビを用意すると、そこにれいかの留学を喜ぶみんなの姿を映し出して見せます。みんな喜んでいるのに辞めると言ったらどんなにガッカリするか。これは酷い精神攻撃。この手の従順なタイプの子には辛い。ただでさえ断れない雰囲気って重いのにこの圧迫感はきつい。もっとも、些か誇張しているとはいえ、これはれいかの内面に常にわき起こる葛藤とも言えます。彼女は常に周囲の人達のことを視野に入れて行動する。良い子ちゃんで、受け身で従順で真面目な子。れいかはそういう子を代表しています。
「そんな酷いこと、とても素敵ですね」
ジョーカーさんノリノリだぁ。
アカンベェの鏡が光ると、景色は一変してイギリスに。あなたが歩むべき未来、だと言うジョーカー。
「あなたはあなた、みなさんはみなさん。何よりそのみなさんがあなたの未来を喜んでくれているのでしょう? 何を迷うことがあるんです? あなたは夢を叶え、みなさんは喜び、ついでに私も嬉しい。誰もが喜ぶ最高の未来じゃないですか!」
良い仕事しますな。鏡に映ったビューティの姿を使ってジョーカーは彼女に留学を勧めます。
「キュアビューティ、いえ、ただの青木れいかさん。いままで本当にお疲れ様でした」
変身が解け困惑するれいか。
「任期満了、円満卒業、あなたはもうプリキュアではない」
れいかは崩れ落ちます
ちょっと物語の趣旨からは外れるのですが、ここでれいかが追い詰められているのは、プリキュアと留学の両天秤が彼女の内面において二律背反しているという面もあります。留学はみんなの期待がかかっている。同じようにプリキュアもみんなの期待がかかっている。両方とも他者と関係がある話しです。これまでの経緯から言ってもプリキュアをやることはれいか自身意義を見いだしているのでなおさらです。ジョーカーが表面化させ、またれいかに突きつけたのはどちらを取るかで優劣をつける、またはどちらかを切り捨てるという背徳感や良心の呵責ではなく(それもあるんですが、それ以上に精神的に堪えるのは)、れいか自身の限界、つまりどちらを選んでも期待を裏切ってしまうし、同時にそれが期待に応えることだという矛盾です。従順な子に二律背反する命題を突きつけたわけですね。スイートの16話で響が奏と母との狭間で苦しんだのと似ているでしょうか。最早れいかは進むことも退くことも出来なくなったのです。袋小路に追い詰められた彼女は選択することができない。
という解釈が成り立ちます。私だったらそこで絶望するね。作中ではみんなの期待を裏切るのか?がポイントですので、物語の意図とは若干異なるんですが。
トドメを刺そうと構えるとみゆきの声が聞こえてきます。さらにれいかを追い詰めるべく、またあわよくば4人も抹殺できると企んだジョーカーはみゆき達を招待します。
れいかの姿に気づいたサニーが近寄ろうとすると檻が出現し行く手を遮ります。何故変身しないのかと叫ぶサニー。ジョーカーが代わりにもうプリキュアではないと答えます。れいかの表情が凄く良い。袋小路に迷い込んだ顔をしている。アカンベェが4人に襲いかかります。
キャンディがれいかのもとに詰め寄って真偽を確かめようとれいかに話しかけます。答えられないれいかに代わってジョーカーが答えます。留学することに決めたから。その間も4人はアカンベェと交戦。劣勢です。鏡のギミック面白い。
友達なら笑って送り出しましょうよ、と言われたプリキュア達は彼の言葉に同意します。友達を応援するのは当たり前。友達だから私達が笑って送り出してあげなきゃ。笑って…笑って…。
「ごめん、やっぱ無理」
「え?」
ハッピーは檻にしがみつくと友達が居なくなるのに笑えるわけないと泣きます。ハッピーの言葉を皮切りに口々に本音と建て前を打ち明ける3人。それを聞いてれいかも涙を浮かべます。お別れする時にどう送り出すか、自分の感情をどこまで伝えるかというのは判断のしどころだと思います。私はそのまま言っていいんじゃないかと思います。あなたが飛躍し活躍していくことは嬉しい。けど同時にあなたと別れることが辛いのだと言っていいと思うね。それは矛盾する感情ではないし、その人と居たことが価値あることだと自分にも相手にも伝わるから。
泣くハッピー。つられて4人とキャンディが泣き出します。別れを惜しんで何が悪い。どっちみち別れるなら泣きたいときに泣いた方が良い。れいかは行きたくないとつぶやきます。れいかがペタンと地面に座り込んでいるシーンが可愛くて色っぽい。今週は豊作です。
「私も、行きたくない!」
「もっとみんなと一緒に居たい、みんなと別れて離ればなれなんてそんな…そんなの…そんなのやだー!」
子どもみたいに駄々をこねます。たぶん、彼女にとって初めて本気で駄々をこねたんだと思います。と同時に周囲の期待もヘッタクレもなくただ自分の感情を発露させています。自分の感情に従っている。やよいと比較するととても面白い。やよいはややもすると自分の弱い心に従ってしまいそうになるから強いヒーローを求めたのに対して、元々理性が強いれいかは自分の感情に気づきそれを爆発させている。そのどちらにも共通しているのは、自分の中にある様々な感情や意思を統合してより高次の意思決定力を持つに至ることです。それはそうと、キャンディを抱いて泣いているれいかさんの太ももがたまらない。
お涙頂戴な場面を嘲笑ったジョーカーはれいか達にアカンベェを差し向けます。
③この道より我を生かす道なし この道を行く
「お待ちなさい」
来た!お待ちなさい来た!これで勝つる!
アカンベェの前で敢然と立ち上がるれいか。最近言ってませんでしたが、私は太ももと太ももの間の隙間が好きです。
プリキュアを辞めた人が何の真似だ?と言うジョーカーにれいかは毅然とプリキュアを辞めるなどと一言も言ってないと言い切ります。答えを保留にしていただけです。
火事場の馬鹿力モード。いや、今回は、ビューティタイムあるいはビューティショーと言うべきか。周囲が氷に包まれていきます。
「私の名前は青木れいか。またの名をキュアビューティ!」
ライトアップ完了。専用BGMがかかります。ドン、パンパン。何この演出!? ジョーカーが用意したステージを乗っ取りました。これが固有結界ってやつか。単に馬鹿力出すだけじゃねぇ、自分の花道を演出するためにステージまで拵えてしまうビューティ……恐ろしい子!
ハッピー達も呆然と彼女の姿を見つめます。そりゃーそうです。ここまで好き勝手派手にやられたら何にも言えなくなります。強いて言えば、自分の回を担当した演出家に言ってください。ただし黄色、お前はダメな。
「な、なんじゃそりゃー!?」
視聴者とのシンクロ率がここまで高い場面もそうそう無いでしょうな。
ジョーカーがアカンベェの中に入ったと思ったらそのアカンベェをゴックン。そして騎士の格好に。今さっき言ったセリフがまた脳裏をよぎります。この人も大概付き合いが良い。
女の子向けアニメで武器を振り回して戦う、というのは製作側も色々気を遣っていたらしいのですが、最近はもうそんなのどうでもいいかな、ってな感のあるビューティ。キャラソンがかかる中、騎士の一騎打ちのノリでしのぎを削り合います。
「何故再び戦うのです!? 周りの期待に応えて大人しく留学すべきでしょう?」
横なぎ。アイスソードが砕かれます。追撃をかわし、着地すると生えていた氷を引き抜いて剣にします。なるほどこのためのステージか。地形補正が半端ねぇ。
飛びかかり一撃。盾に阻まれまた折れます。
「それはあなたの考え。私の答えじゃない!」
跳ぶと空中ブランコのところからまた氷を拾います。投擲。
「夢を捨て、人を裏切るというのですか!?」
着地と同時に再び剣を抜き、挑みかかる。相手の動きを逸らし一撃。阻まれ剣を手放します。
「道を見失いましたか!」
騎士道に反してビーム。空中ブランコから飛び降りて氷で盾を作ります。ビューティの動きを完璧にトレースするライト。この間も他の4人は呆然と見ているのだろうと思います。ところで、このショー、S席おいくらですか?
「いいえ、見つけたのです!」
両の手に剣を持って挑みます。遂に二刀流も解禁。
「寄り道、脇道、回り道、しかしそれらもすべて道!」
忘れてはいけませんが、このアニメは日曜朝8時半からやっている女児向けアニメです。時々それを作り手も忘れているんじゃないかってくらいの勢いでやるのがこのアニメの良いところです。
殺陣かっけぇ。よく見るとビューティの髪がさっきよりも逆立っています。通常とプリンセスフォームの中間、彼女が力を出し切っている感じがして良い案配。長い後ろ髪がマントにも見えてさらにカッコイイ。それまで遊んでいたジョーカーも目つきがガチになっています。左手で持っていた剣でジョーカーの攻撃を防いで(破損)、跳躍、反転、着地、接近と同時に空いた手で剣を引き抜いて肉薄。ついにジョーカーから槍を引き離します。折れても折れても再生し立ち向かう。彼女の心象と同じですね。この間わずか10秒程度。よもや黄子力研究所の他にもこれほどの隠し球があったとは。
「私が歩く私の道は私が決める私だけの道!」
ジョーカーは跳躍すると無数の分身を作り出します。この期に及んで小細工を弄するなど。
「たとえそれが遠回りだとしても」
「これが嘘偽りのない。私の想い。私の我儘」
「私の道です!」
剣を二つ繋げて弓を作って構えます。固有結界の本領発揮。幾筋ものスポットライトが道を作りジョーカーの姿を照らし出します。
「プリキュア!ビューティブリザード!アロー!」
狙い違わず鏡の盾を射貫きます。残心が鏡に映っているのが上手い。
空間が崩れると晴天とそれを鏡のように映す氷の地面が現出。言うまでもなくビューティの今の心象ですね。終始呆然とするハッピー。ビューティが凄いんじゃないんです、ただ彼女は演出家と作画班に愛されたんです。そこの黄色、何くやしがってるの。君も十分に優遇されてるから。
そういうわけで消化試合。カウント11。デコルは残り2つ。
留学はご破算。
「私はここにいたいんです。みなさんと一緒にいられる今を、大切にしたいんです」
「私の名前は青木れいか。目指す未来へ向かって大切な友達と歩み続ける。それが私の道です」
④次回予告
テレビ版映画。やはり締めはみゆき。
○トピック
れいかがNOと言う回。やよいと同じように一年かけて紡がれたれいかの物語の完結。
対人恐怖症は日本人固有の病症だと言われるほど、日本人は他者の目を気にしやすく何かと対人コストがかかる文化にあると思います。とりわけれいかのように受け身で真面目で周囲の期待に応えようとする人は強迫観念にもならずそれが当たり前だという認識になったりするかもしれません。それがダメということでなく、そうやって周囲の期待や思惑を優先してしまったばかりに自分にとって本当に大切なことに気づけなかったり、見落として二度と手に入れられなくなったりすることがあるかもしれないというのがこのタイプの落とし穴です。自己愛が強すぎる人がややもすると他者との関係性(友情や愛情)を見落としてしまうように、受け身な人は自分の感情を見落としてしまいやすい。実際に精神疾患の例では、受け身で真面目な人が受験や社会で失敗してその責任を親や周囲に転嫁するというのはままあるそうです。人の思惑で動いてきたせいで自分の行為とその結果に対して納得(責任)できなくなってしまうわけですね。
留学の話しはシリーズで言うと2年目、MHの時にもありました。その時は、自分が成長するためには留学しなくてもここで成長できる、という回答が出されています。友達との友情をベースとするプリキュアらしい回答ですね。今回の話しもそれに準じていますが、MHよりも一層個人的意味合いが強くでています。今回もまたやよいと同じように、ただ純粋に私がこうしたいというお話しになっているのがポイントです。
留学を蹴る、っていうのは見方によっては成長の機会を潰しているわけで子ども向けの話しで他にこういった事例があるのか気になるところでもあるんですが、今の世界に満足する気持ちと新たな世界へと歩み出ようとする気持ちを天秤にかけたときにプリキュアは前者を取る。そして選んだ今の世界でなにがしかの課題を克服するところにプリキュアの意思決定があります。また、現代の価値観、ある程度発展して飽和した現代社会において、ガチガチに努力したり、アナログなサクセスストーリーを目指すことに一体どれだけの意味があるのだろう?という問いかけがあると思います。普通の生活でも物質的には十分豊かに暮らせる。夢物語を描けなくなったのだとしても、そこでの生き方というのが新たに見いだされるのではないか。女児向けアニメですらこういう話しが出来るということは、それだけ日本の文化、精神レベルが成熟して内面の豊かさを求める時代になったということですね。
ただそうした現状維持、内面の豊かさを求める風潮があったとしてもそこで前進することを止めた訳じゃない、としっかりとメッセージを打ち出しているのはプリキュアの面目躍如。
現実的に言って留学がそれ自体正しい選択である保証はありません。発展、向上、より高い学歴や技能が幸せや経済力を与えるとは限らない。実例を挙げると私がそうです。工業系の知識がある人は知っていると思うんですが、工業高校には高専というのがあって、工業高校+短大みたいな感じの学校なんですが、私はその受験に落ちました。で、公立の工業高校に入ったんですけど、そこから大企業に就職しました。世間一般で言うと勝ち組でしょうね。給料や福利厚生、待遇などは中小のそれと比べれば高いし、経済的にも何不自由ありません。まー、出世はしないでしょうが(そもそも出世欲もその能力も無い)、普通に暮らす分には申し分ないので私のライフスタイルと合ってます。これが高専受かってたらまず間違いなく今より待遇悪い会社入ってたでしょうね。
そこが人生の、世の中の面白さだと思うんです。どう転ぶかは分からない。この例は経済とか社会、職業的な話しですが、メンタルの話しで言えば、色々と回りくどいことをしながら今に至っています。この感想を読んでいる方は私がハッキリと物を言う、自己肯定感が高い人だと感じると思うんですが、そこに至るまでには相当な時間を要しました。それこそ10年単位でね。その長さが無駄だったか、回り道だったかと言えば、私は必要な過程だったと思ってます。プリキュアの感想8年分も過程の一つです。今の私になるために必要な手順。まあ、もう少し効率的な方法もあったろうけどね。人生っていうのは一回切りなので、寄り道だろうが回り道だろうが、その人にとっては唯一の道です。人生は取捨選択そのものだと言える。成功しても失敗しても自分の人生なのだという肯定感が持てればそれでいいんです。それは何も仕事で成功したとか、留学や高学歴、高収入が担保するものではありません。もちろん自信を持つキッカケにはなるでしょうが、本当の決め手は自分の「使命」に気づくことだと思います。自分が何者で何を望むのか分かり、それを自ら実行していると自覚すること。だからこそ人間は面倒臭くて、だからこそ人間は面白い。人間は現実(身分や経済、災難)を超克しうる力を持つ。その力のせいで自滅することもあるんだけどね。
話しをプリキュアに戻すと、れいかが突き当たったのは期待に応えることと自分の感情とをどう折り合いを付けるか。または二律背反する課題です。これに対する答えはストレート。要するに「自分で納得して決断する」。どちらを選んでも構わない。どうしてそれを選ぶか、その選択に責任を持てるかがこの課題の核心です。れいかは目的のために留学を断りました。この目的を見つけること、その目的を是と言えるだけの実感を持つプロセスにこそ意味がある。彼女の自由意思の表明は彼女の物語の最後の課題です。自分で考えて、自分で悩んで、自分で答えを出す。それは32話でみゆきが表明したことでもあります。自分の大切なモノは何なのか、心を強く持てるか、大切なモノを守れるか、どう選択すべきか、そうした苦悩と葛藤は日常の中で繰り返し繰り返し直面します。そこで立ち止まり、傷ついて考えることを止めてしまうことは怠け玉の中に入ることと同じです。この物語が問うているのは、化け物を倒せとか、悪い奴を退治しろってことじゃない。何でもないような平凡な日常にこそ幸せと不幸の種があって、幸せの種を芽吹かせるためにはあなたの意思が必要なのだということです。
この意思決定に基づいて彼女達は自分の物語を自分の口で語っています。彼女達の言葉には自分が自分を生きているという実感、自己肯定感が滲み出ています。これらの小さな物語は、プリキュアの大テーマである人間賛歌、生を肯定する物語に繋がります。
スマイルはシリーズ的に見ても非常に自立的で、今回ややよいの話しを見れば顕著なように個人的な話しが多く語られています。そこには必ず主体性、つまり自分で考え、自分で行うという経験と決断が伴っています。これは友達と一緒に仲良く力を合わせて困難に立ち向かっていく従来からあるテーマと相反しません。むしろそれを補強すらしています。個人の内面を描こうとすればするほど、如何に人は他者と結びついているか、それが彼女らの人格や決断に大きな影響を与えているかが見えてきます。それはイコール依存とはならない。自分が主体となって他者を受け入れ、意思決定を行えることが描かれている。プリキュアは自立と依存の弁証法から共生の物語へと進んでいるのかもしれません。
次回は今年最後の放送。個人の物語の締めを飾るのはみゆきの物語。
第42話「守りぬけ!なおと家族のたいせつな絆!!」
○今週の出来事
①なおの物語
6人兄弟のなおの家に新しい家族が。期待と自負が高まるなお。
両親は病院へ。娘達に見送られながら、母親は元気な赤ちゃんを産んでくると答えます。展開早っ。家のことを任されたなおは元気よく返事をします。
久しぶりの不思議図書館。みゆき達はれいかからなおの話しを聞きます。弟たちの世話をするのが大変そうだというあかねとやよいに張り切っていたと話すれいか。ところでれいかさんの家の電話、ダイヤル式臭がするな。
それを聞いて安心するあかね達。みゆきは赤ちゃんを抱っこしたいと楽しみにします。そこでみゆきは何かお手伝いをしようと持ちかけます。あかねのお守りやらやよいへの差し入れやら、色々と世話好きな人達です。みゆきが音頭取っているようです。
バッドエンド王国。怪しげな釜の中からりんごが浮き上がります。それを掴み取ったマジョリーナはいつものように不気味な笑みをこぼします。ということで、今週もジョーカーが肩叩きにやってきました。最近ウルフルンさんやアカオーニさん見かけませんよね、次が最後のチャンス、と最後通牒。あなたのへそ曲がりで直球勝負のマーチを倒してくださいと命令します。誰が上手いこと言えと。
商店街へお買い物。今日はカレー。八百屋の親父さんが声をかけます。赤ちゃんが産まれると聞いて納得する親父さん。商店街の人は知っているようです。けいたとはるがなおにカレーの材料を渡します。それを見たひなとゆうたも材料を探そうとしますがなかなか見つけられません。すると親父さんがニンジンをサービスしてくれます。向かいの肉屋さんもサービス。商店街に来ていた人達もなお達に話しかけます。典型的な商店街風景ですね。この手の商店街の最大の欠点は駐車場が無いことです。全くどうでもいいことですが、店主と顔見知りな飯屋はいくつかキープしておきたいものです。色々と融通が利くので。
マジョリーナが箒にのって飛んでいると、なお達を発見。特に幼いひな達に目を付けます。またよからぬことを企みます。
家に戻ってカレーを作ります。けいたとはるがお手伝い。今気づいたけどこの家平屋かよ。居住スペース大変だな。たぶん長じると長男のけいたあたりが自主的に家を出ると思うね。タマネギに悪戦苦闘するなお。
居間ではひなとゆうたがお絵かき。この子達は幼稚園くらいか。ひなは下のゆうたとこうたの面倒を見ています。子どもの頃の年齢による上限関係って絶対に近いよね。大人になると割とどうでもよくなるんだけど。ひなはなお姉ちゃんみたいになると言います。視線の先ではなおが手際よく兄弟を使いながら食事の準備を進めています。憧れであったり嫉妬であったり、兄弟というのは良くも悪くも比較対象になりやすい。
りんごを買うのを失念していたことに気づきます。隠し味として入れているらしい。カレーって隠し味に○○入れるみたいな話しがよく出るんだけど、でもやっぱりテキトーに作ってもカレーだよなっていう。これだけ大家族になると材料の旨味だけでそれなりの味になるんじゃないかと思ったり(学校の給食カレーが美味いのと同じ理由で)。
どうしたものかと迷うなお。話しを聞いていたゆうたはひなを誘って自分達でりんごを買いに行きます。君たちお金持っているのかね? ツケが利きそうではあるけど。
みゆき達がお手伝いにやってきます。小さい子達の遊び相手にはなると言うみゆき。以前も遊び相手になりましたが、結果して家の中がしっちゃかめっちゃかになっただけのような。やよいはお絵かきをしようと言います。適材適所。7人兄弟の一番上、なおはお姉ちゃんのプロやな、と言うあかね。それに答えるようにれいかはなおに初めて弟ができた当時のことを振り返ります。家族はなおの大切な宝物だと話すれいか。自分はなおと親友ですアピールでしょうか。次回の留学ネタに関わってくるのかもしれません。
家の前までくるとなおが血相を変えて飛び出してきます。ひなとゆうたが居ない。
ふたりはりんごを求めて商店街へ。マジョリーナが目を付けます。
手分けして近所を探し回わります。やよいはあれか、ひなの髪型の真似をしているのか。味な真似をしますな(これが言いたかっただけです)。
母親の言葉を思い返すなお。兄弟を任された責任が重く背中にのし掛かります。正直なところ、今回の話しをどう文脈付けるか迷ってるんですが、基本的になおも前回のやよい同様少し浮かれていたと思われます。代理母親、兄弟の一番上だからみんなの面倒を見ようっていう自負心や自尊心の肥大ですね。ところがどっこい世の中美味しい話しばかりじゃない。こういう面倒事も引き受けなければならないし、実は不安の種にもなる。後の戦闘シーンもそうなんですが、この辺は限界設定の話しに関わります。つまり出来ることと出来ないことがある。それが分かった上で自分のことは自分で、協力が必要なときはみんなで、と差別化される。
けいたとはるが息切らせてやってきます。こうたが「りんご」と言います。
商店街。ひなとゆうたが八百屋を見つめます。親父さんはその視線に気づきつつも他のお客さんの応対をしているといつの間にかふたりの姿は消えています。
やっぱりお金を持ってきていなかったようです。誰何の声。
なお達は慌てて八百屋に駆けつけます。姿を見たがいつの間にか居なくなっていたと答える親父さん。近くを探します。
りんごをあげようと言うマジョリーナ。ふたりが手を伸ばすとトラップが発動してふたりは檻の中に閉じ込められてしまいます。一足遅くなお達が到着。
身構えるなお。いつもだったら手早くエナジーを回収してくれるのですが今回はやってくれません。パクトを構えたものの弟達の前で変身するわけにはいかないと逡巡するなお。マジョリーナが箒に乗って突っ込んできます。とりあえず逃げますがはるが躓いて追い詰められます。
葛藤を抑え込んでなおは変身。これ、けいた達からするとものすごく現実感がなさそうな状況。呆気にとられます。その理由の半分は髪のボリュームについてだと思います。マーチは振り返らずにけいたに逃げるよう指示します。状況が飲み込めないものの指示に従います。この世界ではプリキュアが認知されていないので、リアクション的にはこうなるでしょうね。
ということでエナジー回収。最初にこれをやってくれれば話しが簡単だったんですが。エナジーは同じ人からでも複数回取れます。虫や動物からでもOK。これだけ規制が緩いのにも関わらず1年もかかる三幹部は無能のそしりを受けても仕方無い。カウント15。
マジョリーナはひな達の檻に憑依。人質作戦。小狡い。アカンベェの色が緑に。なんかピーマンぽいね。
ターゲットはけいた達。兄弟を守るために防御に徹するマーチ。マジョリーナはどんな攻撃も自分から受けてくれると嘲笑います。作戦成功。
指一本触れさせない!と気丈に応えるマーチ。が、負ったダメージは大きく膝をついてしまいます。そのマーチを守るようにけいた達が前に出ます。アカンベェの中にいたひなとゆうたも元に戻っています。バッドエナジーは強制放出されますが割と抜けやすい。みゆきのお婆ちゃんみたいに全く通じない人もいるので、要は心に隙があるかないか程度の問題ですね。このことからも分かるように、バッドから抜け出すのに人の手を借りる必要はありません。近年のプリキュアは人の内面にアプローチをかけているので自前の気力でどうにかなったりします。これは相対的にプリキュアの(ヒーロー的)価値を下げますが、人はみなプリキュアになれるのだという意味合いが増す結果となっています。
マジョリーナはまとめて消してやると力を溜めて放ちます。けいた達は足がすくんでしまいます。マーチが飛び出して抑え込みます。
「家族は絶対にあたしが守る!」
今週も火事場の馬鹿力モード。アカンベェを蹴り上げます。人質は関係なかったようです。脳筋は伊達じゃない。バカが全力で躊躇いなく突っ込んでくるのはかなり厄介です。マジョリーナも若返って応戦。アカンベェが赤くなっています。リンゴというよりトマトに見えるのはきっと気のせい。何故かキック対決を始める両者。なにそのこだわり。
「プリキュア!マーチシュート!インパクト!」
ハリケーンは前回使われてしまいました。要するに物凄いキック。上空にかっとぶアカンベェ(とひな・ゆうた)。ここで馬鹿力モードは解除。絶対どうやってふたりを助けるかとか考えてないよね。ついカッとなって蹴った。
後がないマジョリーナは渾身の反撃。マーチを弾いたエネルギー弾はそのままけいた達に。マジョリーナさん超あくどい。けいた達を飲み込みます。マーチの絶叫。物凄い絶望顔してます。彼女だけでバッドエナジー全部貯まりそうな勢い。
左上の時報、8時50分。そろそろ時間ですね。
膝をつくマーチ。絶望感半端ねぇ。軽いノリで感想書いているんで緊張感の欠片もないんですが、だってほらハッピーとサニーがちゃんとガードしてるし。ビューティがアイスソードで檻を壊します。流石ビューティさん、どっかの脳筋とは違います。ピースが救出。この子達は毎週入れ替わりで現場に待機してタイミング見計らって救出劇を演じているに違いない。
助けられた兄弟達はなおに抱きつきます。泣きながら姉を呼ぶ弟達。なおもみんなの無事に涙を溢します。
目論見が外れたマジョリーナは仕返しにと攻撃。傘デコルで防ぎます。デコル万能だな。浄化タイム。カウント10。そろそろ終わりが見えてきました。
弟達は疲れたのか眠り込みます。なおはみゆき達にお礼を言います。泣きだす彼女をみゆきは優しく抱きしめます。怖かった…怖かった…と何度も繰り返すなお。今になって緊張の緒が切れたようです。責任、特にそれが他者にも関わってくるものは非常に重い。誰かを愛するということは、その分だけ自分が他者と同化し文字通り心を砕くことなのだと思う。私はそれに耐えられないので放棄しちゃったけどね。
大丈夫だよ、みんな一緒だから…と優しく静かに言うみゆき。大人びています。家族想いで頑張り屋さんのなおは一見すると繋がりや絆を代表しているように見える。けどやはり彼女は家あるいは仲間という枠に閉じている(学園祭のときに豊島君を叱責しているのが分かりやすい例)。今書いててやっと腑に落ちた。今回の話しも基本的になおの話しなんだ。彼女もまた彼女の枠内で動いている。個人の枠を越えて提示できる器があるのはやっぱりみゆきなんだと思う。みゆきは様々な物語を自分の糧に、たとえそれが苦難であったとしても自分の糧に変えられる。みゆきは包括と受容、そこから一歩を歩み出していけることを象徴している。
父親の車が通りがかります。
病院の待合室で弟達が変な夢を見た、なお姉ちゃんが戦っていたと言います。苦笑い。
産声が聞こえてきます。女の子。名前はゆい。人と人との絆を結びつけて欲しい、その願いが託されています。なおは生まれたばかりの妹の指に触れて新しい家族の温もりを感じます。
「あたしの名前は緑川なお。あたしにはたくさんの兄弟がいます。けいた、はる、ひな、ゆうた、こうた、そしてゆい。あたし、家族が大好きです」
②次回予告
れいかさんはこんな話しばっかだな。ジョーカーさん楽しそう。
○トピック
家族が好きななおが改めて家族の重さを自覚する回。
最初に…といっても本編感想終わってからなので今更なんだけど、私は家族ネタがストライクゾーンからめっちゃ外れています。家族が嫌いだとかなんか裏があるとかじゃなしに単純にピンとこない。誰かと一緒にいたい、「家」を持っていたいという願望が無いに等しいからなんだと思います。共感しずらい。私は精神的にも物理的にも他者との距離が親密になればそこから逃げたくなる。それは自分という存在が他者に浸食される(正確には自分の心が他者に依存していくことに)不安と恐怖を感じるからです。よくそんなんでプリキュア見れるな、と思われるかもしれませんが、だからこそなんです。自分勝手で、自己中心的で、自己愛によって自分を支えている人間であってもやはり「他者」は必要なんです。人間は孤独に耐えられない。他者性を内在しない人間はおそらく人間として機能しない。
閑話休題。家族想いで世話焼きで、みんなと何かを成し遂げようと頑張ったり泣いたりするなおは、たぶん普通の人です。プリキュアの女の子としても普通の感性の持ち主だし、一般的に言っても普通の感覚だろうと思います。それ言ったらみゆき達も普通なんですが、つまりここ最近の流れはそんな普通の人達が自分の限界や身の丈を知りながらも自分で頑張ろうという話しですね。何回も言ってるんで耳にタコができる頃合いかと思いますが。
前回のやよいの話しがほぼやよい個人で完結しているのに対して、今回のなおの話しは完結できていません。みゆき達が助けに来なかったらアウトでした。それによってなおの自覚と責任が顕著にもなっているんですが「中学生の女の子が家族を守る(親の代理になる)」ということをやらせなかったのだろうとも思います。それは大人の役目。中学生(視聴者の代理)がやろうとしてもママゴトに毛が生えたものにしかならない。自ずと限界が生じる。どんなに必死になっても所詮中学生は中学生。プリキュアのこうした限界設定は比較的シビアで、シリーズとおしてプリキュアに万能性は持たされていません。あくまで中学生が出来る範囲でしかやれない。裏返せば視聴者である子どもに出来ることを示しているからでもあります。
どんなに好きでも、どんなに頑張ってみても一人では出来ないことがある。じゃあ、そういうときに人に助けを請えばいい。でも、それでは人を利用しているだけに過ぎなくなってしまう。助ける方も何故人を助けたいと思うのか、自分が家族のために頑張るように人に対しても頑張ろうとするのは何故か。結局、それは好きだからとか、そういう状況だったんで、という身も蓋もない話しになってしまいやしないか。なおは助けるけど、三幹部は知らん。そう言い切れるなら言い切っていい。でも、少しでも繋がりや絆、人と人を結ぶ「何か」を追求するのであれば、それが何であるのか、何故人は人を欲するのかを見定めなければならないと思います。それはプリキュアの責任だと思ってます。優しさがあるから頑張れる、立ち向かえる。でもその優しさによって傷つき、その優しさの対象にしてもらえなかった人々の存在をも浮き彫りにする。それにどう答えうるか。それをプリキュアはやるだろうと勝手に思ってます。それを基に私が勝手に考える。この感想はそういう感想です。
①なおの物語
6人兄弟のなおの家に新しい家族が。期待と自負が高まるなお。
両親は病院へ。娘達に見送られながら、母親は元気な赤ちゃんを産んでくると答えます。展開早っ。家のことを任されたなおは元気よく返事をします。
久しぶりの不思議図書館。みゆき達はれいかからなおの話しを聞きます。弟たちの世話をするのが大変そうだというあかねとやよいに張り切っていたと話すれいか。ところでれいかさんの家の電話、ダイヤル式臭がするな。
それを聞いて安心するあかね達。みゆきは赤ちゃんを抱っこしたいと楽しみにします。そこでみゆきは何かお手伝いをしようと持ちかけます。あかねのお守りやらやよいへの差し入れやら、色々と世話好きな人達です。みゆきが音頭取っているようです。
バッドエンド王国。怪しげな釜の中からりんごが浮き上がります。それを掴み取ったマジョリーナはいつものように不気味な笑みをこぼします。ということで、今週もジョーカーが肩叩きにやってきました。最近ウルフルンさんやアカオーニさん見かけませんよね、次が最後のチャンス、と最後通牒。あなたのへそ曲がりで直球勝負のマーチを倒してくださいと命令します。誰が上手いこと言えと。
商店街へお買い物。今日はカレー。八百屋の親父さんが声をかけます。赤ちゃんが産まれると聞いて納得する親父さん。商店街の人は知っているようです。けいたとはるがなおにカレーの材料を渡します。それを見たひなとゆうたも材料を探そうとしますがなかなか見つけられません。すると親父さんがニンジンをサービスしてくれます。向かいの肉屋さんもサービス。商店街に来ていた人達もなお達に話しかけます。典型的な商店街風景ですね。この手の商店街の最大の欠点は駐車場が無いことです。全くどうでもいいことですが、店主と顔見知りな飯屋はいくつかキープしておきたいものです。色々と融通が利くので。
マジョリーナが箒にのって飛んでいると、なお達を発見。特に幼いひな達に目を付けます。またよからぬことを企みます。
家に戻ってカレーを作ります。けいたとはるがお手伝い。今気づいたけどこの家平屋かよ。居住スペース大変だな。たぶん長じると長男のけいたあたりが自主的に家を出ると思うね。タマネギに悪戦苦闘するなお。
居間ではひなとゆうたがお絵かき。この子達は幼稚園くらいか。ひなは下のゆうたとこうたの面倒を見ています。子どもの頃の年齢による上限関係って絶対に近いよね。大人になると割とどうでもよくなるんだけど。ひなはなお姉ちゃんみたいになると言います。視線の先ではなおが手際よく兄弟を使いながら食事の準備を進めています。憧れであったり嫉妬であったり、兄弟というのは良くも悪くも比較対象になりやすい。
りんごを買うのを失念していたことに気づきます。隠し味として入れているらしい。カレーって隠し味に○○入れるみたいな話しがよく出るんだけど、でもやっぱりテキトーに作ってもカレーだよなっていう。これだけ大家族になると材料の旨味だけでそれなりの味になるんじゃないかと思ったり(学校の給食カレーが美味いのと同じ理由で)。
どうしたものかと迷うなお。話しを聞いていたゆうたはひなを誘って自分達でりんごを買いに行きます。君たちお金持っているのかね? ツケが利きそうではあるけど。
みゆき達がお手伝いにやってきます。小さい子達の遊び相手にはなると言うみゆき。以前も遊び相手になりましたが、結果して家の中がしっちゃかめっちゃかになっただけのような。やよいはお絵かきをしようと言います。適材適所。7人兄弟の一番上、なおはお姉ちゃんのプロやな、と言うあかね。それに答えるようにれいかはなおに初めて弟ができた当時のことを振り返ります。家族はなおの大切な宝物だと話すれいか。自分はなおと親友ですアピールでしょうか。次回の留学ネタに関わってくるのかもしれません。
家の前までくるとなおが血相を変えて飛び出してきます。ひなとゆうたが居ない。
ふたりはりんごを求めて商店街へ。マジョリーナが目を付けます。
手分けして近所を探し回わります。やよいはあれか、ひなの髪型の真似をしているのか。味な真似をしますな(これが言いたかっただけです)。
母親の言葉を思い返すなお。兄弟を任された責任が重く背中にのし掛かります。正直なところ、今回の話しをどう文脈付けるか迷ってるんですが、基本的になおも前回のやよい同様少し浮かれていたと思われます。代理母親、兄弟の一番上だからみんなの面倒を見ようっていう自負心や自尊心の肥大ですね。ところがどっこい世の中美味しい話しばかりじゃない。こういう面倒事も引き受けなければならないし、実は不安の種にもなる。後の戦闘シーンもそうなんですが、この辺は限界設定の話しに関わります。つまり出来ることと出来ないことがある。それが分かった上で自分のことは自分で、協力が必要なときはみんなで、と差別化される。
けいたとはるが息切らせてやってきます。こうたが「りんご」と言います。
商店街。ひなとゆうたが八百屋を見つめます。親父さんはその視線に気づきつつも他のお客さんの応対をしているといつの間にかふたりの姿は消えています。
やっぱりお金を持ってきていなかったようです。誰何の声。
なお達は慌てて八百屋に駆けつけます。姿を見たがいつの間にか居なくなっていたと答える親父さん。近くを探します。
りんごをあげようと言うマジョリーナ。ふたりが手を伸ばすとトラップが発動してふたりは檻の中に閉じ込められてしまいます。一足遅くなお達が到着。
身構えるなお。いつもだったら手早くエナジーを回収してくれるのですが今回はやってくれません。パクトを構えたものの弟達の前で変身するわけにはいかないと逡巡するなお。マジョリーナが箒に乗って突っ込んできます。とりあえず逃げますがはるが躓いて追い詰められます。
葛藤を抑え込んでなおは変身。これ、けいた達からするとものすごく現実感がなさそうな状況。呆気にとられます。その理由の半分は髪のボリュームについてだと思います。マーチは振り返らずにけいたに逃げるよう指示します。状況が飲み込めないものの指示に従います。この世界ではプリキュアが認知されていないので、リアクション的にはこうなるでしょうね。
ということでエナジー回収。最初にこれをやってくれれば話しが簡単だったんですが。エナジーは同じ人からでも複数回取れます。虫や動物からでもOK。これだけ規制が緩いのにも関わらず1年もかかる三幹部は無能のそしりを受けても仕方無い。カウント15。
マジョリーナはひな達の檻に憑依。人質作戦。小狡い。アカンベェの色が緑に。なんかピーマンぽいね。
ターゲットはけいた達。兄弟を守るために防御に徹するマーチ。マジョリーナはどんな攻撃も自分から受けてくれると嘲笑います。作戦成功。
指一本触れさせない!と気丈に応えるマーチ。が、負ったダメージは大きく膝をついてしまいます。そのマーチを守るようにけいた達が前に出ます。アカンベェの中にいたひなとゆうたも元に戻っています。バッドエナジーは強制放出されますが割と抜けやすい。みゆきのお婆ちゃんみたいに全く通じない人もいるので、要は心に隙があるかないか程度の問題ですね。このことからも分かるように、バッドから抜け出すのに人の手を借りる必要はありません。近年のプリキュアは人の内面にアプローチをかけているので自前の気力でどうにかなったりします。これは相対的にプリキュアの(ヒーロー的)価値を下げますが、人はみなプリキュアになれるのだという意味合いが増す結果となっています。
マジョリーナはまとめて消してやると力を溜めて放ちます。けいた達は足がすくんでしまいます。マーチが飛び出して抑え込みます。
「家族は絶対にあたしが守る!」
今週も火事場の馬鹿力モード。アカンベェを蹴り上げます。人質は関係なかったようです。脳筋は伊達じゃない。バカが全力で躊躇いなく突っ込んでくるのはかなり厄介です。マジョリーナも若返って応戦。アカンベェが赤くなっています。リンゴというよりトマトに見えるのはきっと気のせい。何故かキック対決を始める両者。なにそのこだわり。
「プリキュア!マーチシュート!インパクト!」
ハリケーンは前回使われてしまいました。要するに物凄いキック。上空にかっとぶアカンベェ(とひな・ゆうた)。ここで馬鹿力モードは解除。絶対どうやってふたりを助けるかとか考えてないよね。ついカッとなって蹴った。
後がないマジョリーナは渾身の反撃。マーチを弾いたエネルギー弾はそのままけいた達に。マジョリーナさん超あくどい。けいた達を飲み込みます。マーチの絶叫。物凄い絶望顔してます。彼女だけでバッドエナジー全部貯まりそうな勢い。
左上の時報、8時50分。そろそろ時間ですね。
膝をつくマーチ。絶望感半端ねぇ。軽いノリで感想書いているんで緊張感の欠片もないんですが、だってほらハッピーとサニーがちゃんとガードしてるし。ビューティがアイスソードで檻を壊します。流石ビューティさん、どっかの脳筋とは違います。ピースが救出。この子達は毎週入れ替わりで現場に待機してタイミング見計らって救出劇を演じているに違いない。
助けられた兄弟達はなおに抱きつきます。泣きながら姉を呼ぶ弟達。なおもみんなの無事に涙を溢します。
目論見が外れたマジョリーナは仕返しにと攻撃。傘デコルで防ぎます。デコル万能だな。浄化タイム。カウント10。そろそろ終わりが見えてきました。
弟達は疲れたのか眠り込みます。なおはみゆき達にお礼を言います。泣きだす彼女をみゆきは優しく抱きしめます。怖かった…怖かった…と何度も繰り返すなお。今になって緊張の緒が切れたようです。責任、特にそれが他者にも関わってくるものは非常に重い。誰かを愛するということは、その分だけ自分が他者と同化し文字通り心を砕くことなのだと思う。私はそれに耐えられないので放棄しちゃったけどね。
大丈夫だよ、みんな一緒だから…と優しく静かに言うみゆき。大人びています。家族想いで頑張り屋さんのなおは一見すると繋がりや絆を代表しているように見える。けどやはり彼女は家あるいは仲間という枠に閉じている(学園祭のときに豊島君を叱責しているのが分かりやすい例)。今書いててやっと腑に落ちた。今回の話しも基本的になおの話しなんだ。彼女もまた彼女の枠内で動いている。個人の枠を越えて提示できる器があるのはやっぱりみゆきなんだと思う。みゆきは様々な物語を自分の糧に、たとえそれが苦難であったとしても自分の糧に変えられる。みゆきは包括と受容、そこから一歩を歩み出していけることを象徴している。
父親の車が通りがかります。
病院の待合室で弟達が変な夢を見た、なお姉ちゃんが戦っていたと言います。苦笑い。
産声が聞こえてきます。女の子。名前はゆい。人と人との絆を結びつけて欲しい、その願いが託されています。なおは生まれたばかりの妹の指に触れて新しい家族の温もりを感じます。
「あたしの名前は緑川なお。あたしにはたくさんの兄弟がいます。けいた、はる、ひな、ゆうた、こうた、そしてゆい。あたし、家族が大好きです」
②次回予告
れいかさんはこんな話しばっかだな。ジョーカーさん楽しそう。
○トピック
家族が好きななおが改めて家族の重さを自覚する回。
最初に…といっても本編感想終わってからなので今更なんだけど、私は家族ネタがストライクゾーンからめっちゃ外れています。家族が嫌いだとかなんか裏があるとかじゃなしに単純にピンとこない。誰かと一緒にいたい、「家」を持っていたいという願望が無いに等しいからなんだと思います。共感しずらい。私は精神的にも物理的にも他者との距離が親密になればそこから逃げたくなる。それは自分という存在が他者に浸食される(正確には自分の心が他者に依存していくことに)不安と恐怖を感じるからです。よくそんなんでプリキュア見れるな、と思われるかもしれませんが、だからこそなんです。自分勝手で、自己中心的で、自己愛によって自分を支えている人間であってもやはり「他者」は必要なんです。人間は孤独に耐えられない。他者性を内在しない人間はおそらく人間として機能しない。
閑話休題。家族想いで世話焼きで、みんなと何かを成し遂げようと頑張ったり泣いたりするなおは、たぶん普通の人です。プリキュアの女の子としても普通の感性の持ち主だし、一般的に言っても普通の感覚だろうと思います。それ言ったらみゆき達も普通なんですが、つまりここ最近の流れはそんな普通の人達が自分の限界や身の丈を知りながらも自分で頑張ろうという話しですね。何回も言ってるんで耳にタコができる頃合いかと思いますが。
前回のやよいの話しがほぼやよい個人で完結しているのに対して、今回のなおの話しは完結できていません。みゆき達が助けに来なかったらアウトでした。それによってなおの自覚と責任が顕著にもなっているんですが「中学生の女の子が家族を守る(親の代理になる)」ということをやらせなかったのだろうとも思います。それは大人の役目。中学生(視聴者の代理)がやろうとしてもママゴトに毛が生えたものにしかならない。自ずと限界が生じる。どんなに必死になっても所詮中学生は中学生。プリキュアのこうした限界設定は比較的シビアで、シリーズとおしてプリキュアに万能性は持たされていません。あくまで中学生が出来る範囲でしかやれない。裏返せば視聴者である子どもに出来ることを示しているからでもあります。
どんなに好きでも、どんなに頑張ってみても一人では出来ないことがある。じゃあ、そういうときに人に助けを請えばいい。でも、それでは人を利用しているだけに過ぎなくなってしまう。助ける方も何故人を助けたいと思うのか、自分が家族のために頑張るように人に対しても頑張ろうとするのは何故か。結局、それは好きだからとか、そういう状況だったんで、という身も蓋もない話しになってしまいやしないか。なおは助けるけど、三幹部は知らん。そう言い切れるなら言い切っていい。でも、少しでも繋がりや絆、人と人を結ぶ「何か」を追求するのであれば、それが何であるのか、何故人は人を欲するのかを見定めなければならないと思います。それはプリキュアの責任だと思ってます。優しさがあるから頑張れる、立ち向かえる。でもその優しさによって傷つき、その優しさの対象にしてもらえなかった人々の存在をも浮き彫りにする。それにどう答えうるか。それをプリキュアはやるだろうと勝手に思ってます。それを基に私が勝手に考える。この感想はそういう感想です。
第41話「私がマンガ家!?やよいがえがく将来の夢!!」
○今週の出来事
①やよいの物語
ちょっぴり泣き虫だけど絵を描くのが大好き。でも人に見せるのはちょっと恥ずかしい。
時は流れ、現在。やよいはスケッチブックに女の子の絵を描きます。みゆきに尋ねられると半べそかきながら見ちゃダメだとスケッチブックを抱きかかえます。OP映像を本編の中に取り入れています。あかね達は異口同音に上手い、見せて欲しいと頼みます。
絵の女の子はやよいのオリジナル。それを聞いて益々感心するなお達。れいかもプロの漫画家さんみたいだと言います。将来漫画家になれるのでは、とみゆきが続きます。それを聞いたやよいは表情をパッと明るくします。
自分が漫画家になったイメージを抱くやよい。確かに「漫画家=ベレー帽」なイメージはあるね。
めっちゃ人気の職業と言うあかね。実際、女の子の将来なりたいものランキングでは上位にくるそうです。面白い漫画はテレビや映画になったり、先生と呼ばれたりするようになるとみゆきとなおも連想を広げていきます。そう考えると一種のアメリカンドリーム的な感じですね。我が身一つで全国的な知名度や収入が得られる可能性はある。
やよいは漫画家になるのは難しい、プロになれるのはほんの一握りだと常識的に答えます。隣で話しを訊いていた男子生徒が漫画コンクールに応募してみては?と水を向けます。腕試しにはちょうど良さそうです。
やよいは瞳を輝かせてやってみる!と言います。
ベレー帽をかぶってやる気を出すやよい。まずは形から入るタイプか。それよりも壁にかかっている戦隊もののカレンダーが気になるんですけど。
原稿に向かってみたものの何を描けばいいのかと迷います。スケッチブックを開いて自分が作ったキャラクターを眺めます。頑張ってね、とそのキャラクターから応援されるイメージを抱いたやよいはそのキャラクターの物語を描くことにします。
次の日。「ミラクル・ピース」という題でキャラクターが描かれた原稿を学校に持ってきます。名前といい、キャラデザといい大分自分を投影したキャラのようです。それを見たみゆき達はテンション上がります。やよいは恥ずかしがるものの期待を寄せるみんなの反応にまんざらでもない様子を見せます。尤も中身は全く手つかずで表紙だけのようです。ガッカリする男子生徒達。いやいや、一晩で出来るわけないでしょ。そんなの出来るのジェパンニと青山(充)さんくらいだろ。
やよいはみんなの期待に応えようと締め切り前までには描き上げると言います。これはアレです、ちょっと言い方を悪くすると調子に乗り始めた前兆です。最初はその気がなかったものの、みんなからチヤホヤされてなった気になるパターン。まだ自分の実力が分かってないから出来る出来ないの判断もできない。
袋小路に追い詰められる女の子。後ろから見るからに怪しい格好をした変態が追ってきます。女の子は変態に向き合うと世界征服の企みを聞いた、と反抗的な目で見つめ返します。変態が放ったビームを跳躍してかわすと女の子はミラクルピースに変身!
というところまでを漫画化。気づくと深夜の12時を過ぎています。原稿は大して進んでいません。
授業中、自分一人ではやっぱり無理なのでは?と不安になるやよい。自分は浮かれていたのかと反省しはじめます。この手のタイプは不安を実際よりも大きく見積もる傾向があります。しかしやよいもただ漫然とこの一年近くを過ごしてきたわけではありません。やり抜かなくては、と不安を抑え込みます。おかげで先生の声が耳に入りません。慌てて教科書をめくります。
帰り道。みゆき達が察して漫画を手伝うと言います。先読み早ぇ。困ったときはお互い様、プロだってアシスタントがいる、力になる。
「ありがとう」
その言葉に微笑むみゆき達。しかし続くやよいの言葉は彼女達と視聴者の予想を裏切ります。
「でも、私、一人でやってみようと思う」
やよいの物語…というよりスマイルは自立の物語なのだと思う。「みんなと」はあくまで最後の切り札。まずは自分一人で限界まで頑張ってみる。自分の夢も自分の大切なものもまずは自分で掴み取らねばならないのだという決意。
ミラクルピースだったらきっとそう言うと思うから、とやよいは答えます。自分の理想を仮託したキャラクターの言葉を使うことで遠回しに自分に還元させていく。自分の言葉としてはまだそう言えないけど、いずれそうなりたいという意思表示を含んでいます。人というのは何とも回りくどく、迷いやすい。
泣き虫だったら強くてカッコイイスーパーヒロインに憧れて絵を描いていたと話すやよい。それがミラクルピース。やよいの理想の自分。漫画を描くのがすごく大変だと知った、みんなの気持ちも嬉しい、けどこの漫画は自分にしか描けない。一人で頑張ろうと思うと再度自分の意思を伝えます。
ジョーカーに呼び出されるアカオーニ。ジョーカーはウルフルンの時と同様、アカオーニに最後のチャンスを与えます。ピースのカードがアカオーニの足下に突き刺さります。うわ、ホントにご指名だよ。ジョーカーさん空気読みすぎやで。身内でもアカオーニが黄色押しってバレてるじゃないですか。
アカオーニが去ると期待していますよ、とつぶやくジョーカー。絶対そんなこと思ってないでしょ。
②ヒーローは何処に?
カレンダーには×が増え、○までの期間が差し迫ってきます。しかし漫画の方は順調とは言い難い様子。
夜の公園を一人歩くやよい。すると突然空からミラクルピースが降ってきて地面に倒れます。ちなみに今回の演出は19話の人と同じです。イチョウが雪のようにしんしんと降っているのも、雰囲気的にも似通っています。すっかりこの人はスマイルの黄色担当。スマイル監督に黄色押しがどうのと言っておきながら自分が黄色担当してるとかしたたか者です。
話しを戻して、戸惑うやよいの前に例の変態が現れます。ミラクルピースは行動不能。変態はやよいにターゲットを変えます。本当に漫画家になれると思っているのかと問います。途中で投げ出すと自分で気づいているはずだ。現実は漫画みたいに上手くいかない。諦めろ。ビームが撃たれます。ミラクルピースがガード。まだ終わりじゃない。所詮はそこの泣き虫に作られた存在。強いミラクルピースなど存在しない。メタ的な会話。やよいの希望と絶望、期待と不安、迷いが戯画化されています。
夢から覚めるやよい。起き上がった拍子にインクがこぼれ原稿が汚れてしまいます。インクを拭き取りながら、変態の言葉を思い返します(シリアスなシーンで変態って書くのどうかなって思い始めたんですが、他に良い呼び方もないので継続します)。漫画は遅々として進まず、原稿はこの有様。泣きっ面に蜂。半泣きになるやよい。あかねとなおの言葉が浮かびます。間違いなく彼女は浮かれていたのです。自分に出来そうだ、漫画家になれるのではないか、という淡い期待。でもやっぱりトントン拍子に出来るわけがない。彼女はそのことを知ります。「ジュエルペットてぃんくる」という作品でも主人公が漫画家に憧れて実際に漫画を描こうとするエピソードがあります。今回のように上手くいかないことを知る。この手の子ども向け番組では当然の流れなのだと思います。理想と現実、そのギャップを突きつける。問題はそこであなたはどうするのか?ということです。
やよいは原稿を掴み取ると束の間、脇に置かれたゴミ箱を見つめます。ゴミ箱はすでにいっぱい。やよいは部屋を飛び出します。ベレー帽は置き去り。
外に出るとみゆき達が差し入れを持ってやってきます。つくづく気が利く子達です。それがやよいには辛い。期待が重い。
「ごめんなさい…私…やっぱり…やっぱり無理だった!」
やよいは泣きながらその場を逃げるように走り出します。
公園でゴミ箱を見つけると、その前で立ち止まります。墨で半分黒くなったミラクルピースの顔。分かりやすい比喩です。踏みとどまるか、逃げ出すかの分岐路。
やよいが困ったときのアカオーニさん。絶対この人はいい人です。やよいが泣いている時に必ずやってきて厳しく指導してくれる。父親がいないやよいにとってある意味父親代わりの存在(今テキトーに思いついて言いました)。カウント14。
アカオーニを前にして自分一人では無理かも…と不安になるやよい。原稿に気づいたアカオーニはそれを奪い取ります。器用だな。漫画を返して!と要求するやよい。まだ未練があるようです。俺様に勝ったら返してやる。漫画を捨てるかどうかから難易度が上がりましたが、これによって能動的な意思が求められています。自分の心に打ち勝つか負けるか。
「こんなときミラクルピースなら…」
理想とする代理自己を支えにやよいは変身します。
アカオーニは漫画に憑依。例の変態になります。超分かりやすい対比。
果敢に挑むも返り討ち。漫画と現実は違う。ミラクルピース?くだらない。切って捨てるように言うアカオーニ。ミラクルピースは私の理想のヒロイン。私の憧れ!だと泣きながら叫ぶピース。この子は恵まれています、作画的な意味で。彼女の不安と情けなさ、必死さと気高さがその表情で表現されています。
再び飛びかかりますがやっぱり返り討ち。当然です。何故なら彼女は理想の自分像にしがみついているだけだからです。捨てたくない、壊されたくない。それを失ったら自分の支えが失ってしまうという後ろ向きな印象が彼女の言動から見えます。自分が作った漫画に憧れるなんてどうかしている。所詮弱虫なお前の幻と素敵に切って捨てるアカオーニ。やよいがやっているのは自己愛的な欲求と願望です。
トドメとばかりにビーム。ピースはそれをミラクルピースと同じポーズで防ぎます。
「ミラクルピースは幻なんかじゃない。私がちゃんと最後まで描き上げてミラクルピースの物語を完成させるんだから」
「お前さっきこの漫画を捨てようとしていたオニ」
ちゃっかり見ているアカオーニさんの観察眼が光る。
「本当は気づいているオニ。お前は泣き虫で一人じゃなにも出来ないオニ。どうせ途中で投げ出すに決まっているオニ」
「あなたの言うとおり、私は泣き虫で一人じゃ何もできないって思ってた。だから強いヒロインに憧れてミラクルピースを作り出したんだって」
「そのとおりオニ。だからそんなもの幻だと言ってるオニ」
「違う! ミラクルピースは私の中でちゃんといる! 私の中に、ほんの少しだけある強い心がミラクルピースなの!」
「私、漫画を描くのが好き。その強い気持ちがある限り、私は絶対諦めない!」
稲妻が天に向かって昇ります。
「自己愛」と言うとき、どことなくその言葉にはネガティブな印象を受けると思います。自己中心的、利己的なイメージですね。ですが、敢えて言いましょう、自己愛のどこが悪いのだと。人は誰もが他者に依存し、自分が好きな生き物です。自立、博愛が優れていてそうでなければ劣るなどという考えは一面的で人間の本質を見誤っている。人は自己愛の中から理想とすべき自分を見定め、そして自分がそうなることが出来る生き物であるし、他者への依存の中から自己の存在価値(他者から見て自分がどう関わっているか)を知ることが出来る。自己愛と依存は博愛と自立に繋がり、そしてまた自立と博愛から自分の価値(自己愛)と他者との結びつき(依存)が生まれていく。…と思うのは私が自己愛的な人間だからです。人は自己正当化する生き物です。重要なのはその正当化の過程で自分の在り方を誇れるか、その手段によって自分が目指すべき道を進める確信を持てるかということです。手段そのものは割とどうでもいい。
とある精神科医曰く心の病の原因を突き止める、つまりそれが真実であるかを突き止める必要は無いのだそうです。なんとなくそれっぽい理由で、患者本人がそう思えて、それで症状が改善すればそれで良いのだそうです。重要なのは真実を求めることではなくより良き生を営むこと。真実や真理が人を幸せにするとは限らない。だからこそ人の生は面白い。人は幻を現実として生きられる生き物なのだ。
③ヒーローは此処に
強そうなBGMがかかる中、ピースも神々しく輝いています。これが演出と作画に定評がある黄色の真骨頂。
拳と拳のぶつかり合い。泣き虫の、小柄でひ弱なパンチが大男を退けます。女児向けヒロインものの醍醐味です。子どもが大人を圧倒する。アカオーニはジョーカーの言葉を脳裏に刻みながら拳を振るいます。後がない。追い詰められているのは彼らの方。アカンベェを蹴り倒した直後の身体をひねっているピースがカッコイイ。
「プリキュア!」
雷が天からピースに降り注ぎます。普通にこの時点で戦意無くすわ。
「ピースサンダー!ハリケーン!」
これまでの中で最大のご褒美を貰うアカオーニ。大の字になって地面に倒れます。きっと悶絶してます。
疲れ果てながらピースは漫画を返してと要求します。しかしアカオーニはもう後がないと決死の覚悟を見せます。プリキュア達が幸せ(自己実現)を掴んでいく裏で敵の退路が断たれていくって実に皮肉な話し。おそらく意図してやっている。誰かが幸せになるとき、知らぬ間に誰かがその割を食っているかもしれない。正義を証明するために悪があるのだとしたら、その悪の犠牲の代価は誰が払うのか。踏み倒しているんじゃないのか。人は結局比較と暴力の中でしか幸せを生み出せないものなのか。この世界は所詮選ばれた人にのみ住み心地の良い世界なのか。ぶっちゃけ、そう。では、プリキュアはその世界で何をするのか? というのがプリキュアにおける問題提起のやり方ですね。プリキュアはもはや自分達だけが幸せになることを望まない。
気が利く仲間が空気を読んで参戦。
「私、これからも挫けそうになるかもしれない。けど、一度決めたことは絶対最後までやり抜く!」
偶然か意図してかはわかりませんが、ピースのこのセリフは1話のみゆきのセリフと重なります。ハッピーがこのセリフに反応しているのも興味深い。
カウント9。
やよいはみんなに漫画を描き上げることを約束します。これはやよいがやよいであるためにも必要な約束です。
果たして、漫画は描き上がります。やよいにデコルで出した花束を贈るみゆき。男子生徒達は漫画の技を使って遊んでいます。ノリいいなー。漫画を読んだみんなの反応も上々。
「私の名前は黄瀬やよい。ちょっぴり泣き虫だけど一度決めたことは最後までやり抜く頑張り屋さんなんだから!」
④次回予告
緑色対決再び。
○トピック
ヒーローに憧れるやよいがヒーローになる回。今回のお話しの大胆なところは、プリキュアでお馴染みの絆や誰かを守りたいというような利他的発想が一切ないことです。純粋にやよいの内面的な問題を取り扱っています。自分の物語を自分で書く、というのがここ最近の流れなのでそれに合致する展開となっています。
泣き虫でもプリキュア(ヒーロー)になれる。ただしその代価は諦めないこと、苦しみを受け入れその上で立ち向かうこと。たぶんコンクールの結果はせいぜいよくて努力賞とかそんなんだろうと思いますが、彼女の物語に必要なのは勇気と友達(理解者)です。これは3話から続いてきた彼女の物語の核心ですね。今回の話しだと友達はむしろプレッシャーとして描かれていますが、友達から受け取った友情と勇気を彼女が漫画にすることで還元させているという流れにあります。あかねとやよいに共通しているのは良き友、良き理解者がその人の成長(自立)を促している点です。
友達と絆を育みながらも、一定の距離感を持って自立と絆の関係をバランス良く描いているのはスマイルの優れた特徴です。
何度でも言いますが、この物語はプリキュアごっこを始めることから始まっています。幼稚園児が集まって仲良くプリキュアごっこをしていると表現しても差し支えありません。困っていても友達が声をかけてくれるし、失敗や欠点も許してくれる。悪者(困ったこと)がやってきてもテキトーに退けてめでたしめでたし。そうした暖かい平和な世界を享受していました。
これは子どもの置かれている状況や、児童心理的にも合致する状態です。幼児期の自我はまだ未完成で自己と他者の境界が曖昧です。だから子どもは容易に感情移入しやすいし、周りからの刺激をダイレクトに受けやすい。誰とでも、とまでは言いませんがほぼ誰とでも友達になれるし、ケンカしてもよほどのことがなければそれほど後を引きません。物語序盤で各自に欠点がありつつもそれが認められ励まされながら彼女達が成長していったのはそれを示しています。
今のスマイルはそこから進んでいます(幼年期が終わった)。現実は苦しい。また必ずしも友達が助けに来てくれるとは限らない。最低限自分のことは自分でやらなければならないし、時には友達の助けを断る必要がある。そういう段階にあります。プリキュアシリーズを概観するとこれほど自立を促しているのは非常に珍しいというか画期的ですらあります。常に友達の力となり友達と一緒にいるのがプリキュアのスタンスだからです。「ふたりで変身」はそのスタンスが如実にでています。一人で出来ることとみんなで出来ることを両立的に書くのは難しい。シリーズを重ねながら絆と自立の物語を成長させてきたのだと思うと感慨深い。単独変身と自立の物語が関連付けられるまでに至っています。無論、この自立の流れは作中文脈として敵との共生に繋がっていくものと思われます。それがどういう形を取るかは後のお楽しみ。
39話のみゆきの話しがギャグぽかったので一連の個人回に含んでいいのか迷うところなんですが(映画がまるまるみゆき回だという捉え方もありますが)、含めるにしても含めないにしても、みゆきの文脈はあかね達と毛色が違っているのが面白い点です。流石主人公。あかねとやよいはあくまで個人。自分の物語の、自分の文脈でそれぞれエピソードが綴られている。それに対してみゆきはシンデレラがそうであったように自分の物語にはみんなが必要だと言っています。この「みんな」は敷延すれば意地悪な継母と義姉達、つまり三幹部も必要なのだという余地があります。個別の物語があることを前提に、みゆきによってそれらの物語が包括されうる土壌が整えられつつあります。
①やよいの物語
ちょっぴり泣き虫だけど絵を描くのが大好き。でも人に見せるのはちょっと恥ずかしい。
時は流れ、現在。やよいはスケッチブックに女の子の絵を描きます。みゆきに尋ねられると半べそかきながら見ちゃダメだとスケッチブックを抱きかかえます。OP映像を本編の中に取り入れています。あかね達は異口同音に上手い、見せて欲しいと頼みます。
絵の女の子はやよいのオリジナル。それを聞いて益々感心するなお達。れいかもプロの漫画家さんみたいだと言います。将来漫画家になれるのでは、とみゆきが続きます。それを聞いたやよいは表情をパッと明るくします。
自分が漫画家になったイメージを抱くやよい。確かに「漫画家=ベレー帽」なイメージはあるね。
めっちゃ人気の職業と言うあかね。実際、女の子の将来なりたいものランキングでは上位にくるそうです。面白い漫画はテレビや映画になったり、先生と呼ばれたりするようになるとみゆきとなおも連想を広げていきます。そう考えると一種のアメリカンドリーム的な感じですね。我が身一つで全国的な知名度や収入が得られる可能性はある。
やよいは漫画家になるのは難しい、プロになれるのはほんの一握りだと常識的に答えます。隣で話しを訊いていた男子生徒が漫画コンクールに応募してみては?と水を向けます。腕試しにはちょうど良さそうです。
やよいは瞳を輝かせてやってみる!と言います。
ベレー帽をかぶってやる気を出すやよい。まずは形から入るタイプか。それよりも壁にかかっている戦隊もののカレンダーが気になるんですけど。
原稿に向かってみたものの何を描けばいいのかと迷います。スケッチブックを開いて自分が作ったキャラクターを眺めます。頑張ってね、とそのキャラクターから応援されるイメージを抱いたやよいはそのキャラクターの物語を描くことにします。
次の日。「ミラクル・ピース」という題でキャラクターが描かれた原稿を学校に持ってきます。名前といい、キャラデザといい大分自分を投影したキャラのようです。それを見たみゆき達はテンション上がります。やよいは恥ずかしがるものの期待を寄せるみんなの反応にまんざらでもない様子を見せます。尤も中身は全く手つかずで表紙だけのようです。ガッカリする男子生徒達。いやいや、一晩で出来るわけないでしょ。そんなの出来るのジェパンニと青山(充)さんくらいだろ。
やよいはみんなの期待に応えようと締め切り前までには描き上げると言います。これはアレです、ちょっと言い方を悪くすると調子に乗り始めた前兆です。最初はその気がなかったものの、みんなからチヤホヤされてなった気になるパターン。まだ自分の実力が分かってないから出来る出来ないの判断もできない。
袋小路に追い詰められる女の子。後ろから見るからに怪しい格好をした変態が追ってきます。女の子は変態に向き合うと世界征服の企みを聞いた、と反抗的な目で見つめ返します。変態が放ったビームを跳躍してかわすと女の子はミラクルピースに変身!
というところまでを漫画化。気づくと深夜の12時を過ぎています。原稿は大して進んでいません。
授業中、自分一人ではやっぱり無理なのでは?と不安になるやよい。自分は浮かれていたのかと反省しはじめます。この手のタイプは不安を実際よりも大きく見積もる傾向があります。しかしやよいもただ漫然とこの一年近くを過ごしてきたわけではありません。やり抜かなくては、と不安を抑え込みます。おかげで先生の声が耳に入りません。慌てて教科書をめくります。
帰り道。みゆき達が察して漫画を手伝うと言います。先読み早ぇ。困ったときはお互い様、プロだってアシスタントがいる、力になる。
「ありがとう」
その言葉に微笑むみゆき達。しかし続くやよいの言葉は彼女達と視聴者の予想を裏切ります。
「でも、私、一人でやってみようと思う」
やよいの物語…というよりスマイルは自立の物語なのだと思う。「みんなと」はあくまで最後の切り札。まずは自分一人で限界まで頑張ってみる。自分の夢も自分の大切なものもまずは自分で掴み取らねばならないのだという決意。
ミラクルピースだったらきっとそう言うと思うから、とやよいは答えます。自分の理想を仮託したキャラクターの言葉を使うことで遠回しに自分に還元させていく。自分の言葉としてはまだそう言えないけど、いずれそうなりたいという意思表示を含んでいます。人というのは何とも回りくどく、迷いやすい。
泣き虫だったら強くてカッコイイスーパーヒロインに憧れて絵を描いていたと話すやよい。それがミラクルピース。やよいの理想の自分。漫画を描くのがすごく大変だと知った、みんなの気持ちも嬉しい、けどこの漫画は自分にしか描けない。一人で頑張ろうと思うと再度自分の意思を伝えます。
ジョーカーに呼び出されるアカオーニ。ジョーカーはウルフルンの時と同様、アカオーニに最後のチャンスを与えます。ピースのカードがアカオーニの足下に突き刺さります。うわ、ホントにご指名だよ。ジョーカーさん空気読みすぎやで。身内でもアカオーニが黄色押しってバレてるじゃないですか。
アカオーニが去ると期待していますよ、とつぶやくジョーカー。絶対そんなこと思ってないでしょ。
②ヒーローは何処に?
カレンダーには×が増え、○までの期間が差し迫ってきます。しかし漫画の方は順調とは言い難い様子。
夜の公園を一人歩くやよい。すると突然空からミラクルピースが降ってきて地面に倒れます。ちなみに今回の演出は19話の人と同じです。イチョウが雪のようにしんしんと降っているのも、雰囲気的にも似通っています。すっかりこの人はスマイルの黄色担当。スマイル監督に黄色押しがどうのと言っておきながら自分が黄色担当してるとかしたたか者です。
話しを戻して、戸惑うやよいの前に例の変態が現れます。ミラクルピースは行動不能。変態はやよいにターゲットを変えます。本当に漫画家になれると思っているのかと問います。途中で投げ出すと自分で気づいているはずだ。現実は漫画みたいに上手くいかない。諦めろ。ビームが撃たれます。ミラクルピースがガード。まだ終わりじゃない。所詮はそこの泣き虫に作られた存在。強いミラクルピースなど存在しない。メタ的な会話。やよいの希望と絶望、期待と不安、迷いが戯画化されています。
夢から覚めるやよい。起き上がった拍子にインクがこぼれ原稿が汚れてしまいます。インクを拭き取りながら、変態の言葉を思い返します(シリアスなシーンで変態って書くのどうかなって思い始めたんですが、他に良い呼び方もないので継続します)。漫画は遅々として進まず、原稿はこの有様。泣きっ面に蜂。半泣きになるやよい。あかねとなおの言葉が浮かびます。間違いなく彼女は浮かれていたのです。自分に出来そうだ、漫画家になれるのではないか、という淡い期待。でもやっぱりトントン拍子に出来るわけがない。彼女はそのことを知ります。「ジュエルペットてぃんくる」という作品でも主人公が漫画家に憧れて実際に漫画を描こうとするエピソードがあります。今回のように上手くいかないことを知る。この手の子ども向け番組では当然の流れなのだと思います。理想と現実、そのギャップを突きつける。問題はそこであなたはどうするのか?ということです。
やよいは原稿を掴み取ると束の間、脇に置かれたゴミ箱を見つめます。ゴミ箱はすでにいっぱい。やよいは部屋を飛び出します。ベレー帽は置き去り。
外に出るとみゆき達が差し入れを持ってやってきます。つくづく気が利く子達です。それがやよいには辛い。期待が重い。
「ごめんなさい…私…やっぱり…やっぱり無理だった!」
やよいは泣きながらその場を逃げるように走り出します。
公園でゴミ箱を見つけると、その前で立ち止まります。墨で半分黒くなったミラクルピースの顔。分かりやすい比喩です。踏みとどまるか、逃げ出すかの分岐路。
やよいが困ったときのアカオーニさん。絶対この人はいい人です。やよいが泣いている時に必ずやってきて厳しく指導してくれる。父親がいないやよいにとってある意味父親代わりの存在(今テキトーに思いついて言いました)。カウント14。
アカオーニを前にして自分一人では無理かも…と不安になるやよい。原稿に気づいたアカオーニはそれを奪い取ります。器用だな。漫画を返して!と要求するやよい。まだ未練があるようです。俺様に勝ったら返してやる。漫画を捨てるかどうかから難易度が上がりましたが、これによって能動的な意思が求められています。自分の心に打ち勝つか負けるか。
「こんなときミラクルピースなら…」
理想とする代理自己を支えにやよいは変身します。
アカオーニは漫画に憑依。例の変態になります。超分かりやすい対比。
果敢に挑むも返り討ち。漫画と現実は違う。ミラクルピース?くだらない。切って捨てるように言うアカオーニ。ミラクルピースは私の理想のヒロイン。私の憧れ!だと泣きながら叫ぶピース。この子は恵まれています、作画的な意味で。彼女の不安と情けなさ、必死さと気高さがその表情で表現されています。
再び飛びかかりますがやっぱり返り討ち。当然です。何故なら彼女は理想の自分像にしがみついているだけだからです。捨てたくない、壊されたくない。それを失ったら自分の支えが失ってしまうという後ろ向きな印象が彼女の言動から見えます。自分が作った漫画に憧れるなんてどうかしている。所詮弱虫なお前の幻と素敵に切って捨てるアカオーニ。やよいがやっているのは自己愛的な欲求と願望です。
トドメとばかりにビーム。ピースはそれをミラクルピースと同じポーズで防ぎます。
「ミラクルピースは幻なんかじゃない。私がちゃんと最後まで描き上げてミラクルピースの物語を完成させるんだから」
「お前さっきこの漫画を捨てようとしていたオニ」
ちゃっかり見ているアカオーニさんの観察眼が光る。
「本当は気づいているオニ。お前は泣き虫で一人じゃなにも出来ないオニ。どうせ途中で投げ出すに決まっているオニ」
「あなたの言うとおり、私は泣き虫で一人じゃ何もできないって思ってた。だから強いヒロインに憧れてミラクルピースを作り出したんだって」
「そのとおりオニ。だからそんなもの幻だと言ってるオニ」
「違う! ミラクルピースは私の中でちゃんといる! 私の中に、ほんの少しだけある強い心がミラクルピースなの!」
「私、漫画を描くのが好き。その強い気持ちがある限り、私は絶対諦めない!」
稲妻が天に向かって昇ります。
「自己愛」と言うとき、どことなくその言葉にはネガティブな印象を受けると思います。自己中心的、利己的なイメージですね。ですが、敢えて言いましょう、自己愛のどこが悪いのだと。人は誰もが他者に依存し、自分が好きな生き物です。自立、博愛が優れていてそうでなければ劣るなどという考えは一面的で人間の本質を見誤っている。人は自己愛の中から理想とすべき自分を見定め、そして自分がそうなることが出来る生き物であるし、他者への依存の中から自己の存在価値(他者から見て自分がどう関わっているか)を知ることが出来る。自己愛と依存は博愛と自立に繋がり、そしてまた自立と博愛から自分の価値(自己愛)と他者との結びつき(依存)が生まれていく。…と思うのは私が自己愛的な人間だからです。人は自己正当化する生き物です。重要なのはその正当化の過程で自分の在り方を誇れるか、その手段によって自分が目指すべき道を進める確信を持てるかということです。手段そのものは割とどうでもいい。
とある精神科医曰く心の病の原因を突き止める、つまりそれが真実であるかを突き止める必要は無いのだそうです。なんとなくそれっぽい理由で、患者本人がそう思えて、それで症状が改善すればそれで良いのだそうです。重要なのは真実を求めることではなくより良き生を営むこと。真実や真理が人を幸せにするとは限らない。だからこそ人の生は面白い。人は幻を現実として生きられる生き物なのだ。
③ヒーローは此処に
強そうなBGMがかかる中、ピースも神々しく輝いています。これが演出と作画に定評がある黄色の真骨頂。
拳と拳のぶつかり合い。泣き虫の、小柄でひ弱なパンチが大男を退けます。女児向けヒロインものの醍醐味です。子どもが大人を圧倒する。アカオーニはジョーカーの言葉を脳裏に刻みながら拳を振るいます。後がない。追い詰められているのは彼らの方。アカンベェを蹴り倒した直後の身体をひねっているピースがカッコイイ。
「プリキュア!」
雷が天からピースに降り注ぎます。普通にこの時点で戦意無くすわ。
「ピースサンダー!ハリケーン!」
これまでの中で最大のご褒美を貰うアカオーニ。大の字になって地面に倒れます。きっと悶絶してます。
疲れ果てながらピースは漫画を返してと要求します。しかしアカオーニはもう後がないと決死の覚悟を見せます。プリキュア達が幸せ(自己実現)を掴んでいく裏で敵の退路が断たれていくって実に皮肉な話し。おそらく意図してやっている。誰かが幸せになるとき、知らぬ間に誰かがその割を食っているかもしれない。正義を証明するために悪があるのだとしたら、その悪の犠牲の代価は誰が払うのか。踏み倒しているんじゃないのか。人は結局比較と暴力の中でしか幸せを生み出せないものなのか。この世界は所詮選ばれた人にのみ住み心地の良い世界なのか。ぶっちゃけ、そう。では、プリキュアはその世界で何をするのか? というのがプリキュアにおける問題提起のやり方ですね。プリキュアはもはや自分達だけが幸せになることを望まない。
気が利く仲間が空気を読んで参戦。
「私、これからも挫けそうになるかもしれない。けど、一度決めたことは絶対最後までやり抜く!」
偶然か意図してかはわかりませんが、ピースのこのセリフは1話のみゆきのセリフと重なります。ハッピーがこのセリフに反応しているのも興味深い。
カウント9。
やよいはみんなに漫画を描き上げることを約束します。これはやよいがやよいであるためにも必要な約束です。
果たして、漫画は描き上がります。やよいにデコルで出した花束を贈るみゆき。男子生徒達は漫画の技を使って遊んでいます。ノリいいなー。漫画を読んだみんなの反応も上々。
「私の名前は黄瀬やよい。ちょっぴり泣き虫だけど一度決めたことは最後までやり抜く頑張り屋さんなんだから!」
④次回予告
緑色対決再び。
○トピック
ヒーローに憧れるやよいがヒーローになる回。今回のお話しの大胆なところは、プリキュアでお馴染みの絆や誰かを守りたいというような利他的発想が一切ないことです。純粋にやよいの内面的な問題を取り扱っています。自分の物語を自分で書く、というのがここ最近の流れなのでそれに合致する展開となっています。
泣き虫でもプリキュア(ヒーロー)になれる。ただしその代価は諦めないこと、苦しみを受け入れその上で立ち向かうこと。たぶんコンクールの結果はせいぜいよくて努力賞とかそんなんだろうと思いますが、彼女の物語に必要なのは勇気と友達(理解者)です。これは3話から続いてきた彼女の物語の核心ですね。今回の話しだと友達はむしろプレッシャーとして描かれていますが、友達から受け取った友情と勇気を彼女が漫画にすることで還元させているという流れにあります。あかねとやよいに共通しているのは良き友、良き理解者がその人の成長(自立)を促している点です。
友達と絆を育みながらも、一定の距離感を持って自立と絆の関係をバランス良く描いているのはスマイルの優れた特徴です。
何度でも言いますが、この物語はプリキュアごっこを始めることから始まっています。幼稚園児が集まって仲良くプリキュアごっこをしていると表現しても差し支えありません。困っていても友達が声をかけてくれるし、失敗や欠点も許してくれる。悪者(困ったこと)がやってきてもテキトーに退けてめでたしめでたし。そうした暖かい平和な世界を享受していました。
これは子どもの置かれている状況や、児童心理的にも合致する状態です。幼児期の自我はまだ未完成で自己と他者の境界が曖昧です。だから子どもは容易に感情移入しやすいし、周りからの刺激をダイレクトに受けやすい。誰とでも、とまでは言いませんがほぼ誰とでも友達になれるし、ケンカしてもよほどのことがなければそれほど後を引きません。物語序盤で各自に欠点がありつつもそれが認められ励まされながら彼女達が成長していったのはそれを示しています。
今のスマイルはそこから進んでいます(幼年期が終わった)。現実は苦しい。また必ずしも友達が助けに来てくれるとは限らない。最低限自分のことは自分でやらなければならないし、時には友達の助けを断る必要がある。そういう段階にあります。プリキュアシリーズを概観するとこれほど自立を促しているのは非常に珍しいというか画期的ですらあります。常に友達の力となり友達と一緒にいるのがプリキュアのスタンスだからです。「ふたりで変身」はそのスタンスが如実にでています。一人で出来ることとみんなで出来ることを両立的に書くのは難しい。シリーズを重ねながら絆と自立の物語を成長させてきたのだと思うと感慨深い。単独変身と自立の物語が関連付けられるまでに至っています。無論、この自立の流れは作中文脈として敵との共生に繋がっていくものと思われます。それがどういう形を取るかは後のお楽しみ。
39話のみゆきの話しがギャグぽかったので一連の個人回に含んでいいのか迷うところなんですが(映画がまるまるみゆき回だという捉え方もありますが)、含めるにしても含めないにしても、みゆきの文脈はあかね達と毛色が違っているのが面白い点です。流石主人公。あかねとやよいはあくまで個人。自分の物語の、自分の文脈でそれぞれエピソードが綴られている。それに対してみゆきはシンデレラがそうであったように自分の物語にはみんなが必要だと言っています。この「みんな」は敷延すれば意地悪な継母と義姉達、つまり三幹部も必要なのだという余地があります。個別の物語があることを前提に、みゆきによってそれらの物語が包括されうる土壌が整えられつつあります。
第40話「熱血!あかねの宝探し人生」
○今週の出来事
①あかねの物語
部活の練習に精を出すあかね。コーチから次の試合も頼むぞ、と声がかけられます。レギュラーとして活躍しているようです。
みゆきの声。試合の応援に行くから頑張って、と声援が飛びます。みゆきの手には無数の絆創膏。この時点で大体の展開が読めます。
映画宣伝仕様OP。映画で登場した羽の付いたデコル(ウルトラキュアデコル)が今回登場していることからも、今年も例年同様最終決戦フォームがあるようです。
教室ではみゆき達4人が固まってなにやら楽しそうに相談しています。あかねが教室に入ると何かを手に握って隠すみゆき。隠し事でもあるのかとあかねが詰め寄ります。みゆきの手に気づいたあかねは料理で失敗したのだろうと上手い具合に勘違いしてくれます。左手はフェイク。何とか誤魔化せました。
校内芸術コンクールのテーマは「私の宝物」。あかねはおもろそう、と興味を示します。豊島君はギター。みんな口々に天体望遠鏡、お揃いのキーホルダー(この子はヘアバンドの子とよく一緒に居るイメージがありますね)、黒帯、ゲームのセーブデータと様々。私はプリキュアとの想い出かな(ドヤ顔)。
あかねは今までそういうことを考えたことがなかったので宝物を探そうと張り切ります。
今回のナレーションやタイトルコールはあかね。この分だと次回以降も各回主役が務めそうです。それぞれの目線と立場で物語を語っています。
バッドエンド王国。ジョーカーに呼び出されるウルフルン。ジョーカー久々の登場です。この人が登場するときは大抵碌なことがありません。言い換えれば物語が進む兆候です。居丈高なウルフルンにジョーカーはこれまで見せたことが無いほどの威圧感を出しながら言葉を返します。いつまで経ってもプリキュアを倒せない。ピエーロ様がお怒り。気圧されながらもウルフルンはいつ復活するのか、そして「大体ピエーロ様って一体何だ!?」と返します。やっぱり三幹部はピエーロの正体を知らないようです。
「ウルフルンさん、あなたまた昔に戻りたいんですか?」
その言葉で引っ込むウルフルン。やはり想像したとおりの展開。三幹部はジョーカーが目的を達成するための手駒でしかない。何かしらの不満とそれを解消してくれる魅力的な誘い文句があったのでしょう。
ジョーカーは5色のカードを取り出して選べと言います。一人くらいなら倒せるでしょう?これが最後のチャンス。ウルフルンは橙色に目をとめます。以前ボコボコにされた恨みがあります。ピンクのカードが並んでいるということはこの展開の締めはみゆきということになるのでしょう。
次回が楽しみです。アカオーニさん黄色一択じゃないですか。ジョーカーもその辺分かってて「誰をえら…あ、黄色ですね、はい」って手渡すレベル。
昼食。あかねはみんなに宝物を尋ねます。みゆきはお婆ちゃんに貰ったシンデレラの絵本。なおはスパイクシューズ。やよいは太陽マンとのツーショット写真。流石ブレねぇな。青木家には家宝の掛け軸があるそうです。やっぱり「道」って書いてあるんでしょうか。キャンディはロイヤルクロック。そろそろクリスマス近いのでよろしく。
みんな宝物を持っていて感心するあかね。宝物とは何なのか。その人にとって大事なもの、自慢、貴重品、ワクワクして絶対になくしたくないもの。好きなものがたくさんあるあかねちゃんならすぐ見つかると話すみゆき。こういうものの言い方が出来るこの子は地味に凄い。
「好きなもの」をヒントにしてあかねは宝探し。
バレー。しかししっくりこない。バレーの練習中、みゆき達が部員にボールを見せて貰っています。やよいがスケッチ。
お好み焼き。コテ。これも違う。みゆき達が入店します。それに合せて母親があかねにあがっていいと言います。英語の手紙が来ているそうです。差出人は勿論ブライアン。やよいの反応が早い。
英語の文面に四苦八苦するあかね。れいかが翻訳します。この人ほんとに便利だわー。やよいがめざとく「like」の文字を見つけて盛り上がります。れいかが冷静に「あかねさんの笑顔は太陽のようだ」と翻訳。それを聞いてガックリとする一同。あかねはその文章に好感を持ちます。すかさずやよいがツッコミます。この黄色うぜー。それはそうと私は英語が苦手なので手紙の全文訳誰かやってくれませんかね。(と書いたら訳してくれた方がいたので要約すると、親切にしてくれたあかねとクラスのみんなへのお礼、今も日本語の勉強をしていること、あかねが紹介してくれた日本文化が好きなこと、空手をやっていることが書かれています。近況報告ですね)
みゆきもブライアンの表現に同意。寝転んだ姿勢から起き上がるシーン、重力が仕事してくれません。
この手紙が宝物?とマセたことをいうキャンディをあかねはコチョコチョとくすぐります。あかねは真顔になると大事なものはたくさんあるけど宝物となるとなかなかピンとこないと言います。あかねの態度にみゆき達は呆然とします。彼女達にとっては気軽な話題でしたが、あかねにとってはクリティカルな話題だったようです。
店の前でお別れ。みゆきは今日家に来た理由を明かします。あかねのマスコット。明日の試合に合せて作ったようです。みゆきの絆創膏の意味に気づいたあかねは、4人を抱きしめます。めっちゃ嬉しい!と身体全体でうれしさを表現するあかね。こういう風に素直に感情を表現できる人を私は羨ましいと思う。私は感情がすぐに表情に出やすいけど、それを意図して伝えるために表現することが出来ない。印象や感動は常に自分の心に保管され時間をかけて咀嚼していく。対人関係、意思疎通を前提にしていないからだ。
発案はみゆき。やよいがデザイン。生地の選定はれいか。なおが指導しながらみんなで作ったお守り。キャンディも自分も縫い縫いしたと話しに加わり4人とキャンディはワイワイ楽しそうに笑っています。今回はあかねの視点なのでみゆき達がどのようにして、どんなに楽しみながら作っていたかは断片的に語られるのみです。
あかねは宝物が見つかった、この人形を宝物にすると宣言します。
自室に戻ってあかねは人形を見つめながら自分にも宝物が出来たと悶えます(視聴者も)。人形の縫い目から縫った人が誰かを想像します。ボールの細かさを見てやよいがスケッチしていた理由を知ります。ワクワクして絶対になくしたくないもの。それだけじゃない、宝物があればパワーがみなぎってくる。明日の試合に向けてあかねの士気は高まります。
復讐に燃えるウルフルン。
②あかねの宝物
試合当日。お守りを身につけて会場を訪れるあかね。ウルフルンが呼び止めます。サシでの勝負を挑みます。カウント13。先ほどのウルフルンの問いに答えると、このまま順調にカウントが進めば45話でピエーロは復活します。と、同時にデコルも満了になります。クロックは1話分早い見込み。調整が入るかもしれませんが、おそらくミラクルジュエル出現のキーでしょうからこのまま先行する可能性もある。サニー単独変身。スマイルの単独変身は珍しいので貴重です。
ウルフルンはバレーボールに憑依。2話と同じ敵にネタ切れかとつっこむサニー。てめーの大切なものでてめーをぶっつぶすと言うウルフルン。心理的を効果を狙ったものです。
果敢に挑むもハイパー相手に一人は荷が重い。攻防の間もウルフルンはいつもヘラヘラ笑ってムードメーカー気取っているてめーが大嫌いだと言います。言いがかり、八つ当たりもいいところですが「狼」の立場からすれば気に入らないと思うのも自然な反応でしょうか。相手の気迫に戸惑うサニー。
戦闘が始まっていることを察知するみゆき達。でも合流タイミングは空気を読みます。
お守りがウルフルンの手に渡ってしまいます。これはなんだという疑問に宝物だと答えるサニー。例によってウルフルンがバカにするとサニーは飛びかかります。返り討ち。ウルフルンは予告どおりあかねの大事なものを壊します。言葉を失うサニー。絶望感がハンパねぇ。愕然とするサニーをウルフルンは踏みつけます。彼の表情はどこか無理が感じられる。焦りや強迫観念のそれ。
綿が飛び出たお守りを見つめながらサニーはみゆき達の姿を思い出しながら宝物が壊れてしまったとうなだれます。勝ち誇るウルフルン。一人ずつなら楽勝だと自信満々に言います。それ幹部として情けなくないか?
次の標的はキュアハッピー。彼にとっては最初の敵、あかねにとっては一番の親友。それを聞いたサニーは瞳を大きくあけます。
「またんかい!」
満身創痍で身体が震えているサニー。ウルフルンはビビっていると判断しますが、サニーはみんなが居なくなった時のことを考えたら震えてしまうと言います。再び挑みます。殴り合いながらサニーは本当の宝物が何か分かったと言います。
「バレーもお好み焼きも、うちが大切なもんは全部みんなと繋がっとった! みんながおるからうちは自分の好きなもんに一生懸命になれたんや!」
泣きながら叫ぶサニー。スマイルは自分が大切だと思うもののためには泣きながらでも必死に立ち向かう姿が描かれています。
「みんながおったらどんな時でも100倍も1000倍も力が沸いてくるんや! それがうちの一番の宝もんや!」
パクトのカット。大きな羽が付いたデコルが装着されています。映画を見た人ならピンと来るシーン。スマイルは個々に潜在力を引き出すエピソードをやるつもりのようです。
業火に身を包むサニー。ウルフルンも本気。拳と拳のぶつかり合い。
「プリキュア!サニーファイアー!バーニング!」
これは上位技というより、火事場の馬鹿力的なものだろうと思う。みんながいれば何倍でも力が沸く。スマイルはそれを守るために独力で普段よりも力を出す(出せる)ことに重きを置いています。「みんなの物語」の前に「私の物語」を書くことで各々の自覚と責任、使命を明確にしているわけですね。「みんなと」はプリキュアの最大のテーマですが、個々人の決意を書くことによって物語に深みを与えています。時には独りで頑張るしかない、頑張らなければならないことがある。それはみんなと居るための一人一人が負うべき責任なのだと。
力を使い果たすサニー。しかしウルフルンはまだ戦意を失っていません。ビーム。はい、お約束。空気を読んで仲間が登場。時間ですのでちゃっちゃと浄化します。カウント8。
負けたウルフルン。彼の運命や如何に。
壊れたお守りを見せながら謝るあかね。また作り直すと屈託無く言うみゆき。みんなも同じ気持ちです。彼女達の好意に感謝しながらあかねはこのままで良いと言います。世界にたった一つのこの人形がいい。本当に大事なものが分かったと言います。内心でなくす前にちゃんと気づけて良かったと独白。ここのみんなに伝えている部分と自分の中に留めている部分とがあるのが上手い。見てくれの価値ではなく、そこに内在するもの、それが生まれた意味を宝物だと思う感情。みゆきの母親が不器用な贈り物を大事そうに見つめていたシーンを思い出します。
「見つかったんや、うちの自慢の宝もん」
「それはうちだけの秘密や」
「うちの名前は日野あかね。太陽さんさん元気が取り柄で友達が宝もんの中学2年生や。今日も明日も熱血パワーで絶好調!張り切っていくでー!」
③次回予告
アカオーニさんがアップを始めたようです。
○トピック
宝物とは物ではなく友達なのだと気づく回。いよいよ終盤のステージが始まります。
このエピソード自体はプリキュアでは自然な流れでもあり定番です。プリキュアが一番大事にするのは友達(との繋がり)ですし、視聴者に伝えたいこともそれだからです。あかねの話しで見ると、サブタイトルに「熱血!~」って書かれているのがそれなんですが、2話のみゆきと友達になる話し、お好み焼きのお話し、お笑いのお話し、ブライアンのお話しが彼女のメイン回。今回彼女が述懐しているように、彼女が笑い、守り、あるいは求めていたのは他者との関係性や絆であることが総括されています。
一昔前のプリキュアだとこのテーマの追求だけで年間スケジュール消化するところですが、スマイルでは5分の1。他の4人がどのようなテーマを扱っていくのか楽しみです。
大抵の人は宝物、平たく言って捨てられない(手放せない)ものがあると思います。記念品だったり貴重品だったり、自分の功を証明するものであったり。お金であったり。物そのものは勿論のことそれに付随した想い出も合せての宝物であろうと思います。ちなみに私には物としての宝物はありません。優先順位として捨てにくいものはありますが、捨てようと思えば捨てられます。それは私が想い出になるような物や出来事がないのもあるし、物に執着しないからでもあります。私は自己中心的な、自分大好き人間なので、自分自身を宝物だと思ってます。例えばプリキュアとの8年半に渡る交流も宝物の一つです。毎週楽しんで、感想書いて、いろいろ考えて、それを自分の人生に組み込んできたことが大事なことです(なので、例えばこれまで書いた感想が全部消えても差し支えはない)。私にとって宝物とは後生大事にとっておくものでも自慢するものでもなく、常に形を変え、時にそぎ落とし、時に継ぎ足し、時に土台を残して全部壊しながら紡いでいく自分という物語。「私」という人格と経験です。それがあればいくらでも物でも金でも作り出すことができるだろうし、新たな出会いも生まれていく。…っていうくらいまで割り切ると物をどんどん捨てられるので部屋がスッキリします。他者に対しても個人に対して、というより自分にとって他者とはどんな存在で自分とどのような結びつきと意味があるのかと捉えています。…っていうところまで行くと人間関係で悩むこともなくなります。自分で自覚していますが、私は変わり者なので逆にこれしかやりようがない(特化せざるを得ない)という事情がありますが。
話しが盛大に脇道に逸れましたが、自分にとって大切なモノは何か?という自問は大事なことです。これを取り違えてしまうとややこしいことになります。以前も触れましたがダークプリキュアのように本当は父親の愛情が欲しかったのに競合する(と誤認して)ゆりに憎悪を抱いたというのがその例です。今回のエピソードを踏まえるなら、何かのキッカケでお守りをみゆき達が壊してしまってそれで友達関係に傷が入ってしまった、なってことになったら本末転倒なわけです。大切な友達から貰ったからこそ宝物なのに、その宝物を失ってしまったせいで友達をなくすというのでは意味が分からない。でも、実際にそういう錯誤や取り違えをすることは多いのです。近視眼的になったり、見栄や意地をはってしまって本物よりも贋作を価値ある物だと見積もってしまう。特に人間関係の場合は大切なものがあまりに当たり前に存在しているので、その実体や存在感が薄れてしまうことが多い。死別して親のありがたみに気づくというのは昔から言われています。スイートは大事な人が同時に怒りや憎悪の対象になりやすいことを指摘した作品でもありました。
スマイルはそこまで捻れた物語ではありませんが、逆に言えば取っかかりをどのように持たせるのか興味あるところです。何度でも言いますが、敵の救済は確定路線。
フレッシュが救済し、ハートキャッチが赦し、スイートが友達になりながらプリキュアは「みんなが繋がり合った世界」というビジョンを提示するまでになりました。どのようにしてウルフルン、そしてジョーカーを友達の枠の中に入れることが出来るのか。あなたも大事な物語の登場人物なのだと言える文脈とは何か。悪が存在しない物語で彼女達は何と戦うのだろう。
①あかねの物語
部活の練習に精を出すあかね。コーチから次の試合も頼むぞ、と声がかけられます。レギュラーとして活躍しているようです。
みゆきの声。試合の応援に行くから頑張って、と声援が飛びます。みゆきの手には無数の絆創膏。この時点で大体の展開が読めます。
映画宣伝仕様OP。映画で登場した羽の付いたデコル(ウルトラキュアデコル)が今回登場していることからも、今年も例年同様最終決戦フォームがあるようです。
教室ではみゆき達4人が固まってなにやら楽しそうに相談しています。あかねが教室に入ると何かを手に握って隠すみゆき。隠し事でもあるのかとあかねが詰め寄ります。みゆきの手に気づいたあかねは料理で失敗したのだろうと上手い具合に勘違いしてくれます。左手はフェイク。何とか誤魔化せました。
校内芸術コンクールのテーマは「私の宝物」。あかねはおもろそう、と興味を示します。豊島君はギター。みんな口々に天体望遠鏡、お揃いのキーホルダー(この子はヘアバンドの子とよく一緒に居るイメージがありますね)、黒帯、ゲームのセーブデータと様々。私はプリキュアとの想い出かな(ドヤ顔)。
あかねは今までそういうことを考えたことがなかったので宝物を探そうと張り切ります。
今回のナレーションやタイトルコールはあかね。この分だと次回以降も各回主役が務めそうです。それぞれの目線と立場で物語を語っています。
バッドエンド王国。ジョーカーに呼び出されるウルフルン。ジョーカー久々の登場です。この人が登場するときは大抵碌なことがありません。言い換えれば物語が進む兆候です。居丈高なウルフルンにジョーカーはこれまで見せたことが無いほどの威圧感を出しながら言葉を返します。いつまで経ってもプリキュアを倒せない。ピエーロ様がお怒り。気圧されながらもウルフルンはいつ復活するのか、そして「大体ピエーロ様って一体何だ!?」と返します。やっぱり三幹部はピエーロの正体を知らないようです。
「ウルフルンさん、あなたまた昔に戻りたいんですか?」
その言葉で引っ込むウルフルン。やはり想像したとおりの展開。三幹部はジョーカーが目的を達成するための手駒でしかない。何かしらの不満とそれを解消してくれる魅力的な誘い文句があったのでしょう。
ジョーカーは5色のカードを取り出して選べと言います。一人くらいなら倒せるでしょう?これが最後のチャンス。ウルフルンは橙色に目をとめます。以前ボコボコにされた恨みがあります。ピンクのカードが並んでいるということはこの展開の締めはみゆきということになるのでしょう。
次回が楽しみです。アカオーニさん黄色一択じゃないですか。ジョーカーもその辺分かってて「誰をえら…あ、黄色ですね、はい」って手渡すレベル。
昼食。あかねはみんなに宝物を尋ねます。みゆきはお婆ちゃんに貰ったシンデレラの絵本。なおはスパイクシューズ。やよいは太陽マンとのツーショット写真。流石ブレねぇな。青木家には家宝の掛け軸があるそうです。やっぱり「道」って書いてあるんでしょうか。キャンディはロイヤルクロック。そろそろクリスマス近いのでよろしく。
みんな宝物を持っていて感心するあかね。宝物とは何なのか。その人にとって大事なもの、自慢、貴重品、ワクワクして絶対になくしたくないもの。好きなものがたくさんあるあかねちゃんならすぐ見つかると話すみゆき。こういうものの言い方が出来るこの子は地味に凄い。
「好きなもの」をヒントにしてあかねは宝探し。
バレー。しかししっくりこない。バレーの練習中、みゆき達が部員にボールを見せて貰っています。やよいがスケッチ。
お好み焼き。コテ。これも違う。みゆき達が入店します。それに合せて母親があかねにあがっていいと言います。英語の手紙が来ているそうです。差出人は勿論ブライアン。やよいの反応が早い。
英語の文面に四苦八苦するあかね。れいかが翻訳します。この人ほんとに便利だわー。やよいがめざとく「like」の文字を見つけて盛り上がります。れいかが冷静に「あかねさんの笑顔は太陽のようだ」と翻訳。それを聞いてガックリとする一同。あかねはその文章に好感を持ちます。すかさずやよいがツッコミます。この黄色うぜー。それはそうと私は英語が苦手なので手紙の全文訳誰かやってくれませんかね。(と書いたら訳してくれた方がいたので要約すると、親切にしてくれたあかねとクラスのみんなへのお礼、今も日本語の勉強をしていること、あかねが紹介してくれた日本文化が好きなこと、空手をやっていることが書かれています。近況報告ですね)
みゆきもブライアンの表現に同意。寝転んだ姿勢から起き上がるシーン、重力が仕事してくれません。
この手紙が宝物?とマセたことをいうキャンディをあかねはコチョコチョとくすぐります。あかねは真顔になると大事なものはたくさんあるけど宝物となるとなかなかピンとこないと言います。あかねの態度にみゆき達は呆然とします。彼女達にとっては気軽な話題でしたが、あかねにとってはクリティカルな話題だったようです。
店の前でお別れ。みゆきは今日家に来た理由を明かします。あかねのマスコット。明日の試合に合せて作ったようです。みゆきの絆創膏の意味に気づいたあかねは、4人を抱きしめます。めっちゃ嬉しい!と身体全体でうれしさを表現するあかね。こういう風に素直に感情を表現できる人を私は羨ましいと思う。私は感情がすぐに表情に出やすいけど、それを意図して伝えるために表現することが出来ない。印象や感動は常に自分の心に保管され時間をかけて咀嚼していく。対人関係、意思疎通を前提にしていないからだ。
発案はみゆき。やよいがデザイン。生地の選定はれいか。なおが指導しながらみんなで作ったお守り。キャンディも自分も縫い縫いしたと話しに加わり4人とキャンディはワイワイ楽しそうに笑っています。今回はあかねの視点なのでみゆき達がどのようにして、どんなに楽しみながら作っていたかは断片的に語られるのみです。
あかねは宝物が見つかった、この人形を宝物にすると宣言します。
自室に戻ってあかねは人形を見つめながら自分にも宝物が出来たと悶えます(視聴者も)。人形の縫い目から縫った人が誰かを想像します。ボールの細かさを見てやよいがスケッチしていた理由を知ります。ワクワクして絶対になくしたくないもの。それだけじゃない、宝物があればパワーがみなぎってくる。明日の試合に向けてあかねの士気は高まります。
復讐に燃えるウルフルン。
②あかねの宝物
試合当日。お守りを身につけて会場を訪れるあかね。ウルフルンが呼び止めます。サシでの勝負を挑みます。カウント13。先ほどのウルフルンの問いに答えると、このまま順調にカウントが進めば45話でピエーロは復活します。と、同時にデコルも満了になります。クロックは1話分早い見込み。調整が入るかもしれませんが、おそらくミラクルジュエル出現のキーでしょうからこのまま先行する可能性もある。サニー単独変身。スマイルの単独変身は珍しいので貴重です。
ウルフルンはバレーボールに憑依。2話と同じ敵にネタ切れかとつっこむサニー。てめーの大切なものでてめーをぶっつぶすと言うウルフルン。心理的を効果を狙ったものです。
果敢に挑むもハイパー相手に一人は荷が重い。攻防の間もウルフルンはいつもヘラヘラ笑ってムードメーカー気取っているてめーが大嫌いだと言います。言いがかり、八つ当たりもいいところですが「狼」の立場からすれば気に入らないと思うのも自然な反応でしょうか。相手の気迫に戸惑うサニー。
戦闘が始まっていることを察知するみゆき達。でも合流タイミングは空気を読みます。
お守りがウルフルンの手に渡ってしまいます。これはなんだという疑問に宝物だと答えるサニー。例によってウルフルンがバカにするとサニーは飛びかかります。返り討ち。ウルフルンは予告どおりあかねの大事なものを壊します。言葉を失うサニー。絶望感がハンパねぇ。愕然とするサニーをウルフルンは踏みつけます。彼の表情はどこか無理が感じられる。焦りや強迫観念のそれ。
綿が飛び出たお守りを見つめながらサニーはみゆき達の姿を思い出しながら宝物が壊れてしまったとうなだれます。勝ち誇るウルフルン。一人ずつなら楽勝だと自信満々に言います。それ幹部として情けなくないか?
次の標的はキュアハッピー。彼にとっては最初の敵、あかねにとっては一番の親友。それを聞いたサニーは瞳を大きくあけます。
「またんかい!」
満身創痍で身体が震えているサニー。ウルフルンはビビっていると判断しますが、サニーはみんなが居なくなった時のことを考えたら震えてしまうと言います。再び挑みます。殴り合いながらサニーは本当の宝物が何か分かったと言います。
「バレーもお好み焼きも、うちが大切なもんは全部みんなと繋がっとった! みんながおるからうちは自分の好きなもんに一生懸命になれたんや!」
泣きながら叫ぶサニー。スマイルは自分が大切だと思うもののためには泣きながらでも必死に立ち向かう姿が描かれています。
「みんながおったらどんな時でも100倍も1000倍も力が沸いてくるんや! それがうちの一番の宝もんや!」
パクトのカット。大きな羽が付いたデコルが装着されています。映画を見た人ならピンと来るシーン。スマイルは個々に潜在力を引き出すエピソードをやるつもりのようです。
業火に身を包むサニー。ウルフルンも本気。拳と拳のぶつかり合い。
「プリキュア!サニーファイアー!バーニング!」
これは上位技というより、火事場の馬鹿力的なものだろうと思う。みんながいれば何倍でも力が沸く。スマイルはそれを守るために独力で普段よりも力を出す(出せる)ことに重きを置いています。「みんなの物語」の前に「私の物語」を書くことで各々の自覚と責任、使命を明確にしているわけですね。「みんなと」はプリキュアの最大のテーマですが、個々人の決意を書くことによって物語に深みを与えています。時には独りで頑張るしかない、頑張らなければならないことがある。それはみんなと居るための一人一人が負うべき責任なのだと。
力を使い果たすサニー。しかしウルフルンはまだ戦意を失っていません。ビーム。はい、お約束。空気を読んで仲間が登場。時間ですのでちゃっちゃと浄化します。カウント8。
負けたウルフルン。彼の運命や如何に。
壊れたお守りを見せながら謝るあかね。また作り直すと屈託無く言うみゆき。みんなも同じ気持ちです。彼女達の好意に感謝しながらあかねはこのままで良いと言います。世界にたった一つのこの人形がいい。本当に大事なものが分かったと言います。内心でなくす前にちゃんと気づけて良かったと独白。ここのみんなに伝えている部分と自分の中に留めている部分とがあるのが上手い。見てくれの価値ではなく、そこに内在するもの、それが生まれた意味を宝物だと思う感情。みゆきの母親が不器用な贈り物を大事そうに見つめていたシーンを思い出します。
「見つかったんや、うちの自慢の宝もん」
「それはうちだけの秘密や」
「うちの名前は日野あかね。太陽さんさん元気が取り柄で友達が宝もんの中学2年生や。今日も明日も熱血パワーで絶好調!張り切っていくでー!」
③次回予告
アカオーニさんがアップを始めたようです。
○トピック
宝物とは物ではなく友達なのだと気づく回。いよいよ終盤のステージが始まります。
このエピソード自体はプリキュアでは自然な流れでもあり定番です。プリキュアが一番大事にするのは友達(との繋がり)ですし、視聴者に伝えたいこともそれだからです。あかねの話しで見ると、サブタイトルに「熱血!~」って書かれているのがそれなんですが、2話のみゆきと友達になる話し、お好み焼きのお話し、お笑いのお話し、ブライアンのお話しが彼女のメイン回。今回彼女が述懐しているように、彼女が笑い、守り、あるいは求めていたのは他者との関係性や絆であることが総括されています。
一昔前のプリキュアだとこのテーマの追求だけで年間スケジュール消化するところですが、スマイルでは5分の1。他の4人がどのようなテーマを扱っていくのか楽しみです。
大抵の人は宝物、平たく言って捨てられない(手放せない)ものがあると思います。記念品だったり貴重品だったり、自分の功を証明するものであったり。お金であったり。物そのものは勿論のことそれに付随した想い出も合せての宝物であろうと思います。ちなみに私には物としての宝物はありません。優先順位として捨てにくいものはありますが、捨てようと思えば捨てられます。それは私が想い出になるような物や出来事がないのもあるし、物に執着しないからでもあります。私は自己中心的な、自分大好き人間なので、自分自身を宝物だと思ってます。例えばプリキュアとの8年半に渡る交流も宝物の一つです。毎週楽しんで、感想書いて、いろいろ考えて、それを自分の人生に組み込んできたことが大事なことです(なので、例えばこれまで書いた感想が全部消えても差し支えはない)。私にとって宝物とは後生大事にとっておくものでも自慢するものでもなく、常に形を変え、時にそぎ落とし、時に継ぎ足し、時に土台を残して全部壊しながら紡いでいく自分という物語。「私」という人格と経験です。それがあればいくらでも物でも金でも作り出すことができるだろうし、新たな出会いも生まれていく。…っていうくらいまで割り切ると物をどんどん捨てられるので部屋がスッキリします。他者に対しても個人に対して、というより自分にとって他者とはどんな存在で自分とどのような結びつきと意味があるのかと捉えています。…っていうところまで行くと人間関係で悩むこともなくなります。自分で自覚していますが、私は変わり者なので逆にこれしかやりようがない(特化せざるを得ない)という事情がありますが。
話しが盛大に脇道に逸れましたが、自分にとって大切なモノは何か?という自問は大事なことです。これを取り違えてしまうとややこしいことになります。以前も触れましたがダークプリキュアのように本当は父親の愛情が欲しかったのに競合する(と誤認して)ゆりに憎悪を抱いたというのがその例です。今回のエピソードを踏まえるなら、何かのキッカケでお守りをみゆき達が壊してしまってそれで友達関係に傷が入ってしまった、なってことになったら本末転倒なわけです。大切な友達から貰ったからこそ宝物なのに、その宝物を失ってしまったせいで友達をなくすというのでは意味が分からない。でも、実際にそういう錯誤や取り違えをすることは多いのです。近視眼的になったり、見栄や意地をはってしまって本物よりも贋作を価値ある物だと見積もってしまう。特に人間関係の場合は大切なものがあまりに当たり前に存在しているので、その実体や存在感が薄れてしまうことが多い。死別して親のありがたみに気づくというのは昔から言われています。スイートは大事な人が同時に怒りや憎悪の対象になりやすいことを指摘した作品でもありました。
スマイルはそこまで捻れた物語ではありませんが、逆に言えば取っかかりをどのように持たせるのか興味あるところです。何度でも言いますが、敵の救済は確定路線。
フレッシュが救済し、ハートキャッチが赦し、スイートが友達になりながらプリキュアは「みんなが繋がり合った世界」というビジョンを提示するまでになりました。どのようにしてウルフルン、そしてジョーカーを友達の枠の中に入れることが出来るのか。あなたも大事な物語の登場人物なのだと言える文脈とは何か。悪が存在しない物語で彼女達は何と戦うのだろう。
第39話「どうなっちゃうの!?みゆきのはちゃめちゃシンデレラ!!」
○今週の出来事
①アーキタイプとかイデア的なアレ
図書館に本を借りに来るみゆき。落ちている本を見つけます。演出的なものか、表紙がキラキラして独特の存在感を放っています。変わった本だとみゆきはその本を拾います。中を見るとガラスの靴が描かれています。指で触れると本が光り出してみゆきが吸い込まれてしまいます。ちなみに本が光ったときのスカートの動きが絶妙です。スタッフの練度の高さに感心します。
灰だらけの格好で暖炉から出てくるみゆき。そう、ここはシンデレラの世界。映画とネタが被ってるな、というツッコミはご愛敬。
映画宣伝仕様OP。おそらくラスト。映画を1分で纏めました編。
バッドエンド王国。水晶が点滅するのを見たマジョリーナは本の存在を察知します。
みゆきの帰りが遅いとしびれを切らし始めるあかね。どの本を借りるか迷っているのでは?とれいか。ありそうな話しにあかねは納得。するとポップが「無いでござる!」と突然やってきます。クラスの視線が集まります。ポップを誤魔化す4人。今度はキャンディが慌ててやってきます。
屋上に場所を移します。キャンディが持っていた本を見てポップは安堵。捜し物だったようです。
「メルヘンランドに伝わる始まりのシンデレラ、なのでござる」
みゆきは歌いながらお掃除。シンデレラを満喫しています。映画でもそうでしたがよほどシンデレラが好きなのでしょう。
みゆきのそうした様子が絵本になって綴られています。この本は世界中のシンデレラの本と繋がっていて、全てのシンデレラの幸せの源。なるほど、そういう抽象化を図るのね。つまりこの本はアーキタイプ、イデア的な存在概念なわけだ。プリキュアらしい流れ。物語が終盤に入ったことが分かります。
この本が悪者に渡っては不味い。その悪者参上。三幹部勢揃い。始まりの本がバッドエンドになれば世界中のシンデレラがバッドエンドになると言うポップ。三幹部が我先にと本めがけて飛んできます。キャンディが庇おうと本に触れるとみゆきの時と同様本が光って周囲の人達を中の世界に吸い込んでしまいます。この本、取り扱い注意ですね。
ポップはキャンディ達に物語の登場人物になってバッドエンドから守ってくれと頼みます。
②大体合ってる
みゆきはシンデレラを満喫。そこに登場するのは継母と意地悪な義姉達。つまり三幹部。前回に引続きウルフルンとアカオーニの中の人大変だな。継お婆ちゃんってなんだそれ。
自分達が来た理由を説明。みゆきは負けじと対抗心を燃やします。
洗濯をウルフルンが汚します。狼っていうか、それ犬だな。アカオーニも磨いた床を汚します。料理は……何もしなくても盛大に失敗しました。
本を読んでいたポップは三幹部の卑劣な所行に苛立ちます。まあ、でも大体原作通りなんじゃね?これはこれで。ページを先に進めます。
お城から招待状が届きます。聞き耳を立てるみゆき。マジョリーナが罠を発動させてみゆきを檻に閉じ込めます。天井からつり下がった縄ってよく出てくるけど、実際あの仕掛け作ろうとしたら大変だよね。
大ピンチ…という緊張感もなく魔法使いが助けに来てくれると高をくくるみゆき。が、ダメ! 蓑虫の格好で天井からつるされたやよいが登場。シュールです。「魔法使い役のやよいです」と自己紹介。プリキュアでは黄色は魔法使いという決まりらしい(GoGoの時も今回と同様のお話がありました)。
夜になったので三幹部は舞踏会へ。三人で行く必要があるのか疑問ですが、大筋で原作に忠実。
残されたみゆきはうなだれています。吊されたやよいが相変わらずシュール。そこにねずみのあかねとなおがやってきます。やよいの縛めを解きます。キャンディもカボチャを持って登場。怪獣の着ぐるみを着ています。トカゲらしい。
やよいは先端がチョキの形をした杖を取り出すとチチンプイプイ、と呪文と唱えてピースサンダーの要領で魔法をかけます。何を言っているのか私もよくわかりませんが、黄色はこんなノリ。間違いなく言えることは、黄色の優遇ぶりが酷い。
カボチャの馬車とドレスを纏ったシンデレラの出来上がり。あかねとなおは相変わらず人外。これがプリキュア内格差。
12時までにお城を出て、とやよいが伝えます。合点承知と言ってから、しおらしくわかりましたわ、と言い直すみゆき。
お城に向かって疾駆。綺麗な満月に見入るみゆき。満月と言えば狼男。ウルフルンが妨害します。3匹の子豚の要領で馬車を吹き飛ばします。魔法が解け、カボチャも壊れてしまいます。万事休す。
「この先どうなっちゃうでござるか!?」
メタいな。
絢爛豪華、荘厳、そして「道」。はい、オチ担当のれいかさんです。舞踏会なのに「誰も…来ません」。芸の道を極める気でしょうか。
三幹部がやってきます。他の招待客は全員追い払った模様。三幹部は王子と踊ってくれと申し出ます。マジョリーナも結婚したいと言います。「お断りします」。気持ちは分かる。しかし誰かと踊らないといけないと詰め寄る三人。馬車を壊したのでシンデレラは来ないと言うウルフルン。みゆきを案じるれいか。どちらかというとれいかさんの方がピンチ度高い。
みゆきは手にガラスの靴を持って裸足で駆けます。まだ終わりじゃない。馬車が無くったって舞踏会にたどり着いてみせる。
「シンデレラをバッドエンドになんか絶対させないんだから!」
流石主人公なだけあって、みゆきの回は物語の筋に直接的に絡む。これは2重の意味を持つ。一つはシンデレラの物語をハッピーエンドで終わらせたい、そのために頑張るという意味。もう一つはみゆき自身がハッピーエンドになるために自分でハッピーを掴むという意味。プリキュアのコンセプトは女の子が主役となって戦うお話し。王子様や謎の助っ人は必要とされません。むしろ男の子を助ける勢いで女の子が大奮闘するところに面白さがあります。合点承知!がしっくりくるヒロイン。
途中で躓いて転んでしまいます。そこに先に城へ行ったやよいが箒に乗って引き返してきます。「これや!」。
れいかを三幹部が結婚してくれと追いかけます。れいかさんの貞操が危ない。
そこに颯爽、というよりは後先考えず猛突進するみゆき。ちゃっかりれいかさんは待避しています。三幹部は突撃の衝撃で場外へ。
息も絶え絶え、無事お城に到着。れいかが手を差し出します。空気を読んで静かに離れるやよい達。
宝塚みたいな感じで男装したれいかとドレスを纏ったみゆきのダンス。れいかはダンスを踊ったことが無いと言うと、みゆきは自分もないけどなんとかなる、折角の舞踏会なのだから一緒に楽しもうと答えます。みゆきのスタンスが如実に出ているところ。彼女は良くも悪くも「今」を楽しめる子です。
れいかとみゆきが踊っている姿を見て安心するあかね。一段落。やよいは二人の姿に見入っています。冬が熱くなるな。
ポップも一安心。
時間は過ぎてあっと言う間に12時手前。段取りどおり帰り支度を始めます。ノリ的にはシンデレラごっこ。視聴者の子どもはこうやってシンデレラの筋を覚えていくんだろうなぁ。
階段を下りていると三幹部がまたやってきます。あかねとなおが妨害。やよいも加わろうとしますがマジョリーナにぶつかって転んでしまいます。れいかに助け起こされると頬を赤らめます。今年は暖冬だな。
「そこいらんドラマ展開すな」
証拠品であるガラスの靴を置いていきます。そうは問屋が卸さない。ガラスの靴を赤っぱな化。久しぶりに見たな、赤。間違ったようです。これはカウント調整なのでしょう。今回はバッドエナジーもクロックもカウントが進んでいません。
みんなで変身…できません。みんな元の世界に置いてきてしまったようです。ねずみに至っては何をか言わんや。
ハッピーの単独変身。ご褒美タイム。この感想で何度も言っていますが、パフ後に朱に染まったハッピーの笑顔が殺人的に可愛い。このシーンカットされることが多くて内心ちょっと残念です。
③スマイルの守り手
「五つの光が導く未来! 輝けスマイルプリキュア!」
一人では決まらない。というか、五つの光でもない。スマイルはパロディが多い。
アカンベェとにらみ合い。何もしてきません。それもそのはず相手の目的は時間稼ぎ。逃げるアカンベェ。追いかけるハッピー。その間も刻一刻と時間は過ぎていきます。
隙を突いてアカンベェは反撃に転じます。空中で回避。それも束の間、直撃を貰います。カットの構図面白い。
追撃を仕掛けるアカンベェに対して、キャンディは飴デコルを使います。すると雨雲が出現して大量の飴が降ります。飴の雨。「駄洒落かい」。あかねさん仕事してます。
ハッピーは単独でプリンセスキャンドルを使用。単独プリンセスフォーム。うお、そんなこと出来たの!? これはれいかが言うようにシンデレラに対する思い入れが強いことが力になっているものと思われます。精神力は戦闘力と連動しています。
「プリキュア! シンデレラ・ハッピーシャワー!」
浄化完了。
射撃の反動でハッピーは場外へ。12時の鐘が鳴ります。王子がガラスの靴を拾い、シンデレラは家に。
ガラスの靴の持ち主を捜して王子がシンデレラの元へやってきます。
執事に扮していたウルフルンとマジョリーナが妨害。馬鹿でかいガラスの靴を出します。アカオーニが家から出てきてジャストフィット。「新婚旅行は鬼ヶ島オニ」。それお前の地元だろ。
ガラスの靴が割れてしまいます。キャンディが本物のガラスの靴を発見。すったもんだの末、ガラスの靴は再びみゆきの足に収まります。ホールインワン。
「シンデレラ結婚してください!」
「はい、喜んで!」
感動的なBGMが流れていますが、絶対このノリはギャグだろ。
気がつくと元の世界。三幹部は撤退します。
みゆきはみんなにお礼を言います。BGMが流れたのはこのためです。自分一人ではシンデレラを幸せに出来なかった。シンデレラのお話しは魔法使いやねずみに助けられて幸せになるお話し。なるほど、そういう見方もあるね。
「みんなが居たからハッピーエンドになったんだよ」
「頑張り屋のみゆきさんはシンデレラにそっくりだと思いますよ」
辛さに耐えるために頑張るのではなく、幸せを感じるために頑張る子。みゆきは笑顔でみんなに答えます。
ところで、シンデレラのお話しが変わってしまったと言うポップ。キャンディは大丈夫、もっともっと楽しいシンデレラのお話しになったと答えます。
④次回予告
今年はギリギリまで個人回をやるようです。
○トピック
シンデレラの話しをやっているようでスマイルの話しをやっている回。物語は終盤。あと10話あるかないか。
始まりの本、という概念はプリキュアらしい抽象化。たぶんメルヘンランドにはこうした始まりの本がたくさんあって(不思議図書館がその保管所かな)、それを全部バッドエンドかなにかにしようとするのが敵側の狙いなのだろうと思います。毎年のことですがプリキュアは一旦世界が征服されます。
アーキタイプ(元型)というのは心理学的にはユングが唱えた概念ですが詳細はネットで検索してください。私も詳しくは知りません。この語を使ったのはイメージ的な喩えです。ここではお伽噺がみんなの共有概念、物語として広く流布していること、ローカライズやバリエーションが無数にあると同時に「原作」が存在しているということを指して言っています。みゆき達はこの原作(本来あるべき姿)に戻そうと頑張りますが、さりとて差異が出てしまうことも認めています。っていうか始まりのシンデレラを書き換えてしまっている。ここがスマイルのポイント。
シンデレラのお話しをみゆきは魔法使いやねずみに助けられて幸せになる話しだと解釈しています。その解釈からすれば今回のようなお話しもアリになる。つまり、スマイル(みゆき)が言う幸せは解釈に基づいています。これはみゆきのこれまでの行動からも裏付けられます。彼女は過程の中で幸せを見つけている。この原作との差異が許される(書き換えても構わない)発想はバッドエンド側救済の布石であろうと考えられます。
スマイルの物語は、モチーフとなっている童話やお伽噺と絡めてハッピーエンドをバッドエンドから守るというのが一つの流れです。笑顔を守る。しかし同時に、その物語を頑なに守るだけがハッピーではないという示唆も含んでいます。三幹部の存在がそれですね。彼らは笑顔ではない。
今回のエピソードで描かれているようにプリキュアが守らねばならないのは、物語の「(元)型」ではなく、幸せを実現していくための「努力(と感謝)」です。自分が演じたシンデレラをとおしてみゆきはみんなの助力を改めて知ります。一つの物語の終わりは新しい物語の序章となっていく(ブライアンとの出会いと別れもこの文脈)。この連続性、時の流れにスマイルは価値を置いています。その日々の体験と行動が未来を創造する。日々の行いを結局は無価値化させる怠惰はその意味で正反対な生き方と言えます。
最近やたら引用が多いですが、今回も次の一節を付しておきましょう。
「不幸だの、苦労だのと言いますが。もしも今、この瞬間に、捕虜になる前のままでいたいか、それともはじめからあれを全部もう一度やりたいか?と言われたとしますね。是非とも、もう一度捕虜と馬の肉をお願いしたいですよ。慣れた道から放り出されたら、何もかもおしまいだと僕たちは思う。ところが、そういうときには新しい、いいものがはじまるだけなんです。生命があるあいだは、幸福もあります。先にはたくさんの、たくさんのものがあります」 (戦争と平和 トルストイ)
大人になってしまうと日常の辛さ、マンネリ、先行きの不透明感ばかりが見えてしまいがちですが、私が子どもの頃はそんな風に世の中を見ていなかったと思います。一日が長くて、色んな発見があって、怒られたり失敗したりすることも多かったですが、総じて言えば日々を楽しんでいました。それがずっと先も続くだろうとも思っていました。未来に希望が持てたから頑張れた? いんにゃ、そんなことはない。今が楽しかったんです。
前回の感想で触れたようにプリキュアは子どもの目線で、子どもが出来ることを物語の解決方法として提示します。今を一生懸命にやろう。辛さは笑顔になるための種。涙はその種を芽吹かせるための栄養剤。楽しかったときはどうして楽しかったのか考えてみよう。きっとそこには一緒に楽しんだ友達が居るはず、というメッセージ。
とはいえ、私は大人なので大人なりの処方箋を書きましょう。私は好奇心と感性が大事だと思ってます。好奇心は常に興味関心を持ちそれを知ろうとする能動性を生み出す。感性はモノの捉え方を柔軟にさせる。この二つを駆使して自分に言い聞かせて(騙して、レトリックを用いて)面倒臭い、マンネリな、先の分からない日常をやりくりしています。総じて言えば私は自分の人生に満足しています。波乱とか激動とかの形容詞は絶対に付くことはないけど、そんなもんが付く人生を望まない。私は自分が好きなことを好きなように、他人とあまり関わらずにじっくりとやれることに喜びを感じる。そこに倦怠と退屈さが必ずついて回ることを知っていてもね。
結局何が大切か、幸せだと思えるかは人による。だからこそ人はそれぞれ自分の本質、自分の求める道、姿を見極めて実現していくべきだと思っています。主体性を持って生きていると思えればその過程が辛くとも充実感は持てる。早い話しが身の程を弁えろ、という身も蓋もない話し。私は仕事なんてしたくないし好きに遊んでいたいと思う。けど、プール付きの豪邸に住みたいなんて思いません。絶対藻やコケが生える。過ぎたるは猶及ばざるが如し。
この自分にとって大切なものはなんだろうか? というのはスマイルではこれまでもやってきましたし、次回も言及されるであろう部分ですね。
①アーキタイプとかイデア的なアレ
図書館に本を借りに来るみゆき。落ちている本を見つけます。演出的なものか、表紙がキラキラして独特の存在感を放っています。変わった本だとみゆきはその本を拾います。中を見るとガラスの靴が描かれています。指で触れると本が光り出してみゆきが吸い込まれてしまいます。ちなみに本が光ったときのスカートの動きが絶妙です。スタッフの練度の高さに感心します。
灰だらけの格好で暖炉から出てくるみゆき。そう、ここはシンデレラの世界。映画とネタが被ってるな、というツッコミはご愛敬。
映画宣伝仕様OP。おそらくラスト。映画を1分で纏めました編。
バッドエンド王国。水晶が点滅するのを見たマジョリーナは本の存在を察知します。
みゆきの帰りが遅いとしびれを切らし始めるあかね。どの本を借りるか迷っているのでは?とれいか。ありそうな話しにあかねは納得。するとポップが「無いでござる!」と突然やってきます。クラスの視線が集まります。ポップを誤魔化す4人。今度はキャンディが慌ててやってきます。
屋上に場所を移します。キャンディが持っていた本を見てポップは安堵。捜し物だったようです。
「メルヘンランドに伝わる始まりのシンデレラ、なのでござる」
みゆきは歌いながらお掃除。シンデレラを満喫しています。映画でもそうでしたがよほどシンデレラが好きなのでしょう。
みゆきのそうした様子が絵本になって綴られています。この本は世界中のシンデレラの本と繋がっていて、全てのシンデレラの幸せの源。なるほど、そういう抽象化を図るのね。つまりこの本はアーキタイプ、イデア的な存在概念なわけだ。プリキュアらしい流れ。物語が終盤に入ったことが分かります。
この本が悪者に渡っては不味い。その悪者参上。三幹部勢揃い。始まりの本がバッドエンドになれば世界中のシンデレラがバッドエンドになると言うポップ。三幹部が我先にと本めがけて飛んできます。キャンディが庇おうと本に触れるとみゆきの時と同様本が光って周囲の人達を中の世界に吸い込んでしまいます。この本、取り扱い注意ですね。
ポップはキャンディ達に物語の登場人物になってバッドエンドから守ってくれと頼みます。
②大体合ってる
みゆきはシンデレラを満喫。そこに登場するのは継母と意地悪な義姉達。つまり三幹部。前回に引続きウルフルンとアカオーニの中の人大変だな。継お婆ちゃんってなんだそれ。
自分達が来た理由を説明。みゆきは負けじと対抗心を燃やします。
洗濯をウルフルンが汚します。狼っていうか、それ犬だな。アカオーニも磨いた床を汚します。料理は……何もしなくても盛大に失敗しました。
本を読んでいたポップは三幹部の卑劣な所行に苛立ちます。まあ、でも大体原作通りなんじゃね?これはこれで。ページを先に進めます。
お城から招待状が届きます。聞き耳を立てるみゆき。マジョリーナが罠を発動させてみゆきを檻に閉じ込めます。天井からつり下がった縄ってよく出てくるけど、実際あの仕掛け作ろうとしたら大変だよね。
大ピンチ…という緊張感もなく魔法使いが助けに来てくれると高をくくるみゆき。が、ダメ! 蓑虫の格好で天井からつるされたやよいが登場。シュールです。「魔法使い役のやよいです」と自己紹介。プリキュアでは黄色は魔法使いという決まりらしい(GoGoの時も今回と同様のお話がありました)。
夜になったので三幹部は舞踏会へ。三人で行く必要があるのか疑問ですが、大筋で原作に忠実。
残されたみゆきはうなだれています。吊されたやよいが相変わらずシュール。そこにねずみのあかねとなおがやってきます。やよいの縛めを解きます。キャンディもカボチャを持って登場。怪獣の着ぐるみを着ています。トカゲらしい。
やよいは先端がチョキの形をした杖を取り出すとチチンプイプイ、と呪文と唱えてピースサンダーの要領で魔法をかけます。何を言っているのか私もよくわかりませんが、黄色はこんなノリ。間違いなく言えることは、黄色の優遇ぶりが酷い。
カボチャの馬車とドレスを纏ったシンデレラの出来上がり。あかねとなおは相変わらず人外。これがプリキュア内格差。
12時までにお城を出て、とやよいが伝えます。合点承知と言ってから、しおらしくわかりましたわ、と言い直すみゆき。
お城に向かって疾駆。綺麗な満月に見入るみゆき。満月と言えば狼男。ウルフルンが妨害します。3匹の子豚の要領で馬車を吹き飛ばします。魔法が解け、カボチャも壊れてしまいます。万事休す。
「この先どうなっちゃうでござるか!?」
メタいな。
絢爛豪華、荘厳、そして「道」。はい、オチ担当のれいかさんです。舞踏会なのに「誰も…来ません」。芸の道を極める気でしょうか。
三幹部がやってきます。他の招待客は全員追い払った模様。三幹部は王子と踊ってくれと申し出ます。マジョリーナも結婚したいと言います。「お断りします」。気持ちは分かる。しかし誰かと踊らないといけないと詰め寄る三人。馬車を壊したのでシンデレラは来ないと言うウルフルン。みゆきを案じるれいか。どちらかというとれいかさんの方がピンチ度高い。
みゆきは手にガラスの靴を持って裸足で駆けます。まだ終わりじゃない。馬車が無くったって舞踏会にたどり着いてみせる。
「シンデレラをバッドエンドになんか絶対させないんだから!」
流石主人公なだけあって、みゆきの回は物語の筋に直接的に絡む。これは2重の意味を持つ。一つはシンデレラの物語をハッピーエンドで終わらせたい、そのために頑張るという意味。もう一つはみゆき自身がハッピーエンドになるために自分でハッピーを掴むという意味。プリキュアのコンセプトは女の子が主役となって戦うお話し。王子様や謎の助っ人は必要とされません。むしろ男の子を助ける勢いで女の子が大奮闘するところに面白さがあります。合点承知!がしっくりくるヒロイン。
途中で躓いて転んでしまいます。そこに先に城へ行ったやよいが箒に乗って引き返してきます。「これや!」。
れいかを三幹部が結婚してくれと追いかけます。れいかさんの貞操が危ない。
そこに颯爽、というよりは後先考えず猛突進するみゆき。ちゃっかりれいかさんは待避しています。三幹部は突撃の衝撃で場外へ。
息も絶え絶え、無事お城に到着。れいかが手を差し出します。空気を読んで静かに離れるやよい達。
宝塚みたいな感じで男装したれいかとドレスを纏ったみゆきのダンス。れいかはダンスを踊ったことが無いと言うと、みゆきは自分もないけどなんとかなる、折角の舞踏会なのだから一緒に楽しもうと答えます。みゆきのスタンスが如実に出ているところ。彼女は良くも悪くも「今」を楽しめる子です。
れいかとみゆきが踊っている姿を見て安心するあかね。一段落。やよいは二人の姿に見入っています。冬が熱くなるな。
ポップも一安心。
時間は過ぎてあっと言う間に12時手前。段取りどおり帰り支度を始めます。ノリ的にはシンデレラごっこ。視聴者の子どもはこうやってシンデレラの筋を覚えていくんだろうなぁ。
階段を下りていると三幹部がまたやってきます。あかねとなおが妨害。やよいも加わろうとしますがマジョリーナにぶつかって転んでしまいます。れいかに助け起こされると頬を赤らめます。今年は暖冬だな。
「そこいらんドラマ展開すな」
証拠品であるガラスの靴を置いていきます。そうは問屋が卸さない。ガラスの靴を赤っぱな化。久しぶりに見たな、赤。間違ったようです。これはカウント調整なのでしょう。今回はバッドエナジーもクロックもカウントが進んでいません。
みんなで変身…できません。みんな元の世界に置いてきてしまったようです。ねずみに至っては何をか言わんや。
ハッピーの単独変身。ご褒美タイム。この感想で何度も言っていますが、パフ後に朱に染まったハッピーの笑顔が殺人的に可愛い。このシーンカットされることが多くて内心ちょっと残念です。
③スマイルの守り手
「五つの光が導く未来! 輝けスマイルプリキュア!」
一人では決まらない。というか、五つの光でもない。スマイルはパロディが多い。
アカンベェとにらみ合い。何もしてきません。それもそのはず相手の目的は時間稼ぎ。逃げるアカンベェ。追いかけるハッピー。その間も刻一刻と時間は過ぎていきます。
隙を突いてアカンベェは反撃に転じます。空中で回避。それも束の間、直撃を貰います。カットの構図面白い。
追撃を仕掛けるアカンベェに対して、キャンディは飴デコルを使います。すると雨雲が出現して大量の飴が降ります。飴の雨。「駄洒落かい」。あかねさん仕事してます。
ハッピーは単独でプリンセスキャンドルを使用。単独プリンセスフォーム。うお、そんなこと出来たの!? これはれいかが言うようにシンデレラに対する思い入れが強いことが力になっているものと思われます。精神力は戦闘力と連動しています。
「プリキュア! シンデレラ・ハッピーシャワー!」
浄化完了。
射撃の反動でハッピーは場外へ。12時の鐘が鳴ります。王子がガラスの靴を拾い、シンデレラは家に。
ガラスの靴の持ち主を捜して王子がシンデレラの元へやってきます。
執事に扮していたウルフルンとマジョリーナが妨害。馬鹿でかいガラスの靴を出します。アカオーニが家から出てきてジャストフィット。「新婚旅行は鬼ヶ島オニ」。それお前の地元だろ。
ガラスの靴が割れてしまいます。キャンディが本物のガラスの靴を発見。すったもんだの末、ガラスの靴は再びみゆきの足に収まります。ホールインワン。
「シンデレラ結婚してください!」
「はい、喜んで!」
感動的なBGMが流れていますが、絶対このノリはギャグだろ。
気がつくと元の世界。三幹部は撤退します。
みゆきはみんなにお礼を言います。BGMが流れたのはこのためです。自分一人ではシンデレラを幸せに出来なかった。シンデレラのお話しは魔法使いやねずみに助けられて幸せになるお話し。なるほど、そういう見方もあるね。
「みんなが居たからハッピーエンドになったんだよ」
「頑張り屋のみゆきさんはシンデレラにそっくりだと思いますよ」
辛さに耐えるために頑張るのではなく、幸せを感じるために頑張る子。みゆきは笑顔でみんなに答えます。
ところで、シンデレラのお話しが変わってしまったと言うポップ。キャンディは大丈夫、もっともっと楽しいシンデレラのお話しになったと答えます。
④次回予告
今年はギリギリまで個人回をやるようです。
○トピック
シンデレラの話しをやっているようでスマイルの話しをやっている回。物語は終盤。あと10話あるかないか。
始まりの本、という概念はプリキュアらしい抽象化。たぶんメルヘンランドにはこうした始まりの本がたくさんあって(不思議図書館がその保管所かな)、それを全部バッドエンドかなにかにしようとするのが敵側の狙いなのだろうと思います。毎年のことですがプリキュアは一旦世界が征服されます。
アーキタイプ(元型)というのは心理学的にはユングが唱えた概念ですが詳細はネットで検索してください。私も詳しくは知りません。この語を使ったのはイメージ的な喩えです。ここではお伽噺がみんなの共有概念、物語として広く流布していること、ローカライズやバリエーションが無数にあると同時に「原作」が存在しているということを指して言っています。みゆき達はこの原作(本来あるべき姿)に戻そうと頑張りますが、さりとて差異が出てしまうことも認めています。っていうか始まりのシンデレラを書き換えてしまっている。ここがスマイルのポイント。
シンデレラのお話しをみゆきは魔法使いやねずみに助けられて幸せになる話しだと解釈しています。その解釈からすれば今回のようなお話しもアリになる。つまり、スマイル(みゆき)が言う幸せは解釈に基づいています。これはみゆきのこれまでの行動からも裏付けられます。彼女は過程の中で幸せを見つけている。この原作との差異が許される(書き換えても構わない)発想はバッドエンド側救済の布石であろうと考えられます。
スマイルの物語は、モチーフとなっている童話やお伽噺と絡めてハッピーエンドをバッドエンドから守るというのが一つの流れです。笑顔を守る。しかし同時に、その物語を頑なに守るだけがハッピーではないという示唆も含んでいます。三幹部の存在がそれですね。彼らは笑顔ではない。
今回のエピソードで描かれているようにプリキュアが守らねばならないのは、物語の「(元)型」ではなく、幸せを実現していくための「努力(と感謝)」です。自分が演じたシンデレラをとおしてみゆきはみんなの助力を改めて知ります。一つの物語の終わりは新しい物語の序章となっていく(ブライアンとの出会いと別れもこの文脈)。この連続性、時の流れにスマイルは価値を置いています。その日々の体験と行動が未来を創造する。日々の行いを結局は無価値化させる怠惰はその意味で正反対な生き方と言えます。
最近やたら引用が多いですが、今回も次の一節を付しておきましょう。
「不幸だの、苦労だのと言いますが。もしも今、この瞬間に、捕虜になる前のままでいたいか、それともはじめからあれを全部もう一度やりたいか?と言われたとしますね。是非とも、もう一度捕虜と馬の肉をお願いしたいですよ。慣れた道から放り出されたら、何もかもおしまいだと僕たちは思う。ところが、そういうときには新しい、いいものがはじまるだけなんです。生命があるあいだは、幸福もあります。先にはたくさんの、たくさんのものがあります」 (戦争と平和 トルストイ)
大人になってしまうと日常の辛さ、マンネリ、先行きの不透明感ばかりが見えてしまいがちですが、私が子どもの頃はそんな風に世の中を見ていなかったと思います。一日が長くて、色んな発見があって、怒られたり失敗したりすることも多かったですが、総じて言えば日々を楽しんでいました。それがずっと先も続くだろうとも思っていました。未来に希望が持てたから頑張れた? いんにゃ、そんなことはない。今が楽しかったんです。
前回の感想で触れたようにプリキュアは子どもの目線で、子どもが出来ることを物語の解決方法として提示します。今を一生懸命にやろう。辛さは笑顔になるための種。涙はその種を芽吹かせるための栄養剤。楽しかったときはどうして楽しかったのか考えてみよう。きっとそこには一緒に楽しんだ友達が居るはず、というメッセージ。
とはいえ、私は大人なので大人なりの処方箋を書きましょう。私は好奇心と感性が大事だと思ってます。好奇心は常に興味関心を持ちそれを知ろうとする能動性を生み出す。感性はモノの捉え方を柔軟にさせる。この二つを駆使して自分に言い聞かせて(騙して、レトリックを用いて)面倒臭い、マンネリな、先の分からない日常をやりくりしています。総じて言えば私は自分の人生に満足しています。波乱とか激動とかの形容詞は絶対に付くことはないけど、そんなもんが付く人生を望まない。私は自分が好きなことを好きなように、他人とあまり関わらずにじっくりとやれることに喜びを感じる。そこに倦怠と退屈さが必ずついて回ることを知っていてもね。
結局何が大切か、幸せだと思えるかは人による。だからこそ人はそれぞれ自分の本質、自分の求める道、姿を見極めて実現していくべきだと思っています。主体性を持って生きていると思えればその過程が辛くとも充実感は持てる。早い話しが身の程を弁えろ、という身も蓋もない話し。私は仕事なんてしたくないし好きに遊んでいたいと思う。けど、プール付きの豪邸に住みたいなんて思いません。絶対藻やコケが生える。過ぎたるは猶及ばざるが如し。
この自分にとって大切なものはなんだろうか? というのはスマイルではこれまでもやってきましたし、次回も言及されるであろう部分ですね。
第38話「ハッスルなお!プリキュアがコドモニナ~ル!?」
○今週の出来事
①体は子ども、頭脳も子ども
緑川家。親父さんと子ども達が鬼ごっこで遊んでいます。なおを誘いますが、もう子どもじゃないとつれない。親父さんはいつまでも俺の子どもじゃねぇかとつぶやきます。大人になっても鬼ごっこでやってみたい気はする。ただし、電脳コイルばりにあらゆる手段と技巧を用いてビルとか起伏に富んだ地形貸し切って。
公園ではみゆきがファンシーショップの話しをみんなにしています。今日はショッピング(あるいは冷やかし)でしょうか。遅れてなおが合流。と、同時に空か瓶が落ちてきます。またこのパターンです。っていうか、マジョリーナは発明品の保管方法についてキチンとした再発防止対策を講じるべき。
中に入っていた液体がみゆき達に降り注ぐと……未就学児童くらいの年格好に。キャンディは赤ちゃんになっています。
映画宣伝仕様OPその3。最終決戦編。パワーアップ後のハッピーがあのポーズを取る必然性は全く無いのですが、きっと「可愛いから」なのでしょう。
バッドエンド王国。例によってマジョリーナは探しています。あんまりこのネタやり過ぎると痴呆症の疑いがもたれそうです。マジョリーナを呼ぶ声。振り返るとウルフルンとアカオーニが幼児になっています。半ズボンになっているのが細かい。コドモニナ~ルを使ったのかと詰め寄ると逆にお前の仕業かと言い返されます。ふたりは元に戻せと要求しますがすぐにケンカを始めてしまいます。
それを見たマジョリーナは発明品の効果を確認して大成功とほくそ笑みます。年格好だけではなく中身も幼児化の傾向。プリキュアに使えば勝利は確実。早速発明品の在処を尋ねるとポイしたと答えが返ってきます。慌てて人間界へ向かいます。
子どもになってしまい不安がるみゆき達。座り方で性格でるなー。キャンディに至ってはまともにしゃべれない。その隣のみゆきの太ももに目が行った私は色々と本気でやばいのではないかと頭を抱えそうになります。マジョリーナの仕業だと目星を付けるなお。だいたいマジョリーナのせい。入れ替わったり、小さくなったり、つまらなくなったり、透明になったり、ゲームにはいったり、ロボットになったり。どれもキワモノばかり。つまらなくなるのは元からそうである可能性もあるので除外しときます。
そんな会話に入らずやよいは地面にマジョリーナの絵を書きます。上手い。すでにこの年で私より上手い。それに触発されたのかれいかは遊びたくてたまらないと言い出します。よーし、じゃあおじさんと…うわなにを(略
みんなでお絵かきタイム。マジョリーナを中心に色々な絵が並びます。比較するとより一層やよいの絵の上手さが際立ちます。
なおが音頭をとって、マジョリーナ探しを提案します。相変わらずやよいは人の話しを訊かずキャンディを抱っこ。電車ごっこのノリで出発。
公園をおまわりさんが通りかかります。お久しぶりです。マジョリーナの絵を認めて思わず笑います。おまわりさん的にはもう顔見知りのお婆ちゃんになっています。
大きな栗の下で停車。みゆきが下車してドングリを拾います。電車ごっこは終了。ドングリや落ち葉拾いに夢中。かと思えば風船を見つけておいかけます。もう完全に当初の目的を忘れています。やよいが石に躓いて転んでしまいます。先ほどから歩くたびに音が出ていたのはやよいの靴だったようです。そういう靴ありますね。なおが痛いの痛いの飛んでいけ、とおまじない。みゆきがお姉ちゃんみたいだと言います。頷くなお。
②子どもの頃は一緒に遊べた
茂みの中から声が聞こえてきます。ウルフルンとアカオーニが飛び出してきてケンカしています。懲りない子達です。みゆき達が止めに入るとようやく相手が誰かお互いに気づきます。ウルフルン達を見て可愛いと評するやよい。「お前らもな!」。それは可愛いという意味で?
これは勝機といつものバッドエナジータイム……本を持ってきませんでした。子どもの身では重いらしい。またケンカをはじめます。「こうなったら!」「鬼ごっこでしょうぶオニ!」。それを訊いたみゆき達は嬉しそうな反応。ウルフルンもまざる気満々です。
アカオーニが鬼になってみんなを追いかけます。真っ先にやよいを狙います。さすがです。ブレないなこの人も。なおがやよいの手を掴んでアカオーニから逃れます。
アカオーニを滑り台の上から呼ぶみゆきとあかね。これはお約束のあれです。アカオーニが階段を登っているうちに滑り台で降りるふたり。やるやる。
お互い背中合わせに合流するれいかとウルフルン。お互いの姿を認めるとれいかは驚いて逃げ出してしまいます。ウルフルンは自分は鬼じゃないと困惑。
コドモニナ~ルを探すマジョリーナを見つけて足を止めるおまわりさん。公園で似顔絵を見たと親切そうに話します。それを訊いたマジョリーナはすぐに公園に向かいます。
果たして公園で似顔絵を見つけると、全然似ていないと書き直します。若いときの自分を描いて満足。ボイン(死語)は必須。ふと思ったんだけど、マジョリーナはワカガエ~ルを作って自分に使えばいいんじゃないの?
今度はだるまさんが転んだで勝負。ウルフルンが鬼になります。れいかアウト。れいかはウルフルンのところに行くと彼と手を繋ぎます。なん…だと!? 早く!私にもコドモニナ~ルをプリーズ! 言い値で買おう!!
そこにマジョリーナが入ってきます。れいかと手を繋いでいることに気づいたウルフルンは慌てて手を離します。みんなはマジョリーナに詰め寄って元に戻せコール。マジョリーナは抗議の声を振り払って、バッドエナジーを回収。カウント12。
③すまいるぷりきゅあ
不安がるみんなに大丈夫と声をかけるなお。みんなはなおお姉ちゃんと抱きつきます。何はともあれ、変身。
なおがセンター。今回の見所は間違いなくここ。幼児化した状態での変身シークエンス。みんなで手を繋いで変身コスチュームにチェンジ。着地。それぞれ名乗りをあげます。ハッピーは比較的そのまま。サニーの火小せぇ。ピースは禁じ手を使います。マーチは自分の風でよろけて倒れます。ビューティは後ろに歩くのが可愛い。自分の冷気で寒がります。
声がバラバラ。
「せーの!」
「いつつのひかりがみちびくみらい」
「せーの!」
「かがやけー! すまいるぷりきゅあ!」
変身できたことをみんなで喜びます。なんというご褒美タイム。
やっぱり変身しても元に戻りません。プリキュアの変身は状態異常を治す副次作用はありません。ピースは例の禁じ手をビューティに説明。グーチョキパー全ての属性を併せ持つ子どもなら誰もがやる手です。その反則的強さに禁止令が出されるか、使用制限がかけられることが多い。今週はサザエさんの手を確認せずとも勝利確定。
プリキュアになったものの、子どものままでは戦えない。というか統制が取れていない(主に黄色)。
マジョリーナはドングリに憑依。マーチは手を振り回して突っ込みます。ピースを除いてみんなも突っ込みますが結果は蟷螂の斧。赤子の手をひねるように簡単に負けてしまいます。力では敵わない。なら、鬼ごっこ大作戦だとマーチが閃きます。
みんなで散ってアカンベェの注意を逸らします。その様子を見ていたウルフルン達もその遊びにまざります。アカンベェは疲れ果てます。チャンスとばかりにマーチシュートを撃ちます。が、威力は豆鉄砲。サニーは火の玉の位置まで跳べない。ピースは予想どおり泣いてそれどころじゃない。ブリザードは撃てたものの涼しいだけ。シャワーは不発。子どもの精神力では技が出せないようです。キャンディは赤ん坊なのでクロック押せなそうだし、打つ手無し。
ウルフルンとアカオーニが元に戻せとせっつきます。モトニモド~ルを渡します。またケンカし始めて案の定、中身がプリキュアに降りかかって元に戻ります。ご褒美タイム終了。いや、私は中学生も大好きですけどね。責任をなすり付け合うウルフルンとアカオーニを見て面白がるプリキュア。デコルを使って風船を召喚すると、ふたりはケンカをやめて追いかけます。
ということで時間なのでカウントを進めます。7。
えらい目にあった、元に戻れて良かったと思う反面、もう少しあのままで居たかったと話し合う一同。なおの楽しかったという意見で全員一致。みゆきが鬼になってみんなを追いかけます。
その夜、なおの家ではまた鬼ごっこをしています。風呂上がりのなおにタッチ。親父さんはなおに目配せ。承知したなおは鬼ごっこに加わります。お母さん鬼の怒鳴り声が響きます。
④次回予告
ある意味今回より酷ぇ。れいかはポジション的にズルイ。
○トピック
そろそろフクガスケテミエ~ルが発明されても良いと思う。
相変わらずプリキュアのこの時期はカオスとギャグとシリアスが入り交じっていて毎回テンションが変わる。ある意味でキャラと作風の集大成。40話を過ぎてくれば最終決戦ムードなのでこのノリはしたくてもできなくなります。
今回は特に書くことがないのでテキトーにその他雑感などを。
スマイルのお話しの軸は大きくふたつあります。一つはヒーローごっこからヒーローになったように、彼女達の使命感が醸成されていく軸。これは22、23話が分岐点でこれ以降みゆき達はヒーローの座にいます。が、これはあくまで前置きといったところでここから彼女達はどんなヒーローになっていくのかが問われていきます。もう一つは厳しい現実に対してどのように捉え克服していくかという軸。32話を契機に明確化されています。
この二つの軸は最終的に統合されるはずです。プリキュアとは何か?に行き着く。プリキュアが何と戦い、何を以て(何を力として)その戦っているものを克服できるかが明らかにされる、というのが毎年のパターン。
現実(日常)が辛く厳しいという提起は視聴者である子どもにとってクリティカルな話題ではないと思いますが、どうもこの時間帯のアニメの傾向としてアンチテーゼを用いることが多い気がします。例えば「おジャ魔女どれみ」は魔女っ子もののアニメですが、魔法の全能性を否定(拒否)することによって人間を肯定しています。「明日のナージャ」は見てないんで分かりません。プリキュアは勧善懲悪として始まり、日常を守るべきものとして描いてきましたが、近年は日常に潜む厳しさにスポットを当てています。日常をそのまま素直に肯定できなくなりました。
元々のテーゼがある程度浸透していくと、マンネリにもなるし、テーゼに対する反証や別のアプローチを試みる点でもアンチテーゼが用いられるのは自然な流れなのだろうと思います。そういう風にして洞察が深まっていくしね。
では、プリキュアでアンチテーゼを用いる意味ってなんだろうなって話しになります。大人の視線で見れば至極もっともなアンチテーゼです。そう、日常には苦しいことがいっぱいあるし、逃げ出したくなることもある。では、子どもから見た場合どうなのかと。もっと言えば、子どもに現実の厳しさを見せる必然性は何?
プリキュアの場合「子どもの頃は楽しい」という認識があるようです。前作スイートでは響達は幼少の頃は上手く行っていました。スマイルでも今回のようにみんな子どもになれば敵味方問わず一緒に遊んでいます。これは作劇上、過去に理想型があって現在それが損なわれているのでその回復を行っていくというストーリーの見せ方もあると思うんですが、子ども視点見れば未来は何か暗そうだなという風にも映るだろうと思います。実際小学校に上がってくると、人間関係が複雑になったり、男女間で距離が空いたり色々と意識し始めるので未就学時期の頃に比べれば単純ではなくなります。いずれにしても、なんか暗そうな未来像。自分達は楽しくみんなで遊べているのに、プリキュアはなんか面倒臭いことになっている。
というところまで考えて、ああ、だからアンチテーゼを用いているのだと気づきました。その辛い日常に対してプリキュアは何をするのかと言えば、なんてことはない。要は友達を作ったり、相手を慰めたり、励ましているだけなんです。子どもが普段やっていること。中身の質的にはもっと高度化(内省化)されるし苦難を経ての行動になるんだけど、結果から見れば子どもが自然にできる方法を用いています。つまり、プリキュアのアンチテーゼ(日常には多くの苦しい現実が待ち受けている)は、子どもの純粋性、自然に持ちうる一生懸命さや素直さがその特効薬であることを証明するためのものなんだろうと思います。勿論、子どもだって悩むし傷つくし、誰もが素直で積極的というわけじゃない。でも、子どもにとっての当たり前、子どもにも出来ることであるというのが一番大事なのだと思います。プリキュアは高度な技術や経済力、政治力を使って問題を解決しません。子どもが持っている素直さ、純粋さ、優しさで解決する。子どもの力、可能性によって現状を打開しキラキラした楽しい日常を生み出せる。みんなで一緒に遊べる世界を広げていけるのだ、という話しですね。子ども向けアニメなので当たり前の話しなんですが。王道ですね。
歳を重ねる毎に、ドストエフスキーが書いた次の場面の重みが増していくように思われます。
「かわいい子供たち、ことによると僕が今から言うことは、君たちにはわからないかもしれない。僕はひどくわかりにくい話をよくしますからね、だけどやはり僕の言葉をおぼえていてくれれば、そのうちいつか同意してくれるはずです。いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしか素晴らしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。
もしかすると、僕たちはわるい人間になるかもしれないし、わるい行いの前で踏みとどまることができないかもしれません。人間の涙を嘲笑うかもしれないし、ことによると、さっきコーリャが叫んだみたいに『僕はすべての人々のために苦しみたい』と言う人たちを、意地わるく嘲笑うようになるかもしれない。そんなことにはならないと思うけれど、どんなに僕たちがわるい人間になっても、やはり、こうしてイリューシャを葬ったことや、最後の日々に僕たちが彼を愛したことや、今この石のそばでこうしていっしょに仲よく話したことなどを思い出すなら、仮に僕たちがそんな人間になっていたとしても、その中でいちばん冷酷な、いちばん嘲笑的な人間でさえ、やはり、今この瞬間に自分がどんなに善良で立派だったかを、心の内で笑ったりできないはずです! そればかりでなく、もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪から彼を引きとめてくれ、彼は思い直して『そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった』と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしても、それはかまわない。人間はしばしば善良な立派なものを笑うことがあるからです。それは軽薄さが原因にすぎないのです。でも、みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐに心の中でこう言うはずです。『いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだ』と。
僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです。でも、なぜわるい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん? 僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それから正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえしておきます。僕は君たちのだれ一人として忘れないことを約束します。今僕を見つめている一人ひとりの顔を、僕はたとえ三十年後にでも思い出すでしょう。(中略)
この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのはだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです! 決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らは心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生き続けるのです!
ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません! 何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」(カラマーゾフの兄弟)
ドストエフスキーはえっらい長いセリフ回しなんで面倒臭いんですが、そこで語られている内容や情感、迫力は彼ならではのものです。子どもの頃の善き想い出や純粋性を埋もれさせず、大人になってそれを磨き上げていくことで人生を素晴らしいものにしていける。プリキュアの子どもへの賞賛と励ましは、大人になっても色褪せません。
①体は子ども、頭脳も子ども
緑川家。親父さんと子ども達が鬼ごっこで遊んでいます。なおを誘いますが、もう子どもじゃないとつれない。親父さんはいつまでも俺の子どもじゃねぇかとつぶやきます。大人になっても鬼ごっこでやってみたい気はする。ただし、電脳コイルばりにあらゆる手段と技巧を用いてビルとか起伏に富んだ地形貸し切って。
公園ではみゆきがファンシーショップの話しをみんなにしています。今日はショッピング(あるいは冷やかし)でしょうか。遅れてなおが合流。と、同時に空か瓶が落ちてきます。またこのパターンです。っていうか、マジョリーナは発明品の保管方法についてキチンとした再発防止対策を講じるべき。
中に入っていた液体がみゆき達に降り注ぐと……未就学児童くらいの年格好に。キャンディは赤ちゃんになっています。
映画宣伝仕様OPその3。最終決戦編。パワーアップ後のハッピーがあのポーズを取る必然性は全く無いのですが、きっと「可愛いから」なのでしょう。
バッドエンド王国。例によってマジョリーナは探しています。あんまりこのネタやり過ぎると痴呆症の疑いがもたれそうです。マジョリーナを呼ぶ声。振り返るとウルフルンとアカオーニが幼児になっています。半ズボンになっているのが細かい。コドモニナ~ルを使ったのかと詰め寄ると逆にお前の仕業かと言い返されます。ふたりは元に戻せと要求しますがすぐにケンカを始めてしまいます。
それを見たマジョリーナは発明品の効果を確認して大成功とほくそ笑みます。年格好だけではなく中身も幼児化の傾向。プリキュアに使えば勝利は確実。早速発明品の在処を尋ねるとポイしたと答えが返ってきます。慌てて人間界へ向かいます。
子どもになってしまい不安がるみゆき達。座り方で性格でるなー。キャンディに至ってはまともにしゃべれない。その隣のみゆきの太ももに目が行った私は色々と本気でやばいのではないかと頭を抱えそうになります。マジョリーナの仕業だと目星を付けるなお。だいたいマジョリーナのせい。入れ替わったり、小さくなったり、つまらなくなったり、透明になったり、ゲームにはいったり、ロボットになったり。どれもキワモノばかり。つまらなくなるのは元からそうである可能性もあるので除外しときます。
そんな会話に入らずやよいは地面にマジョリーナの絵を書きます。上手い。すでにこの年で私より上手い。それに触発されたのかれいかは遊びたくてたまらないと言い出します。よーし、じゃあおじさんと…うわなにを(略
みんなでお絵かきタイム。マジョリーナを中心に色々な絵が並びます。比較するとより一層やよいの絵の上手さが際立ちます。
なおが音頭をとって、マジョリーナ探しを提案します。相変わらずやよいは人の話しを訊かずキャンディを抱っこ。電車ごっこのノリで出発。
公園をおまわりさんが通りかかります。お久しぶりです。マジョリーナの絵を認めて思わず笑います。おまわりさん的にはもう顔見知りのお婆ちゃんになっています。
大きな栗の下で停車。みゆきが下車してドングリを拾います。電車ごっこは終了。ドングリや落ち葉拾いに夢中。かと思えば風船を見つけておいかけます。もう完全に当初の目的を忘れています。やよいが石に躓いて転んでしまいます。先ほどから歩くたびに音が出ていたのはやよいの靴だったようです。そういう靴ありますね。なおが痛いの痛いの飛んでいけ、とおまじない。みゆきがお姉ちゃんみたいだと言います。頷くなお。
②子どもの頃は一緒に遊べた
茂みの中から声が聞こえてきます。ウルフルンとアカオーニが飛び出してきてケンカしています。懲りない子達です。みゆき達が止めに入るとようやく相手が誰かお互いに気づきます。ウルフルン達を見て可愛いと評するやよい。「お前らもな!」。それは可愛いという意味で?
これは勝機といつものバッドエナジータイム……本を持ってきませんでした。子どもの身では重いらしい。またケンカをはじめます。「こうなったら!」「鬼ごっこでしょうぶオニ!」。それを訊いたみゆき達は嬉しそうな反応。ウルフルンもまざる気満々です。
アカオーニが鬼になってみんなを追いかけます。真っ先にやよいを狙います。さすがです。ブレないなこの人も。なおがやよいの手を掴んでアカオーニから逃れます。
アカオーニを滑り台の上から呼ぶみゆきとあかね。これはお約束のあれです。アカオーニが階段を登っているうちに滑り台で降りるふたり。やるやる。
お互い背中合わせに合流するれいかとウルフルン。お互いの姿を認めるとれいかは驚いて逃げ出してしまいます。ウルフルンは自分は鬼じゃないと困惑。
コドモニナ~ルを探すマジョリーナを見つけて足を止めるおまわりさん。公園で似顔絵を見たと親切そうに話します。それを訊いたマジョリーナはすぐに公園に向かいます。
果たして公園で似顔絵を見つけると、全然似ていないと書き直します。若いときの自分を描いて満足。ボイン(死語)は必須。ふと思ったんだけど、マジョリーナはワカガエ~ルを作って自分に使えばいいんじゃないの?
今度はだるまさんが転んだで勝負。ウルフルンが鬼になります。れいかアウト。れいかはウルフルンのところに行くと彼と手を繋ぎます。なん…だと!? 早く!私にもコドモニナ~ルをプリーズ! 言い値で買おう!!
そこにマジョリーナが入ってきます。れいかと手を繋いでいることに気づいたウルフルンは慌てて手を離します。みんなはマジョリーナに詰め寄って元に戻せコール。マジョリーナは抗議の声を振り払って、バッドエナジーを回収。カウント12。
③すまいるぷりきゅあ
不安がるみんなに大丈夫と声をかけるなお。みんなはなおお姉ちゃんと抱きつきます。何はともあれ、変身。
なおがセンター。今回の見所は間違いなくここ。幼児化した状態での変身シークエンス。みんなで手を繋いで変身コスチュームにチェンジ。着地。それぞれ名乗りをあげます。ハッピーは比較的そのまま。サニーの火小せぇ。ピースは禁じ手を使います。マーチは自分の風でよろけて倒れます。ビューティは後ろに歩くのが可愛い。自分の冷気で寒がります。
声がバラバラ。
「せーの!」
「いつつのひかりがみちびくみらい」
「せーの!」
「かがやけー! すまいるぷりきゅあ!」
変身できたことをみんなで喜びます。なんというご褒美タイム。
やっぱり変身しても元に戻りません。プリキュアの変身は状態異常を治す副次作用はありません。ピースは例の禁じ手をビューティに説明。グーチョキパー全ての属性を併せ持つ子どもなら誰もがやる手です。その反則的強さに禁止令が出されるか、使用制限がかけられることが多い。今週はサザエさんの手を確認せずとも勝利確定。
プリキュアになったものの、子どものままでは戦えない。というか統制が取れていない(主に黄色)。
マジョリーナはドングリに憑依。マーチは手を振り回して突っ込みます。ピースを除いてみんなも突っ込みますが結果は蟷螂の斧。赤子の手をひねるように簡単に負けてしまいます。力では敵わない。なら、鬼ごっこ大作戦だとマーチが閃きます。
みんなで散ってアカンベェの注意を逸らします。その様子を見ていたウルフルン達もその遊びにまざります。アカンベェは疲れ果てます。チャンスとばかりにマーチシュートを撃ちます。が、威力は豆鉄砲。サニーは火の玉の位置まで跳べない。ピースは予想どおり泣いてそれどころじゃない。ブリザードは撃てたものの涼しいだけ。シャワーは不発。子どもの精神力では技が出せないようです。キャンディは赤ん坊なのでクロック押せなそうだし、打つ手無し。
ウルフルンとアカオーニが元に戻せとせっつきます。モトニモド~ルを渡します。またケンカし始めて案の定、中身がプリキュアに降りかかって元に戻ります。ご褒美タイム終了。いや、私は中学生も大好きですけどね。責任をなすり付け合うウルフルンとアカオーニを見て面白がるプリキュア。デコルを使って風船を召喚すると、ふたりはケンカをやめて追いかけます。
ということで時間なのでカウントを進めます。7。
えらい目にあった、元に戻れて良かったと思う反面、もう少しあのままで居たかったと話し合う一同。なおの楽しかったという意見で全員一致。みゆきが鬼になってみんなを追いかけます。
その夜、なおの家ではまた鬼ごっこをしています。風呂上がりのなおにタッチ。親父さんはなおに目配せ。承知したなおは鬼ごっこに加わります。お母さん鬼の怒鳴り声が響きます。
④次回予告
ある意味今回より酷ぇ。れいかはポジション的にズルイ。
○トピック
そろそろフクガスケテミエ~ルが発明されても良いと思う。
相変わらずプリキュアのこの時期はカオスとギャグとシリアスが入り交じっていて毎回テンションが変わる。ある意味でキャラと作風の集大成。40話を過ぎてくれば最終決戦ムードなのでこのノリはしたくてもできなくなります。
今回は特に書くことがないのでテキトーにその他雑感などを。
スマイルのお話しの軸は大きくふたつあります。一つはヒーローごっこからヒーローになったように、彼女達の使命感が醸成されていく軸。これは22、23話が分岐点でこれ以降みゆき達はヒーローの座にいます。が、これはあくまで前置きといったところでここから彼女達はどんなヒーローになっていくのかが問われていきます。もう一つは厳しい現実に対してどのように捉え克服していくかという軸。32話を契機に明確化されています。
この二つの軸は最終的に統合されるはずです。プリキュアとは何か?に行き着く。プリキュアが何と戦い、何を以て(何を力として)その戦っているものを克服できるかが明らかにされる、というのが毎年のパターン。
現実(日常)が辛く厳しいという提起は視聴者である子どもにとってクリティカルな話題ではないと思いますが、どうもこの時間帯のアニメの傾向としてアンチテーゼを用いることが多い気がします。例えば「おジャ魔女どれみ」は魔女っ子もののアニメですが、魔法の全能性を否定(拒否)することによって人間を肯定しています。「明日のナージャ」は見てないんで分かりません。プリキュアは勧善懲悪として始まり、日常を守るべきものとして描いてきましたが、近年は日常に潜む厳しさにスポットを当てています。日常をそのまま素直に肯定できなくなりました。
元々のテーゼがある程度浸透していくと、マンネリにもなるし、テーゼに対する反証や別のアプローチを試みる点でもアンチテーゼが用いられるのは自然な流れなのだろうと思います。そういう風にして洞察が深まっていくしね。
では、プリキュアでアンチテーゼを用いる意味ってなんだろうなって話しになります。大人の視線で見れば至極もっともなアンチテーゼです。そう、日常には苦しいことがいっぱいあるし、逃げ出したくなることもある。では、子どもから見た場合どうなのかと。もっと言えば、子どもに現実の厳しさを見せる必然性は何?
プリキュアの場合「子どもの頃は楽しい」という認識があるようです。前作スイートでは響達は幼少の頃は上手く行っていました。スマイルでも今回のようにみんな子どもになれば敵味方問わず一緒に遊んでいます。これは作劇上、過去に理想型があって現在それが損なわれているのでその回復を行っていくというストーリーの見せ方もあると思うんですが、子ども視点見れば未来は何か暗そうだなという風にも映るだろうと思います。実際小学校に上がってくると、人間関係が複雑になったり、男女間で距離が空いたり色々と意識し始めるので未就学時期の頃に比べれば単純ではなくなります。いずれにしても、なんか暗そうな未来像。自分達は楽しくみんなで遊べているのに、プリキュアはなんか面倒臭いことになっている。
というところまで考えて、ああ、だからアンチテーゼを用いているのだと気づきました。その辛い日常に対してプリキュアは何をするのかと言えば、なんてことはない。要は友達を作ったり、相手を慰めたり、励ましているだけなんです。子どもが普段やっていること。中身の質的にはもっと高度化(内省化)されるし苦難を経ての行動になるんだけど、結果から見れば子どもが自然にできる方法を用いています。つまり、プリキュアのアンチテーゼ(日常には多くの苦しい現実が待ち受けている)は、子どもの純粋性、自然に持ちうる一生懸命さや素直さがその特効薬であることを証明するためのものなんだろうと思います。勿論、子どもだって悩むし傷つくし、誰もが素直で積極的というわけじゃない。でも、子どもにとっての当たり前、子どもにも出来ることであるというのが一番大事なのだと思います。プリキュアは高度な技術や経済力、政治力を使って問題を解決しません。子どもが持っている素直さ、純粋さ、優しさで解決する。子どもの力、可能性によって現状を打開しキラキラした楽しい日常を生み出せる。みんなで一緒に遊べる世界を広げていけるのだ、という話しですね。子ども向けアニメなので当たり前の話しなんですが。王道ですね。
歳を重ねる毎に、ドストエフスキーが書いた次の場面の重みが増していくように思われます。
「かわいい子供たち、ことによると僕が今から言うことは、君たちにはわからないかもしれない。僕はひどくわかりにくい話をよくしますからね、だけどやはり僕の言葉をおぼえていてくれれば、そのうちいつか同意してくれるはずです。いいですか、これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生を作りあげるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしか素晴らしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。
もしかすると、僕たちはわるい人間になるかもしれないし、わるい行いの前で踏みとどまることができないかもしれません。人間の涙を嘲笑うかもしれないし、ことによると、さっきコーリャが叫んだみたいに『僕はすべての人々のために苦しみたい』と言う人たちを、意地わるく嘲笑うようになるかもしれない。そんなことにはならないと思うけれど、どんなに僕たちがわるい人間になっても、やはり、こうしてイリューシャを葬ったことや、最後の日々に僕たちが彼を愛したことや、今この石のそばでこうしていっしょに仲よく話したことなどを思い出すなら、仮に僕たちがそんな人間になっていたとしても、その中でいちばん冷酷な、いちばん嘲笑的な人間でさえ、やはり、今この瞬間に自分がどんなに善良で立派だったかを、心の内で笑ったりできないはずです! そればかりでなく、もしかすると、まさにその一つの思い出が大きな悪から彼を引きとめてくれ、彼は思い直して『そうだ、僕はあのころ、善良で、大胆で、正直だった』と言うかもしれません。内心ひそかに苦笑するとしても、それはかまわない。人間はしばしば善良な立派なものを笑うことがあるからです。それは軽薄さが原因にすぎないのです。でも、みなさん、保証してもいいけれど、その人は苦笑したとたん、すぐに心の中でこう言うはずです。『いや、苦笑なぞして、いけないことをした。なぜって、こういうものを笑ってはいけないからだ』と。
僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです。でも、なぜわるい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん? 僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それから正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえしておきます。僕は君たちのだれ一人として忘れないことを約束します。今僕を見つめている一人ひとりの顔を、僕はたとえ三十年後にでも思い出すでしょう。(中略)
この善良なすばらしい感情で僕たちを結びつけてくれたのはだれでしょうか、それはあの善良な少年、愛すべき少年、僕らにとって永久に大切な少年、イリューシェチカにほかならないのです! 決して彼を忘れないようにしましょう、今から永久に僕らは心に、あの子のすばらしい永遠の思い出が生き続けるのです!
ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません! 何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」(カラマーゾフの兄弟)
ドストエフスキーはえっらい長いセリフ回しなんで面倒臭いんですが、そこで語られている内容や情感、迫力は彼ならではのものです。子どもの頃の善き想い出や純粋性を埋もれさせず、大人になってそれを磨き上げていくことで人生を素晴らしいものにしていける。プリキュアの子どもへの賞賛と励ましは、大人になっても色褪せません。
映画「絵本の中はみんなチグハグ!」
○うろ覚え本編感想
①前説
今回は妖精だけでなくみゆき達みんなでミラクルライトの説明。映画でもれいかさんはオチ担当。
②ちょっと昔のお話し
図書館でいらなくなった絵本が入り口前に置かれています。そこにまた一冊加わります。表紙に羽のレリーフが付いた本。
図書館の庭でみゆきは地面に絵を描きます。描き上がって満足するもどこか寂しげ。目の前でふたりの女の子が楽しそうに遊んでいます。みゆきの視線に気づいた女の子達が振り返ると、みゆきは慌てて顔を下げて絵をいじくります。今でこそ明るく誰にでも声をかけていますが、子どもの頃は人見知りするタイプだったようです。それにしても可愛い。
みゆきは本に引き寄せられるかのように、羽の表紙の本を見つけます。不思議な力が働いてページがめくられていきます。絵本のようですが、途中でページが破られていてお話しの続きはわかりません。最後のページは女の子がお城のようなところに囚われた様子が描かれています。ちょうど彼女が泣いているかのように雫が本に落ちます。雨が降ってきました。
図書館でみゆきは絵本を読みます。主人公の女の子がケンカしている動物達を和解させていく物語のようです。「仲良くなるには笑顔が一番」。ものは試し、みゆきは自分の口をぐにっと指でつり上げて笑顔を作ります先ほどの女の子達に見つめられ、恥ずかしがって赤くなるみゆき。なるほど、これが天使か。興味をひかれた女の子達は何を読んでいるのかと声をかけてきます。みゆきは嬉しそうな声で応えると、女の子達と一緒に絵本を読みます。
女の子達と別れて、みゆきは自分の家で絵本をまた読みます。引っ越す前の家はだいぶ築年数が経っている感じ。畳んだ布団の上に寝っ転がって絵本を見ていたみゆきはお話しの続きはどこへ行ってしまったのだろう?と思案。すると自分で話しの続きを描けばいいのだと思いつきます。絵本と約束します。
③銀幕からの闖入者
時は流れ、みゆきはみんなで絵本大博覧会にやってきます。テンションが最初からクライマックスなみゆき。
世界中の絵本が集まり、イラスト、作家のトークショー、お絵かきスペースなど充実したイベントらしい。みゆきをはじめ他のメンバーも楽しみにしています。れいかが持っているのは博覧会のパンフレットでしょうか。流石歩くガイドブック。事前に把握済みといったところか。
木の枝からひょっこり顔を出す黒い影。どうやらこのイベントを別な意味で待っていた者も居るようです。
OP。尺の関係もあるので博覧会を遊ぶみゆき達の様子と同時進行。テレビ本編でも流れた映像ですね。前期OP映像でお馴染みだった5人のモーションが映画アレンジされています。れいかさん、それ凄すぎ。ただの棒きれでスイカを綺麗に真っ二つ…だと!? どうでもいい話ですが、映画では珍しくみゆき達の格好はいつもの服装です。映画用の衣装が密かな楽しみだったのですが残念。といっても、みゆきの白ニーソ絶対領域が大好きな私はどちらに転んでも問題ない。
人気の少ない一角に設置されたテント。黒い影が中に入っていきます。テントの中には誰もいません。一応映画館らしい。みゆきは興味をひかれます。あかねは3Dシアターが気になるようですが、後でそっちも見ればいいとやよいが誘い、みゆきも腕を掴んでテントの中に入ります。これが女の子同士の自然な触れ合い…くっ、私も女の子に生まれていれば……(本末転倒)。
結局、客はみゆき達とキャンディだけ。係員の姿も見えません。フィルムが自動再生されます。ナレーションが流れると、場面は一転して、緊迫した場所が映し出されます。本を抱えた女の子が追手から逃げます。緊張した面持ちで画面を見つめるみゆき。他のメンツとのギャップが激しい。
ついに追い詰められる女の子。為す術なしかと思われたその瞬間、黒い影が飛び出すとスクリーンが眩く光り、中から女の子が出てきます。みゆきはすぐに立ち上がると女の子を受け止めます。反応速ぇ。
スクリーンから出てきた女の子は助けを求めます。案の定、スクリーンから追手が出てきます。今の3Dの技術は凄いとお約束なボケをかましてくれるれいかさん。ある意味とても冷静な人です。
追手達はニコと呼ばれる女の子を狙いテントの中で大暴れ。ニコの無事を確認して安心するみゆき。何かを思うようなニコの表情。みゆきの優しさは今でも変わらない。けど…。束の間、ニコは追手に捕まってしまいます。
相手の正体は分からないものの緊急事態。変身。子どもや親御さんがジャンケンしているのを見るとぴかりんジャンケンは正解だったように思います。
追手は自ら金閣・銀閣と名乗ります。西遊記のアレ。金閣銀閣と言ったら紅葫蘆(べにひさご)。プリキュアを吸い込もうとします。吸引力が凄まじくまともに立っていることもできません。ハッピーが吸い込まれそうになります。ビューティは腕を払うしぐさをすると、氷の矢じりを作り出して反撃に転じます。属性能力を柔軟に発揮。この映画では必殺技をバンクを含めてほとんど使っていません。テンポよく臨機応変に能力を使用。カッコイイ。
氷によって隙が生まれるとサニーとマーチが一気に接近して攻撃をしかけます。戦闘が本格的に始まり、テントから離れた位置に居る人々も何事かと視線を注ぎます。が、何かのショーと思っているらしくそれほど騒ぎになりません。
ピースが電撃を使って銀閣をはじき飛ばします。ハッピーがニコを救出。しかし金閣の紅葫蘆の中に吸い込まれてしまいます。それならと紅葫蘆を奪取。紅葫蘆をキャッチしたピースを狙って銀閣が仕掛けてきますが、サニーがサポート。炎に根を上げた紅葫蘆は暴走して金閣と銀閣を吸い込みます。試合終了。中から黒い影が出てきて逃げていきます。テントは消失。後々分かることですが、おそらくこれは自作自演。
④絵本の中はチグハグ!?
紅葫蘆の中からニコを取り出します。力尽くかよ。かけ声的なものってなかったっけ?
ニコはふらふらとしながらも助けてくれてありがとうとお礼を言います。自己紹介。
みゆきはニコに本を返します。本に見覚えがあるようですが思い出せません。その時のニコの反応は緊張した表情をしています。しかしみゆきが本のことを思い出せないのを見ると一転して寂しそうな表情になります。ニコの表情は敏感でコロコロ変わります。彼女がここに来た目的は、みゆきを誘い込むための自作自演です。この時点で彼女はみゆきに復讐するつもりがあったはずです。バレるわけにはいきません。だけど気づいて欲しいという相反する思いもあったのだと思います。
ニコは絵本の世界から来たと言います。それを訊いてビックリ仰天する一同。れいかの表情が面白い。絵本の世界へ招待するとニコが言うとみんな身を乗り出して喜びます。れいかはキャンディに引っ張られているのか、押しつけているのか。
善は急げとばかりに、ニコは指を鳴らして絵本の世界へ案内します。
地面に穴が開くと落下するようにみんな落ちていきます。高いところが苦手なあかねとなおは涙目。光の花の中を落ちながらみゆき達は進んでいきます。途中クジラに飲み込まれて、潮吹きとともに飛び出すといよいよ絵本の世界への入り口が見えてきます。
お約束どおり着地に失敗。絵本の世界に到着。眼下に広がるメルヘンな世界。絵本の住人達が暮らしています。メルヘンランドとコンセプトがだだかぶりです。こちらの世界は妖精の要素がないのでみな原作っぽい雰囲気。桃太郎のおばあさんが超アグレッシブ。
夢中になっているみゆきとやよいを置いて、ニコはあかね達にこの世界について説明します。自分が絵本の主人公になって物語を体験できるそうです。テーマパークみたいなエンタメ要素まであるとは至れり尽くせり。観光業で生計を立てているのでしょうか。ニコの言葉に聞き耳を立てたみゆきはすぐに話しに飛びつきます。シンデレラに憧れるみゆき。大好きだと言います。彼女の様子を見たニコは「そうか…」と一瞬声のトーンを落とします。自分のことを忘れて他の物語に心奪われたみゆきに彼女が何を思ったのか想像に難くない。
気を取り直したニコは話しを進めていきます。あかねは小さくても勇気がある一寸法師、やよいはきんと雲に乗りたいので孫悟空、なおはご馳走を食べたいので浦島太郎、れいかはヒーローの桃太郎を志願。れいかさんノリノリ。なおはもう完全に食べ物担当になった感があります。
再びニコの指パッチンを合図にそれぞれ絵本の世界へと飛んでいきます。
一人残ったニコは、やっぱりみゆきは約束を忘れている…とつぶやきます。「嘘つき」。彼女の影が異形の姿へ変わります。
みゆきは暖炉の中から飛び出してきます。灰かぶり。衣装も替わっています。すぐに怖い継母がやってきてみゆきに仕事を命じます。目まぐるしく働くみゆき。こき使われながらもみゆきは物語を楽しみます。
やよいは孫悟空になってきんと雲で飛び回ります。意外と似合う。ドラゴンボールみたいな動きで空を駆ける。
超ノリノリなれいか嬢。この子は未だによく分からない。おじいさんとおばあさんからきび団子を貰います。
あかねはお椀の船で川を進みます。ビッグになったる。いやー、そのセリフ言った人でビッグになった人いるのかなー。
浦島太郎になったなおは亀を助けて竜宮城へ。ここまではみんな原作どおり。
ニコは笑顔なんて無くなればいいとつぶやきます。彼女の影が怪しく動きます。
嬉しそうに床磨きをするみゆきに、キャンディはどうして嬉しそうなのかと尋ねます。傍目には雑用を押しつけられているだけです。自分はシンデレラ、魔法使いがやってきて王子様と出会い、結ばれる…と想像を膨らませます。みゆき達は物語の結末を知っている。今辛いのは単なる通過儀礼でしかない。彼女達は最初から希望に溢れている。ところが、そうではない子がいる。自分の物語がどこに行くのか分からず、どこにも行けなかった子。未来が失われ、希望が失望と絶望に、そして憎しみに変わった子がいる。
ドアをノックする音。魔法使いかと思ったみゆきはすぐにドアを開きます。しかし目の前に立っているのは精悍な青年。何故かカボチャを持っています。誰? 青年は桃太郎と名乗ります。
クマに乗った金太郎とすれ違うれいか。いや、それいいのか。犬・猿・キジを見つけると声をかけます。きび団子をあげて家来にしようとしますがすでに他の団子を食べています。竜宮団子。絶品らしい。持ち主は浦島太郎。何故か桃太郎の世界に来ています。亀を助けたら団子が入った玉手箱を貰ったと言います。竜宮城へ行けると思っていたけど、世の中そんなに甘くなかったと言う浦島太郎。亀助ける前から竜宮城行けると思ってたのかよ。
竜宮城へやってくるなお、早速ご馳走を探します。乙姫を見つけたと思ったら豚。何故かここには西遊記の悟空、猪八戒、沙悟浄が居ます。彼らの格好がどことなくキャッツアイに似ているのがなんとも。色々とごちゃ混ぜなカオス世界になってきました。
やよいが到着したのは鬼ヶ島。もう中国ですらねぇ。とりあえず洞窟の中に入って様子を見ると天井の壁が崩れてきて大ピンチ。そこに現れる一寸法師。岩を切り裂きます。地下に落ちると金銀財宝の山。偶然打ち出の小槌を見つけて一寸法師が大きくなります。一緒に姫様を探すことに。西遊記どころか一寸法師ですらないお話しになってきました。
あかねはツバメに乗って京へ。途中で落ちて跳ねて行き着いたところに巨大なガラスの靴。つまみ上げられると手の平の上に置かれます。相手はシンデレラ。何故かここに居て、しかも巨大化しています。これでは王子様に嫌われると泣き出してしまいます。
みゆきは桃太郎からきび団子を貰います。コンビニの袋。とたんに安っぽくなったぞ。桃太郎はでは鬼退治に、とみゆきを誘います。王子様の居るお城に鬼が住んでいると思っているようです。止めようとするみゆき。例によって何故自分がここにいるのか分かっていません。
ニコの暗躍はエスカレートしていきます。
黒い影が桃太郎達を包み込みます。黒カラーな主人公達。無駄にカッコイイ。シンデレラはさらに巨大化。浦島太郎は犬達をファンネルのように扱います。しかも自分は宙に浮いています。もう原作のイメージ残ってねぇ。
桃太郎達は自分がこうなったのはみゆき達のせいだと思い込み攻撃をしかけてきます。
逃げている途中で3匹の子豚を経由。あかねとれいかが合流。それぞれ逃げながらも同じ場所に集まります。それにしてもれいかさんの格好は似合っている。髪を下ろした姿がまた可愛い。
シンデレラの鉄拳が落ちてきます。間一髪みゆき達を助けたのは……牛魔王、一寸法師の鬼、桃太郎の鬼。悪役のみなさんが加勢してくれます。助けに来た訳じゃないという牛魔王。主人公達に物語の続きはどうしたと尋ねます。すると続きはない、ハッピーエンドもバッドエンドもない終わりのない物語だと答えが返ってきます。
牛魔王は物語が続かないと俺達の出番がねぇだろ!と声を荒げます。かっこいいけどかっこ悪い。
こうなった原因としては影が怪しい。真偽は定かではありませんが、とりあえず変身。サニーは小さいままです。そのために着地シーンも個別だったようです。細かい。
物語の主人公とライバル、プリキュアがぶつかり合う混戦の始まり。真面目に戦う者もいれば逃げ惑う者も。浦島太郎は仕事しろ。打ち出の小槌がシンデレラに当たって元の大きさに戻ります。同時に取憑いていた影が離れ、サニーが掴みます。
パンパンという手を打ち鳴らす音。ニコの姿。影はサニーの手から逃れるとニコの影の中に入ります。
⑤復讐するは我にあり
小高い岩の上からニコは素知らぬ顔でみんなに楽しんでいるかと尋ねます。怖ぇ。この子はよほど辛い思いをしたのでしょう。自分をこんな目に遭わせた人をそれだけ憎んでいる。
ニコの姿を認めて、物語がめちゃくちゃになっている、元に戻さないといけないとハッピー達は訴えます。ところがニコはその必要は無いと答えます。だって私がめちゃくちゃにしたのだから。いい表情です。理由を尋ねられたニコは全てみゆきのせいだと言います。みゆきが約束を破ったから。何のことだか分からないハッピー。ニコは持っていた本を開いて見せます。破れたページ。ハッピーを射るように見つめる彼女の瞳には必死さと相手を非難する意思が色濃く出ています。ようやくハッピーはその本が幼い頃に見つけた本だと思い出します。
続きを書いてくれると約束したのに書いてくれなかった。ずっと待っていたと話すニコ。みゆきなんて大嫌い、笑顔のみゆきはもっと嫌い。みゆきの好きな絵本をめちゃくちゃにしようと思った。笑顔なんて無くなればいいんだ! 堰を切ったように想いが彼女の口から溢れ出ます。彼女の影は大きくなると彼女を包み込んで姿を消します。
呆然と立ち尽くすハッピー。呼びかけても応えが返ってきません。戦闘再開、桃太郎達が襲いかかってきます。この場を引き受けた牛魔王達はプリキュアを投げ飛ばして戦闘区域から待避させます。主人公達に振り返る牛魔王。かっけぇ。
これまでとは違う物語の街に落下するプリキュア。ハッピーは依然呆然としています。
近くでクマの妖精がケンカを始めます。ふたりを諫めるマーチ。ハッピーはここがニコの物語だと気づきます。尋ねられたハッピーはニコについて話し始めます。
ニコちゃんは名前のとおりいつも笑顔の女の子。はじめは仲の悪かった動物たちもニコちゃんの笑顔でみんな仲良しになりました。そんなある日、笑顔の大嫌いな魔王がニコちゃんを連れ去ってしまいました。すると動物たちからも笑顔が消え、ケンカばかりするようになってしまいました。魔王の城に閉じ込められたニコちゃんは、誰かが助けに来てくれるのをずっと待っていました……。
その続きは本が破られていて物語は終わりません。だから続きを書こうとしましたが、上手く書けずそれっきりになってしまったと話します。ニコが言ったとおりです。彼女は約束を破った。自分を責めるハッピー。スカートの端を持つ手が印象的です。人は不安になると無意識に何を掴んだりすることが多い。
サニーは立ち上がるとハッピーに飛びつきます。突然のことに驚く一同。ピース的にはあれですかね、百合キター! 冬はこれだ!的な。サニーはハッピーの口元を指でつり上げると、ハッピーが逃げる、スマイルスマイルと言います。ハッピーが言っていた言葉。映画の製作上、時期的に偶然なのか意図してなのかはわかりませんが、こうやって初期の頃の言動が出てくるのは面白い。誰が誰に言ったのか。そして今誰が誰に言っているのか。自分が言った言葉を誰かが覚えていてくれて今でもそれを心に残していてくれる。それを知ったとき人はどれだけ救われるだろうか。自分が他者の中に生きるということの意味。
らしくないと言うサニー。36話でみゆきがあかねにらしくないと言ったように、あかねもみゆきにらしくないと言う。それはお互いにお互いの本来の姿、こういう時にあなたはこうするはずだという信頼と願いが込められている。
前向きなのがみゆきの良いところ。マーチもピースもビューティも頷きます。みゆきはどうしたいのか。みゆきは謝りたいと言います。それでこそプリキュアの主人公。ニコの笑顔を取り戻すために彼女達は前に進みます。
⑥ありがとう、ごめんなさい
城の中で逃げ惑うニコ。影達が彼女を追い回します。怖く辛い思いをしながらもニコはみゆきの言葉を信じて待ちます。
過去の記憶から現在に戻ったニコはみゆきへの怒りと憎しみを募らせます。ニコを呼びかける声。彼女の影は異形の姿となり浮き出てきます。魔王。彼はニコにみゆきを憎むよう仕向けます。彼女の憎悪が彼に力を与えている。
言うまでもないことですが、魔王がニコをそそのかしたからこうなったという話しではありません。ニコの怒りはみゆきへの信頼の裏返しです。魔王はその機に乗じただけです。ニコが黒い服を着ていることから何かしら敵側の意向を組んだキャラだと思っていましたが、ストレートに来ました。
プリキュア達が城に近づいてきます。バルコニーに出て見下ろすニコ。彼女の心の隙間を埋めるように魔王はニコの憎悪を増幅させます。まるで、自分とニコとの結びつきを深めるかのように。
ハッピーはニコを見上げると、すかさずごめんなさいと謝ります。90度に腰を曲げて平謝り。しかしニコの心は頑なで、謝っても許さないと言い返します。その答えに心が折れそうになるハッピー。彼女の肩にサニーが手を置きます。黙ってハッピーを見つめます。その表情と態度からは諦めるな、と語っています。
ニコは牛魔王達を影から出して放り投げます。先ほどカッコイイ啖呵を切ったものの負けてしまったようです。主人公達もバルコニーに現れます。ニコは自分の辛さが分かるまい、みゆきも苦しめばいいと主人公達をけしかけます。ニコの悲痛な叫び。その声はどう聞いても今も苦しみ続けているように聞こえます。
サニーとピースが相手を引き受けます。ハッピーを謝りに行かせるためにみんなでフォロー。同時攻撃をしのぐハッピー。ポーズがカッコイイ。ファンネルが飛んでくるとマーチが地面パンチで吹き飛ばします。桃太郎はビューティが相手します。ここではそれぞれ自分が主人公になった物語の主人公を相手にしているという構図ですね。
ハッピーはニコの居る城へと一直線に進みますが、棘に阻まれます。仲間達も次第に圧され倒れていきます。
ニコはみゆきのせいでボロボロになって可哀想と仲間達に呼びかけます。みゆきを恨んでいる彼女はみんなもみゆきを恨めばいい、みんなから恨まれればいいと思っている。子ども向けとは思えないくらいしっかりと復讐させています。しかしサニーは恨むなんて出来ないと言います。だってみゆきが好きだから。好きだからちょっとくらいボロボロになっても構わない。サニーは一寸法師から打ち出の小槌を奪うとピースにパス。受け取ったピースは振り下ろして西遊記の3人を小さくします。これで彼らは戦闘継続不能。ピースもみゆきが大好き。マーチはみゆきの笑顔が大好き。ファンネルをかわして浦島太郎にぶつけます。ビューティは桃太郎の刀の上に立ちます。すげぇ。彼女もまたみゆきの笑顔が大好き。足下の刀を凍らせて破壊。
彼女達は巻き込まれたと思っていない。自ら引き受けたと思っている。だから今の状況をみゆきのせいだとは思っていない。自分が選んだ道。自分が好きになった人に対する責任として彼女達は受け入れています。自らの悩みと苦しみから生まれた喜びを甘受してこその自由意思。物事を偶然と見るか、必然と見るか。心に響けば運命。
心揺れるニコ。それを抑えつけるようにみゆきなんて大嫌いだと再び叫びます。今のニコはとても不安定。自分を不幸にしたみゆきを憎んでいて、みゆきが辛い目に遭えば良いと思っている。けど誰もみゆきを見捨てないし嫌いにもならない。復讐者にとって、その復讐すらも上手くいかなかったときに自分を支えるものが全て失われてしまうかのような気持ちになるのではないかと思う。憎悪もまた人を支える力になりうる。もしここで退路がなくなればニコは行き場を失ってしまうでしょう。その時は魔王が待ってましたとばかりに出張ってきそうですが。
ハッピーは跳躍すると一気にニコの居るバルコニーに降り立ちます。
怯えるような、拒むような、頑なな態度を固持するニコ。彼女を見つめながらハッピーは話し始めます。ニコちゃんが笑顔を教えてくれた。気になる子になかなか声がかけられなかった時に知った言葉。「仲良くなるには笑顔が一番」。本のことを忘れてしまっていても、ニコが教えてくれた大切なことをみゆきは心に留め実行してきた。ニコちゃんのおかげでその子と友達になれた。「ありがとう」。何故感謝されたのか一瞬分からないニコ。ハッピーは彼女を抱きしめます。離れようとするニコをハッピーは強く抱きしめて約束を守らなくてごめんなさいと何度も謝ります。ハッピーの腕の中でニコのわだかまりはとけていきます。彼女の手から離れた本は、破れたページが光り出します。
⑦魔王の孤独
これでハッピーエンド……になりません。ラスボス登場。
城が瓦解し、出てきたのは巨大な竜。尻尾が何本も生えています。ドラゴンとか九尾の狐とか混ざっているような感じ。桃太郎達に取憑いていた影を回収。ニコは棘の檻の中に閉じ込められてしまいます。
魔王はニコにハッピーを憎むように言います。憎しみの力が彼に力を与える。そして彼はこの世界を憎しみだけが続く終わりの無い世界を作ろうとします。彼は彼なりに独立した存在として物語の中に位置を占めています。作中の扱いは必ずしも大きくありませんが、スマイル全体として見た場合、彼の存在はとても示唆的です。
魔王は触手的なものを飛ばしてハッピーを攻撃。ピースがサポート。しかし追撃の手は緩みません。手刀で切り裂くビューティ。相変わらず強いな、この人。サニーとマーチは合体攻撃でフォロー。が、それも束の間、魔王の方が彼女達の力を上回ります。
その間に、牛魔王達がニコを救出しようとします。檻はびくともしません。ニコは何故自分を助けるのかと訊きます。助けてくれなんて言ってない。牛魔王はそんな泣きそうな顔して何言ってる、と返します。かっけぇ。マジイケメン。涙ぐむニコ。キャンディはニコの本当の気持ちはなんだと問います。本の破れたページがさらに光り輝きます。
不審な動きをする牛魔王達を魔王が攻撃します。ハッピーがガード。しかし防ぐだけで精一杯。地面に叩きつけられながらも3人の無事を知って安堵します。この子は強い。
苦しいはずなのに何故笑顔でいられるのか、自分は真っ先に笑顔をなくしてしまったのに。ニコは逡巡すると檻を出ようと力を込めます。ニコの行動に魔王は動揺します。誰の笑顔も奪いたくないとニコが叫ぶと光が溢れ檻は消滅します。破れていた本も新しいページが生まれます。彼女が新しい一歩、先へ進めるようになったことの示唆ですね。誰かを恨んで、誰かのせいにしていれば自分自身への責任や問題は棚上げできる。でも、それが問題を解決してくれるとは限らない。みゆきが約束を破ってしまったことで彼女の物語が終わらなかったのは事実でしょうが、では彼女は本当に何もできなかったのか。誰かのせいにするということは、自分の人生を誰かに預けてしまうことと同じです。絵本というモチーフで語られていますが、この物語の本質は人間の物語であり「わたしの物語はわたしが創る」です。そしてその「わたしの物語」の中にはたくさんの「あなたの物語」が入っている。
魔王はニコに一緒に笑顔のない世界を創ろうと持ちかけます。この言葉一つで彼の位置づけは決定しました。彼は孤独を恐れている。唯一無二の王になりたいわけじゃない。たぶんニコをそそのかしたのも、彼女と一緒に居たいからだ。彼なりに友達が欲しかったのだろうと思う。
ハッピーは魔王に笑顔が無い世界なんてつまらないよ、と声をかけます。サニー達もハッピーの言葉に続きます。笑顔は大切なのだと。しかし魔王は頑なに拒みます。
必殺技タイム。プリンセスフォーム。映画なのでクロックのカウントはカットされています。魔王とフェニックスのビーム対決。ポケモン映画ですかね、これ?的なシュールさ。お約束どおりプリキュアの力は跳ね返されてしまいます。技がやぶられてもプリンセスフォームは解除されません。輪っかと装飾部分の発光が消えます。
魔王は力を増大させて、絵本の世界に支配力を広げていきます。
ニコは飛び出すと魔王の前に立ちはだかり制止の声をあげます。復讐しても全然心は晴れなかったと話すニコ。自分がしなければならなかったのは誰かを憎むことではなくみんなを笑顔にすることだったと叫びます。人が復讐するときの動機は、自分の自尊心が傷つけられた事に対する報復だろうと思う。自分を否定した、屈辱を与えた、こんな苦労を背負わせた相手も同じ思いをするべきだという感情。合理的に考えればそんなことをしても一文の得にもなりません。その時間を違うことに使った方がよほど生産的だ。けど、復讐は損得ではないんだろうと思う。自分を傷つけた者に対する怒り、報復。それは自己の存在(自尊心や気持ち)が如何に人間にとって重要であるかを物語っている。でもやっぱり復讐者は幸せになれないだろうと思う。ハートキャッチのデューンがそうだったように、憎しみや憎悪に囚われた人の心は決して癒されず満たされない。人を傷つけて得られる自尊心の回復など一時的なものに過ぎない。酒や麻薬と同じだ、常に補給し続けなければ不安に陥る。そうなってしまえば前に進むことすらおぼつかない。自己肯定と他者からの承認があって初めて自尊心は恒常的で健全なものになる。
ニコは自らの使命を大声で叫びます。
「私はニコ! いつも笑顔のニコだもん!」
⑧ここから始まる物語
しかしその言葉は魔王にとっては絶縁状に等しい。自分を受け入れてくれなかったニコに魔王は態度を翻します。拒絶されたと感じたのでしょう。彼はニコを攻撃します。
自分の身代わりになったハッピーを抱きとめたニコはみんなに力を貸して!と頼みます。映画お約束のミラクルライトのお時間です。子どももそろそろだねとつぶやくくらいお約束です。映画館がライトで明るく照らされます。そうそう、これこれ、この光景が見たくて映画館に来たんです。子どもの応援があってプリキュア映画は完成する。子どもの応援は最高の演出装置です。余談ですが作中できんと雲までライト振ってたのがツボでした。気を失ったハッピーにニコは何事かつぶやきます。
応援の力によってハッピーはさらなる変身を遂げます。今回は変身モーション付き。羽が生えた上にハートの後光が上下に輝くという豪華さ。映画の作画クオリティも加わってただでさえ可愛いハッピーがさらに可愛くなります。
魔王の攻撃を簡単に粉砕。パワーのインフレは基本です。
彼女が地面に降り立つと花が一面に広がり絵本の世界を包み込んでいきます。どんだけ浄化力高いんだ。
「笑顔で包む愛の光。ウルトラキュアハッピー」
ごめん、正直に言うと、これ何回訊いても吹きそうになります。ウルトラって付けると安っぽくなるというか。普段みゆきが言ってるウルトラハッピーとキュアハッピーをかけているんだろうけど、やっぱ笑いそうになるね。
魔王と対峙するハッピーに戦意はありません。どこか悲しそうな表情。彼女は分かっている。ニコも魔王も同じ。同じ苦しみと渇望を持っている。孤独を恐れる気持ちが様々な形をとって悲劇を作り出す。
ニコはハッピーの手を掴むと「魔王を…」と言葉を切ります。手を握り返しながらハッピーは分かっていると答えます。
サニー達はプリンセスキャンドルを構えます。白い大きな羽が魔王を包み込みます。魔王と二人っきりになったハッピーは両手を握り合せて懇願するように魔王に語りかけます。世界は笑顔でキラキラしてとても綺麗。そんな世界を壊すなんてやめよう。その世界にあなたもいて欲しい。彼女が手を触れると魔王の姿は元の小さな姿に戻ります。魔王を優しく抱きしめるハッピー。ニコが待っている世界へ戻ります。
映画やテレビシリーズでボスの浄化は何回かやっていますが、これといった必殺技を使わずに説得したのは今回が初めて。みゆきは彼に語りかけ、受け入れることで戦いの幕を閉じています。必死に語りかける彼女の姿は「伝説の戦士」の言葉からはほど遠い。けれどもとても強く美しい。すげー身も蓋もなくぶっちゃけると、密室で腹を割って和解というオチ。肩肘張らずに素直になろう。ニコちゃんと友達になりたいんだよね、だから一緒にいようよ、という話し。
魔王が目を覚ますと目の前にみゆきとニコが覗き込んでいます。驚いて物陰に隠れる魔王。ニコは魔王も笑顔でいられる世界にしたいと言います。自分は悪い奴だぞ?と言う魔王にニコは本を見せます。私の物語には魔王の笑顔も必要。魔王は真っ赤になります。
牛魔王達が主人公達を拾ってやってきます。彼らに謝るニコ。牛魔王は反省してるならいい、とあっさりと流します。まさに漢。
みゆき達にもニコは謝ります。本を見せてこれからは自分の物語は自分で創れると言います。ニコは改めてみゆきに謝ると一番伝えたかったことを伝えます。「大好き」。それを訊いたみゆきは堪らず泣き出してしまいます。みんなからスマイルスマイルと言われて笑顔を浮かべるみゆき。嬉しい時に泣くのも笑顔の一つの在り方だと思うよ。
エピローグ。クレジットが流れる後ろでその後の物語が描かれます。桃太郎達の物語の中でニコと魔王は常に笑顔を浮かべています。その物語を読んだみゆき達の顔にも笑顔が溢れます。
⑨EDダンス
スイートもそうでしたがダンスで締めってのは良いと思う。子ども達のノリノリな姿が可愛かった。物語を楽しんで最後に身体を動かして遊ぶ。エンターテイメント。EDの花畑はラストシーンの花畑を連想させるので、その意味でもEDのダンスは余韻を残す良い終わり方でした。
期待に応えて春映画はオールスターズNS第2弾。これもお約束の親御さん達の「また~」な声。
○トピック
みゆきが可愛過ぎて生きるのがハッピー。
プリキュアの映画はその年のプリキュアの骨子が色濃く反映されています。物語の核心に踏み込めば自ずとそうなるのだろうと思います。本作もまたスマイルのエッセンス、指向性、意志が如実に現れています。
今回の映画は大きく2段階に分けられます。ニコとみゆきの物語と、魔王です。それぞれについて分けて感想を書いていきます。前者は罪と救済を巡る話し、後者はその救済の先にある物語が示唆されています。
①ニコ
筋としてはフレッシュの映画の類型。つまり主人公への告発と贖罪(救済)の物語です。このテーマはフレッシュからさらに一歩踏み込んだものになっていて、人間の脆さと救いを追求するプリキュアシリーズの昇華、積み重ねを感じます。
テレビ本編では大きな失敗や挫折をしなかったみゆきですが、今回のお話しでは大きく彼女の心が揺さぶられます。フレッシュの映画では、ラブはウサピョンを裏切っていません。だから彼女とウサピョンに大きな溝はありませんでした。それに比べるとみゆきとニコの関係は直接的で、みゆきに非がある。フレッシュ以上に彼女の行動、責任が問われています。彼女が真っ先に行ったことは謝罪でした。しかしニコの態度は翻りません。当然ですね、謝って済まされるほどニコの苦しみや悲しみは軽くも安くもない。いくら自分の非を認めて謝ったとしてもそれは相手の不満が立証されたに過ぎません。謝罪では彼女の孤独、寂しさ、悲しみ、怒りは無くならない。
ニコの復讐心の裏には希望や願い、みゆきへの信頼がありました。自分を忘れないで欲しい、見て欲しい、受け入れて欲しい、助けて欲しい、私という存在を見捨てないで。人間なら誰もが持っている他者への願望や自己愛の感情です。人間というのは本質的に他者に依存し、孤独には耐えられない生き物だと思います。自分を肯定するには他者の承認が必要になる。逆に他者に受け入れられないと自分が否定されたかのように感じてしまう。
だからこそみゆきの感謝の言葉は彼女の心を捉えたのでした。あなたのおかげで今の私はいる。あなたの言葉をずっと覚えている。あなたのおかげで友達ができた。ありがとう。ごめんなさい。というみゆきの言葉はニコの全てを受け入れる言葉です。確かにみゆきは約束を破りましたが彼女の中にはずっとニコの物語が息づいていました。ニコにとってみゆきは一番憎らしい相手だけど、そのニコのことを一番愛して大切に思っているのもみゆきです。感謝と謝罪の言葉はどちらもみゆきの本心であり自分の罪と彼女への愛情を示しています。無論、今更それでなにが償われるというわけではありません。過去は変わらない。辛かった思いも変わらない。でも、今愛されていることも確かなのです。それを認めることも辛く勇気が必要かもしれません。すぐには受け入れられなくても、みゆきの懸命な姿と笑顔を見てニコは自分の気持ちを取り戻しています。
本当に人間というのは面倒臭い生き物だと思います。心の底では人に愛されたいと思っているのに、相手を糾弾する言葉を投げかける。謝罪の言葉をかけられても余計に不満が高まる。みゆきは罪の意識に押しつぶされることも囚われることもなく、ニコが自分にとって何であるのかを素直に伝えたのでした。そしてまたニコもそれに応えています。とてもプリキュアらしいアプローチです。
失望や絶望によって生きる気力を無くす者(バッドエナジーがでている人)もいれば、それが怒りや憎悪に転化されて復讐者になる者もいる。ニコは後者でした。この映画では深い悲しみから生まれる暴力が描かれています。テレビ本編を補足してスマイルの物語に奥行きを与えています。
ずっと苦しい思い、復讐、罪の意識を背負って生きていては笑顔になることはできない。いみじくもニコの本はそれを示しています。ページが破れて物語が終わらない。ずっと同じところで繰り返すか立ち止まってしまう。かといって誰かが物語の続きを書いても(誰かの言いなりになる。魔王はそれをしようとしたのかもしれないね)自分の人生と思いにくい。白紙のページが生まれたことは、自分で書き加えていける、先へ行けるようになったこととして捉えられます。みゆき達がプリキュアの本を自ら書き加えていく(6話で提示)のと同じ比喩が使われています。
赦すことで前に進めるのか、前に進めるようになったから赦せるのか。たぶん後者の方が受け入れやすいのではないかと思う。相手を赦せ、そうすることであなたも前に進めるようになるという説教はいくらでもあるでしょうが、感情的には反発が強い。相手を赦す前に今の自分に納得しなくちゃならない。今の自分を肯定できるなら今の状況に追いやった相手も赦せるようになる。赦すとは、今の自分を認め信じること、今の自分を作った環境や他者をも受け入れることなのだと思います。とても難しいけれど、それが「わたしの物語はわたしが創る」ということの自覚であり背負わなければならない責任でもあるのだと思います。人はすでに書かれた過去について書き換えることはできません。できることはそこから始めることだけです。世界が私に何をしてくれるか(世界に何を期待するか)ではなく、私が世界に何をしていくか。プリキュアの物語は厳しいくらい自立的です。
映画を見て印象を強めましたが、みゆきは周囲からたくさんのものを貰っています。ニコから笑顔を貰い、あかね達から勇気を貰っています。1話で転校してきて不慣れだった彼女に良くしてくれたのもあかねをはじめとした友人達でした。プリキュアの歴代主人公はみな愛情深い主人公ですが、最近の主人公、響やみゆきは先天性よりも他者から貰った優しさ、他者と育んだ絆によって他者へと還元していく姿が描かれています。ニコから貰った笑顔を彼女に返し、ニコもまた新しい発見と力を得て自分の物語を自分で動かしていく。それはみゆきもあかね達も同じです。誰か一人が中心となって広がっていくのではなく、相互に関わりながら広がっていく。笑顔が組曲となって紡がれていく物語になっています。その輪を広げていくにあたって大切なのは常に他者に感謝する気持ちなのだろうと思います。あなたのおかげで、あなたがいたから今の私がいる。出会いと別れを繰り返しながらも人は何かを残していける。
フレッシュの映画は玩具を扱っていました。子どもは玩具をいずれ卒業します。同じように絵本もいずれ卒業する。でもだからといってそれらとの出会いや体験が無駄で無意味だったわけではありません。そこに大切な想い出や萌芽があることだってあります。大人になると忘れがちですが、子どもにとって玩具や絵本は友達であったり、大切なものだったりします。フレッシュの映画は単純に「玩具を大切にしてね」というのでなく「あなたの友達を大切にしてね」ということが含意されています。だから私はフレッシュの映画も、この映画もただの玩具や本と見ずに「人」として見ています。もちろん純粋に玩具、本として見ても差し支えありません。いずれにしても人は、様々な体験と出会い、それらとの別れを通じて人生を創っていくのですから。
②魔王
近年のプリキュアは敵を救済しています。同時にそれは敵にも何かしらの事情や想いがあることを含意してもいます。映画の中では深く描かれてはいませんが、魔王の言動には身勝手さ、その名のとおりの暴君性が見られますが、同時にニコを必要としている態度、孤独を恐れる様子が見て取れます。一緒に憎しみの世界を作ろうという言葉にはニコを利用しようという以上に、彼もまた誰かを求めている感情が感じられる。彼は他者との繋がりを否定していません。そもそも憎しみは他者あっての感情です。
また本映画の特徴は絵本の主人公達が敵となる反面、敵であるはずの牛魔王や鬼達が味方になって戦う点です。ニコも物語の主人公ですが復讐者として登場しています。敵と味方が逆転あるいは混在している。スマイルの物語は敵・味方の価値を相殺しています。これはほぼ間違いなくテレビ本編にも関連してくる部分だろうと思います。物語に出てくる悪者がそのまま悪である、倒していい相手であるとは限らない。彼らもまた大切な登場人物なのだと。
魔王も笑顔になって欲しい、一緒に居たいという願いはプリキュアであるみゆきが伝えていますが、ニコも同じ気持ちです。作劇上プリキュアの活躍によって解決しているけど物語の筋はニコのお話し。彼女は自分の使命、自分の物語がなんであるか、どこに進んで行くべきかに気づきそれを実行しています。32話と同じです。辛くても苦しくても自分の人生を自分で受け入れ、その使命を全うしようと全力を尽くす。魔王の救済はニコが前に進み出したことの証しであり、EDにて彼女の本が全うされた(物語が完結した)ことが分かります。このメッセージはスマイルプリキュアが目指す物語の先触れだろうと思います。こうした点からもプリキュアの映画はテレビ本編の骨子が色濃く出たエピソードで、本編と直接的に話しは繋がらないものの物語のテーマを拡張・補足・深掘りする位置づけにあります。別な言い方をすれば、映画を見れば大体そのプリキュアの本質が見えてくる。
③プリキュアの物語(結びにかえて)
この物語に悪は存在しません。魔王は憎しみの世界を作ろうとしたけど、同時にニコとも友達になりたかった。ニコはみんなを笑顔にしたかったのに悲しみに沈んでみゆきを憎んでしまう。彼女達は孤独を恐れ、傷つくのを恐れるあまり他者を傷つけてしまう。それがさらに彼女達を孤独にしてしまう。愛されることを望んでいるのに、それと反対のことをしてしまう。プリキュアであるみゆきがその状況を作ってしまったことも含めて、この物語に悪は存在しません。私は人を憎むことや傷つけてしまうことを悪だとは思いません。それは人間の在り方から生まれているものだからです。
上で述べたように、人間というのは本質的に他者に依存し、孤独を恐れる生き物です。勿論、独りでも不安を感じない人や人からの評価を気にせず高い自己肯定感を持ち続ける人もいます。でも、それは他者からの承認や愛情を受けているという前提で健全な精神が養われている場合の話しです。それが上手くいかないと前作スイートのように不安や自分の気持ちを押しつけてしまい溝が深まってしまう。人は孤独を恐れる反面、他者との関係によってさらに孤独になったり厄介事を起こしてしまいます。他者といても辛い、いなくても辛い。ですが、それでも人は誰かの承認、誰かの愛がなければこの辛さに耐えていけないのだと思います。そして生きていく中で様々な人に出会い、様々なものを受け取っていきながら同じように他者に分け与えていくのだと思います。みゆきが絵本の物語から学び、絵本が大好きなのは、人の生き方の縮図です。人は数限りない人の物語と出会い、その中で学び、人やモノや考えや在り方を好きになっていく。人の中には様々な物語の欠片が入っていて、同時に一つの大きな物語が形作られている。つまりその人自身の人生がある。この世界はそんな物語で満たされている世界。スマイルの物語は人の世界をそのように提起しています。
プリキュアの物語は理想や綺麗事を言います。しかしそこでは必死な努力と泥まみれになっても笑顔でありたいと願う人々の姿が描かれています。みゆきのようにやれば必ずハッピーになるとは限りません。結局自分で答えを見つけていかなければならないし、その過程で多くの失敗を重ねていくでしょう。でもそれが生きるということの証しなのだと思います。辛さも喜びも、憎しみも愛も、貰うことも与えることも、人が人である証しなのです。プリキュアが肯定しようとしているのはまさにその人の在り様です。
①前説
今回は妖精だけでなくみゆき達みんなでミラクルライトの説明。映画でもれいかさんはオチ担当。
②ちょっと昔のお話し
図書館でいらなくなった絵本が入り口前に置かれています。そこにまた一冊加わります。表紙に羽のレリーフが付いた本。
図書館の庭でみゆきは地面に絵を描きます。描き上がって満足するもどこか寂しげ。目の前でふたりの女の子が楽しそうに遊んでいます。みゆきの視線に気づいた女の子達が振り返ると、みゆきは慌てて顔を下げて絵をいじくります。今でこそ明るく誰にでも声をかけていますが、子どもの頃は人見知りするタイプだったようです。それにしても可愛い。
みゆきは本に引き寄せられるかのように、羽の表紙の本を見つけます。不思議な力が働いてページがめくられていきます。絵本のようですが、途中でページが破られていてお話しの続きはわかりません。最後のページは女の子がお城のようなところに囚われた様子が描かれています。ちょうど彼女が泣いているかのように雫が本に落ちます。雨が降ってきました。
図書館でみゆきは絵本を読みます。主人公の女の子がケンカしている動物達を和解させていく物語のようです。「仲良くなるには笑顔が一番」。ものは試し、みゆきは自分の口をぐにっと指でつり上げて笑顔を作ります先ほどの女の子達に見つめられ、恥ずかしがって赤くなるみゆき。なるほど、これが天使か。興味をひかれた女の子達は何を読んでいるのかと声をかけてきます。みゆきは嬉しそうな声で応えると、女の子達と一緒に絵本を読みます。
女の子達と別れて、みゆきは自分の家で絵本をまた読みます。引っ越す前の家はだいぶ築年数が経っている感じ。畳んだ布団の上に寝っ転がって絵本を見ていたみゆきはお話しの続きはどこへ行ってしまったのだろう?と思案。すると自分で話しの続きを描けばいいのだと思いつきます。絵本と約束します。
③銀幕からの闖入者
時は流れ、みゆきはみんなで絵本大博覧会にやってきます。テンションが最初からクライマックスなみゆき。
世界中の絵本が集まり、イラスト、作家のトークショー、お絵かきスペースなど充実したイベントらしい。みゆきをはじめ他のメンバーも楽しみにしています。れいかが持っているのは博覧会のパンフレットでしょうか。流石歩くガイドブック。事前に把握済みといったところか。
木の枝からひょっこり顔を出す黒い影。どうやらこのイベントを別な意味で待っていた者も居るようです。
OP。尺の関係もあるので博覧会を遊ぶみゆき達の様子と同時進行。テレビ本編でも流れた映像ですね。前期OP映像でお馴染みだった5人のモーションが映画アレンジされています。れいかさん、それ凄すぎ。ただの棒きれでスイカを綺麗に真っ二つ…だと!? どうでもいい話ですが、映画では珍しくみゆき達の格好はいつもの服装です。映画用の衣装が密かな楽しみだったのですが残念。といっても、みゆきの白ニーソ絶対領域が大好きな私はどちらに転んでも問題ない。
人気の少ない一角に設置されたテント。黒い影が中に入っていきます。テントの中には誰もいません。一応映画館らしい。みゆきは興味をひかれます。あかねは3Dシアターが気になるようですが、後でそっちも見ればいいとやよいが誘い、みゆきも腕を掴んでテントの中に入ります。これが女の子同士の自然な触れ合い…くっ、私も女の子に生まれていれば……(本末転倒)。
結局、客はみゆき達とキャンディだけ。係員の姿も見えません。フィルムが自動再生されます。ナレーションが流れると、場面は一転して、緊迫した場所が映し出されます。本を抱えた女の子が追手から逃げます。緊張した面持ちで画面を見つめるみゆき。他のメンツとのギャップが激しい。
ついに追い詰められる女の子。為す術なしかと思われたその瞬間、黒い影が飛び出すとスクリーンが眩く光り、中から女の子が出てきます。みゆきはすぐに立ち上がると女の子を受け止めます。反応速ぇ。
スクリーンから出てきた女の子は助けを求めます。案の定、スクリーンから追手が出てきます。今の3Dの技術は凄いとお約束なボケをかましてくれるれいかさん。ある意味とても冷静な人です。
追手達はニコと呼ばれる女の子を狙いテントの中で大暴れ。ニコの無事を確認して安心するみゆき。何かを思うようなニコの表情。みゆきの優しさは今でも変わらない。けど…。束の間、ニコは追手に捕まってしまいます。
相手の正体は分からないものの緊急事態。変身。子どもや親御さんがジャンケンしているのを見るとぴかりんジャンケンは正解だったように思います。
追手は自ら金閣・銀閣と名乗ります。西遊記のアレ。金閣銀閣と言ったら紅葫蘆(べにひさご)。プリキュアを吸い込もうとします。吸引力が凄まじくまともに立っていることもできません。ハッピーが吸い込まれそうになります。ビューティは腕を払うしぐさをすると、氷の矢じりを作り出して反撃に転じます。属性能力を柔軟に発揮。この映画では必殺技をバンクを含めてほとんど使っていません。テンポよく臨機応変に能力を使用。カッコイイ。
氷によって隙が生まれるとサニーとマーチが一気に接近して攻撃をしかけます。戦闘が本格的に始まり、テントから離れた位置に居る人々も何事かと視線を注ぎます。が、何かのショーと思っているらしくそれほど騒ぎになりません。
ピースが電撃を使って銀閣をはじき飛ばします。ハッピーがニコを救出。しかし金閣の紅葫蘆の中に吸い込まれてしまいます。それならと紅葫蘆を奪取。紅葫蘆をキャッチしたピースを狙って銀閣が仕掛けてきますが、サニーがサポート。炎に根を上げた紅葫蘆は暴走して金閣と銀閣を吸い込みます。試合終了。中から黒い影が出てきて逃げていきます。テントは消失。後々分かることですが、おそらくこれは自作自演。
④絵本の中はチグハグ!?
紅葫蘆の中からニコを取り出します。力尽くかよ。かけ声的なものってなかったっけ?
ニコはふらふらとしながらも助けてくれてありがとうとお礼を言います。自己紹介。
みゆきはニコに本を返します。本に見覚えがあるようですが思い出せません。その時のニコの反応は緊張した表情をしています。しかしみゆきが本のことを思い出せないのを見ると一転して寂しそうな表情になります。ニコの表情は敏感でコロコロ変わります。彼女がここに来た目的は、みゆきを誘い込むための自作自演です。この時点で彼女はみゆきに復讐するつもりがあったはずです。バレるわけにはいきません。だけど気づいて欲しいという相反する思いもあったのだと思います。
ニコは絵本の世界から来たと言います。それを訊いてビックリ仰天する一同。れいかの表情が面白い。絵本の世界へ招待するとニコが言うとみんな身を乗り出して喜びます。れいかはキャンディに引っ張られているのか、押しつけているのか。
善は急げとばかりに、ニコは指を鳴らして絵本の世界へ案内します。
地面に穴が開くと落下するようにみんな落ちていきます。高いところが苦手なあかねとなおは涙目。光の花の中を落ちながらみゆき達は進んでいきます。途中クジラに飲み込まれて、潮吹きとともに飛び出すといよいよ絵本の世界への入り口が見えてきます。
お約束どおり着地に失敗。絵本の世界に到着。眼下に広がるメルヘンな世界。絵本の住人達が暮らしています。メルヘンランドとコンセプトがだだかぶりです。こちらの世界は妖精の要素がないのでみな原作っぽい雰囲気。桃太郎のおばあさんが超アグレッシブ。
夢中になっているみゆきとやよいを置いて、ニコはあかね達にこの世界について説明します。自分が絵本の主人公になって物語を体験できるそうです。テーマパークみたいなエンタメ要素まであるとは至れり尽くせり。観光業で生計を立てているのでしょうか。ニコの言葉に聞き耳を立てたみゆきはすぐに話しに飛びつきます。シンデレラに憧れるみゆき。大好きだと言います。彼女の様子を見たニコは「そうか…」と一瞬声のトーンを落とします。自分のことを忘れて他の物語に心奪われたみゆきに彼女が何を思ったのか想像に難くない。
気を取り直したニコは話しを進めていきます。あかねは小さくても勇気がある一寸法師、やよいはきんと雲に乗りたいので孫悟空、なおはご馳走を食べたいので浦島太郎、れいかはヒーローの桃太郎を志願。れいかさんノリノリ。なおはもう完全に食べ物担当になった感があります。
再びニコの指パッチンを合図にそれぞれ絵本の世界へと飛んでいきます。
一人残ったニコは、やっぱりみゆきは約束を忘れている…とつぶやきます。「嘘つき」。彼女の影が異形の姿へ変わります。
みゆきは暖炉の中から飛び出してきます。灰かぶり。衣装も替わっています。すぐに怖い継母がやってきてみゆきに仕事を命じます。目まぐるしく働くみゆき。こき使われながらもみゆきは物語を楽しみます。
やよいは孫悟空になってきんと雲で飛び回ります。意外と似合う。ドラゴンボールみたいな動きで空を駆ける。
超ノリノリなれいか嬢。この子は未だによく分からない。おじいさんとおばあさんからきび団子を貰います。
あかねはお椀の船で川を進みます。ビッグになったる。いやー、そのセリフ言った人でビッグになった人いるのかなー。
浦島太郎になったなおは亀を助けて竜宮城へ。ここまではみんな原作どおり。
ニコは笑顔なんて無くなればいいとつぶやきます。彼女の影が怪しく動きます。
嬉しそうに床磨きをするみゆきに、キャンディはどうして嬉しそうなのかと尋ねます。傍目には雑用を押しつけられているだけです。自分はシンデレラ、魔法使いがやってきて王子様と出会い、結ばれる…と想像を膨らませます。みゆき達は物語の結末を知っている。今辛いのは単なる通過儀礼でしかない。彼女達は最初から希望に溢れている。ところが、そうではない子がいる。自分の物語がどこに行くのか分からず、どこにも行けなかった子。未来が失われ、希望が失望と絶望に、そして憎しみに変わった子がいる。
ドアをノックする音。魔法使いかと思ったみゆきはすぐにドアを開きます。しかし目の前に立っているのは精悍な青年。何故かカボチャを持っています。誰? 青年は桃太郎と名乗ります。
クマに乗った金太郎とすれ違うれいか。いや、それいいのか。犬・猿・キジを見つけると声をかけます。きび団子をあげて家来にしようとしますがすでに他の団子を食べています。竜宮団子。絶品らしい。持ち主は浦島太郎。何故か桃太郎の世界に来ています。亀を助けたら団子が入った玉手箱を貰ったと言います。竜宮城へ行けると思っていたけど、世の中そんなに甘くなかったと言う浦島太郎。亀助ける前から竜宮城行けると思ってたのかよ。
竜宮城へやってくるなお、早速ご馳走を探します。乙姫を見つけたと思ったら豚。何故かここには西遊記の悟空、猪八戒、沙悟浄が居ます。彼らの格好がどことなくキャッツアイに似ているのがなんとも。色々とごちゃ混ぜなカオス世界になってきました。
やよいが到着したのは鬼ヶ島。もう中国ですらねぇ。とりあえず洞窟の中に入って様子を見ると天井の壁が崩れてきて大ピンチ。そこに現れる一寸法師。岩を切り裂きます。地下に落ちると金銀財宝の山。偶然打ち出の小槌を見つけて一寸法師が大きくなります。一緒に姫様を探すことに。西遊記どころか一寸法師ですらないお話しになってきました。
あかねはツバメに乗って京へ。途中で落ちて跳ねて行き着いたところに巨大なガラスの靴。つまみ上げられると手の平の上に置かれます。相手はシンデレラ。何故かここに居て、しかも巨大化しています。これでは王子様に嫌われると泣き出してしまいます。
みゆきは桃太郎からきび団子を貰います。コンビニの袋。とたんに安っぽくなったぞ。桃太郎はでは鬼退治に、とみゆきを誘います。王子様の居るお城に鬼が住んでいると思っているようです。止めようとするみゆき。例によって何故自分がここにいるのか分かっていません。
ニコの暗躍はエスカレートしていきます。
黒い影が桃太郎達を包み込みます。黒カラーな主人公達。無駄にカッコイイ。シンデレラはさらに巨大化。浦島太郎は犬達をファンネルのように扱います。しかも自分は宙に浮いています。もう原作のイメージ残ってねぇ。
桃太郎達は自分がこうなったのはみゆき達のせいだと思い込み攻撃をしかけてきます。
逃げている途中で3匹の子豚を経由。あかねとれいかが合流。それぞれ逃げながらも同じ場所に集まります。それにしてもれいかさんの格好は似合っている。髪を下ろした姿がまた可愛い。
シンデレラの鉄拳が落ちてきます。間一髪みゆき達を助けたのは……牛魔王、一寸法師の鬼、桃太郎の鬼。悪役のみなさんが加勢してくれます。助けに来た訳じゃないという牛魔王。主人公達に物語の続きはどうしたと尋ねます。すると続きはない、ハッピーエンドもバッドエンドもない終わりのない物語だと答えが返ってきます。
牛魔王は物語が続かないと俺達の出番がねぇだろ!と声を荒げます。かっこいいけどかっこ悪い。
こうなった原因としては影が怪しい。真偽は定かではありませんが、とりあえず変身。サニーは小さいままです。そのために着地シーンも個別だったようです。細かい。
物語の主人公とライバル、プリキュアがぶつかり合う混戦の始まり。真面目に戦う者もいれば逃げ惑う者も。浦島太郎は仕事しろ。打ち出の小槌がシンデレラに当たって元の大きさに戻ります。同時に取憑いていた影が離れ、サニーが掴みます。
パンパンという手を打ち鳴らす音。ニコの姿。影はサニーの手から逃れるとニコの影の中に入ります。
⑤復讐するは我にあり
小高い岩の上からニコは素知らぬ顔でみんなに楽しんでいるかと尋ねます。怖ぇ。この子はよほど辛い思いをしたのでしょう。自分をこんな目に遭わせた人をそれだけ憎んでいる。
ニコの姿を認めて、物語がめちゃくちゃになっている、元に戻さないといけないとハッピー達は訴えます。ところがニコはその必要は無いと答えます。だって私がめちゃくちゃにしたのだから。いい表情です。理由を尋ねられたニコは全てみゆきのせいだと言います。みゆきが約束を破ったから。何のことだか分からないハッピー。ニコは持っていた本を開いて見せます。破れたページ。ハッピーを射るように見つめる彼女の瞳には必死さと相手を非難する意思が色濃く出ています。ようやくハッピーはその本が幼い頃に見つけた本だと思い出します。
続きを書いてくれると約束したのに書いてくれなかった。ずっと待っていたと話すニコ。みゆきなんて大嫌い、笑顔のみゆきはもっと嫌い。みゆきの好きな絵本をめちゃくちゃにしようと思った。笑顔なんて無くなればいいんだ! 堰を切ったように想いが彼女の口から溢れ出ます。彼女の影は大きくなると彼女を包み込んで姿を消します。
呆然と立ち尽くすハッピー。呼びかけても応えが返ってきません。戦闘再開、桃太郎達が襲いかかってきます。この場を引き受けた牛魔王達はプリキュアを投げ飛ばして戦闘区域から待避させます。主人公達に振り返る牛魔王。かっけぇ。
これまでとは違う物語の街に落下するプリキュア。ハッピーは依然呆然としています。
近くでクマの妖精がケンカを始めます。ふたりを諫めるマーチ。ハッピーはここがニコの物語だと気づきます。尋ねられたハッピーはニコについて話し始めます。
ニコちゃんは名前のとおりいつも笑顔の女の子。はじめは仲の悪かった動物たちもニコちゃんの笑顔でみんな仲良しになりました。そんなある日、笑顔の大嫌いな魔王がニコちゃんを連れ去ってしまいました。すると動物たちからも笑顔が消え、ケンカばかりするようになってしまいました。魔王の城に閉じ込められたニコちゃんは、誰かが助けに来てくれるのをずっと待っていました……。
その続きは本が破られていて物語は終わりません。だから続きを書こうとしましたが、上手く書けずそれっきりになってしまったと話します。ニコが言ったとおりです。彼女は約束を破った。自分を責めるハッピー。スカートの端を持つ手が印象的です。人は不安になると無意識に何を掴んだりすることが多い。
サニーは立ち上がるとハッピーに飛びつきます。突然のことに驚く一同。ピース的にはあれですかね、百合キター! 冬はこれだ!的な。サニーはハッピーの口元を指でつり上げると、ハッピーが逃げる、スマイルスマイルと言います。ハッピーが言っていた言葉。映画の製作上、時期的に偶然なのか意図してなのかはわかりませんが、こうやって初期の頃の言動が出てくるのは面白い。誰が誰に言ったのか。そして今誰が誰に言っているのか。自分が言った言葉を誰かが覚えていてくれて今でもそれを心に残していてくれる。それを知ったとき人はどれだけ救われるだろうか。自分が他者の中に生きるということの意味。
らしくないと言うサニー。36話でみゆきがあかねにらしくないと言ったように、あかねもみゆきにらしくないと言う。それはお互いにお互いの本来の姿、こういう時にあなたはこうするはずだという信頼と願いが込められている。
前向きなのがみゆきの良いところ。マーチもピースもビューティも頷きます。みゆきはどうしたいのか。みゆきは謝りたいと言います。それでこそプリキュアの主人公。ニコの笑顔を取り戻すために彼女達は前に進みます。
⑥ありがとう、ごめんなさい
城の中で逃げ惑うニコ。影達が彼女を追い回します。怖く辛い思いをしながらもニコはみゆきの言葉を信じて待ちます。
過去の記憶から現在に戻ったニコはみゆきへの怒りと憎しみを募らせます。ニコを呼びかける声。彼女の影は異形の姿となり浮き出てきます。魔王。彼はニコにみゆきを憎むよう仕向けます。彼女の憎悪が彼に力を与えている。
言うまでもないことですが、魔王がニコをそそのかしたからこうなったという話しではありません。ニコの怒りはみゆきへの信頼の裏返しです。魔王はその機に乗じただけです。ニコが黒い服を着ていることから何かしら敵側の意向を組んだキャラだと思っていましたが、ストレートに来ました。
プリキュア達が城に近づいてきます。バルコニーに出て見下ろすニコ。彼女の心の隙間を埋めるように魔王はニコの憎悪を増幅させます。まるで、自分とニコとの結びつきを深めるかのように。
ハッピーはニコを見上げると、すかさずごめんなさいと謝ります。90度に腰を曲げて平謝り。しかしニコの心は頑なで、謝っても許さないと言い返します。その答えに心が折れそうになるハッピー。彼女の肩にサニーが手を置きます。黙ってハッピーを見つめます。その表情と態度からは諦めるな、と語っています。
ニコは牛魔王達を影から出して放り投げます。先ほどカッコイイ啖呵を切ったものの負けてしまったようです。主人公達もバルコニーに現れます。ニコは自分の辛さが分かるまい、みゆきも苦しめばいいと主人公達をけしかけます。ニコの悲痛な叫び。その声はどう聞いても今も苦しみ続けているように聞こえます。
サニーとピースが相手を引き受けます。ハッピーを謝りに行かせるためにみんなでフォロー。同時攻撃をしのぐハッピー。ポーズがカッコイイ。ファンネルが飛んでくるとマーチが地面パンチで吹き飛ばします。桃太郎はビューティが相手します。ここではそれぞれ自分が主人公になった物語の主人公を相手にしているという構図ですね。
ハッピーはニコの居る城へと一直線に進みますが、棘に阻まれます。仲間達も次第に圧され倒れていきます。
ニコはみゆきのせいでボロボロになって可哀想と仲間達に呼びかけます。みゆきを恨んでいる彼女はみんなもみゆきを恨めばいい、みんなから恨まれればいいと思っている。子ども向けとは思えないくらいしっかりと復讐させています。しかしサニーは恨むなんて出来ないと言います。だってみゆきが好きだから。好きだからちょっとくらいボロボロになっても構わない。サニーは一寸法師から打ち出の小槌を奪うとピースにパス。受け取ったピースは振り下ろして西遊記の3人を小さくします。これで彼らは戦闘継続不能。ピースもみゆきが大好き。マーチはみゆきの笑顔が大好き。ファンネルをかわして浦島太郎にぶつけます。ビューティは桃太郎の刀の上に立ちます。すげぇ。彼女もまたみゆきの笑顔が大好き。足下の刀を凍らせて破壊。
彼女達は巻き込まれたと思っていない。自ら引き受けたと思っている。だから今の状況をみゆきのせいだとは思っていない。自分が選んだ道。自分が好きになった人に対する責任として彼女達は受け入れています。自らの悩みと苦しみから生まれた喜びを甘受してこその自由意思。物事を偶然と見るか、必然と見るか。心に響けば運命。
心揺れるニコ。それを抑えつけるようにみゆきなんて大嫌いだと再び叫びます。今のニコはとても不安定。自分を不幸にしたみゆきを憎んでいて、みゆきが辛い目に遭えば良いと思っている。けど誰もみゆきを見捨てないし嫌いにもならない。復讐者にとって、その復讐すらも上手くいかなかったときに自分を支えるものが全て失われてしまうかのような気持ちになるのではないかと思う。憎悪もまた人を支える力になりうる。もしここで退路がなくなればニコは行き場を失ってしまうでしょう。その時は魔王が待ってましたとばかりに出張ってきそうですが。
ハッピーは跳躍すると一気にニコの居るバルコニーに降り立ちます。
怯えるような、拒むような、頑なな態度を固持するニコ。彼女を見つめながらハッピーは話し始めます。ニコちゃんが笑顔を教えてくれた。気になる子になかなか声がかけられなかった時に知った言葉。「仲良くなるには笑顔が一番」。本のことを忘れてしまっていても、ニコが教えてくれた大切なことをみゆきは心に留め実行してきた。ニコちゃんのおかげでその子と友達になれた。「ありがとう」。何故感謝されたのか一瞬分からないニコ。ハッピーは彼女を抱きしめます。離れようとするニコをハッピーは強く抱きしめて約束を守らなくてごめんなさいと何度も謝ります。ハッピーの腕の中でニコのわだかまりはとけていきます。彼女の手から離れた本は、破れたページが光り出します。
⑦魔王の孤独
これでハッピーエンド……になりません。ラスボス登場。
城が瓦解し、出てきたのは巨大な竜。尻尾が何本も生えています。ドラゴンとか九尾の狐とか混ざっているような感じ。桃太郎達に取憑いていた影を回収。ニコは棘の檻の中に閉じ込められてしまいます。
魔王はニコにハッピーを憎むように言います。憎しみの力が彼に力を与える。そして彼はこの世界を憎しみだけが続く終わりの無い世界を作ろうとします。彼は彼なりに独立した存在として物語の中に位置を占めています。作中の扱いは必ずしも大きくありませんが、スマイル全体として見た場合、彼の存在はとても示唆的です。
魔王は触手的なものを飛ばしてハッピーを攻撃。ピースがサポート。しかし追撃の手は緩みません。手刀で切り裂くビューティ。相変わらず強いな、この人。サニーとマーチは合体攻撃でフォロー。が、それも束の間、魔王の方が彼女達の力を上回ります。
その間に、牛魔王達がニコを救出しようとします。檻はびくともしません。ニコは何故自分を助けるのかと訊きます。助けてくれなんて言ってない。牛魔王はそんな泣きそうな顔して何言ってる、と返します。かっけぇ。マジイケメン。涙ぐむニコ。キャンディはニコの本当の気持ちはなんだと問います。本の破れたページがさらに光り輝きます。
不審な動きをする牛魔王達を魔王が攻撃します。ハッピーがガード。しかし防ぐだけで精一杯。地面に叩きつけられながらも3人の無事を知って安堵します。この子は強い。
苦しいはずなのに何故笑顔でいられるのか、自分は真っ先に笑顔をなくしてしまったのに。ニコは逡巡すると檻を出ようと力を込めます。ニコの行動に魔王は動揺します。誰の笑顔も奪いたくないとニコが叫ぶと光が溢れ檻は消滅します。破れていた本も新しいページが生まれます。彼女が新しい一歩、先へ進めるようになったことの示唆ですね。誰かを恨んで、誰かのせいにしていれば自分自身への責任や問題は棚上げできる。でも、それが問題を解決してくれるとは限らない。みゆきが約束を破ってしまったことで彼女の物語が終わらなかったのは事実でしょうが、では彼女は本当に何もできなかったのか。誰かのせいにするということは、自分の人生を誰かに預けてしまうことと同じです。絵本というモチーフで語られていますが、この物語の本質は人間の物語であり「わたしの物語はわたしが創る」です。そしてその「わたしの物語」の中にはたくさんの「あなたの物語」が入っている。
魔王はニコに一緒に笑顔のない世界を創ろうと持ちかけます。この言葉一つで彼の位置づけは決定しました。彼は孤独を恐れている。唯一無二の王になりたいわけじゃない。たぶんニコをそそのかしたのも、彼女と一緒に居たいからだ。彼なりに友達が欲しかったのだろうと思う。
ハッピーは魔王に笑顔が無い世界なんてつまらないよ、と声をかけます。サニー達もハッピーの言葉に続きます。笑顔は大切なのだと。しかし魔王は頑なに拒みます。
必殺技タイム。プリンセスフォーム。映画なのでクロックのカウントはカットされています。魔王とフェニックスのビーム対決。ポケモン映画ですかね、これ?的なシュールさ。お約束どおりプリキュアの力は跳ね返されてしまいます。技がやぶられてもプリンセスフォームは解除されません。輪っかと装飾部分の発光が消えます。
魔王は力を増大させて、絵本の世界に支配力を広げていきます。
ニコは飛び出すと魔王の前に立ちはだかり制止の声をあげます。復讐しても全然心は晴れなかったと話すニコ。自分がしなければならなかったのは誰かを憎むことではなくみんなを笑顔にすることだったと叫びます。人が復讐するときの動機は、自分の自尊心が傷つけられた事に対する報復だろうと思う。自分を否定した、屈辱を与えた、こんな苦労を背負わせた相手も同じ思いをするべきだという感情。合理的に考えればそんなことをしても一文の得にもなりません。その時間を違うことに使った方がよほど生産的だ。けど、復讐は損得ではないんだろうと思う。自分を傷つけた者に対する怒り、報復。それは自己の存在(自尊心や気持ち)が如何に人間にとって重要であるかを物語っている。でもやっぱり復讐者は幸せになれないだろうと思う。ハートキャッチのデューンがそうだったように、憎しみや憎悪に囚われた人の心は決して癒されず満たされない。人を傷つけて得られる自尊心の回復など一時的なものに過ぎない。酒や麻薬と同じだ、常に補給し続けなければ不安に陥る。そうなってしまえば前に進むことすらおぼつかない。自己肯定と他者からの承認があって初めて自尊心は恒常的で健全なものになる。
ニコは自らの使命を大声で叫びます。
「私はニコ! いつも笑顔のニコだもん!」
⑧ここから始まる物語
しかしその言葉は魔王にとっては絶縁状に等しい。自分を受け入れてくれなかったニコに魔王は態度を翻します。拒絶されたと感じたのでしょう。彼はニコを攻撃します。
自分の身代わりになったハッピーを抱きとめたニコはみんなに力を貸して!と頼みます。映画お約束のミラクルライトのお時間です。子どももそろそろだねとつぶやくくらいお約束です。映画館がライトで明るく照らされます。そうそう、これこれ、この光景が見たくて映画館に来たんです。子どもの応援があってプリキュア映画は完成する。子どもの応援は最高の演出装置です。余談ですが作中できんと雲までライト振ってたのがツボでした。気を失ったハッピーにニコは何事かつぶやきます。
応援の力によってハッピーはさらなる変身を遂げます。今回は変身モーション付き。羽が生えた上にハートの後光が上下に輝くという豪華さ。映画の作画クオリティも加わってただでさえ可愛いハッピーがさらに可愛くなります。
魔王の攻撃を簡単に粉砕。パワーのインフレは基本です。
彼女が地面に降り立つと花が一面に広がり絵本の世界を包み込んでいきます。どんだけ浄化力高いんだ。
「笑顔で包む愛の光。ウルトラキュアハッピー」
ごめん、正直に言うと、これ何回訊いても吹きそうになります。ウルトラって付けると安っぽくなるというか。普段みゆきが言ってるウルトラハッピーとキュアハッピーをかけているんだろうけど、やっぱ笑いそうになるね。
魔王と対峙するハッピーに戦意はありません。どこか悲しそうな表情。彼女は分かっている。ニコも魔王も同じ。同じ苦しみと渇望を持っている。孤独を恐れる気持ちが様々な形をとって悲劇を作り出す。
ニコはハッピーの手を掴むと「魔王を…」と言葉を切ります。手を握り返しながらハッピーは分かっていると答えます。
サニー達はプリンセスキャンドルを構えます。白い大きな羽が魔王を包み込みます。魔王と二人っきりになったハッピーは両手を握り合せて懇願するように魔王に語りかけます。世界は笑顔でキラキラしてとても綺麗。そんな世界を壊すなんてやめよう。その世界にあなたもいて欲しい。彼女が手を触れると魔王の姿は元の小さな姿に戻ります。魔王を優しく抱きしめるハッピー。ニコが待っている世界へ戻ります。
映画やテレビシリーズでボスの浄化は何回かやっていますが、これといった必殺技を使わずに説得したのは今回が初めて。みゆきは彼に語りかけ、受け入れることで戦いの幕を閉じています。必死に語りかける彼女の姿は「伝説の戦士」の言葉からはほど遠い。けれどもとても強く美しい。すげー身も蓋もなくぶっちゃけると、密室で腹を割って和解というオチ。肩肘張らずに素直になろう。ニコちゃんと友達になりたいんだよね、だから一緒にいようよ、という話し。
魔王が目を覚ますと目の前にみゆきとニコが覗き込んでいます。驚いて物陰に隠れる魔王。ニコは魔王も笑顔でいられる世界にしたいと言います。自分は悪い奴だぞ?と言う魔王にニコは本を見せます。私の物語には魔王の笑顔も必要。魔王は真っ赤になります。
牛魔王達が主人公達を拾ってやってきます。彼らに謝るニコ。牛魔王は反省してるならいい、とあっさりと流します。まさに漢。
みゆき達にもニコは謝ります。本を見せてこれからは自分の物語は自分で創れると言います。ニコは改めてみゆきに謝ると一番伝えたかったことを伝えます。「大好き」。それを訊いたみゆきは堪らず泣き出してしまいます。みんなからスマイルスマイルと言われて笑顔を浮かべるみゆき。嬉しい時に泣くのも笑顔の一つの在り方だと思うよ。
エピローグ。クレジットが流れる後ろでその後の物語が描かれます。桃太郎達の物語の中でニコと魔王は常に笑顔を浮かべています。その物語を読んだみゆき達の顔にも笑顔が溢れます。
⑨EDダンス
スイートもそうでしたがダンスで締めってのは良いと思う。子ども達のノリノリな姿が可愛かった。物語を楽しんで最後に身体を動かして遊ぶ。エンターテイメント。EDの花畑はラストシーンの花畑を連想させるので、その意味でもEDのダンスは余韻を残す良い終わり方でした。
期待に応えて春映画はオールスターズNS第2弾。これもお約束の親御さん達の「また~」な声。
○トピック
みゆきが可愛過ぎて生きるのがハッピー。
プリキュアの映画はその年のプリキュアの骨子が色濃く反映されています。物語の核心に踏み込めば自ずとそうなるのだろうと思います。本作もまたスマイルのエッセンス、指向性、意志が如実に現れています。
今回の映画は大きく2段階に分けられます。ニコとみゆきの物語と、魔王です。それぞれについて分けて感想を書いていきます。前者は罪と救済を巡る話し、後者はその救済の先にある物語が示唆されています。
①ニコ
筋としてはフレッシュの映画の類型。つまり主人公への告発と贖罪(救済)の物語です。このテーマはフレッシュからさらに一歩踏み込んだものになっていて、人間の脆さと救いを追求するプリキュアシリーズの昇華、積み重ねを感じます。
テレビ本編では大きな失敗や挫折をしなかったみゆきですが、今回のお話しでは大きく彼女の心が揺さぶられます。フレッシュの映画では、ラブはウサピョンを裏切っていません。だから彼女とウサピョンに大きな溝はありませんでした。それに比べるとみゆきとニコの関係は直接的で、みゆきに非がある。フレッシュ以上に彼女の行動、責任が問われています。彼女が真っ先に行ったことは謝罪でした。しかしニコの態度は翻りません。当然ですね、謝って済まされるほどニコの苦しみや悲しみは軽くも安くもない。いくら自分の非を認めて謝ったとしてもそれは相手の不満が立証されたに過ぎません。謝罪では彼女の孤独、寂しさ、悲しみ、怒りは無くならない。
ニコの復讐心の裏には希望や願い、みゆきへの信頼がありました。自分を忘れないで欲しい、見て欲しい、受け入れて欲しい、助けて欲しい、私という存在を見捨てないで。人間なら誰もが持っている他者への願望や自己愛の感情です。人間というのは本質的に他者に依存し、孤独には耐えられない生き物だと思います。自分を肯定するには他者の承認が必要になる。逆に他者に受け入れられないと自分が否定されたかのように感じてしまう。
だからこそみゆきの感謝の言葉は彼女の心を捉えたのでした。あなたのおかげで今の私はいる。あなたの言葉をずっと覚えている。あなたのおかげで友達ができた。ありがとう。ごめんなさい。というみゆきの言葉はニコの全てを受け入れる言葉です。確かにみゆきは約束を破りましたが彼女の中にはずっとニコの物語が息づいていました。ニコにとってみゆきは一番憎らしい相手だけど、そのニコのことを一番愛して大切に思っているのもみゆきです。感謝と謝罪の言葉はどちらもみゆきの本心であり自分の罪と彼女への愛情を示しています。無論、今更それでなにが償われるというわけではありません。過去は変わらない。辛かった思いも変わらない。でも、今愛されていることも確かなのです。それを認めることも辛く勇気が必要かもしれません。すぐには受け入れられなくても、みゆきの懸命な姿と笑顔を見てニコは自分の気持ちを取り戻しています。
本当に人間というのは面倒臭い生き物だと思います。心の底では人に愛されたいと思っているのに、相手を糾弾する言葉を投げかける。謝罪の言葉をかけられても余計に不満が高まる。みゆきは罪の意識に押しつぶされることも囚われることもなく、ニコが自分にとって何であるのかを素直に伝えたのでした。そしてまたニコもそれに応えています。とてもプリキュアらしいアプローチです。
失望や絶望によって生きる気力を無くす者(バッドエナジーがでている人)もいれば、それが怒りや憎悪に転化されて復讐者になる者もいる。ニコは後者でした。この映画では深い悲しみから生まれる暴力が描かれています。テレビ本編を補足してスマイルの物語に奥行きを与えています。
ずっと苦しい思い、復讐、罪の意識を背負って生きていては笑顔になることはできない。いみじくもニコの本はそれを示しています。ページが破れて物語が終わらない。ずっと同じところで繰り返すか立ち止まってしまう。かといって誰かが物語の続きを書いても(誰かの言いなりになる。魔王はそれをしようとしたのかもしれないね)自分の人生と思いにくい。白紙のページが生まれたことは、自分で書き加えていける、先へ行けるようになったこととして捉えられます。みゆき達がプリキュアの本を自ら書き加えていく(6話で提示)のと同じ比喩が使われています。
赦すことで前に進めるのか、前に進めるようになったから赦せるのか。たぶん後者の方が受け入れやすいのではないかと思う。相手を赦せ、そうすることであなたも前に進めるようになるという説教はいくらでもあるでしょうが、感情的には反発が強い。相手を赦す前に今の自分に納得しなくちゃならない。今の自分を肯定できるなら今の状況に追いやった相手も赦せるようになる。赦すとは、今の自分を認め信じること、今の自分を作った環境や他者をも受け入れることなのだと思います。とても難しいけれど、それが「わたしの物語はわたしが創る」ということの自覚であり背負わなければならない責任でもあるのだと思います。人はすでに書かれた過去について書き換えることはできません。できることはそこから始めることだけです。世界が私に何をしてくれるか(世界に何を期待するか)ではなく、私が世界に何をしていくか。プリキュアの物語は厳しいくらい自立的です。
映画を見て印象を強めましたが、みゆきは周囲からたくさんのものを貰っています。ニコから笑顔を貰い、あかね達から勇気を貰っています。1話で転校してきて不慣れだった彼女に良くしてくれたのもあかねをはじめとした友人達でした。プリキュアの歴代主人公はみな愛情深い主人公ですが、最近の主人公、響やみゆきは先天性よりも他者から貰った優しさ、他者と育んだ絆によって他者へと還元していく姿が描かれています。ニコから貰った笑顔を彼女に返し、ニコもまた新しい発見と力を得て自分の物語を自分で動かしていく。それはみゆきもあかね達も同じです。誰か一人が中心となって広がっていくのではなく、相互に関わりながら広がっていく。笑顔が組曲となって紡がれていく物語になっています。その輪を広げていくにあたって大切なのは常に他者に感謝する気持ちなのだろうと思います。あなたのおかげで、あなたがいたから今の私がいる。出会いと別れを繰り返しながらも人は何かを残していける。
フレッシュの映画は玩具を扱っていました。子どもは玩具をいずれ卒業します。同じように絵本もいずれ卒業する。でもだからといってそれらとの出会いや体験が無駄で無意味だったわけではありません。そこに大切な想い出や萌芽があることだってあります。大人になると忘れがちですが、子どもにとって玩具や絵本は友達であったり、大切なものだったりします。フレッシュの映画は単純に「玩具を大切にしてね」というのでなく「あなたの友達を大切にしてね」ということが含意されています。だから私はフレッシュの映画も、この映画もただの玩具や本と見ずに「人」として見ています。もちろん純粋に玩具、本として見ても差し支えありません。いずれにしても人は、様々な体験と出会い、それらとの別れを通じて人生を創っていくのですから。
②魔王
近年のプリキュアは敵を救済しています。同時にそれは敵にも何かしらの事情や想いがあることを含意してもいます。映画の中では深く描かれてはいませんが、魔王の言動には身勝手さ、その名のとおりの暴君性が見られますが、同時にニコを必要としている態度、孤独を恐れる様子が見て取れます。一緒に憎しみの世界を作ろうという言葉にはニコを利用しようという以上に、彼もまた誰かを求めている感情が感じられる。彼は他者との繋がりを否定していません。そもそも憎しみは他者あっての感情です。
また本映画の特徴は絵本の主人公達が敵となる反面、敵であるはずの牛魔王や鬼達が味方になって戦う点です。ニコも物語の主人公ですが復讐者として登場しています。敵と味方が逆転あるいは混在している。スマイルの物語は敵・味方の価値を相殺しています。これはほぼ間違いなくテレビ本編にも関連してくる部分だろうと思います。物語に出てくる悪者がそのまま悪である、倒していい相手であるとは限らない。彼らもまた大切な登場人物なのだと。
魔王も笑顔になって欲しい、一緒に居たいという願いはプリキュアであるみゆきが伝えていますが、ニコも同じ気持ちです。作劇上プリキュアの活躍によって解決しているけど物語の筋はニコのお話し。彼女は自分の使命、自分の物語がなんであるか、どこに進んで行くべきかに気づきそれを実行しています。32話と同じです。辛くても苦しくても自分の人生を自分で受け入れ、その使命を全うしようと全力を尽くす。魔王の救済はニコが前に進み出したことの証しであり、EDにて彼女の本が全うされた(物語が完結した)ことが分かります。このメッセージはスマイルプリキュアが目指す物語の先触れだろうと思います。こうした点からもプリキュアの映画はテレビ本編の骨子が色濃く出たエピソードで、本編と直接的に話しは繋がらないものの物語のテーマを拡張・補足・深掘りする位置づけにあります。別な言い方をすれば、映画を見れば大体そのプリキュアの本質が見えてくる。
③プリキュアの物語(結びにかえて)
この物語に悪は存在しません。魔王は憎しみの世界を作ろうとしたけど、同時にニコとも友達になりたかった。ニコはみんなを笑顔にしたかったのに悲しみに沈んでみゆきを憎んでしまう。彼女達は孤独を恐れ、傷つくのを恐れるあまり他者を傷つけてしまう。それがさらに彼女達を孤独にしてしまう。愛されることを望んでいるのに、それと反対のことをしてしまう。プリキュアであるみゆきがその状況を作ってしまったことも含めて、この物語に悪は存在しません。私は人を憎むことや傷つけてしまうことを悪だとは思いません。それは人間の在り方から生まれているものだからです。
上で述べたように、人間というのは本質的に他者に依存し、孤独を恐れる生き物です。勿論、独りでも不安を感じない人や人からの評価を気にせず高い自己肯定感を持ち続ける人もいます。でも、それは他者からの承認や愛情を受けているという前提で健全な精神が養われている場合の話しです。それが上手くいかないと前作スイートのように不安や自分の気持ちを押しつけてしまい溝が深まってしまう。人は孤独を恐れる反面、他者との関係によってさらに孤独になったり厄介事を起こしてしまいます。他者といても辛い、いなくても辛い。ですが、それでも人は誰かの承認、誰かの愛がなければこの辛さに耐えていけないのだと思います。そして生きていく中で様々な人に出会い、様々なものを受け取っていきながら同じように他者に分け与えていくのだと思います。みゆきが絵本の物語から学び、絵本が大好きなのは、人の生き方の縮図です。人は数限りない人の物語と出会い、その中で学び、人やモノや考えや在り方を好きになっていく。人の中には様々な物語の欠片が入っていて、同時に一つの大きな物語が形作られている。つまりその人自身の人生がある。この世界はそんな物語で満たされている世界。スマイルの物語は人の世界をそのように提起しています。
プリキュアの物語は理想や綺麗事を言います。しかしそこでは必死な努力と泥まみれになっても笑顔でありたいと願う人々の姿が描かれています。みゆきのようにやれば必ずハッピーになるとは限りません。結局自分で答えを見つけていかなければならないし、その過程で多くの失敗を重ねていくでしょう。でもそれが生きるということの証しなのだと思います。辛さも喜びも、憎しみも愛も、貰うことも与えることも、人が人である証しなのです。プリキュアが肯定しようとしているのはまさにその人の在り様です。
第37話「れいかの悩み!清き心と清き一票!!」
○今週の出来事
①生徒会長選挙
学校の庭を清掃、花壇へ水やり。朝はあいさつ運動。完璧超人を地でいくれいか。
みゆき達が登校します。れいかを労うと挨拶をすれば一日を明るく始められると模範解答が返ってきます。れいかちゃんに挨拶されると元気がでるとやよいは頷きます。ですよねー。
そんなれいかを見てなおはれいかしかいないと言います。頷く3人。なんの話しか見えません。生徒会長選挙が近く行われるようです。ところがれいかは「立候補はしません」。
映画宣伝仕様OPその2。絵本体験編。順調に公式ネタバレが進んでいます。ちなみに、黒いでっかい人はハートキャッチオーケストラさんじゃありません。
自分は生徒会長に相応しくないと話すれいか。生徒達に道を示すのが生徒会長。ところが自分には示すべき道が分からないと言います。この話しは16話と地続きです。彼女は模範的で優秀でなんでもそつなくこなせる優等生ではありますが、自発性に乏しいところがあります。マニュアルや模範があればそれをキチンとこなせるけど、自分が模範となるには彼女自身自信が持てないでいる。でも他に誰がやるのかと言うあかね達。しかしれいかの心は動きません。身の丈をわきまえているという点では潔い判断だと思います。現状維持とも言えますが。
バッドエンド王国。相変わらずテレビを見る三人。彼らが見ているのは学園もの。えらく独善的な生徒会長が映っています。ヘリをチャーターする生徒会長ってどこの世界の人だよ。自分達も生徒会長になったら好き勝手やれると思い込む3人。間違った情報を真に受けちゃったよ。ほんとこの人達テレビっ子だな。今回はニンゲンニナ~ルを使います。
②空虚な言葉
時代錯誤も甚だしい格好で登校する3人。不審者もいいところですが、みんな関わると面倒くさいのか距離を置いて静観。転校生ということらしい。来て早々生徒会長に立候補。れいかは学校のことを考えられるなら転校生でも構わないと考えます。
早速、ウルフ・ルンタローは公約を発表します。宿題をなくす。いや、そんな権限生徒会長にないだろ。一瞬呆然とする生徒達ですが、拍手や声援が起こります。
甘いという声。マジョウ・リナが外灯の上に立って公約を発表します。授業中にお菓子を食べていいことにする。これは女子生徒達の心を掴みます。
ぬるいという声。アカイ・オニキチは屋根の上に立って公約を発表します。どんだけお前ら高いところが好きなんだよ。なんだ、生徒会長は高さも競うのか。学校に漫画やゲームを持ってきてもいいことにする。もう学校に来なくていいんじゃね? 家で通信教育受けろよ。男女問わず支持を集めます。
常識的に考えろよ…状態ですがみゆきとやよいはゲームと漫画の言葉に関心を持ちます。ダメだこいつら。
「お待ちなさい。生徒会長だからといってそのような勝手は許されません!」
毅然と異議を唱えるれいか。彼女を囲むようにアカオーニとマジョリーナが降りてきます。ウルフルンもガンつけてきます。3人に囲まれていても一歩も譲らないれいか。生徒会長に相応しくないと言い切ります。この子も相当だな。なお以上に一本気かもしれない。れいかは自分も生徒会長に立候補すると言います。売り言葉に買い言葉な感じ。これは危うい。
「私が正しい道に導きます!」
結果的にはみゆき達にとって本命であるれいかが立候補してくれたので、みんなで彼女をバックアップ。告知ポスターを作って選挙に挑みます。
翌朝から選挙運動が始まります。クラスの子も頑張ってとれいかに声をかけます。
すかさずウルフルンが生徒会長になって何をするのかと訊きます。良い問いかけです。案の定れいかはきょとんとした表情を浮かべながら「これまでの我が校の伝統を受け継ぎ健全な中学校を目指します」と言います。紋切り型の何かのマニュアルにでも書いてあるかのような言葉。それじゃ分からない。具体的に言えとウルフルンはつっかかります。彼の施策は明快、宿題廃止。ビラがまかれます。それに喝采をあげる生徒達。
みなさんのためにならないと声をあげるれいか。しかし生徒達の反応は冷ややか。アカオーニが加わって再び生徒達から歓喜の声があがります。マジョリーナも同様。
漫画もゲームもお菓子もいけないと言うれいかに冷たい視線が注がれます。生徒達の心を掴んでいるのは誰かハッキリしています。
「結局てめーは自分の意見がねーんだよ」
「他人の文句を言っているだけだ」
言い返そうとしたれいかをなおが止めます。生徒達の方に目配せすると、果たして生徒達はれいかに興味を持つことなく去っていきます。クラスの子達にも見放される始末。
やっていることはめちゃくちゃだが彼らには勢いがある。これは実際の政治選挙でもありうることだけど、一般大衆は「分かりやすい」「勢いがある」人を選びやすい。紋切り型、現実的(納税者に負担がかかる)施策を好みません。言っちゃなんだけど、一般大衆はバカだと思った方がいい。私達は必要な情報を知らないし、精査する技術もその知識も関心もない。マスコミの宣伝を普段小馬鹿にしつつもそれを元手に判断するしかない程度の人々です。だから勢いがある人、リーダーシップをとってくれそうな人、今の状況を変えてくれそうな人を求めやすい。そういう人が目につきやすいし分かりやすいから。今回のお話しのポイントは大衆迎合路線VS真面目路線という話しではなく、れいか自身のスタンスが問われています。ウルフルンが指摘しているようにれいかは自分の考えがないままに発言していることが傍から見てもバレてしまっている。自分の意見、方向性が無いくせに人に文句を言っているような人に誰もついてこない。底が知れているからです。彼女の言葉には人の心を引きつける力が無い。またそれを彼女自身自覚している。
屋上。れいかはウルフの指摘が的を射ていることを認めます。自分に生徒会長は無理なのではないか。やよいは生徒達が喜ぶことを考えてみては?とアドバイスします。放課後弓道の練習。的を外します。単なる人気取りでは正しい道にはならない。人に支持される正しい道とはなんなのか。夜を徹して本を読むれいか。
体育館で生徒会長立候補者による演説が行われます。立候補者はれいかを除いて三幹部のみ。どんだけこの学校人材少ないんだよ。ここまでくると先生達の指導力に疑問を感じるわ。ところで進行役の会計寺田さんって可愛いよね。隠れファン多そう。
先陣を切るのはウルフ。アカオーニ、マジョリーナが続きます。体育館には歓声がわき上がります。
演壇に立つれいかの瞳には力が宿っています。どうやら自分なりの方向性が定まったようです。
清く明るく美しい学校にしたい。清くとは校内清掃、明るくは挨拶、美しいは花壇のお手入れ。ウルフがマイクを奪って掃除なんてやってられるかと言い放ちます。自分が目指す学校には掃除も勉強もいらないと言います。もう学校がいらないんじゃないですかね?
生徒達から拍手が起こります。ウルフに反論するれいか。なら生徒に訊いてみよう。勉強も掃除もしたくない奴は拍手。大歓声の反応。私と一緒に学校の清掃をしていただける人は拍手。私は全力で拍手します。これで好感度アップ間違いなし! ところがこの学校にはそんなゲーム脳はいないらしく、拍手するのはみゆき達だけ。結果は明白。現実を目の当たりにして愕然とするれいか。彼女は自分が正しい道を信じてそれを提示すれば自ずと結果がついてくると思っていたのでしょうが、残念ながら世の中甘くない。
プリキュアかっこ悪いと言うアカオーニ。マイクのコードに引っかかってマジョリーナと共に正体がバレてしまいます。すぐに撤退。ウルフルンはバッドエナジーを回収。カウント11。体育館の窓を破ってダイナミック退場。変身。
投票箱に憑依して戦闘開始。あっと言う間にハッピー達を撃退。ビューティだけが残されます。
正しい道、というビューティにウルフルンは誰にも支持されないで何が正しい道だと言い返します。てめーの言うことは全部自己満足で押しつけがましい。クソ真面目で面白くないと追撃。何も言い返せないビューティ。全否定レベル。とことん凹ませる気のようです。
そんなことない!と全力でビューティを擁護するハッピー。自分は勉強も掃除も好きじゃないと言います。でもれいかちゃんはその大切さを教えてくれると言います。ちょっと面倒だなと目を背けることに向き合える勇気をくれるとピースも続きます。サニーも言います。何故れいかを応援するのか。
「友達だからだろ? くっだらねぇ馴れ合いじゃねぇか」
「ちゃう! れいかは学校のみんなのことを一番に考えているからや!」
なるほどここで一歩抜け出すわけだ。友達だから許せる、友達だから楽しくやろう。今まではそれでもOKだった。しかし自分の行動に責任を持つというのならそんな甘えは許されなくなる。一個人として、公正な判断で見た場合でもその行動が正しいと言えるのか。間違っているなら正さねばならない。自分で考えて自分で責任を請け負う以上、身内贔屓から脱却していかなければならない。良い覚悟です。
しかしウルフルンの反論はまだ健在。他の生徒はそう思っていない。ハッピーは言います。確かに今は分かって貰えないし、れいかちゃんの気持ちがどうやったら分かって貰えるのかも分からない。彼女は泣きながら言葉を続けます。きっとみんなにも分かって貰える、だって自分達にはちゃんと届いているのだから。
③れいかの道
ビューティは立ち上がります。
「みなさんありがとうございます。みなさんのおかげで気持ちを伝えるということの意味が分かりました。自分の思いが生徒みなさんの心に届くまで伝え続けます! それが私の道です!」
処刑用BGMが流れて始めます。パターン入った。ビューティがアカンベェの動きを止めていつもどおり浄化。カウント6。デコルも半分埋まりました。
戦いはまだ終わっていません。選挙で勝負を決めます。「って帰らんの!?」。白黒付けないとね。
仕切り直して演説を再開。突然立候補者が2人消えたりとか色々あると思うんですが、そこはスルーすべきなのでしょう。順応力高ぇなこの学校。
「私が目指すのは清く明るく美しい学校です」
先ほどと出だしは変わりません。ウルフルンの自信は揺るぎません。
「みなさんは掃除や挨拶などが好きではないかもしれません。中には苦手な方がいるかもしれません。でも、勇気を出して挨拶をはじめてみませんか? 一言声をかけるだけで明るい気持ちになれますし、たくさんの人と仲良くなれます。そして、校内の清掃をしましょう。綺麗な学校は気持ちが良いです。お掃除をすると心が晴れやかになるんです。それから花壇のお花を育てたいと思います。元気が無いときや何か上手くいかないときお花は心を癒してくれるんです。そうすればきっと…素敵な友達にも巡り会えると思うんです」
いつの間にか彼女の表情はほぐれ自然に優しい笑みがこぼれます。
「私はこの学校でみなさんと過ごす時間を豊かなものにしたいんです。ときに厳しいことや大変なこともあるかもしれません。ですが、みんなで声を掛け合い、明るく元気に頑張っていればとっても楽しい学校生活になると思うんです。私はそんな学校にしたいと思っています。私の考え方は少し真面目で退屈かもしれません。でも、それが、私の大切だと思うことです。どうかみなさん、力を貸してください。よろしくおねがいします」
中の人すげぇ。脱帽したわ。
場内はシーンと静まりかえっています。しかし一人の生徒が拍手し、みんなも拍手を始めます。その様子にれいかはしばし心を奪われます。
勝敗は決しました。いや、そもそもこれは勝負というものではないのですが。
選挙結果は青木れいか。ウルフルンは撤退。
「れいかちゃん! おめでとう!」
「ありがとうございます!」
④次回予告
映画並の作画クオリティだったら鼻血出し過ぎて死んでいた。
○トピック
れいかさんが言葉責めにされる回。決してれいかさんは生徒達を買収したわけじゃありません。単にあの学校の生徒達が人の意見に流されやすいだけです。
プリキュアらしいストレートなお話し。
今回の主要なポイントはれいかの文脈である自主性を巡るお話しの続きです。16話で自分は空っぽなのではないかと空虚感を抱いていた彼女のその後の物語。
戦闘前までのれいかは自分の言葉で話していません。言っていることは立派ですが模範的で個性が無い。具体的な中身を語らせれば掃除、挨拶、花壇の手入れと地味で面倒なことばかり。勿論これには彼女なりの考えや理想があって言っているのですが、ちゃんと伝わっていない。身近にいるみゆき達は普段の彼女の行動から彼女の気配りや心がけを理解できるでしょうが、一般人からはそう映りません。つまり今回の話しは一種のディスコミュニケーション、伝えたいことがあってもそれを上手く伝えられない、伝えるべき言葉が出てこないというれいかの問題点にクローズアップしたお話しです。選挙云々は要するに、彼女がちゃんと自分の言葉で言えたか、それが伝わったかどうかの確認です。
優等生で言動に申し分ないんだけど、ちょっと人と距離があるという人はそう希ではないでしょう。ちょっと素行が悪くても人当たりが良く人望が篤いという人も同じように希ではないと思います。人間というのは感情的な動物なので普段の素行が多少良かれ悪かれ、馴染みやすい人に親近感を抱きます。いくられいかが個人として完璧でも、彼女のやり方を一方的に押しつけられても納得はできません。納得感というのは重要で、そうなった背景、理由、気持ちなどがキチンと説明されれば案外通じたりもします。いわゆる腹を割って話そうってやつですね。真面目に学校のことを思っていても、それがどういう風に思っていて、どうしてそうしなければならないのか、みんなに分かるように伝えるということは勉強が出来ることと同じか、時にそれ以上に大切なことです。プリキュアの感想だって一言「面白い」「つまらない」で済ませたってそりゃ面白くもなんともない。どうしてそう思うのか、なにを思ったのか書いてこその感想で、それに対して共感するもしないもそれは読み手の判断です。まずは伝える側が自分の考え、自分の思いを整理・熟考した上で提示しなければならない。
空っぽな自分、自分の道が分からなかったれいかがウルフルン達との対立によって自分の内省が進んだというのは地味ですが重要な点でもあります。前回の感想でも触れたように、人生とは絶望と希望の弁証法なんですね。自分の中には何があるのか、何をしたいのか、それを考えると何もない自分に気づいてしまい凹む。けど、その洞察を経ることによって自分の思いや気持ちに気づきもする。みゆきがジョーカーにボコボコにされたからこそ気づけたように、人生におけるピンチや苦痛というのは大きな糧になり得るものです。そう意識できるかどうかというのも大きいですが。
伝えることは大事なことだと、事実自分の思いが伝わっている相手がいると気づいたれいかのその後の演説はとても力強く、彼女の意思を感じる言葉です。自分の経験に根ざした言葉を紡いでいる。彼女にとって花壇に水をやっていたことが素敵な出会いの始まりでした。自分の気持ちを相手の目線に立って自分の言葉で伝える。それは簡単なようでいて難しい課題でもあります。大人になっても思うね。
さて、そんな感じでれいかの一連の物語は今回で終了かな。残りの話数も少ないですし。受け身で自分から思いを伝えるのが苦手だったれいかが友達の力を借りながら成長する物語。そしてこの物語はスマイル全体にも関連しています。要点としては3つあります。
一つは、優等生であっても意思の疎通が上手くいかないと誰にも理解されないという教訓。これは前作スイートでもお馴染みのディスコミュニケーションを巡る話しですね。私は、スマイルは敵を救済すると思っているのでこうした意思疎通の落とし穴は敵との和解可能性を示唆するものとして捉えています。みゆき達にとって今のウルフルン達は悪者に見えるけど、彼らの全てを知っている訳じゃない。見えてないところに大事なことが隠されているかもしれない。それに気づけるだろうか、という点。
二つ目は、選挙公約の対決のように、堕落した生活が強い誘惑を持つとしても、苦しさや面倒臭いことの中に成長の芽があることの示唆。これは32話を契機に顕著になっている点です。
最後、三つ目。これは映画でもあった要素なんですが、スマイルの人間関係は中心人物が居ません。それぞれが相互に様々な形で関わっていて、誰かの言葉に力付けられたり勇気を貰ったりする中で成長していくビジョンを描いています。今回れいかはみゆき達から学びましたが、前回はあかねが力を貸して貰いました。スマイルは後半から自分で考えて自分で行動するという自主性が求められています。れいかの話しもその文脈にあります。しかしそれは独力でなされるべきものだとはされていません。むしろ逆に積極的に他者と関わる中で自分の思い、個性、意思を強めていけるという提示がされています。他者と適度な距離を保ちながら相互に関連しあって支え合っていくというスタンス。
プリキュアの物語は「ふたりは~」から始まっているように他者との関係性が最大のテーマとなっている作品です。相手と近すぎれば依存が、離れすぎれば独善や無関係の懸念が浮き出てしまう。この舵取りはどの作品でも付かず離れず繊細に行われています。スマイルは特にその舵取りに気を遣っている印象を受けます。24話のトピックでちょろっと書きましたが、スマイルの人間関係は個人ベースになっています。友達関係は維持しつつも、それに頼りっきりにならないように自主性を重んじている。それが今回のお話しのように、みゆき達のれいかに対する正当・公正な態度に現れています。友達という関係が初期には彼女達の心や連帯感を強めましたが、成長した彼女達はそれぞれに正しいと思う判断で行動できるようになりつつあります。
①生徒会長選挙
学校の庭を清掃、花壇へ水やり。朝はあいさつ運動。完璧超人を地でいくれいか。
みゆき達が登校します。れいかを労うと挨拶をすれば一日を明るく始められると模範解答が返ってきます。れいかちゃんに挨拶されると元気がでるとやよいは頷きます。ですよねー。
そんなれいかを見てなおはれいかしかいないと言います。頷く3人。なんの話しか見えません。生徒会長選挙が近く行われるようです。ところがれいかは「立候補はしません」。
映画宣伝仕様OPその2。絵本体験編。順調に公式ネタバレが進んでいます。ちなみに、黒いでっかい人はハートキャッチオーケストラさんじゃありません。
自分は生徒会長に相応しくないと話すれいか。生徒達に道を示すのが生徒会長。ところが自分には示すべき道が分からないと言います。この話しは16話と地続きです。彼女は模範的で優秀でなんでもそつなくこなせる優等生ではありますが、自発性に乏しいところがあります。マニュアルや模範があればそれをキチンとこなせるけど、自分が模範となるには彼女自身自信が持てないでいる。でも他に誰がやるのかと言うあかね達。しかしれいかの心は動きません。身の丈をわきまえているという点では潔い判断だと思います。現状維持とも言えますが。
バッドエンド王国。相変わらずテレビを見る三人。彼らが見ているのは学園もの。えらく独善的な生徒会長が映っています。ヘリをチャーターする生徒会長ってどこの世界の人だよ。自分達も生徒会長になったら好き勝手やれると思い込む3人。間違った情報を真に受けちゃったよ。ほんとこの人達テレビっ子だな。今回はニンゲンニナ~ルを使います。
②空虚な言葉
時代錯誤も甚だしい格好で登校する3人。不審者もいいところですが、みんな関わると面倒くさいのか距離を置いて静観。転校生ということらしい。来て早々生徒会長に立候補。れいかは学校のことを考えられるなら転校生でも構わないと考えます。
早速、ウルフ・ルンタローは公約を発表します。宿題をなくす。いや、そんな権限生徒会長にないだろ。一瞬呆然とする生徒達ですが、拍手や声援が起こります。
甘いという声。マジョウ・リナが外灯の上に立って公約を発表します。授業中にお菓子を食べていいことにする。これは女子生徒達の心を掴みます。
ぬるいという声。アカイ・オニキチは屋根の上に立って公約を発表します。どんだけお前ら高いところが好きなんだよ。なんだ、生徒会長は高さも競うのか。学校に漫画やゲームを持ってきてもいいことにする。もう学校に来なくていいんじゃね? 家で通信教育受けろよ。男女問わず支持を集めます。
常識的に考えろよ…状態ですがみゆきとやよいはゲームと漫画の言葉に関心を持ちます。ダメだこいつら。
「お待ちなさい。生徒会長だからといってそのような勝手は許されません!」
毅然と異議を唱えるれいか。彼女を囲むようにアカオーニとマジョリーナが降りてきます。ウルフルンもガンつけてきます。3人に囲まれていても一歩も譲らないれいか。生徒会長に相応しくないと言い切ります。この子も相当だな。なお以上に一本気かもしれない。れいかは自分も生徒会長に立候補すると言います。売り言葉に買い言葉な感じ。これは危うい。
「私が正しい道に導きます!」
結果的にはみゆき達にとって本命であるれいかが立候補してくれたので、みんなで彼女をバックアップ。告知ポスターを作って選挙に挑みます。
翌朝から選挙運動が始まります。クラスの子も頑張ってとれいかに声をかけます。
すかさずウルフルンが生徒会長になって何をするのかと訊きます。良い問いかけです。案の定れいかはきょとんとした表情を浮かべながら「これまでの我が校の伝統を受け継ぎ健全な中学校を目指します」と言います。紋切り型の何かのマニュアルにでも書いてあるかのような言葉。それじゃ分からない。具体的に言えとウルフルンはつっかかります。彼の施策は明快、宿題廃止。ビラがまかれます。それに喝采をあげる生徒達。
みなさんのためにならないと声をあげるれいか。しかし生徒達の反応は冷ややか。アカオーニが加わって再び生徒達から歓喜の声があがります。マジョリーナも同様。
漫画もゲームもお菓子もいけないと言うれいかに冷たい視線が注がれます。生徒達の心を掴んでいるのは誰かハッキリしています。
「結局てめーは自分の意見がねーんだよ」
「他人の文句を言っているだけだ」
言い返そうとしたれいかをなおが止めます。生徒達の方に目配せすると、果たして生徒達はれいかに興味を持つことなく去っていきます。クラスの子達にも見放される始末。
やっていることはめちゃくちゃだが彼らには勢いがある。これは実際の政治選挙でもありうることだけど、一般大衆は「分かりやすい」「勢いがある」人を選びやすい。紋切り型、現実的(納税者に負担がかかる)施策を好みません。言っちゃなんだけど、一般大衆はバカだと思った方がいい。私達は必要な情報を知らないし、精査する技術もその知識も関心もない。マスコミの宣伝を普段小馬鹿にしつつもそれを元手に判断するしかない程度の人々です。だから勢いがある人、リーダーシップをとってくれそうな人、今の状況を変えてくれそうな人を求めやすい。そういう人が目につきやすいし分かりやすいから。今回のお話しのポイントは大衆迎合路線VS真面目路線という話しではなく、れいか自身のスタンスが問われています。ウルフルンが指摘しているようにれいかは自分の考えがないままに発言していることが傍から見てもバレてしまっている。自分の意見、方向性が無いくせに人に文句を言っているような人に誰もついてこない。底が知れているからです。彼女の言葉には人の心を引きつける力が無い。またそれを彼女自身自覚している。
屋上。れいかはウルフの指摘が的を射ていることを認めます。自分に生徒会長は無理なのではないか。やよいは生徒達が喜ぶことを考えてみては?とアドバイスします。放課後弓道の練習。的を外します。単なる人気取りでは正しい道にはならない。人に支持される正しい道とはなんなのか。夜を徹して本を読むれいか。
体育館で生徒会長立候補者による演説が行われます。立候補者はれいかを除いて三幹部のみ。どんだけこの学校人材少ないんだよ。ここまでくると先生達の指導力に疑問を感じるわ。ところで進行役の会計寺田さんって可愛いよね。隠れファン多そう。
先陣を切るのはウルフ。アカオーニ、マジョリーナが続きます。体育館には歓声がわき上がります。
演壇に立つれいかの瞳には力が宿っています。どうやら自分なりの方向性が定まったようです。
清く明るく美しい学校にしたい。清くとは校内清掃、明るくは挨拶、美しいは花壇のお手入れ。ウルフがマイクを奪って掃除なんてやってられるかと言い放ちます。自分が目指す学校には掃除も勉強もいらないと言います。もう学校がいらないんじゃないですかね?
生徒達から拍手が起こります。ウルフに反論するれいか。なら生徒に訊いてみよう。勉強も掃除もしたくない奴は拍手。大歓声の反応。私と一緒に学校の清掃をしていただける人は拍手。私は全力で拍手します。これで好感度アップ間違いなし! ところがこの学校にはそんなゲーム脳はいないらしく、拍手するのはみゆき達だけ。結果は明白。現実を目の当たりにして愕然とするれいか。彼女は自分が正しい道を信じてそれを提示すれば自ずと結果がついてくると思っていたのでしょうが、残念ながら世の中甘くない。
プリキュアかっこ悪いと言うアカオーニ。マイクのコードに引っかかってマジョリーナと共に正体がバレてしまいます。すぐに撤退。ウルフルンはバッドエナジーを回収。カウント11。体育館の窓を破ってダイナミック退場。変身。
投票箱に憑依して戦闘開始。あっと言う間にハッピー達を撃退。ビューティだけが残されます。
正しい道、というビューティにウルフルンは誰にも支持されないで何が正しい道だと言い返します。てめーの言うことは全部自己満足で押しつけがましい。クソ真面目で面白くないと追撃。何も言い返せないビューティ。全否定レベル。とことん凹ませる気のようです。
そんなことない!と全力でビューティを擁護するハッピー。自分は勉強も掃除も好きじゃないと言います。でもれいかちゃんはその大切さを教えてくれると言います。ちょっと面倒だなと目を背けることに向き合える勇気をくれるとピースも続きます。サニーも言います。何故れいかを応援するのか。
「友達だからだろ? くっだらねぇ馴れ合いじゃねぇか」
「ちゃう! れいかは学校のみんなのことを一番に考えているからや!」
なるほどここで一歩抜け出すわけだ。友達だから許せる、友達だから楽しくやろう。今まではそれでもOKだった。しかし自分の行動に責任を持つというのならそんな甘えは許されなくなる。一個人として、公正な判断で見た場合でもその行動が正しいと言えるのか。間違っているなら正さねばならない。自分で考えて自分で責任を請け負う以上、身内贔屓から脱却していかなければならない。良い覚悟です。
しかしウルフルンの反論はまだ健在。他の生徒はそう思っていない。ハッピーは言います。確かに今は分かって貰えないし、れいかちゃんの気持ちがどうやったら分かって貰えるのかも分からない。彼女は泣きながら言葉を続けます。きっとみんなにも分かって貰える、だって自分達にはちゃんと届いているのだから。
③れいかの道
ビューティは立ち上がります。
「みなさんありがとうございます。みなさんのおかげで気持ちを伝えるということの意味が分かりました。自分の思いが生徒みなさんの心に届くまで伝え続けます! それが私の道です!」
処刑用BGMが流れて始めます。パターン入った。ビューティがアカンベェの動きを止めていつもどおり浄化。カウント6。デコルも半分埋まりました。
戦いはまだ終わっていません。選挙で勝負を決めます。「って帰らんの!?」。白黒付けないとね。
仕切り直して演説を再開。突然立候補者が2人消えたりとか色々あると思うんですが、そこはスルーすべきなのでしょう。順応力高ぇなこの学校。
「私が目指すのは清く明るく美しい学校です」
先ほどと出だしは変わりません。ウルフルンの自信は揺るぎません。
「みなさんは掃除や挨拶などが好きではないかもしれません。中には苦手な方がいるかもしれません。でも、勇気を出して挨拶をはじめてみませんか? 一言声をかけるだけで明るい気持ちになれますし、たくさんの人と仲良くなれます。そして、校内の清掃をしましょう。綺麗な学校は気持ちが良いです。お掃除をすると心が晴れやかになるんです。それから花壇のお花を育てたいと思います。元気が無いときや何か上手くいかないときお花は心を癒してくれるんです。そうすればきっと…素敵な友達にも巡り会えると思うんです」
いつの間にか彼女の表情はほぐれ自然に優しい笑みがこぼれます。
「私はこの学校でみなさんと過ごす時間を豊かなものにしたいんです。ときに厳しいことや大変なこともあるかもしれません。ですが、みんなで声を掛け合い、明るく元気に頑張っていればとっても楽しい学校生活になると思うんです。私はそんな学校にしたいと思っています。私の考え方は少し真面目で退屈かもしれません。でも、それが、私の大切だと思うことです。どうかみなさん、力を貸してください。よろしくおねがいします」
中の人すげぇ。脱帽したわ。
場内はシーンと静まりかえっています。しかし一人の生徒が拍手し、みんなも拍手を始めます。その様子にれいかはしばし心を奪われます。
勝敗は決しました。いや、そもそもこれは勝負というものではないのですが。
選挙結果は青木れいか。ウルフルンは撤退。
「れいかちゃん! おめでとう!」
「ありがとうございます!」
④次回予告
映画並の作画クオリティだったら鼻血出し過ぎて死んでいた。
○トピック
れいかさんが言葉責めにされる回。決してれいかさんは生徒達を買収したわけじゃありません。単にあの学校の生徒達が人の意見に流されやすいだけです。
プリキュアらしいストレートなお話し。
今回の主要なポイントはれいかの文脈である自主性を巡るお話しの続きです。16話で自分は空っぽなのではないかと空虚感を抱いていた彼女のその後の物語。
戦闘前までのれいかは自分の言葉で話していません。言っていることは立派ですが模範的で個性が無い。具体的な中身を語らせれば掃除、挨拶、花壇の手入れと地味で面倒なことばかり。勿論これには彼女なりの考えや理想があって言っているのですが、ちゃんと伝わっていない。身近にいるみゆき達は普段の彼女の行動から彼女の気配りや心がけを理解できるでしょうが、一般人からはそう映りません。つまり今回の話しは一種のディスコミュニケーション、伝えたいことがあってもそれを上手く伝えられない、伝えるべき言葉が出てこないというれいかの問題点にクローズアップしたお話しです。選挙云々は要するに、彼女がちゃんと自分の言葉で言えたか、それが伝わったかどうかの確認です。
優等生で言動に申し分ないんだけど、ちょっと人と距離があるという人はそう希ではないでしょう。ちょっと素行が悪くても人当たりが良く人望が篤いという人も同じように希ではないと思います。人間というのは感情的な動物なので普段の素行が多少良かれ悪かれ、馴染みやすい人に親近感を抱きます。いくられいかが個人として完璧でも、彼女のやり方を一方的に押しつけられても納得はできません。納得感というのは重要で、そうなった背景、理由、気持ちなどがキチンと説明されれば案外通じたりもします。いわゆる腹を割って話そうってやつですね。真面目に学校のことを思っていても、それがどういう風に思っていて、どうしてそうしなければならないのか、みんなに分かるように伝えるということは勉強が出来ることと同じか、時にそれ以上に大切なことです。プリキュアの感想だって一言「面白い」「つまらない」で済ませたってそりゃ面白くもなんともない。どうしてそう思うのか、なにを思ったのか書いてこその感想で、それに対して共感するもしないもそれは読み手の判断です。まずは伝える側が自分の考え、自分の思いを整理・熟考した上で提示しなければならない。
空っぽな自分、自分の道が分からなかったれいかがウルフルン達との対立によって自分の内省が進んだというのは地味ですが重要な点でもあります。前回の感想でも触れたように、人生とは絶望と希望の弁証法なんですね。自分の中には何があるのか、何をしたいのか、それを考えると何もない自分に気づいてしまい凹む。けど、その洞察を経ることによって自分の思いや気持ちに気づきもする。みゆきがジョーカーにボコボコにされたからこそ気づけたように、人生におけるピンチや苦痛というのは大きな糧になり得るものです。そう意識できるかどうかというのも大きいですが。
伝えることは大事なことだと、事実自分の思いが伝わっている相手がいると気づいたれいかのその後の演説はとても力強く、彼女の意思を感じる言葉です。自分の経験に根ざした言葉を紡いでいる。彼女にとって花壇に水をやっていたことが素敵な出会いの始まりでした。自分の気持ちを相手の目線に立って自分の言葉で伝える。それは簡単なようでいて難しい課題でもあります。大人になっても思うね。
さて、そんな感じでれいかの一連の物語は今回で終了かな。残りの話数も少ないですし。受け身で自分から思いを伝えるのが苦手だったれいかが友達の力を借りながら成長する物語。そしてこの物語はスマイル全体にも関連しています。要点としては3つあります。
一つは、優等生であっても意思の疎通が上手くいかないと誰にも理解されないという教訓。これは前作スイートでもお馴染みのディスコミュニケーションを巡る話しですね。私は、スマイルは敵を救済すると思っているのでこうした意思疎通の落とし穴は敵との和解可能性を示唆するものとして捉えています。みゆき達にとって今のウルフルン達は悪者に見えるけど、彼らの全てを知っている訳じゃない。見えてないところに大事なことが隠されているかもしれない。それに気づけるだろうか、という点。
二つ目は、選挙公約の対決のように、堕落した生活が強い誘惑を持つとしても、苦しさや面倒臭いことの中に成長の芽があることの示唆。これは32話を契機に顕著になっている点です。
最後、三つ目。これは映画でもあった要素なんですが、スマイルの人間関係は中心人物が居ません。それぞれが相互に様々な形で関わっていて、誰かの言葉に力付けられたり勇気を貰ったりする中で成長していくビジョンを描いています。今回れいかはみゆき達から学びましたが、前回はあかねが力を貸して貰いました。スマイルは後半から自分で考えて自分で行動するという自主性が求められています。れいかの話しもその文脈にあります。しかしそれは独力でなされるべきものだとはされていません。むしろ逆に積極的に他者と関わる中で自分の思い、個性、意思を強めていけるという提示がされています。他者と適度な距離を保ちながら相互に関連しあって支え合っていくというスタンス。
プリキュアの物語は「ふたりは~」から始まっているように他者との関係性が最大のテーマとなっている作品です。相手と近すぎれば依存が、離れすぎれば独善や無関係の懸念が浮き出てしまう。この舵取りはどの作品でも付かず離れず繊細に行われています。スマイルは特にその舵取りに気を遣っている印象を受けます。24話のトピックでちょろっと書きましたが、スマイルの人間関係は個人ベースになっています。友達関係は維持しつつも、それに頼りっきりにならないように自主性を重んじている。それが今回のお話しのように、みゆき達のれいかに対する正当・公正な態度に現れています。友達という関係が初期には彼女達の心や連帯感を強めましたが、成長した彼女達はそれぞれに正しいと思う判断で行動できるようになりつつあります。
第36話「熱血!?あかねの初恋人生!?」
○今週の出来事
①出会いから始まる物語
学校の帰り道。あかねはバレーのフォームを練習しながら歩いているとバランスを崩して土手を転げ落ちてしまいます。人に見られているとちょっとかっこ悪いアクシデント。通りかかった外国人が手を貸してくれます。相手に気づいたあかねは驚いて手を離します。怪我ないですか?と流暢な日本語で声をかけてきます。平気と応えながら相手の「大丈夫」とかかれたTシャツに目が行くあかね。外国人はそのままスタスタと去っていきます。如何にも外国人っぽいスマートさ。
あかねは相手と握った手のひらを見つめます。ちょっと不器用な出会い。3週間の物語の始まり。
映画宣伝仕様OP。時は来た。テンションが上がります。映画観る直前のドキドキ感。親子連れの中で味わう微妙な後ろめたさ感と期待感が入り交じった不思議な感覚を味わうのはプリキュア映画だけ!
ゲストヒロイン、ニコちゃん登場編。この子はどういう役回りになるんだろう。一番気にかかるのは衣装が黒いこと。子ども向けアニメの黒は敵方のカラー。私の予想が正しければ、予想を裏切ってくれるはずだ。
翌日。教室に入ってくる例の外国人。彼を見てあかねは「大丈夫!」と思わず立ち上がります。
彼の名前はブライアン。黒板にはブライマソと書かれています。ンとソとリは見分けづらいだろうなぁ。留学生だそうで3週間滞在するそうです。ってことは同級生かな。外国人は年かさに見えるんで大人っぽい。
先生はブライアンと面識があるあかねに学校の案内を頼みます。
放課後。みゆきはやよいとロボッターのDVDを見る約束をしたということで離脱。布教活動が成功したようです。なおとれいかも部活で離脱。そういうわけで一人残されるあかね。
ブライアンがやってきてまず名前を尋ねます。あかねは英語が出来ないと尻込みしますが、彼は日本語がペラペラなので問題なさそうです。「あかね、よろしく」と握手を求めます。紳士的。
学校の施設を紹介して回ります。英語がダメなあかねは果たして伝わっているのかと疑問を頂きます。前方不注意になっているとブライアンに呼び止められます。レディファースト。彼の紳士的な態度にあかねの調子は狂いっぱなし。彼女の性格から言って、男女とも分け隔てなく接していそうです。ということは性差の意識は普段感じることは少ないだろうし、バレー部に属している彼女が体力面で劣るということもないでしょう。今回彼女はブライアンに気を遣って貰ったり、女性として扱って貰っていることでその性差感が意識されているのだろうと思います。まあ、単純にブライアンが良い人ってのが大きいんですが。
あかねはブライアンに好きなモノは何かと尋ねます。チャンバラ、着物、侍、と答えるブライアン。いつの時代やねんとツッコミを入れるあかね。時代錯誤も甚だしい彼にあかねは正しい日本を教えねば!と義務感を抱きます。彼の案内役があかねで良かった。これがやよいだったら間違った日本観がさらに増長されていたでしょう。
剣道、茶道、弓道と部活を見て回ります。夕暮れ。ブライアンはバレーボールを見つけます。ブライアンとキャッチボール。ブライアンはバレーボールの発音をあかねに教えます。彼なりのお礼なのでしょう。親近感を抱いたあかねは明日バレー部を見に来ないかと誘います。青春だねぇ。
不思議図書館。あれから数日経ったようで、あかねはブライアンがバレー部に馴染んで一緒に練習しているとみゆき達に話します。すっかりお世話役になったと感想を言うなお。言葉の方も問題ないようです。あれだけ日本語上手ければ問題ない。実際手振り身振りでも結構伝わるしね。
あかねはやよいがジーっと自分を見ていることに気づきます。最近ブライアンの話ししかしない、と言うやよい。言われてもピンとこないあかね。意識してないようです。もしかして…ブライアンのこと好きなの?と単刀直入に尋ねるやよい。その言葉の意味を飲み込むまでに一瞬間があった後、例によって質問攻めタイム。
部屋の隅に追いやられ逃げ場を失うあかね。4人の反応面白ぇ。みゆきとやよいは大体同じ。れいかは逆に怖い。恋に興味があるというより、人間観察的な表情になってるぞ。やよいはこの手の話しに興味があるのか、漫画の影響なのか積極的ですな。なおも人並みと言ったところか。
みゆきに問われて、意識するあかね。その反応を見て盛り上がる4人。あー、これは玩具決定。あかねをダシに盛り上がろう的な。「恋だよ!それは恋だよ!」と断言するやよい。みゆきとなおも頷きます。だかられいかさん怖いって。そんなんじゃないと否定しようとするあかねに「あかねさんったら」としれっとした顔で言うれいか。さすが外道。話しはどんどん加速して告白ということに。
②長くて短い3週間
みゆき案。名付けてシンデレラ作戦。靴を拾って貰って幸せになろう。ブライアンが来たので上履きを投げ捨てます。ブライアンは上履きを拾ってあかねに渡すとそのまま教室へと入っていきます。特に進展なし。
なお案。ストレートに告白しよう作戦。なおが見本を見せるとあかねに対して告白をロールプレイ。なんか迫っているように見えます。これはあれか、百合的なあれか。「すっ、すっ……言えるかーー!!」。計画倒れ。いやー、盛り上がってるなー4人だけは。
やよい案。イラストで伝えよう作戦。漫画に描いて見本を見せます。よく分からん伝達手段だな。やよいの漫画に感心した様子の3人。れいかは漫画とか読むんだろうか。あかねの残念なイラストに「ねぇ、あかねちゃん…」と声をかけるやよい。匙投げやがった。
れいか案。ラブレター作戦。「あかねさんの思いの丈を白い紙にしたためましょう」。れいかさんの笑顔が怖い。
とっぷりと日は暮れて、一日の終わり。色々と疲れるあかね。商店街を見回しているブライアンを見つけます。やよい達の言葉を連想するもすぐに頭からはらうと彼に声をかけます。日本食のお店を探していると言います。渡りに船。
自前のお好み焼きを振る舞います。これはブライアンもお気に入り。常連客から彼氏とからかわれます。ごちそうさま、と店を出る客にあかねが「おおきに」と答えるとブライアンが質問します。関西弁でありがとうという意味だと教えます。お互いに相手の言葉を使って言葉を交換します。ブライアンはもっとこの国のこと、言葉を教えて欲しいと素直に尋ねます。まかしとき!と引き受けるあかね。
その日以降、あかねとブライアンはますます仲良くなります。なおの家に遊びに行ったり、弓道したり、やよいの被写体になったり、絵本を読んだり、あかねのバレーを見学したり。みゆき達と一緒に居ることも多いですが、ふたりでご飯食べたり、動物園や水族館に行ったり、浜辺でかけっこしたり。青春します。「青春」と一言で片付けると身も蓋もないですが、この時期に色々な経験をするのは人生の良い肥やしになります。過去の体験、出会った人との想い出は大人になってから様々に引き出すことが出来る。その時は辛かった想い出も大人になれば良かったとも思えるし、楽しかった時間を懐かしむことも出来る。私のように特になんのイベントも記憶も残ってないと引き出しが空っぽで残念なことになります。もっとも、これはこれで洞察を深めるインセンティブが働きますし、もとより私のキャパシティで多くの対人関係を結ぶことは望ましいことではありません。分相応が一番良い。足りないと感じれば補充すれば良いし、過剰なら控えればいい。その機会はいくらでもある。
美しい夕日。この街で一番綺麗な場所だと教えます。日本に来て良かったと答えるブライアン。しかし、その時間も終わり。あっという間の3週間でした。彼との別れを予感し気を落とすあかね。ブライアンは彼女の気持ちを知ってか知らずか、普段と変わりない雰囲気で「また明日」と別れます。
楽しい時間にも終わりの時が来る。
メロドラマを見たウルフルンは「愛? くっだらねぇ」と言葉を漏らします。そうだね、誰からも忌み嫌われ殺される狼にとって、その言葉は意味も形も成さない
③あなたの意志が人生を豊かにする
ブライアンの留学生活も終わり。校門でクラスが見送ります。級友達の顔ぶれを見回すブライアン。一人姿が見えません。みゆきもそのことに気づきます。あかねは校門の裏に隠れています。独りその場を離れます。。
4人で下校。あかねは空港まで見送りに行ったのだろうと思い込むなお達。この様子だとあかねが校門を去ってから会っていないのでしょう。みゆきは今日のあかねは変じゃなかったかと言います。
果たしてあかねを見つけます。見送りに行ったんじゃないのかと声をかける4人。あかねはなんのこと?といった素振りで「行かへんよ、そんなん」と言います。一緒に居るのが楽しかった、それだけだと答えるあかね。「だったらそれを」「もうええねん!」。なおの言葉を遮ります。「だって、どうせもう会うこともあらへんやろ」。彼女の中にあるのはある種の諦めだ。現実に対する無力感とも言える。彼は3週間しか滞在しない。それを覆すことはできない。どんなに良い想い出、良い関係を築こうとも別れる。それに対して今更何が出来るというのか、そこで何を伝えようというのか。それは無駄で無意味なことなのではないか。
「本当にそれでいいの?」
「なんていうか、それはたぶん……あかねちゃんらしくないよ」
この子は鋭く、ある意味で厳しい。あかねとて自分のやっていることに100%納得していないはずです。笑顔で見送るのがおそらく一番正しい。しかしそれをするにはあまりに彼に対して情を抱きすぎていて別れを惜しんでしまう、その気持ちを苦しいと思ってしまう。彼になんと言えばいいのか。彼に向き合うことは自分に向き合うことと同じ。そしてそれは苦しさや悲しさと向き合うことと同じだ。どうせ別れるという現実を変えられないのなら、気張って自分からそんな苦しい想いを引き受けなくてもいいのではないか?という言い訳がもたげてくるはずです。このエピソードは32話と同質の問いかけが為されている。どうせ辛い思いをするのなら、やらなくていいんじゃないのかと。
カップルを前にして、ブチ切れるウルフルン。荒んでるなぁ。カウント10。あかねをセンターに変身。
鍵型のペンダントに憑依。カブトムシみたいなシルエットのアカンベェ。
なんだかんだと言ったところで最後は別れちまって終わりなんだろ? ウルフルンの言葉に動揺するサニー。くだらない、無意味で無駄と一蹴されます。
「でも…それが意味がないなんて、そんなの寂しいよ」
本当に悲しそうな顔で言うハッピー。この子はプリキュアの中でも珍しいタイプの主人公だと思う。普通の主人公ならここでハッキリと言い返す。意味がある、無駄なんかじゃないと。彼女に力や意志がないわけじゃない。32話のように孤軍奮闘しながらも自分の意志を持ってハッキリと行動できる力を持っている。だからこの場合、大事なのは、彼女が別れの虚しさ、それまでの行為や想いが無意味になってしまうのだという考えに対して心を痛めていることだ。彼女は行為の中で意味を見つけていく子です。例え徒労に終わっても、その過程に意味があった、その過程から今の状況が生まれたのだと肯定する。その彼女にとって出会い・体験・別れという一連の過程が無意味だったなどと思うのは言葉どおり寂しいことなのでしょう。徒労だけ残ったと言ってしまえば自分自身をも否定することになる。面白い、この子が何故本作の主人公であるのか、少しずつ見えてきた。
「そうや、無意味やない、無駄なはずあるかい!」
再びアカンベェに挑みかかるサニー。が、力負け。そこでデコルを使って竹刀召喚。
無駄じゃなければなんなのか。その問いに答えられないサニー。
「けど! 離ればなれになったとしても一緒に過ごした時間は消えへん!」
竹刀に炎を纏わせます。ただ燃えているだけかもしれませんが。少年バトル漫画ばりのノリで攻勢にでます。鍔迫り合いの末、競り勝ちます。
プリンセスフォームでトドメ。カウント5。
④あなたの行為を誰かが祝福する
戦いが終わるとあかねは駆け出します。
空港行きのバスが目の前で出発してしまいます。なおが走ってきてバスを止めます。しかし生憎と持ち合わせがない。れいかが財布を渡します。今時女子中学生がガマ口て。
一難去ってまた一難。渋滞に巻き込まれます。みゆきとやよいが自転車で追ってきます。みゆきの自転車とやよいが書いた近道の地図を頼りにショートカット。ところが無理な強行軍が祟ったのか、コケてしまい自転車のチェーンが外れてしまいます。みゆき達の役目はここまで。残るはあかね自身の力。
空港を目指してあかねは全力疾走。ほどけかかった髪留めを振り払い、疲れて止まりそうな足を叱咤しながら彼女は走ります。
目の前で飛行機は飛び立ってしまいます。がっくりと膝をつくあかね。泣いていると手が差し出されます。声のした方を向くとあかねは暫し呆然とし、笑顔がこぼれます。「大丈夫」Tシャツ。ブライアンが立っています。お約束ですね。だって彼は紳士ですから。あかねがきっと来ると信じていたと言います。
あかねは何かをいいかけて、言葉がでません。
「おおきに」。ブライアンは想い出を語ります。全部あかねが教えてくれた。彼女の頬の汚れを拭き取りながら、あかねのおかげでこの国が好きになったと答えます。あかねもめっちゃ楽しかったと答えます。
「だからこっちこそセンキュー」
⑤次回予告
「私に投票してくれたら、私のブロマイドをあげます」って言えば間違いなく勝つと思う。
○トピック
出会いと別れを描くエピソード。32話を経ているだけあって物語全体に関わっています。
プリキュアは女児向けなので、恋愛話しをメインにやりません。今回のお話しも友情以上恋愛未満といった感じであかねの歳相応な反応がよく出ています。また、これが恋愛になってしまうと話しの向きがスマイルの物語と離れてしまうでしょうし、話し自体もありきたりなものとして陳腐化してしまうので良いさじ加減。
前半のみゆき達のはしゃぎぶりと後半のガチ助っ人ぶりの対比が面白い。彼女達の悪ノリは善意から出ているので、お節介な反面、躊躇なく全力で助けてくれもする。
前々回あたりからキャラ個別のエピソードを綴る形になっているのは言うまでもないですが、それぞれのエピソードで各自がどのように自分の体験を受け入れているか、進退窮まった状況でどのような選択、受け取り方をしたかというところが話しのポイントだろうと思います。今回の話しも友達が力を貸してくれますが、その前段であかね自身の判断、行動が問われています。みゆきがみんなで笑顔になりたいというのも、やよいがヒーロー好きなのも、あかねが留学生と出会い別れるのも個々の問題、個人の体験として描かれています。要するにオムニバスというか、それぞれの物語。それが友達という関係をとおして連絡されている。またその連なりをとおして、スマイル全体として一つの大きな物語が表現され(ようとし)ています。
話しが一旦逸れますが、最近ヴィクトール・フランクルという方の本を読みました。彼はユダヤ人であったために強制収容所に入れられ、文字どおり生と死の狭間にいた方です。彼は自分の著書の中でこのように述べています。
「生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存をはじめて一つの全体にするのである」
また、以前この感想でも触れた精神科医の平井氏の言葉を用いるなら
「絶望は単なる失望、落胆、憂うつ、あきらめだけでなく、『見通しがきかず、今の瞬間しか見えず、未来に目を閉じていること』であり、待つこと、願うこと、信頼すること、信仰することを失った状態ともいえる。また、「想像力の欠如」でもあり、孤立、孤独、寂しさにも通ずる。
このように絶望とは、まさに人間の極限状態を指す言葉であり、キルケゴールが『(死の内には無限に多くの希望があるが)絶望は死に至る病である』と言ったのもうなずける。
絶望は短所だけではない。不可能なこと(ないものを求める)に対しては絶望したほうがいいのであり、絶望を通して人間は賢く、忍耐強くなれるのであり、真の自分との出会いも可能にする。総じて、人生は絶望と希望の弁証法だと考えてもいい。絶望は、希望と同時に人生の宝なのである」
人間というのは、脆くて弱い生き物ですが、同時に面白い生き物だとも思います。どのような苦悩、苦痛、悲しみを味わおうともその中で生きる意味を求め、必死に生にしがみつこうとする。その過程で、苦難すらも自分の糧にして強さへと変えていける生き物だと思っています。
苦難と死が人間の実存を完成させるために必要なのだ、というのも、絶望もまた宝なのだ、というのもぶっちゃけた話しそう思わなきゃやってらんねーという話しだと思います。もちろん、それが正しい認識であるとしてもね。私が関心を向けるとすれば、そのようなレトリック、言い訳をしてでも、現実に耐えうるバイタリティを獲得できる人間の強さです。人間は過去の出来事を変えることは出来ませんが、その体験の意味を上書きすることが出来る。一つの矛盾、困難に出会いそれを克服し、また出会う困難を再び克服していく。その過程がつまり弁証法的成長ということです。ま、死ぬまで続くんですけどね。人間はその死すらも超克しようとする。
別れてしまうとしてもその中で培った友情や想い出、体験がまさにその時自分の人生を豊かなものにしていること、その後の人生の糧になること、辛い別れを経ることによってその体験がより価値あるものとして意味づけられること、そう信じることで自分の価値を高めていく。あかねは自分の楽しかった想い出とともに別れの辛さも引き受けます。当然それは自分と関わった人の価値を高めることでもある。あかねが自分に向き合うということはブライアンに向き合うということであり、彼の信頼、彼の友情に応えることでもある。つまりあかねは自分の価値、意味を有意的にしたと同時に彼の体験をも有意的にしたと言えます。その逆も然り。こうした双方向性、相補性は人間の根源的な意義を浮き彫りにします。あなたの物語は、誰かの物語とも繋がっている。ま、面倒臭いんですけどね。そのせいで悩んだりするし。
今回のエピソードは日常が辛い、あるいは意味がないのではないか?という問いかけの一つです。この体験を辛い、無意味だ、虚しいと思ってしまうと32話のようになまけ玉の世界に入り込んでしまう。「なまけ玉」という言葉に惑わされてはいけません、これの正体は日々の出来事に意味を見いだせなくなった、自分の経験と行為を肯定できなくなった状態です。
なまけ玉の世界を求めるか否かは各々の意思次第だと言えます。だからこそみゆきは自分で考えて自分で答えを見つけ出さねばなりませんでした。そうしなければ、なまけ玉の誘惑(自分の生は無意味ではないか、苦しみや悩みを引き受けたくない)に屈してしまうからです。日常を肯定するのがプリキュアの理念です。これはシリーズ初期から変わりません。しかしその日常は楽しいことばかりじゃない。辛いことや悩みが同居している。その事実から目を背けず、その苦悩を背負い込みながら日常を肯定する。シリーズの意志を継ぎながらより強固・高次なものへと研鑽しているのがプリキュアの面白いところです。
終盤って感じですね。映画も始まります。物語の終わりは近い。
①出会いから始まる物語
学校の帰り道。あかねはバレーのフォームを練習しながら歩いているとバランスを崩して土手を転げ落ちてしまいます。人に見られているとちょっとかっこ悪いアクシデント。通りかかった外国人が手を貸してくれます。相手に気づいたあかねは驚いて手を離します。怪我ないですか?と流暢な日本語で声をかけてきます。平気と応えながら相手の「大丈夫」とかかれたTシャツに目が行くあかね。外国人はそのままスタスタと去っていきます。如何にも外国人っぽいスマートさ。
あかねは相手と握った手のひらを見つめます。ちょっと不器用な出会い。3週間の物語の始まり。
映画宣伝仕様OP。時は来た。テンションが上がります。映画観る直前のドキドキ感。親子連れの中で味わう微妙な後ろめたさ感と期待感が入り交じった不思議な感覚を味わうのはプリキュア映画だけ!
ゲストヒロイン、ニコちゃん登場編。この子はどういう役回りになるんだろう。一番気にかかるのは衣装が黒いこと。子ども向けアニメの黒は敵方のカラー。私の予想が正しければ、予想を裏切ってくれるはずだ。
翌日。教室に入ってくる例の外国人。彼を見てあかねは「大丈夫!」と思わず立ち上がります。
彼の名前はブライアン。黒板にはブライマソと書かれています。ンとソとリは見分けづらいだろうなぁ。留学生だそうで3週間滞在するそうです。ってことは同級生かな。外国人は年かさに見えるんで大人っぽい。
先生はブライアンと面識があるあかねに学校の案内を頼みます。
放課後。みゆきはやよいとロボッターのDVDを見る約束をしたということで離脱。布教活動が成功したようです。なおとれいかも部活で離脱。そういうわけで一人残されるあかね。
ブライアンがやってきてまず名前を尋ねます。あかねは英語が出来ないと尻込みしますが、彼は日本語がペラペラなので問題なさそうです。「あかね、よろしく」と握手を求めます。紳士的。
学校の施設を紹介して回ります。英語がダメなあかねは果たして伝わっているのかと疑問を頂きます。前方不注意になっているとブライアンに呼び止められます。レディファースト。彼の紳士的な態度にあかねの調子は狂いっぱなし。彼女の性格から言って、男女とも分け隔てなく接していそうです。ということは性差の意識は普段感じることは少ないだろうし、バレー部に属している彼女が体力面で劣るということもないでしょう。今回彼女はブライアンに気を遣って貰ったり、女性として扱って貰っていることでその性差感が意識されているのだろうと思います。まあ、単純にブライアンが良い人ってのが大きいんですが。
あかねはブライアンに好きなモノは何かと尋ねます。チャンバラ、着物、侍、と答えるブライアン。いつの時代やねんとツッコミを入れるあかね。時代錯誤も甚だしい彼にあかねは正しい日本を教えねば!と義務感を抱きます。彼の案内役があかねで良かった。これがやよいだったら間違った日本観がさらに増長されていたでしょう。
剣道、茶道、弓道と部活を見て回ります。夕暮れ。ブライアンはバレーボールを見つけます。ブライアンとキャッチボール。ブライアンはバレーボールの発音をあかねに教えます。彼なりのお礼なのでしょう。親近感を抱いたあかねは明日バレー部を見に来ないかと誘います。青春だねぇ。
不思議図書館。あれから数日経ったようで、あかねはブライアンがバレー部に馴染んで一緒に練習しているとみゆき達に話します。すっかりお世話役になったと感想を言うなお。言葉の方も問題ないようです。あれだけ日本語上手ければ問題ない。実際手振り身振りでも結構伝わるしね。
あかねはやよいがジーっと自分を見ていることに気づきます。最近ブライアンの話ししかしない、と言うやよい。言われてもピンとこないあかね。意識してないようです。もしかして…ブライアンのこと好きなの?と単刀直入に尋ねるやよい。その言葉の意味を飲み込むまでに一瞬間があった後、例によって質問攻めタイム。
部屋の隅に追いやられ逃げ場を失うあかね。4人の反応面白ぇ。みゆきとやよいは大体同じ。れいかは逆に怖い。恋に興味があるというより、人間観察的な表情になってるぞ。やよいはこの手の話しに興味があるのか、漫画の影響なのか積極的ですな。なおも人並みと言ったところか。
みゆきに問われて、意識するあかね。その反応を見て盛り上がる4人。あー、これは玩具決定。あかねをダシに盛り上がろう的な。「恋だよ!それは恋だよ!」と断言するやよい。みゆきとなおも頷きます。だかられいかさん怖いって。そんなんじゃないと否定しようとするあかねに「あかねさんったら」としれっとした顔で言うれいか。さすが外道。話しはどんどん加速して告白ということに。
②長くて短い3週間
みゆき案。名付けてシンデレラ作戦。靴を拾って貰って幸せになろう。ブライアンが来たので上履きを投げ捨てます。ブライアンは上履きを拾ってあかねに渡すとそのまま教室へと入っていきます。特に進展なし。
なお案。ストレートに告白しよう作戦。なおが見本を見せるとあかねに対して告白をロールプレイ。なんか迫っているように見えます。これはあれか、百合的なあれか。「すっ、すっ……言えるかーー!!」。計画倒れ。いやー、盛り上がってるなー4人だけは。
やよい案。イラストで伝えよう作戦。漫画に描いて見本を見せます。よく分からん伝達手段だな。やよいの漫画に感心した様子の3人。れいかは漫画とか読むんだろうか。あかねの残念なイラストに「ねぇ、あかねちゃん…」と声をかけるやよい。匙投げやがった。
れいか案。ラブレター作戦。「あかねさんの思いの丈を白い紙にしたためましょう」。れいかさんの笑顔が怖い。
とっぷりと日は暮れて、一日の終わり。色々と疲れるあかね。商店街を見回しているブライアンを見つけます。やよい達の言葉を連想するもすぐに頭からはらうと彼に声をかけます。日本食のお店を探していると言います。渡りに船。
自前のお好み焼きを振る舞います。これはブライアンもお気に入り。常連客から彼氏とからかわれます。ごちそうさま、と店を出る客にあかねが「おおきに」と答えるとブライアンが質問します。関西弁でありがとうという意味だと教えます。お互いに相手の言葉を使って言葉を交換します。ブライアンはもっとこの国のこと、言葉を教えて欲しいと素直に尋ねます。まかしとき!と引き受けるあかね。
その日以降、あかねとブライアンはますます仲良くなります。なおの家に遊びに行ったり、弓道したり、やよいの被写体になったり、絵本を読んだり、あかねのバレーを見学したり。みゆき達と一緒に居ることも多いですが、ふたりでご飯食べたり、動物園や水族館に行ったり、浜辺でかけっこしたり。青春します。「青春」と一言で片付けると身も蓋もないですが、この時期に色々な経験をするのは人生の良い肥やしになります。過去の体験、出会った人との想い出は大人になってから様々に引き出すことが出来る。その時は辛かった想い出も大人になれば良かったとも思えるし、楽しかった時間を懐かしむことも出来る。私のように特になんのイベントも記憶も残ってないと引き出しが空っぽで残念なことになります。もっとも、これはこれで洞察を深めるインセンティブが働きますし、もとより私のキャパシティで多くの対人関係を結ぶことは望ましいことではありません。分相応が一番良い。足りないと感じれば補充すれば良いし、過剰なら控えればいい。その機会はいくらでもある。
美しい夕日。この街で一番綺麗な場所だと教えます。日本に来て良かったと答えるブライアン。しかし、その時間も終わり。あっという間の3週間でした。彼との別れを予感し気を落とすあかね。ブライアンは彼女の気持ちを知ってか知らずか、普段と変わりない雰囲気で「また明日」と別れます。
楽しい時間にも終わりの時が来る。
メロドラマを見たウルフルンは「愛? くっだらねぇ」と言葉を漏らします。そうだね、誰からも忌み嫌われ殺される狼にとって、その言葉は意味も形も成さない
③あなたの意志が人生を豊かにする
ブライアンの留学生活も終わり。校門でクラスが見送ります。級友達の顔ぶれを見回すブライアン。一人姿が見えません。みゆきもそのことに気づきます。あかねは校門の裏に隠れています。独りその場を離れます。。
4人で下校。あかねは空港まで見送りに行ったのだろうと思い込むなお達。この様子だとあかねが校門を去ってから会っていないのでしょう。みゆきは今日のあかねは変じゃなかったかと言います。
果たしてあかねを見つけます。見送りに行ったんじゃないのかと声をかける4人。あかねはなんのこと?といった素振りで「行かへんよ、そんなん」と言います。一緒に居るのが楽しかった、それだけだと答えるあかね。「だったらそれを」「もうええねん!」。なおの言葉を遮ります。「だって、どうせもう会うこともあらへんやろ」。彼女の中にあるのはある種の諦めだ。現実に対する無力感とも言える。彼は3週間しか滞在しない。それを覆すことはできない。どんなに良い想い出、良い関係を築こうとも別れる。それに対して今更何が出来るというのか、そこで何を伝えようというのか。それは無駄で無意味なことなのではないか。
「本当にそれでいいの?」
「なんていうか、それはたぶん……あかねちゃんらしくないよ」
この子は鋭く、ある意味で厳しい。あかねとて自分のやっていることに100%納得していないはずです。笑顔で見送るのがおそらく一番正しい。しかしそれをするにはあまりに彼に対して情を抱きすぎていて別れを惜しんでしまう、その気持ちを苦しいと思ってしまう。彼になんと言えばいいのか。彼に向き合うことは自分に向き合うことと同じ。そしてそれは苦しさや悲しさと向き合うことと同じだ。どうせ別れるという現実を変えられないのなら、気張って自分からそんな苦しい想いを引き受けなくてもいいのではないか?という言い訳がもたげてくるはずです。このエピソードは32話と同質の問いかけが為されている。どうせ辛い思いをするのなら、やらなくていいんじゃないのかと。
カップルを前にして、ブチ切れるウルフルン。荒んでるなぁ。カウント10。あかねをセンターに変身。
鍵型のペンダントに憑依。カブトムシみたいなシルエットのアカンベェ。
なんだかんだと言ったところで最後は別れちまって終わりなんだろ? ウルフルンの言葉に動揺するサニー。くだらない、無意味で無駄と一蹴されます。
「でも…それが意味がないなんて、そんなの寂しいよ」
本当に悲しそうな顔で言うハッピー。この子はプリキュアの中でも珍しいタイプの主人公だと思う。普通の主人公ならここでハッキリと言い返す。意味がある、無駄なんかじゃないと。彼女に力や意志がないわけじゃない。32話のように孤軍奮闘しながらも自分の意志を持ってハッキリと行動できる力を持っている。だからこの場合、大事なのは、彼女が別れの虚しさ、それまでの行為や想いが無意味になってしまうのだという考えに対して心を痛めていることだ。彼女は行為の中で意味を見つけていく子です。例え徒労に終わっても、その過程に意味があった、その過程から今の状況が生まれたのだと肯定する。その彼女にとって出会い・体験・別れという一連の過程が無意味だったなどと思うのは言葉どおり寂しいことなのでしょう。徒労だけ残ったと言ってしまえば自分自身をも否定することになる。面白い、この子が何故本作の主人公であるのか、少しずつ見えてきた。
「そうや、無意味やない、無駄なはずあるかい!」
再びアカンベェに挑みかかるサニー。が、力負け。そこでデコルを使って竹刀召喚。
無駄じゃなければなんなのか。その問いに答えられないサニー。
「けど! 離ればなれになったとしても一緒に過ごした時間は消えへん!」
竹刀に炎を纏わせます。ただ燃えているだけかもしれませんが。少年バトル漫画ばりのノリで攻勢にでます。鍔迫り合いの末、競り勝ちます。
プリンセスフォームでトドメ。カウント5。
④あなたの行為を誰かが祝福する
戦いが終わるとあかねは駆け出します。
空港行きのバスが目の前で出発してしまいます。なおが走ってきてバスを止めます。しかし生憎と持ち合わせがない。れいかが財布を渡します。今時女子中学生がガマ口て。
一難去ってまた一難。渋滞に巻き込まれます。みゆきとやよいが自転車で追ってきます。みゆきの自転車とやよいが書いた近道の地図を頼りにショートカット。ところが無理な強行軍が祟ったのか、コケてしまい自転車のチェーンが外れてしまいます。みゆき達の役目はここまで。残るはあかね自身の力。
空港を目指してあかねは全力疾走。ほどけかかった髪留めを振り払い、疲れて止まりそうな足を叱咤しながら彼女は走ります。
目の前で飛行機は飛び立ってしまいます。がっくりと膝をつくあかね。泣いていると手が差し出されます。声のした方を向くとあかねは暫し呆然とし、笑顔がこぼれます。「大丈夫」Tシャツ。ブライアンが立っています。お約束ですね。だって彼は紳士ですから。あかねがきっと来ると信じていたと言います。
あかねは何かをいいかけて、言葉がでません。
「おおきに」。ブライアンは想い出を語ります。全部あかねが教えてくれた。彼女の頬の汚れを拭き取りながら、あかねのおかげでこの国が好きになったと答えます。あかねもめっちゃ楽しかったと答えます。
「だからこっちこそセンキュー」
⑤次回予告
「私に投票してくれたら、私のブロマイドをあげます」って言えば間違いなく勝つと思う。
○トピック
出会いと別れを描くエピソード。32話を経ているだけあって物語全体に関わっています。
プリキュアは女児向けなので、恋愛話しをメインにやりません。今回のお話しも友情以上恋愛未満といった感じであかねの歳相応な反応がよく出ています。また、これが恋愛になってしまうと話しの向きがスマイルの物語と離れてしまうでしょうし、話し自体もありきたりなものとして陳腐化してしまうので良いさじ加減。
前半のみゆき達のはしゃぎぶりと後半のガチ助っ人ぶりの対比が面白い。彼女達の悪ノリは善意から出ているので、お節介な反面、躊躇なく全力で助けてくれもする。
前々回あたりからキャラ個別のエピソードを綴る形になっているのは言うまでもないですが、それぞれのエピソードで各自がどのように自分の体験を受け入れているか、進退窮まった状況でどのような選択、受け取り方をしたかというところが話しのポイントだろうと思います。今回の話しも友達が力を貸してくれますが、その前段であかね自身の判断、行動が問われています。みゆきがみんなで笑顔になりたいというのも、やよいがヒーロー好きなのも、あかねが留学生と出会い別れるのも個々の問題、個人の体験として描かれています。要するにオムニバスというか、それぞれの物語。それが友達という関係をとおして連絡されている。またその連なりをとおして、スマイル全体として一つの大きな物語が表現され(ようとし)ています。
話しが一旦逸れますが、最近ヴィクトール・フランクルという方の本を読みました。彼はユダヤ人であったために強制収容所に入れられ、文字どおり生と死の狭間にいた方です。彼は自分の著書の中でこのように述べています。
「生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味をもっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命も死もそうである。苦難と死は人間の実存をはじめて一つの全体にするのである」
また、以前この感想でも触れた精神科医の平井氏の言葉を用いるなら
「絶望は単なる失望、落胆、憂うつ、あきらめだけでなく、『見通しがきかず、今の瞬間しか見えず、未来に目を閉じていること』であり、待つこと、願うこと、信頼すること、信仰することを失った状態ともいえる。また、「想像力の欠如」でもあり、孤立、孤独、寂しさにも通ずる。
このように絶望とは、まさに人間の極限状態を指す言葉であり、キルケゴールが『(死の内には無限に多くの希望があるが)絶望は死に至る病である』と言ったのもうなずける。
絶望は短所だけではない。不可能なこと(ないものを求める)に対しては絶望したほうがいいのであり、絶望を通して人間は賢く、忍耐強くなれるのであり、真の自分との出会いも可能にする。総じて、人生は絶望と希望の弁証法だと考えてもいい。絶望は、希望と同時に人生の宝なのである」
人間というのは、脆くて弱い生き物ですが、同時に面白い生き物だとも思います。どのような苦悩、苦痛、悲しみを味わおうともその中で生きる意味を求め、必死に生にしがみつこうとする。その過程で、苦難すらも自分の糧にして強さへと変えていける生き物だと思っています。
苦難と死が人間の実存を完成させるために必要なのだ、というのも、絶望もまた宝なのだ、というのもぶっちゃけた話しそう思わなきゃやってらんねーという話しだと思います。もちろん、それが正しい認識であるとしてもね。私が関心を向けるとすれば、そのようなレトリック、言い訳をしてでも、現実に耐えうるバイタリティを獲得できる人間の強さです。人間は過去の出来事を変えることは出来ませんが、その体験の意味を上書きすることが出来る。一つの矛盾、困難に出会いそれを克服し、また出会う困難を再び克服していく。その過程がつまり弁証法的成長ということです。ま、死ぬまで続くんですけどね。人間はその死すらも超克しようとする。
別れてしまうとしてもその中で培った友情や想い出、体験がまさにその時自分の人生を豊かなものにしていること、その後の人生の糧になること、辛い別れを経ることによってその体験がより価値あるものとして意味づけられること、そう信じることで自分の価値を高めていく。あかねは自分の楽しかった想い出とともに別れの辛さも引き受けます。当然それは自分と関わった人の価値を高めることでもある。あかねが自分に向き合うということはブライアンに向き合うということであり、彼の信頼、彼の友情に応えることでもある。つまりあかねは自分の価値、意味を有意的にしたと同時に彼の体験をも有意的にしたと言えます。その逆も然り。こうした双方向性、相補性は人間の根源的な意義を浮き彫りにします。あなたの物語は、誰かの物語とも繋がっている。ま、面倒臭いんですけどね。そのせいで悩んだりするし。
今回のエピソードは日常が辛い、あるいは意味がないのではないか?という問いかけの一つです。この体験を辛い、無意味だ、虚しいと思ってしまうと32話のようになまけ玉の世界に入り込んでしまう。「なまけ玉」という言葉に惑わされてはいけません、これの正体は日々の出来事に意味を見いだせなくなった、自分の経験と行為を肯定できなくなった状態です。
なまけ玉の世界を求めるか否かは各々の意思次第だと言えます。だからこそみゆきは自分で考えて自分で答えを見つけ出さねばなりませんでした。そうしなければ、なまけ玉の誘惑(自分の生は無意味ではないか、苦しみや悩みを引き受けたくない)に屈してしまうからです。日常を肯定するのがプリキュアの理念です。これはシリーズ初期から変わりません。しかしその日常は楽しいことばかりじゃない。辛いことや悩みが同居している。その事実から目を背けず、その苦悩を背負い込みながら日常を肯定する。シリーズの意志を継ぎながらより強固・高次なものへと研鑽しているのがプリキュアの面白いところです。
終盤って感じですね。映画も始まります。物語の終わりは近い。
第35話「やよい、地球を守れ!プリキュアがロボニナ~ル!?」
○今週の出来事
①ロボット好き集まれ!
月面。地に膝をつくロボッター。至る所にダメージが蓄積しています。目の前で悠然と佇むワルブッター。
タケルはロボッターに大丈夫かと呼びかけます。ロボッターは地球の人々の笑顔を守るために何度でも立ち上がると熱い答えを返します。心は一つ。人機一体。「あの技で決めるぜ!」「おう!」。立ち上がるロボッター。ワルブッターもマントを脱いで対峙。
「ロボッターエネルギーフルパワー!」
「ウルトラロボッターパーンチ!!」
見事ワルブッターを撃破。
鉄人戦士ロボッターDX新発売。今なら特典としてタケルフィギュア付き。メーカー小売り価格9,980円。
電気屋のテレビに瞳をキラキラさせて見入るやよい。
なんていうか、うん、迷った。この出だしをどう書き始めるか迷った。ツッコミどころしかない。チャンネル間違えたとか、玩具CMのリアル感(玩具のチープ感)とか、価格設定が高いとか、メーカーロゴがバンダイとそっくりだとか、スポンサーへの当てつけかとか、色々言いたいことがあるので、今全部言った。ちなみに今回の原画に大張さんが参加しています。ロボット系アニメに詳しい人なら知っている方も多いでしょう。私の感覚だと勇者シリーズとかで描いてた人ですね。ロボッターもそんなデザインですし。さらに小ネタですが、原画的にはロボッターのマスクの下にちゃんと口あったみたいです(本人ツイッターで原画が出てました)。まんま勇者ロボじゃねーかよ。どんだけ今回ネタと人材詰め込んでんだ。
「ね?」
「え、何が?」
やよいは明日新しい玩具が発売する、格好いいよね~とウキウキしています。対象年齢3歳以上とか書かれてそうなので、まあ、対象内ではあるだろうね。
弟が見てるけど本人は知らないなお。ロボットの何がおもろい?なあかね。はじめて見たれいか。みゆきとキャンディは興味あるらしく反応が良い。
「明日ロボッターDXを買いに行くから、一緒に行こう。色々教えてあげる」
ごめん、ちょっと何言ってるか分からないです。こんだけ自分に素直になれる人ってある意味羨ましい。
やよいのテンションについて行けるのはみゆきとキャンディだけ。玩具屋に行くの久しぶりと喜んでいます。たまに玩具屋に行くと色々売ってて面白いよね。他3名の置いてきぼり感がなんとも。
「ロボット?」
「そう、ロボット!」
この番組は女児向け変身ヒロインアニメです。
そろそろ来週あたりからOPが映画宣伝仕様になるかな。
バッドエンド王国。ウルフルンとアカオーニはワルブッターの玩具で遊んでいます。こっちではワルブッターが人気らしく、ワルブッターを独り占めするウルフルンにアカオーニは駄々をこねます。ロボッターでロケットパンチ。この玩具はDX版ではないのかな。ウルフルンは銃を取り出してワルブッタービーム。音と光が出ます。アカオーニもノリノリでそれに応えます。お前ら楽しそうだな。やよいがロボッター担当したらこの遊び完璧になりそう。なにげに人間界の文化の影響受けまくってるよね、この人達。
尻尾振って上機嫌なウルフルン。負けた~と言いながらも楽しそうなアカオーニ。そのふたりを横目にマジョリーナは呆れます。この人もロボットに興味ありません。「合体! ガシーン! ワルブッターアターック!」「わー流石ワルブッター!つえーオニ!」。このテンション、やべぇ。
マジョリーナは思いつくと玩具を取り上げて自分の部屋の竈に投げ込みます。愕然とうなだれるウルフルンとアカオーニ。それを尻目にマジョリーナはこれでプリキュアを倒せると自信をみなぎらせます。その前に後ろで倒れてるふたりをなんとかした方がいいんじゃないですかね?
②いつからプリキュアが変身ヒロインアニメだと錯覚していた?
翌日。玩具屋に行列が出来てます。みんなの目当ては勿論ロボッターDX。凄い人気です。
やよいのテンションは朝からクライマックス。発売日が待ち遠しかったと言います。この日のためにお小遣い貯めていたのでしょう。この子の押し入れがどうなっているのか見てみたい。
並んでいる間にロボッターのことじっくり教えてあげると言います。オタクは自分の好きなことを熱弁する傾向があるので、まんまですね。あかねとなおはご遠慮願いたいオーラ。家族連れの中に居ること自体辛いと思っているかもしれません。「スーパーテレビまんがシリーズ 鉄人戦士ロボッター大図鑑」を取り出してみせるやよい。うわーありそう。っていうかあるよねこういうの。ナンバーが841って芸が細かい。やよいは嬉々として差し出します。すぐに身を引くあかね。地味にリアルな動き。れいかが受け取ります。これが後々彼女達のピンチを救うことになるとはこの時誰も思わなかった。
「これを読めばロボッターのことが全部わかるんだよ!」
「ふーん」
終始あかねとなおのテンションが低くて笑える。
「オラオラどけどけー!」
「今日発売のワルブッターの玩具はどこオニ?」
色々酷い。まだ放送開始6分(OP、CM込み)なのにこのネタの飽和攻撃。
みゆき達と遭遇。
「さてはお前らもワルブッターのファンだな?」
……。何が何だかわからない。
「なんでやねん、ちゃうわ!」
「そうだよ、ロボッターのファンだよ!」
ダメだこいつら早くなんとかしないと。周囲の人達の視線が痛い。
マジョリーナがやってきてプリキュアを探せとアカオーニ達に言います。ここに居ると言われてようやく気づきます。ウルフルンがバッドエナジー回収。カウント9。
「大変、街の平和が!」
間違ってないけど、何か間違ってるぞこの子。
今日こそお前達の最後だ。そのセリフをワルブッターのセリフと重ねたやよいは「そうはさせない!地球の人々の笑顔を守るために私達は何度でも立ち上がる!」とロボッターのセリフで応えます。「え?」ついて行けてない4人。
「みんな!行くよ!」
やよいが音頭を取って変身。まさかのセンター。変身ヒロインなのにロボットアニメをロールプレイ。さすがやよい! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる!あこがれるゥ! ネタにはネタで対抗するしかねぇ。
マジョリーナは銃を取り出して構えます。ロボニナ~ル。この光線を浴びると巨大ロボットになるそうです。銃をウルフルン達に向けます。身内に使ってプリキュアを攻撃するという用法らしい。ところがアカオーニがくしゃみをした拍子にマジョリーナは尻餅をついてしまい、ハッピーが光線を浴びてしまいます。真ん中に居たので逃げるタイミングを逸したようです。「やーらーれたー」。この子もたいがいノリが良い。
ところが何とも…ないわけが無かった。巨大化するとロボットに。敵味方共に唖然とします。チャキーン。ハッピーロボの出来上がり。バケツをひっくり返したような頭の造形。昭和かよ。マジョリーナさん、センス古いです。
どん引きなサニーとマーチ。ピースは言うまでもなく喜んでいます。ビューティさんは興味深そうに見ています。結局最初から最後までノリについて行けなかったサニーとマーチが戦力外だったことを考えると、ビューティの柔軟さが光る。
「これは予想外の展開です」
本当に予想より斜め上だよ。
マジョリーナの道具が使えるのは一回きり。しかし手はある。ハイパーアカンベェ。ウルフルンとアカオーニは競うようにしてワルブッターに憑依。ロボニナ~ル作らなくてもよかったんじゃね?
ハッピーロボに対抗して、悪役ロボット参戦。益々カオスな展開に。ウキウキするピースと対照的にサニーとマーチはイミフ状態。ビューティの真顔ぶりが面白い。
アカンベェの中は操縦席になっています。ウルフルンとアカオーニは主導権を争ってハッピーロボへと挑みかかります。その姿に大喜びのピース。敵のかっこよさはひいては主役のかっこよさを引き立てます。サニー&マーチ「シーン」。とりあえずお前ら仕事しろ。
ハッピーロボに声援を送ります。が、動かない。ロボだけに操縦しないとダメらしい。「それは困りましたね」「興味ないなー」「すごぶる興味ないね」。そういう問題じゃねーから。
その間もハッピーロボは好き放題にされます。コクピットハッチが開きます。ピースはさらに興奮すると早く乗り込もうとみんなを誘います。地球を守るのだ!と鼻息荒いピース。どうつっこめばいいのか。そろそろ私も頭抱えそうです。
ハッピーロボに搭乗。予想を裏切って操縦席は一つ。戦隊方式ではないらしい。ロボッターそっくりだと喜ぶピース。そういうわけでサニーはピースに振ります。ここまでノリノリなんだから操縦も担当するのが当然。
ワルブッター(上半身)が攻めてきます。立ち上がるハッピーロボ。しかし変なポーズ。「なにしてんのぉ!?」。ツッコミが適切すぎる。
ピースは恐る恐るスイッチを押すとアンテナが回転。この機能なんの意味があるんだ。この間も攻撃を受け続けます。ピースは操縦できないと言います。ロボッターは格好いいから好きなだけで操縦なんて分からないと泣きます。そりゃそーだ。
「チャンスだわさ」
「ハッピーロボ頑張れクル!」
いつの間にか観衆になっている敵幹部と妖精。
サニーとマーチは機械音痴。ビューティは操縦したいけど方法が分からない。
迫ってくるワルブッター(上・下)が肉薄する直前、ハッピーロボはすっくと立ち上がります。驚いて急制動をかけるワルブッター。ハッピーロボはしっちゃかめっちゃか変な動きを始めます。サニーが適当に動かします。可動範囲は広いらしい。しかしそれにしても自分の意思と関係なしに動くハッピーはたまったもんじゃないだろうなぁ。結局自爆。サニー不適格。自分で戦った方が早いと言うサニー。ですよねー。
マーチに交代。足踏みし始めます。さきほどよりもマシになったので、調子付いたピースがハッピーパンチだ!と指示を出します。お前少し黙ってろ。ところがいつまで経っても足踏みは終わりません。どうやらマーチはこの操作に精一杯で余裕が無いようです。ハッピーは疲れてきたと言います。ロボットなのに疲れるとか大変だな、おい。足がもつれて転びます。マーチも失格。
③それではみなさん! ロボッターファイトォ! レディ・ゴォー!
再びワルブッターが攻めてきます。ハッピーロボ大ピンチ。
ハッピーロボ起動。超反応でワルブッター(下)を避けるとドロップキックで反撃。なにこの作画。この気配、(演出は)大塚か。
スタイリッシュなポーズ。このポーズは……「ビューティ!」。もうマスターしたのか。早い! きた! メイン知性きた! これで勝つる!
ウルフルンの攻撃を紙一重で回避。逆に掴むと投げ飛ばします。これにはハッピーもびっくり。なんで操縦できるのか。さきほどピースから借りた本を一読したかららしい。ちょっと待て、その本に操縦方法まで書いてあるの!? 一読しただけマスターできるの!? っていうかあの短い間に読んだの!?
これで形勢は逆転。
しかしワルブッターにも切り札があります。「バッドエンド・ドッキング!」
合体シーンに武者震いするピース。完成、ワルブッター(完全体)。魔神英雄伝ワタルかラムネ&40にこんな感じのラスボスがいたような。
「合体したーー!」
そろそろ黄色は自主規制した方がいいんじゃないかな。
ロボットもののノリと作画と構図で飛翔するワルブッター。このアニメ、作画リソースの使い方間違えてるだろ。「飛んだー!」。ビューティの表情がジワジワくる。
どの技で攻撃するかで揉め始めるウルフルンとアカオーニ。そういや十面鬼(仮面ライダーアマゾン)も意見分かれることあったなぁ。
傍から見たら何しているのか意味不明。異口同音に戸惑いの声をあげます。
「なにしてるの勿体ない! 合体の格好良さが台無しだよ!」
ですよねー。流石黄色ブレない。
「よーし、こうなったらこっちも合体だ!」
ごめん、ちょっと何言ってるか分からないです。ビューティさん意外とノリノリ。
ウルトラ合体モードと言われても困るハッピーロボ。ピースはキャンディを巻き込みます。飲み込みの早いキャンディはデコルを使います。レッツゴー! テ・ン・シ。
光の翼が発生。なにこれ格好いい。
「デコルかい!」
「なるほど格好いい!」
もうなんか、基準が格好いいかどうかになってるんですけどー?!
主題歌がかかります。もう完全にロボットアニメのテンプレだよ、これ。
「ハッピージェーット!(操縦はビューティ)」
ワルブッターと並びます。実況はピース。操縦はビューティによるロボバトルの始まりだー。
「いくよ! ハッピーロボ!」
「うん!」
「いきます!」
ビューティは違う番組に出てもやっていけると思う。
先制攻撃のパンチが決まり、追撃でキック。空中戦を展開。ビームが撃たれるとそれをハッピーバリアでガード。ピースの指示に遅延なく応えるビューティさんはスーパーパイロット。キックでワルブッターを海に蹴落とします。
形勢は完全にプリキュア優勢。マジョリーナはあることに思い至ります。
最後はウルトラハッピーパンチ。
「必殺技ですね。583ページにありました」
さらりと凄いこと言った。全部暗記しているの? っていうか583ページもあったのかよあの本。黄色のイケイケぶりとビューティの追従性がハンパねぇ。
「ハッピーエネルギーフルパワー!」
ロボッターと同じく腕が光の弓に。
「ウルトラハッピーパーンチ!」
「わぁ! 私の手が!!」
そりゃびっくりするわな。
④いつからプリキュアがロボットアニメだと錯覚していた?
ところがどっこい。パンチは消滅してハッピーロボも消えます。元に戻るハッピー。ちゃんと腕もあります。
ロボニナ~ルを壊すマジョリーナ。これは盲点でした。
「ハッピーロボが敵わないなんて…」
ガックリと膝をつくピース。いや、なんだ、このアニメがなにか完全に忘れてないか、この子。
ワルブッターが眼前でそびえ立ちます。
為す術の無い状況に諦めかけるピース。そこにハッピーが声をかけます。
「地球の人々の笑顔を守るために私達は何度でも立ち上がる、そうでしょ?」
ハッピーの姿にロボッターの姿を重ね合わせるピース。彼女達には力があります。借り物でない、自分達の力。
「あの技で決めるよ!」
「おう!」
プリンセスキャンドル(メーカー小売価格5,040円)とロイヤルクロック(同9,240円)の合体技。ロボッターDX9,980円なんて目じゃない。本物のヒロインアニメは伊達じゃない。合計14,280円のパワー受けてみなさい!
デコル2つゲット。
無事ロボッターを買えて喜ぶ子ども達。もちろんやよいも買えました。
ロボットの魅力に気づくあかね達。やよいはみゆきにまたやろうと誘います。懲りない子だな、この子も。
「鉄人戦士ロボッター、どんな困難にも立ち向かう私のスーパーヒーローなんだから!」
⑤次回予告
なんで竹刀持ってんだ。赤は恋愛(ただし失恋)担当。
○トピック
あ…ありのまま今見た事を話すぜ!『俺は女児向け変身ヒロインアニメを見ていたと思ったら、いつの間にかロボットになっていた』。な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何でこうなったのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…販促だとかテコ入れだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
監督(大塚氏)だから許されるのか、黄色だから許されるのか。たぶんその両方。よくこのネタ許可おりたなー。プリキュア見てる女児層は戦隊も見ている可能性高いからありっちゃありなんでしょうけど。親の層からすると勇者シリーズとか見ていた人が親になっているので、その演出がテンプレ的に使えて、王道として楽しめるようになっているってのは時代の流れを感じますね。アニメ文法の蓄積と世代交代(継承)ですね。
真面目に話すのが億劫というか、野暮なんですが、一応物語の文脈に関わってもいるので書くと、今回のエピソードはちょっとメタなお話し。やよいは視聴者に一番近いポジションです。ヒーローに憧れている。けどヒーローになりきれない。今回で言えば操縦できないし、ピンチになると弱音を吐いてしまう。まさにごっこ遊びしている子どもなわけです。そこでみゆきは本物のヒーローを再現します。もう彼女達のプリキュアはごっこ遊びじゃない。やよいは鉄人戦士ロボッターではないけど、スマイルプリキュアのキュアピース。彼女達もまたヒーロー。自分達がこれまでに鍛えた力を持っている。本作がプリキュアごっこからプリキュアへとステップアップしていることを再確認している回と云えます。
とか何とか言うとただのギャグ回がそれっぽい意味を持っているかのように見える、でしょ?
あんまり幼児期の発達心理に詳しくはないのですが、子どものごっこ遊びというのは要するに「模倣」なわけで、それを通じて子どもは学習・経験していると言えます。またヒーローなどに自己を投影したり、親や友達を悪者と見立てる(これも投影)ことで自己意識の分離・客観化の訓練にもなります。これは何も子どもだけの特徴というわけでなくて、長じれば誰もが自分の中に理想や規律、良心を持つようになります。フロイトでいうところの超自我とかコフートのイマーゴ、理想化自己対象とかですね(厳密には超自我と理想化自己対象は違うのですが細かいことは省きます)。聞き慣れない言葉を使いましたが、普通の人が普段何気なくやっていることや、持っている心構えのことです。経験知や道徳、あるいは本に感動して自分もこの物語の主人公のようになりたいとかの気持ちが抽出されて純化したもののことです。
人間っていうのは意味に生きている存在だと思ってます。その対象が実在するのか、生きているのか、傍にいるのかは関係ない。自分の心の中で生きているもの、映っているものがその人にとっての真理であり実体なのだと思います。人によって手本とするものは違います。私であれば、必ず家の外に出て見送りしてくれる親の愛情、ドストエフスキーの物語と彼の思想、プリキュアの意志と魂とか。そういう体験や価値観は人によって違うし、誰もがそれぞれ大切にしているものがある。
つまりね、人ってのはモノ真似する生き物なんです。誰かを好きになる、何かを好きになる、こうなりたい、理想とするというのは自己の中にその対象を取り込むってことなんです。そしてもしその好きという気持ち、なりたいという気持ちが本物で、強くて、幾多の試練にも耐えたときに、それは自分のものになるんです。借り物ではない、ごっこ遊びでもない。自分自身がヒーローになれる。他者に憧れられる、好きになって貰える人になれる。ここでプリキュアの話しに戻るんだけど、誰もやよいのことを子どもっぽい、ロボットや変身ヒーローなんて卒業したら、なんて言いません。何を好きになるかは問題じゃない。何になるかが問われている。やよい達はヒーローに憧れてヒーローごっこして、そして子ども達のお手本となるヒーローになっていく。スマイルは子どもの成長を先取りして見せています。
ヒーローが大好きなやよいはヒーローから強さを学ぶ。では、物語が大好きなみゆきはそこから何を学び、何を実現させていくのか。
①ロボット好き集まれ!
月面。地に膝をつくロボッター。至る所にダメージが蓄積しています。目の前で悠然と佇むワルブッター。
タケルはロボッターに大丈夫かと呼びかけます。ロボッターは地球の人々の笑顔を守るために何度でも立ち上がると熱い答えを返します。心は一つ。人機一体。「あの技で決めるぜ!」「おう!」。立ち上がるロボッター。ワルブッターもマントを脱いで対峙。
「ロボッターエネルギーフルパワー!」
「ウルトラロボッターパーンチ!!」
見事ワルブッターを撃破。
鉄人戦士ロボッターDX新発売。今なら特典としてタケルフィギュア付き。メーカー小売り価格9,980円。
電気屋のテレビに瞳をキラキラさせて見入るやよい。
なんていうか、うん、迷った。この出だしをどう書き始めるか迷った。ツッコミどころしかない。チャンネル間違えたとか、玩具CMのリアル感(玩具のチープ感)とか、価格設定が高いとか、メーカーロゴがバンダイとそっくりだとか、スポンサーへの当てつけかとか、色々言いたいことがあるので、今全部言った。ちなみに今回の原画に大張さんが参加しています。ロボット系アニメに詳しい人なら知っている方も多いでしょう。私の感覚だと勇者シリーズとかで描いてた人ですね。ロボッターもそんなデザインですし。さらに小ネタですが、原画的にはロボッターのマスクの下にちゃんと口あったみたいです(本人ツイッターで原画が出てました)。まんま勇者ロボじゃねーかよ。どんだけ今回ネタと人材詰め込んでんだ。
「ね?」
「え、何が?」
やよいは明日新しい玩具が発売する、格好いいよね~とウキウキしています。対象年齢3歳以上とか書かれてそうなので、まあ、対象内ではあるだろうね。
弟が見てるけど本人は知らないなお。ロボットの何がおもろい?なあかね。はじめて見たれいか。みゆきとキャンディは興味あるらしく反応が良い。
「明日ロボッターDXを買いに行くから、一緒に行こう。色々教えてあげる」
ごめん、ちょっと何言ってるか分からないです。こんだけ自分に素直になれる人ってある意味羨ましい。
やよいのテンションについて行けるのはみゆきとキャンディだけ。玩具屋に行くの久しぶりと喜んでいます。たまに玩具屋に行くと色々売ってて面白いよね。他3名の置いてきぼり感がなんとも。
「ロボット?」
「そう、ロボット!」
この番組は女児向け変身ヒロインアニメです。
そろそろ来週あたりからOPが映画宣伝仕様になるかな。
バッドエンド王国。ウルフルンとアカオーニはワルブッターの玩具で遊んでいます。こっちではワルブッターが人気らしく、ワルブッターを独り占めするウルフルンにアカオーニは駄々をこねます。ロボッターでロケットパンチ。この玩具はDX版ではないのかな。ウルフルンは銃を取り出してワルブッタービーム。音と光が出ます。アカオーニもノリノリでそれに応えます。お前ら楽しそうだな。やよいがロボッター担当したらこの遊び完璧になりそう。なにげに人間界の文化の影響受けまくってるよね、この人達。
尻尾振って上機嫌なウルフルン。負けた~と言いながらも楽しそうなアカオーニ。そのふたりを横目にマジョリーナは呆れます。この人もロボットに興味ありません。「合体! ガシーン! ワルブッターアターック!」「わー流石ワルブッター!つえーオニ!」。このテンション、やべぇ。
マジョリーナは思いつくと玩具を取り上げて自分の部屋の竈に投げ込みます。愕然とうなだれるウルフルンとアカオーニ。それを尻目にマジョリーナはこれでプリキュアを倒せると自信をみなぎらせます。その前に後ろで倒れてるふたりをなんとかした方がいいんじゃないですかね?
②いつからプリキュアが変身ヒロインアニメだと錯覚していた?
翌日。玩具屋に行列が出来てます。みんなの目当ては勿論ロボッターDX。凄い人気です。
やよいのテンションは朝からクライマックス。発売日が待ち遠しかったと言います。この日のためにお小遣い貯めていたのでしょう。この子の押し入れがどうなっているのか見てみたい。
並んでいる間にロボッターのことじっくり教えてあげると言います。オタクは自分の好きなことを熱弁する傾向があるので、まんまですね。あかねとなおはご遠慮願いたいオーラ。家族連れの中に居ること自体辛いと思っているかもしれません。「スーパーテレビまんがシリーズ 鉄人戦士ロボッター大図鑑」を取り出してみせるやよい。うわーありそう。っていうかあるよねこういうの。ナンバーが841って芸が細かい。やよいは嬉々として差し出します。すぐに身を引くあかね。地味にリアルな動き。れいかが受け取ります。これが後々彼女達のピンチを救うことになるとはこの時誰も思わなかった。
「これを読めばロボッターのことが全部わかるんだよ!」
「ふーん」
終始あかねとなおのテンションが低くて笑える。
「オラオラどけどけー!」
「今日発売のワルブッターの玩具はどこオニ?」
色々酷い。まだ放送開始6分(OP、CM込み)なのにこのネタの飽和攻撃。
みゆき達と遭遇。
「さてはお前らもワルブッターのファンだな?」
……。何が何だかわからない。
「なんでやねん、ちゃうわ!」
「そうだよ、ロボッターのファンだよ!」
ダメだこいつら早くなんとかしないと。周囲の人達の視線が痛い。
マジョリーナがやってきてプリキュアを探せとアカオーニ達に言います。ここに居ると言われてようやく気づきます。ウルフルンがバッドエナジー回収。カウント9。
「大変、街の平和が!」
間違ってないけど、何か間違ってるぞこの子。
今日こそお前達の最後だ。そのセリフをワルブッターのセリフと重ねたやよいは「そうはさせない!地球の人々の笑顔を守るために私達は何度でも立ち上がる!」とロボッターのセリフで応えます。「え?」ついて行けてない4人。
「みんな!行くよ!」
やよいが音頭を取って変身。まさかのセンター。変身ヒロインなのにロボットアニメをロールプレイ。さすがやよい! おれたちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる!あこがれるゥ! ネタにはネタで対抗するしかねぇ。
マジョリーナは銃を取り出して構えます。ロボニナ~ル。この光線を浴びると巨大ロボットになるそうです。銃をウルフルン達に向けます。身内に使ってプリキュアを攻撃するという用法らしい。ところがアカオーニがくしゃみをした拍子にマジョリーナは尻餅をついてしまい、ハッピーが光線を浴びてしまいます。真ん中に居たので逃げるタイミングを逸したようです。「やーらーれたー」。この子もたいがいノリが良い。
ところが何とも…ないわけが無かった。巨大化するとロボットに。敵味方共に唖然とします。チャキーン。ハッピーロボの出来上がり。バケツをひっくり返したような頭の造形。昭和かよ。マジョリーナさん、センス古いです。
どん引きなサニーとマーチ。ピースは言うまでもなく喜んでいます。ビューティさんは興味深そうに見ています。結局最初から最後までノリについて行けなかったサニーとマーチが戦力外だったことを考えると、ビューティの柔軟さが光る。
「これは予想外の展開です」
本当に予想より斜め上だよ。
マジョリーナの道具が使えるのは一回きり。しかし手はある。ハイパーアカンベェ。ウルフルンとアカオーニは競うようにしてワルブッターに憑依。ロボニナ~ル作らなくてもよかったんじゃね?
ハッピーロボに対抗して、悪役ロボット参戦。益々カオスな展開に。ウキウキするピースと対照的にサニーとマーチはイミフ状態。ビューティの真顔ぶりが面白い。
アカンベェの中は操縦席になっています。ウルフルンとアカオーニは主導権を争ってハッピーロボへと挑みかかります。その姿に大喜びのピース。敵のかっこよさはひいては主役のかっこよさを引き立てます。サニー&マーチ「シーン」。とりあえずお前ら仕事しろ。
ハッピーロボに声援を送ります。が、動かない。ロボだけに操縦しないとダメらしい。「それは困りましたね」「興味ないなー」「すごぶる興味ないね」。そういう問題じゃねーから。
その間もハッピーロボは好き放題にされます。コクピットハッチが開きます。ピースはさらに興奮すると早く乗り込もうとみんなを誘います。地球を守るのだ!と鼻息荒いピース。どうつっこめばいいのか。そろそろ私も頭抱えそうです。
ハッピーロボに搭乗。予想を裏切って操縦席は一つ。戦隊方式ではないらしい。ロボッターそっくりだと喜ぶピース。そういうわけでサニーはピースに振ります。ここまでノリノリなんだから操縦も担当するのが当然。
ワルブッター(上半身)が攻めてきます。立ち上がるハッピーロボ。しかし変なポーズ。「なにしてんのぉ!?」。ツッコミが適切すぎる。
ピースは恐る恐るスイッチを押すとアンテナが回転。この機能なんの意味があるんだ。この間も攻撃を受け続けます。ピースは操縦できないと言います。ロボッターは格好いいから好きなだけで操縦なんて分からないと泣きます。そりゃそーだ。
「チャンスだわさ」
「ハッピーロボ頑張れクル!」
いつの間にか観衆になっている敵幹部と妖精。
サニーとマーチは機械音痴。ビューティは操縦したいけど方法が分からない。
迫ってくるワルブッター(上・下)が肉薄する直前、ハッピーロボはすっくと立ち上がります。驚いて急制動をかけるワルブッター。ハッピーロボはしっちゃかめっちゃか変な動きを始めます。サニーが適当に動かします。可動範囲は広いらしい。しかしそれにしても自分の意思と関係なしに動くハッピーはたまったもんじゃないだろうなぁ。結局自爆。サニー不適格。自分で戦った方が早いと言うサニー。ですよねー。
マーチに交代。足踏みし始めます。さきほどよりもマシになったので、調子付いたピースがハッピーパンチだ!と指示を出します。お前少し黙ってろ。ところがいつまで経っても足踏みは終わりません。どうやらマーチはこの操作に精一杯で余裕が無いようです。ハッピーは疲れてきたと言います。ロボットなのに疲れるとか大変だな、おい。足がもつれて転びます。マーチも失格。
③それではみなさん! ロボッターファイトォ! レディ・ゴォー!
再びワルブッターが攻めてきます。ハッピーロボ大ピンチ。
ハッピーロボ起動。超反応でワルブッター(下)を避けるとドロップキックで反撃。なにこの作画。この気配、(演出は)大塚か。
スタイリッシュなポーズ。このポーズは……「ビューティ!」。もうマスターしたのか。早い! きた! メイン知性きた! これで勝つる!
ウルフルンの攻撃を紙一重で回避。逆に掴むと投げ飛ばします。これにはハッピーもびっくり。なんで操縦できるのか。さきほどピースから借りた本を一読したかららしい。ちょっと待て、その本に操縦方法まで書いてあるの!? 一読しただけマスターできるの!? っていうかあの短い間に読んだの!?
これで形勢は逆転。
しかしワルブッターにも切り札があります。「バッドエンド・ドッキング!」
合体シーンに武者震いするピース。完成、ワルブッター(完全体)。魔神英雄伝ワタルかラムネ&40にこんな感じのラスボスがいたような。
「合体したーー!」
そろそろ黄色は自主規制した方がいいんじゃないかな。
ロボットもののノリと作画と構図で飛翔するワルブッター。このアニメ、作画リソースの使い方間違えてるだろ。「飛んだー!」。ビューティの表情がジワジワくる。
どの技で攻撃するかで揉め始めるウルフルンとアカオーニ。そういや十面鬼(仮面ライダーアマゾン)も意見分かれることあったなぁ。
傍から見たら何しているのか意味不明。異口同音に戸惑いの声をあげます。
「なにしてるの勿体ない! 合体の格好良さが台無しだよ!」
ですよねー。流石黄色ブレない。
「よーし、こうなったらこっちも合体だ!」
ごめん、ちょっと何言ってるか分からないです。ビューティさん意外とノリノリ。
ウルトラ合体モードと言われても困るハッピーロボ。ピースはキャンディを巻き込みます。飲み込みの早いキャンディはデコルを使います。レッツゴー! テ・ン・シ。
光の翼が発生。なにこれ格好いい。
「デコルかい!」
「なるほど格好いい!」
もうなんか、基準が格好いいかどうかになってるんですけどー?!
主題歌がかかります。もう完全にロボットアニメのテンプレだよ、これ。
「ハッピージェーット!(操縦はビューティ)」
ワルブッターと並びます。実況はピース。操縦はビューティによるロボバトルの始まりだー。
「いくよ! ハッピーロボ!」
「うん!」
「いきます!」
ビューティは違う番組に出てもやっていけると思う。
先制攻撃のパンチが決まり、追撃でキック。空中戦を展開。ビームが撃たれるとそれをハッピーバリアでガード。ピースの指示に遅延なく応えるビューティさんはスーパーパイロット。キックでワルブッターを海に蹴落とします。
形勢は完全にプリキュア優勢。マジョリーナはあることに思い至ります。
最後はウルトラハッピーパンチ。
「必殺技ですね。583ページにありました」
さらりと凄いこと言った。全部暗記しているの? っていうか583ページもあったのかよあの本。黄色のイケイケぶりとビューティの追従性がハンパねぇ。
「ハッピーエネルギーフルパワー!」
ロボッターと同じく腕が光の弓に。
「ウルトラハッピーパーンチ!」
「わぁ! 私の手が!!」
そりゃびっくりするわな。
④いつからプリキュアがロボットアニメだと錯覚していた?
ところがどっこい。パンチは消滅してハッピーロボも消えます。元に戻るハッピー。ちゃんと腕もあります。
ロボニナ~ルを壊すマジョリーナ。これは盲点でした。
「ハッピーロボが敵わないなんて…」
ガックリと膝をつくピース。いや、なんだ、このアニメがなにか完全に忘れてないか、この子。
ワルブッターが眼前でそびえ立ちます。
為す術の無い状況に諦めかけるピース。そこにハッピーが声をかけます。
「地球の人々の笑顔を守るために私達は何度でも立ち上がる、そうでしょ?」
ハッピーの姿にロボッターの姿を重ね合わせるピース。彼女達には力があります。借り物でない、自分達の力。
「あの技で決めるよ!」
「おう!」
プリンセスキャンドル(メーカー小売価格5,040円)とロイヤルクロック(同9,240円)の合体技。ロボッターDX9,980円なんて目じゃない。本物のヒロインアニメは伊達じゃない。合計14,280円のパワー受けてみなさい!
デコル2つゲット。
無事ロボッターを買えて喜ぶ子ども達。もちろんやよいも買えました。
ロボットの魅力に気づくあかね達。やよいはみゆきにまたやろうと誘います。懲りない子だな、この子も。
「鉄人戦士ロボッター、どんな困難にも立ち向かう私のスーパーヒーローなんだから!」
⑤次回予告
なんで竹刀持ってんだ。赤は恋愛(ただし失恋)担当。
○トピック
あ…ありのまま今見た事を話すぜ!『俺は女児向け変身ヒロインアニメを見ていたと思ったら、いつの間にかロボットになっていた』。な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何でこうなったのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…販促だとかテコ入れだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…。
監督(大塚氏)だから許されるのか、黄色だから許されるのか。たぶんその両方。よくこのネタ許可おりたなー。プリキュア見てる女児層は戦隊も見ている可能性高いからありっちゃありなんでしょうけど。親の層からすると勇者シリーズとか見ていた人が親になっているので、その演出がテンプレ的に使えて、王道として楽しめるようになっているってのは時代の流れを感じますね。アニメ文法の蓄積と世代交代(継承)ですね。
真面目に話すのが億劫というか、野暮なんですが、一応物語の文脈に関わってもいるので書くと、今回のエピソードはちょっとメタなお話し。やよいは視聴者に一番近いポジションです。ヒーローに憧れている。けどヒーローになりきれない。今回で言えば操縦できないし、ピンチになると弱音を吐いてしまう。まさにごっこ遊びしている子どもなわけです。そこでみゆきは本物のヒーローを再現します。もう彼女達のプリキュアはごっこ遊びじゃない。やよいは鉄人戦士ロボッターではないけど、スマイルプリキュアのキュアピース。彼女達もまたヒーロー。自分達がこれまでに鍛えた力を持っている。本作がプリキュアごっこからプリキュアへとステップアップしていることを再確認している回と云えます。
とか何とか言うとただのギャグ回がそれっぽい意味を持っているかのように見える、でしょ?
あんまり幼児期の発達心理に詳しくはないのですが、子どものごっこ遊びというのは要するに「模倣」なわけで、それを通じて子どもは学習・経験していると言えます。またヒーローなどに自己を投影したり、親や友達を悪者と見立てる(これも投影)ことで自己意識の分離・客観化の訓練にもなります。これは何も子どもだけの特徴というわけでなくて、長じれば誰もが自分の中に理想や規律、良心を持つようになります。フロイトでいうところの超自我とかコフートのイマーゴ、理想化自己対象とかですね(厳密には超自我と理想化自己対象は違うのですが細かいことは省きます)。聞き慣れない言葉を使いましたが、普通の人が普段何気なくやっていることや、持っている心構えのことです。経験知や道徳、あるいは本に感動して自分もこの物語の主人公のようになりたいとかの気持ちが抽出されて純化したもののことです。
人間っていうのは意味に生きている存在だと思ってます。その対象が実在するのか、生きているのか、傍にいるのかは関係ない。自分の心の中で生きているもの、映っているものがその人にとっての真理であり実体なのだと思います。人によって手本とするものは違います。私であれば、必ず家の外に出て見送りしてくれる親の愛情、ドストエフスキーの物語と彼の思想、プリキュアの意志と魂とか。そういう体験や価値観は人によって違うし、誰もがそれぞれ大切にしているものがある。
つまりね、人ってのはモノ真似する生き物なんです。誰かを好きになる、何かを好きになる、こうなりたい、理想とするというのは自己の中にその対象を取り込むってことなんです。そしてもしその好きという気持ち、なりたいという気持ちが本物で、強くて、幾多の試練にも耐えたときに、それは自分のものになるんです。借り物ではない、ごっこ遊びでもない。自分自身がヒーローになれる。他者に憧れられる、好きになって貰える人になれる。ここでプリキュアの話しに戻るんだけど、誰もやよいのことを子どもっぽい、ロボットや変身ヒーローなんて卒業したら、なんて言いません。何を好きになるかは問題じゃない。何になるかが問われている。やよい達はヒーローに憧れてヒーローごっこして、そして子ども達のお手本となるヒーローになっていく。スマイルは子どもの成長を先取りして見せています。
ヒーローが大好きなやよいはヒーローから強さを学ぶ。では、物語が大好きなみゆきはそこから何を学び、何を実現させていくのか。
第34話「一致団結!文化祭でミラクルファッションショー!!」
○今週の出来事
①はみ出し者
文化祭の催し物を多数決。結果はファッションショー。クラスの雰囲気としては概ね肯定的。みゆきも楽しみにします。すると男子生徒が一人無言で立ち上がります。クラスの視線が集まります。「つまんね、俺帰るわ」。すたすたと荷物を抱え「ファッションショーが面白いのって女子だけじゃん。俺、やらねーから」と捨て台詞を残して教室を出て行きます。自分がやりたくないのに、その理由を一般化することで自分の意見に対して全責任を負わないという姑息な手段が取られています。こういうすり替えは日常的によく行われるので本人も無自覚な時があります。まあ、ファッションショーを男がやりたがるかと言えばそうじゃないだろうけど。さりとて文化祭の催し物はどれも似たり寄ったりで面倒臭いという意味では変わりない(←イベント自体をやりたくない派)。
バッドエンド王国。今回の出勤はマジョリーナ。黒っぱなに胡散臭ささを覚えながらも足りないのは作戦…と思案。本を参考にして立案。もうこの時点で何がアカンベェになるのか、どういう作戦か分かる安心設計。
下校。アウトサイダーな彼の名前は豊島。やよいは文化祭の準備に参加してくれるだろうか、と心配します。多数決で決めたのが良くなかったのかと振り返るれいか。委員長だけあって催し物の決定に責任を感じています。といっても全員の意見が一つになるということはまずありません。どのような場合であれ、それぞれに立場や都合がある以上は全員一致というのは現実的ではありませんし、それを求めるのは幻想だと思った方が良い。必ずどこかで線引きされる。そしてその線引きからはみ出た人というのが出る。割を食う人ですね。
何がそんなに気に入らないのか、と不思議がる一同。でも…とみゆき。折角の文化祭、みんなで一緒にやりたいと言います。キャンディも賛同。悩んでいても仕方ない、豊島君に何故参加したくないのか聞いてみようとあかねとれいかが続けます。なおもみんなで文化祭を成功させるために考えようと賛同。やよいは母親に頼んでファッションショーの資料を集めます。それを聞いたみゆきの表情がパッと明るくなります。全体の方向性をみゆきが提案して、みんながそれを補佐、具体案を決めていく。良いチームです。そして、重要なのが相手の都合に言及していること。これはスイートでも重視されていた部分です。今回のお話しはスマイル全体のお話しの縮図です。
ところで、みゆきが超可愛い。今回の可愛さは全体通してもトップクラスだと思う。
翌日、やよいはファッションショーの資料をみんなに見せます。ファッションモデルだけでなく色んな人の努力で舞台が完成していると話すやよい。裁縫、照明、小(大)道具、たくさんの仕事がある。これも前回に引続き重要な部分。目的は一つでもそこに多くの役割がある。だからその中で自分にあった役に就けばいい。雇用の需給調整みたいなもんですね。もっとも、それでもあぶれる人、ミスマッチが生じるのだけど。役割を演じることと、役目を引き受けることは似ているようで違う。前者は本人の意思を必要としないが、後者は主体的な意思が必要とされる。そして、人が生きているという実感、繋がっているという実感は後者にしか訪れない。
級友達は口々にやよいの母親を褒めます。嬉しそうなやよい。テーマを決めるのも大事だと言います。みゆきが率先して絵本をテーマにしようと提案します。要するにコスプレ。様々な衣装、モチーフが選べるのでガチ路線からネタ路線まで選べそうです。級友達も支持します。みゆきはじゃあチームにしてもいいかも、桃太郎とか白雪姫チームとか、とさらに具体的に提案の中身を詰めていきます。みんなで舞台に立とう、司会も裁縫もみんなで衣装を着てやろうと言います。要は自分の分は自分で作る勢い。これ結構忙しいぞ。
眼鏡君はサルカニ合戦チームをやると言います。自分は猿。宗本君は栗。いや、お前は臼だろ、体格的に考えて。「お前は臼だろ」。ほら、同じ意見。
和気藹々なクラスの雰囲気。そこに豊島君が入ってきます。彼の姿を見るとサルカニチームのメンバーはうつむきます。何か後ろめたいことがあるようです。表情を険しくすると豊島君は何も言わず荷物を置きます。みゆきが早速声をかけます。みゆきの誘いにつっけんどんに答える豊島君。すたすたと教室を出て行きます。彼の意固地な態度に疑惑を強めるあかね。みゆきはめげずに彼の後を追います。
彼を呼び止めるとみゆきは脳天気な様子で一緒にファッションショーを盛り上げようと再び誘います。このシーンは彼女が見かけ通りの脳天気な子ではないことの良い見せ場です。教室を出る前に彼女は真剣な顔で思案していました。彼の頑なな意思を和らげようと敢えて何も考えてなさそうな態度で接しているのでしょう。しかし彼の意見を変えることはできません。これもおそらくは物語の終盤に関わってくる重要なポイントです。現在のみゆき達はみんなでハッピーになろうと思っている。でも、それを実現するには良い意味で相手を巻き込まなければならないのです。でなければ結局は自分の意見を押しつけているだけに過ぎなくなるからです。如何にして相手の心に触れるか、触れられるのか。想いを届けられるか、想いを受け取ることができるか。理想を現実に変えるためには多くの経験と長い時間を要します。
今度はサルカニチームが豊島君を呼び止めます。すまなさそうな顔。豊島君は声を荒げて糾弾します。彼はバンドをやりたかったらしい。3人は彼の賛同者だったようです。冒頭の投票でもバンドへ4票入っていました。まあ、彼ら以外やる気ないってことなんですが。やりたかったけど、自分達だけの意見でクラスの出し物は決められないと至極もっともな答えを返すサルカニチーム。現実的かつ大人な態度です。ここで意固地になっている豊島君が大人げない。とはいえ、彼の立場からすれば3人に裏切られたような印象を持つでしょう。それは彼のセルフイメージをいくらかは傷つける。つまり自分は見放された、肯定してもらえなかった、一人だけのけ者にされた、と。最初から一人でバンドする気だったなら引き際や諦めもつくでしょうが、こうして拗れると厄介です。大抵の人間関係による揉め事の根本は意地、つまり自分が肯定される(勝つ、支持されるか、自分の功労を認められるか)かどうかを巡っての話しです。仕事にもこうした意地を持ち込む人がいます。全くどうでもいいことですが、私は仕事にそういう意地をあまり持ち込みません。私の仕事へのスタンスは仕事がスムーズに完遂すればOKというものなので、方法論が違っても目的が達成されるならどれでもいいと思うからです。さっさと仕事してさっさと帰る。意地を持ち込むとすればそれは、如何にして仕事の完成度を上げるか、楽できるように、早く帰れるように仕事をキッチリ仕上げるか、というところです。まあ、そのためにも交渉術は重要なスキルなんですが、これがまた面倒臭いんだよね。モノを言うにもモノを知ってないといけないし。……と話しがプリキュアからズレた。
豊島君はバンド以外やらないと言い残して去っていきます。みゆきが3人に尋ねるとギターがめちゃくちゃ上手いとのこと。自分の得意なモノを披露する場が無いというのも寂しいものです。彼に会場音楽をやってもらえばいいんじゃないかな。
②ありふれた日常の、ありふれた絶望と孤独
東屋で昼食。それってワガママちゃう?ともっともな意見を言うあかね。クラス全体に関わること。一人の意見を優先するわけにもいきません。全員一致の出し物にするには難しいとつぶやくやよい。話しはそこで袋小路に。するとキャンディがファッションショーは面白くないのかと尋ねます。たぶんおもろいと思うと答えるあかね。たぶんかよ。みゆきは豊島君にもファッションショーが面白いと思って貰えればいいのだと閃きます。強制参加路線から勧誘路線に変更。それはそれとして、みゆきの笑顔アップが可愛すぎて生きるのが辛い。
一方その頃豊島君は音楽室で独り肩を落とします。彼にとっても進退窮まった状態。
放課後、帰ろうとするとみゆき達5人が声を変えてきます。何このボーナスステージ。ただでさえみゆきから声をかけて貰える栄誉に与りながらさらには5人同時……だと?
ピョンピョンと身体全体で表現するみゆき。スカートがギリギリのライン。なにこの歩くウルトラハッピー。でも角度と位置的に豊島君からは見えない。ざまーみろ。
超どアップで勧誘するみゆき。くっそ。豊島君は逃げるようにして教室を出て行きます。これはあれか、わざとか!? わざと声かけてもらいたくてやってんのか。あー、私も文化祭やりたくないわー(チラッチラッ)
衣装製作。賑やかなクラス。みゆきは針に糸を通そうとしています。不器用そうだなぁ。なおはミシンを上手に扱います。
屋上で独り昼食を摂る豊島君。ため息。自分でも自分の置かれている状況を分かっているんだけど、今更、とかそんな感じでしょうか。あかねとみゆき、やよいが豚鼻をつけて声をかけます。似合っていると悪態をついて逃走します。その後もれいか達がBGMについて相談したり、照明について尋ねたりしますがのれんに腕押し。そして極めつけはみゆきの悩殺ポーズ。本人もノリノリな声。これは完全に女の声。みゆき侮り難し。ところが返ってきた言葉は「邪魔だよ」。俺の怒りがマッハ。ふん、後で自分の人生を振り返って後悔するがいい。何故あの時自分は誠実に向き合わなかったのかと。せめてみゆきの悩殺ポーズを脳内SSDに完全保存しなかったことを呪うがいい。
それにしても彼は恵まれています。人にかまって貰えるというのは、それ自体恵まれたことだと思って良い。
試みが失敗してはっぷっぷー。豊島君以外の問題は順調に進んでいます。早くしないと益々入りづらくなる。彼女達も状況は理解しています。
放課後。今度はやよいがアプローチ。羽の付いた帽子を見せます。豊島君に勧めますがやはり翻意させることはできません。そろそろブチ切れモードのなおが彼の前に仁王立ちして説教します。みんなで決めたこと、あんたの言い分は筋が通らない。ごもっとも。たぶんそれは豊島君も最初から分かっている。口答えする豊島君に掴みかかろうとするなおをみゆき達が止めます。
彼の孤独は次第にその色を増していきます。
衣装も段々揃い、クラスの中は鮮やかな活気に満ちた様相を呈してきます。可愛いピンクのドレス。みゆきはシンデレラでしょうか。やよいは赤ずきん。ゲームの格好と同じですね。あざとい。
みんながモデルというアイディアは好評。ここまでノリが良いとみんなで楽しく踊らにゃソンソン。みんなが主役になれたら、とみゆき。誰もが自分の人生においては主人公。誰もがサクセスストーリーになるとは限らないが。
豊島君入場。彼は教室の中を見てハッとします。クラスの面々は衣装を着て盛り上がっています。もう完全にアウェー。意地を通そうが、つっぱってみようが、現前の光景はこう言っています。「お前仲間はずれ」。アウトローという役があるならまだ良い。問題はその役すら無くなったときだ。誰からも必要とされなくなったとき、それは社会的に個人が抹消されたのに等しい。のけ者にされたマイノリティが騒いでいる間、それに関心を持たれている間はまだいい。忘れ去られてしまったとき、そのマイノリティ達は復讐者と化すことがある。自分を見ろ、自分を捨てたお前達に復讐してやるのだと。これはフレッシュの映画が明示的ですね。すべての復讐者がそうではないが、少なくとも一部にはそうした自分を捨てた(自分の存在を認めなかった、分かってくれなかった)社会、人々に対する怨嗟、憎悪、嘆き悲しみが動機となっていることがあります。そして忘れてはならないのが、私達が住んでいる世界とはそうしたことが日々起きているということです。誰もがそうした立場、つまり人を傷つける立場、傷つけられる立場、見て見ぬ振りをする立場になりうる。
豊島君の心中に気づかずみゆきは衣装を着たみんなが素敵でしょ?と声をかけます。一緒にやろうと言うと声を荒げて自分には関係ないと突っぱねます。自分でも状況を分かっているはずですが今更折れられないのでしょう。こう言ってはなんですが、安いプライドです。本当に自分を持っている人、自信がある人は自分の非を認められます。人の忠告、意見も聞く。そして勇気があるというのはそうした自分の過ちや脅威(この場合であれば疎外や禍根)に対して立ち向かうことです。ついでに言うと周囲の人達はそういうことを観察しているものです。ああ、こいつは意地っ張りで人の話聞かない、この人は度量のある人だ、と。私は腹黒いのでその辺も計算して行動します。自分の味方は作っておいた方がいい。それが逃げ道や余裕、自信に繋がる。ただし風見鶏はいけない。それも見透かされやすい特性だから。自分の意見を持ちつつ賛同者を得ることが大事。
意地はらんと参加したらええやん、とあかね。彼は無言のまま教室を出て行きます。ここで折れると自分が負けた感じがするはずです。自己否定の感情。それが正しいと分かっていても向き合いたくないものです。ああ、ほんと、人間ってめんどくせー。
豊島君が去った後、女子生徒がほんとはダンスがしたかったけどファッションショーもやってみたら楽しいと話します。もったいないよね、と他の子も同意。本人がやりたくないと言っているなら星空ももう誘わなくていいんじゃね?という意見が出てきます。その言葉に振り向いたみゆきは、クラスに先ほどの賑やさとは異なるざわめきが起きていることに気づきます。これも18話と関連しますが、この時点でクラスの人達は一致団結して出し物をすることを諦めかけています。もはや離脱者が出るのは仕方ないのだと。本人がやりたくないと言っているんだから。
このままじゃなんか嫌だな…とつぶやくみゆき。何故そう思うのか、ではどうなることが望ましいのか。物語は後半。みゆきが抱くこの想いがどこまで昇華されうるものか。みゆきの言葉にクラスのみんなが振り返ります。みゆきの感情はおそらくみんなも感じている。ただしすぐに忘れられるか、放っておかれるものでしょうが。あかね達はみゆきに力を貸します。級友とあかね達の温度差、反応の違いはこれまでのお話しの積み重ねの違いです。またこの課題は彼女達の意思が彼女達に留まることなく拡張していけるかの試金石でもあります。
③すべての人を笑顔に
外に出て豊島君を捜すと、果たして独りでギターを弾いています。何でこんな感じになったんだろ、自分もみんなと楽しくやりたいと独り言をつぶやく豊島君。後ろに居るみゆきに気づいているか微妙なところですが、戦闘後の反応を見るに気づいていないと思われます。豊島君のつぶやきを訊いたみゆきは何かに気づいたようにハッとします。彼の本心は自分と同じ。しかしどこかで歯車が噛み合わない。多数の立場から見れば豊島君は協調性がないワガママですが、彼自身もどうしていいのか分からない。純粋な悪、暴力、悪意というのはむしろ希です。どこかでボタンを掛け違った結果、お前が!お前こそ!の不協和音が起こる。
マジョリーナ登場。いつもどおりアカンベェ召喚。カウント8。変身。
今回の作戦は大音量による音波攻撃。地味だけど効果的。行動不能に陥ったプリキュアを助けたのはキャンディの閃き。バナナデコルを使って巨大バナナを召喚。中身を食べて皮をアカンベェの足下に投げます。……中身食べなくても良かったんじゃね?
今週もピーちゃんは大活躍。カウント3。
MVPのキャンディを褒めるハッピー。キャンディは自分で出来ることをやるクルと誇ります。それを訊いたハッピーは閃きます。
豊島君は目覚めるとギターを探します。少し離れたところに落ちているのを大事そうに拾います。みゆきが話しかけると豊島君は自分にはギターくらいしか取り柄がないと正直に言います。彼なりの歩み寄りでしょう。文化祭についても謝ります。みゆきは微笑むと、目をキラキラさせて頼み事をします。プリキュアの笑顔、微笑みはとても受容的で屈託がない。それでいて聡明でもある。
「みんなで最高の文化祭にしようよ!」
5話の読み聞かせ会の時もそうだったのだけど、彼女は何が大事かを見誤らない。個々の問題を解決しつつ、大きな目標を達成する。彼女もプリキュアの主人公。その行動力と求心力は他の子達とも引けを取らない。
文化祭当日。様々な出し物が並びます。
ファッションショーは体育館。れいかがアナウンスを務めます。豊島君率いるサルカニ改めピーターパンチームの演奏とともに開幕。BGMはキャラソン。可愛らしい衣装を着た女の子達が飛び出します。ウェンディーと妖精達かな。
滑り出しは好調。舞台袖裏に控えたみゆき達も一安心。その後も絵本モチーフのコスプレ軍団がステージを行進していきます。やよいも赤ずきんの格好で進みます。隣に狼の格好をしたイケメン生徒。これは不味い。こいつ黄色派に埋められるぞ。あかねはアラビアンナイトの姫さん。れいかさんはこういう場での貫禄がパネェ。なおは不思議の国のアリス。緊張するみゆきを励ます級友達。今回の立役者は間違いなく彼女。
メインヒロインとばかりに舞台へと進み出ます。みゆき派の私は感無量。スポットを当てている係もちゃんと衣装を着ています。ピーターパンと一緒にポーズ。私には豊島を殴る権利があると思う。ところで、もう私のHDDの残量はゼロよー!
最後は全員並んで締め。
④次回予告
鼻息がこれほど似合うプリキュアはピースだけ! 次回から「美機動戦士プリキュアS」が始まるよ。
○トピック
次回予告が全部持って行った回。だから何故真面目な話しの次にギャグを持ってくるんだ。どこに行きたいんだ、このアニメ。
文化祭でファッションショーはハートキャッチでもあったので記憶に新しい。ハートキャッチのファッションショーはえりかの自己実現(彼女の成長と飛躍)が主軸でしたが、スマイルではみんながハッピーになるための課題と困難にスポットが当たっています。プリキュアであるみゆき達の理想が果たして現実に可能なのか、またそれは彼女達"だけ"にしかできないものなのか。物語のテーマが拡張されつつあります。
物語も後半。終盤にも関わってくるテーマが深掘りされ始めています。再三書いていることですが論点整理も兼ねてまた書きます。
スマイルの物語の根底にあるのは、現実の厳しさ、もっと言えば、私達の住んでいる世界は必ず犠牲が出てしまうという認識です。童話の世界の悪者であるウルフルン達は勿論のこと、リレーの回では足の遅いやよい、今回であれば豊島君が割を食っています。ジョーカーが指摘したようにただでさえ上手く行かないことがあるのに、みんなでやろうとするとどこかで噛み合わないことや利害の衝突が起きる。必ずしも自分の意見が通るとは限らないし、割り当てられた役に不満が出たりもする。文化祭はあくまで一つの提示で、これは現実社会のそこここで生じるものです。この摩擦、軋轢を完全に無くすことは不可能です。断言しますがプリキュアはその根本部分を無くせるとは言わないはずです。プリキュアが出来ることは生じ続けるその摩擦を不断の努力によって一つ一つ克服していくというものでしかない。多分ジョーカー達の願いの方がずっと純粋で理想型だろうと思います。前作でノイズが心を排除するために人間を石化させたような極端ではあるけど純粋で根源的な願いになるだろうと思う。近年のプリキュアの敵は理想化・単純化・一方的で極端な解決を目指すのに対して、プリキュアの願いは現実的でより困難な道であると言えます。どっちが大人なんだか。
今回のエピソードで示されているのは「全員一致」ではありません。それは不可能。全員が最初から望んだ合意を得ることはできない。それなればこそ、その不整合を調整し正していくという解法が出されています。要は問題点、事象、相手に対して正しく理解して知恵を出し合うという話し。単純だけどそれが難しい。地味な作業の先に笑顔があるという指摘はプリキュアらしい。基本的にこの作品は泥臭く汗臭い。
今回のように全体の中から少数の人達がはみ出て割を食ったり、そこで軋轢が生じて本人も周囲も諦め始めてしまうというのは実はとても怖い事実を示していると思います。本文中にも書きましたが、些細なことから悲劇は起こるものです。また、ジョーカーが指摘し、今回のエピソードでも示唆されていることで一つ厄介なことがあります。それは「本人がいいって言ってるんだからいいんじゃないの?」という逃げ道があることです。この言い訳は非常に魅力的で強力です。この言い訳を使えばほとんどの問題を放置することができます。問題に介入することは逆にお節介だと言われかねない。ここで面白いのはみゆきはそのお節介をしていることです。これは以前も触れましたが、みゆきは自分の理想のためにみんなを巻き込んでいます。それ自体の善し悪しの判断は難しいところですが、あかね達に対しては上手く行きました。でも実は今回のエピソードでは失敗しかけています。
豊島君の拒否反応には彼なりの意地や表現、他にやりたいことがあるというような苦悩や葛藤が隠れている。だからみゆきが何度誘いかけても彼の意見は変わらなかったのです。みゆきは彼の真意に気づいていない。彼の心を見ずに自分の理想を押しつけようとしたんです。問題はファッションショーが面白いかどうかではないんです。彼が自己表現をギターに仮託している、その見せ場を欲しているということなんです。最初からすれ違っている。これでは上手く行くはずがない。仮にそこで無理に納得させてファッションショーをやらせても彼の中に「自分が認められなかった」というようなシコリは残ったでしょう(この程度なら一過性の苦悩でしょうが)。場合によっては彼を一層追い詰める結果になったかもしれません。
何が言いたいかというと、今回のお話しのポイントは「みんなでハッピー」理想が限定的ではあるけど実現可能なこと(みゆきの願いが現実的に拡張可能であること)を証明した反面、その実現のために一方的に押しつけるやり方ではダメだという教訓です。みゆきは豊島君の独り言を訊いた時に気づいたはずです。自分の言っている「みんなで」は間違っていない。彼もそう思っている。でも同時に彼の本心を理解していなかったことにも気づいたはずです(気づいていなくても物語としてそれが必要であることが示唆されている)。
プリキュアの物語のベースは人間が抱える苦悩や葛藤にあります。それを解決するにはその人の本質的な問題、苦悩や願いを掘り起こさないと解決への芽は出てきません。しかし相手が何を求めていて、それを叶えるためにどのように手助けをすれば良いのか考えることは言うほど簡単なことではありません。前作スイートで何度も響達が躓き直面したように、相手の真意が見えないことによる誤解と疑惑が軋轢をさらに深める。「本人がいいって言ってる」という言い訳も出来る。その言い訳こそ他人を切り捨て、無関心(あるいは思考停止)を増長させる根源でもあると思う。本来クラスで決めたのならその決まりに対しての責任もあるはずです。強制する権利とフォローする義務がある。それを個人の責任に転嫁するのは問題のすり替えなんじゃねーの?という指摘ができる。彼を追い詰めたのは私達なのではないかと。社会問題についても同様のことが言えます。でも実際には誰も責任を取らない。社会的連帯よりも個人主義の方が幅を利かせている現代ではなおのこと。自分で問題を解決できる人は一握りです。大抵の人にはそんな力はない。だからこそこの世の中は苦悩と悲劇に満ちている。つぼみが言ったように「哀しみが終わらないのは私達の力が足りないから。憎しみが尽きないのは私達の愛がまだ足りないから」。他人に関わる、他人を巻き込むのは面倒臭くもあるし、また別の葛藤や苦悩を生むジレンマもある。しかし本当にみんながハッピーになるにはその苦労を背負い込まなければならないのだとも思います。それは一人では大変なことだし無理。みんなでって言っているのに一人で出来るわけがない。程度の差はあれど、人はみな社会や他者に責任を負っている。主体性を持つということは自分だけの責任を自覚することにあらず。他者をも含む。お互いが重なり合いながら関わっている。みゆきのワガママがみんなのワガママになり、本当の優しさ、思い遣り、みんなのハッピーへと至るにはまだ多くの時間と経験が必要になる。自分の理想を実現するために、どうすればいいのか考え続ける。アホの子なのに考える主人公。プリキュアでも珍しい主人公です。
またこれと並んで、みんなが主役というのは原理的にあり得ないのですが、「自分で考えて自分で決める」が主体性のことを指すとすれば妥協可能です。物語の中には主役と脇役、場合によっては悪者が必要になる。同じように現実でも種々の役割があって自ら進んで脇役に徹する人もいるでしょう。私は地味な仕事の方が好きです。そういう人は決して自分を卑下したり甘んじているとも思わないはずです。各々の文脈に応じて自分の役目を価値づけていけるからです。自分のやっていることは自分にしかできない、自分が選び取ったもので、この役がなければ話しは進まないっていう自覚と誇りですね。分相応な自覚とも言えますが。プリキュアだけではお話しは進まない。妖精がいなきゃ玩具が売れない。悪者がいなくちゃヒーローにならない。
では、その悪者にも光はあるのだろうか? どう受け止めればいいのだろうか。何のために物語に悪が必要とされるのか。その問いへの答えはもう少し先になりそうです。
プリキュアは問題提起に対して自己の内在論理で解答する作品です。だからこそ最初から最後まで真剣になって見れる作品だと思っています。その解答が正しいか間違っているか、私の価値観に合うかは置いて、プリキュア自身が真剣になって取り組んでいるからこそ、そこから感じ取るものが多くあります。この感想はその感じ取ったものを書くためにあります。
①はみ出し者
文化祭の催し物を多数決。結果はファッションショー。クラスの雰囲気としては概ね肯定的。みゆきも楽しみにします。すると男子生徒が一人無言で立ち上がります。クラスの視線が集まります。「つまんね、俺帰るわ」。すたすたと荷物を抱え「ファッションショーが面白いのって女子だけじゃん。俺、やらねーから」と捨て台詞を残して教室を出て行きます。自分がやりたくないのに、その理由を一般化することで自分の意見に対して全責任を負わないという姑息な手段が取られています。こういうすり替えは日常的によく行われるので本人も無自覚な時があります。まあ、ファッションショーを男がやりたがるかと言えばそうじゃないだろうけど。さりとて文化祭の催し物はどれも似たり寄ったりで面倒臭いという意味では変わりない(←イベント自体をやりたくない派)。
バッドエンド王国。今回の出勤はマジョリーナ。黒っぱなに胡散臭ささを覚えながらも足りないのは作戦…と思案。本を参考にして立案。もうこの時点で何がアカンベェになるのか、どういう作戦か分かる安心設計。
下校。アウトサイダーな彼の名前は豊島。やよいは文化祭の準備に参加してくれるだろうか、と心配します。多数決で決めたのが良くなかったのかと振り返るれいか。委員長だけあって催し物の決定に責任を感じています。といっても全員の意見が一つになるということはまずありません。どのような場合であれ、それぞれに立場や都合がある以上は全員一致というのは現実的ではありませんし、それを求めるのは幻想だと思った方が良い。必ずどこかで線引きされる。そしてその線引きからはみ出た人というのが出る。割を食う人ですね。
何がそんなに気に入らないのか、と不思議がる一同。でも…とみゆき。折角の文化祭、みんなで一緒にやりたいと言います。キャンディも賛同。悩んでいても仕方ない、豊島君に何故参加したくないのか聞いてみようとあかねとれいかが続けます。なおもみんなで文化祭を成功させるために考えようと賛同。やよいは母親に頼んでファッションショーの資料を集めます。それを聞いたみゆきの表情がパッと明るくなります。全体の方向性をみゆきが提案して、みんながそれを補佐、具体案を決めていく。良いチームです。そして、重要なのが相手の都合に言及していること。これはスイートでも重視されていた部分です。今回のお話しはスマイル全体のお話しの縮図です。
ところで、みゆきが超可愛い。今回の可愛さは全体通してもトップクラスだと思う。
翌日、やよいはファッションショーの資料をみんなに見せます。ファッションモデルだけでなく色んな人の努力で舞台が完成していると話すやよい。裁縫、照明、小(大)道具、たくさんの仕事がある。これも前回に引続き重要な部分。目的は一つでもそこに多くの役割がある。だからその中で自分にあった役に就けばいい。雇用の需給調整みたいなもんですね。もっとも、それでもあぶれる人、ミスマッチが生じるのだけど。役割を演じることと、役目を引き受けることは似ているようで違う。前者は本人の意思を必要としないが、後者は主体的な意思が必要とされる。そして、人が生きているという実感、繋がっているという実感は後者にしか訪れない。
級友達は口々にやよいの母親を褒めます。嬉しそうなやよい。テーマを決めるのも大事だと言います。みゆきが率先して絵本をテーマにしようと提案します。要するにコスプレ。様々な衣装、モチーフが選べるのでガチ路線からネタ路線まで選べそうです。級友達も支持します。みゆきはじゃあチームにしてもいいかも、桃太郎とか白雪姫チームとか、とさらに具体的に提案の中身を詰めていきます。みんなで舞台に立とう、司会も裁縫もみんなで衣装を着てやろうと言います。要は自分の分は自分で作る勢い。これ結構忙しいぞ。
眼鏡君はサルカニ合戦チームをやると言います。自分は猿。宗本君は栗。いや、お前は臼だろ、体格的に考えて。「お前は臼だろ」。ほら、同じ意見。
和気藹々なクラスの雰囲気。そこに豊島君が入ってきます。彼の姿を見るとサルカニチームのメンバーはうつむきます。何か後ろめたいことがあるようです。表情を険しくすると豊島君は何も言わず荷物を置きます。みゆきが早速声をかけます。みゆきの誘いにつっけんどんに答える豊島君。すたすたと教室を出て行きます。彼の意固地な態度に疑惑を強めるあかね。みゆきはめげずに彼の後を追います。
彼を呼び止めるとみゆきは脳天気な様子で一緒にファッションショーを盛り上げようと再び誘います。このシーンは彼女が見かけ通りの脳天気な子ではないことの良い見せ場です。教室を出る前に彼女は真剣な顔で思案していました。彼の頑なな意思を和らげようと敢えて何も考えてなさそうな態度で接しているのでしょう。しかし彼の意見を変えることはできません。これもおそらくは物語の終盤に関わってくる重要なポイントです。現在のみゆき達はみんなでハッピーになろうと思っている。でも、それを実現するには良い意味で相手を巻き込まなければならないのです。でなければ結局は自分の意見を押しつけているだけに過ぎなくなるからです。如何にして相手の心に触れるか、触れられるのか。想いを届けられるか、想いを受け取ることができるか。理想を現実に変えるためには多くの経験と長い時間を要します。
今度はサルカニチームが豊島君を呼び止めます。すまなさそうな顔。豊島君は声を荒げて糾弾します。彼はバンドをやりたかったらしい。3人は彼の賛同者だったようです。冒頭の投票でもバンドへ4票入っていました。まあ、彼ら以外やる気ないってことなんですが。やりたかったけど、自分達だけの意見でクラスの出し物は決められないと至極もっともな答えを返すサルカニチーム。現実的かつ大人な態度です。ここで意固地になっている豊島君が大人げない。とはいえ、彼の立場からすれば3人に裏切られたような印象を持つでしょう。それは彼のセルフイメージをいくらかは傷つける。つまり自分は見放された、肯定してもらえなかった、一人だけのけ者にされた、と。最初から一人でバンドする気だったなら引き際や諦めもつくでしょうが、こうして拗れると厄介です。大抵の人間関係による揉め事の根本は意地、つまり自分が肯定される(勝つ、支持されるか、自分の功労を認められるか)かどうかを巡っての話しです。仕事にもこうした意地を持ち込む人がいます。全くどうでもいいことですが、私は仕事にそういう意地をあまり持ち込みません。私の仕事へのスタンスは仕事がスムーズに完遂すればOKというものなので、方法論が違っても目的が達成されるならどれでもいいと思うからです。さっさと仕事してさっさと帰る。意地を持ち込むとすればそれは、如何にして仕事の完成度を上げるか、楽できるように、早く帰れるように仕事をキッチリ仕上げるか、というところです。まあ、そのためにも交渉術は重要なスキルなんですが、これがまた面倒臭いんだよね。モノを言うにもモノを知ってないといけないし。……と話しがプリキュアからズレた。
豊島君はバンド以外やらないと言い残して去っていきます。みゆきが3人に尋ねるとギターがめちゃくちゃ上手いとのこと。自分の得意なモノを披露する場が無いというのも寂しいものです。彼に会場音楽をやってもらえばいいんじゃないかな。
②ありふれた日常の、ありふれた絶望と孤独
東屋で昼食。それってワガママちゃう?ともっともな意見を言うあかね。クラス全体に関わること。一人の意見を優先するわけにもいきません。全員一致の出し物にするには難しいとつぶやくやよい。話しはそこで袋小路に。するとキャンディがファッションショーは面白くないのかと尋ねます。たぶんおもろいと思うと答えるあかね。たぶんかよ。みゆきは豊島君にもファッションショーが面白いと思って貰えればいいのだと閃きます。強制参加路線から勧誘路線に変更。それはそれとして、みゆきの笑顔アップが可愛すぎて生きるのが辛い。
一方その頃豊島君は音楽室で独り肩を落とします。彼にとっても進退窮まった状態。
放課後、帰ろうとするとみゆき達5人が声を変えてきます。何このボーナスステージ。ただでさえみゆきから声をかけて貰える栄誉に与りながらさらには5人同時……だと?
ピョンピョンと身体全体で表現するみゆき。スカートがギリギリのライン。なにこの歩くウルトラハッピー。でも角度と位置的に豊島君からは見えない。ざまーみろ。
超どアップで勧誘するみゆき。くっそ。豊島君は逃げるようにして教室を出て行きます。これはあれか、わざとか!? わざと声かけてもらいたくてやってんのか。あー、私も文化祭やりたくないわー(チラッチラッ)
衣装製作。賑やかなクラス。みゆきは針に糸を通そうとしています。不器用そうだなぁ。なおはミシンを上手に扱います。
屋上で独り昼食を摂る豊島君。ため息。自分でも自分の置かれている状況を分かっているんだけど、今更、とかそんな感じでしょうか。あかねとみゆき、やよいが豚鼻をつけて声をかけます。似合っていると悪態をついて逃走します。その後もれいか達がBGMについて相談したり、照明について尋ねたりしますがのれんに腕押し。そして極めつけはみゆきの悩殺ポーズ。本人もノリノリな声。これは完全に女の声。みゆき侮り難し。ところが返ってきた言葉は「邪魔だよ」。俺の怒りがマッハ。ふん、後で自分の人生を振り返って後悔するがいい。何故あの時自分は誠実に向き合わなかったのかと。せめてみゆきの悩殺ポーズを脳内SSDに完全保存しなかったことを呪うがいい。
それにしても彼は恵まれています。人にかまって貰えるというのは、それ自体恵まれたことだと思って良い。
試みが失敗してはっぷっぷー。豊島君以外の問題は順調に進んでいます。早くしないと益々入りづらくなる。彼女達も状況は理解しています。
放課後。今度はやよいがアプローチ。羽の付いた帽子を見せます。豊島君に勧めますがやはり翻意させることはできません。そろそろブチ切れモードのなおが彼の前に仁王立ちして説教します。みんなで決めたこと、あんたの言い分は筋が通らない。ごもっとも。たぶんそれは豊島君も最初から分かっている。口答えする豊島君に掴みかかろうとするなおをみゆき達が止めます。
彼の孤独は次第にその色を増していきます。
衣装も段々揃い、クラスの中は鮮やかな活気に満ちた様相を呈してきます。可愛いピンクのドレス。みゆきはシンデレラでしょうか。やよいは赤ずきん。ゲームの格好と同じですね。あざとい。
みんながモデルというアイディアは好評。ここまでノリが良いとみんなで楽しく踊らにゃソンソン。みんなが主役になれたら、とみゆき。誰もが自分の人生においては主人公。誰もがサクセスストーリーになるとは限らないが。
豊島君入場。彼は教室の中を見てハッとします。クラスの面々は衣装を着て盛り上がっています。もう完全にアウェー。意地を通そうが、つっぱってみようが、現前の光景はこう言っています。「お前仲間はずれ」。アウトローという役があるならまだ良い。問題はその役すら無くなったときだ。誰からも必要とされなくなったとき、それは社会的に個人が抹消されたのに等しい。のけ者にされたマイノリティが騒いでいる間、それに関心を持たれている間はまだいい。忘れ去られてしまったとき、そのマイノリティ達は復讐者と化すことがある。自分を見ろ、自分を捨てたお前達に復讐してやるのだと。これはフレッシュの映画が明示的ですね。すべての復讐者がそうではないが、少なくとも一部にはそうした自分を捨てた(自分の存在を認めなかった、分かってくれなかった)社会、人々に対する怨嗟、憎悪、嘆き悲しみが動機となっていることがあります。そして忘れてはならないのが、私達が住んでいる世界とはそうしたことが日々起きているということです。誰もがそうした立場、つまり人を傷つける立場、傷つけられる立場、見て見ぬ振りをする立場になりうる。
豊島君の心中に気づかずみゆきは衣装を着たみんなが素敵でしょ?と声をかけます。一緒にやろうと言うと声を荒げて自分には関係ないと突っぱねます。自分でも状況を分かっているはずですが今更折れられないのでしょう。こう言ってはなんですが、安いプライドです。本当に自分を持っている人、自信がある人は自分の非を認められます。人の忠告、意見も聞く。そして勇気があるというのはそうした自分の過ちや脅威(この場合であれば疎外や禍根)に対して立ち向かうことです。ついでに言うと周囲の人達はそういうことを観察しているものです。ああ、こいつは意地っ張りで人の話聞かない、この人は度量のある人だ、と。私は腹黒いのでその辺も計算して行動します。自分の味方は作っておいた方がいい。それが逃げ道や余裕、自信に繋がる。ただし風見鶏はいけない。それも見透かされやすい特性だから。自分の意見を持ちつつ賛同者を得ることが大事。
意地はらんと参加したらええやん、とあかね。彼は無言のまま教室を出て行きます。ここで折れると自分が負けた感じがするはずです。自己否定の感情。それが正しいと分かっていても向き合いたくないものです。ああ、ほんと、人間ってめんどくせー。
豊島君が去った後、女子生徒がほんとはダンスがしたかったけどファッションショーもやってみたら楽しいと話します。もったいないよね、と他の子も同意。本人がやりたくないと言っているなら星空ももう誘わなくていいんじゃね?という意見が出てきます。その言葉に振り向いたみゆきは、クラスに先ほどの賑やさとは異なるざわめきが起きていることに気づきます。これも18話と関連しますが、この時点でクラスの人達は一致団結して出し物をすることを諦めかけています。もはや離脱者が出るのは仕方ないのだと。本人がやりたくないと言っているんだから。
このままじゃなんか嫌だな…とつぶやくみゆき。何故そう思うのか、ではどうなることが望ましいのか。物語は後半。みゆきが抱くこの想いがどこまで昇華されうるものか。みゆきの言葉にクラスのみんなが振り返ります。みゆきの感情はおそらくみんなも感じている。ただしすぐに忘れられるか、放っておかれるものでしょうが。あかね達はみゆきに力を貸します。級友とあかね達の温度差、反応の違いはこれまでのお話しの積み重ねの違いです。またこの課題は彼女達の意思が彼女達に留まることなく拡張していけるかの試金石でもあります。
③すべての人を笑顔に
外に出て豊島君を捜すと、果たして独りでギターを弾いています。何でこんな感じになったんだろ、自分もみんなと楽しくやりたいと独り言をつぶやく豊島君。後ろに居るみゆきに気づいているか微妙なところですが、戦闘後の反応を見るに気づいていないと思われます。豊島君のつぶやきを訊いたみゆきは何かに気づいたようにハッとします。彼の本心は自分と同じ。しかしどこかで歯車が噛み合わない。多数の立場から見れば豊島君は協調性がないワガママですが、彼自身もどうしていいのか分からない。純粋な悪、暴力、悪意というのはむしろ希です。どこかでボタンを掛け違った結果、お前が!お前こそ!の不協和音が起こる。
マジョリーナ登場。いつもどおりアカンベェ召喚。カウント8。変身。
今回の作戦は大音量による音波攻撃。地味だけど効果的。行動不能に陥ったプリキュアを助けたのはキャンディの閃き。バナナデコルを使って巨大バナナを召喚。中身を食べて皮をアカンベェの足下に投げます。……中身食べなくても良かったんじゃね?
今週もピーちゃんは大活躍。カウント3。
MVPのキャンディを褒めるハッピー。キャンディは自分で出来ることをやるクルと誇ります。それを訊いたハッピーは閃きます。
豊島君は目覚めるとギターを探します。少し離れたところに落ちているのを大事そうに拾います。みゆきが話しかけると豊島君は自分にはギターくらいしか取り柄がないと正直に言います。彼なりの歩み寄りでしょう。文化祭についても謝ります。みゆきは微笑むと、目をキラキラさせて頼み事をします。プリキュアの笑顔、微笑みはとても受容的で屈託がない。それでいて聡明でもある。
「みんなで最高の文化祭にしようよ!」
5話の読み聞かせ会の時もそうだったのだけど、彼女は何が大事かを見誤らない。個々の問題を解決しつつ、大きな目標を達成する。彼女もプリキュアの主人公。その行動力と求心力は他の子達とも引けを取らない。
文化祭当日。様々な出し物が並びます。
ファッションショーは体育館。れいかがアナウンスを務めます。豊島君率いるサルカニ改めピーターパンチームの演奏とともに開幕。BGMはキャラソン。可愛らしい衣装を着た女の子達が飛び出します。ウェンディーと妖精達かな。
滑り出しは好調。舞台袖裏に控えたみゆき達も一安心。その後も絵本モチーフのコスプレ軍団がステージを行進していきます。やよいも赤ずきんの格好で進みます。隣に狼の格好をしたイケメン生徒。これは不味い。こいつ黄色派に埋められるぞ。あかねはアラビアンナイトの姫さん。れいかさんはこういう場での貫禄がパネェ。なおは不思議の国のアリス。緊張するみゆきを励ます級友達。今回の立役者は間違いなく彼女。
メインヒロインとばかりに舞台へと進み出ます。みゆき派の私は感無量。スポットを当てている係もちゃんと衣装を着ています。ピーターパンと一緒にポーズ。私には豊島を殴る権利があると思う。ところで、もう私のHDDの残量はゼロよー!
最後は全員並んで締め。
④次回予告
鼻息がこれほど似合うプリキュアはピースだけ! 次回から「美機動戦士プリキュアS」が始まるよ。
○トピック
次回予告が全部持って行った回。だから何故真面目な話しの次にギャグを持ってくるんだ。どこに行きたいんだ、このアニメ。
文化祭でファッションショーはハートキャッチでもあったので記憶に新しい。ハートキャッチのファッションショーはえりかの自己実現(彼女の成長と飛躍)が主軸でしたが、スマイルではみんながハッピーになるための課題と困難にスポットが当たっています。プリキュアであるみゆき達の理想が果たして現実に可能なのか、またそれは彼女達"だけ"にしかできないものなのか。物語のテーマが拡張されつつあります。
物語も後半。終盤にも関わってくるテーマが深掘りされ始めています。再三書いていることですが論点整理も兼ねてまた書きます。
スマイルの物語の根底にあるのは、現実の厳しさ、もっと言えば、私達の住んでいる世界は必ず犠牲が出てしまうという認識です。童話の世界の悪者であるウルフルン達は勿論のこと、リレーの回では足の遅いやよい、今回であれば豊島君が割を食っています。ジョーカーが指摘したようにただでさえ上手く行かないことがあるのに、みんなでやろうとするとどこかで噛み合わないことや利害の衝突が起きる。必ずしも自分の意見が通るとは限らないし、割り当てられた役に不満が出たりもする。文化祭はあくまで一つの提示で、これは現実社会のそこここで生じるものです。この摩擦、軋轢を完全に無くすことは不可能です。断言しますがプリキュアはその根本部分を無くせるとは言わないはずです。プリキュアが出来ることは生じ続けるその摩擦を不断の努力によって一つ一つ克服していくというものでしかない。多分ジョーカー達の願いの方がずっと純粋で理想型だろうと思います。前作でノイズが心を排除するために人間を石化させたような極端ではあるけど純粋で根源的な願いになるだろうと思う。近年のプリキュアの敵は理想化・単純化・一方的で極端な解決を目指すのに対して、プリキュアの願いは現実的でより困難な道であると言えます。どっちが大人なんだか。
今回のエピソードで示されているのは「全員一致」ではありません。それは不可能。全員が最初から望んだ合意を得ることはできない。それなればこそ、その不整合を調整し正していくという解法が出されています。要は問題点、事象、相手に対して正しく理解して知恵を出し合うという話し。単純だけどそれが難しい。地味な作業の先に笑顔があるという指摘はプリキュアらしい。基本的にこの作品は泥臭く汗臭い。
今回のように全体の中から少数の人達がはみ出て割を食ったり、そこで軋轢が生じて本人も周囲も諦め始めてしまうというのは実はとても怖い事実を示していると思います。本文中にも書きましたが、些細なことから悲劇は起こるものです。また、ジョーカーが指摘し、今回のエピソードでも示唆されていることで一つ厄介なことがあります。それは「本人がいいって言ってるんだからいいんじゃないの?」という逃げ道があることです。この言い訳は非常に魅力的で強力です。この言い訳を使えばほとんどの問題を放置することができます。問題に介入することは逆にお節介だと言われかねない。ここで面白いのはみゆきはそのお節介をしていることです。これは以前も触れましたが、みゆきは自分の理想のためにみんなを巻き込んでいます。それ自体の善し悪しの判断は難しいところですが、あかね達に対しては上手く行きました。でも実は今回のエピソードでは失敗しかけています。
豊島君の拒否反応には彼なりの意地や表現、他にやりたいことがあるというような苦悩や葛藤が隠れている。だからみゆきが何度誘いかけても彼の意見は変わらなかったのです。みゆきは彼の真意に気づいていない。彼の心を見ずに自分の理想を押しつけようとしたんです。問題はファッションショーが面白いかどうかではないんです。彼が自己表現をギターに仮託している、その見せ場を欲しているということなんです。最初からすれ違っている。これでは上手く行くはずがない。仮にそこで無理に納得させてファッションショーをやらせても彼の中に「自分が認められなかった」というようなシコリは残ったでしょう(この程度なら一過性の苦悩でしょうが)。場合によっては彼を一層追い詰める結果になったかもしれません。
何が言いたいかというと、今回のお話しのポイントは「みんなでハッピー」理想が限定的ではあるけど実現可能なこと(みゆきの願いが現実的に拡張可能であること)を証明した反面、その実現のために一方的に押しつけるやり方ではダメだという教訓です。みゆきは豊島君の独り言を訊いた時に気づいたはずです。自分の言っている「みんなで」は間違っていない。彼もそう思っている。でも同時に彼の本心を理解していなかったことにも気づいたはずです(気づいていなくても物語としてそれが必要であることが示唆されている)。
プリキュアの物語のベースは人間が抱える苦悩や葛藤にあります。それを解決するにはその人の本質的な問題、苦悩や願いを掘り起こさないと解決への芽は出てきません。しかし相手が何を求めていて、それを叶えるためにどのように手助けをすれば良いのか考えることは言うほど簡単なことではありません。前作スイートで何度も響達が躓き直面したように、相手の真意が見えないことによる誤解と疑惑が軋轢をさらに深める。「本人がいいって言ってる」という言い訳も出来る。その言い訳こそ他人を切り捨て、無関心(あるいは思考停止)を増長させる根源でもあると思う。本来クラスで決めたのならその決まりに対しての責任もあるはずです。強制する権利とフォローする義務がある。それを個人の責任に転嫁するのは問題のすり替えなんじゃねーの?という指摘ができる。彼を追い詰めたのは私達なのではないかと。社会問題についても同様のことが言えます。でも実際には誰も責任を取らない。社会的連帯よりも個人主義の方が幅を利かせている現代ではなおのこと。自分で問題を解決できる人は一握りです。大抵の人にはそんな力はない。だからこそこの世の中は苦悩と悲劇に満ちている。つぼみが言ったように「哀しみが終わらないのは私達の力が足りないから。憎しみが尽きないのは私達の愛がまだ足りないから」。他人に関わる、他人を巻き込むのは面倒臭くもあるし、また別の葛藤や苦悩を生むジレンマもある。しかし本当にみんながハッピーになるにはその苦労を背負い込まなければならないのだとも思います。それは一人では大変なことだし無理。みんなでって言っているのに一人で出来るわけがない。程度の差はあれど、人はみな社会や他者に責任を負っている。主体性を持つということは自分だけの責任を自覚することにあらず。他者をも含む。お互いが重なり合いながら関わっている。みゆきのワガママがみんなのワガママになり、本当の優しさ、思い遣り、みんなのハッピーへと至るにはまだ多くの時間と経験が必要になる。自分の理想を実現するために、どうすればいいのか考え続ける。アホの子なのに考える主人公。プリキュアでも珍しい主人公です。
またこれと並んで、みんなが主役というのは原理的にあり得ないのですが、「自分で考えて自分で決める」が主体性のことを指すとすれば妥協可能です。物語の中には主役と脇役、場合によっては悪者が必要になる。同じように現実でも種々の役割があって自ら進んで脇役に徹する人もいるでしょう。私は地味な仕事の方が好きです。そういう人は決して自分を卑下したり甘んじているとも思わないはずです。各々の文脈に応じて自分の役目を価値づけていけるからです。自分のやっていることは自分にしかできない、自分が選び取ったもので、この役がなければ話しは進まないっていう自覚と誇りですね。分相応な自覚とも言えますが。プリキュアだけではお話しは進まない。妖精がいなきゃ玩具が売れない。悪者がいなくちゃヒーローにならない。
では、その悪者にも光はあるのだろうか? どう受け止めればいいのだろうか。何のために物語に悪が必要とされるのか。その問いへの答えはもう少し先になりそうです。
プリキュアは問題提起に対して自己の内在論理で解答する作品です。だからこそ最初から最後まで真剣になって見れる作品だと思っています。その解答が正しいか間違っているか、私の価値観に合うかは置いて、プリキュア自身が真剣になって取り組んでいるからこそ、そこから感じ取るものが多くあります。この感想はその感じ取ったものを書くためにあります。
第33話「映画村で時代劇でござる!?の巻!」
○今週出来事
①妖怪映画に出演
逃げる町娘。追いかける黒い三連星(カラス天狗)。ついに町娘は追い込まれてしまいます。そこに現れたのは我らが星空みゆき。颯爽と変……はい、カット。
「なにしてんねん」
映画の撮影に乱入してました。
「私も映画に出てみたいな」
来月全国放映で出演されますよ。
時代劇映画村の映画撮影見学に来た一同。モチーフは某所。何故か池に恐竜がいる例のあれ。
今回撮影しているのが「妖怪オールスターズDX」。エンディングでダンス踊りそうな映画です。やよい曰く女忍者が妖怪を倒すところがすごく格好いいらしい。流石特オタ、チェック済。ポップは侍映画だと思い込んでいるらしく参加せずに帰っては末代までの恥だと人間界に居残っています。エキストラ狙いでしょうか。
みゆきとやよいはその場で即興の劇を演じ始めます。ちなみに後ろに飾っているポスターには「ふたりはくノ一」などがあります。ビーム撃ちそう。みゆきとやよいの遊びにあかねとなおも混ざり始めます。やよいを巡っての取り合い。それを見た監督は閃きます。なんだ、百合映画の撮影か? 私も見学に行きたいんだけど。
その場で映画出演を依頼されるみゆき達。すげー胡散臭いぞ、大丈夫かこれ。
お着替え。みゆきは町娘。似合っています。また私の「みゆき」フォルダが厚くなります。やよいは団子屋の看板娘。なんかこんな子居そうな雰囲気。れいかはお姫様。どうなってんだよこの配役。事前のキャスト構成どうなってたんだよ。超似合っている、というか、そのまんまなイメージにみゆきとやよいは見とれます。れいかは大役過ぎると頬を染めます。今週は大漁だな。あかねは妖怪女郎蜘蛛。オチが4番目に来ちゃいました。橙色派は怒っていい。なおはくノ一。これもイメージどおり。ポーズを決めるとみんなから拍手喝采。あかねさんマジ不遇。
監督がみゆき達の格好に満足して部屋を出て行くと、ポップが侍の格好をして出てきます。人間の姿に化けたようです。耳と尻尾は出たまま。時代劇と聞いて黙っていられなかったようです。ヒーローものが好きなやよいは目をハートにしてポップに熱い視線を送ります。みゆきもまんざらでない様子。みゆきもやよいほどでは無いにしても、アニメとか特撮ヒーローとか見れるタイプなのかも。
撮影現場。ポップは監督に直談判。かなり無茶なお願い。みゆきとあかねも不安そうに見ます。ところが監督は耳と尻尾が大変気に入ったのか二つ返事でOK。やべー、この映画安そう。監督はキャンディにも興味を持ちます。何のかんのとキャンディも出演OK。
②脚本家なんていらなかったんや!
現場は着付けのチェック、台本の確認とそれっぽい雰囲気。れいかさん違和感ねぇ。
「本番いきまーす」
ぶっつけ本番で撮る監督らしい。凄い低予算臭。数日で撮り終えるタイプっぽい。
撮影開始。団子を食べてウルトラハッピーなみゆき。時代劇なのに英語を使うみゆきにあかねは呆れます。「止めます?」「いや面白いよ続けて」。先が思いやられます。
れいかが助けを求めて逃げてきます。「どうしたの? れいかちゃん」。お姫さまと知り合いなのかよ、この団子屋の娘。「魑魅魍魎に追われているんです」。予想どおり魑魅魍魎が分からないふたり。知ってる知らないはいいから、お前ら台本読め。やよいのポーズが可愛い。
女郎蜘蛛のあかね登場。そのロープどっから垂らしてんだ? 関西弁でしゃべります。アドリブ入れまくりなみゆき達。「いいね、いいね、続けて」。この映画間違いなくこける。
くノ一なおが参上。スタントマンを使わずに屋根から降りてきます。すげぇ。そのまま女郎蜘蛛と球技対決。幼稚園の遊戯会ですらこれよりマシなレベルですが、監督はテンション上がってます。勝負は女郎蜘蛛の勝ち。お姫さまゲット。4人が素なのに対してれいかが微妙に某読みなのがそれっぽい。
ポップ参上。台本無視して女郎蜘蛛を成敗。立ち去っていく侍に名を尋ねます。「拙者風来坊のポップ。名乗るほどの者ではござらん」。自己顕示欲強ぇ。みゆき・やよい「かっこいいー!」。「名乗っとるやないか」。あかねよりもみゆきとやよい側の方が人生楽しめそうな気がする。昼間だけど夕日をバックに終了。
カット。流石にこれはやり過ぎ。ところが監督は大絶賛。次のシーンも続投を頼まれます。(制作費が)安い、(撮影が)早い。薄利多売は映画界にも蔓延しているようです。
バッドエンド王国。青鬼が人々を脅かしているテレビ番組に夢中になるアカオーニ。鬼世界のスーパースターらしい。遊びにおいでよ時代劇映画村」「はい!」「はい!」。アカオーニはこうしちゃいられないと映画村に直行。この人テレビの影響受けやすいよね。
③映画撮ってたらいつものプリキュアだった
映画村に到着。すぐに青鬼が見つかります。感激したアカオーニは大ファンだと彼の手を握ります。すぐ近くを歩くみゆき達。いつも格好が違うのでアカオーニは人違いかと思い直します。このまま帰った方がアカオーニさん的には良かったのかもしれません。
本来の目的は見学。みゆき達は映画に参加しながら撮影風景を眺めることで映画がたくさんの人達によって作られていることを感じ取っていきます。これは次回にもかかってくる要素ですね。ひいては、物語には様々な登場人物が居て、その人達によって語られるのだというところに繋がっていくと思われます。多数の人々が繋がり紡ぎ合って世界は成り立っているというお話しはシリーズの根底に流れるテーマです。
撮影は最後のシーン。町に攻めてきた妖怪達を町の人々が一致団結して防戦するという筋書き。大小様々な妖怪が並びます。「みなさん今こそ力を合わせて立ち上がるときです!」。鬨の声をあげる民衆。れいかさんが総大将のような雰囲気。これみゆき達が参加する前の脚本とか配役どうなってたんだろ。
そこにアカオーニが乱入。撮影だと気づいていないので本気で喜んでいます。そのまま破壊活動を始めます。逃げ惑う役者達。監督は凄い迫力だ!と意気込みます。いや、それ本当に破壊活動ですから。っていうか、お前監督じゃなくて視聴者視点だろ。
青鬼まで逃げてしまい、段々違和感を覚え始めるアカオーニ。れいがここでネタばらし。時代劇映画村。しかしそれにしてもこういう場だとれいかさんは安定するなぁ。
ようやく作り物だと気づくアカオーニ。そこにポップも参加して益々カオスな展開に。ここの人達ノリいいなー。
バッドエナジー回収。カウント7。
「みんなが一生懸命作ってる映画の邪魔はさせない!」
君がそれを言うか。変身。アカオーニもハイパーアカンベェと一体化。
アカンベェはプリキュアの動きを録画すると、一時停止、巻き戻し。動きを操作できる能力を持っています。決めポーズで固定されるプリキュア。これはシュール。ピースさんなんてずっとピースし続けています。マーチの脇見放題。
ポップが参戦。メルヘン流奥義を披露。しかし刀が折れます。「メルヘン左右衛門正宗が!」「なんやその名前、てかそれ作りもんの小道具やろ!」。今週はツッコミが忙しい。
キャンディは象を召喚して放水。クロックがあるのでパクトを必要としなくなりました。水をかけられてアカンベェは故障。うっかり早送りを押してしまいます。「なにこれすっごく速い!」。ハッピー楽しそう。素早い動きでプリキュアは攻撃を仕掛けます。あとはいつもどおり浄化という名の爆破。カウント2。デコールは3個。
バッドエナジーは残り11、クロックは10、デコールは13。残りの話数を考えると全部収まりますが、デコールあたりは調整が入りそうです。おそらくクロックはミラクルジュエル解放条件だと思われるので手札が揃うのは年末ってところかな。いつもどおり。
監督は素晴らしい映画が撮れたと絶賛。試写会に来てね、とみゆき達にお礼を言います。全部カメラに収まっているのでプリキュアのこともバレバレ。心配ない、とポップ。いつの間にかテープをくすねていたようです。こういうのに詳しくないんですが、撮影用のフィルムってでっかいドラム型のアレじゃないの。VHSテープにしか見えないんだけど。プリキュアのところだけ消して後で戻しておくと言って去っていきます。絶対やらかす気です。
試写会。開幕ポップ登場。おおー!とみゆき達は見入ります。ポップのかけ声、決めシーン。何か後ろに青や緑のぼやけた何かが映っていますがそのまま映像はポップの大活躍で終了。みゆき達のリアクションに共感せざるをえない。やよいはこの映画のDVD買いそう。ポップはドヤ顔を残して試写会場から去っていきます。おい、こら、待てや。
「いやー映画ってほんとにいいものでござる」
さよなら、さよなら、さよなら。
④次回予告
久々の学校回。まさかのみゆき悩殺ポーズ。「みんなで楽しくやる方法を考えよう」。物語は後半。
○トピック
プリキュアでは恒例の社会見学兼コスプレ回。
大体30話~40話くらいまでがギャグ回ができるギリギリのタイミング。脚本も中の人も作画も脂がのって破天荒でカオスなエピソードが披露されます。それと同時に終盤や映画に関わってくる主題部分の仕込みも行われます。
さて、今回の話しは特に書くことがないので与太話でも。
ジョーカーの正体はピーターパンなのでは? という憶測が出ているようです。これはありそうな展開。ストーリー的にも意味のある配役だと思います。スマイルは童話の悪者達が敵として登場しているわけですが、ここでヒーローポジションのピーターパンが敵側に居ることで勧善懲悪の構図が崩れることが明確になりますし、物語の奥行きも増します。なので、ここでちょっと真偽の程は別にしてピーターパンについてプリキュアと絡めながら余談を続けます。
ピーターパンというと、ピーターパン症候群という言葉があるように大人になりたくない願望が連想されるので怠け玉の世界、またバッドエナジーやクロックのカウントから示唆される「物語の終わり(あるいは始まり)」に対するカウンター、つまり「停止」も想起されます。参考に岩波少年文庫版「ピーターパン」を読んでみたんですが、想像していたよりも複雑なキャラクターでした。気分屋でワガママ、意地っ張りで見栄っ張り、ガキ大将というイメージはそのままですが、彼への印象が大きく変わったエピソードがあります。それは彼の口から語られた母親に対しての想い出です。彼が家出した後、家に戻ろうとしたら期待に反して窓は閉まっていて別の男の子が自分の部屋で寝ていたと述懐しています。ここから想起されるのは、ピーターパンは母親から見捨てられた子ども、疎外された存在であるということ。その失望と落胆が部分的には大人に対する不信感や大人になることへの拒否感に繋がっているように思えます。そのくせウェンディーが母親代わりになったりと母親への何かしらのこだわりが見え隠れもしています。
一見すると親の庇護から離れて自由に飛び回っているのは「子ども」らしくも見えます。しかしここではむしろ社会や人間的な繋がりからの疎外というニュアンスの方が強く、またウェンディー達が親元に戻った際に、親の愛情を受け取るのと対比してピーターはその世界から締め出されているという表現がされています。子どもが子どもでいられるのは親の庇護、帰る場所があるからなのではないかという気がしてきます。つまり「子ども」とは人間の成長段階の一時期、過程の一部分という捉え方ですね。ピーターは物忘れが激しく、感情や気分がすぐに変わります。その都度初めて経験するかのような新鮮さ、初々しさが彼の心性です。このことから永遠の処女性が連想させられます。大人になりたくないという願望もさることながら、成長することを絶たれた世界に閉じ込められているようにも受け取れます。常にリセットされる存在。それは子どもとは似て非なるものなのではないか。
そこから逆説的に成長とは、経験、記憶、連続的、主体的、同一性を保った(分裂的でない)変化であると言えそうです。みゆき達が経験して選び取っていることがまさにソレ。彼女達はヒーローに憧れて、プリキュアごっこをしていた。それは居心地のいい世界でしたがあることをキッカケにその世界の困難に直面する。彼女達はヒーローごっこからヒーローに、子どもから大人へと成長(変化)していこうとしています。カウントが進んでいくのも変化のニュアンスを帯びているようにも思えてきます。
ってなことを考えるとピーターパンが敵側に居るのは色々と示唆的ですし、物語の対立構造が一層深まっていくように思われます。もっとも、あくまでこれは憶測でしかありません。2、3ヶ月もすれば真相は分かります。ここに書いたのはちょっとした柔軟体操のためです。ウルフルン達を救って終わる、だけでは無いのかもしれません。はてさてどうなるか。まずは映画。プリキュアの秋映画はその物語の骨子が色濃く反映されることが多い。スマイルの映画はみゆきのちっちゃい頃の姿が出るようです。いやー、楽しみですね!(余計なこと言った)
①妖怪映画に出演
逃げる町娘。追いかける黒い三連星(カラス天狗)。ついに町娘は追い込まれてしまいます。そこに現れたのは我らが星空みゆき。颯爽と変……はい、カット。
「なにしてんねん」
映画の撮影に乱入してました。
「私も映画に出てみたいな」
来月全国放映で出演されますよ。
時代劇映画村の映画撮影見学に来た一同。モチーフは某所。何故か池に恐竜がいる例のあれ。
今回撮影しているのが「妖怪オールスターズDX」。エンディングでダンス踊りそうな映画です。やよい曰く女忍者が妖怪を倒すところがすごく格好いいらしい。流石特オタ、チェック済。ポップは侍映画だと思い込んでいるらしく参加せずに帰っては末代までの恥だと人間界に居残っています。エキストラ狙いでしょうか。
みゆきとやよいはその場で即興の劇を演じ始めます。ちなみに後ろに飾っているポスターには「ふたりはくノ一」などがあります。ビーム撃ちそう。みゆきとやよいの遊びにあかねとなおも混ざり始めます。やよいを巡っての取り合い。それを見た監督は閃きます。なんだ、百合映画の撮影か? 私も見学に行きたいんだけど。
その場で映画出演を依頼されるみゆき達。すげー胡散臭いぞ、大丈夫かこれ。
お着替え。みゆきは町娘。似合っています。また私の「みゆき」フォルダが厚くなります。やよいは団子屋の看板娘。なんかこんな子居そうな雰囲気。れいかはお姫様。どうなってんだよこの配役。事前のキャスト構成どうなってたんだよ。超似合っている、というか、そのまんまなイメージにみゆきとやよいは見とれます。れいかは大役過ぎると頬を染めます。今週は大漁だな。あかねは妖怪女郎蜘蛛。オチが4番目に来ちゃいました。橙色派は怒っていい。なおはくノ一。これもイメージどおり。ポーズを決めるとみんなから拍手喝采。あかねさんマジ不遇。
監督がみゆき達の格好に満足して部屋を出て行くと、ポップが侍の格好をして出てきます。人間の姿に化けたようです。耳と尻尾は出たまま。時代劇と聞いて黙っていられなかったようです。ヒーローものが好きなやよいは目をハートにしてポップに熱い視線を送ります。みゆきもまんざらでない様子。みゆきもやよいほどでは無いにしても、アニメとか特撮ヒーローとか見れるタイプなのかも。
撮影現場。ポップは監督に直談判。かなり無茶なお願い。みゆきとあかねも不安そうに見ます。ところが監督は耳と尻尾が大変気に入ったのか二つ返事でOK。やべー、この映画安そう。監督はキャンディにも興味を持ちます。何のかんのとキャンディも出演OK。
②脚本家なんていらなかったんや!
現場は着付けのチェック、台本の確認とそれっぽい雰囲気。れいかさん違和感ねぇ。
「本番いきまーす」
ぶっつけ本番で撮る監督らしい。凄い低予算臭。数日で撮り終えるタイプっぽい。
撮影開始。団子を食べてウルトラハッピーなみゆき。時代劇なのに英語を使うみゆきにあかねは呆れます。「止めます?」「いや面白いよ続けて」。先が思いやられます。
れいかが助けを求めて逃げてきます。「どうしたの? れいかちゃん」。お姫さまと知り合いなのかよ、この団子屋の娘。「魑魅魍魎に追われているんです」。予想どおり魑魅魍魎が分からないふたり。知ってる知らないはいいから、お前ら台本読め。やよいのポーズが可愛い。
女郎蜘蛛のあかね登場。そのロープどっから垂らしてんだ? 関西弁でしゃべります。アドリブ入れまくりなみゆき達。「いいね、いいね、続けて」。この映画間違いなくこける。
くノ一なおが参上。スタントマンを使わずに屋根から降りてきます。すげぇ。そのまま女郎蜘蛛と球技対決。幼稚園の遊戯会ですらこれよりマシなレベルですが、監督はテンション上がってます。勝負は女郎蜘蛛の勝ち。お姫さまゲット。4人が素なのに対してれいかが微妙に某読みなのがそれっぽい。
ポップ参上。台本無視して女郎蜘蛛を成敗。立ち去っていく侍に名を尋ねます。「拙者風来坊のポップ。名乗るほどの者ではござらん」。自己顕示欲強ぇ。みゆき・やよい「かっこいいー!」。「名乗っとるやないか」。あかねよりもみゆきとやよい側の方が人生楽しめそうな気がする。昼間だけど夕日をバックに終了。
カット。流石にこれはやり過ぎ。ところが監督は大絶賛。次のシーンも続投を頼まれます。(制作費が)安い、(撮影が)早い。薄利多売は映画界にも蔓延しているようです。
バッドエンド王国。青鬼が人々を脅かしているテレビ番組に夢中になるアカオーニ。鬼世界のスーパースターらしい。遊びにおいでよ時代劇映画村」「はい!」「はい!」。アカオーニはこうしちゃいられないと映画村に直行。この人テレビの影響受けやすいよね。
③映画撮ってたらいつものプリキュアだった
映画村に到着。すぐに青鬼が見つかります。感激したアカオーニは大ファンだと彼の手を握ります。すぐ近くを歩くみゆき達。いつも格好が違うのでアカオーニは人違いかと思い直します。このまま帰った方がアカオーニさん的には良かったのかもしれません。
本来の目的は見学。みゆき達は映画に参加しながら撮影風景を眺めることで映画がたくさんの人達によって作られていることを感じ取っていきます。これは次回にもかかってくる要素ですね。ひいては、物語には様々な登場人物が居て、その人達によって語られるのだというところに繋がっていくと思われます。多数の人々が繋がり紡ぎ合って世界は成り立っているというお話しはシリーズの根底に流れるテーマです。
撮影は最後のシーン。町に攻めてきた妖怪達を町の人々が一致団結して防戦するという筋書き。大小様々な妖怪が並びます。「みなさん今こそ力を合わせて立ち上がるときです!」。鬨の声をあげる民衆。れいかさんが総大将のような雰囲気。これみゆき達が参加する前の脚本とか配役どうなってたんだろ。
そこにアカオーニが乱入。撮影だと気づいていないので本気で喜んでいます。そのまま破壊活動を始めます。逃げ惑う役者達。監督は凄い迫力だ!と意気込みます。いや、それ本当に破壊活動ですから。っていうか、お前監督じゃなくて視聴者視点だろ。
青鬼まで逃げてしまい、段々違和感を覚え始めるアカオーニ。れいがここでネタばらし。時代劇映画村。しかしそれにしてもこういう場だとれいかさんは安定するなぁ。
ようやく作り物だと気づくアカオーニ。そこにポップも参加して益々カオスな展開に。ここの人達ノリいいなー。
バッドエナジー回収。カウント7。
「みんなが一生懸命作ってる映画の邪魔はさせない!」
君がそれを言うか。変身。アカオーニもハイパーアカンベェと一体化。
アカンベェはプリキュアの動きを録画すると、一時停止、巻き戻し。動きを操作できる能力を持っています。決めポーズで固定されるプリキュア。これはシュール。ピースさんなんてずっとピースし続けています。マーチの脇見放題。
ポップが参戦。メルヘン流奥義を披露。しかし刀が折れます。「メルヘン左右衛門正宗が!」「なんやその名前、てかそれ作りもんの小道具やろ!」。今週はツッコミが忙しい。
キャンディは象を召喚して放水。クロックがあるのでパクトを必要としなくなりました。水をかけられてアカンベェは故障。うっかり早送りを押してしまいます。「なにこれすっごく速い!」。ハッピー楽しそう。素早い動きでプリキュアは攻撃を仕掛けます。あとはいつもどおり浄化という名の爆破。カウント2。デコールは3個。
バッドエナジーは残り11、クロックは10、デコールは13。残りの話数を考えると全部収まりますが、デコールあたりは調整が入りそうです。おそらくクロックはミラクルジュエル解放条件だと思われるので手札が揃うのは年末ってところかな。いつもどおり。
監督は素晴らしい映画が撮れたと絶賛。試写会に来てね、とみゆき達にお礼を言います。全部カメラに収まっているのでプリキュアのこともバレバレ。心配ない、とポップ。いつの間にかテープをくすねていたようです。こういうのに詳しくないんですが、撮影用のフィルムってでっかいドラム型のアレじゃないの。VHSテープにしか見えないんだけど。プリキュアのところだけ消して後で戻しておくと言って去っていきます。絶対やらかす気です。
試写会。開幕ポップ登場。おおー!とみゆき達は見入ります。ポップのかけ声、決めシーン。何か後ろに青や緑のぼやけた何かが映っていますがそのまま映像はポップの大活躍で終了。みゆき達のリアクションに共感せざるをえない。やよいはこの映画のDVD買いそう。ポップはドヤ顔を残して試写会場から去っていきます。おい、こら、待てや。
「いやー映画ってほんとにいいものでござる」
さよなら、さよなら、さよなら。
④次回予告
久々の学校回。まさかのみゆき悩殺ポーズ。「みんなで楽しくやる方法を考えよう」。物語は後半。
○トピック
プリキュアでは恒例の社会見学兼コスプレ回。
大体30話~40話くらいまでがギャグ回ができるギリギリのタイミング。脚本も中の人も作画も脂がのって破天荒でカオスなエピソードが披露されます。それと同時に終盤や映画に関わってくる主題部分の仕込みも行われます。
さて、今回の話しは特に書くことがないので与太話でも。
ジョーカーの正体はピーターパンなのでは? という憶測が出ているようです。これはありそうな展開。ストーリー的にも意味のある配役だと思います。スマイルは童話の悪者達が敵として登場しているわけですが、ここでヒーローポジションのピーターパンが敵側に居ることで勧善懲悪の構図が崩れることが明確になりますし、物語の奥行きも増します。なので、ここでちょっと真偽の程は別にしてピーターパンについてプリキュアと絡めながら余談を続けます。
ピーターパンというと、ピーターパン症候群という言葉があるように大人になりたくない願望が連想されるので怠け玉の世界、またバッドエナジーやクロックのカウントから示唆される「物語の終わり(あるいは始まり)」に対するカウンター、つまり「停止」も想起されます。参考に岩波少年文庫版「ピーターパン」を読んでみたんですが、想像していたよりも複雑なキャラクターでした。気分屋でワガママ、意地っ張りで見栄っ張り、ガキ大将というイメージはそのままですが、彼への印象が大きく変わったエピソードがあります。それは彼の口から語られた母親に対しての想い出です。彼が家出した後、家に戻ろうとしたら期待に反して窓は閉まっていて別の男の子が自分の部屋で寝ていたと述懐しています。ここから想起されるのは、ピーターパンは母親から見捨てられた子ども、疎外された存在であるということ。その失望と落胆が部分的には大人に対する不信感や大人になることへの拒否感に繋がっているように思えます。そのくせウェンディーが母親代わりになったりと母親への何かしらのこだわりが見え隠れもしています。
一見すると親の庇護から離れて自由に飛び回っているのは「子ども」らしくも見えます。しかしここではむしろ社会や人間的な繋がりからの疎外というニュアンスの方が強く、またウェンディー達が親元に戻った際に、親の愛情を受け取るのと対比してピーターはその世界から締め出されているという表現がされています。子どもが子どもでいられるのは親の庇護、帰る場所があるからなのではないかという気がしてきます。つまり「子ども」とは人間の成長段階の一時期、過程の一部分という捉え方ですね。ピーターは物忘れが激しく、感情や気分がすぐに変わります。その都度初めて経験するかのような新鮮さ、初々しさが彼の心性です。このことから永遠の処女性が連想させられます。大人になりたくないという願望もさることながら、成長することを絶たれた世界に閉じ込められているようにも受け取れます。常にリセットされる存在。それは子どもとは似て非なるものなのではないか。
そこから逆説的に成長とは、経験、記憶、連続的、主体的、同一性を保った(分裂的でない)変化であると言えそうです。みゆき達が経験して選び取っていることがまさにソレ。彼女達はヒーローに憧れて、プリキュアごっこをしていた。それは居心地のいい世界でしたがあることをキッカケにその世界の困難に直面する。彼女達はヒーローごっこからヒーローに、子どもから大人へと成長(変化)していこうとしています。カウントが進んでいくのも変化のニュアンスを帯びているようにも思えてきます。
ってなことを考えるとピーターパンが敵側に居るのは色々と示唆的ですし、物語の対立構造が一層深まっていくように思われます。もっとも、あくまでこれは憶測でしかありません。2、3ヶ月もすれば真相は分かります。ここに書いたのはちょっとした柔軟体操のためです。ウルフルン達を救って終わる、だけでは無いのかもしれません。はてさてどうなるか。まずは映画。プリキュアの秋映画はその物語の骨子が色濃く反映されることが多い。スマイルの映画はみゆきのちっちゃい頃の姿が出るようです。いやー、楽しみですね!(余計なこと言った)
第32話「心を一つに!プリキュアの新たなる力!!」
○今週の出来事
①楽園
怠け玉に囚われた4人。ポップはジョーカーをにらみつけます。真正面を見ているので気づいていない思いますが、みゆきの絶対領域が魅惑的です。後で彼が放送を見返したときに何故あのとき横を見なかったのかと後悔したに違いありません。
怠け玉の中に居れば悩んだり落ち込んだり辛いことは何もないと再度説明するジョーカー。彼女達もきっと気に入ると言います。
私がみんなを連れ戻してみせると豪語したみゆきは、自分も怠け玉の世界に行くと言います。渡りに船、ジョーカーは二つ返事で答えます。ミイラ取りがミイラになる可能性もある。しかしみゆきは絶対にそうはならないと決意を込めて怠け玉の中に飛び込んでいきます。
みゆきを呼ぶ声。みゆきが目を覚ますと教室に居ます。あかね達が一緒に帰ろうと声をかけます。部活は?と尋ねると「何やそれ?」と答えが返ってきます。なおも疲れるだけ、と言います。やよいは遊園地に行こうとみんなを誘います。即決まり。みゆきは違和感を覚えつつもみんなに促されて後を追いかけます。
校舎の外に出ると先生と会います。みゆきは違和感を伝えますが、先生はみんなと遊んでらっしゃいとあかね達の言動を肯定。それでも食い下がろうとするみゆきに、難しいことは考えないでと先生はみんなの方を指し示します。校門で待つ4人。違和感を益々募らせるみゆき。
気づくと遊園地に来ています。「BAD END」。わー、超分かりやすい。
あかね達はお菓子がたくさんのったテーブルに座ってみゆきを呼びます。違和感はあるもののみんなの方へ歩いて行くみゆき。状況にかなり振り回されています。印象論ですが、みゆきは自分で状況を作っていくというより、状況の中で選択・決断していくタイプのように思います。例えば、秘密基地を探していたときも過程や状況を肯定して受け止めていましたし、修学旅行のときも運・不運に拘泥せず友達と居られたことを大事にしていました。大切なものは何か?と悩んだときもそうです。スマイルの物語は、今ここにある世界の肯定、今まで経験した中で何を大事と考え育んでいくかに主眼が置かれています。
キャンディは自分も行くと言い出します。危険だと制止するポップの声を振り払って自分の意見を通します。前回克服していますし、信頼性ではみゆきより高いと思います。ジョーカーは手間が省けたとばかりにキャンディを怠け玉の中へ送ります。このままプリキュアもキャンディも怠け玉の中に捕えてしまえば邪魔者はいなくなります。
遊園地は遊び放題。好きなだけ寝ていてもいい。学校も宿題も嫌なこともない。
みんなはみゆきにお菓子を差し出します。文字通り甘い誘惑。ドーナツを一口食べるとみゆきの顔から緊張がなくなり、緩い表情になります。同じように生気が感じられない瞳を浮かべる4人。書いていて思ったけど、生気と緊張は同種なんだな。緊張しているということは、今何が起ころうとしているのか、自分はどう考え、行うかといった判断が必要とされている状態、それを意識している状態であると言える。だから緊張状態というは生きようとしている状態だと捉えてもいい。だが、思考停止してしまえば緊張は緩み、判断も行動も必要とされなくなる。自動人形、ゾンビのようにただ反応を返すだけの状態になる。
「ああ、なんだかもう考えるのがどうでもよくなっちゃった」
後述しますが、主体性が後退すると判断力が落ち現実検討力が著しく低下します。
②それでも楽園を拒む理由
空からキャンディが降ってきてみゆきの顔面に直撃。
キャンディを見たみゆきは初めて会ったときと同じ反応をします。どうやらキャンディのことを憶えていないようです。キャンディは思いつくとクッキーを割ってみゆきに見せます。みんなで分けて食べた方がハッピーになれる。みゆきが言った言葉を伝えて思い出させようとします。
「めんどくさいよ、考えるの」
この後すぐ本題に入ったので軽く流されるかっこうになりましたが、とても良いツッコミをしています。前回キャンディがみゆきの言葉で現実に戻れたのは、共有する「みんな」が居ないからでした。ところがここには「みんな」が居ます。だから割られたクッキーやみゆきが自分で言った言葉を返しても意味はありません。今回のお話のポイントは以下のセリフにかかってきます。
「大切なことはちゃんと自分で考えなきゃダメクル!」
その言葉にみゆきは引っかかりを覚えます。
「ちゃんと自分で考えて自分で決めるクル!」
みゆきは自分が言った言葉とその情景を思い出します。瞳に生気が戻ります。正気を取り戻すみゆき。するとたちまち周囲の景色は寒々としたものに変わります。幻想性が後退して現実性が出っ張ってきたというところでしょう。みゆきはみんなにここはウソの世界なのだと言います。しかしみんなは聞く耳を持ちません。プリキュアのことも忘れています。口々に頑張っても辛いし面倒だと答える4人。自分が言った言葉でさらに考えが強くなったのか4人は眠り込み始めます。逃避が著しくなっています。
必死に呼びかけるみゆき。あかねはもはやみゆきのことまで忘れてしまっています。一種の退行現象とも見なせるでしょうか。
キャンディはこの世界をハッピーシャワーで浄化すれば良いと言います。その発想は無かった。力押し。ハッピー単独変身。来たこれ! パフで叩いた後の笑顔が殺人的に可愛いハッピーさんの降臨。現実がどんなに苦しくても、プリキュアがあれば構わない。むしろその苦しさはご馳走を食べるための一時の空腹感。人生に起伏は必要だ。その起伏が人生を彩る。変化の無い日々は人間を腐らせる。
ハッピーシャワーを空に向かって放ちます。
ざ~んね~ん。ジョーカーが阻みます。自分の髪にくっついていた黄色い玉をもぎ取るとアカンベェを召喚します。黒っぱなとの合体は身体に毒だと小声で言います。そんなこと幹部にやらせんなよ。まあ、使い捨ての駒なんだろうけど。
遊園地だったところはバッドエンド王国のような殺風景で不気味な景色へと変化します。示唆的ですね。苦痛の無い楽園。しかし現実にはそれはまやかしでしかない。その苦痛の無い世界に(主観的に)浸っていても、現実はより過酷な状況にその人を追い込んでいく。生きるも苦痛、逃げるも苦痛、それが人の住む世界。楽園などない。あったとしてもそれは死んだ後に行く場所。生きている人間にそこへ行くパスポートは渡されない。
周囲を見回すと4人は倒れて(眠って)います。呼びかけても起きません。
アカンベェが迫ってきます。ひとまずみんなのことはキャンディに任せて、一旦場所を移します。
目を覚ます4人。しかしハッピーのことを忘れているため、今暫くはハッピーの孤軍奮闘が続きます。
頭突きでアカンベェを攻撃。一人で必死に戦うハッピー。その様子にジョーカーも感心します。でも戦闘力はアカンベェの方が上。4人は呆然と立って、何をしているのだろうと呆けたことを言います。主体性が後退すると現実認識が薄くなり視野狭窄になりやすい。
みんなを元に戻すまでは負けないと決意を固めるハッピー。しかしジョーカーは何故元に戻す必要があるのかと答えます。如何にこの世界が楽な世界であるかを再び言います。その言葉を肯定するようにれいかとあかねは気の抜けた表情をさらに強めます。
「何故あなたはこの世界を拒むのですか?」
この問いにどう答えるかは重要です。この問いは、あなたは現実に何を期待し何を求めているのか、そこまで執着するほどの何があるのかと問うているのと同じだからです。辛いことを引き受けてまで何を得ようとするのか。あなたは何のために生きるのか。
問いを投げかけ続けるジョーカー。みんなはこの楽な世界を楽しんでる。
「心の底からは楽しんでないよ! 私の知ってるみんなの笑顔はあんなんじゃないもん!!」
言い切った。あんなんじゃないって言い切った。
ジョーカーは言葉を続けます。
「一生懸命頑張っても結果が出ないでガッカリしてとっても辛かったでしょう?」
バレーで成果が上がらなかったあかねはその言葉で不安の色が顔にでます。
「どんなに努力しても結局上手くいかない。人に笑われて、嫌な思いをするだけです」
コンクールで笑われて逃げ出したやよい。
「みんなを巻き込んだのに失敗して仲間の頑張りをすべて無駄にしてしまった。何か意味がありましたか?」
リレーで躓いてビリになったなお。
「思い悩んで考えても結局は友達に迷惑をかけて情けない自分にうんざりするだけ」
自分が何をするべきなのか迷ったれいか。
「それなら最初から頑張らなければそんな思いもしなくてすむ。失敗することもないんです」
ジョーカーが蕩々と話している間もハッピーは孤軍奮闘を続けます。彼の言葉で気づきましたが、みゆきはこれといった大きな失敗をしていません。そう考えると4人がこの世界に引き込まれてしまうのも頷けます。誰しも自分の影(欠点や弱み)は見たくない。敗北感、劣等感、罪責感、空虚感、どれもみな自分が否定されるかのような思いばかり。どんな人でも自分には価値がある、自分を肯定したいと思っている。しかし現実はその期待を裏切るような否定的状況が生じる。葛藤に苛まされた人の中には現実を受け止められなくなる人も出てきます。
キャンディは上手くいかなくても一生懸命なみんなが大好きだと叫びます。頑張ってるみゆき達はいつもキラキラしている。
「私、メルヘンランドであなたにボロボロにされたときに分かったの。泣いたり、悩んだり、一生懸命考えたおかげで、それまで知らなかった自分に気づけたし! 自分にとって何が一番大切かも分かった!」
彼女は大きな失敗をしなかったかもしれない。しかし現実の過酷さに直面したことはある。そしてその中で彼女はその現実を受け止め自分で考え、自分で決断してきました。
《私、キャンディが大好き。それと同じだけ友達も家族も大好き。だからみんな一緒がいい。みんな一緒の未来がきっと私の…ウルトラハッピーなんだって》
あの時みゆきの口数が少なかったのはどうしてなんだろうと思ったけど、彼女にとってそれが重い決断だったこと、現実を常に受け止めてきた彼女にとってあの問いが如何に重要であったかがここで補強されています。どんだけ暖めてたんだよ、この話し。スタッフ本気だな。
みゆきの言葉にあかね達はそれぞれ自分の言葉と体験を思い返します。今回は今までの総決算。彼女達が現実に直面し、打ちひしがれることがあったこと、しかしそれを乗り越えてきたこと、その時必ず友達が隣に居たことをキチンと回想の中で示しています。
「答えを出すのは大変だし、面倒だし、苦しいし! でも……辛いかもしれないけど、私達はそうやって、少しずつでも前に進んでいきたい!」
あかね達は涙を零します。零れる涙とともに眼を覆っていた曇ガラスは抜け落ち瞳に生気が戻っていきます。誰もが現実を辛いと感じる。しかし誰もがその辛い現実の中で生きてきたし、生きてきたことを誇りに思いたいとも思う。過酷な現実に耐えてきた自分は奇跡のような体験をしてきたのだと。現実を受け入れるということは、そうした自分もまた受け入れて良い。
ハッピーの言葉は続きます。彼女が現実を受け止め、その現実の中で実現したい理想。育んでいきたいもの。
「不器用かもしれないけど、私達は、みんなと一緒に未来に向かって、歩いて行きたい! みんなで進む未来はきっと、キラキラ!輝いてるから!!」
それを信じて彼女は生きる。
アカンベェの攻撃が容赦なくハッピーに降り注ぎます。力尽きて倒れるハッピー。キャンディが盾になります。間一髪お約束。サニーが駆けつけます。
「届いたで、ふたりの気持ち」
ピース、マーチ、ビューティも続きます。
「すみません、遅くなりました」
また道に迷っていたようです。気にすることはありません。人の道とはそういうものです。
予想外の事態に戸惑うジョーカー。
「あんたの言うとおり、疲れた時は休憩も必要や。でもな」
「ずっとそのままじゃ、いつまでたっても前に進めない」
「どんなに辛くても私達は一歩一歩自分の足で進んでいきたい!」
「一人で超えることが難しい困難も友達と一緒ならきっと乗り越えてゆけます!」
「頑張ったその先にあるのが本当の笑顔だと思うから!」
「みんなと一緒に頑張るクル! そしたら絶対ハッピーになれるクル!」
「輝け! スマイルプリキュア!」
現実の世界に帰還。
ジョーカーは黄色っぱなを黒っぱなに変えます。プリンセスフォーム。BGMが変わっています。シークエンスはほぼ同じ。クロックのボタンをキャンディが押してプリキュアに力を与えます。なるほど、キャンディが力も必要というのは、このボタンを押す仕事のことだったのね。カウント1。ん、なんだこのカウント。クイーンはデコールだから、ミラクルジュエルのカウントかな。
フェニックスが参戦。「羽ばたけ未来へ!」から「羽ばたけ光り輝く未来へ!」に変化しています。
「プリキュア! ロイヤルレインボーバースト!」
ペガサスに代わってフェニックスがビームを撃ちます。ペガサスは乗り物に降格。厳しい現実です。もうお前の販売強化月間終わったから。
災い転じて福と成す。思惑が外れたジョーカーはミラクルジュエルへの希求を強めます。まあ、そうなるよね。どんな願いでも叶うというミラクルジュエル。なぜそれを欲するのか。物語はまた一歩進む。
フェニックスについてポップが簡単に説明。プリキュア最強の力だそうです。定価9,240円の力は伊達ではありません。
次にデコールがいっぱいになればクイーンが復活する。本当でしょうか、すでに1回延長されてるし。とはいえ、番組も残り20話を切ったので揃っても揃わなくてもクイーンにお出ましになって貰わないといけないでしょう。なにげにこの人が一番の引きこもりなんじゃないかと思えてきた。
再び彼女達は前を向きます。辛いことも悲しいこともみんな一緒なら乗り越えていける。そんな気がする。みゆきの言葉が真実であるかは彼女達の物語が語ります。
③次回予告
現実に向き合ったと思ったらこのザマだよ!
○トピック
これまでのお話しの総決算。主人公みゆきの面目躍如。
プリキュアの試練その2。前回(22話)は自分にとって何が大切かを考え、友達を助けたいという動機の元にプリキュアは立ち上がりました。今度は現実に対して向き合えるかどうか、またその現実の中で何を信じていくのかを試される課題が与えられています。前回にも増して抽象性、精神的な成熟が必要となっています。これを友達との友情、努力というプリキュア(子ども向け番組)の基本原則に則りながら昇華させていく試みが行われています。
「スマイルはこれまで欠点や失敗を許容してきました。優秀だから、有能だから友達でいられるのではなく、友達だから失敗や欠点を受け入れられるという関係性の提示です。ここ最近はそこから一歩踏み込んで、自分一人では落込んでしまうようなことでも友達と一緒ならハッピー(笑顔)へと変えられるという積極的提示を行っています。他者の存在が比較や摩擦、自己否定を生むことに変りありませんが、同時に人の心を癒し強くするものであることも事実です。人の心は移ろいやすく、不安と安心、失望と希望をひっきりなしに繰り返す。人はその波にただ戸惑い条件反射のように同じことを繰り返すだけなのか? 否。人は自分達で逆境を糧へと変えて笑えるようになるのだ、という意志を本作からも感じます」
以前、感想でこのように書いたんですが、さらにそれを補強するエピソード。この物語のハッピーとは、現実に向き合うこと。そこで他者と共に前に進んでいくことなのだと述べられています。結果がどうなれば(悪者をやっつけたり、財宝を見つけたり、成功したり)ということよりも、現実の受容と(自己)肯定・他者の支えを自覚しながら前向きに進んでいく生き方に重きが置かれています。
みゆきがキャンディと1話の出会いを再現しているのもさりげないですが大きなポイントです。人との出会いが人を変えていく。素晴らしい出会い(キャンディやあかね達)もあれば、好ましからざる出会い(ウルフルンやジョーカー)もある。そうした中で自分で大切なものを見つけ、それを育んでいくみゆきの態度にこの物語のメッセージが示されています。
ここから心の病についての話しを交えて書いていきます。参考文献は平井孝男氏(精神科医)の著作です。何故わざわざこの話しをするかというと、心の病について説明することでみゆき達が陥った逃避とその背景が私達が普段の日常で体験することと共通していること、またその葛藤が人間の性であることを言いたいからです。
ジョーカーが提示しているバッドエンドの世界は、悩みや苦痛がない楽園です。そこで暮らすあかね達は自分で判断することをやめています。この背景には現実世界の辛さ、失敗、葛藤があります。これは、心の病の背景と一緒です。平井氏は人が心の病(精神病、神経症、うつ病など)に罹るのは現実に圧倒された結果だと述べています。また、人間が持つ弱点や欠点が積み重なって起きる反応なのだとも言っています。
つまり苦悩や葛藤が重荷となってしまい社会生活に支障を来たすようになってしまうのが心の病なのだそうです。これには本人の性格や感じ方、環境が大きく関係しています。よく言われるようにうつ病になりやすい人の特徴としてメランコリー親和型、要するに努力家で責任を感じやすく自分で何でもかんでも引き受けてしまう人があげられます。責任感が強いほど、またこれまで順調に行っていた人ほど躓いてしまうとその失敗を重く見てしまいがちです。精神病や神経症も同じように現実社会での不適応、躓き、悩み、解消されない不満などが背景にあることが多いそうです。
平井氏はこのような心の病に罹るのは異常なことではなく人間であるからこそだと述べています。また、うつ病などのような反応は見方を変えれば、これまでの生き方に対する警告だと捉えられるとも言っています。背負い込み過ぎなんだ、気にしすぎなんだというシグナル。自分がどういう性格で、どのように感じやすいのか。どういう行動を取りやすいのか。それを自覚して意識的に生活習慣を変えていくことで心の病の根本的原因を軽減していく。例えばメランコリー型のうつであれば、仕事量を抑え失敗してもいいと自分を許す気持ちが大事になります。
さて、そのようにして現実に圧倒された人の特徴として主体性の後退があげられるそうです。要はやる気を失って、活力・生気がない。判断力も落ちて思考停止に陥りやすい。また、精神病(統合失調症など)にまで至ると幻聴や妄想にとらわれたり、視野狭窄や重度の思い込みも生じる。
みゆきも含めてあかね達が陥った状態に非常に近い、というかそのまんまですね。これを「現実逃避」「甘え」と一言で切って捨てることもできるでしょうが、これはある種の自己防衛なのだと思います。現実を受け入れようとすれば当然苦しいことや自己否定の感情に晒されてしまう。その葛藤を回避するには、それでも現実と戦うか、それを感じないように意識レベルを下げてしまうか。多くの人は前者を選んでいるでしょうが、後者を選ばざるを得ない人がいることもまた事実ですし、前者を選んでいる人だって常に現実と向き合っているわけではなく気晴らしをしたり、他人のせいにしたり、責任から逃げたりしている場面があるはずです。人は誰しも自分を肯定したいと思っています。ましてや自己否定の状態は避けたいものです。しかし現実的にその葛藤を克服できないとすれば、逃避する(思考停止して諦めてしまう)ことで自己防衛を図るのも理解できます。自己愛的欲求とも言えるでしょうが。だからこそ平井氏は心の病を人である証しだと述べています。
話しをプリキュアに戻すと、物語序盤で度々失敗や挫折が描かれたことが今回のような逃避願望に繋がっているという提示は見事です。葛藤を抱える人々の心情と背景を描き出しています。逃避願望もまた人の感情と欲求であり、そこに陥ってしまうのはごく普通にありうることなのです。
楽園の世界に逃げ込めば楽な生活ができる。ジョーカーの提示するバッドエンドの理想はそれが実現するなら確かに理想でしょう。しかし実際にはそうはいきません。私達が現実で逃避しても結局誰かの世話になるしかなく、いくら思考停止してもその罪責感、敗北感、無力感、社会から外れた落伍感、自分は病気で治らないのではないかという不安と絶望感に苛まれるからです。現実に向き合うのも苦痛、現実から逃げても苦痛なのが人間という生き物の性なのです。
苦悩を抱える人々に対してプリキュアは何をしてきたのか。トピック冒頭にも書いたようにその弱さ、苦悩に怯む人達を受容してきました。上手くいかなくてもいい。失敗してもいい。躓いてもいい。道に迷うことがあってもいい。人間であれば調子の悪い時もあるし失敗するときもある。それが人間なのだ、悪い部分も含めて自分なのだと受け入れることが現実に向き合う第一歩になります。ちなみに心の治療でもまず患者の辛さを理解し、患者を受容し、共感しながら患者自身が内省を深めていけるように手助けしていくのが精神科医の役目なのだそうです(薬だけ処方して終わらす人も多いそうですが)。
現実は辛い。より正確に言えば現実に打ちひしがれている自分を見るのが辛い。人生とは辛さと失望の連続です。だから「疲れた時は休憩も必要」です。その休憩をとおして自分の内面を深掘りしていけばいいし、自分を支えてくれる人を想うことで一人では気づかなかった自分の姿に気づくこともあるでしょう。がむしゃらにやるばかりが正解じゃない。壁を飛び越えるために助走をつけることだって必要なことです。
「日常の所作の中に悟りがある」(道元。曹洞宗の開祖)。私はこの言葉に心から同意します。
現実の中で抱く様々な感情、出会う人々をとおして人は生きることの意味と価値を知る。苦痛や葛藤すらも洞察を深める糧として人は受け入れていくことができる。その強さを人は持っている。そのためには自分で考えて、自分で答えを出していく必要がある。主体性を持ってこの世界を見たときに、苦しいことや嫌なことがそのままそう映るとは限りません。苦悩もまた良薬として飲み下すことも出来る。
勿論、それを独りでやるのは大変に難しい話しです。みゆき達だって独りでは現実に押しつぶされたかもしれません。特にやよいはみゆき達の支えが無ければヒーローや絵が好きなことに卑屈なままであったかもしれません。「人間」とは「人と人との間」にある存在。自己と他者が両立してこそその力を引き出す。「ふたり」から始まったプリキュアが何故友達(他者)を必要とするのか。それは、そこに人間が本来持つ力があるからです。この自己と他者を巡るテーマも初代から受け継がれてきたプリキュアのテーマです。
そろそろ纏めに入ります。
物語も後半になってスマイルの骨子が明確になってきました。一生懸命頑張って生きようとするプリキュアと怠惰に生きようとするバッドエンドの対決によって、この物語が生者の物語であることがはっきりしました。生きる苦しさを受け止めようとするプリキュアと、それを拒もうとするバッドエンドとも言い換えられます。
これまでのエピソードや今回の対峙で見えてくるのは、期待と失望、連帯と孤独の狭間で生きる人間の葛藤です。現実に圧倒されてしまうと人は諦めたり考えるのを止めてしまいます。次第に周囲も見えなくなり、不安が強まったり、一面的にしか物事を考えられなくなったりします。想像力も欠如する。さらには孤独感に包まれる。こんなに苦しんでいるのに誰も自分を理解してくれない、こんなに苦しいのは自分だけなのだと。それが狂気や絶望を生む。しかしそれは人が人である証しでもあります。だからプリキュアも同じように苦しみに耐えかねて安逸な方向へと身を委ねてしまう。この物語は勧善懲悪ではありません。だから現実から逃避することが「悪い」という話しではありません。それもまた人間の自然な欲求・願望です。人間の光と影、善い面と悪い面、強さと弱さを対決の骨子として物語が作られています。極端な話し、どちらが勝つかに意味はありません。対決というより葛藤というべきでしょう。この物語が「人間」を描く物語である以上、より良い生き方が目指すべき課題となります。その指標となるべくプリキュアはその身で実証していきます。
では、どのような生き方がいいのか? プリキュアがやっているとおりです。遊びながら休憩しながら辛さや苦しさに立ち向かっていけばいい。一つ一つの経験が自分にとってどういうことなのか、それをしっかりと考え糧にしていく。みゆきが言ったように何が大事なのか自分で考えなければならないし、自分で考え答えを出して、それに責任を持って行動していくことです。彼女が自答したようにそれは簡単なことではありません。それ自体が困難でもあります。独りでは心細いこともあるでしょうし、屈することもある。実際、キャンディやみゆき達は純粋に独りでバッドエンドの誘惑に勝ったわけではありません。他者の手助けが介在しています。これはとても面白い興味深い話しで、みゆきがやったことはある意味で大きなお世話です。あかね達自身は怠け玉の世界に安住していたにも関わらず勝手に連れ戻そうとしたのですから。みゆきは自分の理想のために他者を巻き込んでいるとも言えます。しかし結果的にはあかね達もみゆきの考えに同意しています。人間関係の面白いところだと思います。結局、人は他者に迷惑をかけながら、巻き込みながら、勝手に期待して、勝手に恨んだりしながら結ばれている、繋がっているものなのだと思います。みゆきがやったことは一面ではエゴなのかもしれません。しかし一方では他者受容と共感、共存でもあります。彼女のおかげであかね達は自分を肯定的に振り返ることができました。スマイルは自主性を保ちつつ他者との共生を目指しています。自分をしっかり持ちながら他者に支えられ支えながら苦しい現実をみんなで乗り越えて笑っていられる世界を創る。
その生き方の先にハッピーがある、というよりもその生き方そのものがハッピーなのだと思います。行く手には困難が待ち受け、何もしなければしないで日々の繰り返しを要求される。苦難と退屈の連続。でも、人生ってそんなもんです。それで良い。日々の中に、一瞬一瞬の中に幸せがあり、発見があり、自己表現の機会がある。ピンチは自分を飛躍させるためのチャンスでもある。「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。人生とはそういうものだと思います。
話しが横に逸れてしまいましたが、絶望を知るみゆき達は敵が抱える苦しみをも受け止められるようになるだろうと思います。間違いなくスマイルも敵を救済する。プリキュアが絶望や苦しみの中でハッピーの種を見つけたように、バッドエンド王国の人々にもその種は見つけられるはずです。彼らも人の心を持つのであれば、彼らにこそハッピーと希望が必要です。生きることは苦しい。でもそこで一生懸命やるからこそ本当の笑顔がある。だからみんなで笑顔になろう。それがスマイルが目指す物語だと思っています。プリキュアのことだから、もしかしたらもっと凄いことをやらかすかもしれませんが。
ところで、ミラクルジュエルの用途が気になります。単純に考えればバッドエンドを実現させるための手段と考えられますが、何故ジョーカー(ピエーロ)が苦痛の無い世界を望まなければならないのか、その動機と背景に対する手段の可能性もあります。つまり、現実に希望を持てなくなり絶望した理由そのものに対するカウンター手段としての用途ですね。追い詰められた人ほど問題を一気に解決させようとする傾向があります。ジョーカー達は何故このような事態に至ったのか。それもまた物語を深めるキーワードとなりそうです。
①楽園
怠け玉に囚われた4人。ポップはジョーカーをにらみつけます。真正面を見ているので気づいていない思いますが、みゆきの絶対領域が魅惑的です。後で彼が放送を見返したときに何故あのとき横を見なかったのかと後悔したに違いありません。
怠け玉の中に居れば悩んだり落ち込んだり辛いことは何もないと再度説明するジョーカー。彼女達もきっと気に入ると言います。
私がみんなを連れ戻してみせると豪語したみゆきは、自分も怠け玉の世界に行くと言います。渡りに船、ジョーカーは二つ返事で答えます。ミイラ取りがミイラになる可能性もある。しかしみゆきは絶対にそうはならないと決意を込めて怠け玉の中に飛び込んでいきます。
みゆきを呼ぶ声。みゆきが目を覚ますと教室に居ます。あかね達が一緒に帰ろうと声をかけます。部活は?と尋ねると「何やそれ?」と答えが返ってきます。なおも疲れるだけ、と言います。やよいは遊園地に行こうとみんなを誘います。即決まり。みゆきは違和感を覚えつつもみんなに促されて後を追いかけます。
校舎の外に出ると先生と会います。みゆきは違和感を伝えますが、先生はみんなと遊んでらっしゃいとあかね達の言動を肯定。それでも食い下がろうとするみゆきに、難しいことは考えないでと先生はみんなの方を指し示します。校門で待つ4人。違和感を益々募らせるみゆき。
気づくと遊園地に来ています。「BAD END」。わー、超分かりやすい。
あかね達はお菓子がたくさんのったテーブルに座ってみゆきを呼びます。違和感はあるもののみんなの方へ歩いて行くみゆき。状況にかなり振り回されています。印象論ですが、みゆきは自分で状況を作っていくというより、状況の中で選択・決断していくタイプのように思います。例えば、秘密基地を探していたときも過程や状況を肯定して受け止めていましたし、修学旅行のときも運・不運に拘泥せず友達と居られたことを大事にしていました。大切なものは何か?と悩んだときもそうです。スマイルの物語は、今ここにある世界の肯定、今まで経験した中で何を大事と考え育んでいくかに主眼が置かれています。
キャンディは自分も行くと言い出します。危険だと制止するポップの声を振り払って自分の意見を通します。前回克服していますし、信頼性ではみゆきより高いと思います。ジョーカーは手間が省けたとばかりにキャンディを怠け玉の中へ送ります。このままプリキュアもキャンディも怠け玉の中に捕えてしまえば邪魔者はいなくなります。
遊園地は遊び放題。好きなだけ寝ていてもいい。学校も宿題も嫌なこともない。
みんなはみゆきにお菓子を差し出します。文字通り甘い誘惑。ドーナツを一口食べるとみゆきの顔から緊張がなくなり、緩い表情になります。同じように生気が感じられない瞳を浮かべる4人。書いていて思ったけど、生気と緊張は同種なんだな。緊張しているということは、今何が起ころうとしているのか、自分はどう考え、行うかといった判断が必要とされている状態、それを意識している状態であると言える。だから緊張状態というは生きようとしている状態だと捉えてもいい。だが、思考停止してしまえば緊張は緩み、判断も行動も必要とされなくなる。自動人形、ゾンビのようにただ反応を返すだけの状態になる。
「ああ、なんだかもう考えるのがどうでもよくなっちゃった」
後述しますが、主体性が後退すると判断力が落ち現実検討力が著しく低下します。
②それでも楽園を拒む理由
空からキャンディが降ってきてみゆきの顔面に直撃。
キャンディを見たみゆきは初めて会ったときと同じ反応をします。どうやらキャンディのことを憶えていないようです。キャンディは思いつくとクッキーを割ってみゆきに見せます。みんなで分けて食べた方がハッピーになれる。みゆきが言った言葉を伝えて思い出させようとします。
「めんどくさいよ、考えるの」
この後すぐ本題に入ったので軽く流されるかっこうになりましたが、とても良いツッコミをしています。前回キャンディがみゆきの言葉で現実に戻れたのは、共有する「みんな」が居ないからでした。ところがここには「みんな」が居ます。だから割られたクッキーやみゆきが自分で言った言葉を返しても意味はありません。今回のお話のポイントは以下のセリフにかかってきます。
「大切なことはちゃんと自分で考えなきゃダメクル!」
その言葉にみゆきは引っかかりを覚えます。
「ちゃんと自分で考えて自分で決めるクル!」
みゆきは自分が言った言葉とその情景を思い出します。瞳に生気が戻ります。正気を取り戻すみゆき。するとたちまち周囲の景色は寒々としたものに変わります。幻想性が後退して現実性が出っ張ってきたというところでしょう。みゆきはみんなにここはウソの世界なのだと言います。しかしみんなは聞く耳を持ちません。プリキュアのことも忘れています。口々に頑張っても辛いし面倒だと答える4人。自分が言った言葉でさらに考えが強くなったのか4人は眠り込み始めます。逃避が著しくなっています。
必死に呼びかけるみゆき。あかねはもはやみゆきのことまで忘れてしまっています。一種の退行現象とも見なせるでしょうか。
キャンディはこの世界をハッピーシャワーで浄化すれば良いと言います。その発想は無かった。力押し。ハッピー単独変身。来たこれ! パフで叩いた後の笑顔が殺人的に可愛いハッピーさんの降臨。現実がどんなに苦しくても、プリキュアがあれば構わない。むしろその苦しさはご馳走を食べるための一時の空腹感。人生に起伏は必要だ。その起伏が人生を彩る。変化の無い日々は人間を腐らせる。
ハッピーシャワーを空に向かって放ちます。
ざ~んね~ん。ジョーカーが阻みます。自分の髪にくっついていた黄色い玉をもぎ取るとアカンベェを召喚します。黒っぱなとの合体は身体に毒だと小声で言います。そんなこと幹部にやらせんなよ。まあ、使い捨ての駒なんだろうけど。
遊園地だったところはバッドエンド王国のような殺風景で不気味な景色へと変化します。示唆的ですね。苦痛の無い楽園。しかし現実にはそれはまやかしでしかない。その苦痛の無い世界に(主観的に)浸っていても、現実はより過酷な状況にその人を追い込んでいく。生きるも苦痛、逃げるも苦痛、それが人の住む世界。楽園などない。あったとしてもそれは死んだ後に行く場所。生きている人間にそこへ行くパスポートは渡されない。
周囲を見回すと4人は倒れて(眠って)います。呼びかけても起きません。
アカンベェが迫ってきます。ひとまずみんなのことはキャンディに任せて、一旦場所を移します。
目を覚ます4人。しかしハッピーのことを忘れているため、今暫くはハッピーの孤軍奮闘が続きます。
頭突きでアカンベェを攻撃。一人で必死に戦うハッピー。その様子にジョーカーも感心します。でも戦闘力はアカンベェの方が上。4人は呆然と立って、何をしているのだろうと呆けたことを言います。主体性が後退すると現実認識が薄くなり視野狭窄になりやすい。
みんなを元に戻すまでは負けないと決意を固めるハッピー。しかしジョーカーは何故元に戻す必要があるのかと答えます。如何にこの世界が楽な世界であるかを再び言います。その言葉を肯定するようにれいかとあかねは気の抜けた表情をさらに強めます。
「何故あなたはこの世界を拒むのですか?」
この問いにどう答えるかは重要です。この問いは、あなたは現実に何を期待し何を求めているのか、そこまで執着するほどの何があるのかと問うているのと同じだからです。辛いことを引き受けてまで何を得ようとするのか。あなたは何のために生きるのか。
問いを投げかけ続けるジョーカー。みんなはこの楽な世界を楽しんでる。
「心の底からは楽しんでないよ! 私の知ってるみんなの笑顔はあんなんじゃないもん!!」
言い切った。あんなんじゃないって言い切った。
ジョーカーは言葉を続けます。
「一生懸命頑張っても結果が出ないでガッカリしてとっても辛かったでしょう?」
バレーで成果が上がらなかったあかねはその言葉で不安の色が顔にでます。
「どんなに努力しても結局上手くいかない。人に笑われて、嫌な思いをするだけです」
コンクールで笑われて逃げ出したやよい。
「みんなを巻き込んだのに失敗して仲間の頑張りをすべて無駄にしてしまった。何か意味がありましたか?」
リレーで躓いてビリになったなお。
「思い悩んで考えても結局は友達に迷惑をかけて情けない自分にうんざりするだけ」
自分が何をするべきなのか迷ったれいか。
「それなら最初から頑張らなければそんな思いもしなくてすむ。失敗することもないんです」
ジョーカーが蕩々と話している間もハッピーは孤軍奮闘を続けます。彼の言葉で気づきましたが、みゆきはこれといった大きな失敗をしていません。そう考えると4人がこの世界に引き込まれてしまうのも頷けます。誰しも自分の影(欠点や弱み)は見たくない。敗北感、劣等感、罪責感、空虚感、どれもみな自分が否定されるかのような思いばかり。どんな人でも自分には価値がある、自分を肯定したいと思っている。しかし現実はその期待を裏切るような否定的状況が生じる。葛藤に苛まされた人の中には現実を受け止められなくなる人も出てきます。
キャンディは上手くいかなくても一生懸命なみんなが大好きだと叫びます。頑張ってるみゆき達はいつもキラキラしている。
「私、メルヘンランドであなたにボロボロにされたときに分かったの。泣いたり、悩んだり、一生懸命考えたおかげで、それまで知らなかった自分に気づけたし! 自分にとって何が一番大切かも分かった!」
彼女は大きな失敗をしなかったかもしれない。しかし現実の過酷さに直面したことはある。そしてその中で彼女はその現実を受け止め自分で考え、自分で決断してきました。
《私、キャンディが大好き。それと同じだけ友達も家族も大好き。だからみんな一緒がいい。みんな一緒の未来がきっと私の…ウルトラハッピーなんだって》
あの時みゆきの口数が少なかったのはどうしてなんだろうと思ったけど、彼女にとってそれが重い決断だったこと、現実を常に受け止めてきた彼女にとってあの問いが如何に重要であったかがここで補強されています。どんだけ暖めてたんだよ、この話し。スタッフ本気だな。
みゆきの言葉にあかね達はそれぞれ自分の言葉と体験を思い返します。今回は今までの総決算。彼女達が現実に直面し、打ちひしがれることがあったこと、しかしそれを乗り越えてきたこと、その時必ず友達が隣に居たことをキチンと回想の中で示しています。
「答えを出すのは大変だし、面倒だし、苦しいし! でも……辛いかもしれないけど、私達はそうやって、少しずつでも前に進んでいきたい!」
あかね達は涙を零します。零れる涙とともに眼を覆っていた曇ガラスは抜け落ち瞳に生気が戻っていきます。誰もが現実を辛いと感じる。しかし誰もがその辛い現実の中で生きてきたし、生きてきたことを誇りに思いたいとも思う。過酷な現実に耐えてきた自分は奇跡のような体験をしてきたのだと。現実を受け入れるということは、そうした自分もまた受け入れて良い。
ハッピーの言葉は続きます。彼女が現実を受け止め、その現実の中で実現したい理想。育んでいきたいもの。
「不器用かもしれないけど、私達は、みんなと一緒に未来に向かって、歩いて行きたい! みんなで進む未来はきっと、キラキラ!輝いてるから!!」
それを信じて彼女は生きる。
アカンベェの攻撃が容赦なくハッピーに降り注ぎます。力尽きて倒れるハッピー。キャンディが盾になります。間一髪お約束。サニーが駆けつけます。
「届いたで、ふたりの気持ち」
ピース、マーチ、ビューティも続きます。
「すみません、遅くなりました」
また道に迷っていたようです。気にすることはありません。人の道とはそういうものです。
予想外の事態に戸惑うジョーカー。
「あんたの言うとおり、疲れた時は休憩も必要や。でもな」
「ずっとそのままじゃ、いつまでたっても前に進めない」
「どんなに辛くても私達は一歩一歩自分の足で進んでいきたい!」
「一人で超えることが難しい困難も友達と一緒ならきっと乗り越えてゆけます!」
「頑張ったその先にあるのが本当の笑顔だと思うから!」
「みんなと一緒に頑張るクル! そしたら絶対ハッピーになれるクル!」
「輝け! スマイルプリキュア!」
現実の世界に帰還。
ジョーカーは黄色っぱなを黒っぱなに変えます。プリンセスフォーム。BGMが変わっています。シークエンスはほぼ同じ。クロックのボタンをキャンディが押してプリキュアに力を与えます。なるほど、キャンディが力も必要というのは、このボタンを押す仕事のことだったのね。カウント1。ん、なんだこのカウント。クイーンはデコールだから、ミラクルジュエルのカウントかな。
フェニックスが参戦。「羽ばたけ未来へ!」から「羽ばたけ光り輝く未来へ!」に変化しています。
「プリキュア! ロイヤルレインボーバースト!」
ペガサスに代わってフェニックスがビームを撃ちます。ペガサスは乗り物に降格。厳しい現実です。もうお前の販売強化月間終わったから。
災い転じて福と成す。思惑が外れたジョーカーはミラクルジュエルへの希求を強めます。まあ、そうなるよね。どんな願いでも叶うというミラクルジュエル。なぜそれを欲するのか。物語はまた一歩進む。
フェニックスについてポップが簡単に説明。プリキュア最強の力だそうです。定価9,240円の力は伊達ではありません。
次にデコールがいっぱいになればクイーンが復活する。本当でしょうか、すでに1回延長されてるし。とはいえ、番組も残り20話を切ったので揃っても揃わなくてもクイーンにお出ましになって貰わないといけないでしょう。なにげにこの人が一番の引きこもりなんじゃないかと思えてきた。
再び彼女達は前を向きます。辛いことも悲しいこともみんな一緒なら乗り越えていける。そんな気がする。みゆきの言葉が真実であるかは彼女達の物語が語ります。
③次回予告
現実に向き合ったと思ったらこのザマだよ!
○トピック
これまでのお話しの総決算。主人公みゆきの面目躍如。
プリキュアの試練その2。前回(22話)は自分にとって何が大切かを考え、友達を助けたいという動機の元にプリキュアは立ち上がりました。今度は現実に対して向き合えるかどうか、またその現実の中で何を信じていくのかを試される課題が与えられています。前回にも増して抽象性、精神的な成熟が必要となっています。これを友達との友情、努力というプリキュア(子ども向け番組)の基本原則に則りながら昇華させていく試みが行われています。
「スマイルはこれまで欠点や失敗を許容してきました。優秀だから、有能だから友達でいられるのではなく、友達だから失敗や欠点を受け入れられるという関係性の提示です。ここ最近はそこから一歩踏み込んで、自分一人では落込んでしまうようなことでも友達と一緒ならハッピー(笑顔)へと変えられるという積極的提示を行っています。他者の存在が比較や摩擦、自己否定を生むことに変りありませんが、同時に人の心を癒し強くするものであることも事実です。人の心は移ろいやすく、不安と安心、失望と希望をひっきりなしに繰り返す。人はその波にただ戸惑い条件反射のように同じことを繰り返すだけなのか? 否。人は自分達で逆境を糧へと変えて笑えるようになるのだ、という意志を本作からも感じます」
以前、感想でこのように書いたんですが、さらにそれを補強するエピソード。この物語のハッピーとは、現実に向き合うこと。そこで他者と共に前に進んでいくことなのだと述べられています。結果がどうなれば(悪者をやっつけたり、財宝を見つけたり、成功したり)ということよりも、現実の受容と(自己)肯定・他者の支えを自覚しながら前向きに進んでいく生き方に重きが置かれています。
みゆきがキャンディと1話の出会いを再現しているのもさりげないですが大きなポイントです。人との出会いが人を変えていく。素晴らしい出会い(キャンディやあかね達)もあれば、好ましからざる出会い(ウルフルンやジョーカー)もある。そうした中で自分で大切なものを見つけ、それを育んでいくみゆきの態度にこの物語のメッセージが示されています。
ここから心の病についての話しを交えて書いていきます。参考文献は平井孝男氏(精神科医)の著作です。何故わざわざこの話しをするかというと、心の病について説明することでみゆき達が陥った逃避とその背景が私達が普段の日常で体験することと共通していること、またその葛藤が人間の性であることを言いたいからです。
ジョーカーが提示しているバッドエンドの世界は、悩みや苦痛がない楽園です。そこで暮らすあかね達は自分で判断することをやめています。この背景には現実世界の辛さ、失敗、葛藤があります。これは、心の病の背景と一緒です。平井氏は人が心の病(精神病、神経症、うつ病など)に罹るのは現実に圧倒された結果だと述べています。また、人間が持つ弱点や欠点が積み重なって起きる反応なのだとも言っています。
つまり苦悩や葛藤が重荷となってしまい社会生活に支障を来たすようになってしまうのが心の病なのだそうです。これには本人の性格や感じ方、環境が大きく関係しています。よく言われるようにうつ病になりやすい人の特徴としてメランコリー親和型、要するに努力家で責任を感じやすく自分で何でもかんでも引き受けてしまう人があげられます。責任感が強いほど、またこれまで順調に行っていた人ほど躓いてしまうとその失敗を重く見てしまいがちです。精神病や神経症も同じように現実社会での不適応、躓き、悩み、解消されない不満などが背景にあることが多いそうです。
平井氏はこのような心の病に罹るのは異常なことではなく人間であるからこそだと述べています。また、うつ病などのような反応は見方を変えれば、これまでの生き方に対する警告だと捉えられるとも言っています。背負い込み過ぎなんだ、気にしすぎなんだというシグナル。自分がどういう性格で、どのように感じやすいのか。どういう行動を取りやすいのか。それを自覚して意識的に生活習慣を変えていくことで心の病の根本的原因を軽減していく。例えばメランコリー型のうつであれば、仕事量を抑え失敗してもいいと自分を許す気持ちが大事になります。
さて、そのようにして現実に圧倒された人の特徴として主体性の後退があげられるそうです。要はやる気を失って、活力・生気がない。判断力も落ちて思考停止に陥りやすい。また、精神病(統合失調症など)にまで至ると幻聴や妄想にとらわれたり、視野狭窄や重度の思い込みも生じる。
みゆきも含めてあかね達が陥った状態に非常に近い、というかそのまんまですね。これを「現実逃避」「甘え」と一言で切って捨てることもできるでしょうが、これはある種の自己防衛なのだと思います。現実を受け入れようとすれば当然苦しいことや自己否定の感情に晒されてしまう。その葛藤を回避するには、それでも現実と戦うか、それを感じないように意識レベルを下げてしまうか。多くの人は前者を選んでいるでしょうが、後者を選ばざるを得ない人がいることもまた事実ですし、前者を選んでいる人だって常に現実と向き合っているわけではなく気晴らしをしたり、他人のせいにしたり、責任から逃げたりしている場面があるはずです。人は誰しも自分を肯定したいと思っています。ましてや自己否定の状態は避けたいものです。しかし現実的にその葛藤を克服できないとすれば、逃避する(思考停止して諦めてしまう)ことで自己防衛を図るのも理解できます。自己愛的欲求とも言えるでしょうが。だからこそ平井氏は心の病を人である証しだと述べています。
話しをプリキュアに戻すと、物語序盤で度々失敗や挫折が描かれたことが今回のような逃避願望に繋がっているという提示は見事です。葛藤を抱える人々の心情と背景を描き出しています。逃避願望もまた人の感情と欲求であり、そこに陥ってしまうのはごく普通にありうることなのです。
楽園の世界に逃げ込めば楽な生活ができる。ジョーカーの提示するバッドエンドの理想はそれが実現するなら確かに理想でしょう。しかし実際にはそうはいきません。私達が現実で逃避しても結局誰かの世話になるしかなく、いくら思考停止してもその罪責感、敗北感、無力感、社会から外れた落伍感、自分は病気で治らないのではないかという不安と絶望感に苛まれるからです。現実に向き合うのも苦痛、現実から逃げても苦痛なのが人間という生き物の性なのです。
苦悩を抱える人々に対してプリキュアは何をしてきたのか。トピック冒頭にも書いたようにその弱さ、苦悩に怯む人達を受容してきました。上手くいかなくてもいい。失敗してもいい。躓いてもいい。道に迷うことがあってもいい。人間であれば調子の悪い時もあるし失敗するときもある。それが人間なのだ、悪い部分も含めて自分なのだと受け入れることが現実に向き合う第一歩になります。ちなみに心の治療でもまず患者の辛さを理解し、患者を受容し、共感しながら患者自身が内省を深めていけるように手助けしていくのが精神科医の役目なのだそうです(薬だけ処方して終わらす人も多いそうですが)。
現実は辛い。より正確に言えば現実に打ちひしがれている自分を見るのが辛い。人生とは辛さと失望の連続です。だから「疲れた時は休憩も必要」です。その休憩をとおして自分の内面を深掘りしていけばいいし、自分を支えてくれる人を想うことで一人では気づかなかった自分の姿に気づくこともあるでしょう。がむしゃらにやるばかりが正解じゃない。壁を飛び越えるために助走をつけることだって必要なことです。
「日常の所作の中に悟りがある」(道元。曹洞宗の開祖)。私はこの言葉に心から同意します。
現実の中で抱く様々な感情、出会う人々をとおして人は生きることの意味と価値を知る。苦痛や葛藤すらも洞察を深める糧として人は受け入れていくことができる。その強さを人は持っている。そのためには自分で考えて、自分で答えを出していく必要がある。主体性を持ってこの世界を見たときに、苦しいことや嫌なことがそのままそう映るとは限りません。苦悩もまた良薬として飲み下すことも出来る。
勿論、それを独りでやるのは大変に難しい話しです。みゆき達だって独りでは現実に押しつぶされたかもしれません。特にやよいはみゆき達の支えが無ければヒーローや絵が好きなことに卑屈なままであったかもしれません。「人間」とは「人と人との間」にある存在。自己と他者が両立してこそその力を引き出す。「ふたり」から始まったプリキュアが何故友達(他者)を必要とするのか。それは、そこに人間が本来持つ力があるからです。この自己と他者を巡るテーマも初代から受け継がれてきたプリキュアのテーマです。
そろそろ纏めに入ります。
物語も後半になってスマイルの骨子が明確になってきました。一生懸命頑張って生きようとするプリキュアと怠惰に生きようとするバッドエンドの対決によって、この物語が生者の物語であることがはっきりしました。生きる苦しさを受け止めようとするプリキュアと、それを拒もうとするバッドエンドとも言い換えられます。
これまでのエピソードや今回の対峙で見えてくるのは、期待と失望、連帯と孤独の狭間で生きる人間の葛藤です。現実に圧倒されてしまうと人は諦めたり考えるのを止めてしまいます。次第に周囲も見えなくなり、不安が強まったり、一面的にしか物事を考えられなくなったりします。想像力も欠如する。さらには孤独感に包まれる。こんなに苦しんでいるのに誰も自分を理解してくれない、こんなに苦しいのは自分だけなのだと。それが狂気や絶望を生む。しかしそれは人が人である証しでもあります。だからプリキュアも同じように苦しみに耐えかねて安逸な方向へと身を委ねてしまう。この物語は勧善懲悪ではありません。だから現実から逃避することが「悪い」という話しではありません。それもまた人間の自然な欲求・願望です。人間の光と影、善い面と悪い面、強さと弱さを対決の骨子として物語が作られています。極端な話し、どちらが勝つかに意味はありません。対決というより葛藤というべきでしょう。この物語が「人間」を描く物語である以上、より良い生き方が目指すべき課題となります。その指標となるべくプリキュアはその身で実証していきます。
では、どのような生き方がいいのか? プリキュアがやっているとおりです。遊びながら休憩しながら辛さや苦しさに立ち向かっていけばいい。一つ一つの経験が自分にとってどういうことなのか、それをしっかりと考え糧にしていく。みゆきが言ったように何が大事なのか自分で考えなければならないし、自分で考え答えを出して、それに責任を持って行動していくことです。彼女が自答したようにそれは簡単なことではありません。それ自体が困難でもあります。独りでは心細いこともあるでしょうし、屈することもある。実際、キャンディやみゆき達は純粋に独りでバッドエンドの誘惑に勝ったわけではありません。他者の手助けが介在しています。これはとても面白い興味深い話しで、みゆきがやったことはある意味で大きなお世話です。あかね達自身は怠け玉の世界に安住していたにも関わらず勝手に連れ戻そうとしたのですから。みゆきは自分の理想のために他者を巻き込んでいるとも言えます。しかし結果的にはあかね達もみゆきの考えに同意しています。人間関係の面白いところだと思います。結局、人は他者に迷惑をかけながら、巻き込みながら、勝手に期待して、勝手に恨んだりしながら結ばれている、繋がっているものなのだと思います。みゆきがやったことは一面ではエゴなのかもしれません。しかし一方では他者受容と共感、共存でもあります。彼女のおかげであかね達は自分を肯定的に振り返ることができました。スマイルは自主性を保ちつつ他者との共生を目指しています。自分をしっかり持ちながら他者に支えられ支えながら苦しい現実をみんなで乗り越えて笑っていられる世界を創る。
その生き方の先にハッピーがある、というよりもその生き方そのものがハッピーなのだと思います。行く手には困難が待ち受け、何もしなければしないで日々の繰り返しを要求される。苦難と退屈の連続。でも、人生ってそんなもんです。それで良い。日々の中に、一瞬一瞬の中に幸せがあり、発見があり、自己表現の機会がある。ピンチは自分を飛躍させるためのチャンスでもある。「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。人生とはそういうものだと思います。
話しが横に逸れてしまいましたが、絶望を知るみゆき達は敵が抱える苦しみをも受け止められるようになるだろうと思います。間違いなくスマイルも敵を救済する。プリキュアが絶望や苦しみの中でハッピーの種を見つけたように、バッドエンド王国の人々にもその種は見つけられるはずです。彼らも人の心を持つのであれば、彼らにこそハッピーと希望が必要です。生きることは苦しい。でもそこで一生懸命やるからこそ本当の笑顔がある。だからみんなで笑顔になろう。それがスマイルが目指す物語だと思っています。プリキュアのことだから、もしかしたらもっと凄いことをやらかすかもしれませんが。
ところで、ミラクルジュエルの用途が気になります。単純に考えればバッドエンドを実現させるための手段と考えられますが、何故ジョーカー(ピエーロ)が苦痛の無い世界を望まなければならないのか、その動機と背景に対する手段の可能性もあります。つまり、現実に希望を持てなくなり絶望した理由そのものに対するカウンター手段としての用途ですね。追い詰められた人ほど問題を一気に解決させようとする傾向があります。ジョーカー達は何故このような事態に至ったのか。それもまた物語を深めるキーワードとなりそうです。
第31話「ロイヤルクロックとキャンディの秘密!!」
○今週の出来事
①営業マン
心地よく眠るキャンディ。みゆき達の必死そうな呼びかけが聞こえてきます。目を開けると目の前には傷ついたみゆき達が倒れています。
という話しは後半に絡むとして、今は復活詐欺のお話し。
例によってクイーンは復活せず、その代わり出てきた謎の置物(定価9,240円)に一同は困惑します。勝手に送りつけておいて後で金を払えと言われないかみんな心配しているのでしょう。
気を取り直して本題。これ何? 凄いアイテム。どうやって使うの? きっと凄いアイテム。何が出来るの? とにかく凄いアイテム。そりゃ凄い。何しろ定価9,240円、まず値段が凄い。デフレ時代を恐れぬ強気設定。お求めやすい価格です、血のにじむような努力でお安くさせていただきました、などと口が裂けても言えない。キャンディの営業トークに命運がかかっています。
「お腹空いたクル」
もうダメかもしれない。プリキュア打ち切りの危機。
みゆきはクッキーを一枚取り出します。半分こして食べようと言うキャンディ。いつもそうやって食べているのでしょう。みゆきもキャンディの言葉に同意を示します。しかし「でも」と言葉を続けます。それじゃ自分とキャンディしか食べられない。みんなで分けると言います。残念そうにみゆきを見るキャンディ。
6等分されたクッキーを見て期待よりも失望を覚えるキャンディ。みんなで一緒に食べます。咀嚼長ぇ。空気を読んでれいか達はお互いにニッコリと食べます。ようやくキャンディはみゆきの言ったとおりだと納得します。連帯意識を高めるには同じ釜の飯を食うのが手っ取り早い、というわけでもないですが、知り合いとご飯を食べるときは安くてそこそこの店よりも、高くても美味しい店の方が良いです。会話が弾むし料理の話題でも盛り上がれる。これが不味い店だとテンションだだ下がりでこの店を選んだことを後悔しながら食べることになります。知り合いに紹介できる美味しい店は何軒かストックしておきたいものです。また、自分一人では行きにくくても、友達連れならば理由にもなります。…というのは大人の場合の話しですが、子どもの頃はお互いに違う味のうまい棒を買って半分ずつ食べるというのでも十分楽しいものです。
一人よりみんなでハッピーって感じる方がウルトラハッピーになれるもんね、と話すみゆき。そろそろ番組も後半。メインテーマが深掘りされていく時期です。
窓の外から飛行物体。みゆきの顔面に当たってずっこけます。カメラさん! 別アングル!
ポップがそのアイテムが何か分かったと言います。キャンディでは営業にならないのでベテラン営業がやってきました。
三幹部に黒い玉を見せるジョーカー。プレゼントだと言います。赤っぱなを闇の絵の具でコーティング。するとスーパーアカンベェを超えるハイパーアカンベェとなり制御も楽ちん、レインボーバーストも効かない。これを上回るものは存在しない。これこそが黒っぱな。どっかの妖精とは営業レベルが段違い。思わず欲しくなるトークです。
少しはマシに戦えるでしょ?とトゲを含んだ物言いをするジョーカーに三幹部は腹を立てます。しかし、本当にそうですか?プリキュアに勝てない幹部など必要ないとピエーロ様はおっしゃっている。三幹部をあしらったデザインのトランプを消して見せます。何かとピエーロの名前を持ちだしていますが、まず間違いなくジョーカーの言葉です。以前からそうですが、ピエーロ・ジョーカーの関係は密接なのに比べて、三幹部は明らかに雇われ幹部の様相。さしずめ童話のハッピーエンド(彼らから見ればバッドエンド)に嫌気がさした彼らを甘い言葉で誘って引き入れたというところでしょうか。三幹部がある種の犠牲者であることは確定的ですが、物語の本質はやはりピエーロ・ジョーカーが握っている。プリキュアは毎年ラスボスの存在がなんであるかに物語のテーマが集約されます。
ウルフルンに黒っぱなを渡します。
②ロイヤルクロック
伝説のロイヤルクロックだと説明するポップ。ははー、と頭を下げるみゆき達。印籠かよ。
このクロックがプリキュアにさらなるパワーを与えるそうです。その前に親御さんにさらなる出費を与えるわけですが。時計にしては針もなにもないと疑問を口にするみゆき。不良品でしょうか。どうやったら動くのか。ポップは任せるでゴザルと請け合うと、もしもーし、誰か居ませんか、とクロックに呼びかけ始めます。単三乾電池3個(別売り)で動くそうですよ。
呆れていると、クイーンが出現します。もはや下っ端営業には任せられないとしびれを切らせたのでしょう。本人が出てきました。プリンセスフォームでおなじみの輪っかが2本頭の上に乗っています。
ありがとう、とお礼を言うクイーン。ロイヤルクロックを通じて会話できるそうです。クロックの力を引き出すにはプリキュアとキャンディのさらなる力が必要だと語るクイーン。ああ、ここでキャンディが出てくるのね。プリンセスフォームの時にキャンディが必要とされなかったのでどうしたもんかと思ってたら、本命はこっちか。
公園を襲撃するウルフルン。カウント6。
気配を察知するクイーン。現場へ向かいます。クロックは自力飛行可能。さすが定価9,240円。クローバーボックスなんてバリアはれましたしね。
現地到着。黒っぱなを紹介してショベルカーに憑依。物陰で様子を見るジョーカー。この人は最初から幹部を当てにしていない。当て馬に使うだけ。仕事は自分でやる。
アカンベェとウルフルンが合体。ウルフルンの身体に負荷がかかります。目元に紋様が書き加えられます。強化型デザトリアンと同じ手法ですね。ハートキャッチの監督曰く、幹部と怪人を一緒にするとその分だけカット数を減らせるのだそうです。その方がシーンが纏まってスッキリする。というような話しを聞いたときはなるほど~と感心しました。プリキュア、妖精、怪人、幹部、と4者それぞれ描くのは確かにごちゃごちゃします。勿論、話しとしても怪人の強さをアピールできるし、負荷がかかっている幹部はそれだけ追い込まれている様子を描くこともできるので一石二鳥。
ウルフルンと一体化したアカンベェは自由自在にその圧倒的な力を振るいます。流石クロック強化月間。まずは敵が強いことを見せる必要があります。大人の事情でいくらでも戦闘力に補正がかかる。クロックはまだ使えません。わざわざポップが理由を説明します。それを聞いたジョーカーは嬉しそうに姿を現します。キャンディを捕縛。ブラボー私、お疲れみなさん。語呂いいなぁ。
怠け玉の中に閉じ込めたと言うジョーカー。怠け玉…いよいよピエーロが言っていた「怠惰」に関わるアイテムも出てきました。やっぱこの人が出てくると話し進むなー。玉の中でぐっすりと眠るキャンディ。
③すべてを怠惰な世界に
見知らぬ場所に立つキャンディ。不安げにあたりを見回します。近くで楽しそうな声がします。そこに行ってみると妖精達が楽しく遊んでいます。キャンディに呼びかける妖精達。一緒に遊ぼう、とっても素敵でずっとここに居たくなる。
苦戦を強いられるプリキュア。キャンディを助けなければ。それを聞いたジョーカーは異な事を、とプリキュアに怠け玉を見せながらキャンディは楽しい夢を満喫していると言います。
「この怠け玉の中は我々が理想とするバッドエンドの世界そのもの。苦しいことはすべて忘れて、何も考えずずーっと食べて遊んで居られます。そんな夢の世界から戻って来たがるお馬鹿さんがいるはずないじゃありませんか」
なるほど、そういう意味でのバッドエンドなのか。
「キャンディは必ず帰ってくる!」
「誰だって楽な方がいい、難しいことは考えたくないし逃げたくなる。でも、本当に楽しく笑うためには踏ん張って頑張らなきゃいけない時だってあるの!」
「せやな、いっつもおもろいことばっかなわけないもん」
「でも、どんな時でもきっと逃げちゃ駄目だと思う」
「うん、どれほど大変でも自分の足で前に進んでいく」
「そうしないと本当の笑顔にはなれない」
「どんな時も全力でやるから、心から楽しいって思える。キャンディもきっとそう。だからキャンディはそんな世界には負けない!」
夏休みの宿題から逃げていた人達のセリフとは思えませんな。とりあえず夏休みのことは忘れて、24話の次の話しが今回だと思っておくとプリキュアのみなさんの名誉も保たれ、話しが分かりやすくなります。
キャンディを再び呼びます。
夢の中でキャンディは誰かの声が聞こえた気がします。しかし誘惑には勝てません。
プリンセスフォーム。もうBGMが専用曲じゃない時点で駄目確定。なんでポップは寄ってきた。攻撃が弾かれて反動でみんなダメージを負います。ポップも。盾になろうとして間に合わなかったんでしょうか。
夢の中でお腹が空くキャンディ。目の前にはお菓子の家。周りの木々には果物やお菓子が実っています。みんなで分けっこしようと言うと妖精達はたくさんあるから分けなくていい、お菓子の家はキャンディ一人で食べればいいと言葉が返ってきます。キャンディは喜ぶと一人で食べ始めます。しかしすぐに物足りない表情を浮かべます。一人でハッピーになるよりみんなでハッピーになった方がウルトラハッピーになれる。自分の大切な友達を思い出したキャンディはみんなのところに帰ると決意を込めて言います。嫌なことや辛いことは忘れて遊んでいて良いと甘言を弄する妖精達を振り切ってキャンディは現実に向き合おうとします。
怠け玉から解放されます。ジョーカーは驚きつつも計画に支障なし、と強気の姿勢。キャンディの目の前には傷き倒れたプリキュアが横たわっています。現実に戻ったらこのザマだよ。これ結構酷い仕打ち。
ハッピーはキャンディの姿を認めると「おかえり」と優しい言葉をかけます。笑顔でキャンディを迎え入れ優しく撫でようとして力尽きます。涙を目尻に溜めておののくキャンディ。受け入れがたい現実。次回予告から判断しても、ここまでの話しは前振り。言葉では綺麗事を言えてもじゃあ実際にやれるの?ということを見せなければならない。
泣きじゃくるキャンディ。彼女の身体から異様なオーラが発します。みんなをいじめちゃ駄目!と叫ぶといよいよオーラは実体化。なんか不死鳥みたいなのが出てきたー!? 泣いて力解放ってのはお約束なので良いんだけど、何故に不死鳥? プリキュアがペガサスでキャンディはフェニックス? どういう組合わせ?
ところでこの不死鳥、半年前に漂白された彼だったりして。苦しむ心から生み出され、また同時に笑顔の象徴ともなった彼が次の世代に力を貸すと考えるとなかなか味わい深い。太陽マンはこの布石だったんだよ! なっ、なん(略
クロックが稼働します。ハイパーアカンベェが襲いかかるも黒いコーティングは剥がれてしまいます。元の赤っぱなに。勝機。
「キャンディの想い受け取ったよ!」
「気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだー!」
ああ、これいいなぁ。1話じゃギャグでしかなかったけど、今は違う。ヒーローの最後にして最強の力はこれだよね。玩具も武器も要らない。本当に必要なのはそれを使う者の心。その正しさと強さであるべきだ。
「プリキュア! ハッピーシャワー!」
デコルが一つデコールに収まります。回収作業は再スタートかな。
クイーンはキャンディを労います。友達を大切にする優しさ、これかもその想いを大切に育ててください。
目を覚ますとみゆき達が自分を見つめています。自分もプリキュアと一緒、プリキュアの仲間だと気丈に語ります。「キャンディ、やはりそなたはメルヘンランドの…」。たぶん二人は本当の兄妹じゃない。だって似てないし。
「めでたし、めでたしですか?」
まだ帰ってませんでした。ジョーカーはみゆきを除く4人を怠け玉に閉じ込めます。
④次回予告
5人の真ん中。ピンク。主人公の面目躍如となるか。
○トピック
高額新商品販売強化月間。ストーリー的にはプリキュアの試練。
番組も後半。少しずつ開示されてきました。この世界は苦しみと悲しみに満ちており、現実はままならない。というのが近年のプリキュアの大前提となっている現実認識です。それ以前のプリキュアにもそれが無かったわけではありませんが、物語のメッセージとして明確に取り入れられるようになったのはフレッシュからと言っていいです。敵が人間になったことを含めて「戦って勝つ」ことがハッピーエンドにならなくなりました。この苦しみにあえぐ罪深き人間の救済が如何にして成されるかに物語の焦点があります。
前作スイートは苦しみ、悲しみ、誤解、憤りなどの生き辛さを抱えた人々の姿を描いた物語でした。敵は苦しみそのもの。現実(日常)は過酷であるという指摘がされています。それと比較するとスマイルはそうした現実から逃げよう、努力は虚しいと諦めることが対立軸としてあります。諦めることがバッドエンド。そのまんまな提示ですね。ウルフルン達が童話の世界でハッピーになれず結局この世界はバッドエンドなのだと言うのもその文脈に沿っています。この諦めや過酷さに対して、プリキュアは言葉どおり「気合い」を入れて立ち向かう。と話しを整理するととてもシンプルな対決軸であることが分かります。
最近まで夏休みの宿題サボったり、遊び歩いていた中で「苦しみや悲しみから逃げたいだろ?」「いや、逃げちゃ駄目なんだ」と言い始めるのは些か唐突ではあるんですが、上述したような文脈で物語が動いていると考えると良いでしょう。プリキュアが突然本題に入って突っ走り始めるのはいつものことです。
さてこの「気合い」で立ち向かうっていうのは、そう単純な話しではありません。さらわれたキャンディを助けるために危険を冒さざるをえないことを自覚したように、現実の過酷さ、それを感じる自分の恐怖と立ち向かわなければならないし、おそらく次回は安逸に逃げたい欲求との対決となるでしょう。それらも根性でどうにかできるでしょう。しかし本作が射程に入れているのは、少数の犠牲の上に成り立つハッピーは許されるのか?です。今回とても分かりやすい示唆がされています。クッキーを2人で分け合えばそれなりに満足できる。ところが6人で分けようとすると分け前は目に見えて減ります。もし仮に幸福の絶対量が決まっているとして、それが特定の者だけが手にするのだとしたら? 貰えなかった人はどうなるのか。それがウルフルン達が置かれている立場です。みゆきはクッキーを分け合うことを選びます。分け前が減るとしても一人占めするよりみんなで分かち合った方が幸せなのだと。
本当にそうなんですか? 本当にそれができるんですか? ウルフルン達とも分け合えるんですか? 幸福が分け与えられるもので無かったとしても今まさに犠牲となっている人々に現実に向き合えと言うのか? 彼らともハッピーになるにはどうすればいいのか。みんながハッピーになれる物語はあり得るのか。
その問いにこの物語は向き合う気満々です。現実を受け入れたスイートを引き継いで、スマイルはその道をみんなと手を携えて歩こうとしています。これだからプリキュアはやめられない。プリキュアはどれほど大変でも自分の足で前に進んでいく物語です。
忘れずに言っておきますが、プリキュアは未就学児童向けアニメ。だからこそやるんですよね。
①営業マン
心地よく眠るキャンディ。みゆき達の必死そうな呼びかけが聞こえてきます。目を開けると目の前には傷ついたみゆき達が倒れています。
という話しは後半に絡むとして、今は復活詐欺のお話し。
例によってクイーンは復活せず、その代わり出てきた謎の置物(定価9,240円)に一同は困惑します。勝手に送りつけておいて後で金を払えと言われないかみんな心配しているのでしょう。
気を取り直して本題。これ何? 凄いアイテム。どうやって使うの? きっと凄いアイテム。何が出来るの? とにかく凄いアイテム。そりゃ凄い。何しろ定価9,240円、まず値段が凄い。デフレ時代を恐れぬ強気設定。お求めやすい価格です、血のにじむような努力でお安くさせていただきました、などと口が裂けても言えない。キャンディの営業トークに命運がかかっています。
「お腹空いたクル」
もうダメかもしれない。プリキュア打ち切りの危機。
みゆきはクッキーを一枚取り出します。半分こして食べようと言うキャンディ。いつもそうやって食べているのでしょう。みゆきもキャンディの言葉に同意を示します。しかし「でも」と言葉を続けます。それじゃ自分とキャンディしか食べられない。みんなで分けると言います。残念そうにみゆきを見るキャンディ。
6等分されたクッキーを見て期待よりも失望を覚えるキャンディ。みんなで一緒に食べます。咀嚼長ぇ。空気を読んでれいか達はお互いにニッコリと食べます。ようやくキャンディはみゆきの言ったとおりだと納得します。連帯意識を高めるには同じ釜の飯を食うのが手っ取り早い、というわけでもないですが、知り合いとご飯を食べるときは安くてそこそこの店よりも、高くても美味しい店の方が良いです。会話が弾むし料理の話題でも盛り上がれる。これが不味い店だとテンションだだ下がりでこの店を選んだことを後悔しながら食べることになります。知り合いに紹介できる美味しい店は何軒かストックしておきたいものです。また、自分一人では行きにくくても、友達連れならば理由にもなります。…というのは大人の場合の話しですが、子どもの頃はお互いに違う味のうまい棒を買って半分ずつ食べるというのでも十分楽しいものです。
一人よりみんなでハッピーって感じる方がウルトラハッピーになれるもんね、と話すみゆき。そろそろ番組も後半。メインテーマが深掘りされていく時期です。
窓の外から飛行物体。みゆきの顔面に当たってずっこけます。カメラさん! 別アングル!
ポップがそのアイテムが何か分かったと言います。キャンディでは営業にならないのでベテラン営業がやってきました。
三幹部に黒い玉を見せるジョーカー。プレゼントだと言います。赤っぱなを闇の絵の具でコーティング。するとスーパーアカンベェを超えるハイパーアカンベェとなり制御も楽ちん、レインボーバーストも効かない。これを上回るものは存在しない。これこそが黒っぱな。どっかの妖精とは営業レベルが段違い。思わず欲しくなるトークです。
少しはマシに戦えるでしょ?とトゲを含んだ物言いをするジョーカーに三幹部は腹を立てます。しかし、本当にそうですか?プリキュアに勝てない幹部など必要ないとピエーロ様はおっしゃっている。三幹部をあしらったデザインのトランプを消して見せます。何かとピエーロの名前を持ちだしていますが、まず間違いなくジョーカーの言葉です。以前からそうですが、ピエーロ・ジョーカーの関係は密接なのに比べて、三幹部は明らかに雇われ幹部の様相。さしずめ童話のハッピーエンド(彼らから見ればバッドエンド)に嫌気がさした彼らを甘い言葉で誘って引き入れたというところでしょうか。三幹部がある種の犠牲者であることは確定的ですが、物語の本質はやはりピエーロ・ジョーカーが握っている。プリキュアは毎年ラスボスの存在がなんであるかに物語のテーマが集約されます。
ウルフルンに黒っぱなを渡します。
②ロイヤルクロック
伝説のロイヤルクロックだと説明するポップ。ははー、と頭を下げるみゆき達。印籠かよ。
このクロックがプリキュアにさらなるパワーを与えるそうです。その前に親御さんにさらなる出費を与えるわけですが。時計にしては針もなにもないと疑問を口にするみゆき。不良品でしょうか。どうやったら動くのか。ポップは任せるでゴザルと請け合うと、もしもーし、誰か居ませんか、とクロックに呼びかけ始めます。単三乾電池3個(別売り)で動くそうですよ。
呆れていると、クイーンが出現します。もはや下っ端営業には任せられないとしびれを切らせたのでしょう。本人が出てきました。プリンセスフォームでおなじみの輪っかが2本頭の上に乗っています。
ありがとう、とお礼を言うクイーン。ロイヤルクロックを通じて会話できるそうです。クロックの力を引き出すにはプリキュアとキャンディのさらなる力が必要だと語るクイーン。ああ、ここでキャンディが出てくるのね。プリンセスフォームの時にキャンディが必要とされなかったのでどうしたもんかと思ってたら、本命はこっちか。
公園を襲撃するウルフルン。カウント6。
気配を察知するクイーン。現場へ向かいます。クロックは自力飛行可能。さすが定価9,240円。クローバーボックスなんてバリアはれましたしね。
現地到着。黒っぱなを紹介してショベルカーに憑依。物陰で様子を見るジョーカー。この人は最初から幹部を当てにしていない。当て馬に使うだけ。仕事は自分でやる。
アカンベェとウルフルンが合体。ウルフルンの身体に負荷がかかります。目元に紋様が書き加えられます。強化型デザトリアンと同じ手法ですね。ハートキャッチの監督曰く、幹部と怪人を一緒にするとその分だけカット数を減らせるのだそうです。その方がシーンが纏まってスッキリする。というような話しを聞いたときはなるほど~と感心しました。プリキュア、妖精、怪人、幹部、と4者それぞれ描くのは確かにごちゃごちゃします。勿論、話しとしても怪人の強さをアピールできるし、負荷がかかっている幹部はそれだけ追い込まれている様子を描くこともできるので一石二鳥。
ウルフルンと一体化したアカンベェは自由自在にその圧倒的な力を振るいます。流石クロック強化月間。まずは敵が強いことを見せる必要があります。大人の事情でいくらでも戦闘力に補正がかかる。クロックはまだ使えません。わざわざポップが理由を説明します。それを聞いたジョーカーは嬉しそうに姿を現します。キャンディを捕縛。ブラボー私、お疲れみなさん。語呂いいなぁ。
怠け玉の中に閉じ込めたと言うジョーカー。怠け玉…いよいよピエーロが言っていた「怠惰」に関わるアイテムも出てきました。やっぱこの人が出てくると話し進むなー。玉の中でぐっすりと眠るキャンディ。
③すべてを怠惰な世界に
見知らぬ場所に立つキャンディ。不安げにあたりを見回します。近くで楽しそうな声がします。そこに行ってみると妖精達が楽しく遊んでいます。キャンディに呼びかける妖精達。一緒に遊ぼう、とっても素敵でずっとここに居たくなる。
苦戦を強いられるプリキュア。キャンディを助けなければ。それを聞いたジョーカーは異な事を、とプリキュアに怠け玉を見せながらキャンディは楽しい夢を満喫していると言います。
「この怠け玉の中は我々が理想とするバッドエンドの世界そのもの。苦しいことはすべて忘れて、何も考えずずーっと食べて遊んで居られます。そんな夢の世界から戻って来たがるお馬鹿さんがいるはずないじゃありませんか」
なるほど、そういう意味でのバッドエンドなのか。
「キャンディは必ず帰ってくる!」
「誰だって楽な方がいい、難しいことは考えたくないし逃げたくなる。でも、本当に楽しく笑うためには踏ん張って頑張らなきゃいけない時だってあるの!」
「せやな、いっつもおもろいことばっかなわけないもん」
「でも、どんな時でもきっと逃げちゃ駄目だと思う」
「うん、どれほど大変でも自分の足で前に進んでいく」
「そうしないと本当の笑顔にはなれない」
「どんな時も全力でやるから、心から楽しいって思える。キャンディもきっとそう。だからキャンディはそんな世界には負けない!」
夏休みの宿題から逃げていた人達のセリフとは思えませんな。とりあえず夏休みのことは忘れて、24話の次の話しが今回だと思っておくとプリキュアのみなさんの名誉も保たれ、話しが分かりやすくなります。
キャンディを再び呼びます。
夢の中でキャンディは誰かの声が聞こえた気がします。しかし誘惑には勝てません。
プリンセスフォーム。もうBGMが専用曲じゃない時点で駄目確定。なんでポップは寄ってきた。攻撃が弾かれて反動でみんなダメージを負います。ポップも。盾になろうとして間に合わなかったんでしょうか。
夢の中でお腹が空くキャンディ。目の前にはお菓子の家。周りの木々には果物やお菓子が実っています。みんなで分けっこしようと言うと妖精達はたくさんあるから分けなくていい、お菓子の家はキャンディ一人で食べればいいと言葉が返ってきます。キャンディは喜ぶと一人で食べ始めます。しかしすぐに物足りない表情を浮かべます。一人でハッピーになるよりみんなでハッピーになった方がウルトラハッピーになれる。自分の大切な友達を思い出したキャンディはみんなのところに帰ると決意を込めて言います。嫌なことや辛いことは忘れて遊んでいて良いと甘言を弄する妖精達を振り切ってキャンディは現実に向き合おうとします。
怠け玉から解放されます。ジョーカーは驚きつつも計画に支障なし、と強気の姿勢。キャンディの目の前には傷き倒れたプリキュアが横たわっています。現実に戻ったらこのザマだよ。これ結構酷い仕打ち。
ハッピーはキャンディの姿を認めると「おかえり」と優しい言葉をかけます。笑顔でキャンディを迎え入れ優しく撫でようとして力尽きます。涙を目尻に溜めておののくキャンディ。受け入れがたい現実。次回予告から判断しても、ここまでの話しは前振り。言葉では綺麗事を言えてもじゃあ実際にやれるの?ということを見せなければならない。
泣きじゃくるキャンディ。彼女の身体から異様なオーラが発します。みんなをいじめちゃ駄目!と叫ぶといよいよオーラは実体化。なんか不死鳥みたいなのが出てきたー!? 泣いて力解放ってのはお約束なので良いんだけど、何故に不死鳥? プリキュアがペガサスでキャンディはフェニックス? どういう組合わせ?
ところでこの不死鳥、半年前に漂白された彼だったりして。苦しむ心から生み出され、また同時に笑顔の象徴ともなった彼が次の世代に力を貸すと考えるとなかなか味わい深い。太陽マンはこの布石だったんだよ! なっ、なん(略
クロックが稼働します。ハイパーアカンベェが襲いかかるも黒いコーティングは剥がれてしまいます。元の赤っぱなに。勝機。
「キャンディの想い受け取ったよ!」
「気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだー!」
ああ、これいいなぁ。1話じゃギャグでしかなかったけど、今は違う。ヒーローの最後にして最強の力はこれだよね。玩具も武器も要らない。本当に必要なのはそれを使う者の心。その正しさと強さであるべきだ。
「プリキュア! ハッピーシャワー!」
デコルが一つデコールに収まります。回収作業は再スタートかな。
クイーンはキャンディを労います。友達を大切にする優しさ、これかもその想いを大切に育ててください。
目を覚ますとみゆき達が自分を見つめています。自分もプリキュアと一緒、プリキュアの仲間だと気丈に語ります。「キャンディ、やはりそなたはメルヘンランドの…」。たぶん二人は本当の兄妹じゃない。だって似てないし。
「めでたし、めでたしですか?」
まだ帰ってませんでした。ジョーカーはみゆきを除く4人を怠け玉に閉じ込めます。
④次回予告
5人の真ん中。ピンク。主人公の面目躍如となるか。
○トピック
高額新商品販売強化月間。ストーリー的にはプリキュアの試練。
番組も後半。少しずつ開示されてきました。この世界は苦しみと悲しみに満ちており、現実はままならない。というのが近年のプリキュアの大前提となっている現実認識です。それ以前のプリキュアにもそれが無かったわけではありませんが、物語のメッセージとして明確に取り入れられるようになったのはフレッシュからと言っていいです。敵が人間になったことを含めて「戦って勝つ」ことがハッピーエンドにならなくなりました。この苦しみにあえぐ罪深き人間の救済が如何にして成されるかに物語の焦点があります。
前作スイートは苦しみ、悲しみ、誤解、憤りなどの生き辛さを抱えた人々の姿を描いた物語でした。敵は苦しみそのもの。現実(日常)は過酷であるという指摘がされています。それと比較するとスマイルはそうした現実から逃げよう、努力は虚しいと諦めることが対立軸としてあります。諦めることがバッドエンド。そのまんまな提示ですね。ウルフルン達が童話の世界でハッピーになれず結局この世界はバッドエンドなのだと言うのもその文脈に沿っています。この諦めや過酷さに対して、プリキュアは言葉どおり「気合い」を入れて立ち向かう。と話しを整理するととてもシンプルな対決軸であることが分かります。
最近まで夏休みの宿題サボったり、遊び歩いていた中で「苦しみや悲しみから逃げたいだろ?」「いや、逃げちゃ駄目なんだ」と言い始めるのは些か唐突ではあるんですが、上述したような文脈で物語が動いていると考えると良いでしょう。プリキュアが突然本題に入って突っ走り始めるのはいつものことです。
さてこの「気合い」で立ち向かうっていうのは、そう単純な話しではありません。さらわれたキャンディを助けるために危険を冒さざるをえないことを自覚したように、現実の過酷さ、それを感じる自分の恐怖と立ち向かわなければならないし、おそらく次回は安逸に逃げたい欲求との対決となるでしょう。それらも根性でどうにかできるでしょう。しかし本作が射程に入れているのは、少数の犠牲の上に成り立つハッピーは許されるのか?です。今回とても分かりやすい示唆がされています。クッキーを2人で分け合えばそれなりに満足できる。ところが6人で分けようとすると分け前は目に見えて減ります。もし仮に幸福の絶対量が決まっているとして、それが特定の者だけが手にするのだとしたら? 貰えなかった人はどうなるのか。それがウルフルン達が置かれている立場です。みゆきはクッキーを分け合うことを選びます。分け前が減るとしても一人占めするよりみんなで分かち合った方が幸せなのだと。
本当にそうなんですか? 本当にそれができるんですか? ウルフルン達とも分け合えるんですか? 幸福が分け与えられるもので無かったとしても今まさに犠牲となっている人々に現実に向き合えと言うのか? 彼らともハッピーになるにはどうすればいいのか。みんながハッピーになれる物語はあり得るのか。
その問いにこの物語は向き合う気満々です。現実を受け入れたスイートを引き継いで、スマイルはその道をみんなと手を携えて歩こうとしています。これだからプリキュアはやめられない。プリキュアはどれほど大変でも自分の足で前に進んでいく物語です。
忘れずに言っておきますが、プリキュアは未就学児童向けアニメ。だからこそやるんですよね。
第30話「本の扉で世界一周大旅行!!」
○今週の出来事
①世界グルメツアー
久々の不思議図書館。あかねは夏休みに家族で旅行へ行ったか尋ねます。行ってないと異口同音に答える4人。あかねも店が忙しく旅行どころではなかったようです。感想書いてて気づきましたがやよいは太陽マンの絵書いてます……なるほどこれが伏線だったのか。みゆきがキャンディの耳で遊んでいるのがちょっと面白い。普段からこんな感じで仲良しなのでしょう。
海外旅行に行ってみたいとやよい。それを聞いたみゆきは地球儀を取り出します。ここは不思議図書館、世界中どこへでも行けます。お城に行ってみたい、モンゴルの大草原を走って美味しい物を食べたい、台湾、万里の長城、自由の女神と口々に希望を言います。てっきりアメコミヒーロー狙いかと思ってました、特オタさん的に。
今週は日帰り世界旅行。
久々のジョーカー。そろそろデコルがいっぱいになると危惧します。この人が出てくると話しが進みます。
ということで準備万端。やよいはカメラ持参。ヒーローショーで鳴らした撮影技術の見せ所。書いてて思いついたけど、間違いない、この子がカメラを持っているのはヒーローショーのためだ。スケッチの素材のためではない。
言い遅れましたが春冬私服です。夏服はれいかのワンピースが可愛いとか、みゆきの脇のチラ見えが熱いとかありますが、みゆきの白ニーソには敵うべくもない。奏でもそうだったけど、ピンクの服に白ニーソがコケティッシュ。
本をスライドさせていざ海外へ。
フランス、ベルサイユ宮殿。壮大な建物、絢爛豪華な装飾に感嘆の声をあげる一同。こういうの見ると如何にあの当時の権力者が民衆から搾り取っていたかが分かりますよね。そりゃーマリーアントワネットも決起した民衆から逃げるわ。
ドレスデコルでキャンディはお色直し。相変わらず絶妙な不細工さです。事前予習なしで解説を始めるれいかさん。この人は普段どんな本読んでるんだ。なおはマカロンに舌鼓。今週は大食い担当です。
記念撮影。
お次は台湾。九ふん(諸般の都合で変換できませんでした)。れいかさんの解説誰も聞いてないような気がする。みんなもここでお食事。ところでお金はどうなっているんだろうか。
記念撮影。なお食ってばっかだな。
モンゴルキターーー。
なおの脳筋ぶりがやべぇ。呆れるあかね。れいかは微笑ましく笑っています。アホの子可愛い的な感じでしょうか。やよいは撮影に夢中。みゆきは寝っ転がります。
記念撮影。なおはどっから食べ物手に入れた?
中国万里の長城にやって参りました。れいかさん嬉しそうです。
張り切って解説を始めるも、誰も聞いちゃいません。やよいは相変わらず写真を撮り続けるし、なおは食べ続ける。「さ、登りましょうか」。突然言い出すれいか。意趣返しでしょうか。千里の道も一歩から。道マニアとしては登らずして何をか言わんやといったところでしょうか。あかねは逆の方を指してあっちの方が登りやすいと答えます。同意を示す3人。「険しい道を道を登ってこそ、頂上から見る景色も素晴らしく見えるものです」。先に行ってしまいます。なおは腹ごなしと駆け出します。これだからなおは可愛い、とかれいかさん思ってそう。
ところで、本棚はどこにあるんでしょうか。
自由の女神。
あかねもお腹が空いたのかホットドッグを頬張ります。その隣ではなおがめちゃくちゃ長いホットドッグを頬張っています。2本目。あれですかね、何か、そういう競技に参加してるんすかね、この子は。
やよいは自由の女神に感激。何か強い思い入れでもあるのでしょうか。
「私の大好きな太陽マンがここで敵をソーラーフラッシュで倒したんだよ」
「こーんな風に! ジャスティスヒーロー! 太陽マン! 出たな、悪者め! ソーラーフラーッシュ!!」
再現し始めます。よく訓練された特オタです。聖地巡礼に来たようです。ブレないなこの子も。
周囲の人達から拍手が起こります。黄色は外国でも人気者(笑い者)。
記念撮影。自由の女神と同じポーズ。
その後もエジプト(ピラミッド)、イタリア(ピサの斜塔)、イギリス(ビッグベン)、イースター島(チリ領、モアイ)を巡っていきます。どこでも食べているなお。
ジョーカーから呼び出しを受けるアカオーニ。ジョーカーからこれまで何度プリキュアと戦ったか尋ねられます。指を折りながら数えると10本では足りない様子。そんだけ戦っているのに未だに倒せないとは困りもの、ピエーロ様にも我慢の限界があると脅します。ピエーロの名を聞いて蒼白になったアカオーニは切羽詰まった様子でプリキュアを倒しに行くと言います。内心勝てる自信は無いようです。ジョーカーが去った後、頭を抱えます。ジョーカー的には時間稼ぎなのでしょう。最初から期待していません。
CM。本編に出る前に新商品告知。最近は箱物系ですね。
②復活するする詐欺
アマゾン川。小舟で川下り。あかねが帆を操っています。船乗りや水先案内人無しでやるとかどんだけスキル高ぇんだよ。
動物達を見て心躍らせるあかね。船の速度を緩めて今日の感想を言い合います。みんな満足。なおはまだ食べ足りない様子。そろそろお暇。どこに本棚があるというのか。
最後に記念撮影。余計なものが写り込みます。
満面な顔のアカオーニ。やよいに撮って貰ってウルトラハッピー。よく訓練された黄色派です。
バッドエナジー回収。今週は動物達が犠牲になります。虫からも同じ人からも取れるのに、先週やお婆ちゃん回で未回収事案が起きているあたりにこの幹部達の使えなさが伺い知れます。回収できない方が難しい。カウント5。
旅行中にトラブルに見舞われたものの、ここでいつもどおりやっつければデコルはコンプリート。むしろボーナスゲーム。しかしピエーロのお仕置きが怖いアカオーニとてそれを許すわけにはいかない。ピラニアをアカンベェ化。れいかさん解説ありがとうございます。帆がかみ砕かれます。変身。久々にパフで叩いた後の笑顔が全員分映ります。これこれ。カットされることが多いんですが、このシーンが変身シーンで一番可愛い見せ所だと思うんだよね。ハッピーの可愛さは殺人的。
開始早々、プリキュアは弾かれキャンディがアカンベェに飲み込まれます。後を追って水中に飛び込むも身動きが取れずアカンベェに為されるまま。プリキュアでは珍しい水中戦。どうしたものかと思案。前回のように凍らせますかね。サンダーも有効そうです。
キャンディはデコルを使ってプリキュアを人魚化。水中でも息ができます。反撃開始。サニーファイアーは水中では無効。ピースがビューティの制止もきかずサンダーを使います。予想どおりアカンベェも仲間も感電。ですよねー。アカンベェの口の中からキャンディが出てきて救出成功。感電してボロボロになっているのはピースのせいです。キャンディを愛おしそうにハッピーは抱き留めます。デコルを守ったと気丈な態度を見せるキャンディをハッピーはえらいと褒めます。この辺はキャンディが妹分であることと、一緒に戦っていることのおさらいですね。
陸地に誘い込んで、レインボーバースト。デコルがすべて揃います。
同じ頃、ジョーカーも対抗手段が完成。黒い玉。
みゆきの部屋。いよいよロイヤルクイーン復活。キャンディがデコールにデコルをはめます。
デコールから光の柱が伸びると目の前に見たことがない置物が出現します。
CM。サクサクセイコイヤじゃんけんポン。挑戦者現る。ピースのじゃんけんは作外への影響が大きい。
③次回予告
新商品投入タイミングと同時にプリンセスフォームの弱体化。
○トピック
便利な不思議図書館の機能を使って世界周遊。れいかさんの解説付きでお勉強にもなります。新商品発売を目前に控え、親御さんにプリキュアは良いアニメアピール攻勢を仕掛けます。何しろクリスマスも視野に入れた高額商品(定価9,240円)、なんとしてでも買って貰わなければなりません。そのためには復活詐欺も辞さない。デコルが揃ったら次は新商品を買え。プリンセスキャンドルじゃ力不足、新商品がプリキュアには必要なんだと必死にアピール。これが女児向け玩具界の女王たるプリキュアの営業活動。
ということで、毎年恒例の高額新商品投入。例年30話が目処のようです。物語も折り返し。序盤の自己紹介を兼ねた多様なエピソード、中盤の山場、夏休みのゆる~いエピソードを経ていよいよ後半戦。ギャグにもシリアスにも脂がのる時期です。この後の予定は新商品の真価が披露されると同時に映画、終盤展開の始まり、そして年明けの最終決戦といった流れ。物語の終わりが見えてきました。あっと言う間の半年。そしてこっからはあっと言う半年。指数級数的に物語は加速していきます。今年は何をやらかしてくれるのでしょうか。
①世界グルメツアー
久々の不思議図書館。あかねは夏休みに家族で旅行へ行ったか尋ねます。行ってないと異口同音に答える4人。あかねも店が忙しく旅行どころではなかったようです。感想書いてて気づきましたがやよいは太陽マンの絵書いてます……なるほどこれが伏線だったのか。みゆきがキャンディの耳で遊んでいるのがちょっと面白い。普段からこんな感じで仲良しなのでしょう。
海外旅行に行ってみたいとやよい。それを聞いたみゆきは地球儀を取り出します。ここは不思議図書館、世界中どこへでも行けます。お城に行ってみたい、モンゴルの大草原を走って美味しい物を食べたい、台湾、万里の長城、自由の女神と口々に希望を言います。てっきりアメコミヒーロー狙いかと思ってました、特オタさん的に。
今週は日帰り世界旅行。
久々のジョーカー。そろそろデコルがいっぱいになると危惧します。この人が出てくると話しが進みます。
ということで準備万端。やよいはカメラ持参。ヒーローショーで鳴らした撮影技術の見せ所。書いてて思いついたけど、間違いない、この子がカメラを持っているのはヒーローショーのためだ。スケッチの素材のためではない。
言い遅れましたが春冬私服です。夏服はれいかのワンピースが可愛いとか、みゆきの脇のチラ見えが熱いとかありますが、みゆきの白ニーソには敵うべくもない。奏でもそうだったけど、ピンクの服に白ニーソがコケティッシュ。
本をスライドさせていざ海外へ。
フランス、ベルサイユ宮殿。壮大な建物、絢爛豪華な装飾に感嘆の声をあげる一同。こういうの見ると如何にあの当時の権力者が民衆から搾り取っていたかが分かりますよね。そりゃーマリーアントワネットも決起した民衆から逃げるわ。
ドレスデコルでキャンディはお色直し。相変わらず絶妙な不細工さです。事前予習なしで解説を始めるれいかさん。この人は普段どんな本読んでるんだ。なおはマカロンに舌鼓。今週は大食い担当です。
記念撮影。
お次は台湾。九ふん(諸般の都合で変換できませんでした)。れいかさんの解説誰も聞いてないような気がする。みんなもここでお食事。ところでお金はどうなっているんだろうか。
記念撮影。なお食ってばっかだな。
モンゴルキターーー。
なおの脳筋ぶりがやべぇ。呆れるあかね。れいかは微笑ましく笑っています。アホの子可愛い的な感じでしょうか。やよいは撮影に夢中。みゆきは寝っ転がります。
記念撮影。なおはどっから食べ物手に入れた?
中国万里の長城にやって参りました。れいかさん嬉しそうです。
張り切って解説を始めるも、誰も聞いちゃいません。やよいは相変わらず写真を撮り続けるし、なおは食べ続ける。「さ、登りましょうか」。突然言い出すれいか。意趣返しでしょうか。千里の道も一歩から。道マニアとしては登らずして何をか言わんやといったところでしょうか。あかねは逆の方を指してあっちの方が登りやすいと答えます。同意を示す3人。「険しい道を道を登ってこそ、頂上から見る景色も素晴らしく見えるものです」。先に行ってしまいます。なおは腹ごなしと駆け出します。これだからなおは可愛い、とかれいかさん思ってそう。
ところで、本棚はどこにあるんでしょうか。
自由の女神。
あかねもお腹が空いたのかホットドッグを頬張ります。その隣ではなおがめちゃくちゃ長いホットドッグを頬張っています。2本目。あれですかね、何か、そういう競技に参加してるんすかね、この子は。
やよいは自由の女神に感激。何か強い思い入れでもあるのでしょうか。
「私の大好きな太陽マンがここで敵をソーラーフラッシュで倒したんだよ」
「こーんな風に! ジャスティスヒーロー! 太陽マン! 出たな、悪者め! ソーラーフラーッシュ!!」
再現し始めます。よく訓練された特オタです。聖地巡礼に来たようです。ブレないなこの子も。
周囲の人達から拍手が起こります。黄色は外国でも人気者(笑い者)。
記念撮影。自由の女神と同じポーズ。
その後もエジプト(ピラミッド)、イタリア(ピサの斜塔)、イギリス(ビッグベン)、イースター島(チリ領、モアイ)を巡っていきます。どこでも食べているなお。
ジョーカーから呼び出しを受けるアカオーニ。ジョーカーからこれまで何度プリキュアと戦ったか尋ねられます。指を折りながら数えると10本では足りない様子。そんだけ戦っているのに未だに倒せないとは困りもの、ピエーロ様にも我慢の限界があると脅します。ピエーロの名を聞いて蒼白になったアカオーニは切羽詰まった様子でプリキュアを倒しに行くと言います。内心勝てる自信は無いようです。ジョーカーが去った後、頭を抱えます。ジョーカー的には時間稼ぎなのでしょう。最初から期待していません。
CM。本編に出る前に新商品告知。最近は箱物系ですね。
②復活するする詐欺
アマゾン川。小舟で川下り。あかねが帆を操っています。船乗りや水先案内人無しでやるとかどんだけスキル高ぇんだよ。
動物達を見て心躍らせるあかね。船の速度を緩めて今日の感想を言い合います。みんな満足。なおはまだ食べ足りない様子。そろそろお暇。どこに本棚があるというのか。
最後に記念撮影。余計なものが写り込みます。
満面な顔のアカオーニ。やよいに撮って貰ってウルトラハッピー。よく訓練された黄色派です。
バッドエナジー回収。今週は動物達が犠牲になります。虫からも同じ人からも取れるのに、先週やお婆ちゃん回で未回収事案が起きているあたりにこの幹部達の使えなさが伺い知れます。回収できない方が難しい。カウント5。
旅行中にトラブルに見舞われたものの、ここでいつもどおりやっつければデコルはコンプリート。むしろボーナスゲーム。しかしピエーロのお仕置きが怖いアカオーニとてそれを許すわけにはいかない。ピラニアをアカンベェ化。れいかさん解説ありがとうございます。帆がかみ砕かれます。変身。久々にパフで叩いた後の笑顔が全員分映ります。これこれ。カットされることが多いんですが、このシーンが変身シーンで一番可愛い見せ所だと思うんだよね。ハッピーの可愛さは殺人的。
開始早々、プリキュアは弾かれキャンディがアカンベェに飲み込まれます。後を追って水中に飛び込むも身動きが取れずアカンベェに為されるまま。プリキュアでは珍しい水中戦。どうしたものかと思案。前回のように凍らせますかね。サンダーも有効そうです。
キャンディはデコルを使ってプリキュアを人魚化。水中でも息ができます。反撃開始。サニーファイアーは水中では無効。ピースがビューティの制止もきかずサンダーを使います。予想どおりアカンベェも仲間も感電。ですよねー。アカンベェの口の中からキャンディが出てきて救出成功。感電してボロボロになっているのはピースのせいです。キャンディを愛おしそうにハッピーは抱き留めます。デコルを守ったと気丈な態度を見せるキャンディをハッピーはえらいと褒めます。この辺はキャンディが妹分であることと、一緒に戦っていることのおさらいですね。
陸地に誘い込んで、レインボーバースト。デコルがすべて揃います。
同じ頃、ジョーカーも対抗手段が完成。黒い玉。
みゆきの部屋。いよいよロイヤルクイーン復活。キャンディがデコールにデコルをはめます。
デコールから光の柱が伸びると目の前に見たことがない置物が出現します。
CM。サクサクセイコイヤじゃんけんポン。挑戦者現る。ピースのじゃんけんは作外への影響が大きい。
③次回予告
新商品投入タイミングと同時にプリンセスフォームの弱体化。
○トピック
便利な不思議図書館の機能を使って世界周遊。れいかさんの解説付きでお勉強にもなります。新商品発売を目前に控え、親御さんにプリキュアは良いアニメアピール攻勢を仕掛けます。何しろクリスマスも視野に入れた高額商品(定価9,240円)、なんとしてでも買って貰わなければなりません。そのためには復活詐欺も辞さない。デコルが揃ったら次は新商品を買え。プリンセスキャンドルじゃ力不足、新商品がプリキュアには必要なんだと必死にアピール。これが女児向け玩具界の女王たるプリキュアの営業活動。
ということで、毎年恒例の高額新商品投入。例年30話が目処のようです。物語も折り返し。序盤の自己紹介を兼ねた多様なエピソード、中盤の山場、夏休みのゆる~いエピソードを経ていよいよ後半戦。ギャグにもシリアスにも脂がのる時期です。この後の予定は新商品の真価が披露されると同時に映画、終盤展開の始まり、そして年明けの最終決戦といった流れ。物語の終わりが見えてきました。あっと言う間の半年。そしてこっからはあっと言う半年。指数級数的に物語は加速していきます。今年は何をやらかしてくれるのでしょうか。
第29話「プリキュアがゲームニスイコマレ~ル!?」
○今週の出来事
①結局、遊ぶ
みんなで遊園地。それを聞いた先生は始業式前日にそれなら宿題も終わってるだろうと安心。終わってなかったら補習コースです。それを聞いた4名はガクガク震えています。異口同音に宿題が終わっていないと言うボンクラーズ。前回のラストは何だったのか。現実逃避に費やしたようです。
「すっかり忘れてたけど」
「夏休み今日で終わりや」
「そんな! 何かの間違いでしょ!?」
「突然過ぎるよ!」
突然も何も夏休みの日程最初から決まってるだろ。どんだけお前ら自分に都合の良いようにカレンダー見てるんだよ。
遊ぶのは諦めて帰って宿題をやろうと話し合います。それなりに殊勝な態度。どうせ間に合わないから毒を食らわば皿までをの精神で遊園地行くのかと心配しました。
キャンディがサイコロを見つけます。みゆきが手にとって転がすと、マジョリーナ印が。
見知らぬ土地。目の前にはテーマパーク的な何か。どっちみち遊園地に来ちゃいました。
目の前をマジョリーナ達が通り過ぎます。サイコロを探しています。それを見た一同は合点がいきます。このパターンはだいたいこいつらのせい。みゆきが持っているサイコロを見たマジョリーナは手間が省けたと言います。例によって名前と現物が一致しないアイテムの仕業。今回はゲームをすることに。「楽しそう」と喜ぶみゆき。しかし宿題をやらなければいけません。遊んでいる暇はない。
変身して6時30分までにクリアしないとゲームから出られない、と条件が提示されます。時間設定が細かい。それまでに帰ってサザエさんとピースどちらがジャンケンに勝ったか確かめられるように、という配慮でしょうか。
乗りかかった船。どっちみち変身しないといけないので素直に変身。Aパート8時36分。かなり早めです。
②オールスターズDX的なスマイルDEチャンス
ルールは単純。各アトラクション毎に1対1で勝負して攻略していく方式。第一ステージはモグラ叩き。
モグラ叩きを見て戸惑うサニーとマーチ。お子様向けな趣向です。ガチバトルではありません。真っ先に名乗りを上げるハッピー。超楽しそう。モグラ叩きが得意のようです。
1分勝負。キャンディもヒヨコデコルを使って応援。ああ、そういう使い方するのね。上手い。
スタート。マジョリーナは普通にモグラを叩いていきます。ところがハッピーのモグラは防御・回避したあげく反撃してきます。マジョリーナが作ったゲーム。当然正々堂々などという文字は無い。イカサマ上等(常套)。プリキュアの先輩達も通った道です。
点数を順調に稼いでいくマジョリーナ。ハッピー側は遂にモグラが仕事を放棄。穴から出てきません。残り時間は30秒を切ります。
「もう、こうなったら!」
なんか嫌な予感がします。何となく予想はつくんですが、いやまさか。
「プリキュア! ハッピーシャワー!」
やっぱりやりやがったー!?
これは酷い。何が酷いってモグラが潜んでいる地面がめっちゃボロボロになってモグラが悶絶してる絵面。モグラが穴から出てきたところを一網打尽。僅差でハッピーが勝利。喜ぶハッピーの後ろには無残にもフルボッコにされたモグラ達が転がっています。ここはゲームという名の修羅の国。
第二ステージはゴーカート。相手はウルフルン。様になっています。挑戦者はサニー。
当然のようにまたイカサマをしてきます。サニーの鼻に綿棒を突っ込んで妨害。鼻の穴を映すとか美少女ヒロインものでは酷い嫌がらせです。
「なんて卑劣な!」
ビューティさんのこの台詞は後々重要になるので覚えておきましょう。
ウルフルンはさらにカートを変化させるとロケットのように飛んでいきます。もうカートじゃねぇ。
「そうはイカの焼きそばや!」
サニーはカートに立つとサニーファイアーでブースト。もはやイカサマ対決。相手が最初にイカサマすることでゲームの本当のルール(どんな手段でも良いからモグラを叩け、車と人がゴールに最初に入った方が勝ち)が開示されて、それにどう対抗するかがこのゲームの肝。
順調に進んでいきます。次はピース。
第三ステージはボウリング。対戦者はアカオーニ。それを聞いたサニー達は「微妙やな」と内心つぶやきます。これは上手い下手が分かれるゲームです。それはそれとしてプリキュア内でもピースに配慮がされている件。
「ピースとしてはどうなのかな?」
「わぁ(歓喜)」
めっちゃ嬉しそうです。めっちゃ食いついています。「まさかの大当たり!?」
運動会で唯一ビリにならなかったのが玉転がしなのだそうです。回想でも2位になっています。なんか微妙な得意さアピール。ボールを嬉しそうに撫でます。
アカオーニが先に投球。ガーター。これにはハッピーも笑います。流石アカオーニさん、ピースに対しては八百長的に優しい。ところがピンは居眠りしていた奴を除き9本倒れます。あからさま過ぎる。しかもこれではアカオーニさんの計画が台無しです。ということで今回のルールはどんな手段を用いてもピンを倒せばOK。ボールを当てる必要はありません。
「心配ないよ。私がストライク取るから!」
いつになく自信に溢れるピース。どこからその自信が沸いてくるのか。
ピンが降りてきます。全部完全装備の防御型。さらにはバリケードが積まれます。ボウリングする気ねぇ。ピース涙目。きっとその横でアカオーニさんは悶絶してると思います。
稲妻投球。バリケードに当たって天井に跳ね返ると、ピンの前に落下。電撃でノックアウトさせます。ルールに完全に則った正攻法です。
「ストライク!」
鼻息荒く勝ち誇るピース。今週は仕事するなぁ。
連戦連勝。負け知らず。ところが時間は刻一刻と進み3時。余裕ぶっこいてる場合ではありません。個々のゲームに負けても試合全体に勝てば良し。バッドエンド王国あなどれません。それはそれとして不安がるハッピーとピースの太ももがたまらない。私のスマイルフォルダが厚くなります。
アイキャッチのライオン丸さんがマジ天使。SDキャラにすると可愛いんだよね。
第四ステージは野球。アカオーニさん続投。打てたら勝ち。
マーチがバッターボックスに立ちます。アカオーニが使う球は風船球。ひょろひょろと不安定な軌道で飛んできます。マーチはジャンプしてバッドに当てます。カキン! 風船球じゃなかったのか。
ホームランコース。しかしアカンベェが風を起こして内野フライコースに。
「こんなの筋が通らない!」
マーチシュート(ヘディング)で風を起こしてホームラン。イカサマにイカサマで堂々と対抗するプリキュアさんマジパネェ。
「第五ステージは水泳だ!」
みなさんお聞きになりましたでしょうか。このゲームは水泳です。泳ぎます。ウルフルンさんも水着に着替えてスタンバっておられます。
「私がお相手しましょう」
長袖の水着の上にプリキュアコスチューム。こんなの絶対おかしいよ! 古式泳法でも披露するつもりか。
プリキュアの水着が見たかったらカレンダー買えってことですね。私は購入済みです。プリキュアの水着は金で買える!! 金を払えば女子中学生が水着に! って友人に言ったら自腹カツ丼食うことになるぞって返されました。世は無情。
位置について。ゴーグルは飾りのようです。スタート。颯爽と飛び込むウルフルンに対してビューティは微動だにしません。ビューティのコースにはサメが口を開けて待っています。これは酷い。ちなみにウルフルンさんは犬かきで泳ぎます。流石です。サメとビューティのにらみ合い。シュールだ。
「このような卑怯なやり方……許せません!」
あまりの卑怯さにビューティさんの怒りはマッハ。ブリザードでサメもウルフルンもプールも凍らせます。なんとなく前回の予告を見たときにやらかすんじゃないかと思っていましたが、本当にやりやがった。スケートを使って華麗にゴール。みなさん、先ほどのウルフルンの台詞を思い出して頂きたい。これは一応水泳勝負です。ちゃんとウルフルンは泳いでいます。それなのにこのやり方。「なんて卑劣な!」とか「このような卑怯なやり方」とか言ってる人が一番酷かった。この言葉はバッドエンド国側にこそ相応しい。ビューティさんの外道ぶりにブレはありません。私がルールだ!そんな声が聞こえてきそうです。
その後も着々とクリア。ばば抜きしたときのビューティさんのポーカーフェイスぶりが流石です。
③世の中そんなに甘くない
ラストステージ。時間も6時20分。
観覧車にアカンベェを憑依。観覧車で一周した後ウルトラハッピーと言えたら勝ち。風変わりなゲーム。
罠は承知で観覧車に乗ります。ハッピーは緊張感なくワクワクします。観覧車の外に映像が映ります。先生がみゆき達を叱っています。れいかさんは居ません。宿題が終わらず説教される自分達の姿にボンクラーズは見入ります。
狙い通り。夏休みを遊んで過ごし、最後にたまった宿題に慌てふためく。そのタイミングでプリキュアをゲームに閉じ込めれば宿題を妨害できる。さらに自分の怠けっぷりを見せつけてやれば…。寝て過ごしていたみゆき。え、なにこれ盗撮? けしからん、その映像私が没収しましょう。ちなみにみゆきの持っている本にペロの本があったりまします。あかねは漫画。オクトのケン、足タコナンジャ(明日のナージャ)などが転がっています。細かいネタ仕込むなぁ。やよいはヒーローショーでヒーローと握手してました。後ろの子どもに笑われてないか? 大きいお友達の仲間入りです。なおは兄弟とサッカーに明け暮れてました。
ビューティ以外ガックリと肩を落とします。相変わらずビューティ無双。勉強の話しになると雲泥の差が生まれる。またバッドエナジー出しそう。ここで出したらあかね達は3回も出すことになります。プリキュアが一番のお得様になってしまいかねません。
観覧車は一周し終えます。扉が開くと肩を落としたハッピー達は「ウルトラはっぷっぷー」。結局今回も遊びほうけてこのザマだよ。
「ウルトラハッピークル!」
宿題がない(?)未就学児童に隙はなかった。
「私もウルトラハッピーです」
「確かにハッピー達は遊びすぎたかもしれません。しかし遊び自体は決して無駄ではありません。それも大切な勉強の一つだからです。宿題をすませていなかったのはハッピー達の失敗ですが、失敗は反省しこれから気をつければいいのです。それに宿題をする時間は僅かですがまだ残っています!」
「間に合いますよね? みなさん? 私もお手伝いしますから」
「ビューティって分からないところ凄く優しく教えてくれるんだよ」
「教え方上手いよね」
「ビューティがおれば百人力や!」
「みんなで頑張ろう!」
「ウルトラハッピー!」
酷いプリキュアを見た。なんかカッコいいこと言ってるけど、要するに全力で開き直っているだけ。宿題も遊びもやったビューティは100点満点的な。そしてハッピー達は宿題を見て貰う他力本願でウルトラハッピー。こんなの絶対おかしいだろ。どんだけイカサマする気なんだよ、このプリキュア。「お気楽な連中オニ」。これには全力で同意する他ない。
アカンベェが攻撃をしかけてきます。ピースがサンダーでショートさせます。今週は仕事します。
デコルゲット。バッドエナジーは今週も貯まりませんでした。完全復活はもっと先なのか、それとも一気に2、3カウントが進んだりするのかな。
すでに日は暮れていますが士気は高い。宿題を終わらせるために頑張ります。
始業式。「補習」の二文字。
席に座るボンクラーズ。みゆき以外は終わりそうな気がしますがダメだったようです。れいかの予想を遙かに超える量だったそうです。れいかの方を向く一同。
「きっと心配しないでと言ってくれているのですよ」
「助けてれいかちゃん…」
「こら! よそ見しない!」
人生の帳尻は合うものです。
ビューティスケート。もしかしてEDと本編の内容を合わせていたのでしょうか。やりよる。
④次回予告
どんだけお前ら遊び足りねーんだよ! まるで成長していない。特オタ自重。
○トピック
もう全部ビューティ一人でいいんじゃないかな。
れいかさんのことだから速攻で宿題を終わらせて、毎日みんなを遊びに誘っていたに違いない。自分は絶対安全圏に居ながら高みの見物。自分を頼る下々に愉悦満面。恐れ入ります。
毎年宿題しとけよ、という話しではマンネリだと感じたのか今回のプリキュアは遊びも立派な勉強です!と言い張る方向。未就学児童(せいぜい小学校低学年)向けなのでこれはこれで一理あります。尤も、頭のいい人が言う分には良いですが、アホが使うと言い訳にしかならないのでれいかさんだからこその言い分。頭の良い子が得をする話しを多く持ってくることでバランスを取っている感じでしょうか。誰しも一つくらいは得意なものがあるので、友達との遊びを通じて仲を深めていけることを自然に組み込んでもいます。
遊びもまた学びなのだと向学心を持つことを推奨するあたりは子ども向け番組としての面目躍如。親御さんの好感度を上げることで懐を緩くする作戦ですね。みなさん騙されてください。あと水着が見たい親御さんは子どもにかこつけてカレンダーを買うことをお勧めします。
①結局、遊ぶ
みんなで遊園地。それを聞いた先生は始業式前日にそれなら宿題も終わってるだろうと安心。終わってなかったら補習コースです。それを聞いた4名はガクガク震えています。異口同音に宿題が終わっていないと言うボンクラーズ。前回のラストは何だったのか。現実逃避に費やしたようです。
「すっかり忘れてたけど」
「夏休み今日で終わりや」
「そんな! 何かの間違いでしょ!?」
「突然過ぎるよ!」
突然も何も夏休みの日程最初から決まってるだろ。どんだけお前ら自分に都合の良いようにカレンダー見てるんだよ。
遊ぶのは諦めて帰って宿題をやろうと話し合います。それなりに殊勝な態度。どうせ間に合わないから毒を食らわば皿までをの精神で遊園地行くのかと心配しました。
キャンディがサイコロを見つけます。みゆきが手にとって転がすと、マジョリーナ印が。
見知らぬ土地。目の前にはテーマパーク的な何か。どっちみち遊園地に来ちゃいました。
目の前をマジョリーナ達が通り過ぎます。サイコロを探しています。それを見た一同は合点がいきます。このパターンはだいたいこいつらのせい。みゆきが持っているサイコロを見たマジョリーナは手間が省けたと言います。例によって名前と現物が一致しないアイテムの仕業。今回はゲームをすることに。「楽しそう」と喜ぶみゆき。しかし宿題をやらなければいけません。遊んでいる暇はない。
変身して6時30分までにクリアしないとゲームから出られない、と条件が提示されます。時間設定が細かい。それまでに帰ってサザエさんとピースどちらがジャンケンに勝ったか確かめられるように、という配慮でしょうか。
乗りかかった船。どっちみち変身しないといけないので素直に変身。Aパート8時36分。かなり早めです。
②オールスターズDX的なスマイルDEチャンス
ルールは単純。各アトラクション毎に1対1で勝負して攻略していく方式。第一ステージはモグラ叩き。
モグラ叩きを見て戸惑うサニーとマーチ。お子様向けな趣向です。ガチバトルではありません。真っ先に名乗りを上げるハッピー。超楽しそう。モグラ叩きが得意のようです。
1分勝負。キャンディもヒヨコデコルを使って応援。ああ、そういう使い方するのね。上手い。
スタート。マジョリーナは普通にモグラを叩いていきます。ところがハッピーのモグラは防御・回避したあげく反撃してきます。マジョリーナが作ったゲーム。当然正々堂々などという文字は無い。イカサマ上等(常套)。プリキュアの先輩達も通った道です。
点数を順調に稼いでいくマジョリーナ。ハッピー側は遂にモグラが仕事を放棄。穴から出てきません。残り時間は30秒を切ります。
「もう、こうなったら!」
なんか嫌な予感がします。何となく予想はつくんですが、いやまさか。
「プリキュア! ハッピーシャワー!」
やっぱりやりやがったー!?
これは酷い。何が酷いってモグラが潜んでいる地面がめっちゃボロボロになってモグラが悶絶してる絵面。モグラが穴から出てきたところを一網打尽。僅差でハッピーが勝利。喜ぶハッピーの後ろには無残にもフルボッコにされたモグラ達が転がっています。ここはゲームという名の修羅の国。
第二ステージはゴーカート。相手はウルフルン。様になっています。挑戦者はサニー。
当然のようにまたイカサマをしてきます。サニーの鼻に綿棒を突っ込んで妨害。鼻の穴を映すとか美少女ヒロインものでは酷い嫌がらせです。
「なんて卑劣な!」
ビューティさんのこの台詞は後々重要になるので覚えておきましょう。
ウルフルンはさらにカートを変化させるとロケットのように飛んでいきます。もうカートじゃねぇ。
「そうはイカの焼きそばや!」
サニーはカートに立つとサニーファイアーでブースト。もはやイカサマ対決。相手が最初にイカサマすることでゲームの本当のルール(どんな手段でも良いからモグラを叩け、車と人がゴールに最初に入った方が勝ち)が開示されて、それにどう対抗するかがこのゲームの肝。
順調に進んでいきます。次はピース。
第三ステージはボウリング。対戦者はアカオーニ。それを聞いたサニー達は「微妙やな」と内心つぶやきます。これは上手い下手が分かれるゲームです。それはそれとしてプリキュア内でもピースに配慮がされている件。
「ピースとしてはどうなのかな?」
「わぁ(歓喜)」
めっちゃ嬉しそうです。めっちゃ食いついています。「まさかの大当たり!?」
運動会で唯一ビリにならなかったのが玉転がしなのだそうです。回想でも2位になっています。なんか微妙な得意さアピール。ボールを嬉しそうに撫でます。
アカオーニが先に投球。ガーター。これにはハッピーも笑います。流石アカオーニさん、ピースに対しては八百長的に優しい。ところがピンは居眠りしていた奴を除き9本倒れます。あからさま過ぎる。しかもこれではアカオーニさんの計画が台無しです。ということで今回のルールはどんな手段を用いてもピンを倒せばOK。ボールを当てる必要はありません。
「心配ないよ。私がストライク取るから!」
いつになく自信に溢れるピース。どこからその自信が沸いてくるのか。
ピンが降りてきます。全部完全装備の防御型。さらにはバリケードが積まれます。ボウリングする気ねぇ。ピース涙目。きっとその横でアカオーニさんは悶絶してると思います。
稲妻投球。バリケードに当たって天井に跳ね返ると、ピンの前に落下。電撃でノックアウトさせます。ルールに完全に則った正攻法です。
「ストライク!」
鼻息荒く勝ち誇るピース。今週は仕事するなぁ。
連戦連勝。負け知らず。ところが時間は刻一刻と進み3時。余裕ぶっこいてる場合ではありません。個々のゲームに負けても試合全体に勝てば良し。バッドエンド王国あなどれません。それはそれとして不安がるハッピーとピースの太ももがたまらない。私のスマイルフォルダが厚くなります。
アイキャッチのライオン丸さんがマジ天使。SDキャラにすると可愛いんだよね。
第四ステージは野球。アカオーニさん続投。打てたら勝ち。
マーチがバッターボックスに立ちます。アカオーニが使う球は風船球。ひょろひょろと不安定な軌道で飛んできます。マーチはジャンプしてバッドに当てます。カキン! 風船球じゃなかったのか。
ホームランコース。しかしアカンベェが風を起こして内野フライコースに。
「こんなの筋が通らない!」
マーチシュート(ヘディング)で風を起こしてホームラン。イカサマにイカサマで堂々と対抗するプリキュアさんマジパネェ。
「第五ステージは水泳だ!」
みなさんお聞きになりましたでしょうか。このゲームは水泳です。泳ぎます。ウルフルンさんも水着に着替えてスタンバっておられます。
「私がお相手しましょう」
長袖の水着の上にプリキュアコスチューム。こんなの絶対おかしいよ! 古式泳法でも披露するつもりか。
プリキュアの水着が見たかったらカレンダー買えってことですね。私は購入済みです。プリキュアの水着は金で買える!! 金を払えば女子中学生が水着に! って友人に言ったら自腹カツ丼食うことになるぞって返されました。世は無情。
位置について。ゴーグルは飾りのようです。スタート。颯爽と飛び込むウルフルンに対してビューティは微動だにしません。ビューティのコースにはサメが口を開けて待っています。これは酷い。ちなみにウルフルンさんは犬かきで泳ぎます。流石です。サメとビューティのにらみ合い。シュールだ。
「このような卑怯なやり方……許せません!」
あまりの卑怯さにビューティさんの怒りはマッハ。ブリザードでサメもウルフルンもプールも凍らせます。なんとなく前回の予告を見たときにやらかすんじゃないかと思っていましたが、本当にやりやがった。スケートを使って華麗にゴール。みなさん、先ほどのウルフルンの台詞を思い出して頂きたい。これは一応水泳勝負です。ちゃんとウルフルンは泳いでいます。それなのにこのやり方。「なんて卑劣な!」とか「このような卑怯なやり方」とか言ってる人が一番酷かった。この言葉はバッドエンド国側にこそ相応しい。ビューティさんの外道ぶりにブレはありません。私がルールだ!そんな声が聞こえてきそうです。
その後も着々とクリア。ばば抜きしたときのビューティさんのポーカーフェイスぶりが流石です。
③世の中そんなに甘くない
ラストステージ。時間も6時20分。
観覧車にアカンベェを憑依。観覧車で一周した後ウルトラハッピーと言えたら勝ち。風変わりなゲーム。
罠は承知で観覧車に乗ります。ハッピーは緊張感なくワクワクします。観覧車の外に映像が映ります。先生がみゆき達を叱っています。れいかさんは居ません。宿題が終わらず説教される自分達の姿にボンクラーズは見入ります。
狙い通り。夏休みを遊んで過ごし、最後にたまった宿題に慌てふためく。そのタイミングでプリキュアをゲームに閉じ込めれば宿題を妨害できる。さらに自分の怠けっぷりを見せつけてやれば…。寝て過ごしていたみゆき。え、なにこれ盗撮? けしからん、その映像私が没収しましょう。ちなみにみゆきの持っている本にペロの本があったりまします。あかねは漫画。オクトのケン、足タコナンジャ(明日のナージャ)などが転がっています。細かいネタ仕込むなぁ。やよいはヒーローショーでヒーローと握手してました。後ろの子どもに笑われてないか? 大きいお友達の仲間入りです。なおは兄弟とサッカーに明け暮れてました。
ビューティ以外ガックリと肩を落とします。相変わらずビューティ無双。勉強の話しになると雲泥の差が生まれる。またバッドエナジー出しそう。ここで出したらあかね達は3回も出すことになります。プリキュアが一番のお得様になってしまいかねません。
観覧車は一周し終えます。扉が開くと肩を落としたハッピー達は「ウルトラはっぷっぷー」。結局今回も遊びほうけてこのザマだよ。
「ウルトラハッピークル!」
宿題がない(?)未就学児童に隙はなかった。
「私もウルトラハッピーです」
「確かにハッピー達は遊びすぎたかもしれません。しかし遊び自体は決して無駄ではありません。それも大切な勉強の一つだからです。宿題をすませていなかったのはハッピー達の失敗ですが、失敗は反省しこれから気をつければいいのです。それに宿題をする時間は僅かですがまだ残っています!」
「間に合いますよね? みなさん? 私もお手伝いしますから」
「ビューティって分からないところ凄く優しく教えてくれるんだよ」
「教え方上手いよね」
「ビューティがおれば百人力や!」
「みんなで頑張ろう!」
「ウルトラハッピー!」
酷いプリキュアを見た。なんかカッコいいこと言ってるけど、要するに全力で開き直っているだけ。宿題も遊びもやったビューティは100点満点的な。そしてハッピー達は宿題を見て貰う他力本願でウルトラハッピー。こんなの絶対おかしいだろ。どんだけイカサマする気なんだよ、このプリキュア。「お気楽な連中オニ」。これには全力で同意する他ない。
アカンベェが攻撃をしかけてきます。ピースがサンダーでショートさせます。今週は仕事します。
デコルゲット。バッドエナジーは今週も貯まりませんでした。完全復活はもっと先なのか、それとも一気に2、3カウントが進んだりするのかな。
すでに日は暮れていますが士気は高い。宿題を終わらせるために頑張ります。
始業式。「補習」の二文字。
席に座るボンクラーズ。みゆき以外は終わりそうな気がしますがダメだったようです。れいかの予想を遙かに超える量だったそうです。れいかの方を向く一同。
「きっと心配しないでと言ってくれているのですよ」
「助けてれいかちゃん…」
「こら! よそ見しない!」
人生の帳尻は合うものです。
ビューティスケート。もしかしてEDと本編の内容を合わせていたのでしょうか。やりよる。
④次回予告
どんだけお前ら遊び足りねーんだよ! まるで成長していない。特オタ自重。
○トピック
もう全部ビューティ一人でいいんじゃないかな。
れいかさんのことだから速攻で宿題を終わらせて、毎日みんなを遊びに誘っていたに違いない。自分は絶対安全圏に居ながら高みの見物。自分を頼る下々に愉悦満面。恐れ入ります。
毎年宿題しとけよ、という話しではマンネリだと感じたのか今回のプリキュアは遊びも立派な勉強です!と言い張る方向。未就学児童(せいぜい小学校低学年)向けなのでこれはこれで一理あります。尤も、頭のいい人が言う分には良いですが、アホが使うと言い訳にしかならないのでれいかさんだからこその言い分。頭の良い子が得をする話しを多く持ってくることでバランスを取っている感じでしょうか。誰しも一つくらいは得意なものがあるので、友達との遊びを通じて仲を深めていけることを自然に組み込んでもいます。
遊びもまた学びなのだと向学心を持つことを推奨するあたりは子ども向け番組としての面目躍如。親御さんの好感度を上げることで懐を緩くする作戦ですね。みなさん騙されてください。あと水着が見たい親御さんは子どもにかこつけてカレンダーを買うことをお勧めします。
第28話「ウソ?ホント? おばけなんかこわくない!」
○今週の出来事
①なおとみゆきの受難
今日は登校日。みゆきは久しぶりにクラスのみんなと会える♪と楽しみにします。まあ、出番があるのはいつものメンツなんですけどね。
教室に入ると同時になおの悲鳴。やよいが怪談本を見せたのが原因のようです。相変わらずやよいは変なところで好奇心が強い。そしてなおは相変わらず苦手が多い。れいかさん的には脅しネタが増えて大喜びなんでしょうけど。実はみゆきもお化けは苦手なようです。妖怪は良くてお化けはダメってのはよく分からない線引き。
女子サッカー部のエースが怖がりでどないすんねん、とあかね。なおは怖いものは怖いと開き直ります。そこであかねは一計を案じます。
「学校で肝試しやー!」
絶対それ君が楽しみたいだけだろ。あと黄色は使いやすすぎる。少し自重しろ。
バッドエンド王国。マジョリーナもやよいが持っていた本と同じものを読んで冷や汗を浮かべています。あんたの存在も相当お化け的だと思うんだけど。お化けを使う作戦を思いつきます。
ホームルームが終わって、早速やよいは肝試しの話題を振ります。ノリノリです。気が進まないなお。あかねもこれは修行、お化けを克服しようと撤回する余地はありません。ところどころに部活の練習風景が差し込まれていますが、なおとあかねは部活ないんでしょうか。あと、プリキュアは主人公達が水着にならなければいいっていう割切りっすね。
さて、肝試しをするにもどうしたものか。そこでれいかは生徒会の意見箱に入っていた学校の怖い話しを調べていくのはどうでしょう、と案を出します。流石れいかさん、きっとなお用にキープしていたネタなのでしょう。即決です。
その様子を見ていたマジョリーナも話しにノリます。デカっぱな2つ使用。
②学校の怪談
音楽室。時折誰もいないのにピアノが鳴る。定番ネタ。みゆきとなおはすでに小刻みに震えています。こういう噂にはいたずらに恐怖心を煽るものが多い、副会長として見過ごすわけにはいかないと大義名分を言うれいか。実際にはなおが怖がるのを見て楽しんでるに違いありません。流石れいかさん、外道です。全くどうでもいい話ですが制服はアングルによって、とても眺めが良い時があります。
そもそも幽霊なんていないと言うあかね。やよいはいると思うと反論。キャンディはお化けなんて怖くないと言います。君は、一般的にお化けの部類だと思うよ。
恐る恐る教室に入ります。このあたりから怪談話しだからか陰影が下からの光源演出になっています。物音。ピアノデコルを落としてしまいました。ピアノの召喚。キャンディは楽しそうにしっちゃかめっちゃかに鍵盤を叩いて遊びます。呆けて見ていたみゆきは何で今ピアノを出したのかと抗議します。「ピアノ楽しいクル」。なんという悪意の無い悪ふざけ。
なおは自分の恐がりを克服する!と意気込み再チャレンジ。みゆきも渋々付いて行きます。
ピアノの前まで来ます。他の3人は教室の外で待機。れいかは調査のために入るべきじゃないでしょうか。この点においてもなおを怖がらせて楽しんでいることが読み取れます。蓋をあけると勝手に鍵盤が動き出し音楽が流れます。すげぇ。怪奇現象だけどここまで自然に鳴ったら逆に感心する。みゆきとなおは恐怖のあまり遁走。教室を飛び出します。あかね達に事の次第を説明しますが信じてもらえません。
「本当に幽霊の仕業だったりして」
楽しそうなやよい。つまり幽霊怖い派2名、実在派1名、否定派1名、なおを怖がらせて楽しむ派1名、という布陣。どう転んでも得をする人がいます。
「風声鶴唳という言葉があります。怖いと思っているとほんのわずかな物音にも驚いてしまうということの喩えです」
すげぇ、中学生で知っているレベルじゃない。四字熟語や故事成語は学生の頃暇をもてあまして読んでたけどこの言葉は初めて聞いた。
次の怪奇スポットは階段踊り場の鏡。別の世界へ続く鏡だそうです。案内役に定評のあるれいかが説明。
そういうわけで今回もふたりでチャレンジ。一歩一歩階段を下りていきます。鏡を見ると、自分達の背後に恐ろしい女性の姿が。すごい形相で怖がるふたり。もはや君らの方が怖い。遁走。
半べそかいて出た、女の人の影が、と話すみゆきとなお。ふたりの形相と言葉にあかねも段々自信を失ってきたのか言葉にかげりが見られ始めます。
「疑心暗鬼という言葉あります。(以下略)」
このパターンでれいかさんがうんちくを語っていくと面白いんですが。気のせいだ、と言われたに等しいみゆきとなおは抗議の声をあげます。恐がりなのは認めるにしても、見たものを信じてもらえないのは心外です。
お次は美術室。これも定番。壁に飾られた人物の絵が動くらしい。「うわー、こわーい(歓喜)」。この子とデートでお化け屋敷行っても美味しい思いは出来そうにありません。
そろそろふたりは限界。みんなも一緒に来て、と懇願。承諾したあかねは、しかしふたりを先頭に立たせて教室へ入っていきます。教室の壁に飾られた生徒制作ポスター。目をつぶるなおをあかねは強制的に目を開かせます。結構酷い気がするな、これ。よくある風景のように思われた中で、一つ「よくかんでたべよう」と書かれたポスターに違和感。人物が後ろ向きに描かれています。
後ろ姿に既視感を覚えるなお。するとポスターの人が動いて毒リンゴはいかがかしら、と勧めてきます。今更ですがマジョリーナの元ネタは白雪姫でいいんですね。
これには5人のうち3人が絶叫。否定派はなんだかんだで怖がる余地があるのであかねの豹変ぶりは納得できます。怖くないと何度も言っていたキャンディは前振りありがとうございました。黄色と青は余裕です。
全力で教室を出て扉を締めます。みゆきはれいかに今のことも冷静に解明できるのかと尋ねます。真面目に思案するれいか。キャンディは声が震えています。もう肝試しは止めようとギブアップするみゆきとなお。あかねも同意。「しかたありませんね」。その言葉に安堵する3人。やよいは不満のようです。「本当はもう一つ謎が残っていたのですが」。流石お外道さん。「どんな謎!」「それはですね…」。試合続行。
「理科室の標本の骸骨が…」
突然校舎が木造に変わります。これも疑心暗鬼…?とれいかに尋ねるやよい。ここまで来たらバッドエンド王国の仕業だと怪しんだ方が信頼性が高い。笑い声。みゆきの不安が高まります。
「これは…」「お化けかな♪」。こんだけ楽しんでいるのに戦闘で全く使えない黄色さんはぼっちにされても文句言えない。
床が軋む物音。これ、リアルに怖いよね。みゆきとなおは逃げ出します。れいかが呼び止めます。
「廊下を走ってはいけません!」
鉄の女です。
冷静になったのか、なおはさっきの絵の人はマジョリーナだと思い出します。不思議な顔をする一同。ああ、そうかマジョリーナが姿変えるのはなおしか知らないのか。マジョリーナタイムで若返ると説明。なるほど、と合点がいくれいか。今回の怪奇現象のネタが判明。同時にマジョリーナ(若)が現れます。
「誰?」
気持ちは分かる。
マジョリーナの姿を見て美人と感心するやよい。白雪姫の話だとこっちが本来の姿ですね。マジョリーナもその気になって「この私の美しさは世界一」。そのとたん変身が解けてしまいます。時間制限があるようです。あの姿だと戦闘力も跳ね上がるんですが、能力の無駄使いですな。
③プリキュアの仕事
バッドエナジー回収。今週はちゃんと回収できます。この学校はお得意様です。カウント4。
スーパーアカンベェもスタンバイOK。学校そのものがアカンベェ。変身。
マジョリーナは姿を消し、ショータイム。すでに敵の術中にハマっているのは厄介です。とりあえず校舎からの脱出を図ります。ところがルームランナーのように廊下が動き出して前に進みません。逆の方向に出入り口って無いんでしょうか。そうこうしていると、小物のお化けが寄ってきて怖がらせ始めます。マーチとハッピーが遁走。しかし前に後ろにお化けが出現して行ったり来たりを繰り返します。呆然とする3人。助けてやれよ。
「落ち着いて、ふたりとも。廊下を走ってはいけません」
ですよねー。って、いやいや、そういう場合じゃねーし。っていうかあなたも走ってるし。言う暇あったら助けて欲しいし。
ビューティさんは外道なので良いとしても、こういう時に働かない黄色のニートぶりが酷い。常にどういう状況でならキャラの可愛さ、美味しさをアピールできるか計算している黄色的には戦闘で活躍することはそれほど旨味が無いと判断しているのでしょう。イザという時だけで良い。黄色の狡猾さが見えます。サニーは凡人なので期待しません。
あまりにふたりが走り回ったせいか、アカンベェは苦しみ出します。我慢しきれず口を開けてしまいます。脱出成功。怖がらせすぎると脱出できるとかユーザーフレンドリーな設計。
しかしまだ勝負は終わっていません。校舎そのものがアカンベェという巨大さ。ところがぴくりとも動きません。大きすぎて自分を制御できないようです(NGワード:通天閣)。
隙だらけ。「はっ、行くよ! みんな!」
最近プリキュアは仕事しません。もっとも、玩具を売るのが彼女達の一番の仕事ではあるんですが。
一気にデコル4つゲット。ペース早い。
のど元過ぎればなんとやら。キャンディは楽しかったと言います。みゆきとなおはお化けがいなくてほっとするも、苦手が克服するに至ってはおらず。怖いことを再確認しただけ。
そのやり取りを見ていたれいかは、絶妙なタイミングで「夏休みの自由研究は何にしましたか?」と尋ねます。超常現象について研究しようと思うと話すれいかをヨソに、4人は冷や汗タラタラ。英語がまだなあかね。やよいは数学。なおは歴史が手つかず。どれも苦手科目。となれば当然、「私なんか全部だよ!」。アホ担当の面目躍如。
お化けも怖いけど真っ白な夏休みの宿題の方が100倍怖い、とオチがつきます。
ED。マーチの恐がりはエンディングでも採用。
④次回予告
5人しかいないオールスターズDX。ビューティさんはその格好で泳ぐつもりか。
○トピック
れいかさんだけが得をする回。
予想よりも速くデコルが集まりそう。これはクリスマス商戦に向けた高額新商品の布石でしょう。例年30話過ぎたあたりから投入されますし。プリンセスフォームの上位版は考えにくいのですが、プリキュアは高額商品を最後まで活用するパターン(フレッシュやハートキャッチ)と、最後に使い捨てるパターン(プリキュア5やスイート)とがあるのでこれの末路も楽しみにしています。商品宣伝終わった時こそがプリキュアタイムの始まり。
真面目な話し、プリキュアは玩具を持っている子が勝つんじゃなく、心優しい子が勝つ王道をやってくれるのが素晴らしい。ヒーローの条件はただ一つ。正義の心を持っていること!
①なおとみゆきの受難
今日は登校日。みゆきは久しぶりにクラスのみんなと会える♪と楽しみにします。まあ、出番があるのはいつものメンツなんですけどね。
教室に入ると同時になおの悲鳴。やよいが怪談本を見せたのが原因のようです。相変わらずやよいは変なところで好奇心が強い。そしてなおは相変わらず苦手が多い。れいかさん的には脅しネタが増えて大喜びなんでしょうけど。実はみゆきもお化けは苦手なようです。妖怪は良くてお化けはダメってのはよく分からない線引き。
女子サッカー部のエースが怖がりでどないすんねん、とあかね。なおは怖いものは怖いと開き直ります。そこであかねは一計を案じます。
「学校で肝試しやー!」
絶対それ君が楽しみたいだけだろ。あと黄色は使いやすすぎる。少し自重しろ。
バッドエンド王国。マジョリーナもやよいが持っていた本と同じものを読んで冷や汗を浮かべています。あんたの存在も相当お化け的だと思うんだけど。お化けを使う作戦を思いつきます。
ホームルームが終わって、早速やよいは肝試しの話題を振ります。ノリノリです。気が進まないなお。あかねもこれは修行、お化けを克服しようと撤回する余地はありません。ところどころに部活の練習風景が差し込まれていますが、なおとあかねは部活ないんでしょうか。あと、プリキュアは主人公達が水着にならなければいいっていう割切りっすね。
さて、肝試しをするにもどうしたものか。そこでれいかは生徒会の意見箱に入っていた学校の怖い話しを調べていくのはどうでしょう、と案を出します。流石れいかさん、きっとなお用にキープしていたネタなのでしょう。即決です。
その様子を見ていたマジョリーナも話しにノリます。デカっぱな2つ使用。
②学校の怪談
音楽室。時折誰もいないのにピアノが鳴る。定番ネタ。みゆきとなおはすでに小刻みに震えています。こういう噂にはいたずらに恐怖心を煽るものが多い、副会長として見過ごすわけにはいかないと大義名分を言うれいか。実際にはなおが怖がるのを見て楽しんでるに違いありません。流石れいかさん、外道です。全くどうでもいい話ですが制服はアングルによって、とても眺めが良い時があります。
そもそも幽霊なんていないと言うあかね。やよいはいると思うと反論。キャンディはお化けなんて怖くないと言います。君は、一般的にお化けの部類だと思うよ。
恐る恐る教室に入ります。このあたりから怪談話しだからか陰影が下からの光源演出になっています。物音。ピアノデコルを落としてしまいました。ピアノの召喚。キャンディは楽しそうにしっちゃかめっちゃかに鍵盤を叩いて遊びます。呆けて見ていたみゆきは何で今ピアノを出したのかと抗議します。「ピアノ楽しいクル」。なんという悪意の無い悪ふざけ。
なおは自分の恐がりを克服する!と意気込み再チャレンジ。みゆきも渋々付いて行きます。
ピアノの前まで来ます。他の3人は教室の外で待機。れいかは調査のために入るべきじゃないでしょうか。この点においてもなおを怖がらせて楽しんでいることが読み取れます。蓋をあけると勝手に鍵盤が動き出し音楽が流れます。すげぇ。怪奇現象だけどここまで自然に鳴ったら逆に感心する。みゆきとなおは恐怖のあまり遁走。教室を飛び出します。あかね達に事の次第を説明しますが信じてもらえません。
「本当に幽霊の仕業だったりして」
楽しそうなやよい。つまり幽霊怖い派2名、実在派1名、否定派1名、なおを怖がらせて楽しむ派1名、という布陣。どう転んでも得をする人がいます。
「風声鶴唳という言葉があります。怖いと思っているとほんのわずかな物音にも驚いてしまうということの喩えです」
すげぇ、中学生で知っているレベルじゃない。四字熟語や故事成語は学生の頃暇をもてあまして読んでたけどこの言葉は初めて聞いた。
次の怪奇スポットは階段踊り場の鏡。別の世界へ続く鏡だそうです。案内役に定評のあるれいかが説明。
そういうわけで今回もふたりでチャレンジ。一歩一歩階段を下りていきます。鏡を見ると、自分達の背後に恐ろしい女性の姿が。すごい形相で怖がるふたり。もはや君らの方が怖い。遁走。
半べそかいて出た、女の人の影が、と話すみゆきとなお。ふたりの形相と言葉にあかねも段々自信を失ってきたのか言葉にかげりが見られ始めます。
「疑心暗鬼という言葉あります。(以下略)」
このパターンでれいかさんがうんちくを語っていくと面白いんですが。気のせいだ、と言われたに等しいみゆきとなおは抗議の声をあげます。恐がりなのは認めるにしても、見たものを信じてもらえないのは心外です。
お次は美術室。これも定番。壁に飾られた人物の絵が動くらしい。「うわー、こわーい(歓喜)」。この子とデートでお化け屋敷行っても美味しい思いは出来そうにありません。
そろそろふたりは限界。みんなも一緒に来て、と懇願。承諾したあかねは、しかしふたりを先頭に立たせて教室へ入っていきます。教室の壁に飾られた生徒制作ポスター。目をつぶるなおをあかねは強制的に目を開かせます。結構酷い気がするな、これ。よくある風景のように思われた中で、一つ「よくかんでたべよう」と書かれたポスターに違和感。人物が後ろ向きに描かれています。
後ろ姿に既視感を覚えるなお。するとポスターの人が動いて毒リンゴはいかがかしら、と勧めてきます。今更ですがマジョリーナの元ネタは白雪姫でいいんですね。
これには5人のうち3人が絶叫。否定派はなんだかんだで怖がる余地があるのであかねの豹変ぶりは納得できます。怖くないと何度も言っていたキャンディは前振りありがとうございました。黄色と青は余裕です。
全力で教室を出て扉を締めます。みゆきはれいかに今のことも冷静に解明できるのかと尋ねます。真面目に思案するれいか。キャンディは声が震えています。もう肝試しは止めようとギブアップするみゆきとなお。あかねも同意。「しかたありませんね」。その言葉に安堵する3人。やよいは不満のようです。「本当はもう一つ謎が残っていたのですが」。流石お外道さん。「どんな謎!」「それはですね…」。試合続行。
「理科室の標本の骸骨が…」
突然校舎が木造に変わります。これも疑心暗鬼…?とれいかに尋ねるやよい。ここまで来たらバッドエンド王国の仕業だと怪しんだ方が信頼性が高い。笑い声。みゆきの不安が高まります。
「これは…」「お化けかな♪」。こんだけ楽しんでいるのに戦闘で全く使えない黄色さんはぼっちにされても文句言えない。
床が軋む物音。これ、リアルに怖いよね。みゆきとなおは逃げ出します。れいかが呼び止めます。
「廊下を走ってはいけません!」
鉄の女です。
冷静になったのか、なおはさっきの絵の人はマジョリーナだと思い出します。不思議な顔をする一同。ああ、そうかマジョリーナが姿変えるのはなおしか知らないのか。マジョリーナタイムで若返ると説明。なるほど、と合点がいくれいか。今回の怪奇現象のネタが判明。同時にマジョリーナ(若)が現れます。
「誰?」
気持ちは分かる。
マジョリーナの姿を見て美人と感心するやよい。白雪姫の話だとこっちが本来の姿ですね。マジョリーナもその気になって「この私の美しさは世界一」。そのとたん変身が解けてしまいます。時間制限があるようです。あの姿だと戦闘力も跳ね上がるんですが、能力の無駄使いですな。
③プリキュアの仕事
バッドエナジー回収。今週はちゃんと回収できます。この学校はお得意様です。カウント4。
スーパーアカンベェもスタンバイOK。学校そのものがアカンベェ。変身。
マジョリーナは姿を消し、ショータイム。すでに敵の術中にハマっているのは厄介です。とりあえず校舎からの脱出を図ります。ところがルームランナーのように廊下が動き出して前に進みません。逆の方向に出入り口って無いんでしょうか。そうこうしていると、小物のお化けが寄ってきて怖がらせ始めます。マーチとハッピーが遁走。しかし前に後ろにお化けが出現して行ったり来たりを繰り返します。呆然とする3人。助けてやれよ。
「落ち着いて、ふたりとも。廊下を走ってはいけません」
ですよねー。って、いやいや、そういう場合じゃねーし。っていうかあなたも走ってるし。言う暇あったら助けて欲しいし。
ビューティさんは外道なので良いとしても、こういう時に働かない黄色のニートぶりが酷い。常にどういう状況でならキャラの可愛さ、美味しさをアピールできるか計算している黄色的には戦闘で活躍することはそれほど旨味が無いと判断しているのでしょう。イザという時だけで良い。黄色の狡猾さが見えます。サニーは凡人なので期待しません。
あまりにふたりが走り回ったせいか、アカンベェは苦しみ出します。我慢しきれず口を開けてしまいます。脱出成功。怖がらせすぎると脱出できるとかユーザーフレンドリーな設計。
しかしまだ勝負は終わっていません。校舎そのものがアカンベェという巨大さ。ところがぴくりとも動きません。大きすぎて自分を制御できないようです(NGワード:通天閣)。
隙だらけ。「はっ、行くよ! みんな!」
最近プリキュアは仕事しません。もっとも、玩具を売るのが彼女達の一番の仕事ではあるんですが。
一気にデコル4つゲット。ペース早い。
のど元過ぎればなんとやら。キャンディは楽しかったと言います。みゆきとなおはお化けがいなくてほっとするも、苦手が克服するに至ってはおらず。怖いことを再確認しただけ。
そのやり取りを見ていたれいかは、絶妙なタイミングで「夏休みの自由研究は何にしましたか?」と尋ねます。超常現象について研究しようと思うと話すれいかをヨソに、4人は冷や汗タラタラ。英語がまだなあかね。やよいは数学。なおは歴史が手つかず。どれも苦手科目。となれば当然、「私なんか全部だよ!」。アホ担当の面目躍如。
お化けも怖いけど真っ白な夏休みの宿題の方が100倍怖い、とオチがつきます。
ED。マーチの恐がりはエンディングでも採用。
④次回予告
5人しかいないオールスターズDX。ビューティさんはその格好で泳ぐつもりか。
○トピック
れいかさんだけが得をする回。
予想よりも速くデコルが集まりそう。これはクリスマス商戦に向けた高額新商品の布石でしょう。例年30話過ぎたあたりから投入されますし。プリンセスフォームの上位版は考えにくいのですが、プリキュアは高額商品を最後まで活用するパターン(フレッシュやハートキャッチ)と、最後に使い捨てるパターン(プリキュア5やスイート)とがあるのでこれの末路も楽しみにしています。商品宣伝終わった時こそがプリキュアタイムの始まり。
真面目な話し、プリキュアは玩具を持っている子が勝つんじゃなく、心優しい子が勝つ王道をやってくれるのが素晴らしい。ヒーローの条件はただ一つ。正義の心を持っていること!
第27話「夏のふしぎ!? おばあちゃんのたからもの」
○今週の出来事
①ちょっと不思議な物語
入道雲。セミの声。山。みんなクタクタになりながら歩きます。今回はみゆきのおばあちゃん家へ小旅行。
バスもタクシーもないなんて…と弱音を吐くあかね。田舎はだいたいそんなもんです。道路脇の小川で休憩。夏バテ気味のようです。手で遮りながられいかは太陽を見上げます。「毎日暑いですものね」とは言うもののまんざら嫌ではないようです。こうして見ると育ちの良いご令嬢に見えます。実際は前回のとおり、出店荒し一族の娘です。
「むやみに川に近づくと河童にひっぱられるよ」
誰何の声。声のした方をみんな振り返ります。水を浴びていたあかねも遅れて振り返ります。惜しい、手が邪魔。別に見えるわけじゃないんだけど、アングル的に美味しいんだよね、その構図。
「お帰りみゆき」
「お婆ちゃん」
チャポン。みゆきの帰りを待っていたのはお婆ちゃんだけじゃないかもしれません。
絵に描いたような田舎。車が無いと生活に支障をきたす感じですね。山に囲まれているので多分夏は暑く冬は寒いという劣悪な環境だと思われます。夏場は開放すれば風が通って涼めないこともないですが。よく田舎を舞台にした作品は綺麗どころばかり見せますが、実際は本当に不便です。物理的にも人的にも。田舎の人の噂話しとか、つきあいとか面倒くさくて私のような人間には耐えられませんな。田舎に行って自由を楽しむなんていうのは早合点です。都会の人と物に埋もれシステム化された暮らしの方がよほど自由で孤独を満喫できます。人が多いほど一人の価値は減ずる。私はどちらかというと田舎育ちであることと、嗜好的な問題もあって田舎の良さが良さとして感じられません。
ところで、田舎がある種の原体験、原点、故郷として描かれることが多いですが、これはそろそろ限界だろうと思います。理由は地方都市でも十分都市化していること、団塊の世代の年代で都市部への移住が行われているので現役世代の人達のほとんどは都市部生まれだからです。この世代の人にとっての故郷は都市であって、田舎は長期休暇時の避暑地であることが多い。つまり、若い世代にとっての田舎は原体験の場所ではなく、イメージ、極端に言えば物語だろうと思います。典型的な田舎に住んでいる人(住んだことのある人)は最早少数です。人口比率からいってそうなる。とはいえ、イメージとして共有できるという意味ではまだ暫くは「田舎」をギリギリ受け取ることが出来るだろうと思います。
……と書いたのは何か意味があってのことではなく、なんとなく思ったので書いてみただけです。特に何と繋がる話しではありません。強いて言えば、故郷や共有体験は時代と世代で変わっていくという話しです。そろそろ戦後初期の生活が共有される時代は終わる(すでに終わっているかな。現役世代なら高度成長期生まれ)でしょう。そうすると、成長期生まれ、またその後に生まれた人々の原体験と共有認識が土台となって価値観が変容して、それが物語にも反映されていくはずです。すでにそうなっているでしょうけど。
それはそれとして風光明媚な場所。自然に見入るみゆき達。あかねとやよいはキャンディに大人しくしててと念押しします。前回あれだけフリーダムにやっていたのに今回はお婆ちゃん一人相手に隠蔽工作を行うようです。前回好き放題やり過ぎたので反省しているのかもしれませんが。
お婆ちゃんが麦茶を持ってきて旅の疲れを労います。お、みゆきとれいかは裸足ですね。グッジョブ! 田舎イイね! ビバ田舎! 田舎最高!
なおとれいかがすすんでお婆ちゃんから麦茶を受け取りテーブルに並べます。こういうとこは育ちや環境が見えてくる部分。みゆきは野菜が美味しそうだと喜びます。下の川で冷やしている、食べる?と誘うお婆ちゃんの声に「うん!」と瞳を輝かせるみゆき。恒例なのでしょう。そんなみゆきとお婆ちゃんのやり取りについて行けないみんなは唖然とします。みゆきは子どもっぽい時と大人びている時があって起伏が大きい。
沢に来るとお婆ちゃんは篭に入って冷やされた野菜を取り出します。みんなで味わいます。なんとなく衛生的に大丈夫だろうか?と心配になってしまうあたりがもう現代人的な発想ですね。現実問題、免疫力的に低いんだよね。海外旅行に行くときは生ものや現地のナイフで切ったカットフルーツなども危険です。
美味しい野菜を食べてあかねは元気回復。現金です。なおは視線を移すと川の脇にほこらが建っていることに気づきます。なおの様子を訝るみゆき。まあ、分かる。割とホラーだよね、こういうところにひっそりとあるほこらってさ。なおは河童って本当に居るの?と訊きます。どうやら虫だけじゃなくお化けの類も苦手のようです。そういや、透明人間の回でも首無しみゆきとあかねを怖がってたね。
それなら、とお婆ちゃんはみゆきにキュウリを渡します。みゆきも話しが分かっているので頷いてキュウリを受け取ると川に流します。
「河童さ~ん、キュウリあげるから悪さしないでね」
不思議そうに見るみんなに、みゆきは大好物のキュウリをあげれば河童さんは悪さしないと説明します。それって居るってこと?と不安になるあかねとやよい。今回の話しは田舎話しということの他に、みゆきがある種の物語を持っていること、他の4人と異なる原点を持っていることがポイントです。その源流はお婆ちゃんにある。そしてお婆ちゃんからみゆきへとその物語は引き継がれています。
お婆ちゃんに色んな話しを訊かせて貰ったと指折り数えながら物語をあげていきます。妖怪に助けられる話しが多い。優しくしたら贈り物をくれたりもするとみゆきは言います。魚、お酒、お餅とか。後で全部貰いますね。子どもの頃からお婆ちゃんにそういうお話しを訊かせて貰っていたと話すみゆき。みゆきさんの物語好きはお婆さまの影響なんですね、と納得するれいか。
このくだりはちょっと穿ってみると、妖怪は怖いものであると同時に親しみのある存在でもあるという点がポイントですね。見る方向、あるいは同一の存在であっても異なる面がある。
②物語を生きる
夕食。みんなで楽しそうに食器を並べます。一人分多いことに気づきます。ですよね。流石お婆ちゃん、分かってらっしゃる。その子も食べるでしょ?とキャンディを見ながら言うお婆ちゃん。
それを訊いたキャンディは自分も食べると大はしゃぎ。すぐにみんなが飛び込んで押さえつけます。キャンディ圧死するぞ。ぬいぐるみは食べないよ、とこの期に及んで誤魔化そうとするみゆき。いや、もう、バレてますから完全に。お婆ちゃんは笑って受け流します。
近所のおじさんがスイカを持ってきます。いつもありがとう、とお婆ちゃんは野菜を代わりに渡します。キャンディを押しつぶしたままみゆきはお婆ちゃんとおじさんのやり取りを見上げます。この辺は子ども目線の高さになっていることと、お婆ちゃんが知らないおじさんと普通に会話している点でも、みゆきとお婆ちゃんの距離を感じさせる描写です。みゆきは田舎とお婆ちゃんを知っていても、そこに一緒に住んでいるわけではない。そこに住んでいる人の生活を知りません。
食事が終わり、花火タイム。スイカを食べながら興じます。
みゆきはお婆ちゃんに一緒に暮らそうと話しを持ちかけます。なるほどこれが目的か。メッセンジャーだったのね。隣に座っていたれいかとあかねは聞き耳を立てます。れいかの表情が可愛い。
田舎で一人暮らしは何かと不便で心配もあります。みゆきはお婆ちゃんと一緒に居られたら嬉しいと言います。あかねも交通がめっちゃ不便と相づちを打ちます。隣にいたれいかは驚いたような表情であかねを見ます。れいか的には込み入った話しなので静観するつもりだったのでしょう。何かあったときに心配ですよね、とれいかも言葉を継ぎます。
お婆ちゃんはありがとう、とみゆき達の好意に礼を言うもここが良いの、とキッパリと断ります。ここには私にとっての宝物があるからと答えます。
目の前には畑と山。宝物って何?と訪ねると「秘密」と答えが帰ってきます。多分それは言葉では伝わらないものです。
なおとやよいが花火をみんなでやろうと話しかけます。お婆ちゃんは話しはこれで終わり、とばかりになお達の方へと歩いて行きます。あかねはみゆきがお婆ちゃん家に来た理由を察します。謝るみゆき。付いて行きたいと行ったのはうちらの方だと言葉を返します。れいかもここは本当に良いところだと言います。
空を見上げたみゆきは夜空に星々が煌めいていることに気づきます。
バッドエンド王国。そろそろ燻製になりそうなウルフルン。脱水症状で死ぬんじゃね? 毛が煩わしいので切ってみようかと想像します。スッキリさわやか。ヤンキーやめて真面目にサラリーマンやり始めましたみたいなギャップですね。諦めたようです。
山に涼みに行きます。
朝。象デコルを使って象を召喚します。って本当に象が出てくるのかよ。それ何? どっかから持ってきたの? それとも象デコルの中の人?
象の鼻を使って畑に水をやります。みゆき達も畑仕事を手伝います。あかねはずっと住んでいたところを離れるのは辛いとみゆきに話します。このふたりは仲良いイメージがあります。同じ転校生であることや性格的にも裏表がなくて付き合いやすいのでしょう。っていうと裏がある子がいるように聞こえるかもしれませんが、そんなことありませんよ。あ、この話しれいかさんには内緒ね。
お婆ちゃんの宝物ってなんだろう。ここの景色を見ているとなんとなく分かる気がすると言うみゆき。
狐が通りかかります。牧歌的ですが、たぶん、その辺の畑に盗み食いに来たんだと思います。
とうもろこしが焼けたとお婆ちゃんはみんなを呼び集めます。
沢で涼むウルフルン。お腹も空いてきたようです。チャポン。音がした方を向くとウルフルンは「なんだお前」とガンつけます。次いで驚きの声。
声に気づくみゆき達。ウルフルンが裸足で庭先にやってきます。酷く驚いた様子。どっちかっていうと、君と同類じゃないかな。
「ウルフルン?」
ばったり遭遇。なんだろうな、この絵図。なんでそんなにびしょびしょやねん。ごもっとも。今そこで…と説明しようとしたとき、みゆきが持っているとうもろこしに視線が止まります。物欲しそうに見るウルフルン。断言しよう、腹ぺこキャラに悪い奴はいない。
お腹が空いているなら何か持ってこようとお婆ちゃんは家の奥へ行こうとします。冷静です。流石プリキュアのお婆ちゃん。この程度では動じない。顔を真っ赤にしたウルフルンは怖くないのか?と訊きます。
「怖い? 可愛い狐じゃないの?」
狐じゃねーよ、狼だと抗議するウルフルン。「あら、そう、なんて可愛らしい」。やめとけ、お婆ちゃんには勝てない。
思わず吹いてしまうあかね達。ウルフルンさん顔真っ赤。「お、狼の恐ろしさ、お、思い知らせてやるぜみてろ!」。靴を履きながら、しかも動揺しまくりで言われても。
「世界よ! 最悪の結末、バッドエンドに染まれ! 白紙の未来を黒く塗りつぶすのだ!」
「……」
「婆さんの発したバッドエナジーが悪の皇帝ピエーロ様を」
「……」
「ウルフッフ、婆さんの発したバッドエナジーが!(迫真)」
「……」
「婆さんの発したバッドエナジーが!(必死)」
「……」
「バッドエナジーが!!(懇願)」
「……」
「バッドエナジーがぁ!!(裏声)」
「……」
カウント「……」
大事なことなので5回言いました。大事なことなので無言で立ってました。
全然絶望しないお婆ちゃん。むしろウルフルンが絶望しそうです。
「絶望なんてしないわ」
「これから先ずーっと悪いことばっかだぞ!」
「生きていればそういうこともあるわよ」
「ずーっと真っ暗なんだぞ!」
「天気が悪い日もあるものよ」
「でも必ずお天道様は昇ってくる。ずっと真っ暗なんてことはないのよ。なにがあっても笑顔で一生懸命生きていればいつかきっと幸せはやってくるわ」
その言葉はウルフルンへの励ましだろうと思う。あなたが悪いことばかりで真っ暗しかないと思えても、いつか変わるのだと。他の未来が訪れるのだと。この物語は人を救う物語。絶望に屈し、笑顔を失った人に希望を与える物語。それを信じる物語である。
意地でも絶望させてやる。吠え面かくなよ、と凄むウルフルン。お婆ちゃんはご飯作りに行ってしまいました。
「いねーのかよ!」
もう、諦めて一緒にご飯食べようぜ。ここで諦めた方が幸せになれるよ、きっと。絶望することを諦める。逆説的ですね。
蚊取り線香アカンベェ召喚。家も婆さんもめちゃくちゃにしろと命じます。変身。
家を壊そうとするアカンベェの攻撃をハッピーが防ぎます。空中の回転がかっこいい。良い背中です。他の4人も手伝ってアカンベェを家から引き離します。
お婆ちゃんの宝物には指一本触れさせない。どこに宝があるのか。家、畑、川、山、ここにあるものすべてが宝物。でもなー、とサニーが口を挟みます。それなら最初から秘密にする必要は無い。確かに。あまりにありきたりな答えで秘密にすらなっていません。そうなんだよね、とハッピーも頷きます。内心同じことを考えていたのでしょう。っていうか、戦闘中に世間話するのは危険です。
アカンベェの攻撃。ドカーン。大ピンチです。ほら、言わんこっちゃない。
家が狙われます。立てないプリキュア。火球が家に迫ると、突如強い風が起こり玉を消し去ってしまいます。天狗様ですかね。風に飛ばされて池に落ちるアカンベェ。
天狗風。山に吹く突風は天狗さんがうちわで起こした風だとお婆ちゃんから聞いたと話すハッピー。今度は池の中に何かいるようでアカンベェの動きを妨害します。ウルフルンがさきほど見たのはこれらしい。姿が見えないままいずこへと消えます。河童さんありがとうございました。
「ようわからんけど、今やでハッピー」
実利的判断です。それはそれとして、プリキュアが玩具宣伝のためだけに変身している件について。
デコルの収集は折り返し。このペースだとあと4回。
せっかくたくさん作ったのに残念、とお婆ちゃん。おいなりさんを頬張るあかね。狐にちなんででしょうか。いや、だから、狼なんですって。おいなりさんの話題(れいかさんは毎度のことなおを褒めてますが)に入らずみゆきは目の前に広がる景色を見つめます。
「ねえ、お婆ちゃん。お婆ちゃんの宝物ってさ」
「ううん、なんでもない」
みゆきのその言葉に、お婆ちゃんは満足気な笑みを浮かべます。みゆきがそれを感じてくれたのなら、それで良いと思ったのかもしれません。
再び突風。さっきのとは違いずっと優しい風。山のみんながお礼を言っていると話すお婆ちゃん。何かいいことでもしたの?とお婆ちゃんは尋ねます。すると5人は目で合図を取ります。
「秘密」
北のほこらに行こうと言うお婆ちゃん。
「きっと山のみんなからお礼が届いているから」
ED。黄色あざとい!
③次回予告
緑と黄色の使いやすさ。
○トピック
シリーズを見ている人には恒例のお婆ちゃん回。プリキュアの大人(親)は理想的な大人として描かれるので、その親の親ともなれば作中最高位のポジションになります。
今回の話しはプリキュアでは比較的恒例なちょっと不思議なお話系。幽霊や不思議現象は初代からの伝統です。本文中にも書きましたが現代人にとって田舎は実生活の場ではないので、非日常性・不思議なことや自然の霊力というようなものを提示するにはむしろ向いた舞台です。
おそらくですが、今回のお話しはみゆきの主人公性(他の4人との特異点)を担保させる意味合いがあると思われます。
その話しをする前に、今回のエピソードについて多分一般的ではない解釈をここに書きます。お婆ちゃんの宝物とはなんだったか。私は「物語」だと見ます。この「物語」は主観的な体験、自分と繋がる土地、人、信仰に基づく価値観と捉えても構いません。歴史と同じ意味での主観史です(歴史は普遍ではなく、主観となる国や人々によって文脈が異なると考えます)。
細かく説明するために一旦話しを脇道にズラすと、私はまだ若いからかもしれませんが、どこで暮らすかについてのこだわりはあまりありません。便利なところの方が良いですが、この土地でなければならないという考えはない。それは私が人や何かに縛られるのを嫌っているからです。自分の生まれた場所、育った場所に愛着を持ってそこで生涯を全うしたいと考える人は居るでしょう。というかそういう人の方が多いのかな。でも私はそうした繋がりを生きる力にしないのです。孤独を力にする。それが私の感受性であり死ぬまでついてまわる縛りなのだと思います。そうした感受性による生き方、力、信じているものも先ほど言った「物語」に含まれます。人は自分の主観による「物語」を生きている。
みゆきのお婆ちゃんは様々な物語(童話やお伽噺)を知っています。それらは土地や自然と密接に関わった言伝えや信仰をベースにしています。お婆ちゃんにとって今の場所で暮らすことはそうしたお伽噺と一緒に生きる物語です。河童や天狗が本当にいるかは問題ではない。本当にいると信じられる、その物語の中で生きることを了承していることが大事なのです。物語とはつまり生き方です。今回のポイントは、お婆ちゃんが田舎の生活に満足している、そこにある自然が好きだというようなありきたりな、あるいは息子夫婦の世話になるのは気が引けるというような現実臭い話しでも、まして妖怪(山々の神)が宝物というようなことではなく、お婆ちゃんの「物語(生き方)」を提示していることです。だからこそお婆ちゃんはバッドエナジーを出さなかったし、ウルフルンのために食べ物を作ったんですね。彼女にとって彼は怖い狼なのではなく、お腹を空かせた可愛い狼さん。お婆ちゃんには狼と一緒に仲良く暮らせる物語があるのです。お婆ちゃんが田舎で一人暮らしているのは、いつもバッドエナジーを出している一般人と違う文脈(物語)に生きていることの分かりやすい差別化です。流石はプリキュアのお婆ちゃん、生きてる次元が違う。
これはとても上手い提示だと思います。赤ずきんなり桃太郎なりでウルフルン達は幸せになれない。そうした物語がある一方で、誰かにとって必要とされる、愛される物語があることが示唆されています。そのお婆ちゃんの物語、妖怪が人と共にある物語をみゆきは受け継いでいます。物語が大好きな、たくさんの物語を愛するみゆきはこの点で本作の主人公の資質を持ちます。勿論、みゆきの物語はお婆ちゃんの物語と異なる物語になります。みゆきの資質、経験、意志が反映されるからです。序盤から示唆されたように、スマイルプリキュアの物語はまだ余白がある。みゆき達が自分の信じる物語を見つけてそれを作ることは、とりもなおさず私達がその人生でやっていることと同じです。人は自分の主観による「物語」を生きる。その物語の中に「あなた」も登場する。そこで「あなた」が笑顔で居られたなら、「あなた」が主役の物語もハッピーになれるのではないか。誰にとっても都合の良い物語はないかもしれない。けど、誰にとっても希望がある物語はある。それを信じるのがプリキュアの物語です。
私は物語が好きです。物語との出会いが人を豊かにすると思っている。そうした質の高い経験をするためには、物語に真剣に向き合うと同時に、その物語に覚悟が伴っていることが必要です。物語から発する意志に人間性を感じる。その覚悟をプリキュアは持っています。8年半付き合ってるしね。だから、その覚悟を今年も見せて貰いましょう。
①ちょっと不思議な物語
入道雲。セミの声。山。みんなクタクタになりながら歩きます。今回はみゆきのおばあちゃん家へ小旅行。
バスもタクシーもないなんて…と弱音を吐くあかね。田舎はだいたいそんなもんです。道路脇の小川で休憩。夏バテ気味のようです。手で遮りながられいかは太陽を見上げます。「毎日暑いですものね」とは言うもののまんざら嫌ではないようです。こうして見ると育ちの良いご令嬢に見えます。実際は前回のとおり、出店荒し一族の娘です。
「むやみに川に近づくと河童にひっぱられるよ」
誰何の声。声のした方をみんな振り返ります。水を浴びていたあかねも遅れて振り返ります。惜しい、手が邪魔。別に見えるわけじゃないんだけど、アングル的に美味しいんだよね、その構図。
「お帰りみゆき」
「お婆ちゃん」
チャポン。みゆきの帰りを待っていたのはお婆ちゃんだけじゃないかもしれません。
絵に描いたような田舎。車が無いと生活に支障をきたす感じですね。山に囲まれているので多分夏は暑く冬は寒いという劣悪な環境だと思われます。夏場は開放すれば風が通って涼めないこともないですが。よく田舎を舞台にした作品は綺麗どころばかり見せますが、実際は本当に不便です。物理的にも人的にも。田舎の人の噂話しとか、つきあいとか面倒くさくて私のような人間には耐えられませんな。田舎に行って自由を楽しむなんていうのは早合点です。都会の人と物に埋もれシステム化された暮らしの方がよほど自由で孤独を満喫できます。人が多いほど一人の価値は減ずる。私はどちらかというと田舎育ちであることと、嗜好的な問題もあって田舎の良さが良さとして感じられません。
ところで、田舎がある種の原体験、原点、故郷として描かれることが多いですが、これはそろそろ限界だろうと思います。理由は地方都市でも十分都市化していること、団塊の世代の年代で都市部への移住が行われているので現役世代の人達のほとんどは都市部生まれだからです。この世代の人にとっての故郷は都市であって、田舎は長期休暇時の避暑地であることが多い。つまり、若い世代にとっての田舎は原体験の場所ではなく、イメージ、極端に言えば物語だろうと思います。典型的な田舎に住んでいる人(住んだことのある人)は最早少数です。人口比率からいってそうなる。とはいえ、イメージとして共有できるという意味ではまだ暫くは「田舎」をギリギリ受け取ることが出来るだろうと思います。
……と書いたのは何か意味があってのことではなく、なんとなく思ったので書いてみただけです。特に何と繋がる話しではありません。強いて言えば、故郷や共有体験は時代と世代で変わっていくという話しです。そろそろ戦後初期の生活が共有される時代は終わる(すでに終わっているかな。現役世代なら高度成長期生まれ)でしょう。そうすると、成長期生まれ、またその後に生まれた人々の原体験と共有認識が土台となって価値観が変容して、それが物語にも反映されていくはずです。すでにそうなっているでしょうけど。
それはそれとして風光明媚な場所。自然に見入るみゆき達。あかねとやよいはキャンディに大人しくしててと念押しします。前回あれだけフリーダムにやっていたのに今回はお婆ちゃん一人相手に隠蔽工作を行うようです。前回好き放題やり過ぎたので反省しているのかもしれませんが。
お婆ちゃんが麦茶を持ってきて旅の疲れを労います。お、みゆきとれいかは裸足ですね。グッジョブ! 田舎イイね! ビバ田舎! 田舎最高!
なおとれいかがすすんでお婆ちゃんから麦茶を受け取りテーブルに並べます。こういうとこは育ちや環境が見えてくる部分。みゆきは野菜が美味しそうだと喜びます。下の川で冷やしている、食べる?と誘うお婆ちゃんの声に「うん!」と瞳を輝かせるみゆき。恒例なのでしょう。そんなみゆきとお婆ちゃんのやり取りについて行けないみんなは唖然とします。みゆきは子どもっぽい時と大人びている時があって起伏が大きい。
沢に来るとお婆ちゃんは篭に入って冷やされた野菜を取り出します。みんなで味わいます。なんとなく衛生的に大丈夫だろうか?と心配になってしまうあたりがもう現代人的な発想ですね。現実問題、免疫力的に低いんだよね。海外旅行に行くときは生ものや現地のナイフで切ったカットフルーツなども危険です。
美味しい野菜を食べてあかねは元気回復。現金です。なおは視線を移すと川の脇にほこらが建っていることに気づきます。なおの様子を訝るみゆき。まあ、分かる。割とホラーだよね、こういうところにひっそりとあるほこらってさ。なおは河童って本当に居るの?と訊きます。どうやら虫だけじゃなくお化けの類も苦手のようです。そういや、透明人間の回でも首無しみゆきとあかねを怖がってたね。
それなら、とお婆ちゃんはみゆきにキュウリを渡します。みゆきも話しが分かっているので頷いてキュウリを受け取ると川に流します。
「河童さ~ん、キュウリあげるから悪さしないでね」
不思議そうに見るみんなに、みゆきは大好物のキュウリをあげれば河童さんは悪さしないと説明します。それって居るってこと?と不安になるあかねとやよい。今回の話しは田舎話しということの他に、みゆきがある種の物語を持っていること、他の4人と異なる原点を持っていることがポイントです。その源流はお婆ちゃんにある。そしてお婆ちゃんからみゆきへとその物語は引き継がれています。
お婆ちゃんに色んな話しを訊かせて貰ったと指折り数えながら物語をあげていきます。妖怪に助けられる話しが多い。優しくしたら贈り物をくれたりもするとみゆきは言います。魚、お酒、お餅とか。後で全部貰いますね。子どもの頃からお婆ちゃんにそういうお話しを訊かせて貰っていたと話すみゆき。みゆきさんの物語好きはお婆さまの影響なんですね、と納得するれいか。
このくだりはちょっと穿ってみると、妖怪は怖いものであると同時に親しみのある存在でもあるという点がポイントですね。見る方向、あるいは同一の存在であっても異なる面がある。
②物語を生きる
夕食。みんなで楽しそうに食器を並べます。一人分多いことに気づきます。ですよね。流石お婆ちゃん、分かってらっしゃる。その子も食べるでしょ?とキャンディを見ながら言うお婆ちゃん。
それを訊いたキャンディは自分も食べると大はしゃぎ。すぐにみんなが飛び込んで押さえつけます。キャンディ圧死するぞ。ぬいぐるみは食べないよ、とこの期に及んで誤魔化そうとするみゆき。いや、もう、バレてますから完全に。お婆ちゃんは笑って受け流します。
近所のおじさんがスイカを持ってきます。いつもありがとう、とお婆ちゃんは野菜を代わりに渡します。キャンディを押しつぶしたままみゆきはお婆ちゃんとおじさんのやり取りを見上げます。この辺は子ども目線の高さになっていることと、お婆ちゃんが知らないおじさんと普通に会話している点でも、みゆきとお婆ちゃんの距離を感じさせる描写です。みゆきは田舎とお婆ちゃんを知っていても、そこに一緒に住んでいるわけではない。そこに住んでいる人の生活を知りません。
食事が終わり、花火タイム。スイカを食べながら興じます。
みゆきはお婆ちゃんに一緒に暮らそうと話しを持ちかけます。なるほどこれが目的か。メッセンジャーだったのね。隣に座っていたれいかとあかねは聞き耳を立てます。れいかの表情が可愛い。
田舎で一人暮らしは何かと不便で心配もあります。みゆきはお婆ちゃんと一緒に居られたら嬉しいと言います。あかねも交通がめっちゃ不便と相づちを打ちます。隣にいたれいかは驚いたような表情であかねを見ます。れいか的には込み入った話しなので静観するつもりだったのでしょう。何かあったときに心配ですよね、とれいかも言葉を継ぎます。
お婆ちゃんはありがとう、とみゆき達の好意に礼を言うもここが良いの、とキッパリと断ります。ここには私にとっての宝物があるからと答えます。
目の前には畑と山。宝物って何?と訪ねると「秘密」と答えが帰ってきます。多分それは言葉では伝わらないものです。
なおとやよいが花火をみんなでやろうと話しかけます。お婆ちゃんは話しはこれで終わり、とばかりになお達の方へと歩いて行きます。あかねはみゆきがお婆ちゃん家に来た理由を察します。謝るみゆき。付いて行きたいと行ったのはうちらの方だと言葉を返します。れいかもここは本当に良いところだと言います。
空を見上げたみゆきは夜空に星々が煌めいていることに気づきます。
バッドエンド王国。そろそろ燻製になりそうなウルフルン。脱水症状で死ぬんじゃね? 毛が煩わしいので切ってみようかと想像します。スッキリさわやか。ヤンキーやめて真面目にサラリーマンやり始めましたみたいなギャップですね。諦めたようです。
山に涼みに行きます。
朝。象デコルを使って象を召喚します。って本当に象が出てくるのかよ。それ何? どっかから持ってきたの? それとも象デコルの中の人?
象の鼻を使って畑に水をやります。みゆき達も畑仕事を手伝います。あかねはずっと住んでいたところを離れるのは辛いとみゆきに話します。このふたりは仲良いイメージがあります。同じ転校生であることや性格的にも裏表がなくて付き合いやすいのでしょう。っていうと裏がある子がいるように聞こえるかもしれませんが、そんなことありませんよ。あ、この話しれいかさんには内緒ね。
お婆ちゃんの宝物ってなんだろう。ここの景色を見ているとなんとなく分かる気がすると言うみゆき。
狐が通りかかります。牧歌的ですが、たぶん、その辺の畑に盗み食いに来たんだと思います。
とうもろこしが焼けたとお婆ちゃんはみんなを呼び集めます。
沢で涼むウルフルン。お腹も空いてきたようです。チャポン。音がした方を向くとウルフルンは「なんだお前」とガンつけます。次いで驚きの声。
声に気づくみゆき達。ウルフルンが裸足で庭先にやってきます。酷く驚いた様子。どっちかっていうと、君と同類じゃないかな。
「ウルフルン?」
ばったり遭遇。なんだろうな、この絵図。なんでそんなにびしょびしょやねん。ごもっとも。今そこで…と説明しようとしたとき、みゆきが持っているとうもろこしに視線が止まります。物欲しそうに見るウルフルン。断言しよう、腹ぺこキャラに悪い奴はいない。
お腹が空いているなら何か持ってこようとお婆ちゃんは家の奥へ行こうとします。冷静です。流石プリキュアのお婆ちゃん。この程度では動じない。顔を真っ赤にしたウルフルンは怖くないのか?と訊きます。
「怖い? 可愛い狐じゃないの?」
狐じゃねーよ、狼だと抗議するウルフルン。「あら、そう、なんて可愛らしい」。やめとけ、お婆ちゃんには勝てない。
思わず吹いてしまうあかね達。ウルフルンさん顔真っ赤。「お、狼の恐ろしさ、お、思い知らせてやるぜみてろ!」。靴を履きながら、しかも動揺しまくりで言われても。
「世界よ! 最悪の結末、バッドエンドに染まれ! 白紙の未来を黒く塗りつぶすのだ!」
「……」
「婆さんの発したバッドエナジーが悪の皇帝ピエーロ様を」
「……」
「ウルフッフ、婆さんの発したバッドエナジーが!(迫真)」
「……」
「婆さんの発したバッドエナジーが!(必死)」
「……」
「バッドエナジーが!!(懇願)」
「……」
「バッドエナジーがぁ!!(裏声)」
「……」
カウント「……」
大事なことなので5回言いました。大事なことなので無言で立ってました。
全然絶望しないお婆ちゃん。むしろウルフルンが絶望しそうです。
「絶望なんてしないわ」
「これから先ずーっと悪いことばっかだぞ!」
「生きていればそういうこともあるわよ」
「ずーっと真っ暗なんだぞ!」
「天気が悪い日もあるものよ」
「でも必ずお天道様は昇ってくる。ずっと真っ暗なんてことはないのよ。なにがあっても笑顔で一生懸命生きていればいつかきっと幸せはやってくるわ」
その言葉はウルフルンへの励ましだろうと思う。あなたが悪いことばかりで真っ暗しかないと思えても、いつか変わるのだと。他の未来が訪れるのだと。この物語は人を救う物語。絶望に屈し、笑顔を失った人に希望を与える物語。それを信じる物語である。
意地でも絶望させてやる。吠え面かくなよ、と凄むウルフルン。お婆ちゃんはご飯作りに行ってしまいました。
「いねーのかよ!」
もう、諦めて一緒にご飯食べようぜ。ここで諦めた方が幸せになれるよ、きっと。絶望することを諦める。逆説的ですね。
蚊取り線香アカンベェ召喚。家も婆さんもめちゃくちゃにしろと命じます。変身。
家を壊そうとするアカンベェの攻撃をハッピーが防ぎます。空中の回転がかっこいい。良い背中です。他の4人も手伝ってアカンベェを家から引き離します。
お婆ちゃんの宝物には指一本触れさせない。どこに宝があるのか。家、畑、川、山、ここにあるものすべてが宝物。でもなー、とサニーが口を挟みます。それなら最初から秘密にする必要は無い。確かに。あまりにありきたりな答えで秘密にすらなっていません。そうなんだよね、とハッピーも頷きます。内心同じことを考えていたのでしょう。っていうか、戦闘中に世間話するのは危険です。
アカンベェの攻撃。ドカーン。大ピンチです。ほら、言わんこっちゃない。
家が狙われます。立てないプリキュア。火球が家に迫ると、突如強い風が起こり玉を消し去ってしまいます。天狗様ですかね。風に飛ばされて池に落ちるアカンベェ。
天狗風。山に吹く突風は天狗さんがうちわで起こした風だとお婆ちゃんから聞いたと話すハッピー。今度は池の中に何かいるようでアカンベェの動きを妨害します。ウルフルンがさきほど見たのはこれらしい。姿が見えないままいずこへと消えます。河童さんありがとうございました。
「ようわからんけど、今やでハッピー」
実利的判断です。それはそれとして、プリキュアが玩具宣伝のためだけに変身している件について。
デコルの収集は折り返し。このペースだとあと4回。
せっかくたくさん作ったのに残念、とお婆ちゃん。おいなりさんを頬張るあかね。狐にちなんででしょうか。いや、だから、狼なんですって。おいなりさんの話題(れいかさんは毎度のことなおを褒めてますが)に入らずみゆきは目の前に広がる景色を見つめます。
「ねえ、お婆ちゃん。お婆ちゃんの宝物ってさ」
「ううん、なんでもない」
みゆきのその言葉に、お婆ちゃんは満足気な笑みを浮かべます。みゆきがそれを感じてくれたのなら、それで良いと思ったのかもしれません。
再び突風。さっきのとは違いずっと優しい風。山のみんながお礼を言っていると話すお婆ちゃん。何かいいことでもしたの?とお婆ちゃんは尋ねます。すると5人は目で合図を取ります。
「秘密」
北のほこらに行こうと言うお婆ちゃん。
「きっと山のみんなからお礼が届いているから」
ED。黄色あざとい!
③次回予告
緑と黄色の使いやすさ。
○トピック
シリーズを見ている人には恒例のお婆ちゃん回。プリキュアの大人(親)は理想的な大人として描かれるので、その親の親ともなれば作中最高位のポジションになります。
今回の話しはプリキュアでは比較的恒例なちょっと不思議なお話系。幽霊や不思議現象は初代からの伝統です。本文中にも書きましたが現代人にとって田舎は実生活の場ではないので、非日常性・不思議なことや自然の霊力というようなものを提示するにはむしろ向いた舞台です。
おそらくですが、今回のお話しはみゆきの主人公性(他の4人との特異点)を担保させる意味合いがあると思われます。
その話しをする前に、今回のエピソードについて多分一般的ではない解釈をここに書きます。お婆ちゃんの宝物とはなんだったか。私は「物語」だと見ます。この「物語」は主観的な体験、自分と繋がる土地、人、信仰に基づく価値観と捉えても構いません。歴史と同じ意味での主観史です(歴史は普遍ではなく、主観となる国や人々によって文脈が異なると考えます)。
細かく説明するために一旦話しを脇道にズラすと、私はまだ若いからかもしれませんが、どこで暮らすかについてのこだわりはあまりありません。便利なところの方が良いですが、この土地でなければならないという考えはない。それは私が人や何かに縛られるのを嫌っているからです。自分の生まれた場所、育った場所に愛着を持ってそこで生涯を全うしたいと考える人は居るでしょう。というかそういう人の方が多いのかな。でも私はそうした繋がりを生きる力にしないのです。孤独を力にする。それが私の感受性であり死ぬまでついてまわる縛りなのだと思います。そうした感受性による生き方、力、信じているものも先ほど言った「物語」に含まれます。人は自分の主観による「物語」を生きている。
みゆきのお婆ちゃんは様々な物語(童話やお伽噺)を知っています。それらは土地や自然と密接に関わった言伝えや信仰をベースにしています。お婆ちゃんにとって今の場所で暮らすことはそうしたお伽噺と一緒に生きる物語です。河童や天狗が本当にいるかは問題ではない。本当にいると信じられる、その物語の中で生きることを了承していることが大事なのです。物語とはつまり生き方です。今回のポイントは、お婆ちゃんが田舎の生活に満足している、そこにある自然が好きだというようなありきたりな、あるいは息子夫婦の世話になるのは気が引けるというような現実臭い話しでも、まして妖怪(山々の神)が宝物というようなことではなく、お婆ちゃんの「物語(生き方)」を提示していることです。だからこそお婆ちゃんはバッドエナジーを出さなかったし、ウルフルンのために食べ物を作ったんですね。彼女にとって彼は怖い狼なのではなく、お腹を空かせた可愛い狼さん。お婆ちゃんには狼と一緒に仲良く暮らせる物語があるのです。お婆ちゃんが田舎で一人暮らしているのは、いつもバッドエナジーを出している一般人と違う文脈(物語)に生きていることの分かりやすい差別化です。流石はプリキュアのお婆ちゃん、生きてる次元が違う。
これはとても上手い提示だと思います。赤ずきんなり桃太郎なりでウルフルン達は幸せになれない。そうした物語がある一方で、誰かにとって必要とされる、愛される物語があることが示唆されています。そのお婆ちゃんの物語、妖怪が人と共にある物語をみゆきは受け継いでいます。物語が大好きな、たくさんの物語を愛するみゆきはこの点で本作の主人公の資質を持ちます。勿論、みゆきの物語はお婆ちゃんの物語と異なる物語になります。みゆきの資質、経験、意志が反映されるからです。序盤から示唆されたように、スマイルプリキュアの物語はまだ余白がある。みゆき達が自分の信じる物語を見つけてそれを作ることは、とりもなおさず私達がその人生でやっていることと同じです。人は自分の主観による「物語」を生きる。その物語の中に「あなた」も登場する。そこで「あなた」が笑顔で居られたなら、「あなた」が主役の物語もハッピーになれるのではないか。誰にとっても都合の良い物語はないかもしれない。けど、誰にとっても希望がある物語はある。それを信じるのがプリキュアの物語です。
私は物語が好きです。物語との出会いが人を豊かにすると思っている。そうした質の高い経験をするためには、物語に真剣に向き合うと同時に、その物語に覚悟が伴っていることが必要です。物語から発する意志に人間性を感じる。その覚悟をプリキュアは持っています。8年半付き合ってるしね。だから、その覚悟を今年も見せて貰いましょう。
第26話「夏祭り!夜空に咲く大きな大きな花!」
○今週の出来事
①れいかさん無双
今日は夏祭り。みゆきの浴衣を褒めるキャンディ。浴衣だけじゃなく全部可愛いです。
5人集合。今回は黄色ハブられなかったようです。やよいとれいかは普段と髪型を変えています。れいかはよく状況に応じて髪型を変えています。ロングの娘は色々変化つけられて可愛い。ところで、どういう風に髪を収納しているのか気になる。着付けのシーンから解説していただきたい。もちろんノーカットで。
ドレスデコルを使ってキャンディも浴衣姿に。スーパーアカンベェになってから周2個ペースに増えたので毎回違うデコルを使うのは最早諦めたのかもしれません。
今週は浴衣観賞回です。ビバッ浴衣。水着が無くてもプリキュアには浴衣がある。
様々な出店に心躍らせる一同。なおの親父さんが和太鼓を叩いています。キャンディは初めてのお祭りなので興味津々です。みんな口々にお祭りの魅力を話すも、一番の目玉は打ち上げ花火と口を揃えて言います。夏祭りを楽しもうとレッツらゴー。
初めての綿飴を勢い込んで食べるキャンディ。時同じくしてマジョリーナも飴リンゴをひと舐め。自分で作る毒リンゴより美味しいと驚きます。そりゃ毒リンゴよりは美味しいだろうさ。っていうか、毒リンゴ食べたことあるのかよ。毒耐性持ちですか。
祭りを偵察に来たらしく、大勢の人で賑わっているのは好都合。バッドエナジーの回収がはかどるというもの。視線の先にプリキュアがいることに気づきます。
金魚すくい。みゆきはキャンディにポイ(名称が分からなかったので調べたら「ポイ」というらしい)を渡します。
「では、私がお見本を見せましょう」
なんか超やる気な人が居ます。すでにたすき掛けをして準備万端。
「はぁー、はっ、はっ、ふっ!」
面白いくらいに金魚がすくわれていきます。凄い。凄いけど女子中学生のスキルとして何かおかしいが気がする。っていうか、この子もよくわからないところにスイッチがあるな。
「おじいさま直伝の技です」
おじいさまどんだけ孫の前で良いカッコしたいんだよ。
キャンディもチャレンジ。しかし破れてしまいます。もう一度チャレンジ。
マジョリーナも金魚すくいにチャレンジ。見事ゲット。旨そう。食う気かよ。店主に止められます。それを聞くとそんなもの捕まえて何が面白い?と金魚をリリース。まあ、飼えば大きくなるけど食用には適さないだろうなぁ。
射的。私これしたことないんだよね。やってみたい。
なおがチャレンジして見事キャラメルゲット。あかねもゲーム機に当てますが、倒れず外れ。これ絶対倒れない商品とかありそう。キャンディもチャレンジ。ところで先ほどからキャンディが人目に付いているような気がするんですが、その辺は店主に気づかれてないってことでしょうか。象のぬいぐるみを狙うも弾かれたコルクは納豆餃子キャラメルに着弾。いや、その弾道おかしくね? それはそれとして納豆餃子キャラメルゲット。さりげに派生商品まで出ているようです。誰が買うんだろう。
「あたしだって絶対に納豆餃子キャラメルを手に入れてみせるだわさ」
こういう人が買うらしい。
狙いははずれてグァム旅行ゲット。グァムをガムと勘違いしたマジョリーナはキャラメルが欲しいと店主に抗議。まあ、下手に海外旅行とか当たっても困るときはあるね。
飴細工。その場で店主が飴細工をこしらえます。その匠の技で感嘆の声をあげる一同。リクエストOK。それならとキャンディを作ってもらいます。おじさんはキャンディを見本に飴細工をこしらえます。すげぇ出来が良い。クオリティ高ぇ。これにはキャンディも大喜び。微妙に共食いのような気もしますが。
ヨーヨー釣り。ここでもれいかさんが技を披露。この人そのうち祭り出入り禁止になるんじゃないかな。
お祭りを楽しむみゆき達と打って変わって、上手く事が運ばないマジョリーナは祭りにいらだち始めます。前回アカオーニは夏を満喫していたのとは大違い。相性が悪いようです。
チョコバナナに舌鼓を打ちます。そういえば私これも食べたことないなぁ。
次は何をしよう? 折角だから美味しい食べ物全部食べ尽くそう、とみゆき。気持ちは分かる。細かいことですが、この子は前髪がひらひらと動くのがものすごく可愛い。みんなそれぞれ食べたいものを列挙していきます。話しに夢中になっているとキャンディがお面につられて場を離れてしまいます。
お面を眺めていると店主にぬいぐるみと間違われて捕獲されてしまいます。そして輪投げの景品に。
②キャンディ救出大作戦
はぐれたキャンディを捜し物の見つからない。するとやよいが大声を出します。視線の向こうには輪投げ屋。中央に居座るぬいぐるみはキャンディ。その隣にはヒーローフィギュア。これは期待が持てます。
キャンディもみゆき達に気づいて涙をこぼします。どうしたものか。
「これはもう正々堂々正面から行くしかありませんね!」
出店荒しとしての血がたぎっておられます。
「輪投げは300円です」
軍資金を徴収。30円、20円、70円、60円、120円。ちょうど300円。しかし中学生の懐事情としてはお寒い限り。れいかさんが桁違いに持っているのは一回のチャレンジで十分楽しめるからでしょう。意外と青木家は倹約家なのかもしれません。
一人ワンチャンス。みんなでキャンディを取り戻そう! 同じキャンディ救出でも今回は楽しくお遊び。
一人目。れいか。最初から本命の登板です。
「それでは青木れいか、参ります!」
無駄に凄技を見せるれいかさん。これもおじいさま直伝でしょうか。ギャラリーも感嘆の声をあげます。これは面白そう。是非その場に居合わせたいものです。
そして謎のポーズ。精神を集中。謎構えで投球。やべー、これ見るだけで300円以上の価値ある。自分が投げるより投げる人見てた方が面白い。
見事店主の頭に乗ります。外れ。
「輪投げの道は奥が深いです」
まだおじいさまから技を伝授してもらっていないようです。「れいかにはこの技はまだ早い」とか言ってそう。青木家面白いな。
続いて、やよい。これはもうあれだ、言わなくても分かってますよね。
ターゲットロックオン。気持ち右寄り。
見事ヒーローフィギュアゲット。
「これ前から欲しかったんだ!」
裏切り者です。しかし視聴者の期待を裏切らない。常に視聴者の期待に応える黄色。来週ぼっちになっても視聴者人気が高ければ問題ない。孤高のアイドル。それがプリキュアの黄色。
「よし、直球勝負だ」。3番なお。
テントウムシの妨害により大暴投。マジョリーナの天狗お面に着地。
4番あかね。
ベストな投球。狙い違わずキャンディの頭上に、落ちて弾かれました。…頭でかくね?
「物理的に不可能ということでは?」
無理ゲーと判明。それ景品として駄目なんじゃ。
残るはみゆきだけ。とはいえ持っている輪ではどうしようもありません。
マジョリーナはプリキュアを探します。これはみゆきがミラクルを起こすか、マジョリーナが妨害工作を起こしてなし崩し的にキャンディ脱出とかそういうオチでしょうか。
ラスト。みゆき。
投げられた輪は全然違うところに。大はずれ。しかしキャンディは自分の髪を動かして無理矢理輪をはめます。そんな裏技が。
店主が確認すると確かにキャンディに輪が落ちています。どうやって頭を通ったのか謎ですが、審判見えてない。不正は無かった。キャンディゲット。5人は急いでその場から離れます。
③夜空に咲く大輪の花
人気のない場所に来て再会を祝います。するとそこに(輪がはまった)天狗のお面をしたこびとが立ちはだかります。シュールだなぁ。マジョリーナ。バッドエナジー回収。変身。近年のプリキュアは髪型が変わっても変身シーンに反映されなくなったのでちょっと寂しい。
お祭りアカンベェ召喚。輪を投じてきます。お約束どおり黄色がはまります。さすが黄色使えない。
プリキュアに攻撃されたアカンベェは、仕返しとばかりに無差別攻撃を開始。マジョリーナまで巻き添え。結果としてはプリキュアを圧倒。なんだかんだ言ってもスーパーアカンベェは強い。
ハッピーはなぜお祭りの邪魔をするのか問います。お祭りなんてちっとも楽しくないからだと言うマジョリーナ。そんな勝手なことはさせない。キャンディのお祭りデビューの邪魔しないで、と抗議するプリキュア。お祭りデビューて。
どうせ最終決戦か映画の時期にひと山あると思うんで今から言うのは野暮なんですが、マジョリーナが言ったことは彼女ら的に真理だろうと思います。自分たちが登場する童話はちっとも楽しくない。やっつけられて虐げられる。同じ事象(童話、お祭り)でも見る視点によって楽しさが違う。スマイルの三幹部はこの世界を否定するためにいるんじゃなく、この世界で不幸を味わっているからそれに反抗している。だから彼らは楽しめる時は普通に楽しんでいる。彼らの動機は単純明快です。「面白くないから不幸にする」。それはある種の告発を秘めています。彼らの行動原理はこの物語において筋が通っている。
いつもどおりデコルを回収します。
お祭りのメインイベント。
夜空に咲く色とりどりの花。みゆき達はその光景に見入ります。
同じ花火を違うところ、違う人々が同じように見つめ、楽しみます。級友。家族。れいかのお父さんらしき人。育代さんの浴衣来たこれ。ごちそうさまです。
「みんなで花火が見られてウルトラハッピー!」
私も浴衣が見られてウルトラハッピー。
EDのダンスは予想どおりキャラ替え有り。背景の映像も切り替わっていて芸が細かい。
④次回予告
プリキュアのおばあちゃんは偉人。その伝統は受け継がれるか。
○トピック
ということで、私の夏祭り終了。良い夏祭りでした。花火も見れたし満足です。
毎年恒例の夏祭りイベント。視聴者の未就学児童に夏祭りの魅力を伝えるとともに、追体験させる回ですね。
とある事象に対して、果たしてみんなが楽しむことはできるのか? というのはスマイルを長期的に見たときの一つのテーマとなりえるでしょう。この物語の敵は繰り返し述べているように童話の悪者であり、同時に虐げられた者達です。同じ童話でもハッピーになる人とバッドになる人がいる。同じ夏祭りを違う場所で、違う面々で楽しむ一方、一人楽しめないマジョリーナの存在は示唆的です。それ考えすぎじゃね?というのは勿論その通りなんですが、前作スイートで同じ世界の中に悲しみと幸せが同居していることが指摘されています。スマイルはその路線を継承していると思われるので、当然、この矛盾というか齟齬、一つの事象の中に異なる視点、異なる体験をする人々が居ることをどのように包括することができるだろうか。この矛盾(齟齬)を如何にして克服しうるか、というのは9年目を迎える本作において取り組むに値するテーマです。
個人的にはそれを最低ラインとしてスマイルはやっていくだろうと思ってます。それ以上に面倒くさいことをやることはあっても、それ以下は無い。どんだけ期待値高いんだよって話しですが、毎年そういうことをやった結果、今のプリキュアはこの段階にあると思ってます。物語のレベルが上がることはあっても下がることはない。それがこのシリーズの面白い点です。
前回の海エピソードとか、今回の夏祭りを見ても全然そんな話しになる気配を感じないんだけどね。毎年そんなゆっくりまったりから中盤終盤と指数級数的に話しのテンションが上がっていく。それを念頭に置きつつも、今のまったりペースを楽しむ。これができるようになると上級者です。そこまで行くと色んな意味で帰れなくなるんですけどね。
①れいかさん無双
今日は夏祭り。みゆきの浴衣を褒めるキャンディ。浴衣だけじゃなく全部可愛いです。
5人集合。今回は黄色ハブられなかったようです。やよいとれいかは普段と髪型を変えています。れいかはよく状況に応じて髪型を変えています。ロングの娘は色々変化つけられて可愛い。ところで、どういう風に髪を収納しているのか気になる。着付けのシーンから解説していただきたい。もちろんノーカットで。
ドレスデコルを使ってキャンディも浴衣姿に。スーパーアカンベェになってから周2個ペースに増えたので毎回違うデコルを使うのは最早諦めたのかもしれません。
今週は浴衣観賞回です。ビバッ浴衣。水着が無くてもプリキュアには浴衣がある。
様々な出店に心躍らせる一同。なおの親父さんが和太鼓を叩いています。キャンディは初めてのお祭りなので興味津々です。みんな口々にお祭りの魅力を話すも、一番の目玉は打ち上げ花火と口を揃えて言います。夏祭りを楽しもうとレッツらゴー。
初めての綿飴を勢い込んで食べるキャンディ。時同じくしてマジョリーナも飴リンゴをひと舐め。自分で作る毒リンゴより美味しいと驚きます。そりゃ毒リンゴよりは美味しいだろうさ。っていうか、毒リンゴ食べたことあるのかよ。毒耐性持ちですか。
祭りを偵察に来たらしく、大勢の人で賑わっているのは好都合。バッドエナジーの回収がはかどるというもの。視線の先にプリキュアがいることに気づきます。
金魚すくい。みゆきはキャンディにポイ(名称が分からなかったので調べたら「ポイ」というらしい)を渡します。
「では、私がお見本を見せましょう」
なんか超やる気な人が居ます。すでにたすき掛けをして準備万端。
「はぁー、はっ、はっ、ふっ!」
面白いくらいに金魚がすくわれていきます。凄い。凄いけど女子中学生のスキルとして何かおかしいが気がする。っていうか、この子もよくわからないところにスイッチがあるな。
「おじいさま直伝の技です」
おじいさまどんだけ孫の前で良いカッコしたいんだよ。
キャンディもチャレンジ。しかし破れてしまいます。もう一度チャレンジ。
マジョリーナも金魚すくいにチャレンジ。見事ゲット。旨そう。食う気かよ。店主に止められます。それを聞くとそんなもの捕まえて何が面白い?と金魚をリリース。まあ、飼えば大きくなるけど食用には適さないだろうなぁ。
射的。私これしたことないんだよね。やってみたい。
なおがチャレンジして見事キャラメルゲット。あかねもゲーム機に当てますが、倒れず外れ。これ絶対倒れない商品とかありそう。キャンディもチャレンジ。ところで先ほどからキャンディが人目に付いているような気がするんですが、その辺は店主に気づかれてないってことでしょうか。象のぬいぐるみを狙うも弾かれたコルクは納豆餃子キャラメルに着弾。いや、その弾道おかしくね? それはそれとして納豆餃子キャラメルゲット。さりげに派生商品まで出ているようです。誰が買うんだろう。
「あたしだって絶対に納豆餃子キャラメルを手に入れてみせるだわさ」
こういう人が買うらしい。
狙いははずれてグァム旅行ゲット。グァムをガムと勘違いしたマジョリーナはキャラメルが欲しいと店主に抗議。まあ、下手に海外旅行とか当たっても困るときはあるね。
飴細工。その場で店主が飴細工をこしらえます。その匠の技で感嘆の声をあげる一同。リクエストOK。それならとキャンディを作ってもらいます。おじさんはキャンディを見本に飴細工をこしらえます。すげぇ出来が良い。クオリティ高ぇ。これにはキャンディも大喜び。微妙に共食いのような気もしますが。
ヨーヨー釣り。ここでもれいかさんが技を披露。この人そのうち祭り出入り禁止になるんじゃないかな。
お祭りを楽しむみゆき達と打って変わって、上手く事が運ばないマジョリーナは祭りにいらだち始めます。前回アカオーニは夏を満喫していたのとは大違い。相性が悪いようです。
チョコバナナに舌鼓を打ちます。そういえば私これも食べたことないなぁ。
次は何をしよう? 折角だから美味しい食べ物全部食べ尽くそう、とみゆき。気持ちは分かる。細かいことですが、この子は前髪がひらひらと動くのがものすごく可愛い。みんなそれぞれ食べたいものを列挙していきます。話しに夢中になっているとキャンディがお面につられて場を離れてしまいます。
お面を眺めていると店主にぬいぐるみと間違われて捕獲されてしまいます。そして輪投げの景品に。
②キャンディ救出大作戦
はぐれたキャンディを捜し物の見つからない。するとやよいが大声を出します。視線の向こうには輪投げ屋。中央に居座るぬいぐるみはキャンディ。その隣にはヒーローフィギュア。これは期待が持てます。
キャンディもみゆき達に気づいて涙をこぼします。どうしたものか。
「これはもう正々堂々正面から行くしかありませんね!」
出店荒しとしての血がたぎっておられます。
「輪投げは300円です」
軍資金を徴収。30円、20円、70円、60円、120円。ちょうど300円。しかし中学生の懐事情としてはお寒い限り。れいかさんが桁違いに持っているのは一回のチャレンジで十分楽しめるからでしょう。意外と青木家は倹約家なのかもしれません。
一人ワンチャンス。みんなでキャンディを取り戻そう! 同じキャンディ救出でも今回は楽しくお遊び。
一人目。れいか。最初から本命の登板です。
「それでは青木れいか、参ります!」
無駄に凄技を見せるれいかさん。これもおじいさま直伝でしょうか。ギャラリーも感嘆の声をあげます。これは面白そう。是非その場に居合わせたいものです。
そして謎のポーズ。精神を集中。謎構えで投球。やべー、これ見るだけで300円以上の価値ある。自分が投げるより投げる人見てた方が面白い。
見事店主の頭に乗ります。外れ。
「輪投げの道は奥が深いです」
まだおじいさまから技を伝授してもらっていないようです。「れいかにはこの技はまだ早い」とか言ってそう。青木家面白いな。
続いて、やよい。これはもうあれだ、言わなくても分かってますよね。
ターゲットロックオン。気持ち右寄り。
見事ヒーローフィギュアゲット。
「これ前から欲しかったんだ!」
裏切り者です。しかし視聴者の期待を裏切らない。常に視聴者の期待に応える黄色。来週ぼっちになっても視聴者人気が高ければ問題ない。孤高のアイドル。それがプリキュアの黄色。
「よし、直球勝負だ」。3番なお。
テントウムシの妨害により大暴投。マジョリーナの天狗お面に着地。
4番あかね。
ベストな投球。狙い違わずキャンディの頭上に、落ちて弾かれました。…頭でかくね?
「物理的に不可能ということでは?」
無理ゲーと判明。それ景品として駄目なんじゃ。
残るはみゆきだけ。とはいえ持っている輪ではどうしようもありません。
マジョリーナはプリキュアを探します。これはみゆきがミラクルを起こすか、マジョリーナが妨害工作を起こしてなし崩し的にキャンディ脱出とかそういうオチでしょうか。
ラスト。みゆき。
投げられた輪は全然違うところに。大はずれ。しかしキャンディは自分の髪を動かして無理矢理輪をはめます。そんな裏技が。
店主が確認すると確かにキャンディに輪が落ちています。どうやって頭を通ったのか謎ですが、審判見えてない。不正は無かった。キャンディゲット。5人は急いでその場から離れます。
③夜空に咲く大輪の花
人気のない場所に来て再会を祝います。するとそこに(輪がはまった)天狗のお面をしたこびとが立ちはだかります。シュールだなぁ。マジョリーナ。バッドエナジー回収。変身。近年のプリキュアは髪型が変わっても変身シーンに反映されなくなったのでちょっと寂しい。
お祭りアカンベェ召喚。輪を投じてきます。お約束どおり黄色がはまります。さすが黄色使えない。
プリキュアに攻撃されたアカンベェは、仕返しとばかりに無差別攻撃を開始。マジョリーナまで巻き添え。結果としてはプリキュアを圧倒。なんだかんだ言ってもスーパーアカンベェは強い。
ハッピーはなぜお祭りの邪魔をするのか問います。お祭りなんてちっとも楽しくないからだと言うマジョリーナ。そんな勝手なことはさせない。キャンディのお祭りデビューの邪魔しないで、と抗議するプリキュア。お祭りデビューて。
どうせ最終決戦か映画の時期にひと山あると思うんで今から言うのは野暮なんですが、マジョリーナが言ったことは彼女ら的に真理だろうと思います。自分たちが登場する童話はちっとも楽しくない。やっつけられて虐げられる。同じ事象(童話、お祭り)でも見る視点によって楽しさが違う。スマイルの三幹部はこの世界を否定するためにいるんじゃなく、この世界で不幸を味わっているからそれに反抗している。だから彼らは楽しめる時は普通に楽しんでいる。彼らの動機は単純明快です。「面白くないから不幸にする」。それはある種の告発を秘めています。彼らの行動原理はこの物語において筋が通っている。
いつもどおりデコルを回収します。
お祭りのメインイベント。
夜空に咲く色とりどりの花。みゆき達はその光景に見入ります。
同じ花火を違うところ、違う人々が同じように見つめ、楽しみます。級友。家族。れいかのお父さんらしき人。育代さんの浴衣来たこれ。ごちそうさまです。
「みんなで花火が見られてウルトラハッピー!」
私も浴衣が見られてウルトラハッピー。
EDのダンスは予想どおりキャラ替え有り。背景の映像も切り替わっていて芸が細かい。
④次回予告
プリキュアのおばあちゃんは偉人。その伝統は受け継がれるか。
○トピック
ということで、私の夏祭り終了。良い夏祭りでした。花火も見れたし満足です。
毎年恒例の夏祭りイベント。視聴者の未就学児童に夏祭りの魅力を伝えるとともに、追体験させる回ですね。
とある事象に対して、果たしてみんなが楽しむことはできるのか? というのはスマイルを長期的に見たときの一つのテーマとなりえるでしょう。この物語の敵は繰り返し述べているように童話の悪者であり、同時に虐げられた者達です。同じ童話でもハッピーになる人とバッドになる人がいる。同じ夏祭りを違う場所で、違う面々で楽しむ一方、一人楽しめないマジョリーナの存在は示唆的です。それ考えすぎじゃね?というのは勿論その通りなんですが、前作スイートで同じ世界の中に悲しみと幸せが同居していることが指摘されています。スマイルはその路線を継承していると思われるので、当然、この矛盾というか齟齬、一つの事象の中に異なる視点、異なる体験をする人々が居ることをどのように包括することができるだろうか。この矛盾(齟齬)を如何にして克服しうるか、というのは9年目を迎える本作において取り組むに値するテーマです。
個人的にはそれを最低ラインとしてスマイルはやっていくだろうと思ってます。それ以上に面倒くさいことをやることはあっても、それ以下は無い。どんだけ期待値高いんだよって話しですが、毎年そういうことをやった結果、今のプリキュアはこの段階にあると思ってます。物語のレベルが上がることはあっても下がることはない。それがこのシリーズの面白い点です。
前回の海エピソードとか、今回の夏祭りを見ても全然そんな話しになる気配を感じないんだけどね。毎年そんなゆっくりまったりから中盤終盤と指数級数的に話しのテンションが上がっていく。それを念頭に置きつつも、今のまったりペースを楽しむ。これができるようになると上級者です。そこまで行くと色んな意味で帰れなくなるんですけどね。
第25話「夏だ!海だ!あかねとなおの意地っ張り対決!!」
○今週の出来事
①海の家
今日から夏休み。みゆきは楽しそうに庭で水やりをします。こうして見ると家も立派だし良いとこのお嬢さんに見えなくもない。お休みがいっぱいと聞いたキャンディもテンションが上がります。ふたりでお休みを祝います。
「だけどな~んにも予定が無いんだよね…」
あー、私も夏は仕事少ないんで暇だわー(棒読み)。誰かと一緒に遊びに行きたいなぁ(チラッ)。
電話が鳴ります。相手はあかね。相づちを打っていたみゆきは二つ返事で「すぐに行く」と答えます。
お呼ばれした場所は海。恒例の海回の始まり。
OPがプリンセスフォームの絵に一部差替え。
暇をもてあますアカオーニ。テレビのチャンネルをひねっていると(この表現ってよくよく考えると古いな)、海で楽しんでいる人々のニュースが流れます。「肌はこんがり小麦色。素敵な夏の思い出作りにあなたも海へ行きませんか」。それを見たアカオーニはすぐにその気になって海パン姿で海へと向かいます。絶対仕事忘れてるだろ。っていうか、君らの思想的に海でハッピーなんて許せない、バッドにしてやるとかそういう動機で行けよ。
海で遊ぶ人々を横目に自分達も遊びたいと胸をふくらますみゆきとキャンディ。あかねとの待ち合わせ場所はお好み焼屋。訪ねるとあかねがお好み焼きを焼いてます。ですよねー。そういう流れですよねー。
すぐ隣から聞き慣れた声がします。警戒するように視線を向けるあかね。なおとれいかがかき氷屋を営んでいます。なおが作って、れいかが給仕。その様子を見ながらあかねは対抗心を燃やします。大声でお好み焼屋の宣伝を始めると、なおも受けて立ちます。暑苦しいなこの人達。ところで、一人足りなくね?
そういうわけで当然のようにみゆきもお好み焼屋のお手伝い。
「あかねちゃん、これはどういう…」
みなまで言うな、とばかりにあかねが手で制します。海で遊びたいのは分かっている。夏の間こっちに店を出したはいいが、また親父さんがギックリ腰になってあかねがお手伝いすることになったようです。こんな時に頼りになるのはみゆきしかおらん!と説得。そう言われたみゆきもまんざらではない様子。ちょろい。この子ちょろいわー。
隣はなおのおじさんの店で、そのお手伝いらしい。流れ的になおがれいかを誘ってお手伝いしてたらたまたま隣があかねの店で、あかねも対抗心燃やして援軍を呼んだという感じでしょうか。ところで、一人忘れられてね?
「でも惜しいね、これでやよいちゃんが居たら全員集合なのにな~」
ホントに(ひとり)ぼっちだったのかよ。なぜ呼ばなかった。どう考えてもみゆきを呼ぶ時点で4人集合するんだからついでに呼んでやれよ。
店の前に一人の少女が立ちます。どこか哀愁漂う雰囲気。そう、例えるなら折角の夏休みなのに友達に呼ばれもせず一人で海に来てしまったかのような、そんな切なさと虚しさを漂わせた雰囲気。
「冷たいかき氷と、あっつあつのお好み焼き。どっちにしようかな」
ここから本当のぼっちが始まる。
②4人と1人
これで全員集合だね~と暢気に喜ぶみゆき。海に遊びに来ていたんですか?と訪ねるれいか。きっとれいかさんのことだからあかねがみゆきを呼んだのを知りつつもやよいを呼ばなかったに違いない。美術の宿題で来たと話すやよい。キャンディは遊び相手ができたとばかりにやよいに飛びつきます。
かき氷屋にお客が来ます。なおはあかねを横目にかき氷の注文を受けます。先手を取ったといった感じでしょうか。れいかも嬉しそうについて行きます。あかねもそろそろかき入れ時だと力を入れます。あかねに気圧されながらもみゆきも呼び込みを始めます。一人残される黄色。呆然と様子を見ています。え、何これ。このプリキュア怖い。はーい、二人組を作って、と言われて残ったみたいなノリ。せめて声かけてあげても良かったんじゃないかな。
どちらの店にも行列ができます。みゆきとれいか。どっちに並ぶか迷う。10分おきに交互に並ぶのが得策か。
「キャンディ海で遊びたいクル」
「いいよ、一緒に浜辺に行こ」
ぼっちさんの健気ぶりが心に染み入ります。
あかねとなおの様子を訝るみゆき。お、みゆきの格好だと脇が見える。これはポイントが高い。どちらも根っからのスポーツ少女、ライバルがいれば競い、勝ちたいという思いが強いと話すれいか。単に負けず嫌いなだけのような気もしますが。
人気の少ない場所でキャンディのコスチューム変化。ドレスデコルを使って水着姿になります。主人公達は普通の格好なのに妖精や敵幹部は水着姿を披露するとか流石プリキュアさん、マジ作為的っすね。
大忙しだった海の家もお客がひけます。疲れ果てながらもお互いに意地を張るあかねとなお。休憩タイム。みゆきはやっとみんなで遊べると喜びます。ビーチボールも持参しています。ボールを見たあかねとなおの目つきが変わります。キ○ガイに刃物みたいな形相。
人知れず浜辺でやよいとキャンディはキャッチボール。
「勝負だ!」
2対2であかね組となお組でビーチバレー勝負が始まります。あれー、なんか一人忘れられてませんかねー? お遊びタイムなんだし5人でもいいんじゃないですかねー? 審判役とかあるよね。
安心の顔面ブロックを披露するみゆき。その犠牲を無駄にせず、あかねはアタックを決めます。流石バレー部。次はサッカー対決。
浜辺でキャンディとやよいは追いかけっこ。なんだろ、もうこの子には触れない方が良いんじゃないかなって思えてきました。が、こんな美味しいネタ逃すわけにはいかない。やよいの格好や雰囲気から言ってこれはこれで清楚な良いとこのお嬢さんという感じもしますから、一人でも格好は付きます。お嬢さん、僕とふたりで素敵な思い出作らない?
サッカー対決はなおに軍配が上がります。っていうか、なおのシュートを止めろって方が無理だろ。さっきからみゆき大変だな。
おやつタイム。あかねのお母さんがスイカを振る舞います。勿論4人分。
やよいはお弁当持参でキャンディと一緒にお昼。なにこの徹底ぶり。ついに東映アニメ内で反黄色派が決起したの? それともこれはこれで美味しいっていう自作自演?
スイカをどれだけ綺麗に食べられるか対決を始めるふたり。もうなんだ、こいつら隔離しとこうぜ。
やよいは風景をスケッチし始めます。
ひたすら砂で山を盛るあかねに対して、綺麗なお城を作り上げるなお。たぶんれいかさんの技術提供の賜でしょう。
「折角みんな揃ったのになぁ」
それは黄色を含めて言ってるんですかね?
空からアカオーニさんがダイブ。小麦色の肌になって素敵な思い出作っちゃうオニ。なんだろ、この人が一番エンジョイしてる気がする。
アイキャッチはプリンセスフォームバージョンに。
③やっぱり黄色はいらない子
指でフレームを作って風景を切り取るやよい。視線の先に何かを見つけるとギョッとします。
アサリ取り対決。次は水泳で勝負や! マジで!? これは思わぬ展開。てっきり今回は黄色のぼっちを楽しむ回かと思っていましたが、ついに水着解禁か!(ただし黄色は除く)
「ゴールはそこに見えるあの…」
アカオーニさんはグラサン姿でサーフィン。うわー、こういうおっさんいそう。違和感ないわー。しかもサーフィン上手ぇ。すげードヤ顔だよ。すげー楽しそうだよ。普段バッドエンド云々言ってる人の顔じゃないよ。そりゃみゆき達も口をあけて呆然とするわ。
思い出したかのように仕事を始めます。バッドエナジー放出。カウント2。そういうわけで、いつも通り水着は無しです。
アカオーニのもとに駆け寄るみゆき達。ちゃっかりやよいも加わっています。なんという数合わせ。黄色さん、そろそろジャンケンの時間ですよ的な集合。黄色に出番を与えるためにわざわざやって来てくれるアカオーニさんは紳士です。
かき氷アカンベェに向かって全力疾走しはじめるサニーとマーチ。「まだやってたの?」ハッピーさんの苦労がだんだん分かってきました。
ということで脳筋コンビが突出して先制攻撃。いろんな意味で頭の悪さを披露して返り討ち。遅れてハッピー達がやってきます。すでに息を切らせてるってどうなの? その手のゲームをやったことがある人なら分かると思いますが、基本的に軍団を運用する場合足の遅い者に合わせることになるのでいくら足の速い者が居ても連携がとれず孤立してしまいます。それにしても変身しても黄色の出番が無い。変身しなくても良かったんじゃないかな。
アカンベェは無差別に攻撃をしかけます。サニーとマーチはもはや足の引っ張り合い。そこをフォローする3人。しかしアカンベェの中に閉じ込められてしまいます。うちが!私が!とここでも我を通そうとするふたり。当然返り討ち。幹部の命令を聞かず暴走し始めるアカンベェ。これじゃ小麦色の肌になれないと困るアカオーニ。そこかよ。
吹雪に対抗して炎と風をそれぞれ使いますが抗しきれません。ようやく自分一人の力ではどうすることもできないと気づくふたり。互いに手を伸ばして繋ぎ合わせます。するとふたりの力が合わさって周囲の氷を溶かしていきます。炎と風の力の相乗効果。
ふたりは手を繋いだままで突進。必殺技が合わさってアカンベェの頭を溶かして仲間を救出します。
プリンセスフォーム。たぶん他にも手を加えていると思いますが、5人が着地するシーンの絵がちょっと修正されています。具体的に言うと目元がくっきりするよう直されています。デコル2個ゲット。
アカオーニはこんがり小麦色になったと満足して帰って行きます。なんだろ、この試合に勝って勝負に負けた感は。
コンビを組めばさらに効果的だと気づいたふたりは、お好み焼きとかき氷のセットを思いつきます。
みんなでお食事。今度はちゃんとやよいも居ます。
また意地を張り始めるふたりを見ながら、みゆきは「ああいう仲良しもあるんだね」と内心で感心します。なんか良い感じに纏めていますが、忘れてはいけません。つい先ほどまでぼっちが居たことを。実は今回体調を崩して「ハッピースマイル!」ってところからテレビをつけたんで、綺麗に纏めたのかななんて思ってたんですが、最初から見たらそんなことなかった。
夏休みはこれから。キラキラウルトラハッピーな夏休みが始まります
EDは新バージョン。前のキャラクターが出だしで違う演出が面白かったんですが、このバージョンはどうなるんだろ。ハッピーの出番が多いような気がするんだけど、キャラ差し変わったりするのかしら。
④次回予告
来た! 浴衣着た! キャンディの隣にあるフィギュア。特オタの出番です。
○トピック
ふたりが力を合わせる裏で、黄色がぼっちになる回。友情とは何かを考えさせられます。黄色がどうやっても美味しいポジションにしかならない。黄色へのツッコミだけで30分持つってどういうことだ。
ツッコミだけで感想終わらせても良いんですが、っていうかお腹いっぱいなんですが、一応それっぽいことを書くとすれば、スマイルの関係構築は前回の感想でも書いたように個人に動機を持たせることを優先しています。これはスタンドプレーに繋がりかねない懸念があったのでそれを防止するために今回協力プレーを行っていると言えるでしょうか。一人でも戦えることは大事だけど、仲間と協力すればより力を発揮する。通常は協力することを優先して話しが作られるんですが、スマイルは順序が逆になっているのでこのタイミングということなのでしょう。これまでのエピソードで各人の属性攻撃を含めた活躍は多く出ているのでチーム連携の段階に入ったと見ていいかな。
例年だと新キャラや新マスコットが登場する時期なので、夏休み期間は新キャラが馴染んでいくエピソードが多いんだけど、スマイルはこのメンツのままで行きそうな雰囲気。新商品も出たばかりだからしばらく間を置くはず。となると今回のように(一部ぼっちを除き)メンバー内の関係性を深めたり、多様な関係性の有り様を広げていくと推測されます。商品展開でストーリー展開を予想できるって楽だなぁ。
次回は、れいかさんがまた頑張らなくていいところで頑張ります。主人公(みゆき)が一番アホなんだろうけど、一番まともに見えてきました。
①海の家
今日から夏休み。みゆきは楽しそうに庭で水やりをします。こうして見ると家も立派だし良いとこのお嬢さんに見えなくもない。お休みがいっぱいと聞いたキャンディもテンションが上がります。ふたりでお休みを祝います。
「だけどな~んにも予定が無いんだよね…」
あー、私も夏は仕事少ないんで暇だわー(棒読み)。誰かと一緒に遊びに行きたいなぁ(チラッ)。
電話が鳴ります。相手はあかね。相づちを打っていたみゆきは二つ返事で「すぐに行く」と答えます。
お呼ばれした場所は海。恒例の海回の始まり。
OPがプリンセスフォームの絵に一部差替え。
暇をもてあますアカオーニ。テレビのチャンネルをひねっていると(この表現ってよくよく考えると古いな)、海で楽しんでいる人々のニュースが流れます。「肌はこんがり小麦色。素敵な夏の思い出作りにあなたも海へ行きませんか」。それを見たアカオーニはすぐにその気になって海パン姿で海へと向かいます。絶対仕事忘れてるだろ。っていうか、君らの思想的に海でハッピーなんて許せない、バッドにしてやるとかそういう動機で行けよ。
海で遊ぶ人々を横目に自分達も遊びたいと胸をふくらますみゆきとキャンディ。あかねとの待ち合わせ場所はお好み焼屋。訪ねるとあかねがお好み焼きを焼いてます。ですよねー。そういう流れですよねー。
すぐ隣から聞き慣れた声がします。警戒するように視線を向けるあかね。なおとれいかがかき氷屋を営んでいます。なおが作って、れいかが給仕。その様子を見ながらあかねは対抗心を燃やします。大声でお好み焼屋の宣伝を始めると、なおも受けて立ちます。暑苦しいなこの人達。ところで、一人足りなくね?
そういうわけで当然のようにみゆきもお好み焼屋のお手伝い。
「あかねちゃん、これはどういう…」
みなまで言うな、とばかりにあかねが手で制します。海で遊びたいのは分かっている。夏の間こっちに店を出したはいいが、また親父さんがギックリ腰になってあかねがお手伝いすることになったようです。こんな時に頼りになるのはみゆきしかおらん!と説得。そう言われたみゆきもまんざらではない様子。ちょろい。この子ちょろいわー。
隣はなおのおじさんの店で、そのお手伝いらしい。流れ的になおがれいかを誘ってお手伝いしてたらたまたま隣があかねの店で、あかねも対抗心燃やして援軍を呼んだという感じでしょうか。ところで、一人忘れられてね?
「でも惜しいね、これでやよいちゃんが居たら全員集合なのにな~」
ホントに(ひとり)ぼっちだったのかよ。なぜ呼ばなかった。どう考えてもみゆきを呼ぶ時点で4人集合するんだからついでに呼んでやれよ。
店の前に一人の少女が立ちます。どこか哀愁漂う雰囲気。そう、例えるなら折角の夏休みなのに友達に呼ばれもせず一人で海に来てしまったかのような、そんな切なさと虚しさを漂わせた雰囲気。
「冷たいかき氷と、あっつあつのお好み焼き。どっちにしようかな」
ここから本当のぼっちが始まる。
②4人と1人
これで全員集合だね~と暢気に喜ぶみゆき。海に遊びに来ていたんですか?と訪ねるれいか。きっとれいかさんのことだからあかねがみゆきを呼んだのを知りつつもやよいを呼ばなかったに違いない。美術の宿題で来たと話すやよい。キャンディは遊び相手ができたとばかりにやよいに飛びつきます。
かき氷屋にお客が来ます。なおはあかねを横目にかき氷の注文を受けます。先手を取ったといった感じでしょうか。れいかも嬉しそうについて行きます。あかねもそろそろかき入れ時だと力を入れます。あかねに気圧されながらもみゆきも呼び込みを始めます。一人残される黄色。呆然と様子を見ています。え、何これ。このプリキュア怖い。はーい、二人組を作って、と言われて残ったみたいなノリ。せめて声かけてあげても良かったんじゃないかな。
どちらの店にも行列ができます。みゆきとれいか。どっちに並ぶか迷う。10分おきに交互に並ぶのが得策か。
「キャンディ海で遊びたいクル」
「いいよ、一緒に浜辺に行こ」
ぼっちさんの健気ぶりが心に染み入ります。
あかねとなおの様子を訝るみゆき。お、みゆきの格好だと脇が見える。これはポイントが高い。どちらも根っからのスポーツ少女、ライバルがいれば競い、勝ちたいという思いが強いと話すれいか。単に負けず嫌いなだけのような気もしますが。
人気の少ない場所でキャンディのコスチューム変化。ドレスデコルを使って水着姿になります。主人公達は普通の格好なのに妖精や敵幹部は水着姿を披露するとか流石プリキュアさん、マジ作為的っすね。
大忙しだった海の家もお客がひけます。疲れ果てながらもお互いに意地を張るあかねとなお。休憩タイム。みゆきはやっとみんなで遊べると喜びます。ビーチボールも持参しています。ボールを見たあかねとなおの目つきが変わります。キ○ガイに刃物みたいな形相。
人知れず浜辺でやよいとキャンディはキャッチボール。
「勝負だ!」
2対2であかね組となお組でビーチバレー勝負が始まります。あれー、なんか一人忘れられてませんかねー? お遊びタイムなんだし5人でもいいんじゃないですかねー? 審判役とかあるよね。
安心の顔面ブロックを披露するみゆき。その犠牲を無駄にせず、あかねはアタックを決めます。流石バレー部。次はサッカー対決。
浜辺でキャンディとやよいは追いかけっこ。なんだろ、もうこの子には触れない方が良いんじゃないかなって思えてきました。が、こんな美味しいネタ逃すわけにはいかない。やよいの格好や雰囲気から言ってこれはこれで清楚な良いとこのお嬢さんという感じもしますから、一人でも格好は付きます。お嬢さん、僕とふたりで素敵な思い出作らない?
サッカー対決はなおに軍配が上がります。っていうか、なおのシュートを止めろって方が無理だろ。さっきからみゆき大変だな。
おやつタイム。あかねのお母さんがスイカを振る舞います。勿論4人分。
やよいはお弁当持参でキャンディと一緒にお昼。なにこの徹底ぶり。ついに東映アニメ内で反黄色派が決起したの? それともこれはこれで美味しいっていう自作自演?
スイカをどれだけ綺麗に食べられるか対決を始めるふたり。もうなんだ、こいつら隔離しとこうぜ。
やよいは風景をスケッチし始めます。
ひたすら砂で山を盛るあかねに対して、綺麗なお城を作り上げるなお。たぶんれいかさんの技術提供の賜でしょう。
「折角みんな揃ったのになぁ」
それは黄色を含めて言ってるんですかね?
空からアカオーニさんがダイブ。小麦色の肌になって素敵な思い出作っちゃうオニ。なんだろ、この人が一番エンジョイしてる気がする。
アイキャッチはプリンセスフォームバージョンに。
③やっぱり黄色はいらない子
指でフレームを作って風景を切り取るやよい。視線の先に何かを見つけるとギョッとします。
アサリ取り対決。次は水泳で勝負や! マジで!? これは思わぬ展開。てっきり今回は黄色のぼっちを楽しむ回かと思っていましたが、ついに水着解禁か!(ただし黄色は除く)
「ゴールはそこに見えるあの…」
アカオーニさんはグラサン姿でサーフィン。うわー、こういうおっさんいそう。違和感ないわー。しかもサーフィン上手ぇ。すげードヤ顔だよ。すげー楽しそうだよ。普段バッドエンド云々言ってる人の顔じゃないよ。そりゃみゆき達も口をあけて呆然とするわ。
思い出したかのように仕事を始めます。バッドエナジー放出。カウント2。そういうわけで、いつも通り水着は無しです。
アカオーニのもとに駆け寄るみゆき達。ちゃっかりやよいも加わっています。なんという数合わせ。黄色さん、そろそろジャンケンの時間ですよ的な集合。黄色に出番を与えるためにわざわざやって来てくれるアカオーニさんは紳士です。
かき氷アカンベェに向かって全力疾走しはじめるサニーとマーチ。「まだやってたの?」ハッピーさんの苦労がだんだん分かってきました。
ということで脳筋コンビが突出して先制攻撃。いろんな意味で頭の悪さを披露して返り討ち。遅れてハッピー達がやってきます。すでに息を切らせてるってどうなの? その手のゲームをやったことがある人なら分かると思いますが、基本的に軍団を運用する場合足の遅い者に合わせることになるのでいくら足の速い者が居ても連携がとれず孤立してしまいます。それにしても変身しても黄色の出番が無い。変身しなくても良かったんじゃないかな。
アカンベェは無差別に攻撃をしかけます。サニーとマーチはもはや足の引っ張り合い。そこをフォローする3人。しかしアカンベェの中に閉じ込められてしまいます。うちが!私が!とここでも我を通そうとするふたり。当然返り討ち。幹部の命令を聞かず暴走し始めるアカンベェ。これじゃ小麦色の肌になれないと困るアカオーニ。そこかよ。
吹雪に対抗して炎と風をそれぞれ使いますが抗しきれません。ようやく自分一人の力ではどうすることもできないと気づくふたり。互いに手を伸ばして繋ぎ合わせます。するとふたりの力が合わさって周囲の氷を溶かしていきます。炎と風の力の相乗効果。
ふたりは手を繋いだままで突進。必殺技が合わさってアカンベェの頭を溶かして仲間を救出します。
プリンセスフォーム。たぶん他にも手を加えていると思いますが、5人が着地するシーンの絵がちょっと修正されています。具体的に言うと目元がくっきりするよう直されています。デコル2個ゲット。
アカオーニはこんがり小麦色になったと満足して帰って行きます。なんだろ、この試合に勝って勝負に負けた感は。
コンビを組めばさらに効果的だと気づいたふたりは、お好み焼きとかき氷のセットを思いつきます。
みんなでお食事。今度はちゃんとやよいも居ます。
また意地を張り始めるふたりを見ながら、みゆきは「ああいう仲良しもあるんだね」と内心で感心します。なんか良い感じに纏めていますが、忘れてはいけません。つい先ほどまでぼっちが居たことを。実は今回体調を崩して「ハッピースマイル!」ってところからテレビをつけたんで、綺麗に纏めたのかななんて思ってたんですが、最初から見たらそんなことなかった。
夏休みはこれから。キラキラウルトラハッピーな夏休みが始まります
EDは新バージョン。前のキャラクターが出だしで違う演出が面白かったんですが、このバージョンはどうなるんだろ。ハッピーの出番が多いような気がするんだけど、キャラ差し変わったりするのかしら。
④次回予告
来た! 浴衣着た! キャンディの隣にあるフィギュア。特オタの出番です。
○トピック
ふたりが力を合わせる裏で、黄色がぼっちになる回。友情とは何かを考えさせられます。黄色がどうやっても美味しいポジションにしかならない。黄色へのツッコミだけで30分持つってどういうことだ。
ツッコミだけで感想終わらせても良いんですが、っていうかお腹いっぱいなんですが、一応それっぽいことを書くとすれば、スマイルの関係構築は前回の感想でも書いたように個人に動機を持たせることを優先しています。これはスタンドプレーに繋がりかねない懸念があったのでそれを防止するために今回協力プレーを行っていると言えるでしょうか。一人でも戦えることは大事だけど、仲間と協力すればより力を発揮する。通常は協力することを優先して話しが作られるんですが、スマイルは順序が逆になっているのでこのタイミングということなのでしょう。これまでのエピソードで各人の属性攻撃を含めた活躍は多く出ているのでチーム連携の段階に入ったと見ていいかな。
例年だと新キャラや新マスコットが登場する時期なので、夏休み期間は新キャラが馴染んでいくエピソードが多いんだけど、スマイルはこのメンツのままで行きそうな雰囲気。新商品も出たばかりだからしばらく間を置くはず。となると今回のように(一部ぼっちを除き)メンバー内の関係性を深めたり、多様な関係性の有り様を広げていくと推測されます。商品展開でストーリー展開を予想できるって楽だなぁ。
次回は、れいかさんがまた頑張らなくていいところで頑張ります。主人公(みゆき)が一番アホなんだろうけど、一番まともに見えてきました。
第24話「プリキュアが妖精になっちゃった、みゆ~!?」
○今週の出来事
①メルヘンランド観光
パワーアップして皇帝ピエーロを瞬殺。めでたし、めでたし。
メルヘンランド王宮。目の前に立つのはロイヤルクイーン。でけぇ。なんでプリキュアのクイーンはどれもデカイんだ。呼びかけても反応がありません。「もしも~し」「あの~」「やっほ~」。やよいさんそれ違うと思います。
ポップも理由がわからないようです。寝起きが悪いんだと言い出すみゆき。その話しに相づちを打つやよい。後で不敬罪でしょっぴかれそうです。「そうでござる」。いや、その流れでその発言はマズイだろ。
折角メルヘンランドに来たのだから散歩すると良いと勧めるポップ。ずいぶんと緊張感のない。まあ、ピエーロも退治したしね。
と思ったら、宇宙空間を漂うピエーロのコア。まだまだ戦いは終わっていません。
外に出ると兵士たちが隊列を組んで行進しています。みゆき達を見て固まったあげく、声をかけられると逃げ出してしまいます。こいつらに国防を任せたらそりゃ警備もザルになるわな。
人間を見るのは初めてだからビックリしたのだと軽く言ってのけるポップ。そういう問題ですかね。兵士達と比べると如何にポップが有能なのか分かるなぁ。近衛隊長ポジションでもおかしくない。
キャンディの発案でみゆき達も妖精の姿に変身。ポップさんはもうなんでも有りっすね。お互いに可愛いと喜ぶ5人。順応早ぇ。折角なので語尾に何かつけようとみゆきが提案します。やよいは「やよ」。なおは「なお」。みゆきの発案によりあかねは「やねん」。言いづらそう。れいかは「です」。みゆきは「みゆ」。
図書館でポップは調べ物。本来なら16個のデコルで女王は復活するはずが、そうならない理由を探します。本当にこれでハッピーエンドなのか。
風船の飛行船に乗って街へと降ります。
絵本の世界のような町並み。住人も赤ずきん、桃太郎などの妖精が居ます。「しかもドンブラコってやねん!」「これ言いにくいな」。聞く方も違和感あるしね。
アリババと40人の盗賊。童話オールスターズ的な世界らしい。自分も呪文を唱えたいと崖を下っていくみゆき。しかし岩に躓いて転がってしまいます。後を追いかけたやよいもミイラ取りがミイラに。あざとい。
長靴を履いた猫が助けてくれます。語尾はペロ。みゆきに対してペロペロ言うのは如何なものか。やよいは人魚達に助けられます。てっきり、湖に落ちて「あなたが落としたのは、あざとい黄色? それともすごくあざとい黄色?」ってやるのかと思ったのですが当てが外れました。
その後もカボチャの馬車、亀を助けて玉手箱、金と銀の斧など童話世界を満喫。れいかさんの頭ナデナデとかうらやましいにもほどがある。
お菓子の家をみんなで食べます。長靴を履いた猫にお菓子を取ってあげようとしたみゆきはクシャミ。するとみんなの変身が解けてしまいます。人間の姿を見て驚く妖精達。
みゆきはお菓子を猫に差し出します。恐る恐るお菓子を受け取った猫は、みゆきの笑顔を見て警戒心を解きます。キャンディがこの子達はプリキュアでクイーン様のためにがんばってくれたとフォローを入れます。ようやくみんなも打ち解け始めます。お菓子を半分こしてみゆきと猫は一緒に食べます。一気に仲良しムード。心が通じ合えば人間も妖精も関係ない、異文化交流と感想を言い合います。
ここで妖精達が怯えているというのは一つの示唆だろうと思います。これまでのプリキュアなら妖精達は人間を歓迎していました。異文化、自分と異なる相手を見たときに不安を覚える。それが意思疎通の妨げになるということは、それよりももっと険悪な印象、たとえば憎悪とか敵意も意思疎通を阻む障害に含まれます。つまりみゆき達から見てのウルフルン達。異なる文脈を持つ相手とのコミュニケーションは一手間かかる。
アラジンを発見。魔法のランプかと尋ねると普通のランプだそうです。願いを叶えられるのはミラクルジュエル。
ジョーカーがコアを回収します。当然の話しですが生きてます。前回倒されたウルフルン達もノビていますが無事です。ジョーカーがエネルギーを注いで復活。「もう朝か」「よく寝たオニ」それでいいのか、あんたら。
ジョーカーが持っているものに気づきます。ピエーロ様だと説明。ウルフルン達もプリキュアにやられたことを恨みが入ります。するとジョーカーがたしなめます。プリキュアごときの力ではピエーロ様は倒せない。これより完全体での復活を目指される。
やることは今までと変わりません。バッドエナジー回収。赤っぱなをふたつ合体させてデカっぱなを作り出します。危険なので取り扱い注意。ウルフルンが出撃。任務はもう一つ、ミラクルジュエルを探すこと。
②いつもの展開です
ミラクルジュエルとはメルヘンランドに伝わるお宝。手に入れればどんな願いでも叶う。どこにあるかは分からないけど、どこかにあるそうです。どう見てもラスボス復活のための養分です、本当にありがとうございます。こういう便利なものは敵に利用されるのがお約束。
ウルフルンが姿を現します。やっぱり警備がザルです。
ウルフルンを見て世界はハッピーエンドになったんじゃないの?と驚くみゆき。ウルフルンはバッドエナジーを回収。今回から新しい時計が回ります。カウントは18まで。大体40話で完全復活の目処が立つ感じでしょうか。そんで最終決戦の流れ。
ピエーロが完全に消滅したわけではないことを知る5人。スーパーアカンベェ召喚。変身。
アカンベェの先制。スーパーと名がつくだけあって素早く手強い相手。「スーパー」「スーパー」うるさいのが一番厄介かもしれません。ウルフルンにまで攻撃が届きます。あぶねぇ。ピーキーな仕様のようです。取り扱い注意。
当然必殺技も効きません。効いたら新商品の宣伝になりません。プリキュアを圧倒。ついでにウルフルンも殴られてぶっ飛びます。怪人の方が幹部より強いんじゃないのか。
バッドエナジーが出ている妖精達の口々からもうどうでもいいよ…な発言が漏れてきます。まあ、確かに怠惰と言える態度だわな。
プリキュアはメルヘンランドを守るために立ち上がります。すると新商品プリンセスキャンドルが再び現れます。浄化。デコルを2つゲット。このキャンドルはプリキュアの気合いか何かで召喚できるってことでいいのかな。てっきりキャンディとの合同で出すのかと思ってたんですが。
洋服のようなデコルとプリンデコル。プリンは前にもあったような。いずれにしてもデコル商法も継続です。
女王の声が聞こえてきます。デコルの力でペガサスを呼び覚ますのが精一杯でまだ目覚める力はないそうです。ピエーロ同様こちらの復活も持ち越し。デコル収集も再スタート。
ロイヤルクイーンの復活。ピエーロ復活の阻止。道のりは長い。不安を感じるれいか達にみゆきはみんな一緒なら大丈夫だと太鼓判を押します。
メルヘンランドを出国。再び彼女達の戦いは始まります。
③次回予告
プリキュアの辞書に「水着」という文字は無い。
○トピック
新章スタート。といってもやることはこれまでと同じ。
前回までがみゆき達身内のお話し。友達と出会って友達の価値や意味を一人一人が見い出してその意思をみんなで共有実行していくという流れ。で、今回からそこにメルヘンランドが加わります。作中で言われているように妖精達と仲良くなることでハッピーの対象を広げています。通常であれば、これが最初のスタートラインになるのですが、スマイルではその前段で各人の自律化を図っています。こうすることで異文化交流の拡張性の担保が出来上がっています。
最近のプリキュア、特にハートキャッチあたりから顕著なんですが、個人の問題や悩みを主軸にしたストーリー展開が多くなっています。大げさに言えば、個人主義的になっている。スイートに至っては友達でも誤解したり、知らない相手に対しては疑心暗鬼になっている。しかし、そうした経験を通して彼女達は個人というものが容易に分かるものではないと気づいていく。友達になることが難しいからこそ相手と意思が通じたときの喜びは大きい、そして難しくても友達になることは可能なのだというのがスイートまでのお話しです。ノイズと友達になったことをみれば近年のプリキュアが友達になれる範囲を拡張しているのは明らかです。
敵とも友達になれることを示すことでプリキュアの、ひいては個人の拡張性や絆の可能性を広げているのがここでの大きなポイントです。友情(愛情)と寛容性(拡張性)は相反する部分があって、特定の個人や集合体にコミットしすぎるとそれを守りたいという保守的な考えになりがちです。自然、その関係を脅かす外敵に対しては攻撃的になる。優しさが敵愾心へと転じる可能性があるわけです。そこでプリキュアは、他者との関係性を友達ありき(仲良い友達との関係を固持する)から離れて一旦個人ベースに解体することで改めて絆や他者の関係性の有り様を再構築(再解釈)しています。2人の組曲が3人の、4人の、そしてみんなの組曲へと拡張されていったのは、単に友達が増えていくという意味だけでなく、隣に居る友達だけがすべてではない、自己と他者の関係性が有形無形に繋がっているという理解に基づいています。特定の個人や関係性にこだわってしまうとどうしても閉鎖的なものになる。そこで客観的に、かつ成熟した形として各人が抽象的な関係性、理想像、倫理、道徳を養うことで開放的で、自立した人間像を提示しているわけです。
要は、プリキュアだから仲良い、仲良いのがプリキュアなんじゃなくて、友達を作っていける子、心優しく相手に気持ちを伝えて相手の気持ちを受け取れる子がプリキュアなんだと、プリキュアとはそうした女の子のチームなんだ、というのがここ最近の流れであるしシリーズの中での転換でもあります。それが敵の救済ということに現れている。
スマイルはすぐに友達を作って楽しくプリキュアごっこをしていたわけですが、そこにメスを入れることで改めて友達との関係性、自分が何をしていくべきなのかという目的意識を持たせています。これまでのプリキュアシリーズのエッセンス、論理を簡潔な形で継承・整理させています。
勧善懲悪という形でならすでに決着は着いています。みゆき達は友達を見捨てないし、どんな困難にも屈することなく立ち向かえる。しかし、それでは本当のハッピーエンドにはならないのだ、と暗に言っているように思えてなりません。本当のハッピーエンドはもっと先にある。
①メルヘンランド観光
パワーアップして皇帝ピエーロを瞬殺。めでたし、めでたし。
メルヘンランド王宮。目の前に立つのはロイヤルクイーン。でけぇ。なんでプリキュアのクイーンはどれもデカイんだ。呼びかけても反応がありません。「もしも~し」「あの~」「やっほ~」。やよいさんそれ違うと思います。
ポップも理由がわからないようです。寝起きが悪いんだと言い出すみゆき。その話しに相づちを打つやよい。後で不敬罪でしょっぴかれそうです。「そうでござる」。いや、その流れでその発言はマズイだろ。
折角メルヘンランドに来たのだから散歩すると良いと勧めるポップ。ずいぶんと緊張感のない。まあ、ピエーロも退治したしね。
と思ったら、宇宙空間を漂うピエーロのコア。まだまだ戦いは終わっていません。
外に出ると兵士たちが隊列を組んで行進しています。みゆき達を見て固まったあげく、声をかけられると逃げ出してしまいます。こいつらに国防を任せたらそりゃ警備もザルになるわな。
人間を見るのは初めてだからビックリしたのだと軽く言ってのけるポップ。そういう問題ですかね。兵士達と比べると如何にポップが有能なのか分かるなぁ。近衛隊長ポジションでもおかしくない。
キャンディの発案でみゆき達も妖精の姿に変身。ポップさんはもうなんでも有りっすね。お互いに可愛いと喜ぶ5人。順応早ぇ。折角なので語尾に何かつけようとみゆきが提案します。やよいは「やよ」。なおは「なお」。みゆきの発案によりあかねは「やねん」。言いづらそう。れいかは「です」。みゆきは「みゆ」。
図書館でポップは調べ物。本来なら16個のデコルで女王は復活するはずが、そうならない理由を探します。本当にこれでハッピーエンドなのか。
風船の飛行船に乗って街へと降ります。
絵本の世界のような町並み。住人も赤ずきん、桃太郎などの妖精が居ます。「しかもドンブラコってやねん!」「これ言いにくいな」。聞く方も違和感あるしね。
アリババと40人の盗賊。童話オールスターズ的な世界らしい。自分も呪文を唱えたいと崖を下っていくみゆき。しかし岩に躓いて転がってしまいます。後を追いかけたやよいもミイラ取りがミイラに。あざとい。
長靴を履いた猫が助けてくれます。語尾はペロ。みゆきに対してペロペロ言うのは如何なものか。やよいは人魚達に助けられます。てっきり、湖に落ちて「あなたが落としたのは、あざとい黄色? それともすごくあざとい黄色?」ってやるのかと思ったのですが当てが外れました。
その後もカボチャの馬車、亀を助けて玉手箱、金と銀の斧など童話世界を満喫。れいかさんの頭ナデナデとかうらやましいにもほどがある。
お菓子の家をみんなで食べます。長靴を履いた猫にお菓子を取ってあげようとしたみゆきはクシャミ。するとみんなの変身が解けてしまいます。人間の姿を見て驚く妖精達。
みゆきはお菓子を猫に差し出します。恐る恐るお菓子を受け取った猫は、みゆきの笑顔を見て警戒心を解きます。キャンディがこの子達はプリキュアでクイーン様のためにがんばってくれたとフォローを入れます。ようやくみんなも打ち解け始めます。お菓子を半分こしてみゆきと猫は一緒に食べます。一気に仲良しムード。心が通じ合えば人間も妖精も関係ない、異文化交流と感想を言い合います。
ここで妖精達が怯えているというのは一つの示唆だろうと思います。これまでのプリキュアなら妖精達は人間を歓迎していました。異文化、自分と異なる相手を見たときに不安を覚える。それが意思疎通の妨げになるということは、それよりももっと険悪な印象、たとえば憎悪とか敵意も意思疎通を阻む障害に含まれます。つまりみゆき達から見てのウルフルン達。異なる文脈を持つ相手とのコミュニケーションは一手間かかる。
アラジンを発見。魔法のランプかと尋ねると普通のランプだそうです。願いを叶えられるのはミラクルジュエル。
ジョーカーがコアを回収します。当然の話しですが生きてます。前回倒されたウルフルン達もノビていますが無事です。ジョーカーがエネルギーを注いで復活。「もう朝か」「よく寝たオニ」それでいいのか、あんたら。
ジョーカーが持っているものに気づきます。ピエーロ様だと説明。ウルフルン達もプリキュアにやられたことを恨みが入ります。するとジョーカーがたしなめます。プリキュアごときの力ではピエーロ様は倒せない。これより完全体での復活を目指される。
やることは今までと変わりません。バッドエナジー回収。赤っぱなをふたつ合体させてデカっぱなを作り出します。危険なので取り扱い注意。ウルフルンが出撃。任務はもう一つ、ミラクルジュエルを探すこと。
②いつもの展開です
ミラクルジュエルとはメルヘンランドに伝わるお宝。手に入れればどんな願いでも叶う。どこにあるかは分からないけど、どこかにあるそうです。どう見てもラスボス復活のための養分です、本当にありがとうございます。こういう便利なものは敵に利用されるのがお約束。
ウルフルンが姿を現します。やっぱり警備がザルです。
ウルフルンを見て世界はハッピーエンドになったんじゃないの?と驚くみゆき。ウルフルンはバッドエナジーを回収。今回から新しい時計が回ります。カウントは18まで。大体40話で完全復活の目処が立つ感じでしょうか。そんで最終決戦の流れ。
ピエーロが完全に消滅したわけではないことを知る5人。スーパーアカンベェ召喚。変身。
アカンベェの先制。スーパーと名がつくだけあって素早く手強い相手。「スーパー」「スーパー」うるさいのが一番厄介かもしれません。ウルフルンにまで攻撃が届きます。あぶねぇ。ピーキーな仕様のようです。取り扱い注意。
当然必殺技も効きません。効いたら新商品の宣伝になりません。プリキュアを圧倒。ついでにウルフルンも殴られてぶっ飛びます。怪人の方が幹部より強いんじゃないのか。
バッドエナジーが出ている妖精達の口々からもうどうでもいいよ…な発言が漏れてきます。まあ、確かに怠惰と言える態度だわな。
プリキュアはメルヘンランドを守るために立ち上がります。すると新商品プリンセスキャンドルが再び現れます。浄化。デコルを2つゲット。このキャンドルはプリキュアの気合いか何かで召喚できるってことでいいのかな。てっきりキャンディとの合同で出すのかと思ってたんですが。
洋服のようなデコルとプリンデコル。プリンは前にもあったような。いずれにしてもデコル商法も継続です。
女王の声が聞こえてきます。デコルの力でペガサスを呼び覚ますのが精一杯でまだ目覚める力はないそうです。ピエーロ同様こちらの復活も持ち越し。デコル収集も再スタート。
ロイヤルクイーンの復活。ピエーロ復活の阻止。道のりは長い。不安を感じるれいか達にみゆきはみんな一緒なら大丈夫だと太鼓判を押します。
メルヘンランドを出国。再び彼女達の戦いは始まります。
③次回予告
プリキュアの辞書に「水着」という文字は無い。
○トピック
新章スタート。といってもやることはこれまでと同じ。
前回までがみゆき達身内のお話し。友達と出会って友達の価値や意味を一人一人が見い出してその意思をみんなで共有実行していくという流れ。で、今回からそこにメルヘンランドが加わります。作中で言われているように妖精達と仲良くなることでハッピーの対象を広げています。通常であれば、これが最初のスタートラインになるのですが、スマイルではその前段で各人の自律化を図っています。こうすることで異文化交流の拡張性の担保が出来上がっています。
最近のプリキュア、特にハートキャッチあたりから顕著なんですが、個人の問題や悩みを主軸にしたストーリー展開が多くなっています。大げさに言えば、個人主義的になっている。スイートに至っては友達でも誤解したり、知らない相手に対しては疑心暗鬼になっている。しかし、そうした経験を通して彼女達は個人というものが容易に分かるものではないと気づいていく。友達になることが難しいからこそ相手と意思が通じたときの喜びは大きい、そして難しくても友達になることは可能なのだというのがスイートまでのお話しです。ノイズと友達になったことをみれば近年のプリキュアが友達になれる範囲を拡張しているのは明らかです。
敵とも友達になれることを示すことでプリキュアの、ひいては個人の拡張性や絆の可能性を広げているのがここでの大きなポイントです。友情(愛情)と寛容性(拡張性)は相反する部分があって、特定の個人や集合体にコミットしすぎるとそれを守りたいという保守的な考えになりがちです。自然、その関係を脅かす外敵に対しては攻撃的になる。優しさが敵愾心へと転じる可能性があるわけです。そこでプリキュアは、他者との関係性を友達ありき(仲良い友達との関係を固持する)から離れて一旦個人ベースに解体することで改めて絆や他者の関係性の有り様を再構築(再解釈)しています。2人の組曲が3人の、4人の、そしてみんなの組曲へと拡張されていったのは、単に友達が増えていくという意味だけでなく、隣に居る友達だけがすべてではない、自己と他者の関係性が有形無形に繋がっているという理解に基づいています。特定の個人や関係性にこだわってしまうとどうしても閉鎖的なものになる。そこで客観的に、かつ成熟した形として各人が抽象的な関係性、理想像、倫理、道徳を養うことで開放的で、自立した人間像を提示しているわけです。
要は、プリキュアだから仲良い、仲良いのがプリキュアなんじゃなくて、友達を作っていける子、心優しく相手に気持ちを伝えて相手の気持ちを受け取れる子がプリキュアなんだと、プリキュアとはそうした女の子のチームなんだ、というのがここ最近の流れであるしシリーズの中での転換でもあります。それが敵の救済ということに現れている。
スマイルはすぐに友達を作って楽しくプリキュアごっこをしていたわけですが、そこにメスを入れることで改めて友達との関係性、自分が何をしていくべきなのかという目的意識を持たせています。これまでのプリキュアシリーズのエッセンス、論理を簡潔な形で継承・整理させています。
勧善懲悪という形でならすでに決着は着いています。みゆき達は友達を見捨てないし、どんな困難にも屈することなく立ち向かえる。しかし、それでは本当のハッピーエンドにはならないのだ、と暗に言っているように思えてなりません。本当のハッピーエンドはもっと先にある。
第23話「ピエーロ復活!プリキュア絶体絶命!」
○今週の出来事
①敵地侵攻
キャンディを助けるために敵地へと乗り込むみゆき達。待ち受けるウルフルン達もスタンバイOK。最終決戦なノリでスタート。
大型の鳥に化けたポップは5人を輸送してバッドエンド国へ進軍。ポップ便利だなぁ。この国も警備がザルです。
周囲を見回すと不気味な光景が広がっています。緊張した表情を浮かべる5人。ウルフルンの声。三幹部が現れます。
ピエーロ様復活の邪魔はさせないと言うマジョリーナに、みゆきはキャンディを返してと要求します。最初から話しがかみ合っていません。みゆき達の目的はあくまでキャンディの救出。ピエーロなんて知ったことではありません。プリキュアが大儀や世界規模の命運について関知しない態度がハッキリしています。これは女の子向けアニメ。女児に国防とか託されても困ります。もっとも、プリキュアはそのミクロな話しから人間の救済へと話しが広がっていくんですけど。
キャンディは奥の高台に磔にされています。お約束通り、キャンディを助けるためには三幹部を相手にしなくてはなりません。変身。今週は色々詰まっているので短縮です。
ハッピーよりも一歩前に出る4人とポップ。サニー達が露払いを引き受けます。ハッピーにキャンディを託します。ハッピーは承知すると、キャンディを助けるだけじゃない、みんなで一緒に帰るのだとみんなと約束します。
茶番は終わったか? ちゃんと待ってくれる幹部さんの有り難さ。優秀な幹部は空気が読める。戦闘開始。
先手を取ったと思わせて、ポップが煙玉を使用。この男、出来る! 煙幕に紛れてハッピーが単独で離脱。追撃しようとしたウルフルンをサニーが足止め。マジョリーナはマーチ。アカオーニはピース。アカオーニ「(内心で)計画通り…!」役得です。
突き進むハッピーの前に立ちはだかるジョーカー。ビューティがアシストします。地面に落ちるジョーカー。悪知恵が働くだろうと先を読んでいたビューティさんの読み勝ち。とはいえ、ジョーカーも指一本で逆立ちしながら「君、面白いなぁ」とやる気満々。
キャンディを返してもらう。そしてみんなで一緒に帰ると毅然と言い放つビューティ。バッドエンド王国日帰りツアー。認識的にはプリキュアからすればこれは非日常的な状態。プリキュアVSバッドエンド王国。非日常を日常に戻すという動機付け。プリキュアとしての使命は持ちましたが、スマイルの物語全体としてはまだ勧善懲悪的な構図は維持されています。
ジョーカーは緊張感の無い声で三幹部に呼びかけます。4人でバッドフィールドを形成。それぞれのバトルフィールドでタイマン。何この少年漫画。
「キュアサニー! おまえの燦々太陽とやらを沈めてやるぜ!」
「ほんならうちはあんたの毛刈り取ってセーターにしたる!」
「キュアピース! 泣き虫のおまえに俺が倒せるオニ?(心の声:他から邪魔されずにピースと相手出来るなんてウルトラハッピー!)」
「私、泣き虫だけど根性はあるもん!」
「キュアマーチ! へそ曲がりのあたしにかてるかだわさ」
「直球勝負だ」
安心の脳筋です。
「マジョリーナタイムだわさ」
巨乳の美女姿に変わるマジョリーナ。誰? 白雪姫の王妃が元ネタなのか、単にそういう能力なのか。
「ああ~ん、ゾクゾクするなぁ、ぬははっ」
ジョーカーさんハマり役だなぁ。
キャンディ目指して一直線に進むハッピー。主人公なのにある意味見せ場が少ないというジレンマ。
②痛くて、怖くて、辛いことの先に
ウルフルンさんかっけぇ。
さすがバック走に定評がある黄色。
緑色は足技対決。と見せかけて分身の術。マーチでは相性悪そうです。
突然作画の動きが変わってビックリなビューティ対ジョーカー戦。ビューティがジョーカーの胴体狙うときにグーではなく掌打(掌底)になっているのが細かい。プリキュアはよくそれ使います。ポップがアシストガード。出来る男です。
これ絶対作画枚数とか規定オーバーしてるでしょ。大塚さん、いくら監督でも怒られてそうです。
坂を下るハッピー。だんだん斜面が急になって終いにはほぼ垂直。止まるに止まれません。行く先は溶岩。OPよろしくジャンプ。キャンディを助けに来たのに、助けてほしいような声をあげるハッピー。緊張が続く中での清涼剤です。その声を聴いたキャンディがハッピーを呼びます。
ハッピーシャワーで落下から復帰。一気にキャンディが居る場所まで跳躍。再会を果たします。デコールも置いてあります。一石二鳥。ところが罠。黄っぱなのアカンベェに変わります。あ、やっぱり黄色。アカンベェの鼻の色ってジョーカーの髪に付いている玉の色なんですよね。アカンベェの奇襲を受けるハッピー。
他でも劣勢に追い込まれます。黄色の倒れ方、あざとい。
満足したアカオーニは次はハッピーを狙おうと背を向けます。するとピースが足にしがみついて引き留めます。アカオーニさんのボーナスタイムは継続。ボロボロになりながらも屈することなく這いつくばる4人。勝ち目はない、辛くて痛い想いをするだけ。
アカオーニがピースの頭を掴んで持ち上げると、彼女は泣いています。鼻水も出ています。散々な顔。しかしその表情には有無を言わさぬ必死さと覚悟が伺えます。これ描いた人いい仕事しました。ほんと黄色好きだな、東堂いづみ。その顔を見て笑うアカオーニ。
「痛い、怖い、でもここで逃げたらみんなと一緒に居られなくなっちゃうから…それが一番怖いから絶対逃げない!」
泣き虫でみんなが居なければ勇気を持てなかった彼女は今、一人でも勇気を振るいます。
ハッピーは絶対にキャンディを助ける。そしてみんなと一緒に帰る。それが約束。約束は守る。自分達にとって何が大切なのか知ることが出来た。
戦闘のメリハリをつける意味でも一対一の状況を複数作るのは演出的に都合が良いのでしょうが、なるほど、元々彼女たちは一人一人の決断によってここに来ています。だから彼女たちは一人一人が戦い、一人一人が苦境に立ち、一人一人がそれを乗り越えていかなければならない。個々人の決断において為され、個々人が友達を信じて、その総体としてプリキュア(5人のチーム)が出来ている。
友達のために命をかける5人。
「友達は下らなくなんかない!」
「辛いときも楽しいときもいつもそばに居てくれる!」
「みんなで笑ったり泣いたり励まし合ったり!」
「一緒にいればどんな困難も乗り越えてゆける。そんな力が沸いてくるんです!」
「みんな一緒じゃなきゃダメなの。キャンディも。友達や家族、みんな一緒じゃなきゃ。それが私達のウルトラハッピーなんだから……か・が・や・けー!」
「スマイルプリキュア!」
スマイルと言いながら踏ん張り顔だったり、泣き顔だったり、必死だったり。でもそれが笑顔へと続いている。笑顔でいられるために人は戦い続ける。
OPよろしく大岩持ち上げ。電撃。壁面を疾走。アイスソード。かっけぇ。
目を赤くしてバーサーカーのように挑みかかるウルフルン。おお。これはかっこいい。指パッチンファイアーパンチで撃退。指パッチンで炎を出すのは面白い個性付けです。野獣のように立ち上がるウルフルン。そこに必殺技をぶち込みます。
巨大化して挑みかかるアカオーニ。立ち上がりは強めに、後は流れでお願いします。ピースは電気を全身に纏って充電。そして姿を消します。神速で懐に飛びこんで肘打ち。何この回避不能技。電撃で成敗。アカオーニは内心でウルトラハッピーのはずです。
マーチシュートで一体潰します。これで終わりとタカを括っていると、マーチは自分の周囲に無数の玉を出します。メテオザッパーみたいでかっこいい。っていうかやっぱそっちなんだ。仙水みたいに一発のボールで多数を相手にするなんていう小手先技は使いません(使えません)。お前が10体になるのなら俺は10の玉を撃つ、みたいなGガンダム理論で全体攻撃。
もはや日曜朝からの女児向け変身ヒロインの枠を逸脱しつつありますが、トドメといわんばかりにビューティとジョーカーの剣劇。アイスソードにサーベルを突き刺せて動きを止めたところで蹴り。剣使っておいて蹴りを入れるのはアクアさんからの伝承でしょうか。「はっ!」「え?」ビューティさんのリアクション可愛い。背後を取ったジョーカーの攻撃をポップがアシストガード。ポップ優秀過ぎる。さすが大魔導士。そしてジョーカーの背後を取ってブリザード。
アカンベェに会心の一撃を放つハッピー。打った後のもんどり打つ反応が熱い。着地のことを考えてない打ち方。ハッピーシャワーで浄化。そして撃ち終わった後のポーズ。それでこそハッピーさんです。
③皇帝の復活
満身創痍になりながらも敵を退けます。星デコルをゲット。キャンディとも無事再会を果たします。キャンディを強く抱きしめながら良かったと安堵するハッピー。しかしゆっくりもしていられません。振動。急いで場所を移します。
高台は崩れ、溶岩が盛り上がります。心配そうに4人が見ていると空からハッピー達が降ってきます。お互いに泣きながら無事を喜ぶ兄妹。
残るはピエーロの処置。デコールに最後のデコルを入れます。……しかし何も起こらなかった。
その代わりに溶岩の中からピエーロが現れます。中の人的にはハウリングからの転生。ラスボス(?)に昇格です。頭に付いた玉の色を見るに全部で5色ありそうです。
ピエーロは口からビームを発射しようとします。バッドエナジー砲。星を破壊するほどの力だとポップが恐れます。解説ありがとうございます。逃げろと言うポップにハッピーはすぐさまキャンディを託して自分達は出来ることを全部やると言い切ります。肝っ玉が据わっています。レインボーヒーリング。が、壁になることもなく圧倒的な濁流に飲み込まれてしまいます。鳥に変化したポップはキャンディを乗せて待避。
「すべてを怠惰な世界に…」
すべてをバッドエンドにというのはわかる。けど怠惰? 確かに真剣にやるからこその喜び悲しみではあるけど、怠惰? これは面白いことになるのかもしれない。
プリキュアは絶対に負けない!と泣き叫ぶキャンディ。その声に応えるようにハッピーは絶対に諦めない!と叫びます。はい、入りました絶対に諦めない。お約束の台詞。合い言葉。
④プリンセスフォーム
新しいデコルがパクトに納まります。謎の声。女王でしょうか。いずれにしてもプリキュアの誠意を見極めた上で話しかけるあたりが嫌らしい。まあ、プリキュアが棚ぼた式のパワーアップするわけもないんですが。彼女達が強くなるときは心が強くなったとき。
新商品プリンセスキャンドル(定価5040円)を手にしたプリキュアはそれを掲げます。
「ペガサスよ、私達に力を!」
スピーディに衣装を纏っていきます。サニーは後ろ姿だけってのは結構大胆なカット割り。プリンセスフォームで一番可愛い補正を受けたのはこの子ですね。ヒーリングのときと同じようにティアラを乗せた上に天使の輪まで浮かべる豪華仕様。そりゃペガサスも角生えてるくらいですからこれくらいお茶の子さいさいか。
またみてねで5週続けてエンドカードで見せてきたようにそれぞれポーズを決めて名乗ります。プリンセスハッピー、サニー、ピース、マーチ、ビューティ。ビューティさんは、うん、なんだろうライオン丸ですかね。この人の髪型はツッコミを入れざるを得ない。
「プリキュア! プリンセスフォーム!」
カチッ。機械音。ラブギターロッドに続きトリガー仕様。女の子向け的にこのセンス大丈夫なのか。玩具だと羽が動くギミックのようです。早い話チャッカマンですよね、これ。キャンドルですし。
「届け! 希望の光!」
「羽ばたけ未来へ!」
ペガサスに跨って突進。白馬の王子様とか言いますけど、プリキュアは女の子が馬に乗って戦うヒロイン。
「プリキュア! レインボーバースト!」
必殺技は光線技。ピエーロの光線とぶつかりそれを圧倒。キャンドルの炎を吹き消します。男の子で言うところの硝煙を吹き消すような感じ。ハッピーの唇がコケティッシュ。キャンドルをクルクル回して決めポーズ。
「輝け! ハッピースマイル」
後ろで大爆発。かっ、カッコイイ! 正面立ちのハッピーはもちろん、斜めの角度のサニーとピースが様になってる。特にピースは髪型と衣装の広がり具合が絶妙のバランスで爆風を受けたときのシルエットがさらに熱い。その分ビューティさん隠れちゃうんだけどね。マーチは自分の髪で顔が隠れてます。
ピエーロはコアのようなものになってどこかに吹っ飛んでいきます。
並んで立つプリンセスプリキュア。いや~、やっぱりどう見てもビューティさんに言及しないわけにはいかない。一人だけ方向性違くね? ちなみに玩具関係で描かれているSDのデフォルメキャラだととても可愛いです。
精悍な顔を崩して朗らかに笑うハッピー。超可愛い。これだよ、これ。
改めてみんなでキャンディとの再会を喜び合います。
⑤次回予告
いろんな意味で頑張りすぎたので作画班はお休みが欲しいようです。
れいかさんがおかっぱに。有りだな。
○トピック
俺の嫁がウエディングドレス姿になる回。
1話以来の大塚さん(監督)担当。彼らしいアクションの大盤振る舞いに、お約束(OPのシーン起用等々)満載、新フォームのお披露目、中盤の総ざらいと盛りだくさん。
前回自分にとって何が大切か、プリキュアの目的を明確にしたことをうけて、実際にその覚悟を試したのが今回のエピソード。ごっこ遊びはみんなで手軽に出来て楽しい。楽しいことばかりやっていれば良いじゃない。ところが現実はそうは行かない。逃げ出したくなるような出来事に対峙することもある。でもそれは自分と向き合い、自分の真意(真価)を深掘りするチャンスでもあります。
楽しい日常や友達との関係が実は危ういバランスや、庇護の下で成り立っていることを実感すること、その現実を知ったときに自分はどうすべきなのか、これまでの日々は自分にとって何だったのかを考えるのがこの課題の真意です。彼女達は自ら決断してみんな一緒にいられる世界を求めます。そのためには時に痛くて怖くて辛い出来事に向き合う必要があります。今回のように友達のために孤軍奮闘しなければならなくなるかもしれないし、前作スイートのようにその友達とケンカをするかもしれません。しかし、友達、笑顔、自分の大切なものを守るためには時にその苦しみを引き受けなければならないのだ、と未就学児童に誠心誠意見せています。友達を守るというと如何にも利他的な動機に見えますが、友達を守ることは自分を守ることでもあります。友達という言葉に重みを感じないならそれが親や奥さん、子どもでも良いでしょう。他者を守るということが、ひいては自分を守ること、他者が自分の一部となっていることがここでの大事なことです。みゆき達にとって友達は自己と不可分なのです。彼女達は友達と一緒の日常を守るために、その日常に潜む厳しい現実と戦います。
ボロボロになって、傷ついて、泣きはらして、鼻水を垂らしても友達のために頑張る彼女達の姿は、それが現実であること、しかしそれ故に尊く美しい人の心を映します。必死な人は傍から見れば滑稽でみっともないのかもしれません。ですが必死にならなければ得られないもの、必死になって初めて分かることがあります。
私の例で言うと、スイートの最終回付近の感想を書くときあまりに考えすぎて吐きそうになりました。3分の1くらいは単にうまく文章にできねーな、っていうような技術的な苦労なんですが、それ以上に頭の中で物語を整理して、それが自分にとってどういうものなのか考えるのに時間と根気が要りました(毎年映画と最終回付近は過負荷気味になる)。それはどこまで自分の中を見つめることができるか、ということです。自分の琴線に触れたことや違和感、疑問を見逃さず追求していく作業を繰り返す。そうやって自分の感覚を言語化していく過程で自分を知り、自分を形作っていく。別にそんなことをしても実利的には得するわけではありません。しかし、どうも私はそういうことをすることが習性のようです。
要は必死に頑張る中で如何に自分の価値を自分で高められるか。それをやれるのは自分だけなのだということです。誰も好きこのんで他人の世話を焼いて他人の価値を引き上げるようなことはしません。自分に誇りを持てるからこそ、あるいは誇りたいからこそ自分の大切なものを誇り守るのだと思う。それを繰り返していくことで本当の意味での自己肯定、容易に傷つくことのない精神的独立性を保った人格が形成されていくのだと思っています。
私は他人より孤独を愛する自己中心的な人間です。だから私は自分に還元した考え方をします。感想で度々自己と他者のことを書いたり救済のことを書くのも、それが人間の本質や実態に迫るためであるしひいては自分に還元できるからです。ちなみに私のような性格の人は他人と接するのが大きなストレスになる(心理的影響や負荷がかかりやすい)傾向があるので、負担を減らすために対人関係を希薄にせざるを得ないという事情があります。これは感受性の問題で価値観の問題ではありません。しかしいくら孤独を愛するからといって、他者が必要ないわけではありません。少ない経験であるからこそ、そこからより多くの糧を見いだす必要があるわけで、このような机上の空論を行いながら抽出していくということをやっています。
そういうわけなんで、私は人間という存在を愛せても、他人を愛することは出来ないだろうと自分で思っているんですが、だからこそちょっとした疑問があります。たとえば愛する恋人や奥さんを守りたいってよく言いますよね。でもその相手って元は赤の他人ですよね。私は他人に興味をそんなに持たないけど、持てる人はこの世界をどう見ているのかなって。親友や恋人候補がそこら中にいるようには見えていないのかな、と。まあ、人間なんてそんなに寛容的でも、愛情深くもないし、自分に都合のいいように解釈したり物事を動かそうとするので大体想像つくんですけど。
凄まじくプリキュアと話しが離れまくってしまいましたけど、プリキュアを見て私が心に思い浮かぶのは、そうした自己と他者の関係性です。他者(自分の外の世界、価値観)をどれだけ許容することができるか、視野に入れられるか、そうしたときに自分はどんな景色を見ることが出来るのだろう、と。
わざわざこんなどうでもいいことを書いたのは、それがプリキュアを見る動機の一つになっていることと、その視点で見たときにこういう風にプリキュアは解釈されていく、ということを明示することが読み手に対する責任だと思うからです。私の感想は長くて面倒臭くて、プリキュアと関係ない話しをするんで。
さてそろそろプリキュアに話しを戻します。本文でも触れましたが、みゆき達が5人一丸となって戦っているわけではなくて、一人一人個人的に戦っていること、それぞれが仲間を信じて、みんなで一緒に帰ろうという意識を共有していることはとても興味深い点です。
5人もののプリキュアは過去にプリキュア5というのがあって、その作品はのぞみというリーダーがいました。彼女はメンバーの精神的支柱でもありました。だから彼女の決断がチームの意志であり、共有されるべき意思でした。のぞみがいなかったらプリキュア5は成立しないだろうと思います。
それと比べるとスマイルのメンバーは精神的に自立しているように思います。たとえば危機に陥ったときにプリキュア5は5人がいることが前提になります。5人で危機を克服する。5人ならなんだって乗り越えられるという発想と信念です。しかしスマイルは今回の戦いが示しているように、個人の意思が前提にあります。隣に仲間がいなくても彼女達は仲間を信じて一人でも立ち向かっている。誰と一緒じゃないとダメというような物理的な距離、関係性に左右されることなく、自分の求める理想に向かって自分で頑張れる。これは精神的に非常に自律的で成熟していると言えます。仮に5人のうち3人しか今回の戦いに来なくても、それでも彼女達は戦えたし、勝っただろうとも思います。仲間と共に戦うことが重要視されているのではなく、各人がみんなと居る世界を目指すことが重要視されています。
スマイルは個々人の動機と目的が一致することによって共同体(チーム)が出来ている。これは、これまでの物語の中で友達との絆、友達が居たからこそ自分は成長できたのだと各人が納得していることが大きく影響しています。友達との関係を通して一人一人が精神的に成長し、自立した後で改めて一つのチームになっているわけです。最初から最後まで5人であることが必要とされたプリキュア5とはそこが大きく異なります。これはスマイルの物語、ひいてはプリキュアシリーズの流れから考えると必然的な変化であると思われます。
それを詳しく説明する前に、一つぶっちゃけます。現状のスマイルはみゆき(主人公格。チームの真ん中)がいなくても成立します。これは物語が始まったときから意識して見ていたんですが、みゆきが物語にとって不可欠な存在だとは思えません。たとえば、ハートキャッチのつぼみは毎回のゲストキャラに対して深く関わることはありませんでしたが、彼女自身がコンプレックスを持っていることによってそれを克服していく示唆がありました。響も同じです。彼女が奏達を信頼して自己肯定していくことで物語が相互理解や人の出会いと繋がりを形作っていくことが示唆されていました。それに比べるとみゆきは非常に安定していて、欠損がありません。かといってフレッシュのラブのように不幸な友達に愛の手を差し伸べるということもしていませんし、出来るほどの資質があるとも思えません。というより、スマイルはそうした物語として作られていません。
リーダー不在で、欠損を克服していく物語でもない。ではスマイルはどういう物語なのか。みゆき達5人は平等で上下関係がありません。言い換えればリーダーがいないからこそ、彼女達はそれぞれ独立した意思と動機が必要とされるし、そうならざるを得ません。
スイートは友達を作る(作れる)物語でした。最終決戦の時に「みんな違っていていい」といったように個人の独立性、相違を認めていた。スマイルはそれを継承しているように思います。友達がいることから始まって、その友達の価値、存在意義を深掘りしています。その上でそれぞれ自分の頭で考えて重大な決断を行っている。それを前提にすればみゆきがリーダーぽくないのも逆説的に正しいと言えます。縦ではなく、横に世界が広がっているからこそ彼女達は独立していなければならないし、それぞれが主役の物語(人生)を生きていることになる。
この世界がスイート(組曲)であるとするなら、全員一致を求める世界は支配の世界となってしまい矛盾します。そうではなくみんなの合意によって成り立つ世界、みんなの最大公約数の解を求める世界、それぞれの物語(人生)が無限に並んだ世界をスマイルは目指していくのではないかと最近思い始めました。みんなが一緒に居ることと、みんなが完全一致していることはイコールではないし、イコールになる必要もない。みゆき達はそれぞれ自分の意思で行動しながらもチームとして機能しています。そのように、一人一人の独立性、個性、特色を残しながら一つの集合体を作っていけることが小さいながらも提示されています。
スマイルも敵と和解する物語だと思うので、狼さんや鬼さん魔女さんと共に生きられる世界こそがウルトラハッピーなんだと言うと思うんだよね。少数の犠牲の上に成り立つハッピーな世界って、結局キャンディを切り捨てて家族と友達の元に帰って安住することと同じじゃないかって。それが現実的であるにしても。その現実に安住するのが普通の人なら、その困難に立ち向かっていく人がヒーローと言えるんじゃないか。彼女達の涙と鼻水混じりの不細工な顔が美しく気高く見えるのはそのためなんだと思います。
みゆき達は危険を承知の上で戦うことによって大きなハッピーを実現する覚悟と意思を持ちました。その結果、現実を変えて笑顔を生み出すことができた。これは彼女達が本当のヒーローとなった最初の一歩です。これ以降彼女達は何と戦っていくのか。それは悪党を必要とすることなのか。プリキュアとなった彼女達が今後何を成していくのか。早く最終回が来い。
①敵地侵攻
キャンディを助けるために敵地へと乗り込むみゆき達。待ち受けるウルフルン達もスタンバイOK。最終決戦なノリでスタート。
大型の鳥に化けたポップは5人を輸送してバッドエンド国へ進軍。ポップ便利だなぁ。この国も警備がザルです。
周囲を見回すと不気味な光景が広がっています。緊張した表情を浮かべる5人。ウルフルンの声。三幹部が現れます。
ピエーロ様復活の邪魔はさせないと言うマジョリーナに、みゆきはキャンディを返してと要求します。最初から話しがかみ合っていません。みゆき達の目的はあくまでキャンディの救出。ピエーロなんて知ったことではありません。プリキュアが大儀や世界規模の命運について関知しない態度がハッキリしています。これは女の子向けアニメ。女児に国防とか託されても困ります。もっとも、プリキュアはそのミクロな話しから人間の救済へと話しが広がっていくんですけど。
キャンディは奥の高台に磔にされています。お約束通り、キャンディを助けるためには三幹部を相手にしなくてはなりません。変身。今週は色々詰まっているので短縮です。
ハッピーよりも一歩前に出る4人とポップ。サニー達が露払いを引き受けます。ハッピーにキャンディを託します。ハッピーは承知すると、キャンディを助けるだけじゃない、みんなで一緒に帰るのだとみんなと約束します。
茶番は終わったか? ちゃんと待ってくれる幹部さんの有り難さ。優秀な幹部は空気が読める。戦闘開始。
先手を取ったと思わせて、ポップが煙玉を使用。この男、出来る! 煙幕に紛れてハッピーが単独で離脱。追撃しようとしたウルフルンをサニーが足止め。マジョリーナはマーチ。アカオーニはピース。アカオーニ「(内心で)計画通り…!」役得です。
突き進むハッピーの前に立ちはだかるジョーカー。ビューティがアシストします。地面に落ちるジョーカー。悪知恵が働くだろうと先を読んでいたビューティさんの読み勝ち。とはいえ、ジョーカーも指一本で逆立ちしながら「君、面白いなぁ」とやる気満々。
キャンディを返してもらう。そしてみんなで一緒に帰ると毅然と言い放つビューティ。バッドエンド王国日帰りツアー。認識的にはプリキュアからすればこれは非日常的な状態。プリキュアVSバッドエンド王国。非日常を日常に戻すという動機付け。プリキュアとしての使命は持ちましたが、スマイルの物語全体としてはまだ勧善懲悪的な構図は維持されています。
ジョーカーは緊張感の無い声で三幹部に呼びかけます。4人でバッドフィールドを形成。それぞれのバトルフィールドでタイマン。何この少年漫画。
「キュアサニー! おまえの燦々太陽とやらを沈めてやるぜ!」
「ほんならうちはあんたの毛刈り取ってセーターにしたる!」
「キュアピース! 泣き虫のおまえに俺が倒せるオニ?(心の声:他から邪魔されずにピースと相手出来るなんてウルトラハッピー!)」
「私、泣き虫だけど根性はあるもん!」
「キュアマーチ! へそ曲がりのあたしにかてるかだわさ」
「直球勝負だ」
安心の脳筋です。
「マジョリーナタイムだわさ」
巨乳の美女姿に変わるマジョリーナ。誰? 白雪姫の王妃が元ネタなのか、単にそういう能力なのか。
「ああ~ん、ゾクゾクするなぁ、ぬははっ」
ジョーカーさんハマり役だなぁ。
キャンディ目指して一直線に進むハッピー。主人公なのにある意味見せ場が少ないというジレンマ。
②痛くて、怖くて、辛いことの先に
ウルフルンさんかっけぇ。
さすがバック走に定評がある黄色。
緑色は足技対決。と見せかけて分身の術。マーチでは相性悪そうです。
突然作画の動きが変わってビックリなビューティ対ジョーカー戦。ビューティがジョーカーの胴体狙うときにグーではなく掌打(掌底)になっているのが細かい。プリキュアはよくそれ使います。ポップがアシストガード。出来る男です。
これ絶対作画枚数とか規定オーバーしてるでしょ。大塚さん、いくら監督でも怒られてそうです。
坂を下るハッピー。だんだん斜面が急になって終いにはほぼ垂直。止まるに止まれません。行く先は溶岩。OPよろしくジャンプ。キャンディを助けに来たのに、助けてほしいような声をあげるハッピー。緊張が続く中での清涼剤です。その声を聴いたキャンディがハッピーを呼びます。
ハッピーシャワーで落下から復帰。一気にキャンディが居る場所まで跳躍。再会を果たします。デコールも置いてあります。一石二鳥。ところが罠。黄っぱなのアカンベェに変わります。あ、やっぱり黄色。アカンベェの鼻の色ってジョーカーの髪に付いている玉の色なんですよね。アカンベェの奇襲を受けるハッピー。
他でも劣勢に追い込まれます。黄色の倒れ方、あざとい。
満足したアカオーニは次はハッピーを狙おうと背を向けます。するとピースが足にしがみついて引き留めます。アカオーニさんのボーナスタイムは継続。ボロボロになりながらも屈することなく這いつくばる4人。勝ち目はない、辛くて痛い想いをするだけ。
アカオーニがピースの頭を掴んで持ち上げると、彼女は泣いています。鼻水も出ています。散々な顔。しかしその表情には有無を言わさぬ必死さと覚悟が伺えます。これ描いた人いい仕事しました。ほんと黄色好きだな、東堂いづみ。その顔を見て笑うアカオーニ。
「痛い、怖い、でもここで逃げたらみんなと一緒に居られなくなっちゃうから…それが一番怖いから絶対逃げない!」
泣き虫でみんなが居なければ勇気を持てなかった彼女は今、一人でも勇気を振るいます。
ハッピーは絶対にキャンディを助ける。そしてみんなと一緒に帰る。それが約束。約束は守る。自分達にとって何が大切なのか知ることが出来た。
戦闘のメリハリをつける意味でも一対一の状況を複数作るのは演出的に都合が良いのでしょうが、なるほど、元々彼女たちは一人一人の決断によってここに来ています。だから彼女たちは一人一人が戦い、一人一人が苦境に立ち、一人一人がそれを乗り越えていかなければならない。個々人の決断において為され、個々人が友達を信じて、その総体としてプリキュア(5人のチーム)が出来ている。
友達のために命をかける5人。
「友達は下らなくなんかない!」
「辛いときも楽しいときもいつもそばに居てくれる!」
「みんなで笑ったり泣いたり励まし合ったり!」
「一緒にいればどんな困難も乗り越えてゆける。そんな力が沸いてくるんです!」
「みんな一緒じゃなきゃダメなの。キャンディも。友達や家族、みんな一緒じゃなきゃ。それが私達のウルトラハッピーなんだから……か・が・や・けー!」
「スマイルプリキュア!」
スマイルと言いながら踏ん張り顔だったり、泣き顔だったり、必死だったり。でもそれが笑顔へと続いている。笑顔でいられるために人は戦い続ける。
OPよろしく大岩持ち上げ。電撃。壁面を疾走。アイスソード。かっけぇ。
目を赤くしてバーサーカーのように挑みかかるウルフルン。おお。これはかっこいい。指パッチンファイアーパンチで撃退。指パッチンで炎を出すのは面白い個性付けです。野獣のように立ち上がるウルフルン。そこに必殺技をぶち込みます。
巨大化して挑みかかるアカオーニ。立ち上がりは強めに、後は流れでお願いします。ピースは電気を全身に纏って充電。そして姿を消します。神速で懐に飛びこんで肘打ち。何この回避不能技。電撃で成敗。アカオーニは内心でウルトラハッピーのはずです。
マーチシュートで一体潰します。これで終わりとタカを括っていると、マーチは自分の周囲に無数の玉を出します。メテオザッパーみたいでかっこいい。っていうかやっぱそっちなんだ。仙水みたいに一発のボールで多数を相手にするなんていう小手先技は使いません(使えません)。お前が10体になるのなら俺は10の玉を撃つ、みたいなGガンダム理論で全体攻撃。
もはや日曜朝からの女児向け変身ヒロインの枠を逸脱しつつありますが、トドメといわんばかりにビューティとジョーカーの剣劇。アイスソードにサーベルを突き刺せて動きを止めたところで蹴り。剣使っておいて蹴りを入れるのはアクアさんからの伝承でしょうか。「はっ!」「え?」ビューティさんのリアクション可愛い。背後を取ったジョーカーの攻撃をポップがアシストガード。ポップ優秀過ぎる。さすが大魔導士。そしてジョーカーの背後を取ってブリザード。
アカンベェに会心の一撃を放つハッピー。打った後のもんどり打つ反応が熱い。着地のことを考えてない打ち方。ハッピーシャワーで浄化。そして撃ち終わった後のポーズ。それでこそハッピーさんです。
③皇帝の復活
満身創痍になりながらも敵を退けます。星デコルをゲット。キャンディとも無事再会を果たします。キャンディを強く抱きしめながら良かったと安堵するハッピー。しかしゆっくりもしていられません。振動。急いで場所を移します。
高台は崩れ、溶岩が盛り上がります。心配そうに4人が見ていると空からハッピー達が降ってきます。お互いに泣きながら無事を喜ぶ兄妹。
残るはピエーロの処置。デコールに最後のデコルを入れます。……しかし何も起こらなかった。
その代わりに溶岩の中からピエーロが現れます。中の人的にはハウリングからの転生。ラスボス(?)に昇格です。頭に付いた玉の色を見るに全部で5色ありそうです。
ピエーロは口からビームを発射しようとします。バッドエナジー砲。星を破壊するほどの力だとポップが恐れます。解説ありがとうございます。逃げろと言うポップにハッピーはすぐさまキャンディを託して自分達は出来ることを全部やると言い切ります。肝っ玉が据わっています。レインボーヒーリング。が、壁になることもなく圧倒的な濁流に飲み込まれてしまいます。鳥に変化したポップはキャンディを乗せて待避。
「すべてを怠惰な世界に…」
すべてをバッドエンドにというのはわかる。けど怠惰? 確かに真剣にやるからこその喜び悲しみではあるけど、怠惰? これは面白いことになるのかもしれない。
プリキュアは絶対に負けない!と泣き叫ぶキャンディ。その声に応えるようにハッピーは絶対に諦めない!と叫びます。はい、入りました絶対に諦めない。お約束の台詞。合い言葉。
④プリンセスフォーム
新しいデコルがパクトに納まります。謎の声。女王でしょうか。いずれにしてもプリキュアの誠意を見極めた上で話しかけるあたりが嫌らしい。まあ、プリキュアが棚ぼた式のパワーアップするわけもないんですが。彼女達が強くなるときは心が強くなったとき。
新商品プリンセスキャンドル(定価5040円)を手にしたプリキュアはそれを掲げます。
「ペガサスよ、私達に力を!」
スピーディに衣装を纏っていきます。サニーは後ろ姿だけってのは結構大胆なカット割り。プリンセスフォームで一番可愛い補正を受けたのはこの子ですね。ヒーリングのときと同じようにティアラを乗せた上に天使の輪まで浮かべる豪華仕様。そりゃペガサスも角生えてるくらいですからこれくらいお茶の子さいさいか。
またみてねで5週続けてエンドカードで見せてきたようにそれぞれポーズを決めて名乗ります。プリンセスハッピー、サニー、ピース、マーチ、ビューティ。ビューティさんは、うん、なんだろうライオン丸ですかね。この人の髪型はツッコミを入れざるを得ない。
「プリキュア! プリンセスフォーム!」
カチッ。機械音。ラブギターロッドに続きトリガー仕様。女の子向け的にこのセンス大丈夫なのか。玩具だと羽が動くギミックのようです。早い話チャッカマンですよね、これ。キャンドルですし。
「届け! 希望の光!」
「羽ばたけ未来へ!」
ペガサスに跨って突進。白馬の王子様とか言いますけど、プリキュアは女の子が馬に乗って戦うヒロイン。
「プリキュア! レインボーバースト!」
必殺技は光線技。ピエーロの光線とぶつかりそれを圧倒。キャンドルの炎を吹き消します。男の子で言うところの硝煙を吹き消すような感じ。ハッピーの唇がコケティッシュ。キャンドルをクルクル回して決めポーズ。
「輝け! ハッピースマイル」
後ろで大爆発。かっ、カッコイイ! 正面立ちのハッピーはもちろん、斜めの角度のサニーとピースが様になってる。特にピースは髪型と衣装の広がり具合が絶妙のバランスで爆風を受けたときのシルエットがさらに熱い。その分ビューティさん隠れちゃうんだけどね。マーチは自分の髪で顔が隠れてます。
ピエーロはコアのようなものになってどこかに吹っ飛んでいきます。
並んで立つプリンセスプリキュア。いや~、やっぱりどう見てもビューティさんに言及しないわけにはいかない。一人だけ方向性違くね? ちなみに玩具関係で描かれているSDのデフォルメキャラだととても可愛いです。
精悍な顔を崩して朗らかに笑うハッピー。超可愛い。これだよ、これ。
改めてみんなでキャンディとの再会を喜び合います。
⑤次回予告
いろんな意味で頑張りすぎたので作画班はお休みが欲しいようです。
れいかさんがおかっぱに。有りだな。
○トピック
俺の嫁がウエディングドレス姿になる回。
1話以来の大塚さん(監督)担当。彼らしいアクションの大盤振る舞いに、お約束(OPのシーン起用等々)満載、新フォームのお披露目、中盤の総ざらいと盛りだくさん。
前回自分にとって何が大切か、プリキュアの目的を明確にしたことをうけて、実際にその覚悟を試したのが今回のエピソード。ごっこ遊びはみんなで手軽に出来て楽しい。楽しいことばかりやっていれば良いじゃない。ところが現実はそうは行かない。逃げ出したくなるような出来事に対峙することもある。でもそれは自分と向き合い、自分の真意(真価)を深掘りするチャンスでもあります。
楽しい日常や友達との関係が実は危ういバランスや、庇護の下で成り立っていることを実感すること、その現実を知ったときに自分はどうすべきなのか、これまでの日々は自分にとって何だったのかを考えるのがこの課題の真意です。彼女達は自ら決断してみんな一緒にいられる世界を求めます。そのためには時に痛くて怖くて辛い出来事に向き合う必要があります。今回のように友達のために孤軍奮闘しなければならなくなるかもしれないし、前作スイートのようにその友達とケンカをするかもしれません。しかし、友達、笑顔、自分の大切なものを守るためには時にその苦しみを引き受けなければならないのだ、と未就学児童に誠心誠意見せています。友達を守るというと如何にも利他的な動機に見えますが、友達を守ることは自分を守ることでもあります。友達という言葉に重みを感じないならそれが親や奥さん、子どもでも良いでしょう。他者を守るということが、ひいては自分を守ること、他者が自分の一部となっていることがここでの大事なことです。みゆき達にとって友達は自己と不可分なのです。彼女達は友達と一緒の日常を守るために、その日常に潜む厳しい現実と戦います。
ボロボロになって、傷ついて、泣きはらして、鼻水を垂らしても友達のために頑張る彼女達の姿は、それが現実であること、しかしそれ故に尊く美しい人の心を映します。必死な人は傍から見れば滑稽でみっともないのかもしれません。ですが必死にならなければ得られないもの、必死になって初めて分かることがあります。
私の例で言うと、スイートの最終回付近の感想を書くときあまりに考えすぎて吐きそうになりました。3分の1くらいは単にうまく文章にできねーな、っていうような技術的な苦労なんですが、それ以上に頭の中で物語を整理して、それが自分にとってどういうものなのか考えるのに時間と根気が要りました(毎年映画と最終回付近は過負荷気味になる)。それはどこまで自分の中を見つめることができるか、ということです。自分の琴線に触れたことや違和感、疑問を見逃さず追求していく作業を繰り返す。そうやって自分の感覚を言語化していく過程で自分を知り、自分を形作っていく。別にそんなことをしても実利的には得するわけではありません。しかし、どうも私はそういうことをすることが習性のようです。
要は必死に頑張る中で如何に自分の価値を自分で高められるか。それをやれるのは自分だけなのだということです。誰も好きこのんで他人の世話を焼いて他人の価値を引き上げるようなことはしません。自分に誇りを持てるからこそ、あるいは誇りたいからこそ自分の大切なものを誇り守るのだと思う。それを繰り返していくことで本当の意味での自己肯定、容易に傷つくことのない精神的独立性を保った人格が形成されていくのだと思っています。
私は他人より孤独を愛する自己中心的な人間です。だから私は自分に還元した考え方をします。感想で度々自己と他者のことを書いたり救済のことを書くのも、それが人間の本質や実態に迫るためであるしひいては自分に還元できるからです。ちなみに私のような性格の人は他人と接するのが大きなストレスになる(心理的影響や負荷がかかりやすい)傾向があるので、負担を減らすために対人関係を希薄にせざるを得ないという事情があります。これは感受性の問題で価値観の問題ではありません。しかしいくら孤独を愛するからといって、他者が必要ないわけではありません。少ない経験であるからこそ、そこからより多くの糧を見いだす必要があるわけで、このような机上の空論を行いながら抽出していくということをやっています。
そういうわけなんで、私は人間という存在を愛せても、他人を愛することは出来ないだろうと自分で思っているんですが、だからこそちょっとした疑問があります。たとえば愛する恋人や奥さんを守りたいってよく言いますよね。でもその相手って元は赤の他人ですよね。私は他人に興味をそんなに持たないけど、持てる人はこの世界をどう見ているのかなって。親友や恋人候補がそこら中にいるようには見えていないのかな、と。まあ、人間なんてそんなに寛容的でも、愛情深くもないし、自分に都合のいいように解釈したり物事を動かそうとするので大体想像つくんですけど。
凄まじくプリキュアと話しが離れまくってしまいましたけど、プリキュアを見て私が心に思い浮かぶのは、そうした自己と他者の関係性です。他者(自分の外の世界、価値観)をどれだけ許容することができるか、視野に入れられるか、そうしたときに自分はどんな景色を見ることが出来るのだろう、と。
わざわざこんなどうでもいいことを書いたのは、それがプリキュアを見る動機の一つになっていることと、その視点で見たときにこういう風にプリキュアは解釈されていく、ということを明示することが読み手に対する責任だと思うからです。私の感想は長くて面倒臭くて、プリキュアと関係ない話しをするんで。
さてそろそろプリキュアに話しを戻します。本文でも触れましたが、みゆき達が5人一丸となって戦っているわけではなくて、一人一人個人的に戦っていること、それぞれが仲間を信じて、みんなで一緒に帰ろうという意識を共有していることはとても興味深い点です。
5人もののプリキュアは過去にプリキュア5というのがあって、その作品はのぞみというリーダーがいました。彼女はメンバーの精神的支柱でもありました。だから彼女の決断がチームの意志であり、共有されるべき意思でした。のぞみがいなかったらプリキュア5は成立しないだろうと思います。
それと比べるとスマイルのメンバーは精神的に自立しているように思います。たとえば危機に陥ったときにプリキュア5は5人がいることが前提になります。5人で危機を克服する。5人ならなんだって乗り越えられるという発想と信念です。しかしスマイルは今回の戦いが示しているように、個人の意思が前提にあります。隣に仲間がいなくても彼女達は仲間を信じて一人でも立ち向かっている。誰と一緒じゃないとダメというような物理的な距離、関係性に左右されることなく、自分の求める理想に向かって自分で頑張れる。これは精神的に非常に自律的で成熟していると言えます。仮に5人のうち3人しか今回の戦いに来なくても、それでも彼女達は戦えたし、勝っただろうとも思います。仲間と共に戦うことが重要視されているのではなく、各人がみんなと居る世界を目指すことが重要視されています。
スマイルは個々人の動機と目的が一致することによって共同体(チーム)が出来ている。これは、これまでの物語の中で友達との絆、友達が居たからこそ自分は成長できたのだと各人が納得していることが大きく影響しています。友達との関係を通して一人一人が精神的に成長し、自立した後で改めて一つのチームになっているわけです。最初から最後まで5人であることが必要とされたプリキュア5とはそこが大きく異なります。これはスマイルの物語、ひいてはプリキュアシリーズの流れから考えると必然的な変化であると思われます。
それを詳しく説明する前に、一つぶっちゃけます。現状のスマイルはみゆき(主人公格。チームの真ん中)がいなくても成立します。これは物語が始まったときから意識して見ていたんですが、みゆきが物語にとって不可欠な存在だとは思えません。たとえば、ハートキャッチのつぼみは毎回のゲストキャラに対して深く関わることはありませんでしたが、彼女自身がコンプレックスを持っていることによってそれを克服していく示唆がありました。響も同じです。彼女が奏達を信頼して自己肯定していくことで物語が相互理解や人の出会いと繋がりを形作っていくことが示唆されていました。それに比べるとみゆきは非常に安定していて、欠損がありません。かといってフレッシュのラブのように不幸な友達に愛の手を差し伸べるということもしていませんし、出来るほどの資質があるとも思えません。というより、スマイルはそうした物語として作られていません。
リーダー不在で、欠損を克服していく物語でもない。ではスマイルはどういう物語なのか。みゆき達5人は平等で上下関係がありません。言い換えればリーダーがいないからこそ、彼女達はそれぞれ独立した意思と動機が必要とされるし、そうならざるを得ません。
スイートは友達を作る(作れる)物語でした。最終決戦の時に「みんな違っていていい」といったように個人の独立性、相違を認めていた。スマイルはそれを継承しているように思います。友達がいることから始まって、その友達の価値、存在意義を深掘りしています。その上でそれぞれ自分の頭で考えて重大な決断を行っている。それを前提にすればみゆきがリーダーぽくないのも逆説的に正しいと言えます。縦ではなく、横に世界が広がっているからこそ彼女達は独立していなければならないし、それぞれが主役の物語(人生)を生きていることになる。
この世界がスイート(組曲)であるとするなら、全員一致を求める世界は支配の世界となってしまい矛盾します。そうではなくみんなの合意によって成り立つ世界、みんなの最大公約数の解を求める世界、それぞれの物語(人生)が無限に並んだ世界をスマイルは目指していくのではないかと最近思い始めました。みんなが一緒に居ることと、みんなが完全一致していることはイコールではないし、イコールになる必要もない。みゆき達はそれぞれ自分の意思で行動しながらもチームとして機能しています。そのように、一人一人の独立性、個性、特色を残しながら一つの集合体を作っていけることが小さいながらも提示されています。
スマイルも敵と和解する物語だと思うので、狼さんや鬼さん魔女さんと共に生きられる世界こそがウルトラハッピーなんだと言うと思うんだよね。少数の犠牲の上に成り立つハッピーな世界って、結局キャンディを切り捨てて家族と友達の元に帰って安住することと同じじゃないかって。それが現実的であるにしても。その現実に安住するのが普通の人なら、その困難に立ち向かっていく人がヒーローと言えるんじゃないか。彼女達の涙と鼻水混じりの不細工な顔が美しく気高く見えるのはそのためなんだと思います。
みゆき達は危険を承知の上で戦うことによって大きなハッピーを実現する覚悟と意思を持ちました。その結果、現実を変えて笑顔を生み出すことができた。これは彼女達が本当のヒーローとなった最初の一歩です。これ以降彼女達は何と戦っていくのか。それは悪党を必要とすることなのか。プリキュアとなった彼女達が今後何を成していくのか。早く最終回が来い。
第22話「いちばん大切なものって、なぁに?」
○今週の出来事
①対決! ジョーカー
キャンディとデコルが奪われ重い雰囲気に包まれる一同。みゆきは星デコルを見せます。まだ希望はある。れいかは短冊の中からキャンディの願い事を見つけます。みゆき達とずっと一緒に遊ぶ。そのほかにもキャンディは個人宛に短冊を残していました。
キャンディを案じたみゆき達は落ち込んでいる場合ではないと気持ちを新たにします。キャンディが捕らわれているのはバッドエンド王国。ポップは本を取り出します。王国へ行くにはメルヘンランドを経由しなければなりません。ポップが水先案内人を務めます。
映画予告。見え……ない! れいかさん似合いすぎです。
ジョーカーはキャンディを尋問。ずばり単刀直入にミラクルジュエルの事を訪ねます。ジョーカーさん顔寄りすぎてキモイです。しかしキャンディは知りません。プリキュアの助けを期待するキャンディ。ジョーカーはデコルはすべて集まったと勝ち誇るも、よく見るとデコルが一つ足りません。それなら最後のバッドエナジーはプリキュアから貰うと企みます。みゆき以外は一度吸われているんですが、再利用可能らしい。虫からも吸えるし、人数の多寡も関係ないし仕事が楽です。地味なところなんですが、プリキュアも対象になっているというのが一つのポイントで、プリキュアは絶対的なポジションではありません。彼女達も落ち込むし絶望する。一般人と差はありません。
ということでメルヘンランドに到着。相変わらずみゆきはドジっ子です。どうでもいいことですが、この子は普段からスカートの中とか見えたりしてるんじゃないかと思えてなりません。まあ、その見えるポジションに黄色が居るはずですが。黄色はそういう子!
天空の城よろしく空中に浮いた小島に家や王宮が建っています。風船も浮かんでいてその名の通りメルヘン。その住人もそうなのかと見回しても人っ子一人見あたりません。女王が眠ってしまったことでみんなも落ち込んで出歩かなくなったと説明するポップ。大抵のシリーズでは歓迎されたりするんですが、本作ではバッドな空気が充満しています。
早速ジョーカー参上。この国、警備ザルだな。
キャンディを返せと要求するポップに、最後のデコルを返して貰おうと要求するジョーカー。互いに相手の手札を求めて戦闘開始。
これまでのお気楽幹部と違ってジョーカーから漂う怪しい気配。ジョーカーはカードを使ってプリキュアの攻撃を無効化。トリッキーな動きでプリキュアを翻弄。手も足も出ません。
困ったときの必殺技。ハッピーシャワー。ところがこれもカードに吸い込まれてカウンター。予想外の流れに対応が遅れるハッピーをポップが庇います。単体火力でダメなら5人で集中砲火。ハッピー2度目の必殺技です。一回の戦闘で一発だろ、というツッコミはしてはいけません。いずれこうなるだろうなと思ってました。こういうのはそのときのノリです。精神力が上がったのだろうと勝手に納得しておきます。それにプリキュアはレベルが上がると物理で殴った方が必殺技より強かったりします。
5人の集中砲火も無効。その光景に今までになく驚くハッピー。実際問題こうなるとどうしようもない。カウンター直撃。
デコルを回収するジョーカー。バッドエナジーも忘れず回収します。しかしプリキュアからはエナジーが出てきません。そこでジョーカーは煽ります。だから顔近いって。自分にすら勝てないのにピエーロ様に敵うわけがない。女王復活も不可能。輝く未来もスマイルもありえない。いちいちおちょ食ったリアクションがムカつくところですが、この余裕こそがお互いの戦力的な隔たりです。ジョーカーはピースの前で一輪の花を枯らせます。「残されているのはただ一つ、無限の絶望だけです」。
ジョーカーも怖いけどそれ以上にピースの方が怖いよってくらいにマジで恐怖するピース。怖くて泣いちゃうとかそんなレベルじゃねぇ。身がすくんで動けないレベル。マーチの体からバッドエナジーが放出されます。それを見て驚く本人。悔しい……でも感じちゃう。すみません、真面目に感想書いてるつもりなんですが、ネタが浮かぶとどうしてもそっちの方に。
事実を突きつけられて彼女達のメンタルは崩壊。バッドエナジーが放出されていきます。いくら強がっても心は正直です。怖い、勝てない、こんなの無理。「出ましたね~。バッドエナジー」。だから顔近いって。怖えーよ。恐怖に震えるハッピー。
「ありがとうございます。最後のバッドエナジー頂きました。それではよい絶望を」
ピエーロ復活のための糧。その最後の収穫が刈り取られます。
②猶予の時間
雨が降り出します。東屋でこれからどうしたらいいのかと口にするれいか。ポップは自分はキャンディを助けに行くと答えます。あかねとなおは話しを合わせるように相づちを打ちます。何かを見ない振りするような、誤魔化すような声色。れいかは冷静な声で待ってくださいと言葉を挟み込みます。ジョーカーに全く歯が立たなかった自分達に何ができるのか、最後のバッドエナジーの意味は。なおさら早く行くべきだと答えるあかねに、やよいはもしピエーロが復活してデコルも取り返せなかったらどうなるの?と疑問を呈します。そうなったら今度こそ私達はどうなるのか。もしかして元の世界に帰れなくなるんじゃないのか。
その言葉にあかね、れいか、なおは息を呑みます。おそらく今まで想像することもなかった疑問と不安。やよいの疑問に答えようとして言葉が止まるあかね。誰もその答えを持ってはいません。
「どうして…こんなことになっちゃったの?」
「それはきっと、私達がプリキュアだから…」
「メルヘンランドを救う使命があるから…」
「せやけど…こんなん訊いてへん」
そう、訊いていません。誰かに訊いたこともない。疑問に思ったこともない。今までプリキュアに変身してただ毎回襲ってくる悪者をやっつけていただけです。それだけをして、そこに安住していただけです。彼女達に罪はない。でも、自分達が何をやっているのかを知ろうともしませんでした。
お母さんや学校のみんなとももう二度と会えなくなるかもしれない、怖い。不安を声に出すやよい。れいかもなおもあかねも同意します。ここに至って彼女達は自分が置かれている状況を実感し始めます。
今まで口を閉じていたみゆきが言葉を発します。「じゃあ、キャンディはどうなるの?」
話しは元に戻ります。キャンディを助けなければいけない。でもそうする力はないし怖い。何もしないでこのまま帰れば見捨てることになる、と口に出すなお。そんなの誰も言ってないとあかねが返します。しかしみんなが心の中で思っていることはそういうことです。
ポップは巻き込んですまない、今なら帰れる、元々は自分達の国のこと自分達に任せてくれと東屋を出て行きます。無茶だ、冷静になれと呼び止められたポップは「無茶でも! 行くしかないのでござる。拙者一人でも誰が相手でも、だ、だってキャンディが待ってるでござる。早く行かないとキャンディが、妹が…」。泣き出します。みゆき達にとっては他人事でもポップにとっては身内の話し。みゆき達は帰ることができても、ポップは居なければいけません。
慰めることも、力になることもできない5人。ポップの嗚咽だけが辺りに響きます。
「私、どうしたらいいのか分からない。でも、これはすごくちゃんと考えなきゃいけない気がする。うまく言えないけど、自分にとって何が一番大切なのか」
「それはすべてを捨てでもキャンディを助けるということか、それとも自分達の家族や友人をとるかということですか?」
「それとも、もっと違う何か」
ポップは猶予の時間を与えます。バッドエンド王国は満月の夜にしか姿を現さない。今日がその日。夜まで待つ。それぞれの選択に委ねられます。れいかはもう一度確認するようにみんなにもう自分達の世界に戻れないかもしれないと念を押します。
「だから、みんなちゃんと自分で考えよう。自分にとって何が一番大切なのか」
彼女達は今、岐路に立たされている。それはどちらを取るかというような単純な選択ではありません。自分は何を為すべきなのかという命題と向き合っている。
③結成!スマイルプリキュア
みゆきは独り考えます。何が一番大切なのか。お母さん、お父さん、みんな、学校のみんな、プリキュア、キャンディ。キャンディは自分にとって。
キャンディとその他のすべてを天秤にかけられるのか。そして阻む相手の強さと恐ろしさ。絶望って何だろう。家族も友達も自分もみんな消えてしまうこと。それは嫌だ。
家族も友達もキャンディもみんな一緒が良い。みんなとずっと一緒に居たい。そう独白するみゆき達はその言葉がキャンディの願いであったことに気づきます。個々人へ向けられた願い。みゆきとたくさん遊びたい。
みゆきは瞳に決意を秘めて歩き出します。キャンディとの出会いから始まった物語。キャンディと出会い、プリキュアになって、みんなと仲良くなった。今までの経験すべてがウルトラハッピーだった。
「そうだ、それなら」
あかねとお好み焼きたべたい。何を取るかやない、うちが今なをしたいか。
やよいとお絵かきしたい。キャンディやみんなが居てくれたから私はすごく素直になれた。みんなが居るから私も居られる。
なおとサッカーしたい。大切なものを分けて考えるなんて無理だったんだ。
れいかとお習字したい。プリキュアとしてではなく、私自身が今守りたいもの。良かった、れいかと同じ道を行きたいなんて書かれていたらどうしようかと思いました。
丘へと向かう道すがら、お互いの姿を認めて安堵の表情を浮かべるあかね達。一足先にみゆきが待っていました。
「みんな、ごめん」
突然みゆきは謝り出します。
「私ね、結局何が一番大切なのかよく分からなかった。でも一つだけハッキリした。私、キャンディが大好き。それと同じだけ友達も家族も大好き。だからみんな一緒が良い。みんな一緒の未来がきっと私のウルトラハッピーなんだって」
「私達の、やろ」
あかねが手を前に出します。やよいが続きます。なお、れいかも続きます。
「五つの光が導く未来、輝けスマイルプリキュア」
今再び5人の心は一つとなりて、プリキュアの意志となります。
時同じく、ピエーロの封印が解かれます。
④次回予告
プリンセスフォーム解禁。
ビューティさんから発する殺気にも等しいオーラ。荒ぶっておられます。
○トピック
プリキュアごっこをしていたみゆき達がプリキュアになる回。
プリキュアという作品においてプリキュアがどういうものであるかがよく示されています。プリキュアは世界を救うために戦いません。プリキュアをするもしないも自由です。
「友達を守りたい、その優しい気持ちがあれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ」
オールスターズニューステージのこの台詞は本作においても当てはまります。
プリキュアが友達と他の友達や家族を天秤にかけないことは分かっていました。プリキュアとダンスどっちを取るか?という選択を迫られたラブ達が両方と言い切ったのは記憶に新しい。プリキュアは全部取ります。それをやってのけてこそのプリキュア。したいこと、大切な人をすべて守るのがプリキュアです。
今回のエピソードの要は「私にとって大切なことは何か?」にあります。彼女達がプリキュアをするにあたり、何を実現させようとするのか、その目的です。彼女達に足りなかったのはまさにそれであり、それを行う覚悟です。
何故彼女達が危険を冒してでもキャンディを助けようとするのか。友達だから。ではその友達は自分のすべてを賭けるだけの価値があるものなのか? また、それは自分だけにとって価値あるものなのか。これはキャンディという一個人に対してだけの問いかけに留まらない「友達」「他者」というものの価値を浮き彫りにします。
友達との出会いから始まり、友達が自分を支え自分が友達を支えてきたことはこれまでのエピソードで描かれたとおりです。友達の存在があってこそ自分は今の自分であり得て、そのすべてがかけがえのない幸せなのだというみゆき達の独白は、自己というものの実存に言及しています。自己とは他者との関係によって作られる。人間とはそういう生き物です。親も友達も他者という意味では同じです。そして自分というものの価値、構成要素を見つめたときに誰しもが必ず他者の存在、影響、関係を思い浮かべるでしょう。苦しいことも悲しいことも嬉しいことも幸せも、それは誰かとの、あるいは誰かへの不満なり感謝がそこにあると思います。他者が介在しない自己はない。
そしてまた、これは責任でもあります。自分が関わった人への責任。自分が愛する人への責任。相手から差し伸べられた手に対する責任。責任を取るというのがどういうことなのか実は私はよく分かっていません。それが降格だとか減給だとか代償を払うということのみを指す言葉ではないでしょう。もしかしたら「その人(事象)に対して、私は何かをしなければならない」という単純な動機付けなのかもしれません。それが良い方に働けば誇りになり、悪い方に働けば罪となる。
いずれにしても、何にも考えずに過ごせばどうということもなかったものです。意識して思うから責任という道義的感情が出てくる。しかし、それなくして本当の喜びや悲しみもないでしょう。人はより多くの、より質の高い感情を経験することによって豊かな心を持つと私は思っています。
友達を切り捨てるということは、自分の大切な思い出、経験、成長の糧、愛情を否定することになる。自分を肯定するなら、他者もまた肯定されうる。他者を肯定するなら自己もまた肯定される。自己と他者とはそうした相互性、相補性を持ったものです。
みんなが一緒の未来がみゆき達にとってのハッピーになるのなら、すべての人においてもハッピーになる未来でもあるのではないか。
これは敵を救済することによってより多くの、より豊かな幸せを実現し続けてきたプリキュアの潮流にも符合します。
れいかが独白したように、これらの価値・目的は彼女達個人のものです。が、上述したようにプリキュアとは友達を守りたい優しい気持ちがある女の子がなれるもの。その子達の意志こそプリキュアそのものです。シリーズ8年、6代のプリキュアがいました。そのいずれも彼女達自身の意志と行動によってプリキュアを提示してきました。みゆき達もまた自分達の経験から自分の為すべき事を見つけました。それはプリキュアの歴史を紡ぐ新たな1ページとなっていきます。
①対決! ジョーカー
キャンディとデコルが奪われ重い雰囲気に包まれる一同。みゆきは星デコルを見せます。まだ希望はある。れいかは短冊の中からキャンディの願い事を見つけます。みゆき達とずっと一緒に遊ぶ。そのほかにもキャンディは個人宛に短冊を残していました。
キャンディを案じたみゆき達は落ち込んでいる場合ではないと気持ちを新たにします。キャンディが捕らわれているのはバッドエンド王国。ポップは本を取り出します。王国へ行くにはメルヘンランドを経由しなければなりません。ポップが水先案内人を務めます。
映画予告。見え……ない! れいかさん似合いすぎです。
ジョーカーはキャンディを尋問。ずばり単刀直入にミラクルジュエルの事を訪ねます。ジョーカーさん顔寄りすぎてキモイです。しかしキャンディは知りません。プリキュアの助けを期待するキャンディ。ジョーカーはデコルはすべて集まったと勝ち誇るも、よく見るとデコルが一つ足りません。それなら最後のバッドエナジーはプリキュアから貰うと企みます。みゆき以外は一度吸われているんですが、再利用可能らしい。虫からも吸えるし、人数の多寡も関係ないし仕事が楽です。地味なところなんですが、プリキュアも対象になっているというのが一つのポイントで、プリキュアは絶対的なポジションではありません。彼女達も落ち込むし絶望する。一般人と差はありません。
ということでメルヘンランドに到着。相変わらずみゆきはドジっ子です。どうでもいいことですが、この子は普段からスカートの中とか見えたりしてるんじゃないかと思えてなりません。まあ、その見えるポジションに黄色が居るはずですが。黄色はそういう子!
天空の城よろしく空中に浮いた小島に家や王宮が建っています。風船も浮かんでいてその名の通りメルヘン。その住人もそうなのかと見回しても人っ子一人見あたりません。女王が眠ってしまったことでみんなも落ち込んで出歩かなくなったと説明するポップ。大抵のシリーズでは歓迎されたりするんですが、本作ではバッドな空気が充満しています。
早速ジョーカー参上。この国、警備ザルだな。
キャンディを返せと要求するポップに、最後のデコルを返して貰おうと要求するジョーカー。互いに相手の手札を求めて戦闘開始。
これまでのお気楽幹部と違ってジョーカーから漂う怪しい気配。ジョーカーはカードを使ってプリキュアの攻撃を無効化。トリッキーな動きでプリキュアを翻弄。手も足も出ません。
困ったときの必殺技。ハッピーシャワー。ところがこれもカードに吸い込まれてカウンター。予想外の流れに対応が遅れるハッピーをポップが庇います。単体火力でダメなら5人で集中砲火。ハッピー2度目の必殺技です。一回の戦闘で一発だろ、というツッコミはしてはいけません。いずれこうなるだろうなと思ってました。こういうのはそのときのノリです。精神力が上がったのだろうと勝手に納得しておきます。それにプリキュアはレベルが上がると物理で殴った方が必殺技より強かったりします。
5人の集中砲火も無効。その光景に今までになく驚くハッピー。実際問題こうなるとどうしようもない。カウンター直撃。
デコルを回収するジョーカー。バッドエナジーも忘れず回収します。しかしプリキュアからはエナジーが出てきません。そこでジョーカーは煽ります。だから顔近いって。自分にすら勝てないのにピエーロ様に敵うわけがない。女王復活も不可能。輝く未来もスマイルもありえない。いちいちおちょ食ったリアクションがムカつくところですが、この余裕こそがお互いの戦力的な隔たりです。ジョーカーはピースの前で一輪の花を枯らせます。「残されているのはただ一つ、無限の絶望だけです」。
ジョーカーも怖いけどそれ以上にピースの方が怖いよってくらいにマジで恐怖するピース。怖くて泣いちゃうとかそんなレベルじゃねぇ。身がすくんで動けないレベル。マーチの体からバッドエナジーが放出されます。それを見て驚く本人。悔しい……でも感じちゃう。すみません、真面目に感想書いてるつもりなんですが、ネタが浮かぶとどうしてもそっちの方に。
事実を突きつけられて彼女達のメンタルは崩壊。バッドエナジーが放出されていきます。いくら強がっても心は正直です。怖い、勝てない、こんなの無理。「出ましたね~。バッドエナジー」。だから顔近いって。怖えーよ。恐怖に震えるハッピー。
「ありがとうございます。最後のバッドエナジー頂きました。それではよい絶望を」
ピエーロ復活のための糧。その最後の収穫が刈り取られます。
②猶予の時間
雨が降り出します。東屋でこれからどうしたらいいのかと口にするれいか。ポップは自分はキャンディを助けに行くと答えます。あかねとなおは話しを合わせるように相づちを打ちます。何かを見ない振りするような、誤魔化すような声色。れいかは冷静な声で待ってくださいと言葉を挟み込みます。ジョーカーに全く歯が立たなかった自分達に何ができるのか、最後のバッドエナジーの意味は。なおさら早く行くべきだと答えるあかねに、やよいはもしピエーロが復活してデコルも取り返せなかったらどうなるの?と疑問を呈します。そうなったら今度こそ私達はどうなるのか。もしかして元の世界に帰れなくなるんじゃないのか。
その言葉にあかね、れいか、なおは息を呑みます。おそらく今まで想像することもなかった疑問と不安。やよいの疑問に答えようとして言葉が止まるあかね。誰もその答えを持ってはいません。
「どうして…こんなことになっちゃったの?」
「それはきっと、私達がプリキュアだから…」
「メルヘンランドを救う使命があるから…」
「せやけど…こんなん訊いてへん」
そう、訊いていません。誰かに訊いたこともない。疑問に思ったこともない。今までプリキュアに変身してただ毎回襲ってくる悪者をやっつけていただけです。それだけをして、そこに安住していただけです。彼女達に罪はない。でも、自分達が何をやっているのかを知ろうともしませんでした。
お母さんや学校のみんなとももう二度と会えなくなるかもしれない、怖い。不安を声に出すやよい。れいかもなおもあかねも同意します。ここに至って彼女達は自分が置かれている状況を実感し始めます。
今まで口を閉じていたみゆきが言葉を発します。「じゃあ、キャンディはどうなるの?」
話しは元に戻ります。キャンディを助けなければいけない。でもそうする力はないし怖い。何もしないでこのまま帰れば見捨てることになる、と口に出すなお。そんなの誰も言ってないとあかねが返します。しかしみんなが心の中で思っていることはそういうことです。
ポップは巻き込んですまない、今なら帰れる、元々は自分達の国のこと自分達に任せてくれと東屋を出て行きます。無茶だ、冷静になれと呼び止められたポップは「無茶でも! 行くしかないのでござる。拙者一人でも誰が相手でも、だ、だってキャンディが待ってるでござる。早く行かないとキャンディが、妹が…」。泣き出します。みゆき達にとっては他人事でもポップにとっては身内の話し。みゆき達は帰ることができても、ポップは居なければいけません。
慰めることも、力になることもできない5人。ポップの嗚咽だけが辺りに響きます。
「私、どうしたらいいのか分からない。でも、これはすごくちゃんと考えなきゃいけない気がする。うまく言えないけど、自分にとって何が一番大切なのか」
「それはすべてを捨てでもキャンディを助けるということか、それとも自分達の家族や友人をとるかということですか?」
「それとも、もっと違う何か」
ポップは猶予の時間を与えます。バッドエンド王国は満月の夜にしか姿を現さない。今日がその日。夜まで待つ。それぞれの選択に委ねられます。れいかはもう一度確認するようにみんなにもう自分達の世界に戻れないかもしれないと念を押します。
「だから、みんなちゃんと自分で考えよう。自分にとって何が一番大切なのか」
彼女達は今、岐路に立たされている。それはどちらを取るかというような単純な選択ではありません。自分は何を為すべきなのかという命題と向き合っている。
③結成!スマイルプリキュア
みゆきは独り考えます。何が一番大切なのか。お母さん、お父さん、みんな、学校のみんな、プリキュア、キャンディ。キャンディは自分にとって。
キャンディとその他のすべてを天秤にかけられるのか。そして阻む相手の強さと恐ろしさ。絶望って何だろう。家族も友達も自分もみんな消えてしまうこと。それは嫌だ。
家族も友達もキャンディもみんな一緒が良い。みんなとずっと一緒に居たい。そう独白するみゆき達はその言葉がキャンディの願いであったことに気づきます。個々人へ向けられた願い。みゆきとたくさん遊びたい。
みゆきは瞳に決意を秘めて歩き出します。キャンディとの出会いから始まった物語。キャンディと出会い、プリキュアになって、みんなと仲良くなった。今までの経験すべてがウルトラハッピーだった。
「そうだ、それなら」
あかねとお好み焼きたべたい。何を取るかやない、うちが今なをしたいか。
やよいとお絵かきしたい。キャンディやみんなが居てくれたから私はすごく素直になれた。みんなが居るから私も居られる。
なおとサッカーしたい。大切なものを分けて考えるなんて無理だったんだ。
れいかとお習字したい。プリキュアとしてではなく、私自身が今守りたいもの。良かった、れいかと同じ道を行きたいなんて書かれていたらどうしようかと思いました。
丘へと向かう道すがら、お互いの姿を認めて安堵の表情を浮かべるあかね達。一足先にみゆきが待っていました。
「みんな、ごめん」
突然みゆきは謝り出します。
「私ね、結局何が一番大切なのかよく分からなかった。でも一つだけハッキリした。私、キャンディが大好き。それと同じだけ友達も家族も大好き。だからみんな一緒が良い。みんな一緒の未来がきっと私のウルトラハッピーなんだって」
「私達の、やろ」
あかねが手を前に出します。やよいが続きます。なお、れいかも続きます。
「五つの光が導く未来、輝けスマイルプリキュア」
今再び5人の心は一つとなりて、プリキュアの意志となります。
時同じく、ピエーロの封印が解かれます。
④次回予告
プリンセスフォーム解禁。
ビューティさんから発する殺気にも等しいオーラ。荒ぶっておられます。
○トピック
プリキュアごっこをしていたみゆき達がプリキュアになる回。
プリキュアという作品においてプリキュアがどういうものであるかがよく示されています。プリキュアは世界を救うために戦いません。プリキュアをするもしないも自由です。
「友達を守りたい、その優しい気持ちがあれば女の子は誰だってプリキュアになれるのよ」
オールスターズニューステージのこの台詞は本作においても当てはまります。
プリキュアが友達と他の友達や家族を天秤にかけないことは分かっていました。プリキュアとダンスどっちを取るか?という選択を迫られたラブ達が両方と言い切ったのは記憶に新しい。プリキュアは全部取ります。それをやってのけてこそのプリキュア。したいこと、大切な人をすべて守るのがプリキュアです。
今回のエピソードの要は「私にとって大切なことは何か?」にあります。彼女達がプリキュアをするにあたり、何を実現させようとするのか、その目的です。彼女達に足りなかったのはまさにそれであり、それを行う覚悟です。
何故彼女達が危険を冒してでもキャンディを助けようとするのか。友達だから。ではその友達は自分のすべてを賭けるだけの価値があるものなのか? また、それは自分だけにとって価値あるものなのか。これはキャンディという一個人に対してだけの問いかけに留まらない「友達」「他者」というものの価値を浮き彫りにします。
友達との出会いから始まり、友達が自分を支え自分が友達を支えてきたことはこれまでのエピソードで描かれたとおりです。友達の存在があってこそ自分は今の自分であり得て、そのすべてがかけがえのない幸せなのだというみゆき達の独白は、自己というものの実存に言及しています。自己とは他者との関係によって作られる。人間とはそういう生き物です。親も友達も他者という意味では同じです。そして自分というものの価値、構成要素を見つめたときに誰しもが必ず他者の存在、影響、関係を思い浮かべるでしょう。苦しいことも悲しいことも嬉しいことも幸せも、それは誰かとの、あるいは誰かへの不満なり感謝がそこにあると思います。他者が介在しない自己はない。
そしてまた、これは責任でもあります。自分が関わった人への責任。自分が愛する人への責任。相手から差し伸べられた手に対する責任。責任を取るというのがどういうことなのか実は私はよく分かっていません。それが降格だとか減給だとか代償を払うということのみを指す言葉ではないでしょう。もしかしたら「その人(事象)に対して、私は何かをしなければならない」という単純な動機付けなのかもしれません。それが良い方に働けば誇りになり、悪い方に働けば罪となる。
いずれにしても、何にも考えずに過ごせばどうということもなかったものです。意識して思うから責任という道義的感情が出てくる。しかし、それなくして本当の喜びや悲しみもないでしょう。人はより多くの、より質の高い感情を経験することによって豊かな心を持つと私は思っています。
友達を切り捨てるということは、自分の大切な思い出、経験、成長の糧、愛情を否定することになる。自分を肯定するなら、他者もまた肯定されうる。他者を肯定するなら自己もまた肯定される。自己と他者とはそうした相互性、相補性を持ったものです。
みんなが一緒の未来がみゆき達にとってのハッピーになるのなら、すべての人においてもハッピーになる未来でもあるのではないか。
これは敵を救済することによってより多くの、より豊かな幸せを実現し続けてきたプリキュアの潮流にも符合します。
れいかが独白したように、これらの価値・目的は彼女達個人のものです。が、上述したようにプリキュアとは友達を守りたい優しい気持ちがある女の子がなれるもの。その子達の意志こそプリキュアそのものです。シリーズ8年、6代のプリキュアがいました。そのいずれも彼女達自身の意志と行動によってプリキュアを提示してきました。みゆき達もまた自分達の経験から自分の為すべき事を見つけました。それはプリキュアの歴史を紡ぐ新たな1ページとなっていきます。
第21話「星にねがいを!みんなず~っと一緒!!」
○今週の出来事
①出会いは空から
今日は七夕。みゆきは天気が晴れたので夜は星がたくさん見れるといいと青空を見上げます。すると本が羽ばたいてやってきます。「もしかして、久々の…やっぱり」ガン! 久々の顔面ブロック。みゆきを心配して本から出たポップはキャンディに体当たりされてノックアウト。出オチです。
バッドエンド王国。エナジーも残り2カウント。ジョーカーはピエーロ様が復活すれば世界はバッドエンドになるとほくそ笑みます。
不思議図書館で顔合わせ。夏服仕様。れいかさんのワンピースがとても可愛い。みゆきの白ニーソが無くなって少し残念ですが、その分は脇で補充します。
以前もやったように男らしさをアピールしたい割りにカッコイイと言われて照れるポップ。ずっこけたところをキャンディに助けられます。髪の毛をロープ代わりにしてるの面白い。
今日来た案件は勿論デコルデコールについて。現在15個集まり残りは一つ。全て揃えばメルヘンランドの女王が復活します。スマイルで現状開示されている情報はピエーロが世界をバッドエンドにしようと目論んでいるのでそれを阻止する、ということくらいです。
未知な相手との戦いが近づいているのを知って緊張するみんなにみゆきは大丈夫だと答えます。プリキュアの絵本を開いて真っ白な未来は自分達が創る、スマイルでいっぱいのウルトラハッピーな未来にしようと希望を持ちます。脇ありがとうございます。ページは白紙ですが、彼女達の目的意識もアバウトで真っ白と言っていい。彼女達が言うハッピーがどのような過程を経て作られるかは今暫く時間がかかります。
ということで、七夕なので星にお願い。笹が飾ってあります。七夕をポップ達に説明するとペガサスの日と似ていると言います。ポップが忍法を使ってペガサスに化けます。何故か角も付いています。きっと改良種なのでしょう。ペガサスを見てみゆき達のテンションはあがります。気分を良くしたポップはペガサスの日について説明します。1年に一度たくさんの星が流れる日にキャンドルを灯してペガサスにお願いする日だそうです。
ちなみに今日は100年に一度の流れ星がたくさん流れる日。ナイスタイミング。七夕とペガサスの日両方やろうと提案するみゆき。いつの間にかポップに跨っています。みゆきに乗って貰えるなんて羨ましい。なんというご褒美。やよいも抱きつくと変化が解けてしまいます。重量オーバー。「いやん」。あざとい。
短冊をたくさん書こうと言うみゆき。なかなか欲張りです。私は一つで良いです。テレビの中に入れますように。
「これからも素敵な物語とたくさん出会えますように」。みゆきらしい。
あかね「商売繁盛」。やよい「絵が上手くなりますように」。実利的です。
なお「家族旅行いきたい」。旅費が大変そうです。
「正しき道をゆく」れいかさんオチありがとうございました。ある意味我が道を行ってます。
短冊を笹に飾ります。「正しい道…」「正しい道…」れいかさん連呼しなくていいです。笹を見て物足りないと思ったみゆきはデコールから星デコルを取って飾ります。ポップとキャンディも短冊に願いを書きます。楽しそうな妹を見てポップは笑顔でいられるのは仲間達と出会えたからなのだと納得します。キャンディはみゆき達と出会ったことを振り返りながらみんなとずっと一緒に遊ぶと願いを書きます。
毎年の事ですが、プリキュアにおいて「世界を救う」ことは動機になりません。プリキュアはそんなことのために戦いません。この物語は世界を救う物語ではありません。人を救う物語です。人を救ったら世界が救われる感じ。キャンディが笑顔でいられる理由や願い、みゆき達との関係性がこのタイミングでクローズアップされるのはその前振りです。
キャンディは短冊を星デコルの隣に飾ります。みゆき達と一緒に外へ出ます。
再びバッドエンド王国。ジョーカーは妖精にミラクルジュエルのヒントがあると目星を付けます。今回の噛ませ犬はアカオーニ。
②空からの贈り物
夜。星を見ようと小高い山に人々が集まります。なおの家族、育代さんとちはるさんの姿も。黄色×ピンクは母親にも適応されるのか……胸が熱くなるな。
なおが穴場を紹介します。人気も少なく満天の星空が望めます。星空を見たポップはメルヘンランドを思い出します。いつかみんなをお招きすると約束。
キャンディと初めて会ったときのことを思い出しながら、みゆきはその時にとびきりハッピーなことが始まると思ったと話します。その予感は当たった、キャンディとの出会いをキッカケにしてみんなとも仲良く慣れた。今すっごくウルトラハッピーだと言います。
人との出会いが新しい体験、幸せや笑顔の素になるという示唆。また、プリキュアを通じての出会いもここで肯定されています。近年のプリキュアは女の子がプリキュアすることを積極的に肯定しています。つまりプリキュアであることを通じて発見・獲得されるような何かがあるという提示を行っています。それが何であるかは最終回までのお楽しみです。
流れ星が降ります。歓声をあげる人々。流れ星を見たみゆきは空をかけるペガサスみたいだと評します。みんなで流れ星に願い事をします。プリキュアがテレビから出てきてくれますように。
心の中でみゆき達とずっと一緒に居たいと願うキャンディ。キャンディの願いを知らないみんなは短冊に何を書いたか訊ねます。ところがキャンディは秘密だと言います。皮肉にも彼女の願いは切実な意味での願いへと変るのですが、それをどのようにして、どんな動機と意思でプリキュアが叶えるかに意味がかかってきます。
ポップはキャンディには不思議な力がある。メルヘンランドを救うためにも絶対に守ると内心で誓います。特殊な力があることはどうやら事実のようです。多分この力そのものに意味はないだろうと思います。いわゆる「子どもの可能性」ですね。シフォンの超能力みたいな。力があることが重要なのではなく、可能性の示唆、そしてその可能性はどのようにしてどういう方向性で広がっていくかという視覚的表現。キャンディの力はみゆき達との友情によって引き出されています。
そろそろ時間なのでアカオーニ登場。星空が消えて人々はバッドな空気に。カウント21。ラスト1。
アカオーニは星が願いを叶えてくれるなんてあるわけないと否定。この人達の場合明るい未来を信じていないので願いそのものを否定する立場にあります。そりゃまあ、あんだけ童話の世界でボロクソな目に遭えばそんな希望持てなくもなります。彼ら幹部の面白いところは、童話の世界でハッピーエンドを潰そうとする彼ら自身がバッドエンドになる点です。
「お願いを叶えて欲しいって気持ちは未来を信じる力になるんだから! みんなの大切な気持ちを笑わないで!」
なるほど、そうとも言える。面白いことを言う子です。確かに絶望すると願わなくなります。その元気がなくなる。バッドエナジー出してる人がまさにそう。希望とは信じること、信じるものがあること。スイートは悲しみがある世界であっても笑顔が生まれることを信じました。スマイルはさらにどう出るか。
笹アカンベェ召喚。いつもより気合いが入ってます。赤っぱななので最後のデコルゲットのチャンス。
開戦早々劣勢に追いやられるプリキュア。諦めたらいいと言うアカオーニに対抗するように願いを胸に込めながらプリキュアは立ち上がって戦います。その姿を印象深く見つめるポップとキャンディ。
アカンベェの攻撃を属性攻撃で封じます。珍しくピースが仕事します。ハッピーシャワーで押し合い。アカオーニがアカンベェの足を金棒で殴りつけて力を出させます。それ逆効果じゃないかな。全員の必殺技で対抗。ピースがまた泣き顔に戻っています。凛々しく戦うより泣き顔の方が可愛いさをアピール出来る事を知ってのリアクションでしょうか。流石黄色あざといな。アカンベェを仕留めます。
空からひまわりデコルが降ってきます。
③不吉な使者
これで16個集まってコンプリート。デコールにはめれば女王復活です。星デコルは置いて来ちゃいましたが。お約束どおりジョーカー登場。デコルとデコールが奪われます。さらにキャンディもさらわれます。
④次回予告
黄色何があった。プリキュアごっこはもう終り。
マーチ新フォーム。これはどっかの黄色と違って強そう。
○トピック
来週放送できるんですか?って勢いで次回予告が持っていった感がありますが、いよいよスマイルも中盤戦。ごっこ遊びから本物のヒーローへと変わる時が来たようです。
今回のエピソードは概ね今までのおさらいと次回以降を見据えた前振りです。本編感想もそれに倣って補足的に記述しています。毎度書いていることではありますが、論点整理も兼ねておさらいします。
この物語はヒーローごっこをすることから始まっています。みゆき達は友達同士でプリキュアごっこをしています。だから作中で戦いそのものの意味や意義についてはほとんど言及されていません。メルヘンランドとバッドエンド王国の説明がオミットされているのも彼女達のごっこ遊びに関係が無いからです。遊びに必要なのはシチュエーションであって、事実関係や利害、責任はどうでもいいことです。視聴者(子ども)の視点とみゆき達の視点を極力同じにしています。プリキュアごっこを通じて、あるいは日常的な関係をとおして彼女達は友達と仲良くなっています。序盤はこれが重要なポイントになります。
この「友達」を描く中でスマイルは相手を受容しお互いに好影響を与えながら成長していくビジョンを提示しています。一人では辛く悲しいことでもみんなと一緒なら励まされ勇気付けられる。それをお互いに感じ合うことで友達の価値や意義を高めています。この関係にはキャンディも入っています。青っぱなを浄化するためにキャンディの力を必要とするのはその補強と考えられます。
そうした流れなので基本的にみゆき達がプリキュアをする理由は希薄です。責任も目的もない。ごっこ遊びなんだから当然です。そこで物語中盤から彼女達は、自分が何をしたいのか、何故そうするのか?という疑問と(プリキュアと直接関係しなくても)向き合っていきます。目的意識の下地が作られています。
ヒーローごっこと本物のヒーローとの違いは何かと問われればいくらでもあるのでしょうが、それが現実を変えるものであるか、当事者に責任や目的があるかということがあげられます。いずれも今のみゆき達は持っていないか、出来ない事です。友達(キャンディ)がさらわれたことによってようやくここに至って彼女達はこの戦いが退っ引きならない、重大なものだったと気付くでしょう。心地良い遊びの時間は終り。痛みを伴う現実と向き合う時間が始まる。過去のプリキュア達がそうしてきたように、人間の弱さ醜さ、不条理に向き合う戦いです。その戦いを乗り越えた先に本当の幸せ、笑顔があります。ごっこ遊びなら自分達だけが笑顔になれればいい。けど、本当にみんなを笑顔にしたいなら自分達で責任を負いながら創っていかなければならない。それが出来てこそ本物のヒーローになれる。ヒーローに憧れた女の子達は今その岐路に立っています。
プリキュアは友情で結ばれた女の子。ではそのプリキュアは何が出来るのか。何故プリキュアをするのか。プリキュアとは何なのか。
「ちゃんと考えるときが来たのかもしれません。私達が何のためにプリキュアになるのかを」
自らその問いを立てるプリキュアの意志が大好きです。その覚悟見せてもらいましょう。
①出会いは空から
今日は七夕。みゆきは天気が晴れたので夜は星がたくさん見れるといいと青空を見上げます。すると本が羽ばたいてやってきます。「もしかして、久々の…やっぱり」ガン! 久々の顔面ブロック。みゆきを心配して本から出たポップはキャンディに体当たりされてノックアウト。出オチです。
バッドエンド王国。エナジーも残り2カウント。ジョーカーはピエーロ様が復活すれば世界はバッドエンドになるとほくそ笑みます。
不思議図書館で顔合わせ。夏服仕様。れいかさんのワンピースがとても可愛い。みゆきの白ニーソが無くなって少し残念ですが、その分は脇で補充します。
以前もやったように男らしさをアピールしたい割りにカッコイイと言われて照れるポップ。ずっこけたところをキャンディに助けられます。髪の毛をロープ代わりにしてるの面白い。
今日来た案件は勿論デコルデコールについて。現在15個集まり残りは一つ。全て揃えばメルヘンランドの女王が復活します。スマイルで現状開示されている情報はピエーロが世界をバッドエンドにしようと目論んでいるのでそれを阻止する、ということくらいです。
未知な相手との戦いが近づいているのを知って緊張するみんなにみゆきは大丈夫だと答えます。プリキュアの絵本を開いて真っ白な未来は自分達が創る、スマイルでいっぱいのウルトラハッピーな未来にしようと希望を持ちます。脇ありがとうございます。ページは白紙ですが、彼女達の目的意識もアバウトで真っ白と言っていい。彼女達が言うハッピーがどのような過程を経て作られるかは今暫く時間がかかります。
ということで、七夕なので星にお願い。笹が飾ってあります。七夕をポップ達に説明するとペガサスの日と似ていると言います。ポップが忍法を使ってペガサスに化けます。何故か角も付いています。きっと改良種なのでしょう。ペガサスを見てみゆき達のテンションはあがります。気分を良くしたポップはペガサスの日について説明します。1年に一度たくさんの星が流れる日にキャンドルを灯してペガサスにお願いする日だそうです。
ちなみに今日は100年に一度の流れ星がたくさん流れる日。ナイスタイミング。七夕とペガサスの日両方やろうと提案するみゆき。いつの間にかポップに跨っています。みゆきに乗って貰えるなんて羨ましい。なんというご褒美。やよいも抱きつくと変化が解けてしまいます。重量オーバー。「いやん」。あざとい。
短冊をたくさん書こうと言うみゆき。なかなか欲張りです。私は一つで良いです。テレビの中に入れますように。
「これからも素敵な物語とたくさん出会えますように」。みゆきらしい。
あかね「商売繁盛」。やよい「絵が上手くなりますように」。実利的です。
なお「家族旅行いきたい」。旅費が大変そうです。
「正しき道をゆく」れいかさんオチありがとうございました。ある意味我が道を行ってます。
短冊を笹に飾ります。「正しい道…」「正しい道…」れいかさん連呼しなくていいです。笹を見て物足りないと思ったみゆきはデコールから星デコルを取って飾ります。ポップとキャンディも短冊に願いを書きます。楽しそうな妹を見てポップは笑顔でいられるのは仲間達と出会えたからなのだと納得します。キャンディはみゆき達と出会ったことを振り返りながらみんなとずっと一緒に遊ぶと願いを書きます。
毎年の事ですが、プリキュアにおいて「世界を救う」ことは動機になりません。プリキュアはそんなことのために戦いません。この物語は世界を救う物語ではありません。人を救う物語です。人を救ったら世界が救われる感じ。キャンディが笑顔でいられる理由や願い、みゆき達との関係性がこのタイミングでクローズアップされるのはその前振りです。
キャンディは短冊を星デコルの隣に飾ります。みゆき達と一緒に外へ出ます。
再びバッドエンド王国。ジョーカーは妖精にミラクルジュエルのヒントがあると目星を付けます。今回の噛ませ犬はアカオーニ。
②空からの贈り物
夜。星を見ようと小高い山に人々が集まります。なおの家族、育代さんとちはるさんの姿も。黄色×ピンクは母親にも適応されるのか……胸が熱くなるな。
なおが穴場を紹介します。人気も少なく満天の星空が望めます。星空を見たポップはメルヘンランドを思い出します。いつかみんなをお招きすると約束。
キャンディと初めて会ったときのことを思い出しながら、みゆきはその時にとびきりハッピーなことが始まると思ったと話します。その予感は当たった、キャンディとの出会いをキッカケにしてみんなとも仲良く慣れた。今すっごくウルトラハッピーだと言います。
人との出会いが新しい体験、幸せや笑顔の素になるという示唆。また、プリキュアを通じての出会いもここで肯定されています。近年のプリキュアは女の子がプリキュアすることを積極的に肯定しています。つまりプリキュアであることを通じて発見・獲得されるような何かがあるという提示を行っています。それが何であるかは最終回までのお楽しみです。
流れ星が降ります。歓声をあげる人々。流れ星を見たみゆきは空をかけるペガサスみたいだと評します。みんなで流れ星に願い事をします。プリキュアがテレビから出てきてくれますように。
心の中でみゆき達とずっと一緒に居たいと願うキャンディ。キャンディの願いを知らないみんなは短冊に何を書いたか訊ねます。ところがキャンディは秘密だと言います。皮肉にも彼女の願いは切実な意味での願いへと変るのですが、それをどのようにして、どんな動機と意思でプリキュアが叶えるかに意味がかかってきます。
ポップはキャンディには不思議な力がある。メルヘンランドを救うためにも絶対に守ると内心で誓います。特殊な力があることはどうやら事実のようです。多分この力そのものに意味はないだろうと思います。いわゆる「子どもの可能性」ですね。シフォンの超能力みたいな。力があることが重要なのではなく、可能性の示唆、そしてその可能性はどのようにしてどういう方向性で広がっていくかという視覚的表現。キャンディの力はみゆき達との友情によって引き出されています。
そろそろ時間なのでアカオーニ登場。星空が消えて人々はバッドな空気に。カウント21。ラスト1。
アカオーニは星が願いを叶えてくれるなんてあるわけないと否定。この人達の場合明るい未来を信じていないので願いそのものを否定する立場にあります。そりゃまあ、あんだけ童話の世界でボロクソな目に遭えばそんな希望持てなくもなります。彼ら幹部の面白いところは、童話の世界でハッピーエンドを潰そうとする彼ら自身がバッドエンドになる点です。
「お願いを叶えて欲しいって気持ちは未来を信じる力になるんだから! みんなの大切な気持ちを笑わないで!」
なるほど、そうとも言える。面白いことを言う子です。確かに絶望すると願わなくなります。その元気がなくなる。バッドエナジー出してる人がまさにそう。希望とは信じること、信じるものがあること。スイートは悲しみがある世界であっても笑顔が生まれることを信じました。スマイルはさらにどう出るか。
笹アカンベェ召喚。いつもより気合いが入ってます。赤っぱななので最後のデコルゲットのチャンス。
開戦早々劣勢に追いやられるプリキュア。諦めたらいいと言うアカオーニに対抗するように願いを胸に込めながらプリキュアは立ち上がって戦います。その姿を印象深く見つめるポップとキャンディ。
アカンベェの攻撃を属性攻撃で封じます。珍しくピースが仕事します。ハッピーシャワーで押し合い。アカオーニがアカンベェの足を金棒で殴りつけて力を出させます。それ逆効果じゃないかな。全員の必殺技で対抗。ピースがまた泣き顔に戻っています。凛々しく戦うより泣き顔の方が可愛いさをアピール出来る事を知ってのリアクションでしょうか。流石黄色あざといな。アカンベェを仕留めます。
空からひまわりデコルが降ってきます。
③不吉な使者
これで16個集まってコンプリート。デコールにはめれば女王復活です。星デコルは置いて来ちゃいましたが。お約束どおりジョーカー登場。デコルとデコールが奪われます。さらにキャンディもさらわれます。
④次回予告
黄色何があった。プリキュアごっこはもう終り。
マーチ新フォーム。これはどっかの黄色と違って強そう。
○トピック
来週放送できるんですか?って勢いで次回予告が持っていった感がありますが、いよいよスマイルも中盤戦。ごっこ遊びから本物のヒーローへと変わる時が来たようです。
今回のエピソードは概ね今までのおさらいと次回以降を見据えた前振りです。本編感想もそれに倣って補足的に記述しています。毎度書いていることではありますが、論点整理も兼ねておさらいします。
この物語はヒーローごっこをすることから始まっています。みゆき達は友達同士でプリキュアごっこをしています。だから作中で戦いそのものの意味や意義についてはほとんど言及されていません。メルヘンランドとバッドエンド王国の説明がオミットされているのも彼女達のごっこ遊びに関係が無いからです。遊びに必要なのはシチュエーションであって、事実関係や利害、責任はどうでもいいことです。視聴者(子ども)の視点とみゆき達の視点を極力同じにしています。プリキュアごっこを通じて、あるいは日常的な関係をとおして彼女達は友達と仲良くなっています。序盤はこれが重要なポイントになります。
この「友達」を描く中でスマイルは相手を受容しお互いに好影響を与えながら成長していくビジョンを提示しています。一人では辛く悲しいことでもみんなと一緒なら励まされ勇気付けられる。それをお互いに感じ合うことで友達の価値や意義を高めています。この関係にはキャンディも入っています。青っぱなを浄化するためにキャンディの力を必要とするのはその補強と考えられます。
そうした流れなので基本的にみゆき達がプリキュアをする理由は希薄です。責任も目的もない。ごっこ遊びなんだから当然です。そこで物語中盤から彼女達は、自分が何をしたいのか、何故そうするのか?という疑問と(プリキュアと直接関係しなくても)向き合っていきます。目的意識の下地が作られています。
ヒーローごっこと本物のヒーローとの違いは何かと問われればいくらでもあるのでしょうが、それが現実を変えるものであるか、当事者に責任や目的があるかということがあげられます。いずれも今のみゆき達は持っていないか、出来ない事です。友達(キャンディ)がさらわれたことによってようやくここに至って彼女達はこの戦いが退っ引きならない、重大なものだったと気付くでしょう。心地良い遊びの時間は終り。痛みを伴う現実と向き合う時間が始まる。過去のプリキュア達がそうしてきたように、人間の弱さ醜さ、不条理に向き合う戦いです。その戦いを乗り越えた先に本当の幸せ、笑顔があります。ごっこ遊びなら自分達だけが笑顔になれればいい。けど、本当にみんなを笑顔にしたいなら自分達で責任を負いながら創っていかなければならない。それが出来てこそ本物のヒーローになれる。ヒーローに憧れた女の子達は今その岐路に立っています。
プリキュアは友情で結ばれた女の子。ではそのプリキュアは何が出来るのか。何故プリキュアをするのか。プリキュアとは何なのか。
「ちゃんと考えるときが来たのかもしれません。私達が何のためにプリキュアになるのかを」
自らその問いを立てるプリキュアの意志が大好きです。その覚悟見せてもらいましょう。